新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第二拾部 drei und neun / 3 と 9
(あらすじ)
第15使徒による精神干渉の悪夢から辛くも抜け出したアスカだったが、舞い戻ってきた現実の世界でも情勢は同じくらい悪夢的な展開を迎えつつあった。
アスカの危機を救ったEva伍号機、EUコード:MERCURY、の白く輝く流線型のフォルムから飛び出してきた謎の少女「ノイン」との思いがけない再会は一体何を暗示するのだろうか。
何気にEp#09からのテーマソング(勝手に認定)
↓
(あらすじ)
第15使徒による精神干渉の悪夢から辛くも抜け出したアスカだったが、舞い戻ってきた現実の世界でも情勢は同じくらい悪夢的な展開を迎えつつあった。
アスカの危機を救ったEva伍号機、EUコード:MERCURY、の白く輝く流線型のフォルムから飛び出してきた謎の少女「ノイン」との思いがけない再会は一体何を暗示するのだろうか。
何気にEp#09からのテーマソング(勝手に認定)
↓
“槍”を前面に押し出した伍号機は夥しい量の気泡に包まれながら猛烈な勢いで頭上の使徒を追う。深度計の数字はグングン下がっていく。それに呼応するかのように機体の振動は激しくなる一方だった。
伍号機の右足首から先をマリが自ら切除したことにより機体の流体設計が微妙に狂ったことが原因だったが、そんなことに構っている余裕など今のマリにはあろうはずもない。
エヴァのオペレーションシステム(EOS)が突然アラート音を発する。
「目標捕捉!接触まで…」
あと三十秒そこそこ…
「ドリュー!!!!!」
マリの雄叫びはL.C.L.で満たされているエントリープラグの中で独特の反響をする。水中でも最大速度360km/h(巡航速度180~240km/h)を発揮する大型キャビテーションジェットの出力を制御するアクセルペダルをマリは床が抜けるくらいの勢いでベタ踏みしていたが、ただでさえ高速で不安定になる機体の操舵を手負いの状態で御するのは至難の業、いや、既に常人が制御しうる水準をはるかに超越していた。
「ぬるりと来たぜ…目標を肉眼で捕捉!」
淡い燐光を放つ200メートルを超える使徒の巨体が間近に迫る。今度はEOSの数あるアプリケーションの一つでパイロットを常時サポートしている戦術ガイドシステムが攻撃目標とのズレが許容範囲を超えたことを訴えてきた。もう本体との接触まで10秒を切っていた。
「ちぃっ!!こんな時に!!うっせー!!バーロー!!」
指先に伝わる振動を頼りに操縦桿を小刻みに動かすマリの手は老練な職人のそれを想像させたが、辛うじて蛇行を最小限に留めるだけで精一杯だった。全長200メートル強の使徒の大きさに対して、若干の個体差はあるものの概ね直径2メートル前後のコアを文字通り一撃で撃ち抜くにはあまりにも不安定だった。
「Bloody Shit!!(特に英:くそったれが!!) 機体修正とか簡単に言うんじゃねーよ!!もう奴の絶対防衛圏だっちゅーの!!」
ずずーん!!
機体全体にガクンという鈍い衝撃が伝わる。使徒のATフィールドだった。
「ATフィールドにぶち当った!!」
まるで水を張ったビニール袋に突き当るような抵抗は明らかに伍号機自身から伝わってくるものとは異質だった。破れそうで破れない。コンクリート壁のような無機質な硬さを想像していただけに柔らかい感覚が余計に不気味だった。そして次の瞬間、強烈な閃光が薄暗かったエントリープラグ内を真昼のように照らしたかと思うと耳を劈(つんざ)く轟音と共に爆発が起こる。
「ぐああああ!!あっちいい!!いってええ!!で、でも…手ごたえ十分だぁ!!」
使徒のATフィールドと接触した槍の穂先で生まれた中和エネルギーが水中で高密度に圧縮された空孔(泡)を生み、その発生と消滅が爆発的に連鎖することで引き起こされたものだった。マリの全身を激痛が駆け抜ける。エヴァの特殊装甲を損傷させるほどではないにしろ、その衝撃をゼロ距離から浴びればさすがにパイロットへの影響は大きかった。
上下左右どころか全方位に激しく振動するエントリープラグの中でマリはか細い身体を縮み込ませながらひたすら痛みに耐えていた。
一方…
その頃、伍号機と使徒との激戦のせいで風一つない天気にも関わらずどす黒い湖面はまるで大時化のような有様だった。
「一体…何が起こってるのよ…」
海と見紛うほど巨大な湖が荒れ狂う姿を遠巻きに眺めていたミサトは思わず呟く。波と波が激しくぶつかり合い、更に大きな波を作って大挙して湖畔に押し寄せてきたため、危険を察知したミサトは現地に残っているネルフ作戦部全員にクレーンの投棄と避難を命じ、数キロ後退したこの場所まで退いていたのだ。
とにかく…無事でいて…アスカ…あたしたちにはもう…
「あんたしかいないのよ…」
指揮車に搭載されている機材だけでは詳細なデータ解析はおろか弐号機の安否すら把握できなかった。ネルフの警戒衛星との交信は辛うじて可能だったが使徒由来と思われる強大なATフィールドの存在とエヴァらしき小さな反応が使徒の周りを動き回っている程度のことしか分からなかった。その小さな反応はマリの駆る伍号機なのだが、神ならぬミサトが知る由もない。
生きているのか、死んでいるのか、そんな単純なことすら分からないのだ。
他方で本部と完全に切り離されて孤立化しているミサト達がこの場に留まる理由はほとんどなかったが、誰も本部への撤退を言い出す者はいなかった。情熱家が揃う作戦部の部員たちの多くは“戦友”であるアスカと運命を共にすることも辞さない覚悟だったからだ。しかし、見た目の印象とは大きく異なってロマンとはまったく無縁の世界に住んでいる女指揮官の感慨はまったく別なところにあった。それはミサトの涙が既に乾いていることからも伺える。
ゲンドウがサルベージ機材と技術容員の収容を優先したこともあったが、見方を変えれば本部のサルベージ作戦に公然と反旗を翻したミサト以下の作戦部員たちはここに見捨てられた、とも言えなくはなかった。いや、仮にゲンドウの指示がなかったとしてもミサトの性格上、非戦闘員であるリツ子たちの撤退をやはり同じ様に優先させたに違いない。
作戦部に一切の連絡もなく、抜き打ち的に行われたことは確かに不快には違いなかったが、それ以上にゲンドウの底意(そこい)をミサトは勘繰らずにはいられない。孤立化を招いたのは自分たち自身でもある。いや、本当はゲンドウにミサトを切り捨てる考えは“まだ”なかったのかもしれない。
しかし、そんなことはミサトにとってもはやどうでもいいことだった。
これを…コイツを第15使徒とすれば…リツコの話だと残るはあと2体ということになる…意外に早く訪れたのかもね…その時が…
「ふふふ…」
湖畔から数キロ離れた小高い場所から湖を見つめていたミサトは目を閉じると思い出し笑いのように小さく笑い始めた。双眼鏡片手に探索の目を向けていた若い作戦部員は自分の隣でいきなり笑い始めたミサトにぎょっとすると驚いたような表情を向ける。ミサトは部員の視線に気が付いても尚、静かに笑っていた。
碇ゲンドウ…それがあんたの拘る“救いの道”というならそれでもいいだろう…所詮、あたし達は同志ではない…ただ利害が一致していただけのこと…てめえも男ならさぞかし本望だろうよ…己の野望に殉じるならな!
ミサトは内省から覚めると活目して鋭い眼光を正面に向けた。
外敵に備えるための波号プラン(Ep#08_16)は本部防衛機能の拡充が本旨だが…逆を言えばジオフロント各所に設けられた固定砲塔は既に本部を包囲しているとも言えるんだぞ…国連軍の特殊部隊と共に乗り込んでこれをあたしが押えたとしたら…いや、ジオフロント内に部隊を侵出させた時点であたしの勝ちだ…手元に残った初号機で虱潰しに散兵を掃討出来るとでも思っているのか…
「見せてもらおうじゃないの…悪魔の真の姿を、ね…」
ゲンドウをして哀しき復讐者と言わしめた葛城ミサトが決意を固めた瞬間だった。横なぶりの雨を浴びながらミサトはゆっくりと懐からペンダントを取り出す。
加持…あんたのことだからどうせ地獄行きだろうから…地底で見ていてくれ…あたしの”最後の戦い”を…
クロスのペンダントを握る手に力を込めた途端、不気味な地響きが足元から伝わってくる。
「な、なんだ!!ちょ、ちょっと!!何これ!?何が始まったのよ!!」
「部長!!あれを!!す、水面が…水面が!!」
血相を変えた部員の一人が湖の方を指差していた。ミサトが足元から視線を正面に向けるとそこにはまったく信じられない光景が横たわっていた。水中から強烈な光の束が幾筋も立ち上ったかと思うと今度は湖面が大きく盛り上がり始めたのだ。
星一つない漆黒の闇を白い光が真一文字に切り裂き、それは見る見る間に高さ数キロに達していた。そして天を焦がすように左右に広がると巨大な十字架が現れた。そして…
ズズーン!!
「う、うわ!!」
遅れて大気を震わせる轟音が鳴り響き、それがまるで合図だったかのように水混じりの突風が吹き荒れ始めた。まるで大型台風のど真ん中に飛び込んだようだった。風雨の音に紛れて僅かに地を這うような鈍い音が入り混じっていた。
な、なんなんだ…この嫌な感じは…ま、まさか…
しかし、次の瞬間、勘の鋭さにかけては天下無双と言ってもいいミサトはほとんど反射的に叫んでいた。
「全員退避しろ!!津波に飲み込まれるぞ!!急げ!!急いで車に戻るぞ!!」
「え!?つ、つなみ!?まさかそんな…」
いきなり走り出すミサトの背中を目で追っていた部員が視線を湖の方に戻すとたちまちのうちに顔面蒼白になる。悪くなる一方の視界だったが、巨大な光の柱の根元で唸り声を上げる水の長城が照らし出されていたからだ。
「うそだろ…おい…うわああああ!!」
「やっぱきやがったか…」
ミサトはすぐ近くに停車していた指揮車の助手席に飛び乗る。運転席に待機していた部員は突然の来訪者に驚く。
「う、うわ!!部長!!一体何があったんですか!!」
ミサトがよく知る作戦部旗揚げ当初からの古参組の一人だった。
「話は後だ!!全員乗ったか?すぐに出せ!!」
怪訝な表情を浮かべる運転手だったがエンジンをかけながら、窓を開けて背後を見た瞬間、ミサトの焦燥のすべてを悟った。
「お、大きい…こんな場所から見てあの高さだったら…」
思わず発した呟きにミサトは大きく頷いていた。
「そうね…軽く50メートルはありそうね…どっちにしても津波のギネス記録は確実だよ…急げ!!逃げるぞ!!全速力だ!!」
「了解!!」
まるで津波に追い立てられるようにミサト達は真反対に車両を走らせ始めた。
その頃、光の十字架の下では伍号機と使徒による息を付かせぬギリギリの戦闘が続いていた。
「艦内(イラストリアス)で聞く音がウザイ…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました…」
プラグ内は金属の軋み合う音で充満しており、今にも空中分解しそうな勢いだった。超弩級特殊潜航艇イラストリアスの艦内で子守唄代りに聞いていた音をアダージョの優雅なアンサンブルとすれば、さながら今の状況は狂気が乱舞するデスメタルバンドの生ライブといったところだろうか。おまけに負けず劣らずけたたましいアラート音がEOSから発せられるためマリはげんなりしていた。
「お次はなんだってんだよ…」
戦術ガイドシステムはご丁寧にも伍号機の体勢を建て直した後で再アプローチすることを推奨していた。あまりに度が過ぎた正論にマリはさすがに切れる。
「もうお前死ねよ!!燃料がねえんだよ!!これがラストチャンスだっつーの!!(的を)外さない方法を考えろやカス!!何年あたしの相棒やってんだよ!!」
エントリープラグの壁をマリが荒々しく殴りつけるとガイドシステムはたちまち発したアラートを引っ込めて直ぐに再計算をし始めた。壁ドンで場の空気を読んだわけではなく、あくまでパイロットの要求を神経接続を介して読んだにすぎなかったが、あたかもEOS (伍号機以降の機体は全てver.9.01。因みに零号機から米国で爆散した四号機まではネルフ本部開発のver.8.93を採用)が自立した意思を持っているかのように見えた。そして再計算の結果が再び大きく映し出される。
「ん?な、なんだ…K…A…M…I…K…神風!?はっはっは!ですよねー!よっしゃそれだ!しっかりガイド頼んだぜ!」
高シンクロ状態を維持し続けていたマリだったがそれでも電源消費が皆無ではない以上、無尽蔵に戦えるわけではない。活動限界を示すカウントダウンは非常に緩慢ではあったが既に始まっていた。
「人間界の時間にして…あと1分か…厨二的に考えて…つか、全然一撃必殺じゃないんですけど…この槍…」
右巻きのロンギヌスの槍を振るった経験をマリは先の沖縄沖海戦で既に持っていた。しかし、左巻きのこの槍が果たして逆説的に使徒のATフィールドに効くか、といえば“試す”というマリ自身の言葉が示す通りまったくのギャンブルだった。まったく歯が立ってないというわけではない。神経接続から伝わる感触からは少なくとも槍の先端が食い込んでいることは間違いなかった。
「なんなんすかねぇ…これ…何が違うの?気合?」
その時、マリに電流が走る。
「そうか!!気合か!!気合が足らんのか!!ぶるああああ!!!!ドリュぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう!!!!」
誰…誰なの…
「は!?い、今の声…もしかして…ドリュュュュュュュュュュュュュュュュュュウ!!!!」
マリは何度も何度もアクセルペダルを踏み込む。そのたびに激しい振動が伍号機を襲う。二又の穂先がゆっくりと、だが、確実に使徒のATフィールドにさらに侵食していく。危険を察知したのか、使徒はほぼ水平に保っていた足を一斉に上下にバタつかせ始める。まるで槍から逃れようとするかのようだった。この使徒による自衛行動は大きなうねりを生み、たちまちエリア1238の水面は大時化のように荒れに荒れた。
その時だった。
控えめな断続音が周囲の騒音を掻い潜って額に青筋を幾つも作っているマリの耳に届く。EOSが弐号機の識別信号を探知していた。
「キタ―――――!!うおおおおおお!!!どりゅうううう!!どりゅううううう!!」
激しく操縦桿を前後に動かしながらマリは何度もその名前を叫び続けた。目頭が熱くなり視界が曇る。目を拭おうとして目に当てた手は近眼ゴーグルに無機質に跳ね返された。
「グズッ……はっ!そ、そうだ…」
EOSが識別コードを捕まえたなら遠隔操作も可能かもしれない!!
マリは思考でエントリープラグのモニターの片隅にタッチパネル端末を呼び出すと猛烈な勢いで弐号機のEOSとの接続を試み始めた。遠隔操作のセッティングとシステム互換のパッチプログラムを進めながら、伍号機の操作をするという超人的な離れ業だった。その間にも槍はじりじりとさらに奥の向かって進んでいく。ATフィールドの突破は時間の問題だった。
「ドリュー!!聞こえてる?まだ、ATフィールドの影響で聞こえないのか!!聞こえていたら弐号機を起動させて!!なんでもいい!!サスペンドモードを解除して!!操縦桿とかを引けえ!!」
え?操……縦……桿……?
間違いない!!あたしの声を認識してる!!ドリューが…ドリューがあたしの呼びかけに応えてる!!
興奮と感動が入り混じる。マリは全身に鳥肌を立てていた。声はさっきよりも格段に鮮明だった。もう使徒のATフィールドが何らか作用を及ぼして弐号機と伍号機の間の交信を阻んでいることは疑う余地がない。同時にアスカが弐号機内で生きていることも確実だった。ただ、意識がハッキリしているのか、朦朧とした状態でうわ言のように呼びかけに応じているのかまでは分からなかった。しかし、考えている余地はもう幾許も残されていなかった。槍はあと僅かでATフィールドを突き破るところまできている。
「Red Valkiryの位置をキャッチした!!って…おい…いやああ!!お約束はなしっすよおおおお!!!!」
弐号機の位置を捕捉した伍号機のEOSは最悪の結果をマリに突きつけていた。弐号機は使徒のコアの真上に横たわっていたのだ。起死回生の一打である神風攻撃をしようにも弐号機を盾にされては意味がない。“独逸帰還命令”はマリにとって重要なミッションの一つだった。
まさか…使徒にそんな小賢しい知恵が回るっていうのか…それとも…何かもっと別の何かをこの化け物は企んでやがるのか…
マリは思わず固唾を飲み込む。まさに万事休す、だ。
ギリギリでもいい…弐号機が(槍の)穂先を避けてくれさえすれば…
「ドリュー!!早くしろ!!時間がない!!Eva-02起動と共に右方向へ!!槍の穂先を避けろ!!ドリュー!!応答しろ!!」
あいかわらず強烈な閃光で正面はまったく何も見えない。こんな状態で弐号機を避けつつ、都合よく使徒のコアだけを貫けるとは到底思えなかった。いや、既にコアに当てること事態が伸るか反るか、運否天賦の大博打なのだ。
ち…まったく手強い使徒だ…パターンの周期的変化は伊達じゃない…たぶん…突破に手間取っているのもコイツが侵食型っていうか、ATフィールドの性質もコロコロ変えているからだろう…もう色んな意味で時間がない…
マリは遠隔リモート操作で弐号機のEOSの呼び出しを始める。祈るような気持ちだった。しかし、その祈りも虚しく心当たりのあるコードを叩いても弐号機は一向に起動する様子を見せなかった。
「これか!こっちか!こっちの方がいいかな!コードRT09-6!!Shit!!」
本部の奴ら…EOSのコードを設計書から微妙に変えてやがる!!ただのバカじゃなかった!!
「ドリュー!!今、遠隔リモートでRed Valkiryの再起動を試みている!!お願いだよ!!」
お願いだよ……ドリュー……あたしは……
マリの最後の一手もついに弐号機にリジェクト(拒絶)されて万策が尽きる。もうアスカの覚醒にかけるしかない。
「グス……もう一度…もう一度…もう一度お!!この“Neun(独:9の意)”があ!!」
ガクンという僅かな衝撃を手元に感じる。ATフィールドを槍が突き破った瞬間だった。強烈な加速がマリの全身を後ろに押す。
「ノインが…ノインが!!」
深度計の数字が下がる。活動限界の数字が下がる。
「会いに来たんだよ!!返事をしてよ!!どりゅうううう!!」
「ノ……イ……ノイ……ン……?」
「ドリュー!!」
弐号機の再起動を報せるアラートが鳴る。
「サスペンドモード解除!!Eva-02起動!!シーケンス76まで飛んで104へ!!EOS8.93(Eva Operation System ver.893)のサポートホストをMercuryに指定!!いっけえええええ!!」
使徒本体との接触まで3秒を切っている。
使徒の上に仰向けに横たわっていた弐号機の左肩が僅かに上がった。そして弐号機が右に上体をよじった瞬間、激しい衝撃が辺りを襲い、真っ白に輝く使徒を突き破るように真っ赤な二又の槍が下からいきなり現れる。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。アスカは断続的に続く振動に揺り動かされてハッと意識を取り戻した。重い頭をゆっくりと左右に振る。そこはまったく見慣れたエントリープラグの中だった。
「あ、あれ…?あ、アタシ…」
そ、そうだ!!アタシ!!
慌てて操縦席から起き上がるとすぐに自分の身体を調べる。ナイフで刺されたような傷はどこにも付いていなかった。
「ゆ、夢!?あ、あれが!?うそ…じゃ、じゃあここは…ここはどこ?」
アスカが周囲を見回すと淡く白い光の間から遥か彼方にどこかの街の夜景が見え隠れしていることに気が付く。まるで飛行機の窓から見る光景そのものだった。
「は、はあああ!!ど、どういうことよ!!アタシは深度2000メートルの場所にいたのよ!!」
「ええっと…いま…深度-5000メートル…かな?」
突然、エヴァの双方向通信を通して自分と同じ年頃の少女の声が聞こえてくる。
「え?深度マイナス5000って…水面線より上ってこと???言ってる意味がわかんないんだけど…」
「え、英語とかで…しゃべった方が…そ、その…ドリューはいいのかな…ははは…今、深度-4500になってるけど…」
いや…その理屈はおかしいでしょ…
「Which means? (てことは?)」
ため息交じりにアスカは会話を英語に切り替える。
「Well…We are flying…But…right now falling down…Unfortunately…(えっと…空を飛んでるんだよね…でも落っこちてもいるけど…残念ながら…)」
どこかで聞き覚えのあるようなその声は流暢な英語を返してきた。
「Anyway! Welcome back to real world, Asuka! (ま、とにかく!おかえり!アスカ!)」
「サンキューとかいうと思った?アンタ…バカでしょ…」
「テヘ☆ペロ」
EOSが気を利かせてG兵装戦術モードに自動的に切り替えていたため、二人のエヴァは今までとはまったく違うアラート音を発し始める。
「What the fuck this alart…Never heard it… (つか、なんだよこのアラーム…全然聞いた事ないんだけど…)」
音声しか回復していないためお互いに声しか聞くことが出来なかったが、何故か声色でマリが眉間に深い皺を作っている姿が容易に想像出来た。
その音を聞いたアスカは深々とため息を付く。以前に主翼破断事故で墜落の憂き目に遭ったことがあるその道の大先輩は、それが何のアラームなのか、痛いほどよく分かっていた。さっきからずっとジェットコースターの下りの様な独特のGを下腹部に感じていたから尚更だ。
「It’s GPWS…(それGPWSよ…)」
「GP…What?」
「だ・か・ら・G・P・W・S (Ground Proximity Warning System)、日本語で対地接近警報装置!!分かった?」
「なるほど!理解した!あ、そういやもう地上ですもんね!乗るしかない!このビッグウェーブに!」
「あんたバカァ!?」
ずがああああああああああああああん!!
「っっつぅ…いったあぃ…」
二人はそろってエリア1238、の畔に墜落していた。
弐号機の隣には伍号機の白い流線型の機体が赤紫色の液体にプカプカと浮いている姿が見える。どうやら使徒の死体で出来上がった天然のプールの中を漂っているらしい。
「…ハッキリ言って…使徒に命を救われるとは思わなかったわ…さすがに…」
「いやあ、それほどでもないっすよ!はっはっは!」
まるで屈託がないマリの声がプラグ内に響く。
「わりと本気で殴るわよ?しかもグーで」
「な、なんですとー!?」
アスカは軽い頭痛に見舞われる。コアを槍で貫いた伍号機が使徒もろとも勢い余って深度-5000、つまり世間一般的には高度5000メートルと表現する高さまで押し上げ、そしてまもなく二人は自由落下を仲良く体験していた。人間に例えれば身長160センチのアスカが自分の身長の100倍以上高い場所からダイブしたことになる。
「普通なら死んでるんだけどねぇ…アタシ達…」
双方向通信システムが回復すると深い緑色のプラグスーツに身を包む成長したマリの姿が映し出される。それと同時に、じろっと意地悪そうな視線をアスカがわざと向けるとマリは急に目を泳がせ始めた。さすがに自分でもよく分かっているらしい。再びアスカは、はあっとため息を付いた。マリは口を尖らせると口笛を吹くようなフリをする。
この子…まるであっけらかんとしてるけど…これだけのことを…しかも一人でやってしまうなんて…
「相変わらず…色々な意味で型破りなのね…ノイン…でも…」
もう一度ため息を付くとアスカはふっと小さく笑みを口元に浮かべる。
「でも、まあ…細かいことはもういいわ…アンタのおかげで助かったのは事実なんだしさ…ありがと…ノイン…」
「え?ゆ、許して…くれる…の…?」
マリは驚いたようにしげしげとアスカの方を向く。円らなダークブラウンの瞳を大きく見開いていた。
「許すもなにも…しょうがないじゃない…でも意外だったわ…アンタもエヴァのパイロットになってたなんて…」
もうアスカの目には険しさがなくなっていた。しかし、手放しで旧友を懐かしむというほどに和んでいるわけでもなかった。
そう…アタシは…あの時…ゲッティンゲンから出た…それが得体の知れない連中を裏切ることだと分かっていた…分かっていながらアタシは…“Captain(ミサト)”に付いて行った…攫われたわけではなく…
自分の意思で!!
アスカはモニターの中のマリから視線を逸らすと思わず目に力を込めた。
この子がアタシの目の前に現れたってことは…しかも…エヴァに乗ってるってことは…やっぱり…アタシを…殺…
「ド…ド…ド…」
「?」
しゃくり上げるような声が聞こえてくる。アスカが驚いて顔を上げた途端、それはいきなり始まった。
「ドリュうえええん!うわああああん!うわああああ!」
「ちょ、ちょ、アンタ…え、ええ!!」
泣いた!?
マリは号泣していた。人目も憚らないほど大きな泣き声で。アスカは一瞬、鼻白む。まったく予想もしていなかった展開だった。感動の再会、まずはそう言ってもよさそうな雰囲気だった。マリの声はどんどん大きくなっていく。
「うわああん!うわあああん!会いたかった…会いたかったようううう!うわああ!」
「セ…セミの方がマシに感じるなんて…ちょっとアンタ!うるさいわよ!泣くなとは言わないけど…その…加減して泣きなさいよ!ったく!」
「だってえ!だってええ!会いたかったんだよおおお!うわあああ!」
「分かったから!分かったから!ホントにもう!」
なんなのよ…これ…ホントに…なんなのよ…
額に近眼ゴーグルをかけて両目を押えているマリの顔ははっきりとは見えない。見えなかったが、昔の面影が随所に残っていることは何故かよく分かった。
思えば…この子は…ノインは…どんなことがあっても…何が起こっても…ノインはいつも笑っていた…そう…
アスカの脳裏にはあの恐ろしいズィーベンステルネの看守に手を引かれて行く小さな少女の笑顔が蘇っていた。身体から力が抜けていく。アスカの緊張は徐々に解けていった。
何かを笑って誤魔化すように…何かを忘れようとするかのように…この子は…笑った…まるで笑う以外の感情がないみたいに…笑うことしか知らないみたいに…ノインは…笑った…無邪気に…そう…それが…逆に…
怖かったのよ…
アスカはゆっくりと上体を起こすとエントリプラグのエジェクトシーケンスを走らせる。
「外…出よっか…」
アスカの言葉に画面のマリはコクンと小さく頷いていた。
図らずもクッションの役割を果たして二人の少女の危機を救った使徒の残骸は徐々に流れ出し、エントリープラグから外に出る頃には地表があちこちに見えるまでになっていた。紫色の水を湛えた不規則な湿地帯は出来の悪い水田を思わせた。
雲に隠れていた下弦の三日月が僅かに照らす足元をおぼつかない足取りで歩く二人の少女は静かに見つめあい、そしてどちらからとなくおずおずと相手の身体を抱擁するのだった。
アタシ達は再会した…再会してしまった…
何故だろう…アタシは素直に喜べなかった…
同じ境遇に置かれた「仲間」の筈なのに……
それは…たぶん…そう…ノインから同じ匂いがしたからだ…
自分と同じ匂い…
血(L.C.L.)の匂い…
自分ではどうしようもないところで回り始める運命の輪…
運命に従うと決めたアタシが悪夢の中で無意識に選んでしまった自分の記憶…
その途端にアタシの前に現れたノイン…
始まる……
何故か…唐突にアタシはそう思った…
そう…確かに何かが始まってしまったんだ…
少なくとも…アタシと…アタシに優しくしてくれるあの子にとって…
よくない何かが…
Ep#09_(20) 完 / つづく
(改定履歴)
15.09.2012 / 誤字修正
伍号機の右足首から先をマリが自ら切除したことにより機体の流体設計が微妙に狂ったことが原因だったが、そんなことに構っている余裕など今のマリにはあろうはずもない。
エヴァのオペレーションシステム(EOS)が突然アラート音を発する。
「目標捕捉!接触まで…」
あと三十秒そこそこ…
「ドリュー!!!!!」
マリの雄叫びはL.C.L.で満たされているエントリープラグの中で独特の反響をする。水中でも最大速度360km/h(巡航速度180~240km/h)を発揮する大型キャビテーションジェットの出力を制御するアクセルペダルをマリは床が抜けるくらいの勢いでベタ踏みしていたが、ただでさえ高速で不安定になる機体の操舵を手負いの状態で御するのは至難の業、いや、既に常人が制御しうる水準をはるかに超越していた。
「ぬるりと来たぜ…目標を肉眼で捕捉!」
淡い燐光を放つ200メートルを超える使徒の巨体が間近に迫る。今度はEOSの数あるアプリケーションの一つでパイロットを常時サポートしている戦術ガイドシステムが攻撃目標とのズレが許容範囲を超えたことを訴えてきた。もう本体との接触まで10秒を切っていた。
「ちぃっ!!こんな時に!!うっせー!!バーロー!!」
指先に伝わる振動を頼りに操縦桿を小刻みに動かすマリの手は老練な職人のそれを想像させたが、辛うじて蛇行を最小限に留めるだけで精一杯だった。全長200メートル強の使徒の大きさに対して、若干の個体差はあるものの概ね直径2メートル前後のコアを文字通り一撃で撃ち抜くにはあまりにも不安定だった。
「Bloody Shit!!(特に英:くそったれが!!) 機体修正とか簡単に言うんじゃねーよ!!もう奴の絶対防衛圏だっちゅーの!!」
ずずーん!!
機体全体にガクンという鈍い衝撃が伝わる。使徒のATフィールドだった。
「ATフィールドにぶち当った!!」
まるで水を張ったビニール袋に突き当るような抵抗は明らかに伍号機自身から伝わってくるものとは異質だった。破れそうで破れない。コンクリート壁のような無機質な硬さを想像していただけに柔らかい感覚が余計に不気味だった。そして次の瞬間、強烈な閃光が薄暗かったエントリープラグ内を真昼のように照らしたかと思うと耳を劈(つんざ)く轟音と共に爆発が起こる。
「ぐああああ!!あっちいい!!いってええ!!で、でも…手ごたえ十分だぁ!!」
使徒のATフィールドと接触した槍の穂先で生まれた中和エネルギーが水中で高密度に圧縮された空孔(泡)を生み、その発生と消滅が爆発的に連鎖することで引き起こされたものだった。マリの全身を激痛が駆け抜ける。エヴァの特殊装甲を損傷させるほどではないにしろ、その衝撃をゼロ距離から浴びればさすがにパイロットへの影響は大きかった。
上下左右どころか全方位に激しく振動するエントリープラグの中でマリはか細い身体を縮み込ませながらひたすら痛みに耐えていた。
一方…
その頃、伍号機と使徒との激戦のせいで風一つない天気にも関わらずどす黒い湖面はまるで大時化のような有様だった。
「一体…何が起こってるのよ…」
海と見紛うほど巨大な湖が荒れ狂う姿を遠巻きに眺めていたミサトは思わず呟く。波と波が激しくぶつかり合い、更に大きな波を作って大挙して湖畔に押し寄せてきたため、危険を察知したミサトは現地に残っているネルフ作戦部全員にクレーンの投棄と避難を命じ、数キロ後退したこの場所まで退いていたのだ。
とにかく…無事でいて…アスカ…あたしたちにはもう…
「あんたしかいないのよ…」
指揮車に搭載されている機材だけでは詳細なデータ解析はおろか弐号機の安否すら把握できなかった。ネルフの警戒衛星との交信は辛うじて可能だったが使徒由来と思われる強大なATフィールドの存在とエヴァらしき小さな反応が使徒の周りを動き回っている程度のことしか分からなかった。その小さな反応はマリの駆る伍号機なのだが、神ならぬミサトが知る由もない。
生きているのか、死んでいるのか、そんな単純なことすら分からないのだ。
他方で本部と完全に切り離されて孤立化しているミサト達がこの場に留まる理由はほとんどなかったが、誰も本部への撤退を言い出す者はいなかった。情熱家が揃う作戦部の部員たちの多くは“戦友”であるアスカと運命を共にすることも辞さない覚悟だったからだ。しかし、見た目の印象とは大きく異なってロマンとはまったく無縁の世界に住んでいる女指揮官の感慨はまったく別なところにあった。それはミサトの涙が既に乾いていることからも伺える。
ゲンドウがサルベージ機材と技術容員の収容を優先したこともあったが、見方を変えれば本部のサルベージ作戦に公然と反旗を翻したミサト以下の作戦部員たちはここに見捨てられた、とも言えなくはなかった。いや、仮にゲンドウの指示がなかったとしてもミサトの性格上、非戦闘員であるリツ子たちの撤退をやはり同じ様に優先させたに違いない。
作戦部に一切の連絡もなく、抜き打ち的に行われたことは確かに不快には違いなかったが、それ以上にゲンドウの底意(そこい)をミサトは勘繰らずにはいられない。孤立化を招いたのは自分たち自身でもある。いや、本当はゲンドウにミサトを切り捨てる考えは“まだ”なかったのかもしれない。
しかし、そんなことはミサトにとってもはやどうでもいいことだった。
これを…コイツを第15使徒とすれば…リツコの話だと残るはあと2体ということになる…意外に早く訪れたのかもね…その時が…
「ふふふ…」
湖畔から数キロ離れた小高い場所から湖を見つめていたミサトは目を閉じると思い出し笑いのように小さく笑い始めた。双眼鏡片手に探索の目を向けていた若い作戦部員は自分の隣でいきなり笑い始めたミサトにぎょっとすると驚いたような表情を向ける。ミサトは部員の視線に気が付いても尚、静かに笑っていた。
碇ゲンドウ…それがあんたの拘る“救いの道”というならそれでもいいだろう…所詮、あたし達は同志ではない…ただ利害が一致していただけのこと…てめえも男ならさぞかし本望だろうよ…己の野望に殉じるならな!
ミサトは内省から覚めると活目して鋭い眼光を正面に向けた。
外敵に備えるための波号プラン(Ep#08_16)は本部防衛機能の拡充が本旨だが…逆を言えばジオフロント各所に設けられた固定砲塔は既に本部を包囲しているとも言えるんだぞ…国連軍の特殊部隊と共に乗り込んでこれをあたしが押えたとしたら…いや、ジオフロント内に部隊を侵出させた時点であたしの勝ちだ…手元に残った初号機で虱潰しに散兵を掃討出来るとでも思っているのか…
「見せてもらおうじゃないの…悪魔の真の姿を、ね…」
ゲンドウをして哀しき復讐者と言わしめた葛城ミサトが決意を固めた瞬間だった。横なぶりの雨を浴びながらミサトはゆっくりと懐からペンダントを取り出す。
加持…あんたのことだからどうせ地獄行きだろうから…地底で見ていてくれ…あたしの”最後の戦い”を…
クロスのペンダントを握る手に力を込めた途端、不気味な地響きが足元から伝わってくる。
「な、なんだ!!ちょ、ちょっと!!何これ!?何が始まったのよ!!」
「部長!!あれを!!す、水面が…水面が!!」
血相を変えた部員の一人が湖の方を指差していた。ミサトが足元から視線を正面に向けるとそこにはまったく信じられない光景が横たわっていた。水中から強烈な光の束が幾筋も立ち上ったかと思うと今度は湖面が大きく盛り上がり始めたのだ。
星一つない漆黒の闇を白い光が真一文字に切り裂き、それは見る見る間に高さ数キロに達していた。そして天を焦がすように左右に広がると巨大な十字架が現れた。そして…
ズズーン!!
「う、うわ!!」
遅れて大気を震わせる轟音が鳴り響き、それがまるで合図だったかのように水混じりの突風が吹き荒れ始めた。まるで大型台風のど真ん中に飛び込んだようだった。風雨の音に紛れて僅かに地を這うような鈍い音が入り混じっていた。
な、なんなんだ…この嫌な感じは…ま、まさか…
しかし、次の瞬間、勘の鋭さにかけては天下無双と言ってもいいミサトはほとんど反射的に叫んでいた。
「全員退避しろ!!津波に飲み込まれるぞ!!急げ!!急いで車に戻るぞ!!」
「え!?つ、つなみ!?まさかそんな…」
いきなり走り出すミサトの背中を目で追っていた部員が視線を湖の方に戻すとたちまちのうちに顔面蒼白になる。悪くなる一方の視界だったが、巨大な光の柱の根元で唸り声を上げる水の長城が照らし出されていたからだ。
「うそだろ…おい…うわああああ!!」
「やっぱきやがったか…」
ミサトはすぐ近くに停車していた指揮車の助手席に飛び乗る。運転席に待機していた部員は突然の来訪者に驚く。
「う、うわ!!部長!!一体何があったんですか!!」
ミサトがよく知る作戦部旗揚げ当初からの古参組の一人だった。
「話は後だ!!全員乗ったか?すぐに出せ!!」
怪訝な表情を浮かべる運転手だったがエンジンをかけながら、窓を開けて背後を見た瞬間、ミサトの焦燥のすべてを悟った。
「お、大きい…こんな場所から見てあの高さだったら…」
思わず発した呟きにミサトは大きく頷いていた。
「そうね…軽く50メートルはありそうね…どっちにしても津波のギネス記録は確実だよ…急げ!!逃げるぞ!!全速力だ!!」
「了解!!」
まるで津波に追い立てられるようにミサト達は真反対に車両を走らせ始めた。
その頃、光の十字架の下では伍号機と使徒による息を付かせぬギリギリの戦闘が続いていた。
「艦内(イラストリアス)で聞く音がウザイ…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました…」
プラグ内は金属の軋み合う音で充満しており、今にも空中分解しそうな勢いだった。超弩級特殊潜航艇イラストリアスの艦内で子守唄代りに聞いていた音をアダージョの優雅なアンサンブルとすれば、さながら今の状況は狂気が乱舞するデスメタルバンドの生ライブといったところだろうか。おまけに負けず劣らずけたたましいアラート音がEOSから発せられるためマリはげんなりしていた。
「お次はなんだってんだよ…」
戦術ガイドシステムはご丁寧にも伍号機の体勢を建て直した後で再アプローチすることを推奨していた。あまりに度が過ぎた正論にマリはさすがに切れる。
「もうお前死ねよ!!燃料がねえんだよ!!これがラストチャンスだっつーの!!(的を)外さない方法を考えろやカス!!何年あたしの相棒やってんだよ!!」
エントリープラグの壁をマリが荒々しく殴りつけるとガイドシステムはたちまち発したアラートを引っ込めて直ぐに再計算をし始めた。壁ドンで場の空気を読んだわけではなく、あくまでパイロットの要求を神経接続を介して読んだにすぎなかったが、あたかもEOS (伍号機以降の機体は全てver.9.01。因みに零号機から米国で爆散した四号機まではネルフ本部開発のver.8.93を採用)が自立した意思を持っているかのように見えた。そして再計算の結果が再び大きく映し出される。
「ん?な、なんだ…K…A…M…I…K…神風!?はっはっは!ですよねー!よっしゃそれだ!しっかりガイド頼んだぜ!」
高シンクロ状態を維持し続けていたマリだったがそれでも電源消費が皆無ではない以上、無尽蔵に戦えるわけではない。活動限界を示すカウントダウンは非常に緩慢ではあったが既に始まっていた。
「人間界の時間にして…あと1分か…厨二的に考えて…つか、全然一撃必殺じゃないんですけど…この槍…」
右巻きのロンギヌスの槍を振るった経験をマリは先の沖縄沖海戦で既に持っていた。しかし、左巻きのこの槍が果たして逆説的に使徒のATフィールドに効くか、といえば“試す”というマリ自身の言葉が示す通りまったくのギャンブルだった。まったく歯が立ってないというわけではない。神経接続から伝わる感触からは少なくとも槍の先端が食い込んでいることは間違いなかった。
「なんなんすかねぇ…これ…何が違うの?気合?」
その時、マリに電流が走る。
「そうか!!気合か!!気合が足らんのか!!ぶるああああ!!!!ドリュぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう!!!!」
誰…誰なの…
「は!?い、今の声…もしかして…ドリュュュュュュュュュュュュュュュュュュウ!!!!」
マリは何度も何度もアクセルペダルを踏み込む。そのたびに激しい振動が伍号機を襲う。二又の穂先がゆっくりと、だが、確実に使徒のATフィールドにさらに侵食していく。危険を察知したのか、使徒はほぼ水平に保っていた足を一斉に上下にバタつかせ始める。まるで槍から逃れようとするかのようだった。この使徒による自衛行動は大きなうねりを生み、たちまちエリア1238の水面は大時化のように荒れに荒れた。
その時だった。
控えめな断続音が周囲の騒音を掻い潜って額に青筋を幾つも作っているマリの耳に届く。EOSが弐号機の識別信号を探知していた。
「キタ―――――!!うおおおおおお!!!どりゅうううう!!どりゅううううう!!」
激しく操縦桿を前後に動かしながらマリは何度もその名前を叫び続けた。目頭が熱くなり視界が曇る。目を拭おうとして目に当てた手は近眼ゴーグルに無機質に跳ね返された。
「グズッ……はっ!そ、そうだ…」
EOSが識別コードを捕まえたなら遠隔操作も可能かもしれない!!
マリは思考でエントリープラグのモニターの片隅にタッチパネル端末を呼び出すと猛烈な勢いで弐号機のEOSとの接続を試み始めた。遠隔操作のセッティングとシステム互換のパッチプログラムを進めながら、伍号機の操作をするという超人的な離れ業だった。その間にも槍はじりじりとさらに奥の向かって進んでいく。ATフィールドの突破は時間の問題だった。
「ドリュー!!聞こえてる?まだ、ATフィールドの影響で聞こえないのか!!聞こえていたら弐号機を起動させて!!なんでもいい!!サスペンドモードを解除して!!操縦桿とかを引けえ!!」
え?操……縦……桿……?
間違いない!!あたしの声を認識してる!!ドリューが…ドリューがあたしの呼びかけに応えてる!!
興奮と感動が入り混じる。マリは全身に鳥肌を立てていた。声はさっきよりも格段に鮮明だった。もう使徒のATフィールドが何らか作用を及ぼして弐号機と伍号機の間の交信を阻んでいることは疑う余地がない。同時にアスカが弐号機内で生きていることも確実だった。ただ、意識がハッキリしているのか、朦朧とした状態でうわ言のように呼びかけに応じているのかまでは分からなかった。しかし、考えている余地はもう幾許も残されていなかった。槍はあと僅かでATフィールドを突き破るところまできている。
「Red Valkiryの位置をキャッチした!!って…おい…いやああ!!お約束はなしっすよおおおお!!!!」
弐号機の位置を捕捉した伍号機のEOSは最悪の結果をマリに突きつけていた。弐号機は使徒のコアの真上に横たわっていたのだ。起死回生の一打である神風攻撃をしようにも弐号機を盾にされては意味がない。“独逸帰還命令”はマリにとって重要なミッションの一つだった。
まさか…使徒にそんな小賢しい知恵が回るっていうのか…それとも…何かもっと別の何かをこの化け物は企んでやがるのか…
マリは思わず固唾を飲み込む。まさに万事休す、だ。
ギリギリでもいい…弐号機が(槍の)穂先を避けてくれさえすれば…
「ドリュー!!早くしろ!!時間がない!!Eva-02起動と共に右方向へ!!槍の穂先を避けろ!!ドリュー!!応答しろ!!」
あいかわらず強烈な閃光で正面はまったく何も見えない。こんな状態で弐号機を避けつつ、都合よく使徒のコアだけを貫けるとは到底思えなかった。いや、既にコアに当てること事態が伸るか反るか、運否天賦の大博打なのだ。
ち…まったく手強い使徒だ…パターンの周期的変化は伊達じゃない…たぶん…突破に手間取っているのもコイツが侵食型っていうか、ATフィールドの性質もコロコロ変えているからだろう…もう色んな意味で時間がない…
マリは遠隔リモート操作で弐号機のEOSの呼び出しを始める。祈るような気持ちだった。しかし、その祈りも虚しく心当たりのあるコードを叩いても弐号機は一向に起動する様子を見せなかった。
「これか!こっちか!こっちの方がいいかな!コードRT09-6!!Shit!!」
本部の奴ら…EOSのコードを設計書から微妙に変えてやがる!!ただのバカじゃなかった!!
「ドリュー!!今、遠隔リモートでRed Valkiryの再起動を試みている!!お願いだよ!!」
お願いだよ……ドリュー……あたしは……
マリの最後の一手もついに弐号機にリジェクト(拒絶)されて万策が尽きる。もうアスカの覚醒にかけるしかない。
「グス……もう一度…もう一度…もう一度お!!この“Neun(独:9の意)”があ!!」
ガクンという僅かな衝撃を手元に感じる。ATフィールドを槍が突き破った瞬間だった。強烈な加速がマリの全身を後ろに押す。
「ノインが…ノインが!!」
深度計の数字が下がる。活動限界の数字が下がる。
「会いに来たんだよ!!返事をしてよ!!どりゅうううう!!」
「ノ……イ……ノイ……ン……?」
「ドリュー!!」
弐号機の再起動を報せるアラートが鳴る。
「サスペンドモード解除!!Eva-02起動!!シーケンス76まで飛んで104へ!!EOS8.93(Eva Operation System ver.893)のサポートホストをMercuryに指定!!いっけえええええ!!」
使徒本体との接触まで3秒を切っている。
使徒の上に仰向けに横たわっていた弐号機の左肩が僅かに上がった。そして弐号機が右に上体をよじった瞬間、激しい衝撃が辺りを襲い、真っ白に輝く使徒を突き破るように真っ赤な二又の槍が下からいきなり現れる。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。アスカは断続的に続く振動に揺り動かされてハッと意識を取り戻した。重い頭をゆっくりと左右に振る。そこはまったく見慣れたエントリープラグの中だった。
「あ、あれ…?あ、アタシ…」
そ、そうだ!!アタシ!!
慌てて操縦席から起き上がるとすぐに自分の身体を調べる。ナイフで刺されたような傷はどこにも付いていなかった。
「ゆ、夢!?あ、あれが!?うそ…じゃ、じゃあここは…ここはどこ?」
アスカが周囲を見回すと淡く白い光の間から遥か彼方にどこかの街の夜景が見え隠れしていることに気が付く。まるで飛行機の窓から見る光景そのものだった。
「は、はあああ!!ど、どういうことよ!!アタシは深度2000メートルの場所にいたのよ!!」
「ええっと…いま…深度-5000メートル…かな?」
突然、エヴァの双方向通信を通して自分と同じ年頃の少女の声が聞こえてくる。
「え?深度マイナス5000って…水面線より上ってこと???言ってる意味がわかんないんだけど…」
「え、英語とかで…しゃべった方が…そ、その…ドリューはいいのかな…ははは…今、深度-4500になってるけど…」
いや…その理屈はおかしいでしょ…
「Which means? (てことは?)」
ため息交じりにアスカは会話を英語に切り替える。
「Well…We are flying…But…right now falling down…Unfortunately…(えっと…空を飛んでるんだよね…でも落っこちてもいるけど…残念ながら…)」
どこかで聞き覚えのあるようなその声は流暢な英語を返してきた。
「Anyway! Welcome back to real world, Asuka! (ま、とにかく!おかえり!アスカ!)」
「サンキューとかいうと思った?アンタ…バカでしょ…」
「テヘ☆ペロ」
EOSが気を利かせてG兵装戦術モードに自動的に切り替えていたため、二人のエヴァは今までとはまったく違うアラート音を発し始める。
「What the fuck this alart…Never heard it… (つか、なんだよこのアラーム…全然聞いた事ないんだけど…)」
音声しか回復していないためお互いに声しか聞くことが出来なかったが、何故か声色でマリが眉間に深い皺を作っている姿が容易に想像出来た。
その音を聞いたアスカは深々とため息を付く。以前に主翼破断事故で墜落の憂き目に遭ったことがあるその道の大先輩は、それが何のアラームなのか、痛いほどよく分かっていた。さっきからずっとジェットコースターの下りの様な独特のGを下腹部に感じていたから尚更だ。
「It’s GPWS…(それGPWSよ…)」
「GP…What?」
「だ・か・ら・G・P・W・S (Ground Proximity Warning System)、日本語で対地接近警報装置!!分かった?」
「なるほど!理解した!あ、そういやもう地上ですもんね!乗るしかない!このビッグウェーブに!」
「あんたバカァ!?」
ずがああああああああああああああん!!
「っっつぅ…いったあぃ…」
二人はそろってエリア1238、の畔に墜落していた。
弐号機の隣には伍号機の白い流線型の機体が赤紫色の液体にプカプカと浮いている姿が見える。どうやら使徒の死体で出来上がった天然のプールの中を漂っているらしい。
「…ハッキリ言って…使徒に命を救われるとは思わなかったわ…さすがに…」
「いやあ、それほどでもないっすよ!はっはっは!」
まるで屈託がないマリの声がプラグ内に響く。
「わりと本気で殴るわよ?しかもグーで」
「な、なんですとー!?」
アスカは軽い頭痛に見舞われる。コアを槍で貫いた伍号機が使徒もろとも勢い余って深度-5000、つまり世間一般的には高度5000メートルと表現する高さまで押し上げ、そしてまもなく二人は自由落下を仲良く体験していた。人間に例えれば身長160センチのアスカが自分の身長の100倍以上高い場所からダイブしたことになる。
「普通なら死んでるんだけどねぇ…アタシ達…」
双方向通信システムが回復すると深い緑色のプラグスーツに身を包む成長したマリの姿が映し出される。それと同時に、じろっと意地悪そうな視線をアスカがわざと向けるとマリは急に目を泳がせ始めた。さすがに自分でもよく分かっているらしい。再びアスカは、はあっとため息を付いた。マリは口を尖らせると口笛を吹くようなフリをする。
この子…まるであっけらかんとしてるけど…これだけのことを…しかも一人でやってしまうなんて…
「相変わらず…色々な意味で型破りなのね…ノイン…でも…」
もう一度ため息を付くとアスカはふっと小さく笑みを口元に浮かべる。
「でも、まあ…細かいことはもういいわ…アンタのおかげで助かったのは事実なんだしさ…ありがと…ノイン…」
「え?ゆ、許して…くれる…の…?」
マリは驚いたようにしげしげとアスカの方を向く。円らなダークブラウンの瞳を大きく見開いていた。
「許すもなにも…しょうがないじゃない…でも意外だったわ…アンタもエヴァのパイロットになってたなんて…」
もうアスカの目には険しさがなくなっていた。しかし、手放しで旧友を懐かしむというほどに和んでいるわけでもなかった。
そう…アタシは…あの時…ゲッティンゲンから出た…それが得体の知れない連中を裏切ることだと分かっていた…分かっていながらアタシは…“Captain(ミサト)”に付いて行った…攫われたわけではなく…
自分の意思で!!
アスカはモニターの中のマリから視線を逸らすと思わず目に力を込めた。
この子がアタシの目の前に現れたってことは…しかも…エヴァに乗ってるってことは…やっぱり…アタシを…殺…
「ド…ド…ド…」
「?」
しゃくり上げるような声が聞こえてくる。アスカが驚いて顔を上げた途端、それはいきなり始まった。
「ドリュうえええん!うわああああん!うわああああ!」
「ちょ、ちょ、アンタ…え、ええ!!」
泣いた!?
マリは号泣していた。人目も憚らないほど大きな泣き声で。アスカは一瞬、鼻白む。まったく予想もしていなかった展開だった。感動の再会、まずはそう言ってもよさそうな雰囲気だった。マリの声はどんどん大きくなっていく。
「うわああん!うわあああん!会いたかった…会いたかったようううう!うわああ!」
「セ…セミの方がマシに感じるなんて…ちょっとアンタ!うるさいわよ!泣くなとは言わないけど…その…加減して泣きなさいよ!ったく!」
「だってえ!だってええ!会いたかったんだよおおお!うわあああ!」
「分かったから!分かったから!ホントにもう!」
なんなのよ…これ…ホントに…なんなのよ…
額に近眼ゴーグルをかけて両目を押えているマリの顔ははっきりとは見えない。見えなかったが、昔の面影が随所に残っていることは何故かよく分かった。
思えば…この子は…ノインは…どんなことがあっても…何が起こっても…ノインはいつも笑っていた…そう…
アスカの脳裏にはあの恐ろしいズィーベンステルネの看守に手を引かれて行く小さな少女の笑顔が蘇っていた。身体から力が抜けていく。アスカの緊張は徐々に解けていった。
何かを笑って誤魔化すように…何かを忘れようとするかのように…この子は…笑った…まるで笑う以外の感情がないみたいに…笑うことしか知らないみたいに…ノインは…笑った…無邪気に…そう…それが…逆に…
怖かったのよ…
アスカはゆっくりと上体を起こすとエントリプラグのエジェクトシーケンスを走らせる。
「外…出よっか…」
アスカの言葉に画面のマリはコクンと小さく頷いていた。
図らずもクッションの役割を果たして二人の少女の危機を救った使徒の残骸は徐々に流れ出し、エントリープラグから外に出る頃には地表があちこちに見えるまでになっていた。紫色の水を湛えた不規則な湿地帯は出来の悪い水田を思わせた。
雲に隠れていた下弦の三日月が僅かに照らす足元をおぼつかない足取りで歩く二人の少女は静かに見つめあい、そしてどちらからとなくおずおずと相手の身体を抱擁するのだった。
アタシ達は再会した…再会してしまった…
何故だろう…アタシは素直に喜べなかった…
同じ境遇に置かれた「仲間」の筈なのに……
それは…たぶん…そう…ノインから同じ匂いがしたからだ…
自分と同じ匂い…
血(L.C.L.)の匂い…
自分ではどうしようもないところで回り始める運命の輪…
運命に従うと決めたアタシが悪夢の中で無意識に選んでしまった自分の記憶…
その途端にアタシの前に現れたノイン…
始まる……
何故か…唐突にアタシはそう思った…
そう…確かに何かが始まってしまったんだ…
少なくとも…アタシと…アタシに優しくしてくれるあの子にとって…
よくない何かが…
Ep#09_(20) 完 / つづく
(改定履歴)
15.09.2012 / 誤字修正
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