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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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文才のある人に共通しているのは「シンプル」で「分かりやすい」ということだと思う。
 
小説を書くというのは誤解を恐れずに言えば全く難しいことではなくてやろうと思い立てば誰にでも出来る。極論、「読み」「書き」が出来ればよいだけの話で特別な何か、例えば天才的な才能や能力が必要とされるわけではない。冗長な駄文を散々人様の前に晒している僕が言うな、という向きもあろうが人間が書く文章に甲乙が付く決定的な要素があるとすれば、それは単純に「読み手に受け入れてもらえる」か、否か、つまりはこの一事に尽きると思っている。
これは何も小説に限ったことではないけれど、「自分以外の他人に受け入れてもらえるもの」というのは例外なく「分かり易い」のである。分かり易いというのは実に「シンプル」であって寸分の「無駄」もないことだ。読後に違和感も残らないし、むしろ痛快ですらある。だから僕は「文才」とは物事を「シンプル」に出来る才能のことだと考えている。残念ながら頭の中でそうは思っていても実践することはかなり難しく、また、こればっかりは意識したからと言ってどうにかなるものでもない。「シンプル」はあるいは天賦の才と言った方がいいのかもしれない。
 
「推敲(すいこう)」という言葉がある。誤字脱字の類を改める「校正」とはかなり意味が異なっていて熟考を重ねて構想や構成を練り直すことである。文章の構造を練り直す訳だから一連の推敲には当然に「蛇足」を削ぎ落とすことも含まれるだろう。それが高じて推敲は文章を間引くことだ、という向きも一部にはある。四角四面なことを言うと嫌われるが「間引く」というニュアンスは「推敲」の意味として狭義には正しいとは言えないのだが実践面ではかなり有効で言い得て妙だと思う。何故なら書き手にとって文章や作品というのは多かれ少なかれ苦労して生み出しているから相当な執着心が芽生える。実に身勝手で主観的な言い分ではあるが、文字通り文章を削るという行為は自分の身を削るに等しい時がある。その執着心がある限り、とある「文才」は「凡才」の域を出ず、作品の白眉は「駄文の山」と化すのだろう。
 
管理人が日々書き連ねているこの作品も集計してみるといつの間にか400字詰め原稿用紙2700枚分という文量になっていた。このちょっと引いてしまいそうな数字を見た時に管理人の頭に真っ先に浮かんだ言葉が件の「推敲」だったのである。自分の「文才」の無さにはホトホトに呆れる他ない。自戒としてつい筆を取ってしまった…



管理人 東郷太一

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