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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第拾九部 夏の雪(Part-10) / 再会…そして…


(あらすじ)

自分の過去に執着していたアタシが…今に生きようと決めたのはごく最近のこと…過去と決別したとは言いがたかった…
「人生は切り開いていくことで戦って勝ち取っていくもの…だけど同時に過去の積み重ねでもあるわ…アンタは過去を…ママを簡単に捨てられるの?」
「マ、ママ……」
「アタシがアンタなら…それはゼッタイ無理な筈…」
悪魔のような甘い誘惑と言えば言い過ぎになるかもしれない…でも…過去は…記憶は…
「アンタは…ホントに信じることができるの?あのバカのことを?アタシの姿を見て尚、そう断言できるの!?」
「……」

アスカの前に突然現れたもう一人のアスカ。それは幻影なのか、それとも時空を隔ててもたらされた何かのメッセージなのだろうか。

寄せては帰すを繰り返す単調な波の音、静かに広がる波紋…そして漣(さざなみ)を立てるアタシの心…


自分の過去に執着していたアタシが今に生きようと決めたのはごく最近のこと…完全に過去と決別したとは言いがたかった…


こ、コイツ…


他人の弱みに付け込んでくる様な言葉にアタシは強烈な不快感を覚えていた…


確信はないもののコイツが言うようにここは夢ってわけじゃなさそうだった…自分っぽいからってだけで遠慮があるわけじゃないけど抜け出せる方策も立ってない状態でコイツをぶちのめす訳にもいかない…


どうする…何かこのままだとヤバイ…そんな気がする…

「人生は切り開いていくことで戦って勝ち取っていくもの…だけど同時に過去の積み重ねでもあるわ…アンタは過去を…ママをそんなに簡単に捨てられるの?」

「マ、ママ……?」


アタシの思考を先回りするかのような一言に鈍い痛みが頭と胸に走る…

「アタシがアンタなら…それはゼッタイ無理な筈…」

悪魔のような甘い誘惑と言えば言い過ぎになるかもしれない…でも…過去は…記憶は…

「アンタは…ホントに信じることができるの?あのバカのことを?アタシの姿を見て尚、そう断言できるの!?」

「……」


畳み掛けるような一言にアタシは反論どころか呼吸すら難しかった…


揺れ動く心…なんて優柔不断なんだろう…こんなの…こんなのって…


「こんなの…アタシじゃない!!」


「これがアタシ…アンタの本音よ…」


「違う!違うわ!!」


「…同じよ…」


「い…いや…いやだ…」


く、苦しい…


コイツの他人を惑わせるような言葉から逃れるために耳を塞ぐことしか出来ない…アタシはひたすら頭を抱え込むしかなかった…


「アンタ…さっき面白いこと言ってたわね…この場所がアンタと時間的に繋がっていないとか…」


「!!」


う、うそ…耳を塞いでるのに…


「無駄よ…だからアタシはアンタに直接話しかけてるって言ってるでしょ?」


「で、デタラメ言わないで!!」


「あらあら…身悶えしながら強がたって説得力ゼロよ?」


「い、いや…」


アタシはとても姿勢を維持することが出来なかった…得体の知れないヤツから逃れるためにアタシは無様に砂浜を這い蹲りながら訳も分からず這い回る…


「過去を知れば全てが分かるわ…何故…アタシがこんな姿になっているのか…そして他人に縋(すが)ることが如何に愚かなことなのかってことも…特に…あのバカを信じることがどんなに下らなくて…」


「や、やめてー!お願い!やめて!」


「どれだけアタシ達を傷つけて不幸にするかってことがね!!」


立ち上がることすらままならず…アタシは自由の利かない身体を引きずりながら砂浜の上でもだえるしかなかった…


早く…早く…この苦しみから逃れたい…早く…

「そうよ…楽になった方がいいわ…何も自分から好き好んで苦しんで自分を痛めつける必要なんてないのよ…アンタ…あれだけ知りたがっていたじゃない…自分の過去…何を躊躇(ためら)ってるの?」


背後の空気が揺れる…振り返ると左目を覆うようにして頭に包帯を巻いたアイツがいつの間にか立ってアタシを見下ろしていた…そして徐(おもむろ)にアタシに向かって一歩を踏み出す…その光景を見た瞬間、アタシは背筋にゾクリとした寒気が走った…

「い、いや…こっちに来ないで…」

「さっきアンタが言ってたアタシとアンタの違い…確かにアンタの解釈も成り立たなくはないけど逆も言えるんじゃない?」

「ぎ、逆…!?」

「そうよ。同じ時間軸上で過去を手に入れたか、入れていないかの差、つまり時系列的な差ってこともあり得るわよねえ。それでやっぱり信じられるものは自分自身しかないって考えに落ち着いた…別に不思議なことじゃないわよ。ギムナジウム(※ ドイツの中高一貫教育システムのこと。日本の中高生と読み替えて差し支えない)の生徒だってこれくらいの切り返しはしてくるわよ?」

「!?」

た、確かに…しっかり考えて言った事じゃないとはいえ…

夢か幻か…得体の知れない存在にこうもあっさりと自分の主張を突き崩されると後は足場を激流で洗われるみたいに奈落の底へと落ちていく恐怖がどんどん沁み出して来る…
コイツ…アタシの不安な気持ちや恐怖心を利用して付け込もうとしてる…ダメだ…このままじゃダメだ…何とかしないと…

「こんな状況に置かれても論理的に考えようとするのはさすがよねえ…普通の子(女の子)なら泣き叫んでるところじゃない?気が強くって可愛げが無いところもアタシそっくり…もっとも…そんな気の強い子をあんなヘタレが本気で好きになるかしら?」

「く、来るなって言ってるでしょ!!そ、それ以上近付いたら…」

アタシの身体からみるみるうちに力が抜けていき…ついに抵抗することも出来ずにいともたやすくアタシは背後から抱きすくめられる…

な、なんなの…コイツ…気味が悪い…

「近付いたら何だって言うのかしら?ホントのことをアンタの替わりに言ってあげてるだけじゃない?アンタの本音…アンタの不安な気持ち…捨てられるかもしれないっていう恐怖…以前のアンタだったら決して他人に心を許さなかった筈よ…」

「あ…ちょっと…い、いや…やめ…」

自分の耳たぶに吹きかかるコイツの吐息が妙に生々しく…首筋から背中にかけて得体の知れない痺れが走る…

「フフフ…アンタのそのふざけた妄想…アタシがぶち壊してあげようか?」

どうして…さっきからコイツの言葉がいちいちアタシに突き刺さる…まるで真綿が水を吸い込むようにアタシの身体に毒が染み渡っていく…

「アンタを最初に見つけた時はアタシも心底驚いたわ…だって…どうして死んだ筈のバカに振り回されてる自分がいるのか…まるで意味が分からなかったもの…」

振り回される…?

「そうよ…結局、あのバカは自分以外の周囲の誰も対等な存在とは見なしてなかったのよ…誰かの替わりに…自分だけを慰めて欲しいだけで…アンタもアタシも単に利用されただけなのよ…」

「そんなのウソよ!!」

「ウソ?どうしてそう言い切れるの?アンタとあのバカの間で何か確かな絆でもあるっていうの?男なんて頭と下半身は別って言うじゃない?それとも…まさかアンタってあれを分かり合ったと捉えてるわけ?やっぱBitc…」

「違う!違うわ!だ、だって…だってあの子は…あの子は…」

「だって?だって、なによ?まさか自分に優しくしてくれるって言いたいんじゃないでしょうね?」

「…」

「やれやれね…アンタに夢という形で将来を見せてあげてたのに…覚えてないの?最近見なくなったから油断してたのかなあ…?(Episode#04ご参照)」

「夢って…ま、まさか…」

退学になる前まで通っていた第一中学校でボールをぶつけられた時の…

「ようやく…思い出したみたいね…その通り。あれはアタシの仕業よ。自分が経験したあのバカの理不尽さをアンタに知らせるために見せていたのよ…もっとも…」

思わずアタシは背後を振り返る。そこには勝ち誇ったアイツの顔がすぐ近くにあった。

「アンタはアタシと違ってちょっと鈍いみたいだけどね…アタシの親切もまるで無意味ってわけね…さあ、どうするの?もう一人のアタシ…」

「どうするって…何を…?」

「何を…って、アンタばかぁ?アンタの記憶の話に決まってるじゃないの。所詮は他人に縋っても自分が救われるとは限らない…その愚かさをこの風景が見事に物語ってるじゃない。それが分からないの?」

ここが一体どこなのか…はっきりとしたことは分からないし、その確証もない…だけど、この気味が悪い空間が全くの異世界という感じはしなかった。いや、むしろ知っている世界かも知れない。ただの夢…それもとびっきりの悪夢を見ていると片付けてしまうには身体の感覚があまりにもリアルで…そして、アタシの後ろにいるコイツの存在は姿を見せてからというもの…ただの虚像とは思えなかった。

的確にアタシの中の不安な気持ちや未練のような過去(ママ)への執着を抉ってくるコイツの言葉に…耳を貸すべきではないとアタシの理性が呼びかけているのが分かる。分かるけど…心から湧き出てくる感情はとても抑えることが難しい。

過去とは結局…自分自身(アイデンティティ)なのだから…

「Make your choice(決断しなさい)…Do it or not(自分を得るのか、それとも諦めるのか)?」

アタシを背後から抱きしめているコイツの腕に力が篭る。まるでアタシの中の葛藤を楽しんでいるかのようだった。

墜ちてしまうのだろうか…このまま…アタシはまた…全てを…失ってしまうのだろうか…



「どうやら…答えは決まったようね…」

耳元で囁かれた一言にハッとさせられる。

「な、何言ってんのよ!!ふざけないでよ!!」

もう一人のアタシが勝ち誇るようにほくそ笑む気配が背後から伝わってきた。

「あははははは!けっきょく、口では何だかんだ言ってもホーント自分に正直よね!もう無駄よ!アンタは選んでしまったのよ!まったく…ザマないわね!」

「口からでまかせ言うんじゃないわよ!!」

激しく身体を左右に揺らしてアタシはもう一人の自分の腕から逃れると猛然と立ち上がり、そして、冷たい砂浜の上にしゃがんだままだったそいつの胸倉を荒々しく掴むとほとんど自分の目の高さ辺りまで引き揚げていた。ニヤニヤと薄笑いを浮かべている顔を睨みつける。

「人が黙ってれば調子に乗って…いい気になってんじゃないわよ…アンタ…」

目が合った途端、相手は堪りかねたように突然噴出し始める。

「フ…フフフ…あはははは!バカみたい!何なの?それ?あははは!もしそうだって言ったらどうだっていうのよ?はははは!」

「何がそんなにおかしいのよ!このメンヘラ女!」

怯むどころかむしろ煽るかのようにへらへらと笑う姿を見て全身の血が逆流する。思わず右の拳を固めていた。

「へー、それでどうするつもり?図星を突かれて逆ギレした挙げ句にアタシをぶちのめすってわけ?もうちょっとアタマがいいかと思ってたんだけど意外と残念なアタマしてるのね?」

痛いところを突かれたアタシは心のどこかで動揺していた。そして、その中途半端な良心の呵責が若干の躊躇いとなって表れていることを相手にすっかり見透かされているようだった。強烈な不快感が込み上げてくる。

「何とでも言えば?まさかとは思うけど、どうせブラフで殴られるわけないとでも思ってる?残念だけどアタシは本気よ」

「あらあらコワーイ。いいわよ?やれば?それでアンタの気が済んで全てが解決するならねえ。あはははは!」

挑発するような甲高い笑い声が本当に耳障りだった。

「あっそう…言ったわね…それじゃ…顔面潰されても後悔はないわね!」

少し虚ろな青い瞳に自分の姿が映り込む。ふらっと一瞬だけ貧血に似たような眩暈を感じる。

な、何よ今の…遠慮することないじゃない…こんなわけ分かんないところでいつまでもコイツに付き合ってらんないのよ!

「Scheiße!! (独/くそったれ)」

憎たらしく笑う相手の顔に拳を振り下ろそうとしたまさにその時だった。

え…?ちょ…?

手が小刻みに震えて動かない。いや違う。まるで金縛りにでもあったかのように身体全体が固まる。まったくいう事をきかない。

「ふふふ…どうしたの?顔面潰すんじゃなかったの?」

気持ち悪い汗を背中に感じる。

どうして…どうして…なんなのよ…コイツ!!

奇妙な世界、いや空間と呼ぶべきか、とにかく目が覚めてからというもの、もう一つの自分の可能性、らしきものと不毛なやり取りにアタシは間違いなく苛立っていた、筈だ。おまけにあれほど渇望していた記憶とあの子との儚い絆との間でいちいちざわめき立つ自分の不甲斐なさを覆い隠そうとする反動が、強烈な怒りがあった、筈だ。

にもかかわらず…

急速に熱が冷めていき、入れ替わるように恐怖がぬるりと染み出し始める。

お互いの鼓動も息遣いもリアルに感じるほど近くに相手がいるのに、アタシの拳はピクリとも動こうとはしなかった。ひとしきり笑った後、そいつは口元に薄ら笑いを浮かべながら品定めでもするかのような視線をアタシに送ってくる。

「あのさあ…あたし思ったんだけど…これってひょっとすると同属嫌悪ってやつ?」

「は、はあ!?な、なにいってんの!?まじウザいわね!アンタ!」

「じゃあ…何かを誤魔化すためにアタシを殴ろうとしてるわけだ?あははは」

「くっ…」

「ははは…あーあ…お腹痛い…はいはい、もう気が済んだ?いい加減に誤魔化すのは止めたらどうなの?やれやれ、正直ここまでとはねえ。もう少し出来る子かと思ってたのにホント呆れたわ…」

もう一人のアタシはスッと立ち上がると自分の胸倉を掴んでいる手を事も無げに振り払う。そして後ろ手に組むとアタシに背中を向けた。

「折角…折角…正しい判断をしてるっていうのに…何をそんなに躊躇っているのかしら…」

相手の表情は見えない。でも、ため息混じりに吐き捨てられた言葉に明らかな失望が混ざっていた。

「だって…本当にバカバカしいじゃない?だって…自分の中ではすでに答えが出てるのに…どうしてそれにあえて気が付かないフリをするの?マジでうざいんだけど?」

不意に振り向く相手と思わず目が合った。恐怖で慄(おのの)くアタシとは対照的に、直接心臓を鷲掴みにするような冷め切った目を見た瞬間、アタシの体じゅうの毛という毛が逆立っていく。

や、ヤバイ…この目はホントに…

まるで人でも違ったかのような豹変ぶりにアタシは絶句させられていた。冷酷というには感情が昂ぶり過ぎ、キレるというにはあまりにも冷静、加えて怒るというにはあまりにも強い加虐的な意思が見え隠れしている。

そして……人間というにはあまりにも残忍な目をしている……

考えてみればコイツと出会ってからというもの、アタシは何度となく背筋をゾクッとさせられていた。が、今回のそれは今までとはまったく異質だった。明確な恐怖、それも本能的な生命の危機を感じていた。

「アンタは確かに選んだじゃん。あのバカとの淡くて儚い“絆”よりも自分が自分であることの証の方を…記憶の方をね。ねえ?どうして?アンタは本当に正しい判断をしたわ。それをどうして必死に否定しようとするわけ?」

ジャリっと砂がなる音がする。

「うっ……くっ……」

思わずたじろぎ後退(あとずさ)ろうとしたアタシは思わず低く叫んでしまった。まるで根を張ったようにアタシの脚はピクリとも動かない。あの薄気味悪かった薄笑いは今となってはもう恐ろしさしかない。

「ねえ?どうして?なぜ黙ってるの?」

コイツが口を開けばそれがまるで澄んだ水にインクを落とすように侵食していき、たちまちアタシの感情を揺り動かしていく。

こ、声が…声が出ない!?ど、どうなってるのよ!!これ!!

ゆらりと相手の身体が動く。

「ひっ…ぐっ…」

緩慢な動作が余計にアタシの精神を圧迫した。

「勘違いしてるみたいだけど、アタシ、むしろアンタのことを買ってたのよ?はい!あのバカを捨ててよくぞ自分を選びました!大変よく出来ましたってね!」

穢れのない純白の砂浜を踏みつける足音が耳につく。まったく小さな音の筈なのに劈くほど大きく聞こえた。

く、来るな…こっちに…こっちに来るな!!

「あっ…ぐっ…」

アタシは願っているのだろうか。いや、哀願に近かったかもしれない。無様なことこの上ない。でもそんなことに構ってはいられなかった。もう目と鼻の先にアイツはいる。

「くっ…んっ…くっ…」

幾らもがいても、足掻いてもピクリともしない身体を抱えたままアタシは必死になって恐怖と戦っていた。もう、とても相手の目を見る勇気がない。

「アンタもさあ、当然のことだと思うよね?考えるまでもないじゃん?他人はいつ裏切るか分からないけれど自分だけは絶対に裏切らない!そうでしょ?そう思ってたはずよ!他人をアテにすると碌なことにならない…ねえ…そうでしょ?それは誰よりも…他の誰よりも…このアタシが一番分かっていたはずなのよ…はずなのに…」

あれほどウザいと思っていたのに、今は呼吸と呼吸の間に訪れる僅かな沈黙ですら恐ろしかった。

「そうよ……分かっていたのに……こうなることは……必然だって……分かっていたのに……」

ゾッとするような鋭い目つきをアタシに向ける。そして次の瞬間、左の脇腹に深々と相手の右拳が突き刺さっていた。一切の躊躇いがそこには感じられなかった。

「ぐはっ!!」

一瞬で呼吸が止まる。

「ゴホッ!!ゴホッ!!」

コイツ…本気(まじ)できてる…Kaputt(独/イカれてる)してるわ…

今度は両肩を掴まれたかと思うとドスっという鈍い音と共に下腹部辺りに痛みが走る。

「うぐっ!!」

今度は相手の膝がめり込んでいた。崩れ落ちるようにアタシは膝を突く。どうやら無意識の身体の動きは出来るらしい。

もっとも…そんなことが分かったところで…

この状況を覆せるとは到底思えなかった。髪を掴まれて無理やり顔を上げさせられる。

これじゃ呈のいいオモチャだわ…

ブツブツと独り言を言いながら手当たり次第に殴りつけてくる相手の言動を租借する余裕などあるわけがなかった。しかし、ただ一つだけ確実に言えることがあった。コイツはずっと後悔し続けている。他人の存在を一切拒絶する強烈な防護壁を自分の心の中に作って閉じ篭っている。

けっきょく、コイツは口ではもっともらしいことを言っていたけど…

救われたかったんだ。アタシの精神に干渉してきたのも、ここにアタシを引き込んで来たのも全て自分の心の平衡を保つために過ぎない。

強烈な自己肯定…それがコイツの全て。コイツのIdentitätなんだ!!

「あ?さっきから何勝手なことほざいてんのよ!!ざけんじゃねーよ!!Scheiße!!(クソが!!)」

「あぐうッ!!」

激痛が胸と頭皮を襲う。髪を掴まれたまま鳩尾辺りを思いっきり蹴りつけられたアタシは砂の上に仰向けに倒れた。口の中に次々と鉄の味がするぬめりとした液体が溢れ出してくる。上手く吐き出すことも出来ず、僅かに溜飲できたそれが今度はカラカラの喉に纏わりつく。左目に入った血が視界を奪っていた。

か、かなり好き勝手やってくれたわね…痛っ…あばらが…洒落になってないわ…

呼吸するたびに脇腹にずんと響くような痛みが走った。塞がっていない目で相手の方をゆっくりと見ると、アタシを仁王立ちのまま見下ろしている姿があった。

「まだまだ余裕みたいね…アンタって意外とタフなのね…」

アタシの視線に気がつくと再び冷たい笑みを口元に浮かべ、指の間に残っていた頭髪の束を虚空に投げ捨てた。また一歩ずつ近付いてくる。

マジで殺(や)る気…!?じょ、冗談…でしょ…

「ふふふ…安心していいわよ?別に殺したりなんかしないわ…アンタと“同調”出来ればアタシはそれで満足なんだけどさあ。アンタってどうして自分を認めようとしないの?折角、一度は自分を取り戻そうとしたのに…ホント、わかわかんなーい」

えっ…?ど、同調ってどういう…!!!

「ぐはっ!」

仰向けになっているアタシの両肘辺りまでやってくると、今度はいきなり腹の上にしゃがみ込んできた。肺全体に激痛が走る。

「ねえ?いい加減に意地張るのやめたら?アンタがそんなんだったら…いつまで経っても終らせられないじゃない?アタシはね…」

「ひっ!」

つ、冷たい…!?

アタシにゆっくりと身体を重ねてくる相手から生きた人間の体温がまったく感じられなかった。まるで氷で作られた彫像を抱いているみたいだった。

「アタシは、ね…早く…一つになりたいの…心も…そして、身体もね…」

まるで戦場でも駆け抜けてきたのかと見紛うほどのダメージを受けているMPS(※戦闘仕様のプラグスーツの略。Ep06#01参照)がいくら簡易生命維持装置としても機能していなかったとしても、人肌の温度を感じさせないというのは異常だった。両の頬に手が当てられ、相手の顔がどんどんアタシに近付いてくる。右腕の全体と左目に巻かれた包帯が痛々しい。

「くっ…うっ…やっ…」

自分の上にいる相手を拒むことも押しのけることも出来ない。全身が鳥肌立っているのは決して相手の体温が低いからだけではない。額と額が合わさり、相手の吐息を感じる。身じろぎ一つで触れ合ってしまうほど近くにある相手の唇が突然開かれる。

「…アンタって救えないわ…この期に及んでまだアイツのことなんか…」

何故か、自分に押し付けられている相手の眉間に皺が寄るのが分かった。

「ホント壊し甲斐があるわね…アンタって…いいわ!アタシがアンタの最後の希望をぶち壊してあげる!」

不意にもう一人のアタシは顔を離すと狂気じみた笑みを湛えながらアタシの目を睨みつけてきた。

「アンタ…あのバカから“一緒に逃げよう”とか何とか…適当なことを言われて舞い上がってるみたいだけど…アイツは来ないわよ?」

え?こ、来ない…!?

自分が一瞬なにを言われたのか、分からなかった。お互いに確認し合うまでもなく、コイツがやたらと多用する“アイツ”とか“あのバカ”とかいう表現は紛れもなく“シンジ”のことを言っている。

「そう…来ない…考えてみれば…凄い図太い神経してるわよねえ!ねえ?そう思わない?」

左の鎖骨にドスンという鈍い衝撃を感じ、段々とそれは熱くなっていく。

「え…?」

ポタ…ポタ…

相手の上体が離れると同時に自分の顔に何かの滴り始める。右手には赤く染まった小型のダガーナイフが握られていた。

「いい加減に求めなさいよ…このアタシを…記憶が…記憶が欲しいんだろ!?とっとと持っていけよ!!このアタシを!!」

く、狂ってる!!こ、こんなことって!!

アタシの理性はもう完全に恐怖によって押し潰されていた。恐慌。それもこの上なく絶望的な状況での恐慌だった。血走った目で睨まれた瞬間、断頭台のように右手が振り下ろされる。

「きゃああ!!」

「だってさ!おかしいじゃない?おかしいわよね?普段はさあ!ボク怖い!!とか何とか!!逃げちゃダメだとか何とか!!散っっっっ々!!弱々しく振舞っておいてさあ!!思わせ振りな態度を取ってる構ってちゃんなのよ!?あの天才様は!!それを…それを…てめぇはまだ信じるってのか!!ああ!!」

まるで機械仕掛けの人形のようにゆっくりと、でも確実に鋭利な冷たい刃が身体に突きたてられる。スローモーションのような緩慢な動作が更に恐怖を倍加させる。

「それが咽返るほどの血の臭いとその湿り気で充満している本部に篭ったままで平然としてられるんだから!え?怖がりだったんじゃなかったの?って思うじゃない?ねえ?思わない?思うわよねえ!!」

「ふ、ふぐっ…!」

「自分がさあ……最期の最期にやっぱり一人だったんだって思い知らされることになるのってさ……結構、ヘコむわよ?いつまでも頭お花畑でヘラヘラしてるつもり?いい加減にするのはテメエの方だよ…Scheisse (このクソ女が)…」

「あ…あ…」

耳元に寄せられた相手の口が僅かに動いていた。大量の生暖かい液体がだらだらとプラグスーツと体の間を流れていく。

「アタシも最初からそうすべきだったのよ…アタシだって…アタシだって…いくらでも挽回のチャンスはあった筈なのに…あの時だって…S2搭載型だって分かっていれば…使徒みたくコアを狙い撃ちしてた…アタシが…このアタシが…やられるわけないじゃない?」

赤い雫の一つ一つが白い砂浜の上にこぼれ落ち、アタシの周囲に真っ赤な小さい粒子を幾つも作っていく。

「あらあら綺麗なお顔が真っ青じゃない…かわいそうに…痛いでしょ?でも…安心して…すぐに楽になるわ…さあ、アタシを受け入れなさい…アンタが求めていた記憶がここにあるわ…」

半開きの口の中で舌が僅かに痙攣する。もはや一言も発することが出来ない。もうコイツに身体を重ねられても冷たいとは感じなかった。

「大丈夫よ…何の問題もないんだから…」

その時だった。

……リュー……ド…………ュ…………リ………

え?

「ちっ!!おい!!早く!!早く!!アンタ記憶が欲しかったんでしょ!!ほら!!何やってんのよ!!」

ド…………ュ…………

身体がどんどんと軽くなっていく中でアタシに呼びかける二つの声があった。

誰…誰なの…

「早くしてよ!!今このチャンスを逃すと!!ああ……ウソでしょ……いやよ!!こんな場所!!一人はもう嫌よ!!もうたくさんなのよ!!みんなから忘れ去られて無かった事にされるのが溜まらなく辛いのよ!!!!」

ドリュぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう!!!!!

段々と薄まっていく意識の中で呼ばれたそれは“あの時”の唯一の“アタシ”だったものだ。

「ドリュー!!聞こえないのか!!操縦桿を引けえ!!」

え?操……縦……桿……?

「ダメよ!!止めなさい!!アンタ!!廃人になりたいの!?そっちにいっちゃだめ!!だめなんだから!!」

無意識の内に虚空を掴むかのように伸ばした右腕にもう一人のアタシがいきなり抱きつく。

「止めて!!お願いだから!!助けて!!お願い!!アタシを見捨てないで!!ああ……いやよ……」

「ドリュー!!早くしろ!!時間がない!!Eva-02起動と共に右方向へ!!槍の穂先を避けろ!!ドリュー!!応答しろ!!」

「やめて!!あんなのの言うことに耳なんか貸さないで!!」

アタシは朦朧とアタシともう一人のアタシの頭上に輝いている月を掴む。

いやあああ!!!一人は!!!いやああああああ!!!

「コードRT09-6!!Shit!!ドリュー!!今、遠隔リモートでRed Valkiryの再起動を試みている!!お願いだよ!!もう一度…もう一度…もう一度お!!“Neun(独:9の意)”があ!!ノインが会いに来たんだよ!!返事をしてよ!!どりゅうううう!!」

「ノ……イ……ノイ……ン……?」

やめ……て……

「ドリュー!!」

アタシは右腕に力を込めた。

「サスペンドモード解除!!Eva-02起動!!シーケンス76まで飛んで104へ!!EOS8.93(Eva Operation System ver.893)のサポートホストをMercuryに指定!!いっけえええええ!!」

緩慢な動作でアタシはゆっくりと砂浜から上体を起こす、いや抱え起こされていた。

え……だ、誰……?

振り返ろうとしたアタシの背中を誰かが強く押す。とても温かい手が。右に体を捩った瞬間、激しい衝撃と突風が巻き起こる。眩い白い光が辺りを包み、異様な世界は一つまた一つとアタシの前から消えていく。
左右に目を走らせていたアタシは最後に自分の背後を見た。崩れ落ちていく世界の中で泣きじゃくる少女をあやしている少年の影があった。

来ないんじゃない…それはきっと来るのよ…例えそれがあなたにとって遅すぎたとしても…
 

 

「たとえ遅くなっても待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない」

旧約聖書 ハバクク書第2章より
 

Ep#09_19 完 / つづく


 (改定履歴)
2012.09.07 / 誤字・表現の修正
 

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