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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第20部 The Angel with broken wing 翼を下さい…(Part-5)


(あらすじ)

野営訓練(キャンプ)にカヲルが遅れて現れた。アスカはカヲルと目を合わせようとしなかったがカヲルの「運命を受け入れる事にしたんだね」という一言に激昂する。気まずい雰囲気が立ち込める。
そして子供達は2015年12月1日のG兵装テストを迎える。
ネルフの携帯食料の夕食は呆気ないほど簡単に出来上がった。

米もおかずも熱湯で5分前後茹でるだけでよく、しかも、その簡単さとは裏腹に味はかなり良かった。缶詰をバカにしていたトウジは白米を試しに1つ茹でてみたがその仕上がりのよさに驚愕していた。


「な、何ちゅうこっちゃ…俺が炊飯器で炊くメシより数倍美味いやん…なんかこれ普通にヘコむわ…」

ふとトウジが顔を上げると深い色に変わりつつある地底湖の畔(ほとり)からA組きっての料理人であるシンジがふらふらとやって来るのが見えた。
 
な、なんや…シンジのやつ…魂を抜かれた様な顔しくさってからに…
 
「おい!センセ!何惚けとんのや!しっかりせえ!」
 
 
バン
 
 
「い、いた!」
 
トウジは横を通り過ぎようとしたシンジの背中を思いっきり叩いた。シンジはびっくりしてトウジの方を見る。

どこか目の焦点が合っていない様な感じだった。

「ほれ!食うてみい、これ!」

トウジは茹で上がったばかりの缶詰の米をシンジの目の前に突き出した。シンジは初めのうちは夢遊病者の様にボーっとしていたが差し出された白米をおずおずとスプーンですくって一口頬張る。緩慢に口を動かしていたがみるみるうちに正気に戻っていく。

「う…うまい…これ…本当に缶詰…?」

「せやろ?信じられへんわ…茹でただけやのに…」

缶全体が黒色にカラーリングされたネルフの赤いロゴがやけに目立つ缶詰はその毒々しい見た目からはとても想像できないほど美味だった。

「この分やったらおかずの方も十分期待できるやろ?」

「確かにそうだね…で?夕食は何?」

「そら…お前…キャンプといえばカレーやろ…」

トウジは白米を茹でた後の鍋の中に今度は「075牛肉伽哩(ビーフカレー)」と書かれた缶詰を続けざまに4つ投入した。
 



余談だが…

作者が学生時代にゼミの後輩が就職活動の一環として志望動機は詳らかではないが陸上自衛隊の体験入隊に参加した事がある。その後輩はアメリカンフットボールのバックスの選手で巨躯の持ち主という事もあったが、彼が体験入隊のお土産として研究室にいた私のところに差し入れたものが件の缶詰だった。

自衛隊を連想させる深緑色をしたその缶詰は白米、とりめし、五目御飯など実にバリエーションに富んでおり、頑丈でずっしりと重量があった。調理方法はいたって簡便で実際に熱湯で数分間茹でるだけで出来上がる。しかも味は作者も保証するが非常に美味である。缶詰は一様に大振りで市販のサイズからするとパスタソース缶を二周りくらい大きくした位だろうか。通常は缶きりやダガーナイフ等で上部を全て切除して他の食器に移すことなくそのまま食べるらしい。

一般人が滅多にお目にかかることのない軍需物資の類を「何でこの俺に…」と後輩の意図を初めは訝しがったものだがその理由は後ですぐに分かった。秋の学会前の実験データを徹夜状態で取得する時などはこの土産の缶詰を実に重宝したのである。人気のない実験室でモニター画面を見ながら自衛隊食を夜中に一人で食べていた自分の姿を今思い出すと何やら可笑しくもあり、またどこかあの味が懐かしい気もする。

世界中、そして全ての職業人に共通することであるが、まさに腹が減っては戦は出来ぬ、である。

閑話休題。
 



ジオフロントに夜の帳が下りると気温は急激に下がり始める。

外の熱気を空調設備を通して取り入れてはいるが広大なジオフロント全体を暖めるほどの熱容量はなかった。地底湖の湖面に薄っすらと霧が立ち込めている。地上は今日も熱帯夜だったがジオフロントは晩秋の夜のように肌寒くどこか哀愁を漂わせていた。

今まで聞いた事がない不思議な虫の声、時折聞こえる梟(ふくろう)か何かが羽ばたく様な音、そして漆黒の闇に包まれていく森の中で煌々と輝く焚き火から聞こえる薪割れの音しかなかった。

「それにしても…えらいおっそいな…カヲルのヤツは…まさか、アイツ迷ったんちゃうんか…」

「…」

何やねん…この葬式みたいな雰囲気…

トウジはカレーの入ったプラスティック皿の中に焚き火の明りを反射させて輝くスプーンを無造作に突っ込んで自分の周りを見渡す。

トウジの隣にはまだ制服姿のシンジが座っており、そして焚き火を挟んで対面には薄手のパーカーを羽織ったレイ、その隣にはキャンプに凡そ似つかわしくないジーンズの短パンにTシャツという寒々しい格好をしたアスカが同じ様に座っているのが見える。

3人とも一様に押し黙ったままで誰も話そうとしない。

場を盛り上げようとするトウジは何度となく話をするがキャッチボールをする相手がいなければ自然、会話は途切れがちとなる。

小さくため息を一つついてトウジは隣に座っているシンジを見、続いてアスカの方を見た。

惣流のやつもシンジもさっきから一言も話してへんやないか…いつもなら二人でバカ騒ぎする筈やのに…いや…おかしいのは惣流の方や…からかっても一向に乗ってきいへん…シンジが大人しい理由はコイツ(アスカ)が原因やな…何かあったに違いないで…

レイもトウジと同じ感慨らしく時々、顔色を伺う様にアスカとシンジの方にチラチラと視線を送っているのが見える。

よう考えたら軽く1ヶ月は惣流のヤツを学校で見いへんかった…ネルフでの仕事が忙しかったっちゅう事もあったんやろうけど…委員長のヤツも何回メールしても電話しても繋がらんて言うとったし…センセも一時期は惣流の話したら不機嫌になりよったしな(
Ep#06_15)…

そうこうしとる間に退学や…委員長だけやない…学校中が大騒ぎやった…お別れもなくプッツリと何もかもが途絶えてしもうて…入学も突然やったらおらんくなるのも突然や…まるでつむじ風みたいなやっちゃ…

プラスティック皿を金属のスプーンがなぞる無機質な音だけが晩餐に儚い彩(いろどり)を与えている。

トウジはシンジの横顔に視線を戻した。黙々とカレーを口に運んでいる以外に何を考えているのか分からなかった。

松代の第二実験場の地下室で弐号機と参号機の死闘をただモニターで眺める傍観者に甘んじるしかなかったシンジとトウジだったが、ほとんど防戦一方で参号機に痛めつけられる弐号機の姿を見てシンジが涙を流していたのをトウジは思い出していた。

ダミープラグで起動させた参号機だったが一歩間違えば自分が使徒の中に取り込まれていたかと思うとトウジは松代の事を思い出すだけで背筋が寒くなった。

それがトウジのシンクロテストの結果が奮わない遠因になっている節が見受けられた。

俺がパイロット仲間との間で微妙に感じる壁っちゅうもんがあるのはむしろ当然やし…そんなものをどうこうする心算もない…このキャンプやってホンマにバカみたいやけど仲間で盛り上がればええなあ、位にしか思うとらんかったしな…

実際にまだEvaに搭乗した事がないトウジはパイロットという意識が薄く実感もなかった。先日のシンクロテストでトウジは活動係数(12.5%)を超える事が出来なかった。

あてがう機体がないという事もあるがそれも予備役編入の理由の一つであった。

訓練期間ということもあって正規パイロットが活動限界を割り込むのとは意味が大きく異なるがそれでも1年以内に5段階の課程を逐次修了していかなければならないというサバイバルレースの渦中にあった。

しかし、トウジは現在の地位が無くなるかもしれない事にほとんど不安を感じていなかった。贅沢さえしなければネルフ青少年育成基金で何とか兄妹二人で食いつなぐことが出来なくはないからだ。

ただ、予備役とはいえ付加的な収入の手段として現在の仕事は鈴原家にとってかなり魅力的だったため出来れば続けたい位には考えていた。

そんな打算的な俺とは違ってシンジたちはホンマにこれまで命を張ってみんなのためにあんなバケモンと戦って来たんや…何があったか知らんけど…気まずいっちゅうのも分からん事ないが…

俺らっちゅう存在は…吹けば飛ぶようなしょーもないガラクタみたいなもんや…ここにおる連中はみんな片親で…ほとんど自分らだけで生きとる…言い方が悪いが後腐れなくどうにでもなる…似たようなもん同士…

トウジの視線に気がついたのかシンジが不意にトウジの方を見る。

「な、何だよ…トウジ…」

「何だやないわ、自分!お替りはいらへんのか?」

内心、トウジは焦っていたが目敏くシンジの皿が空っぽなのを見て咄嗟に切り返していた。

「う、うん…僕、もうお腹いっぱいだから…」

「ほうか…おい!惣流!お前ももっと食わへんのか?まだいっぱいあるで」

「…アタシも要らない…」

「なーんや!お前ダイエット中か?この間までガツガツ食うとったやないか?久し振りに夫婦で食事してあたし胸いっぱーい、てか!ひひひ」

トウジがアスカを挑発するように言う。アスカは大袈裟にため息を付くとじろっとトウジの方を見た。

「はあ…相変わらずデリカシーのないヤツね…バッカじゃないの…今日はアンタのカレーに免じて見逃してあげるわ…」

な、なんか調子狂うわ…普段ならムキになって突っかかってくるのに…

「ごちそーさま!インスタントの割りには悪くなかったわよ」

アスカが空になった皿を持って立ち上がると仮設の調理場の方に向かって歩いていく。全員の視線がアスカの背中に集まっていた。

シンジは誰に気付かれることもなく密かにジーンズのポケットに手を忍ばせる。中には傷だらけのロケットが入っていた。

アスカ…何で…あの時、あんな事を僕に言ったんだ…

「おい!カヲル!お前どこ行っとったんや!ホンマ!」

トウジの大声にシンジの逡巡はたちまちかき消される。

シンジが顔を上げると暗がりからTシャツと黒いカーゴパンツを穿いたカヲルがシンジのスポーツバッグを持って現れていた。

「あ、あのミラクルバカ…自分だけ先に着替えやがって…」

カヲルがカジュアルウェアで登場した事によってシンジだけが場違いな制服を着ていることになる。シンジはカヲルから荷物を受け取ってここに来なかった自分の判断ミスを今更ながらに悔やんでいた。

「やあみんな!遅くなってゴメンよ!あ、そうだ。これ赤城博士から差し入れ」

カヲルはウーロン茶、コーラ、そしてオレンジジュースのペットボトルが入ったビニール袋を持ち上げて見せた。

野戦用の水浄化システムは海水はおろか泥水に至るまであらゆる状態の水源からも飲料水を供給出来るため水には事欠かなかったが、ソフトドリンクの類は作戦部からも提供されていなかった。その辺りを読んだ上でのリツコの差し入れのチョイスはさすがと言う他ない。

「おお!気が利くやないか!さっそく冷蔵庫に入れて冷やすか」

トウジはカヲルからビニール袋を受け取ると調理場の方に歩いていった。そのトウジと入れ替わるようにアスカがスナック菓子を持って焚き火に戻ってきた。

「このネルフ印のポテチさあ。パッケージが激しくダサいから不味そうだったけど意外に食べると…フィフス…」

カヲルの存在に気が付いたアスカの表情は見る見るうちに強張っていく。

「やあ…アスカ…」

カヲルがいつもの調子でにっこりと微笑みかけるが、空気がどんどん張り詰めていくのが分かる。アスカはカヲルを鋭く睨み付けていた。

「気安くアスカって呼ばないでくれない?アンタにアスカって呼んでいいって言った覚えはないわ」

刺々しい刺す様な言葉をぶつけるとアスカはカヲルから顔を背けてレイの方に歩いて行く。カヲルは小さく肩を竦めるとシンジの隣に立った。焚き火を挟んで男女が別れる。

「ゴメンよ。シンジ君。これ、君の着替え」

「え?あ、ああ…」

アスカとカヲルの様子を気にしていたシンジは不意にカヲルに話しかけられて反射的にスポーツバッグを受け取る。自分一人だけが制服である事を気にしていたシンジだったが、異様な雰囲気がこの場を離れ難くしていた。

トウジも調理場から戻ってくる。手にカレーを入れた皿を持っていた。

「ほれ、カヲル。お前の分のカレーやで」

カレーをよそった白い皿をトウジはカヲルに手渡す。

「ありがとう、フォース。美味しそうだね」

「ああ、なかなかの味やったで」

トウジもいるし…今のうちに着替えても大丈夫かな…

シンジは入れ替わるようにしてテントの中に入って行く。手前のテントは男子専用になっていた。大人が10人はゆうに眠れそうなほど大きなテントに3つの簡易ベッドが置かれているだけで過剰なスペースが何か妙に寒々しかった。

シンジが開襟シャツを脱いでスポーツバッグからポロシャツを取り出した瞬間だった。

テントの外からアスカの甲高い声が聞こえて来る。

「ちょっと…さっきから何ジロジロ見てんのよ!いやらしいわね…さっさと食べれば?」

高いトーンの声を出すアスカは決まってナーバスになっている時だった。

あ、アスカ…やっぱりまずかったか…

初対面の時からアスカはカヲルと折り合いが悪く、明らかにカヲルを拒絶する態度が節々に見られた。一時期、レイとアスカは没交渉に近かった時があったがそれは「えこひいき」されているとシンジから二人のパイロット就任の経緯を聞いて以来、敵愾心を燃やしていたからであって、初対面からいきなり拒絶するという極端な態度をとったことは一度もなかった。

それだけにアスカとカヲルの険悪な雰囲気は周囲を戸惑わせていた。

同じドイツ出身という事で気が合うと逆に考えていたミサトは自宅に安易にカヲルを住まわせた事を少し後悔していると最近、シンジにこぼしていたことを思い出す。

おかしい…やっぱり二人は初めて本部で顔を合わせたわけじゃないのか…それ以前から知っていて…そこで決定的な何かがあったんだ、きっと…何があったんだ…とにかく早く止めなくちゃ…

シンジはシャツをかなぐり捨てると急いでポロシャツを着た。テントの外ではますます緊張が高まっている。

「何よ!アタシに何か文句でもあるわけ!アンタ!言いたいことがあるならはっきり言えば?」

挑みかかる様なアスカの声が響く。声から察して相当イライラしているのが分かる。シンジの経験上、今のアスカにはっきり言えと言われたからといって率直な言葉をぶつけるのは全く得策ではなかった。

ダメだ…カヲル君…アスカに余計な事を言っちゃ…

しかし、シンジの念は全くカヲルには届いていなかった。

「エリザ…ようやく君は運命を受け入れる事にしたんだね…翼は運命に抗うためだけにあるわけじゃない…ただ…それだけが言いたかった…」

運命を受け入れる…つ、翼…何言ってんだよ!こいつ!よりによってこんな時に意味の分かんない事を…


ガシャーン


ガラスコップが割れる音が聞こえてくる。

「それ以上…それ以上…アタシの心を…アタシを覗かないでよ!!!」

アスカの声が戦慄(わなな)いている。明らかに逆鱗に触れていた。

「ちょ、ちょっと待て!惣流!落ち着けや!」

トウジの上ずった様な声が聞こえて来る。もはや外の様子が抜き差しならない状況に陥っている事は明白だった。

「アンタ!一体…一体何が目的?この偽者!!初めて会った時は動揺したけど…どう考えてもおかしいわ!アインが生きている筈ない!何のためにこんな事を!アタシをバカにするのもいい加減にして!」

「約束だから…再び巡り合うと…」

「Scheisse!」

「フィフス、こんなところで言う事じゃないわ。もう止めて」

レイの鋭く凛とした声が響く。

こ、これは…綾波の声!ウソだろ…何が起こってるんだ!

シンジはズボンを脱ぎ捨てるとジーンズを穿いて外に飛び出した。

その瞬間だった。アスカを羽交い絞めにしていたトウジがアスカに投げ飛ばされる姿が目に飛び込んできた。

武術の有段者が揃う保安部ですらアスカを取り押さえるのに5人が必要だったことを考えると、シンジ達では到底アスカを押さえられる訳がなかった。

「あ、アス…」

トウジの体がスローモーションの様に地面に落ちる。アスカはずかずかとカヲルの前に立つといきなり左手でカヲルの胸倉を掴んで睨みつける。

「それ以上…アタシに余計な事を言うと…アンタを殺すわよ…一人殺すも二人殺すも変わらないんだから…どうせアタシには地獄しかない…生きていても後悔しかない人生…怖くないわよ…」

アスカの目は血走っていた。本当に殺しかねない勢いだった。しかし、カヲルは相変わらずの調子でアスカに語りかける。

「運命に抗えば自分が傷つき、そして汚れるだけさ。君はそれを思い知ったに過ぎない。やはり、僕には運命に従えという他に言葉がない…」

「何が運命に従えよ…人の気も知らないで…知った口きくんじゃないわよ!Töten dich(死ね)!!」


ボスッ ボグッ


アスカはカヲルの顔をいきなり殴りつけると間髪を入れずに両肩を掴んで鋭い膝蹴りを腹にめり込ませた。堪らずカヲルはその場に崩れ落ちるように膝を着く。

「うぐ…ゴフッ…」

「惣流!このアホ!やってまいおった…」

「フィフス!」

倒れていたトウジが思わず飛び起きる。レイが両手を口に当てているのがシンジの方からも見えた。

「がはっ…ゲホゲホ…エ…エリザ…運命は…運命の時は…近いんだ…」

カヲルの口から血が滴っていた。

「しつこいわね!アンタ!誰に頼まれたの?ズィーベンステルネ?それとも委員会?アタシに近づいてアインに成りすまそうとする目的は何?時機を見て殺せとでも言われて来たわけ?いい加減、白状したら?」

「君はようやく…運命と向き合った…」

「うるさい!!アンタに何が分かるっていうのよ!それしか…受け入れるしかなかったんじゃない!!アタシは翼を引き千切られた惨めな姿をさらす…いつも一人で…」

アスカ…

シンジは男子テントの前で立ち尽くしていた。膝をついた状態でカヲルは尚もアスカに微笑みかけていた。アスカは右の拳を振り上げた状態でカヲルを睨みつけていた。今にも振り下ろされそうな勢いだった。

「惣流!いい加減にせえ!自分が今何しとるんか分かっとんのか!」

その時、起き上がったトウジがアスカとカヲルの間に割って入った。レイもカヲルの側に駆け寄る。アスカはその様子をじっと見詰めていたが、やがてゆっくりと振り上げた拳を下ろした。

「ふん…覚えてなさい…アンタの正体は必ず暴いてやるわ…」

捨て台詞の様に言い放つとアスカはそのままテントの中に消えていった。カヲルが口の端を押さえて立ち上がる。口から血が流れていた。

「フィフス…大丈夫…?」

「ああ…」

「カヲル、ホンマに大丈夫なんか?お前、惣流の蹴りとかまともに喰らっとったろ?何で避けへんかったんや?それにしても何ちゅう女や!グーで殴るか普通…」

「僕は大丈夫さ…これくらいの傷ならすぐ治る…それよりも…エリザの心が泣いていた…僕を殴りながらあの子は泣いていたんだ…人は…相手を殴りながらも涙を流すのかい…?」

「それは…」

カヲルの問いにトウジは返答に窮していた。カヲルは痛みを堪えてゆっくりと立ち上がる。そしてテントの前に立っているシンジの方を見た。

珍しくやや厳しい顔つきの様に見えた。

「カヲル君…」

カヲルはシンジの顔をじっと見ていたがやがて一人、漆黒に包まれた湖の方に向かって歩いて行った。

シンジ君…君はどうしてエリザに「好きだ」と言ってやらなかったんだい…君はまだ自分の気持ちに気が付いていないということか…やはり僕には分からない事が多いよ…

確かにエリザは運命を受け入れようとしている…しかし…

それは絶望に根ざしている…

本質的に運命を受け入れたわけじゃない危うさがある…今日という日を君が後悔する時が来ない事を祈るばかりさ…
 





レイは小鳥のさえずりで目を覚ました。

ジオフロント独特の生態系を破壊しない様に特務機関ネルフでは不用意な動植物の持込などを厳重にチェックしていたが、どんなに厳格なセキュリティーチェックやシステムを構築しても何処からともなく勝手に侵入してくる小動物や昆虫の類までは流石に完全にシャットアウト出来なかった。

レイがゆっくりとベッドから上体を起こすと隣のベッドにはアスカの姿があった。レイは足を忍ばせながらテントの外に出る。

外は濃い朝靄がかかっていたが集光ビルが地上の光をジオフロントに送り始めていた。湖のほとりに立つと靄の中から人影が近づいてくるのが分かった。

カヲルだった。

「やあ早起きだね」

「フィフス…」

レイはカヲルから明るさを増していく地底湖の方に視線を戻した。

「あなた…ゆうべは散々だったわね…」

「…」

カヲルから一瞬笑みが消える。

レイはその場にしゃがみ込むとポケットから男物のハンカチを取り出して冷たい湖の中に入れる。そしてカヲルと向き合うとハンカチを右の頬に押し当てた。

「イタタ…」

「どうして昨日の内に冷やさなかったの?口の中を切ってるのね…」

「さあ…僕は心なきもの(真の生命の継承者)の筈だからこんな傷…すぐ治ると思っていた…でも…」

カヲルは冷やされたハンカチを自分に当てているレイの白い手に自分の手を重ねてそっと包み込む。レイはカヲルに抗うことなくされるがままに任せていた。

「不思議なんだ…僕は生命の継承者の筈なのに…朝起きても唇は切れたままだった…そして…」

カヲルはレイの手を握ったままゆっくりと目を閉じる。レイは戸惑った様に俯いて白い砂浜に視線を落した。

「小鳥君たちの囀(さえず)りに誘われて散歩をしても…なぜか…この辺り(胸)が痛いんだよ…何故だろうね…やっぱり…僕には分からないことが多い…知恵者の君なら分かるかなと思ってね…」

生暖かい感触を手に感じたレイはハッとして顔を上げる。瞳を閉じたカヲルの瞼から涙が一つ、また一つと流れていた。

カヲルの涙は朝日を吸い込み黄金色に輝いていた。

「カヲル…君…」

名前を呼ばれたカヲルは目を開ける。レイの目に微笑するカヲルの顔が映り、カヲルの目に物憂げなレイの顔が映っていた。

「リリス…初めて君は僕を名前で呼んだね…でもどうしてアダムではなくリリンが僕に与えた名前の方を呼ぶんだい?」

「あなた…本当に分かってないのね…初めはわざと惚けているのかと思っていたわ…」

レイはカヲルを見る目を細める。

「え…?」

「人のお世話ばかり焼いて肝心な自分の事がお留守になってしまうのも…あなたは自分のお母様のせいにするつもりかしら…」

「リリス…それは…どういうことだい?」

「どうしてあなたに涙があるのか…わたしにも分からない…でも…」

レイは再び視線を足元に落した。

「あなたは…わたしにもアスカにも…そして碇君にも運命と向き合えと言ったわ…でも…その実…あなたは自分自身が運命と向き合っていないことに気が付いていない…あなたは自分の涙から目を背けている…そして今も…その胸の痛みからも逃れようとしているわ…」

「僕の…涙…胸の…痛み…」

「偉大で…完全なる生命の継承者…アダムと呼べる人は…わたしの知っているアダムは…もうこの世にはいない…わたしの目の前にいる人は…カヲル…渚カヲル…」

「リリス…そうか…そういうことか…リリン…」

レイは僅かに肩を震わせていた。そして声は小さく掠れていた。

「リリス…君も…泣いているのかい…?」

「わたしが…?」

「そうさ…」

「わたし…泣いているの…?」

カヲルは赤い瞳からとめどなく溢れてくる涙を片手でそっと拭っていく。

「わたしは…どうして…泣いているの…?」

「涙は歓喜…生命が生きる歓び…美しい…僕が大好きなこの星の旋律の一つ…リリス…涙はね…君が生きているからだよ…」

地底湖の水面が輝きを増していき、やがてレイとカヲルの姿は光の中に溶けていった。

「ついに訪れる…運命の時が…怒りの日…そして神々の黄昏…」




Ep#08_(20) 完 / つづく
 

(改定履歴)
14th Aug, 2009 / 改行ミス修正 表現修正
6th June, 2010 / 表現修正
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