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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第拾八部 夏の雪(Part-9) / 心に棲む魔物(後篇)

(あらすじ)

生きるとは戦うこと…戦って勝ち取ることである…それは楽園を負われた人類が有史以来、一貫して貫いてきた生き様であり、真理だった。
ゲンドウ…ミサト…それぞれに譲れない想いがあるように、相容れない両者の負の連鎖は加速していく…

一方…

精神世界の深い闇の中に一人、打ち沈められたアスカはそこで信じ難い人物との邂逅を果たしていた…
同刻。新市ヶ谷。戦略自衛隊総合作戦司令部。

遮二無二に弐号機の救出に向ったマリとその後を慌てて追い駆けた特殊潜航艇“イラストリアス”が図らずもエリア1995に残した痕跡(こんせき)は当然の帰結というべきか、瞬時にありとあらゆる“網”に搦(から)め捕(と)られていた。

日本政府国防省の地下に設置されている戦自総司令部では珍しく顔を紅潮させた長門忠興の声が反響していた。

「対潜本部(※
ここでは国連軍のそれではなく国防省内の一機関)は今まで何をしていた!いいか!沖縄の二の轍は踏むことは許されんぞ!」

「はっ!」

「くそ…何でよりによってエリア1995なんかに…一体、何がやつらの目的なんだ…」

夏の夜の帳(とばり)が既に降りているエリア1995上空には戦自のみならず国連軍(第7艦隊)所属の対潜装備の攻撃ヘリや哨戒機が次々と飛来し、更にネルフに引き続いて日本政府からもエリア1995に程近い三鷹市を始めとする旧東京臨海地区一帯に避難勧告が発令されたため状況は混乱を極めていた。

どかっと荒々しい音を立ててイスに腰を下ろす長門の細身の後姿を、長門とは対照的に体躯に恵まれた副官の安芸元就が侍っていた。

「厄介ですね…(旧東京)臨海地区には日重工(
※ 日本重化学工業共同体)があります…特に情報産業技術研究所内のオリハルコンオリジナルに万が一の事があれば“イージスの盾(包括的国土防衛システム)”の運用にも支障が…」

「言われなくても分かっている!既に時田君のところには二個中隊をあの一件以来常駐させている!相手が使徒でない限り十分対抗可能だ!そんなことを気にするよりも君はフェンリルの動きに注意して置け」

「フェンリルと仰いますと…国連軍特殊機甲師団のシュワルツェンベック中将のことですか?」

意外な人物の名前に安芸はやや怪訝な顔つきをした。

第13使徒(
※ 実際は定形を持たない粘菌状使徒でEva参号機に寄生してダミープラグごと乗っ取った)の襲来と時期を同じくしてアフガンの紛争地域から日本に手勢を引き連れて突然現れたサー・シュワルツェンベックは先般の戦いの舞台となった松代まで旅装も解かずに一気に駆け上るという桁外れの機動力を見せ付けた後、国連軍の新横田基地に司令部を設置すると今度は一転して日本に止まったまま不気味な沈黙を保ち続けていた。いや、正確には世界の各紛争地域に投入されていた彼の精鋭は次々と日本に集結しつつあり、日本政府、特に長門の率いる戦略自衛隊はその進駐に大きな懸念を抱いていた。

平時において国連軍は例え一兵卒であっても戦力の進駐には当該政府の同意を必要としたが、逆に“有事”と国連軍統帥本部或いは特務機関ネルフが判断した場合はその限りではなかった(
※ 但し、例外的にValentine Councilにだけ進駐拒否権が認められている)。そのため外務省国連局や生駒泰三(与党国民党総裁、現内閣総理大臣)を経由した長門の国外退去要請は国連軍統帥本部どころか、シュワルツェンベックのところで悉(ことごと)く撥ね付けられていたのである。

一方でValentine条約体制確立後、世界唯一の固有戦力となっている戦略自衛隊を歪(いびつ)な形で運用している日本政府側の対応も一枚岩というわけにはいかなかった。官僚機構と同様に議員やその支援団体も含めてあらゆる場所で旧自(国連)派と戦自(守旧)派が反目し続けていたため、その追求もどこか気の抜けた炭酸飲料のように精彩を欠いていた。本来水と油の両者が完全分離せずに一つ屋根の下に収まっているのは結論を急がない日本の奇跡(あいまいさ)と言ってもよかったがこの場合は完全にシュワルツェンベックに利していた。

確かに色々謎の多い連中ではあるが…なぜ今、閣下は新横田の動向を気にされるのだろうか…

安芸は僅かに小首を傾げると将官の身でありながらオペレーター達の報告に常人とは思えない早さで矢継ぎ早に細かい指示を与える長門から作戦地図上に謎の未確認物体の存在を示す正面の大型ディスプレーに視線を向けた。

「目標は海面すれすれを潜航中です!」

イラストリアスは海底への着床を恐れて不本意ながらも潜望鏡深度でエリア1238の手前まで航行せざるを得なかったが、その異常性が逆に「目標は使徒かもしれない」という疑念に繋がっていたため長門らに速攻を躊躇わせていた。ポンソンビーの取った数々の失態は結果的に狭い湾内で身動きの取れない“イラストリアス”の乗員にとって幸運に働いていた。

「ふざけやがって…どこまで人をコケにすれば気が済むんだ…まさか俺達をつり出そうとして挑発しているのか…」

吐き捨てるように独り言を呟いた長門はふと自分に向けられている安芸の視線に気がついてバツが悪そうに顔を顰(しか)めた。

「また何かお小言かい?安芸君」

「いえ…ですが一言だけお許し頂けるならあまりエリア1995に出没した目標に拘泥されない方が宜しいかと…」

控えめではあったがやはりどこか諫めるような安芸の言葉に長門は思わず眉をひそませた。

「拘泥?奇妙なことを言うな君も…あからさまな国土への攻撃と存在を覆い隠そうともしない露骨な示威行動、これだけのことをしているあれを君は見逃せとでもいうつもりなのか?」

「いえ…そうではありませんがいささか我々の分を超える事案になりはしないかと…」

「分を超える…だと…?それはどういう意味だ?」

二人の間で微妙な空気が流れ始めていたが日米両国間のデーターリンクを担当するオペレーターの黄色い声で忽ち現実の世界に引き戻される。

「JDLA
Joint Diffence Line Agreement/架空設定。この物語における戦自は高度な相互データリンクを米国防総省と行っている)に基づき米警戒衛星3号機が指揮下に入ります!目標の全長…に、200メートルを超えています!!」

「一体何なんだコイツは…潜水艦にしては大きすぎるようだが…さりとて使徒とも思えん…しかし、どうやらビンゴのようだな…」

始め長門はやや緊張した面持ちをしていたが僅かに口元をほころばせて呟いた。

一枚、また一枚と薄絹を剥(は)ぐが如くベールを毟(むし)り取られていく“目標”に対して戦自司令部の雰囲気は一気に熱を帯び始めた。

それは国土防衛に奉職する使命感等という類のものではなく、どちらかというと報讐雪恨(
あだをほうじてうらみをすすぐ / 中国三国時代に魏王になる前の曹操が父親を殺された恨みを晴らすために徐州に侵攻した際に掲げた旗に大書された言葉とされる。旗の真偽はともかく復讐戦は史実の様である)という趣(おもむき)の熱だった。

「目標は既にエリア1995のGライン(
水没前の東京外環自動車道に相当)を突破してSTライン(所沢~さいたまを結ぶ一帯の呼称。エリア1238とエリア1995の境界。攻撃を受けた仮設堤防の工事現場がある)手前で停止!依然、1238を伺う気配を見せています!」

安芸は自分一人が薄暗い司令部の喧騒の中で取り残されているような不思議な感覚に囚われていた。

危うい…実に危うい…敵とは言えないがさりとて友軍とも言いがたい統帥本部筋の国連軍(
ここではシュワルツェンベックのこと)の存在…そして中国艦の運搬していた聖槍を失った挙げ句に日米同盟の機軸(※ 米国はValantine条約体制を最終的に承認したが最後の最後まで抵抗を続けた背景があり、またネルフと碇ゲンドウに対して参号機接収問題を始めとして随所に禍根を残している。その意味では日本側の守旧/戦自派と利害が一致している)を牽制する統帥本部の息がかかる第七艦隊のドーソン一味が新横田ではなく、よりによって碇ゲンドウの元に駆け込むとは正直想定外だった…

まさに絶妙のタイミングという他ない…こんな切迫した状況で例の“未確認物体”のお出ましと来ればどんな人間でも一寸平静を保つのは難しいかもしれない…しかも奴が聖槍を懐中に抱えていると思えば尚更だ…沖縄沖を洗う手間を考えれば水深がせいぜい65メートルのエリア1995で片を付けたくなるのは当然だがそれにしてもこれは尋常な熱では無い…

エリア1995に不審な未確認物体が出現して以来、長門は叫びっぱなしだった。何処か冷めたところが常にある長門は部下を叱咤する猛将というよりは腹に一物がある謀臣というイメージの方がむしろしっくりくるタイプだった。そんな長門の態度の中に焦燥感のような余裕のなさを安芸は感じ取っていた。

練り上げられた防衛作戦ではなく、降って沸いたスクランブルということもあるが…やはり…“目標”の出没した場所が悪すぎる…

安芸は正面モニターに映っている作戦図上の“AREA1995”の文字を見て思わず目を細めていた。

日本でありながら日本人が自由に触れることを許されない場所、遺骨の回収事業ですら遅々として進まないエリア1995はあらゆる意味で日本にとって鬼門だ…泰平ボケしていたとはいえ寝耳に水の首都喪失はいまだに深い心の傷と屈辱になっているからな…

やはり…気になりますか、閣下…かつて東京と呼ばれていたこの国の首都…そしてロックウェルの英霊達が静かに眠る墓所であり…我々三人の初志も同時に眠る場所であるエリア1995…これほど心が騒ぎ、平静でいられない場所は他にあるまい…

そうだ…これは閣下だけの問題じゃない…我々の問題でもある…

「閣下、意見具申します。目標が沖縄沖で交戦した未確認物体と同一である可能性は極めて濃厚ではありますが潜水艦としては桁外れの大きさです。やはり…使徒の可能性も拭えないかと…」

「分かっている!だが、領海どころか領土内を侵犯する不逞の輩を前にして使徒かもしれないと手をこまねく訳にはいかん!第一、目標にエリア1238に入られてしまっては手を下すことがますます困難になってしまう!早期決着を図るべきだ!」

「しかし…だからこそ…“そのためのネルフ”なのではありませんか?」

「安芸……貴様……こんな時にふざけているのか…」

長門の目が怒りで真っ赤に燃えているのが手に取るように分かった。
安芸は全く洒落を言うつもりはなかった。日本に初めて使徒(※ 公称、第三使徒サキエル)が襲来してきた折、並み居る国連軍及び戦自幹部の面々を向こうに回して勝ち誇ったように嘯(うそぶ)いた碇ゲンドウの姿はその時を境にして特に戦自内で憎悪の対象にまで昇華したのである。

対使徒戦の開戦を契機として新たに統幕本部の末席を暖めることになった長門もその場に居合わせた一人だった。この時の長門のゲンドウに対する怒りは尋常ではなかったことを安芸はつい、昨日のことのように思い出していた。

新横須賀で同期だった豊田と俺は散々この人から愚痴を聞かされたものだ…滅多なことでは人に弱さを見せないこの人が、だ…よほど腹に据えかねるものがあったのだろう…

しかし…だからこそ俺は言わねばならん…この方に…

39歳を迎えたばかりの長門は同年代の男性に比べて鬢(びん)の辺りに一際白いものが目立ち始めていた。

「”そのためのネルフ”だからこそ余計に目標を始末する必要があるんじゃないか!何に引っかかっているというんだ!君は!それに…日米が誇るポセイドンの網に穴があるという話になればそれこそイージスの盾(
“アイギス”の盾とも。日本政府内閣官房保安室と国防省が主導する包括的国土防衛システムのこと。Ep#08において登場したレッドドラゴンミサイル防衛システムの上位構想。出雲重光がセカンドインパクト直後に提唱した政策の一つ)の整備拡張にますます支障をきたすのは必定だ!ここは我々の名誉のためにも徹底的に叩いておくべきなんだ!慎重派の鬼怒川さん(現国防事務次官。Ep#05参照)辺りがまた何を言い出すか分かったものではない!全く…安芸君…そんなことも分からない君じゃないだろ…」

じろっと凄むような視線を送る長門に全く動じることなく安芸はゆっくりと口を開いた。

「仰る通りではありますが…それはあくまで目標が使徒では無い通常兵器…つまり相手が“人間”である場合に限られるのではありませんか?」

「そんなことは…分かっている…」

「ご認識があるなら尚更です、閣下。目標の行動は心情的に我慢ならない極めて遺憾な行為であることは小官も同意です。が、もしあれが使徒であった場合はどうなります。使徒殲滅行動は特務機関の独占的職務です。先のラザロ作戦への参画で東雲さんが持ち出してこられたバーター(交換取引)があるとはいえ、いまだ口約束の域を出ていません。見返りの確保もままならぬ内にネルフに乗ずべき隙を与えては元も子も…」

「そんな寝言は聞きたくない!エリア1238がヤツラのバーターに対する答えだよ!安芸君!君は先日のネルフの不義を忘れたのか!」

「不義…」

長門のいう不義とは先のネルフとの共同オペレーションにおいて戦自が担当したミサイル攻撃の軌道がオリハルコンのハッキングによって大きくずれた事件の事を指していた。叩きつける様な激しい言葉と同時に安芸が今までに見たことがないほど長門の目は怒りで燃えていた。

「こちらをまんまと油断させておいてオリハルコンをハッキングした挙げ句に主権国家の領土で前代未聞のN2爆雷20個を投下して直径50kmの範囲を跡形もなく吹き飛ばしやがった!今頃はさぞかし高笑いをしていることだろうよ…」

「しかし…情報筋によればあれは厳密には東雲さんが我々に打診してこられたラザロ作戦ではなく、全く別のミッションであったと…」

「同じ事だ!!我々が完全にダシに使われたことが分からんのか!!なまじっかN2爆雷投下の前の露払いに加わってしまったがためにネルフのキチガイ行為を我々サイドから糾弾することも出来ないではないか!!あれがヤツラの…碇ゲンドウという獅子身中の虫のやり口なんだ!ネルフなんぞこの国に不要だ!とっととValentine Council特権の凍結(
静かなる者の政策、と同意)を解除させてA801を発令すべきなんだ!」

「閣下…どうか冷静に…」

「俺は極めて冷静だ!目標が使徒なら誤爆ということにすればいい!だが!あれが万が一に“人間”だったとすればどうなる!!国家防衛構想の拡充は再び暗礁に乗り上げてしまうではないか!!この国の防衛議論は再び後退してしまってまた“国連が守ってくれる”などと嘯く外務省のバカどもがしゃしゃり出てくる!A645を動かそうとしていた“帝王(
川内前内閣官房副長官のこと)”一派が今回の政権交代で内閣府から放逐された今がチャンスなんだ!人類が自らの手で救われるその日が来るまで我々は自らの手で自分達の誇りと尊厳を保つべきなんだ!!」

「会期途中で国会が解散(Ep#07参照)してしまったため日米共同開発協定も(戦自)基本法改正案も廃案になってしまいました…元々、日米同盟に肯定的な三笠さん(
内閣官房保安室長。ミサトの伯父)はともかく…内局と国民党内に不穏な動きがあるのは確かではありますが…」

「そうだ…存外、生駒さん(現首相)も不甲斐ないではないか。支持を取り付けるための一時の方便とはいえ“使徒被害救済手当て”の財源問題でこんな大事な時に身動きすら取れなくなるとはな…政界の暴れん坊が聞いて呆れる!あんなものいっそのこと有事を理由に廃案にしてしまえばいいものを…実に忌々しい!」

長門は眉間に皺を寄せると周囲に聞こえるような大きなため息を一つ付いてと再び正面に向き直る。

「所詮…安全なところでぬくぬくしている内局の連中は何一つとして分かってはいないんだよ…まったく…どいつもこいつも…我々を取り巻く情勢は問題が山積みだというのに…」

「如何に国民党を政権政党に押し上げたとはいえ我々“嵐世会”が国民党全てを掌握したというわけではありません…それに生駒先生も左派急進グループには手を焼いておられる様子です…目標が仮に使徒だったとしたら例え“誤爆”ということであっても政権内の不協和音と、野党、特に能登さんの率いる新党辺りに格好の攻撃材料を提供することになりますまいか」

安芸を睨みつけていた長門はイライラした様子で視線を再び正面モニターに戻す。哨戒機と警戒衛星から送られてくるデータがエリア1995と1238の境界付近で突然動きを止めた謎の巨大な物体の存在を強調していた。

安芸も長戸に1テンポ遅れて正面のモニターを見詰める。その視線の先には関東平野にぽっかりと空いた大きな穴が二つ見えていた。そこにはかつて東京都心だったエリア1995とネルフが炸裂させた常識外れともいえる20個のN2爆雷使用によって作られたエリア1238があった。

「どうやら“YAMATOの呪い”を追い詰めたようだな!よし!何としてもエリア1995内で仕留める!!条約規定区域(エリア1238)に入られたら手が出せん!!手段は一切選ぶな!!確実に仕留めろ!!」

「はっ!!エリア1995管区の全機に告ぐ!!総員対潜戦闘用意!!」

「お待ち下さい、閣下!あれが使徒ならば国連軍ならまだしも我々戦自が直接介入することになります!それは条約規定上、かなり問題…」

安芸の言葉に長門は激昂する。

「国土防衛は主権国家における確たる権利だ!条約規定の及ばないエリア1995内でネルフの指示は受けん!!今日の君は何かおかしいぞ!一体何に引っかかっているというんだ!!」

長門は安芸を睨みつけていた。その様子を見た安芸は遠慮がちに小さくため息を付いた。

使徒か人間か…もう問題はそんなところにはない…これはもはや人の心の問題だ…

「率直に申し上げると…そのお答えは閣下の心の中にあります」

「お、俺の心の中…!?」

「はい。閣下は今、何に対して怒っておられますか?」

「…」

「閣下が私心なくこの国を愛しておられることはよく存じ上げているつもりです。そして全人類が嘘偽りなく自らの罪を認めて購(あがな)って救われることを願っておられる、ということもです。あの時…京都で…閣下のお志を初めてお伺いした時は立派な哲学だと小官は衷心より感服したものです。ですが…」

安芸は怒りと困惑が混ざり合っている長門の顔をじっと見据えていた。

「罪は購えてもどうあっても取り戻せないものは存在します…過ぎ去ってしまった時間…失ってしまった命は…どうやっても取り戻せません…特に…Rockwellの件は…」

「安芸!余計な口を利くな!いつ俺がこの件について貴様に意見を求めたか!」

「閣下…どうか…お怒りになればなるほど冷静な判断も出来ますまい…我々戦自は本当に国家、いや人類の希求の旗手として正しい方向に向っているのでしょうか…無礼を承知であえて具申します。このままでは…我々戦自は…2・26事件宜しく何かよからぬ輩の尖兵になりはしませんか?」

「黙れ!黙れ!安芸!貴様の説教はもうたくさんだ!お前の弱気は全将兵の士気に関わる!ここから出ていk……外で顔を洗って来い!!」

「申し訳ございません…」

安芸は憤懣やるかたない状態といった長門に向かって深々と一礼すると静かに総司令部を後にした。

今はこれ以上、頭に血を上らせるのは得策ではないだろう…少し時間を空けるべきなのだろうか…いや…そんな余裕はもう残されていないんじゃないのか…後世の人間は決断の時にあらゆる可能性を未然に考えることが出来たと無責任に結果論で全てを片付けようとするがそれはとんでもない傲慢…ある意味で恐るべき罪ではなかろうか…歴史の当事者は常に追い詰められて…死の渕を覗くギリギリのタイミングで…それも自分の意思とは裏腹に決断をするしかない…歴史とは…人類の時間の積み重ねとは所詮はそうしたものではないのか…

薄暗い廊下に出た安芸は振り返ってゆっくりと閉まっていく自動ドアの隙間から士官達に次々と指示を飛ばしている長門の姿を見ていたがやがて音もなく扉はぴっちりと閉じられた。

そもそもこの国と愛するものを護るという志の下にあの日…俺達はまるで新撰組のように“京都”に集まった…ただの学生の政治運動のようだった我々がやがて“戦自”というハードを手に入れたわけだが…その歯車はどこか…何処がとは具体的には分からないが…やっぱり確実に狂いつつある…そんな気がしてならない…並の人間ならまだしも…閣下がそれに気が付いていない筈はない…いや、そう信じたい…

安芸はふと足を止めると懐から戦自職員の身分証を兼ねる手帳を取り出した。手帳の間にはせてあった一枚の色褪せた写真を取り出すと思わず目を細めていた。すっかり縁(ふち)が擦り切れてくたびれたその写真の中には長門と安芸、そしてもう一人の男が咲き誇る薄紅色の楊貴妃桜(八重桜)の下で互いに肩を組んでいた。

「東雲さん…また三人で御寺(泉涌寺)の桜、見たいですね…今の日本は暑過ぎます…」

嫌になるくらい…

再び人気のない廊下をゆっくりと安芸は歩き始めた。

でも…残念ですが三人で顔を揃えることはもう出来そうにありません…
 
「むれ落ちて楊貴妃桜尚色褪せず、か…」
 

何か騒がしい音が聞こえてくる…悠久の時を刻み込むようにそれは寄せては帰していく…

どこか懐かしいような響きのある音だった…

決して止むことのないそれが潮騒ということに気付くのにそんなに時間はかからなかった…

冷たい…

何の前触れもなく突然、左手の指先に冷たいものが触れる…アタシはゆっくりと目を開けた…

じっとりとした湿り気を帯びた真っ白な砂浜が見えた…あまりに白くて逆に自然のものには見えない…雪のように白くて…そしてまるで生まれたてのような…誰の手にも触れられていない無垢な砂浜がどこまでも…どこまでも…ずっと続いていた…

そして…白い砂浜に打ち寄せる…赤くて…透き通るような透明の…

海……?いや…湖かも……

それが砂浜に横たわっているアタシの左手を洗い始めたものの正体だった…

不思議な感じ…

潮騒以外に何も聞こえてこなかった…怖いくらいの静寂の中でアタシは一人横たわっていた…

アタシ一人…そう…なぜか唐突にアタシはそう思った…

お伽話の世界に迷い込んだみたいだった…だって…

こんなに綺麗なのに…ここには生命の気配がまるでしない…

あるいは逆に死んだばかりなのだろうか…それとも…これが生と死が互いに交錯するということなのか…

なんて孤独で…そして寂しい世界(ばしょ)なんだろう…

ここは一体何処で…どうしてアタシはこんなところにいるのか…

すべてが不可解だった…

「ったく…こんな時にそんなこと悩んでるなんて…ずいぶん余裕があるじゃない。アンタ…」

一瞬、心臓が止まりそうになる…

こ、この声は……

アタシは驚いていた…自分が一人ではなかったことに…そして今、自分の耳にはっきりと聞こえてくる声が嫌と言うほど聞き慣れた声であることに…

「フフフ…アハハハハ…バッカみたい!なに動揺してんのよ!おっかしいたらありゃしないわよ!ハハハ!」

また声が聞こえてくる…相手を斬るつけるような刺々しい言い方で…

まるでアタシの驚きと戸惑いを見透かすかの様に声の主の笑い声は一層高くなる…鼻で軽く笑う様な皮肉に満ちた乾いた笑い声が辺りに響く…

そうだ…アイツ(第14使徒)らが現れてからというもの、ずっと誰かに見られているような奇妙な感じがあった…始めは自分に諜報課の監視がつくようになったからだと思っていたけど…なんというか…それとは異なる…異質な何か…

ぼやけていた意識がはっきりしてくるにつれて堰を切ったように次から次へと疑問がアタシの頭の中を駆け巡る…客観的に考えれば考えるほど俄かに信じ難い答えが浮かび、そしてそれをまた打ち消すという不毛な作業が続く…

「随分とパニクってるみたいね?でもまあ…これでようやくお目覚めみたいね?アンタってちょっとトロいんじゃないの?」

まさか…アタシの考えていること が…さっきから声を出してないのに会話が…

「そうよ。アンタが何を考えてるかなんて全てお見通しよ!アタシはアンタに直接語り掛けてるんだからね!」

直接…語り掛けてる…!?

普通ではありえない異常なこの現象…幾ら自分の周りを見回しても声の主の姿はなく…いいえ…そもそも今見ている風景自体がありえない…

夢…そう…それも飛びっきりの悪夢を見ているとしか思えなかった…

「まったくやれやれだわ…ここが何処か、だなんてそんなことどうでもいいじゃない!そんなことよりさあ。余計なおせっかいだけど早くしないとアンタ…ホントに死んじゃうわよ?フフフ…」

死ぬ…

その一言が重たくアタシに圧し掛かる…
一気に現実に引き戻されるような感覚…

声が…出ない…

「別に無理してしゃべんなくてもいいわよ。うざいだけだしさ」

耳元で大袈裟な溜息が聞こえてきた…何故か鼓膜が痛い…

「ちょっと…なにボーっとしてんのよ?アンタ。もう目が覚めてるんでしょ?まったく…こっちの身にもなりなさいよ…ったく…いい加減に起きれば?アンタを見てるとホントにイライラする!アンタだけじゃない…あのバカにもね!!」

そう…確かにアタシもイライラしていた…

全く言うことを聞かない自分の身体がまるで他人のもののようだったし、おまけに一方的でしかも理不尽に罵られることにも…

もどかしいほど体の自由が利かない…それでもアタシはようやくの思いでやっと上体を起こすことが出来た…たったこれだけのことなのに信じられないほど息が上がる…

苦しい…

全身に鈍い痛みを感じる…とてもリアルだった…夢とは思えないほど…

「夢?この期に及んでおめでたい頭してるわねぇ…これは夢なんかじゃないわ…現実よ」

現実…?これを…現実と受け止めろなんて…
異様な世界に…アタシと…もう一人のアタシ…

現実…そうだ…だんだん思い出してきた…

アタシは自ら志願してサルベージ作戦に参加した…反射的にミサトと司令を争わせるわけにはいかない、単純にあの時はそう思ったからだ…
それはミサトやネルフ、そしてこの世界のことを憂(うれ)えたとか、そんな耳障りのいい理由からではなくて…一緒に逃げようと言ってくれたあの子の為…突き詰めれば自分の為に他ならない…

初めてだった、多分…アタシはあの日以来…自分以外の存在に価値を見出し、そしてそれを護ろうとしている…あれほど執着していた自分の過去をあっさり捨て去って、今を生きようとしている…

「それってマジで言ってるの…?バカだとは思ってたけど本格的に呆れたわ…」

そう…アタシは本気…だから…生きたい…死にたくない…アンタがアタシに死ぬと言った時…そう思った…

諦めたような、侮蔑のような大きなため息が一つ…

「所詮は自分以外に信じられるものなんてないわ。他人を信じれば傷つくだけよ。幾ら待っていても…来ないものは来ないわよ!見捨てられて終わり!誰もアンタのことなんか省みたりしないわよ!!」

まるで突風に押されるような激しい怒気…でも…その怒りの中にどこか…寂しさ…哀しさ…いや悔しさかもしれない…そんな悲しさのようなものを感じた…

「うるさいわね…余計なお世話よ!アンタみたいなフケツな女に言われたくないわ!」

「……」

フケツ…か…否定はしないわ…自分でもあれでよかったのかよく分からないし…

「へぇ、開き直るつもり?何も確信がないままアンタってあんなこと出来ちゃうんだ?それじゃあそこらの野良犬と変わんないじゃない!なに発情(さか)ってんだか!」

さ、発情(さか)るとか…コイツ、ホントにムカつく…さっきから言いたいことばっかり言って…まるで自分以外の存在を全て撥(は)ね付けるような荒々しさで、しかも一方的に自分の意見を押し付けてくる…

一体、アンタはアタシの何だって言うのよ…

「何よ…それって逆ギレ?図星でしょ!!」

全身の血が一気に頭に上がってくる…身体が…熱い…アタシは砂を払って立ち上がる…

「ちょっと…どこに行くつもり?死に掛けのアンタをここに連れて来たのはこのアタシよ?お礼くらい言ったらどう?」

誰がアンタにそんなことを頼んだって言うの…勝手にしておいてお礼も何もないもんだわ…

「な、何ですって!」

うるさいわね…アンタに答える筋合いは無いわよ…だいたい助ける気があるんなら素直に助けなさいよ…さっきから聞いてれば人の事に散々ケチをつけて…こんな信じられない光景とアンタみたいな訳のわかんないのがいて普通でいられる方がおかしいわよ…

アタシは怒りに任せて当ても無く憤然と白い砂浜を踏みつける…

「何処に行こうが無駄よ!ここから出られっこないんだから!」

アタシは何も答えなかった…ホント何なんだろうコイツ…そしてココは一体何処…使徒の中?

「ハハハ!結局、分かってないんじゃない!少なくとも使徒の中じゃないわ!使徒に壊される前にアタシがアンタをここに連れてきたんだから!アンタ…あのままあそこにいたら完全に精神をレイプされてたわよ?言ってみればアタシはアンタの恩人よ。ちょっとは感謝したら?」

誰も踏み入れたことがない白い砂浜と打ち寄せる赤い波…訳も分からずアタシの歩みはどんどん強く、早くなっていく…

コイツのふてぶてしくって強烈なまでのプライドと自尊心…でも…自信満々ってわけではなくどこかに危うさが漂っている…相手を攻撃する様に吐き出される言葉と言葉の間に潜む…手折(たお)れば散るような弱さ…

そう…何もかもが…アタシそのものだった…ただし…孤独だった以前のアタシに…

コイツとアタシの間にある決定的な違いはそこだった…今のアタシは…自分以外のものに自分の存在価値や意味を重ねていた…以前のアタシは…

「ホント…アンタってやっぱバカね…救い難いわ…他人に縋(すが)ることがどんなに下らないか分からないの?裏切られて傷ついて挙げ句に命まで奪われる。奪われるだけの人生がそんなに楽しい?所詮、他人を信じるのは自分が弱いからよ!自分が自分であることを証明するのよ!アンタが言ってることは負け犬の妥協に過ぎないわ!」

そう…そう考えていた…だからアタシは他人を心のどこかで撥ね付けていた…絶望しきったような悲哀に満ちた女の子の声は僅かに戦慄(わなな)いているように感じた…

比較的、ヒカリには素直に本心が話せたけどそれも一部…好意を寄せてくる人や周囲の大人たちに多少の愛嬌を振りまいて明るく元気そうに振舞っていたのも単にその場の空気を読んでいたに過ぎない…

それもアインが言う心の壁…人を信じて絶望することの恐怖から逃れるためのアタシの防護壁…だった…

コイツはそれをずっと保ち続けてる…それはつまり…

アタシは足を止めると誰もいない背後を振り返る…

「少なくともアンタはアタシの未来ではない!アンタとアタシの世界は時間的に繋がっていないわ!百歩譲ってここが夢じゃないっていうなら!」

なんだ…アタシ…声が出るんだ…

「ここは一種の並行世界!そしてアンタはそこの住人でアタシとは全く別の存在だわ!」

「…」

「レリエルに関する委員会への公式報告を読んだけどATフィールドはベクトルを内側に向ければエネルギーを内在させることが出来る!そこに形成される空間場が異なる時間軸、つまり過去に取り得なかった選択肢から枝分かれしたアタシから見てifの世界と一時的に繋がった!その一種の干渉作用をアンタはアタシに直接語りかけているって言ってるんだわ!」

シュレーディンガーの猫…

生きているかもしれないし…あるいは死んでいるかもしれない…半生半死の混在状態という一見してありえない世界…事象の重なり合わせは観測後に選択されるという一種のパラドックス…実世界において決して交わることのない“ifの世界”…そんな得体の知れないものを認めるにはアタシの頭はあまりにも天才から遠く、無知というには無駄に知識が多すぎた…

Der Alte würfelt nicht…(独語 / 神はサイコロを振らない)

「Schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat (独語 / 神がなされることに注文をつけるべきではない)。なかなか察しがいいじゃない、アンタ。どうやら…ただのBitchってわけでもないらしいわね」

「あ、アンタ…うるさいわね!放って置いてよ!だいたいアタシに何の用?何がアンタの目的?」

「…」

「答えなさいよ!!アタシはアンタの世界になんか一切興味無いわ!!この風景…そしてこのとっても寂しい状況には心底同情する!!でもこれは!!」

一瞬、アタシは言葉に詰まる…

イライラしていて…いくらコイツにムカついているとはいえ…コイツはアタシだ…自分自身に対して辛辣な一撃を加えることは躊躇われた…でも、どうせ次にアタシが何を言おうとしているのか、既に分かっている筈だ…頭に浮かんでしまったことはしょうがない…

「この世界ははっきり言ってアンタの選択の結果でしょ!!自分が自分がって言ってる割に人のせいにして!!アンタも結局は他人を…シンジを必要としてるんじゃない!!」

「うるさい!!うるさい!!うるさい!!アンタみたいなクソ女にアタシの何が分かるっていうのよ!!」

「きゃあ!」

背中に鈍い痛みが走ったかと思うとアタシはいきなり砂浜に突っ伏した…口の中が砂でざらつく…

しょっぱい…やっぱりここは浜辺なんだ…

第二、第三の衝撃に備えてアタシは反射的に身体を縮めていた…倒れた相手に間髪入れずにラッシュを加えるのはセオリー…

でも…二撃目が来ることはなかった…アタシは警戒しながらゆっくりと目を開ける…

「バカ…バカ…バカ…みんな…バカばっかり…」

ボロボロの赤いプラグスーツを着た女の子が一人…砂浜に膝を折ってしゃがみ込んでいた…小刻みに震える身体…そして今にも消え去りそうなほどか細い嗚咽…右腕と頭に包帯を巻いた姿が余計に痛々しかった…

その姿を見た時…アタシの胸は張り裂けそうになっていた…人の心が心臓の近くにあるのなら…アタシの心の中で魔物のようなものがのた打ち回りながら雄叫びを上げていた…

アタシ達はお互いに向き合ったまま暫くひんやりとした冷たい砂浜の上で膝を抱えて座ったままだった…

「ねえ…」

不意に話しかけられてアタシはふと顔を上げた…

「な、なに…?」

「アンタ…知りたくない…?」

「な、何を?」

「過去よ…」

「過去?」

「そう…アンタが知りたがっていた…その頭の中にある過去よ…」

ザザーン…

一際大きな波が打ち寄せてくる…

Ep#09_(18) 完 / つづく
 

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