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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第弐十壱部 氷原に咲く二藍草(ヒースの花)

ドイツ語の「9]を意味する”ノイン”はアスカに今はマリ・イラストリアスだと名乗った。
「この世の全てなんかぶっ壊れてしまえばいいんだよ」
狂気を含んだ乾いた笑みを浮かべるマリにアスカは戦慄する。

「ドリュー…結局さぁ…幸せなんて…歩いてこないんだ…」
ぽつぽつと始めるマリ。京都の片隅でひっそりと産声を上げたその少女が語る数奇な運命。
そこに現れた男の名前にアスカは運命の残酷を感じずにはいられなかった。

司令…貴方はネルフの最高指導者である以前に…
アタシの…アタシのあの子の血肉を分けた父親なのです…
なのに…どうして…


淡い月明かりの下に重なり合う二つの影があった。

アスカは身体をきつく抱き締められたまま、ただマリに自分を預けていた。声が出ない。いや、かけるべき言葉をEvaから降りて以来、ずっと捜していたが、結局、それはいまだに見つかっていなかった。

深い意味も意図もない筈の抱擁と沈黙がアスカには段々と不気味なものに感じられるようになっていた。

どうしてなんだろう…どうしてアタシたちは今、出会わなくちゃならなかったんだろう…

思考を巡らせたところで分かる筈がない。しかし、それが分かっていて尚、アスカは答えを探さずにはいられなかった。ゆっくりとアスカは目を開ける。

二人を見守るように弐号機と伍号機が向かい合わせで泥沼の台地に片膝を付いている。全長44メートルのE型Evaの重量は特殊装甲込みで公称880tとEvaのパイロットたちには説明されていた。水分を吸ってすっかりぬかるんでしまっている自分たちの足元が覚束ないことを考えれば、いつ二人に向って倒れてこないとも限らない。事実、第三支部発行のEvaパイロット向け機体操作教本では足元の確認と降機後の行動規定にも事細かに記載があるくらいだ。

特に今、二人に一番近いのはエリア1238を背にしている伍号機だった。右足首から下を失っている伍号機は右手をついて危ういバランスを保っている。想像を逞しくしなくても自分たちがリスクエリアの中に立っていることは明らかだった。

いっそ、このままEvaに潰されて二人とも死んじゃえばいいのかも…

なぜそんな思考に至るのか、アスカ自身にもその理由は分からない。ノインことマリのすっかり成長した顔を見るたびに特別医療施設ズィーベンステルネでの忌まわしい記憶が蘇ってくるのは確かだったが、そんな単純な理由だけでは今の複雑な心境は説明出来なかった。

僅かにブルーサファイアの瞳に力が篭る。

分からないことをいくら悩んだところで仕方がない…いや、むしろアタシは…まだ…アタシはまだ終わるわけにはいかないんだ…約束したじゃない…一人にしないって…だって…

深奥から少しずつ力が涌いてくる。

あの子を一人にしないってことは…アタシも一人じゃないってことじゃない…

小さく頷くとアスカは視線を更に周囲に向けた。二人がいる場所には虫の音はおろか、そよ風一つ吹いていなかった。それは実際に見たことはないが世界の果てをどこかアスカに連想させていた。

今、この瞬間、ここで生きているのはアタシたちだけ…聞こえてくるのはアタシの浅い呼吸と…ノインの早い鼓動の音だけ…生きているのはアタシ達二人だけだ…

ほっそりとした腕からは想像出来ない強い力で自分の身体を抱きしめている少女はもう泣いてはいなかった。最初は嗚咽で乱れていた呼吸や鼓動も元に戻りつつあることは密着した肉体を通して伝わってくる。

 “あの場所”…そう…地獄だったあの場所のように…ここにも生命の営みを感じさせるような音がない…アインがいう“歓喜の歌声”と呼ぶべき何物も…

アスカは再び静かに目を閉じた。

N-30(※ 現ボスニア湾一帯。PAC制定後、ドイツ連邦政府の監視管轄地域になった)での国連軍との演習後、アスカは精神的ショックにより1ヶ月あまり入院したことがあった(Ep#08_28)。

その入院中にアスカは見舞いに訪れた加持に記憶の断片を繋ぎ合わせてズィーベンステルネと推定される場所を告げ、そして二人は退院の日に合わせてその場所を訪れたことがある。しかし、そこで加持とアスカが目にしたものは徹底的に破壊されて瓦礫と化した建物跡と周囲を取り囲む3メートルを超える高いコンクリートの壁だけだった。

「なるほど…まあ、まだのうのうと同じ場所に留まっているとしたらかなりマヌケな悪党ってことか…ははは…ま、退屈だった入院の気晴らしにドライブ行ったと思えばいいさ…」

加持は何かを慮るようにわざとおどけて見せたが、それはあまり効果がなかった。アスカは全身を固くして、ただ横なぶりの吹雪の中で無言のままじっと瓦礫の山を見つめていた。

「ここで間違いがないんだね?」

返事はない。加持は視線だけをアスカに向けた。そこには乾ききった少女の青い瞳があるだけだった。

掴みかけては霧のように次々と消えていく記憶の断片を追い求めてここに至っている二人だったが、少女の虚脱感が、彼女の守護者を自認する反面、例え命懸けの仕事であっても自分の意思でこの場に立っている男のそれと比にならないことは明白だった。

それだけに決して小さくはない躊躇いが彼にもあったが、さりとてこのままずっと感傷に浸りながらマイナス20度の寒風に立ち尽くすわけにもいかなかった。加持は言葉を慎重に選ぼうとしていたが使える言葉はやはり限られる。

「アスカ…疑っているわけじゃないんだが…一応…確認しないことにはな…詳細な調査も出来るし、そうすればあるいは次に繋がる何かも見つかるかもしれないよ?」

そうやって今にも切れそうな糸を手繰ってきた俺たちではあるが、な…

「…」

「なあアスカ…辛いとは思うが…何か…心当たりのようなもの…とか…思い出すことは…」

「NEIN!! (独語のNo)」

甲高い少女の声は虚空に消え去る。

「Alles Klar… (わかった…)」

二人の吐く息は瞬時に凍った。加持は一つため息を付くと懐からタバコをおもむろに取り出す。この極寒の環境ではターボライターもまともに機能しなかった。散々手こずった挙げ句に加持は車中のシガーライターに頼る始末だった。もっとも、そこまでして無性に吸いたかったわけでもないが。

「Mein Prinzessin…Gehen wir…(もう行こうか、お姫様)」

一寸先の光景もあっという間に塗り潰される白一色に向けて銀の煙をふうと吐いた後、加持はそのままアスカを車に促した。

「Wo…(どこにいっちゃったの…)」

「Wie bitte?(え?なんだって?)」

「Schneemann(※Ep#08_13)…nicht da…(雪だるま…もうここにはないんだ…)」

「Prinzessin… Alles OK…(もう十分だよ…)」

やがて二人を乗せた車はベルリン市内(Mitte)に入り、そしてそのままトレーニングセンターを素通りしてミサトの下宿先の前で停まる。アスカの退院はちょうど葛城訓練中隊解散の直前の週に当っていたため、幸か不幸か部屋の主は引継ぎ等の残務処理に追われて留守だった。加持はポケットから合鍵を取り出す。アスカの表情が僅かに曇った。

「あの…加持さん…」

「ん?なんだい?」

「どうして大尉(※ ミサトはアスカの入院中に陸軍少佐に進級)の家に…」

加持は戸惑った表情を浮かべる少女に微笑みかけるとポンッと小さな頭に暖かい手を乗せた。

「葛城の奴が君を引き取りたいそうだ。異論は認めないって言っていたぞ」

「えっ!た、大尉が!?あ、アタシを!?」

「ああそうだ。俺も葛城になら安心して任せられるよ。まあ掃除、洗濯、料理の類は絶望的だが…」

加持は驚愕の表情を浮かべているアスカに今度は悪戯っぽく笑って見せる。

「だがそれを割り引いてもお釣りが来るメリットがある。あいつの射撃の腕とCQC(Close Quarters Combatの略。近接格闘)は俺なんかより遥かに上だからな。ははは!どうだい?いいボディーガードになるだろ?」

「…」

深い皺が少女の眉間に刻まれていくことに気が付いた加持はすぐに表情を引き締めてポリポリと頭をかき始めた。

「あ、いや…すまん…冗談はさておいて…チルドレンの第二選抜が終了してトレセンを出てしまうこれからがむしろ物騒になる…米国籍のラングレーがまさかここまで上手くいくとは思わなかったよ。さすがに自分でも驚いているんだ。だが、今まではむしろ出来すぎたくらいだ。チルドレンに奴が興味を持っていないことは明白だが、またこの前のように本部への妨害工作のとばっちりを受けないとも限らないし…」

顎に手を当てて思案顔を作るとチラッと少女の顔色を伺う。

「前に説明した通り…特報局員の傍にはいない方が君にとっては都合がいい。どうだい?分かってくれるかい?」

アスカは俯いたまま小さくコクリと加持の言葉に頷く。その姿を見た加持はホッと胸を撫で下ろした。

「ありがとう、アスカ。さ!善は急げだ。そうと決まれば引越しをさっさと済ませ…といっても…」

加持はアウディの後部座席に置かれていた小さな旅行カバンに目を走らせる。

「君の荷物はこれで全部、か…」

「触らないで!!」

「え?」

カバンを取り出そうとする背中にアスカの神経質な声がぶつけられた。取っ手に手をかけようとしていた加持は驚いて声の主を振り返った。アスカは加持の視線から逃れるようにして身体を捩って半ば強引に加持を押しのけて小さな身体でカバンを抱えた。

「ごめんなさい…ちょっと今日は…その…色々なことがありすぎて…アタシ…」

最初、少し呆気に取られたような顔していた加持だったが、少女のやや上ずった声を聞くとまたいつもの彼に戻る。

「いや…すまない…いつも我慢ばかりさせている俺の方がむしろ君に謝らないとな…」

「そんなんじゃ…ない…ですから…」

口元を真一文字に結ぶとアスカはもうそれ以上何も言わなかった。

加持はこの不自然な態度が多少気にかかったが、確かに少女の言う通り色々なことが短期間に重なったことは事実だったため、それが神経過敏になった原因だろうと思っていた。しかし、それがまったくの誤りであったことを後に彼は思い知らされることになる。

アスカの困惑は新しい共同生活そのものというよりもむしろ、先の演習が少女に与えた後遺症、他人に私物を触れられることはおろか食器を共有することも出来ないような極端な対人恐怖症、をこの時に無自覚に感知したことが原因だったのである。

もっとも、このアスカとミサトの奇妙な共同生活は部屋の主が日本に帰任するまでの僅かな期間でしかなかった。そのためミサトがアスカのこの後遺症に気付くことはついになかった(Ep#04-10)。

その後、加持は無駄と分かった上で破壊され尽くしたズィーベンステルネの跡地を詳細に調べあげ、申し訳なさそうにアスカに子供の遺骸はおろか押しピン一つすら見つからなかったことを告げてきた。せめてもの罪滅ぼし、それが当時の加持の偽らざる心境ではなかっただろうか。

加持が二重スパイというだけではなく、日常的に全世界の諜報員が犇く氷の都を舞台に壮絶な命のやり取りを行っていたことを考え合わせれば、彼のこの献身が決して“律儀”の一言で片付くような話ではなかったことは想像に難くない。それがますますアスカにある種の情愛に近い感情を芽生えさせてしまったことは彼の唯一の誤算だったかもしれない(Ep#04-12)。
  • この辺りの物語は後の“Episode#09 ベルリンの涙”で詳細に触れることになるだろう。

アスカはゆっくり目を開けた。

結局…煙のように消えてしまった“あの場所”から外の世界に生きて出てこれたのは…アタシ(Drei)とアイン(Ein)とこの子(Neun)と、そして神経質で嫌なやつだったズィーベン(Sieben/独語の7)の四人だけってことになる…

巨人とあだ名していた看守にズィーベンがやはりマリ(ノイン)の時と同様に手を引かれて長い廊下を連れて行かれている光景がアスカの脳裏に浮かぶ。

アスカ(ドリュー)とカヲル(アイン)が並んで見送っていると、それまで他人に興味をほとんど示したことがなかったズィーベンが前触れもなく二人の前で立ち止まったのである。そしてアスカをジロジロと見、そしてカヲルを一睨みした後、彼はいきなり口を開いた。

「Adieu!! (仏語/さようならの意味だが永い別れになるというニュアンスを含む。少なくとも“またね”にはならない。余談だが顔見知りなら“Salut”になる)」

突然の出来事にアスカは思わず目を丸くする。彼の言動の節々から恐らくフランス人だろうとは思っていたが獄中で彼がフランス語を使ったことはただの一度もなかったからだ。ズィーベンが歴としたフランス野郎だということが“確定的に明らか(元ネタあり)”となった瞬間だった。

この子は “セット(Sept/仏語の7)”じゃなくてズィーベンって呼ばれていたことがきっとこの上なく苦痛だったに違いないわ…

やや同情したような目をアスカがズィーベンに向けたその時だった。

「何ボサッとしてやがる!このハナタレ!」

鉄球のような巨人の拳がズィーベンの頭に落ち、辺りにゴツッという鈍い音が響いた。

「Merde!!(仏語/くっそー!)」

たまらず頭を抱えてその場にしゃがみ込む“フランス野郎”を見てアスカは心中でなぜか「ざまああ」と叫んでいた。

アイツもまだ生きているとしたら絶対典型的なフランス野郎になってるに違いないわ…おえっ…(※ 長年のライバルである独仏では露骨ではないにせよ、根底にはライバル意識に近いような名状しがたい感情をお互いに持っている。少なくとも“気のいい奴ら”などとはぜんぜん思っていない)

「ふふふ…」

アスカはハッと我に帰る。いつの間にか口元を綻ばせている自分に気が付いたからだ。

何でだろう…昔を思い出して笑うなんて…

絶望と死しか存在しないその場所の記憶はアスカにとってまったく忌まわしいものでしかなく、そして、その忌まわしい記憶を共有する人間たちもまた同じ様に考えていた筈だった。少なくともアスカ自身はそう思い込んでいた。

そうか…いまやっと分かった気がする…これが…あの子の言っていた…

絆…だから…

SA特殊兵装という十字架を背負って制裁者の懐に飛び込んで爆散していったレイが最期に見せた微笑みとそして涙をアスカは思い出していた。思えばアスカはその時々でそれまでに築いてきた人間関係を自分の意思とは無関係に捨て去らざるを得ない境遇に置かれていた。

大人達の一方的な都合によって。

率直に言って自分と等身大の「仲間」というものが何なのか、アスカ自身、これまで深く考えたことはなかった、いや、「仲間(友達)」という概念自体がそもそも希薄だったのかもしれない。退学になるまで通っていた第一中学校でもそれほど深い人間関係を築いてきたわけではない。むしろ、表面を装っていたといってもいい。

始めアインに会った時もアタシは激しい動揺に襲われて無様に取り乱してしまったけど…(Ep#08_8)

カヲル(アイン)とアスカの関係、またシンジとのそれは「仲間」という一線を越えてあまりにも特殊だった。

そっか…今、アタシがノイン(マリ)との間に感じているこの感情…これが絆ってやつだったんだ…

初めて自覚する自分と等身大の相手に向けられる人間の感情的側面の一つだった。今のアスカの戸惑いは“大人達”との建前とも、また親近者に対する“情愛”とも異なる第三の人間関係に対する葛藤だったのである。

ズィーベンステルネという“鳥の籠“から逃げ去って以来、書類上の都合だけの親子関係を除いて、分かち難い人々との交流を持つことで知らず知らずのうちにそれがアスカを”普通の女の子“にしてしまっていた。ミサトはズィーベンステルネとアスカの接点の存在を知らなかったため、ドイツ赴任時代のアスカに対する印象の呪縛から逃れることが難しかったのだろう。このアスカの変化に再会していち早く気が付いたものの、順応よりもむしろ動揺の方が勝ってしまったために余計な軋轢を生じさせていた(Ep#06-17)。

籠の中で生きるアスカは文字通り恐怖の塊だった。自分が何者かも分からず、ただ絶望するしかなかった。そんなアスカが他人との”絆”を信じられるわけがなかった。心の支えと呼べるようなものがあったとすれば、それはベルリンからゲッティンゲンに旅立つ前にカヲルと二人で作った“雪ダルマ”くらいのものだった。

いつか巡り合う…きっと僕たちはまた巡り合うことが出来る…

この時、アスカは自分にかつて“母親”がいたことを知らされ、そして自分と自分の母親のことをカヲルが知っている事実に触れたのである。

君の眠らされた記憶が蘇ることがいいことなのかは分からない…だだ、僕がいえることは運命に従えということだけさ…

最初に自分の運命を切り拓く道標をアスカに明確な形で与えたのはカヲルだったが、同時に運命に従順であるべきだと諭したのもやはりカヲルだった。カヲルの願いはアスカに真実を知った上で運命を受け入れて欲しかったに違いない。しかし、それは残酷でもあった。

厳しい監視下に置かれたゲッティンゲンでの生活が始まってもアスカは遠い日々の母親と本来の自分に思いを馳せ、そしてその度に得体の知れない頭痛に襲われた。

こんなに苦しみながら…どうしてアタシは…何のために生まれて、そして今を生きてるんだろう…

激しい頭痛と精神的な苦痛が年端も行かぬ少女から“思慕”の情念と“自尊心”を失わせつつあった、まさにその時、虚空に響く3発の銃声が再び少女の運命を大きく変えたのである。

「あんたが惣流・アスカ・ラングレー?」

呆然と自分を見つめる少女に向ってネルフの外出用コートに身を包んだ女士官が無愛想に言った。粉雪が舞う中、いきなり目の前に現れたその女は少女の監視役だった3人の男と撃ち合いになると、あっという間に男たちの眉間を正確に撃ち抜いていた。少女の恐怖をよそに事も無げにコルトを懐にしまう女の背中を少女は目で追う。

周りは全て敵…悪魔(リリン)なんだ…心を許せば自分を傷つけ…なにもかも奪っていくんだ…そして…

今…この命さえも…奪おうとしている…

「たかが子供1人に3人も“コブ(監視)”が付くなんてご大層な話よね…ったく…マルドゥックもよりによってよくもまあこんな厄介な適格者を見つけたものよ(※加持がミサトに渡した個人ファイルはマルドゥック機関の呈を装っていたが実際は加持自身が捏造した惣流・アスカ・ラングレーに関するものだった。Ep#05_10)…ところでさあ…」

返事を迷う少女に構うことなく雪原を真っ赤に染めている足元の死体を検分し始めたその女士官はいきなり少女の方に目を向ける。蛇に睨まれたカエルのように少女はばったりと目が合うと思わず身体を固くした。

「こいつらって何者?」

「P…Pardon? (英/独共に、なんですって?の意味)」

「あんた英語だけじゃなくて日本語もちょっとは話せるんでしょ?ま、あたしは英語のままでも構わないけどさ。そんなことより…まさかとは思うけどコイツらってあんたの知り合いとか、家族じゃないわよね?」

呆気に取られている少女が小さく頷くと、その時、初めて女は白い歯を見せた。

「そっか!じゃあ何も問題は無いわね。だって向こうから先に撃ってきたんだから殺しちゃっても仕方ないわよねえ」

「い、いや…その理屈は色々おかしいんじゃ…」

これがアスカとミサトのファーストコンタクトだった。

な、なんて…自分勝手で…そしてなんてズボラなヤツなんだろう…でも…

アスカは固唾を呑んでミサトの顔を見つめた。一見、あっけらかんとしているがミサトの目は奥底に強い信念があることを偲ばせる鋭い眼光を放っていた。

なんて力強くて…そして…なんて悲愴な決意に満ちているんだろう…

それはのちに自分の上官となるミサトに対する偽らざる第一印象でもあった。

いつの間にか…アタシは分かち難い“絆”でたくさんの人たちと結ばれていたんだ…加持さんやミサトだって…そして…ノインだって…

アスカは意を決したように小さく頷くとゆっくりとマリから身体を離し、そしておもむろに少女の顔を見た。マリはもう泣いてはいなかった。

使徒との戦闘で巻き起こされたエネルギー中和反応由来の影響は徐々に解消されつつあった。二人がそろって墜落したこの場所もすぐに平穏とは程遠い通常を取り戻すに違いない。それは上空の星の瞬きが鮮やかになっていくことからも窺い知れる。

日本で見る星がこんなにも綺麗だったなんて…うそみたい…

全てが一瞬にして凍りついてしまう酷寒の祖国の澄み渡った夜空とは異なり、湿気のせいでいつもぼやけて見える常夏の日本とは思えないほどの鮮やかな夜天の営みに思わず目を奪われた。しかし、その美しさも夢見る年頃のはずの少女たちを慰めることは出来なかった。

アタシは護ってみせる…この世界を…そして…アタシの“絆”を…

ひどく身体が重たい。早朝に本部を出動して以来、ほとんど不休の状態が続いていたため、アスカの疲労は心身ともにピークに達しつつあった。少しでも気を抜いてしまえば緊張の糸が途切れてしまいそうだった。アスカは曖昧に微笑むとシンジと同じくらいの背格好に見えるマリの両肩にそっと手を置いた。

「色々とお話したいところだけど視界がどんどん晴れていってるわ……このままだとアンタもアンタのEvaも本部どころか、一般兵器からも捕捉されちゃうわ…そうなるとマズイんじゃないの?」

アスカの言葉にマリはきょとんとしたような表情を浮かべる。円らなダークブラウンの瞳はじっとアスカの姿を捉えていた。その様子にアスカは僅かに違和感を覚え始める。

おかしいわ…この状況が分からないはずはない…お互いにほとんどEvaの電源は残っていないし、見つかればとても逃げ切ることなんて出来ない…アタシも本部から指示が出れば逆らえない…あるいは逆にまったく問題にならないってことなのかしら…

あれこれと思考を巡らせるアスカとは対照的にまったくマリには物怖じする様子がない。それがかえって想像を掻き立てる。

でも…そんな話は今まで本部で聞いた事がないわ…ここはまずノインを逃がすことを考えないと…

「アンタのことも…そしてこのエヴァのことも…今は何も聞かないことにするわ…それに、アンタがここに現れたことも本部の誰にも言わないから…だから…」

「あたしの今の名前はマリ。マリ・イラストリアス英国海軍中尉、並びに特務機関ネルフ第三支部所属のエヴァ伍号機専属パイロット。あたしの目的は今現在、ドイツ連邦政府がネルフ本部作戦部長の支援要請に基づいて“貸与”していた弐号機及びその専属パイロットを合法的且つ無条件に回収するため。異論は認めない。以上」

「は、はい???」

突然のマリの言葉にアスカは驚きの声を思わず上げる。

「質問されたことには今、全部答えたと思うけど?それが何か?」

「い、いや…質問っていうか…え…えっと…ど、どういうこと?」

「えー!今、ちゃんと説明したじゃん!もしかして今北産業(今来た。三行で頼む)とか言っちゃうの?」

マリの有無を言わせない勢いにアスカは完全に気圧されていた。言葉としては理解できるがあまりにも理解を超えた内容に戸惑うしかなかった。クイズとしては出来が悪いことこの上なく、また、ジョークと笑い飛ばすにはシリアスな内容だった。

「い、意味は分かんなくはないけど…ちょっとあまりにも唐突すぎて…頭の整理が追いつかn…」

「そっか!んじゃあ行こうか!」

マリはニコッと笑うとアスカの右手をぎゅっと掴んできた。今にも駆け出しそうな雰囲気だった。

「い、いや…ちょっと待ちなさいよ!アンタ人の話聞いてんの?それに行くって…えっ!ど、どこに?」

ま、まさかそれが“内部電源の残量(活動限界)”を気にしてない理由なんじゃ…でも、そんな手の内をいきなりバラすバカなんているわけ…

「あたしの母艦だよ。300メートル弱の巨大潜水艦なんだけどこれがまた凄いのなんのって(※余談だが海上自衛隊所属艦艇の中、最大を誇るHDD護衛艦ひゅうがの全長は197メートルである)」

「っていきなりゲロってんじゃないわよ!!アンタばかぁ!!っていうか…ぼ、母艦!?さ、300メートル級の潜水艦!?な、なんなのその大きさ!!ほとんどAircraft carrier(空母)じゃん!!」

アスカはマリの一言で、今、自分の目の前にある流線型の特長的なフォルムをしたEvaが、人類補完委員会から委託を本部が受けた第二次兵装プログラムから脱退した“伍号機”であることを瞬時に看破していたが、その伍号機をEU陣営の英国政府がまさか巨大潜水艦で既に運用しているとは夢にも思っていなかったため、その事実に驚愕していた。アスカが知る限りEvaを通常兵器と併用する形で実戦配備している例は世界のどこにも、いやそもそもネルフ以外の機関が運用していること自体が異常といえた。

「まあ否定はしないよ。空母っぽいなにかってことは確かなんだしね。第二次世界大戦の時だって水上機とか小型潜航艇とかの母艦運用ってあったらしいじゃん?って海軍学校でじっちゃが言ってた」

「ちょ、ちょっとストップ!!ストーップ!!」

「ンガ!!モゴ!!」

慌ててアスカはマリの口を塞ぐ。

こ、この子…まるでアタシを味方だと信じて疑わないみたいにベラベラしゃべってるけど…この内容ってかなりヤバイ情報を含んでる…こんな話を聞かされてアタシがここに残るとか言ったらどうなるのよ…ていうか…

「一体…アタシがいつから味方だと錯覚していたのよ?(※元ネタあり)」

「それって…例のネタだよね?いいセンスだ(※元ネタあり)」

にやっとマリは笑うとアスカにグッと親指を立てて見せた。

「ね、ネタじゃないわよ!ふざけないで!真面目に言ってんのよ!!アタシは!!」

アスカは語気を強めてマリの手を振り払う。今度はマリが驚愕の表情を浮かべる番だった。

「えー!いきなりマジレスっすか!急にそんなこと言われても信じらんないよー!空気嫁(読め)よお…素直に帰ればプロット的に楽じゃん…これ以上、話ややこしくしたら風呂敷広げた手前、マジで自殺者出るんじゃね?主に作者とか…チラッ」

「ちょ…あ、アンタが勝手に話をややこしくしてるんじゃないのよ!なにわけ分かんないこといってんのよ!」

マリはさっきまでアスカの手を握り締めていた自分の掌をじっと見ていたが、何の前触れもなく正面のアスカに向き直るとまるで深呼吸のような大きなため息を一つ吐いていた。

「あーあ…ないわ…正直…その展開ないわ…」

マリの表情がだんだん険しくなっていく。

「ドリュー…おまえさん…何か勘違いしとりゃあせんか?」

「か、勘違い!?あ、アタシが一体何を…」

そこまで言いかけてアスカは思わず言葉を飲み込んでいた。正面に立つ少女がふっと僅かに口元に薄い笑みを浮かべて上目遣いに自分を見ていることに気が付いたからだ。その狂気を含んだ乾いた笑みにアスカは反射的に恐怖を感じる。

「このゲロ以下の腐れ切ってどうしようもないFxxk’n Shitな世界に残って何になるっていうんだろうなあ…まさか延々と乱数調整みたいなことして“正解”が出るまでリロードしまくるつもり?それともどっかの高齢厨二患者みたく新世界の神にでもなるとか言うのかよ?」

マリは再び大きなため息を吐くと、今度は一転して屈託のない笑顔をアスカに向けた。

「ダメだ…ぜんっぜんダメだ…そんなのまるでなっちゃいない…今こそチェス盤をひっくり返す時なんだよ…つか、盤ごと全部放り投げて全部なかったことにするべきなんだよ…」

「な、なにを言ってんのよ…アンタ…いきなり…」

「だからさあ…ドリュー…いや、アスカ…この世の全てなんか全部ぶっ壊れてしまえばいいんだよ…」

アスカは背筋に冷たいものが走るのを感じる。血の気が引いていく、まさにそんな表現がぴったりだった。

「あたしは京都で生まれてこの方、ずっと自分の存在を否定され続けてきたんだよねえ。そしてあることに気が付いたんだよ。ドリュー…結局さあ…幸せなんて…歩いてこないんだ…これがまた…」

もう声を出すことすら難しかった。重度の貧血のように意識を保つだけでアスカはやっとの状態だった。

「まあ…全ては計画通りだった…てことなんだろうけどね…あの男にとってはねえ…」

「あ、あの…おとこ…?」

「特務機関ネルフ総司令、碇ゲンドウだよ…あたしの両親もさあ…あの男にいいように利用されて最後は殺されちゃったようなもんだよ…アスカのお母さんみたいにね…」

その瞬間、落雷にあったような衝撃がアスカの全身を貫いていた。

う、うそ…うそだ…そんなの…そんなことって…

「そんなわけない!!あるわけないじゃないのよ!!」

絶叫するアスカをマリは覚めた目で見つめる。

「なんか、それって意外な反応だなあ…もうすっかり誰かさんから聞いてるものだとばかり思ってたし…でもあんま予想の斜め上って感じでもないんじゃない?だいたいおかしいって思わなかった?なんでわざわざ“チャイルド”の1人をマルドゥックが“チルドレン”として囲ったのか?しかも1人じゃ飽き足らずに“アイン”まで日本に呼び寄せたのか…そして…」

ガタガタと震えているアスカにマリはゆっくりと近付き、そしてそっと優しく抱き締めて肩をさすり始めた。

「すっとぼけたタイミングでスパイ容疑だとかいって監禁してみたりとか…ローレライとか仕込んでみたり…」

「ど、どうしてそれを!!」

マリの言葉にアスカは目を大きく見開いていた。

「支部長の目の前で施術したんだってさ…そこまでしちゃうと逆に芝居がかっちゃうよね…パフォーマンスとしては出来すぎだよ…やっぱ何だかんだ言ってよっぽど手放したくないんだろうね…“碇ゲンドウも…」

信じられなかった。いや、信じたくはなかった。しかし、マリがこの状況下で撹乱させる目的で事実を歪曲するとも到底思えなかった。

百歩譲って…もし仮にノインの言うことが本当だとしたら…アタシから記憶を奪って、ママも奪ったのは司令ってことになる…いいえ…それだけじゃない…もっと大きな謀略に司令が…あの子のお父様が関わっていたことになる…

碧い瞳は思わず天を仰ぐ。

何故なんですか…司令…教えて下さい…貴方はネルフの最高指導者である以前に…アタシの…アタシのあの子と血肉を分けた父親なのです…なのに…どうして…

運命の残酷をアスカは呪わざるを得なかった。

「コウモリさんもね…最後の最後まで気に掛けていたらしいよ…“姫”のことをね…」

ひ、姫…!?そ、それは…ドイツ語のPrinzessinは…ベルリンでのアタシのコードネームだ!!

「あるぇ?まさか知らなかったの?姫が“知ってる”ナイトはもういないんだよ。気の毒だけど…」

「そんな…うそよ!!」

「残念ながら司令のこともコウモリさんのことも真実なんだよ…ソースはあたしだけど…だってあたしは“姫”と違って…」

奇妙な間合いが開く。多少の躊躇いがマリにもあるのだろう。しかし、ゆっくりと口が開く。

「BRTで記憶を失ってないんだ。全てを覚えてる。ズィーベンステルネのことも…その前に起こったあたしの全てを…もう、これだけ言えば十分なんじゃないかな…」

アスカの中で何かが切れる。そして泥沼のような大地にヘナヘナと膝を着いていた。

加持さん…シンジ…アタシは…アタシは一体どうすれば…

「姫…どうやらお迎えみたいだ…」

二人の背後にあったエリア1238の湖面が急に盛り上がり始め、漆黒の巨艦が水の中からゆっくりとその姿を現しつつあった。少しの間、マリは両手で顔を押えるアスカを見下ろしていたが、やがて視線を左右に走らせて周囲を見る。

「ここも十分不毛だね…本当に何もないよ…まるで北スコットランドの氷原みたいだ…」

もっとも…二藍草(ヒース)すら芽吹かなくなったあの場所に比べればここはまだマシかもしれないけど…

マリは遠い目をしていた。





Ep#09_21 完 / つづく




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