新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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1870年9月1日…
フランス北東部にあるアルデンヌ県において欧州における永遠のライバルであるフランスとプロイセン・ドイツ諸邦連合軍(後のドイツ第二帝国)が激突する。歴史に名高い「セダンの戦い」である。
空位となったスペイン王継承問題に端を発した鉄血宰相ビスマルク率いるプロイセン王国とルイ・ナポレオン三世の第二帝政下で強大化していくフランス帝国の緊張はついに普仏戦争(1870-1871)にまで発展した。フランス帝国軍は皇帝ナポレオン三世自らが軍を率いてフランス国境を越えたプロイセン・バイエルン連合軍をセダンで迎え撃った。
寡黙で小柄なプロイセン軍参謀総長ヘルムート・ベルンハルト・カール・フォン・モルトケ(大モルトケ)率いる連合軍はかつてのナポレオン1世を髣髴とさせる電撃的な包囲作戦でフランス帝国軍を圧倒し、ナポレオン三世を捕虜にするという一方的な戦勝を収めたのである。この戦いの後に大モルトケはパリを攻囲し、仇敵フランスはついに降伏する。かつてナポレオン戦争時代に屈辱的敗北を喫したプロイセン(ドイツ)はここにその雪辱を晴らしたのである。
「喧嘩屋」の異名をとる宰相ビスマルクに対してこの地味な英雄はその後も増長することなく最期まで一軍人としての本分を守り通した。この政治手段としての戦争と国家の力たる軍隊の制御という理想的な形は後の「シビリアンコントロール」の模範として今も戦史に語り継がれる。
英雄大モルトケは雄弁ではなかったと伝わる。彼の残した言葉は決して多くは無い。そんな彼が与えられた使命、あるいは自らの志を遂げる要諦として残した言葉がある。曰く…
「初めに計画せよ。然る後に実行せよ」
大モルトケ(プロイセン王国参謀総長元帥)
後にこの英雄と鉄血宰相の退場と共にドイツ第二帝国の命運は暗転しはじめることになる。軍部と政治の高度な連携は天才だからこそ運用が可能であったが常人が普遍の価値として用いるにはまだ不十分な点が多かったのである。その後、ドイツ帝国は第一次世界大戦の敗退を招いてドイツ革命後に崩壊、そして疲弊しきった国民を巧みに扇動した、アドルフの台頭、へと至るのである…
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(最後の授業)
余談であるがこの普仏戦争の後、両国間で休戦協定が結ばれてフランスはプロイセンに対してアルザス=ロレーヌ地方を割譲した。アルフォンス・ドーデの著書「La Dernière Classe(日本名:最後の授業)」はまさにこの時代の出来事をモチーフにしたものである。夏休みの課題図書にもしばしば選ばれるこの名作は歴史の一端をフランス人の視点から祖国とは何か、母国語とは何かを生き生きと描いている。
(歴史を引き合いに出す愚かさ)
歴史において「真実」は間違いなく一つであるが、その捉え方と解釈は当事者によってまちまちになるのは当然である。ナポレオン1世の大陸軍に蹂躙されたドイツ側にも相応の見解が存在する所以である。歴史の統一見解を求める行為が如何にナンセンスであるかを雄弁に我々に教えてくれる。
成熟した欧州社会はそれをよく熟知しているためかつての仇敵が EU という共同体を形成しえるのである。政治均衡という文化的土壌を持たないアジア諸国が果たして係る共同体を模索することが平和に繋がるのか、甚だ疑問を禁じえないところである。
(ドイツ陸軍行進曲について)
「旧友」と訳されるこのドイツの軍隊行進曲は陸軍付きの音楽家(軍楽隊)だったカール・タイケが1889年に作曲した彼の代表作とされる。しかし、作曲当時はすこぶる評判が悪く酷評されたためにタイケはそのまま音楽家の道を閉ざしてしまったという。この曲は後に見直されることになり現在ではドイツを代表する行進曲として有名になっている。因みにこの行進曲には歌詞があるので以下にそれを紹介する。
(改定履歴)
25th Jul, 2010 / 本文の追加。誤字修正
余談であるがこの普仏戦争の後、両国間で休戦協定が結ばれてフランスはプロイセンに対してアルザス=ロレーヌ地方を割譲した。アルフォンス・ドーデの著書「La Dernière Classe(日本名:最後の授業)」はまさにこの時代の出来事をモチーフにしたものである。夏休みの課題図書にもしばしば選ばれるこの名作は歴史の一端をフランス人の視点から祖国とは何か、母国語とは何かを生き生きと描いている。
(歴史を引き合いに出す愚かさ)
歴史において「真実」は間違いなく一つであるが、その捉え方と解釈は当事者によってまちまちになるのは当然である。ナポレオン1世の大陸軍に蹂躙されたドイツ側にも相応の見解が存在する所以である。歴史の統一見解を求める行為が如何にナンセンスであるかを雄弁に我々に教えてくれる。
成熟した欧州社会はそれをよく熟知しているためかつての仇敵が EU という共同体を形成しえるのである。政治均衡という文化的土壌を持たないアジア諸国が果たして係る共同体を模索することが平和に繋がるのか、甚だ疑問を禁じえないところである。
(ドイツ陸軍行進曲について)
「旧友」と訳されるこのドイツの軍隊行進曲は陸軍付きの音楽家(軍楽隊)だったカール・タイケが1889年に作曲した彼の代表作とされる。しかし、作曲当時はすこぶる評判が悪く酷評されたためにタイケはそのまま音楽家の道を閉ざしてしまったという。この曲は後に見直されることになり現在ではドイツを代表する行進曲として有名になっている。因みにこの行進曲には歌詞があるので以下にそれを紹介する。
- Alte Kameraden auf dem Kriegespfad
- Halten Freundschaft felsenfest und treu.
- Ob in Kampfe oder Pulverdampf,
- Stets zusammen halten sie auf’s neu.
- Zur Attacke geht es Schlag auf Schlag,
- Ruhm und Ehr muß bringen uns der Sieg,
- Los, Kameraden, frisch wird geladen,
- Das ist unsere Marschmusik.
- Nach dem Kampfe geht das ganze Regiment
- Ins Quartier ins nächste Dorfhauselement
- Und beim Wirte das Geflirte
- Mit den Mädels und des Wirtes Töchterlein.
- Lachen scherzen, lachen scherzen, heute ist ja heut'
- Morgen ist das ganze Regiment wer weiß wie weit.
- Das, Kameraden, ist des Kriegers bitt'res Los,
- Darum nehmt das Glas zur Hand und wir sagen "Prost".
- Alter Wein gibt Mut und Kraft,
- In dem steckt der wahre Lebenssaft.
- Und das alte Herz bleibt jung
- Und gewaltig die Erinnerung.
- Ob in Freude, ob in Not,
- Bleiben wir getreu bis in den Tod.
- Trinket aus und schenket ein
- Und laßt uns alte Kameraden sein.
(改定履歴)
25th Jul, 2010 / 本文の追加。誤字修正
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