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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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番外編 ドイツ新生活補完計画 (Part-12)

ドイツ生活もはや一カ月がたとうとしていた。
衣食住の「衣」と「住」はどうにかなりつつあったゲンドウだったが
北ドイツの食事になかなか馴染めなかった…
ひょんなことからゲンドウはキョウコから
夕食に招待されることになったが…
(本文)


2007年5月も半分が過ぎていた。
 
始めは「メシが不味い」とか「同じアパルトメントの住人がうるさい」とか、日常生活上の不平不満を何故かイェーゲンにずっと言い続けていたゲンドウだったがこの頃は慣れて来たのか、すっかり大人しくなっていた。
 
イェーゲンは自分のデスクの上にある自分の内線電話をぼんやり眺めていた。するといきなり後ろから肩を叩かれる。驚いてを振り返るとそこにはキョウコが立っていた。
 
キョウコは真っ白なブラウスに珍しく膝丈のグレーのスカートを合わせていた。年中ジーンズを穿いているキョウコしか見た事が無かったイェーゲンは二重に驚きだった。
 
「ツ、ツェッペリン(技術部長)代行!?」
 
ゲヒルン研究所でキョウコが空手の有段者であることを知らないのは着任したばかりのゲンドウくらいのものだった。特に長い足を撓(しな)らせながら繰り出される蹴りは強烈だった。見事な足技とジーンズは一セットでキョウコの代名詞になっていた。
 
一体…どういう心境の変化なんだろう…もしかしてカラテは封印したのかな…
 
イェーゲンは遅刻のいい訳を延々とキョウコにしていた時にローキックを受けて一撃で床に沈んだことを思い出していた。滅多な事では怒らないが理屈に合わない事をすると容赦なく日本語で「あなたバカぁ」と言って時に蹴りが飛んできた。第36プログラムではキョウコの口癖の意味を理解するものは誰もいなかったが効き目は抜群だった。
 
「イェーゲン。あなた何ボーっとしてるの?ヒルダから聞いたけど最近、あなた元気がないらしいじゃない?」
 
「あ、いえ…すみません…ちょっと考え事を…」
 
イェーゲンが思わず首をすくめる。キョウコは意地悪そうな笑みを浮かべるとわざとイェーゲンを睨む。
 
「もしかして恋煩いかしら?あなたも隅に置けないわねぇ。(ドイツ連邦)陸軍のピーターセン少尉のことでも考えていたんでしょ?」
 
途端にイェーゲンが顔を真っ赤にする。
 
「マ、マルティナは…か、関係ありませんよ!さては…ヒルダが代行に何か喋ったんですね?酷いですよ!二人とも!」
 
耳まで赤くなっていた。キョウコはその様子を見て愉快そうに笑う。
 
「ふふふ。ただの冗談よ。ヒルダは関係ないわよ。あなたの少尉への接し方を見てると誰だって分かっちゃうもの。そんなに大きな身体をしてるのに何照れてるのよ?あなたって意外に可愛いところがあるのねぇ。でも…ちょっとそういう女の子っぽいところはアタシは好きだな」
 
「だ、代行!何なんですか!その女の子っぽいって言うのは!」
 
ヨーロッパ人の間では基本的に「女は女らしく、男は男らしくあれ」というのが一種の美学になっている。特に質実剛健を美徳とするドイツでは質朴な男がクールとドイツ男は思っているため、女の子っぽいとか可愛いという言葉は褒め言葉とはまず受け取らない。
 
「あら?怒る事ないじゃないの。これは侮辱じゃないわよ?ちょっとナヨッとしてる方が日本ではもてるのよ。それはそうと…」
 
キョウコは少し真顔になるとイェーゲンの顔を見た。
 
「最近、あなたからミスター碇のことを聞かないけど…その…ちゃんと生活出来てるのかしら…?」
 
「え?ミスター碇ですか?」
 
「そう…ほら…何ていうか…あの人って家事が出来そうにないじゃない?」
 
「確かに仰るとおりです。ミスター碇はその…あり得ないくらい家事が出来ないんで僕もビックリしました。コーヒーすら自分で入れれないし…料理は全くダメだから毎日外食ですし…洗濯物は下着に至るまで全てクリーニング屋に持っていくし…ベッドメーキングも掃除もまるでダメでしたから…もう大変でしたよ…」
 
キョウコは驚いて思わず目を丸くする。
 
「し、下着まで…ドライクリーニングに持っていってるの?」
 
「はあ…なんか人のプライベートを暴露するようで気分がよくないですけど…日本にいた時から家族の洗濯物は全てクリーニング屋に持ち込んでいたらしいですよ…勿論、クリーニング屋のおばさんから拒否されていましたけどね…それ以外にもいちいち例を挙げると大変ですけど…」
 
「そ、そうなんだ…ア、アタシもそんなに家事は得意な方じゃないけど…何か…その話を聞いているとアタシの方がマシに思えるからちょっと自信持っちゃうなぁ…」
 
「そうなんですよね…でも…ここのところ全然電話がかかってこないんで軌道に乗ってきたのかなって考えていたところです」
 
「そっか…」
 
キョウコは小首を傾げると少し思案顔になる。
 
「あの…代行…そろそろ9時半ですよ?行かなくていいんですか?」
 
「ええ!!いけない!!部長会議が始まっちゃうじゃない!やだー!場所は何処?」
 
「ええ!ぼ、僕が分かるわけ…多分…所長室と同じフロアの幹部会議室かも…」
 
イェーゲンが言い終わる前にキョウコは第36プログラムが割り当てられている研究室から飛び出して行った。
 
「間違っていたらどうしよう…今日はスカートだから…やっぱりローの方を警戒するべきだよな…」
 
 


定例の部長会議は地上棟の最上階にある幹部会議室で行われる。ゲンドウの所長室と同じフロアだった。この会議室の調度品も全て19世紀のものでちょっとした議事堂の様な雰囲気をかもし出していた。
 
ゲンドウは執務机の上でベルリンの市街地図を広げて一人でぶつぶつ何事かを呟いていた。地図の上には電卓と直定規、そしてコンパスが置いてある。
 
「どうやら…このスーパーが最も至近にあるようだな…しかし…曲がり角が6つもあるのが難点…それを考えると少し距離はあるがこちらの方がほぼ直線コースか…くそ!忌々しい…何でホームデリバリーサービスが無いんだ…」
 
碇親子は松代で借家住まいをしていた時、電子レンジのスイッチを入れるだけでほとんど出来上がる様なホームデリバリーサービスで食い繋いでいたため、ゲンドウ自身、スーパーに直接買い物に行ったことは日本在住の時ですら滅多に無かった。
 
「これ以上の無駄は許されん…もう俺は負けられんのだ…」
 
ヨーロッパの街並みは整然としているため何処も似たような風景になる。ストラッセ名などをしっかり覚えていないと迷いやすい。そのためか…ゲンドウはスーパーに買出しに出る度に道に迷っていた。
 
なまじっか地図を広げて街を歩くとバカな観光客と思われてカモにしようとする不良外人の標的になり易いため予めルートを頭に入れて行動するようにしていたゲンドウだったが、地図と実際の風景がすぐにリンクする筈も無くタクシーで帰る羽目に陥るのも一度や二度では無かった。
 
ゲンドウがふと地図から所長室のアンティークの置時計に目をやると9時40分を差していた。
 
「い、いかん!資材調達ルートの検討に没頭するあまり会議に遅刻するとは!」
 
慌ててシステム手帳を掴むと所長室を駆け出していった。
 
 
 


ゲンドウが所長室の向かいにある会議室の重厚なノブに手をかけた瞬間、横からいきなり人影が現れて巧みにゲンドウとドアの間に膝をねじ込んできた。ゲンドウは堪らずバランスを崩して床に倒れ込む。ある意味、見事な膝蹴りだった。
 
「ぐ、ぐお!!き、きさま!卑怯だぞ!順番を抜かしおって!」
 
Was(何よ)? レディーファーストって言葉を知らないわけ?」
 
「れ、レディーファースト…割り込んでおいて何を長閑(のどか)な…」
 
体を入れて割り込んできた主は平然と立っているのがぼんやり見えた。システム手帳と度入りのサングラスが散らばっている。
 
な、何と言う自分勝手でふてぶてしい物言いだ…しかもこの屁理屈…絶対…O型に違いない…O型はA型の精神を蝕む永遠の敵なのだ…
 
ゲンドウは犯人を視認するため慌ててサングラスをかけ直す。そこには白衣を着たキョウコがドアノブに手をかけているのが見えた。突き飛ばした相手を見ることなく会議室に入りかけていた。
 
「ツ、ツェッペリンではないか…」
 
名前を呼ばれたキョウコは驚いてゲンドウの方を見る。そしていきなりゲンドウに向かって深々と頭を下げた。
 
「や、やだ…ミスター碇…た、大変失礼を致しました!お怪我はございませんでしたか?どうしましょう!ミスター碇と分かっていたら蹴りなんて入れなかったのに…ホント失礼しました!」
 
「け、蹴り…」
 
こ、この女…やはりさっきのは確信犯だ…自分が先に会議室に入るために膝を俺に食らわせるとは…何という恐ろしい女だ…目的のためには手段を選ばんとは…ある意味…
 
ゲンドウはキョウコが差し出した手を掴んでゆっくり起き上がる。
 
どこか…何とも言えんが何処か…あいつ(ユイ)に似ている…それにしてもこの膝蹴り…鋭すぎるぞ…とてもただの女とは思えん…
 
ゲンドウはわき腹を擦りながら埃を払う。会議室はヨーロッパの伝統的なスタイルを踏襲して二重ドアになっていた。
 
Nach Ihnen, Bitte…(どうぞお先に)」
 
キョウコは顔を真っ赤にしてドアを開ける。ゲンドウはやや警戒しながらキョウコを睨む。
 
「貴様…レディー…ファーストじゃなかったのか…?お前が先に入れ…」
 
「え、でも…」
 
「うるさい!つべこべ言うな!また蹴りを食らうのはごめんだぞ!いいから先に行け!」
 
 
 
部長会議が終わると幹部たちは雑談しながら席を立つ。特に今日の会議は終始、技術部の進捗報告に注目が集まった。あれほど遅れていたE計画のプロダクションタイプ開発プロジェクトはみるみる遅れをリカバーし始めていた。
 
特に圧巻だったのは第36プログラムだった。14%の計画遅延はわずか一カ月の間に8%まで縮減していた。このペースでいけば世界初のプロダクションタイプの接触試験は3か月後の8月に予定通り実行できそうだった。
 
この驚異的な進歩にはさすがのゲンドウも驚いていた。キョウコが会議資料を手で整えていると自分の横に同じ様な背格好の男がやって来る。
 
ゲンドウだった。
 
「ツェッペリン…お前に話したいことがある…これから少し時間があるか…」
 
「え?は、はい…」
 
キョウコの顔は一瞬曇る。
 
「では私の部屋に来い」
 
「分かりました…」
 
キョウコはゲンドウの後について会議室を後にした。
 
どうしよう…ひざ蹴りの事だったら…
 
 



ゲンドウがキョウコに席を勧める。キョウコは明らかに緊張していた。
 
「まあ…座れ…」
 
「は、はあ…」
 
「落ち着かないのは分かる…俺もこの部屋があまり好きではないからな…しかし、また改装するのもバカバカしいしな…」
 
「あ…あの…お話というのは…」
 
「ああ・・・今日は…見事な報告だった…あれほど慢性的な計画遅延に悩まされていた弐号機の関連プログラムが順調に推移している事は一定の評価に値する」
 
キョウコは思わず胸をなでおろしていた。
 
よかった…膝蹴りの事…なんて言い訳しようかと思ってたから…
 
「ありがとうございます。でも…アタシはこれで満足していません」
 
「ほう…」
 
「弐号機はあくまで先行プロダクションタイプです。やはり次世代機ともいうべきG2プログラムを出来れば手がけたいと思っています」
 
「ふふふ…なかなか野心家だな…お前は…確かに先行型ではあるが今後の状況次第では最終形になりうるかも知れんが…」
 
キョウコはハッとすると思わず俯いた。
 
「ご、ごめんなさい!つい…こうして取り立てて頂いただけでも感謝しなければいけないのに…」
 
ゲンドウは両肘を付くと両手を目の前で組む。
 
余計なことを考える必要は無い…先行型も後期型もない…E型Evaを作ればいいのだ…S型は我々には不要のものだ…ユイを失った今…一番不足しているのがEvaの基本原理を工学的に応用する専門家だ…赤木博士の専門はどちらかというと基礎物理とコンピューターサイエンスだからな…
 
「お前を呼んだのはほかでもない…第36プログラムにおける自発性電磁誘導理論が完成すればいよいよ接触試験を含むPhase1.5にE計画を移行させる事ができる。この意義は極めて大きい…」
 
「はい…」
 
テストタイプの零号機を除いて弐号機に先行していたプロトタイプの初号機は3年前の人工進化研究所内での接触試験中の事故がもとで起動不能状態が続いていた。
 
その不幸な事故でE計画実行の総責任者でありEVA基本理論の完成者でもあった碇ユイは帰らぬ人となった。この事故後、ゲヒルンではE計画関連のデータを零号機で取得していたため、実践レベルの弐号機の起動はE計画の今後の帰趨を占う上で極めて重要な意味を持っていた。
 
「弐号機の接触試験のパイロットだが…お前の方で何か意見があるか、聞いておきたかったのだ…」
 
ゲンドウの言葉にキョウコは怪訝な顔つきをした。質問の真意を図りかねている、そんな感じだった。
 
「接触試験のパイロットは…実は前任者のエルンストの時から一応決まっています…」
 
「誰だ?」
 
「ドイツ連邦陸軍のマルティナ・ピーターセン少尉です…」
 
「そうか…既に決まっているなら問題はないな…」
 
ゲンドウは鷹揚に答えたが注意深くキョウコの様子を伺っていた。キョウコがおずおずと口を開く。
 
「本当は…」
 
「何だ?」
 
「私が乗り込みたいと思っています…」
 
半分予想通りの答えにゲンドウは僅かに反応する。
 
「何故だ…」
 
「その…弐号機には特別な思い入れがありますので…」
 
「思い入れとは…何だ…」
 
「それは…」
 
キョウコは言い淀む。キョウコを見るゲンドウの目が一瞬鋭くなる。
 
お前…まさか…知っているのか…知ってて立候補しているのか…しかし…それを俺から確かめるわけにも行くまい…
 
「まあいい…少し立ち入り過ぎた質問かも知れん…」
 
ゲンドウの言葉にキョウコは思わずハッとして顔を上げる。
 
「とにかく…技術部長代行でもあるお前を接触試験のパイロットにするわけにはいかん…接触試験は当初の予定通りピーターセン少尉に要請することになるだろう」
 
「はい…分かりました…」
 
「話は…以上だ…下がっていいぞ…」
 
椅子から立ち上がりかけたキョウコが思い出した様にゲンドウの方を再び見た。
 
「あの・・・ミスター碇…アタシから一つ宜しいでしょうか?」
 
「何だ?」
 
ゲンドウはパイロットの件を切り出した直後だっただけに警戒の視線をキョウコに送る。
 
「今日のご夕食…」
 
「え?ゆ…夕食?」
 
「はい…今日の夕食は…何か…その…ご予定がおありですか?」
 
「い、いや…何もないが…」
 
「本当ですか!?それじゃぜひアタシの家にいらして下さいな!」
 
ゲンドウは予期せぬキョウコの言葉に思わずたじろいでいた。
 
ユイもそうだったが…こいつも…生活の匂いがしない女だからな…何を食わせるか分かったもんじゃない…しかも…微妙に日本人っぽくて親近感はあるが…
 
目も前に座っているキョウコにちらっと目を向ける。ダークブラウンの長い髪を今日は珍しくアップにせずにポニーテールにしていた。背は高く、抜けるように色白だった。
 
忘れてはならんのは…こいつが基本的にドイツ人だということだ…
 
ドイツ新生活の補完計画において衣食住の「衣」と「住」の問題はほぼ片付いたゲンドウだったが「食」に関しては悲惨な状態だった。特に北部のドイツ料理にはまったく馴染めないでいた。
 
「あの…ご迷惑でしょうか…?」
 
キョウコの声にゲンドウの逡巡はかき消される。ふと顔を上げるとキョウコの不安そうな顔が見えた。
 
「い、いや…迷惑ではないが…分かった…後で時間とか場所とか…メールで知らせてくれ…」
 
「分かりました!じゃあお待ちしています。あ、そうだ!何かリクエストはございますか?」
 
ゲンドウは顎に手を当てる。
 
「特には…そうだな…強いて言えばザワークラウトとかアイスバインとかレバーケーゼとか、あとゆでたジャガイモを米替わりに食うとか以外なら問題ない…」
 
「それは…つまり…ドイツ料理以外ってことですよね…」
 
「そうとは言っていないが…まあ…そうとも言えなくはない…」
 
「わかりました…じゃあ日本料理にします…」
 
ゲンドウの目が一瞬光る。
 
つ、作れるのか…お前…ベルリンにいる中国人が作る様なへっぽこ日本料理だったら…俺は暴走(星一徹のようにテーブルをひっくり返すは序の口の意)するぞ…しかし…こいつに賭けてみるか…栄養失調で死ぬよりはマシだ…
 
「許可する…」
 
キョウコは一礼して所長室を後にする。そして静かにドアを閉めると小さくため息をついた。
 
「結構、偏食なのね…参ったな…これじゃ缶詰とか使えないわ…アタシ…料理うまくないんだよな…」
 
キョウコはブラウスの胸ポケットに入れていた携帯を取り出す。
 
「仕方ない…アスカに天ぷらの材料を調達させるか…揚げ物だったらラクだし…」
 
 
 


 
「ちょっと!アスカ。何よこの衣!水が足りないよ!」
 
「ええ!でも…ちゃんとレシピ通りにWeizenmehl(独/小麦粉)量って入れたのに…」
 
「二人でいるときはドイツ語を使わない約束よ?じゃないと上手くならないよ?日本語」
 
「ごめん…」
 
「ドイツの小麦粉は日本に比べるとグルテンを作り易いから水を本よりも多めに入れないとダメなのよ」
 
Mühsam…(独/面倒臭いなあ)」
 
Wie bitte? (独/ちょっと今何て言ったの?)」
 
Nein・・・(独/別に…)」
 
「…あなた最近生意気になってきたわね…もしかしてアタシに似てきたんじゃないの…?」
 
「だって…ずっと一緒にいるじゃない…学会でフランツはロンドンに行ってるし…」
 
ガシャン
 
キョウコが手を滑らせててんぷらの衣を入れたボウルをシンクに落とす。
 
「ちょっと!今、フランツの話しはしないでよ!」
 
Warum?(独/何で?)もうお返事はしたわけ?フ、ラ、ン、ツ、に…」
 
「うるさいな…あんた…いつからそんなにおませになったのかしら…」
 
「優しくて、素敵な人じゃない?アタシは好きだよ?それに…ママより若いし…」
 
「もう!怒るよ!この子は!そんな事より早くコーンスターチ(片栗粉の代替品)入れてよ!早くしないとママのボスが来るでしょ!」
 
Natürliche(独/分かってるわよ)」
 
 



「アンハルターストラッセの19番地…確かこの辺の筈なんだが…くそ…ツェッペリンのヤツ…何なんだこの大雑把な地図は…線が4本しかないではないか…」
 
ゲンドウはキョウコのメールに添付してあった地図を見て驚愕した。ゲヒルン研究所を起点にした道順が書いてあると期待していたのだが住所と家の周りの3区画程度しか網羅していない極めて簡単な地図だった。
 
迷ったら電話しろと言わんばかりに家の電話と携帯の番号が書かれてあった。
 
「自分の目線だけで物を考えよってからに…間違いない…あの大雑把でゴーイングマイウェイな性格…あいつは絶対O型だ…」
 
ゲンドウは小脇にシャンパンを抱えてブツブツ言いながら粉雪の舞うベルリンの石畳を歩いていた。
 
「ここか…ようやく見つけたぞ…」
 
4階建ての1960年代スタイルのアパルトメントだった。一年中冬のベルリンでは夕方の五時ともなれば完全な日没になる。メールボックスに薄っすら付いたライトで「Zeppelin」の文字を確認する。
 
「この建物の2階か…」
 
ゲンドウはベルを鳴らした。
 
 
 

「ようこそ!ミスター碇!お待ちしておりましたわ!」
 
キョウコは黒いワンピースのドレスとヒールを穿いていた。髪は研究所と打って変わって綺麗にアップされている。あまりの変わりようにゲンドウは思わず後ずさる。
 
「う、うむ…これはささやかだが手土産だ…手ぶらもなんだと思ってな…」
 
ゲンドウはぶっきらぼうにキョウコにMoët Chandonのフルボトルを突き出した。
 
「まあ…こんな高価なシャンパン…」
 
「こんばんは。おじ様…」
 
ふと視線を下ろすとキョウコの傍らに赤いロングのワンピースドレスを着たエリーザが立っていた。
 
「久し振りだな、エリーザ…」
 
「さあどうぞ!お入り下さい。何も無い家ですけど」
 
ゲンドウはコートをキョウコに預けると廊下からリビングに通された。テーブルの上には海老とたまねぎとジャガイモのかき揚げてんぷら、海苔の巻かれていないおにぎり、そしてワインビネガーで作ったドレッシングがかかったサラダが置かれていた。
 
ゲンドウは予想以上の出来栄えに思わずツェッペリン親子と料理を交互に見比べる。二人ともゲンドウの驚きを別にしてシャンパンをワインクーラーに入れながらはしゃいでいた。
 
「ミスター碇。オードブルを取ってきますからお飲み物でも召し上がりながらゆっくりくつろいでいて下さいな。そうだわ!エリーザ、何か一曲弾いて差し上げたら?」
 
そういい残すとキョウコは鼻歌を歌いながらリビングを後にした。よっぽどシャンパンが嬉しかったらしい。
 
「あの…おじ様?何かリクエストはありますか?」
 
「リクエストと言っても…お前…まだ小学生ではないか…そんな…」
 
そう言いかけたゲンドウの目にグランドピアノの向こう側に縦長の白いキャビネットが控えめに飾られているのが見えた。一目で優勝カップと分かる様な大きなトロフィーや盾などが無数に入っている。ゲンドウはピアノの脇を通って見入っていた。キャビネットの隣には譜面台とバイオリンと思われるハードケースが3つ並べられていた。
 
「国際コンクール…それもジュニアの部ではない…それに…」
 
何なんだ…この異様な数は…只者ではないとは思っていたが…一体…何なんだ…この親子は…いや、そればかりか…あのアダムとどう繋がるというんだ…しかし…この子は少なくともツェッペリンと関係はあってもアダムとは…
 
ゲンドウの傍らでにっこりと微笑むエリーザをゲンドウはしげしげと見詰める。珍しく畏怖に似た念があるのに気が付いていた。
 
この子はシンジと殆ど同じ歳の筈だ…一見して…その辺の子供となんら変わることは無いのに…だが…音楽のみならず語学も堪能だ…
 
エリーザが心配そうな顔つきでゲンドウの顔を見ているのに気が付く。
 
試してみるか…
 
「…チャイコフスキーの舟歌は弾けるか?」
 
ピアノ曲集四季の6月の曲でしょ?ロシアの音楽が好きなんですか?」
 
「そういう訳ではないが…まあ…好きな曲だ…」
 
「分かりました…」
 
エリーザはそういうとひょいっと椅子に座っていきなり鍵盤に手を置く。
 
「お、おい!お前、楽譜は?前に弾いた事があるのか?」
 
「弾いた事はないけど聞いたことがあるから何となく分かるわ」
 
「聞いた事がある…」
 
「だって…そんなに楽譜持ってないもの…でもCDなら向こうの部屋に一杯あるから聞いて覚えて弾くのよ?」
 
「そうなのか…」
 
エリーザがゆっくりと弾き始める。
 
確かに微妙に違う気もするが…一度聞いただけでここまでトレースできる筈がない…見事なものだ…あいつの好きな曲をまさかこうしてベルリンで聞けるとはな…
 
ゲンドウは静かな旋律に合わせて思わず目を細める。
 
天才の一言で世の中は納得するのだろうが、新しい人類の進化を追求する俺は騙されない…天然に存在する天才など有史以来験しがない…人を超越した存在…それが天才の本質なのだ…
 
ゲンドウはシャルドネの入ったワイングラスを傾ける。傾けながら静かに、刺す様にエリーザの背中を見た。
 
もし…俺の推測が正しければ…俺はいずれ…この子を手にかけることになるかも知れん…
 
 

 
3人ではとても食べ切れないと思っていた料理もほとんどゲンドウが平らげていた。
 
「お味はどうでした?」
 
「久しぶりの日本食だったからな…十分楽しめたぞ…それにしても…」
 
キョウコはゲンドウが持ってきたシャンパンとは別にほとんど一人で白ワイン2本を空けていた。顔色一つ変えていない。
 
「お前は…うわばみだな…」
 
「まあ!やだ!そんな恥ずかしい!」
 
バシ!
 
「ぐ、ぐお…」
 
キョウコは愉快そうに笑うとゲンドウの背中を思いっきり叩く。
 
「そうだわ!せっかくの夜ですもの!ミスター碇踊りましょう!」
 
「お、踊るだと・・・お前…酔ったのか…?」
 
「酔ってなんかいません!エリーザ!CDを持って来てちょうだい」
 
「もしかして…またタンゴ?」
 
「そうよ?悪い?」
 
「たまにはワルツとか…他の曲にすれば?」
 
「ワルツはステップが難しいの!それにベルリンの夜は情熱的なタンゴって決まってるんだから!」
 
「そうかな…クラブの方が全盛だと思うけど…」
 
エリーザがため息交じりに部屋の片隅に置いてあるミニコンポのスイッチを入れる。
 
「さあ、ミスター碇!」
 
「ちょ、ちょっと待て!!俺は…その…踊れんぞ…」
 
「大丈夫です!タンゴはものすごく簡単ですよ?二拍子のリズムに合わせて男性は左足から後ろに下がればいいんです」
 
「そうか…意外と難しくなさそうだな…それで…次はどうなる?」
 
「以上です」
 
「…お前…本当に適当なやつだな…う、うわ!」
 
キョウコはいきなり立ち上がると渋るゲンドウの手を取って引き上げた。ゲンドウは立ち上がったものの勢い余って思わずよろめいてキョウコにもたれかかる。
 
「あらあら!大丈夫ですか?」
 
「す、すまん!だ、だが!今のはお前が急に引っ張るからいかんのだぞ!!」
 
キョウコはゲンドウの右手を取ると自分の背中に回す。
 
「左手は握って右手を相手に添えてステップを踏みます。行きますよ?」
 
「ちょっと!ちょっと待て!」
 
「はい!練習終り!ミュージックスタート!」
 
エリーザがおなかを抱えて笑いながら音楽をスタートさせる。
 
 
「な、なにぃ!!お前!何が練習だ!ただ後ろに下がっただけじゃないか!」
 
音楽と共にゲンドウはキョウコに振り回される。ゲンドウが戸惑っていると体を押し付けて後ろに下がらせる。どちらがリードしているのか分からない状態だった。
 
「う、うわー」
 
「左!右!左!4歩目は足を滑らせて!」
 
「な、なに!さっきは後ろに下がるだけと言っておったではないか!!」
 
「忘れてました!アタシは女ですから!」
 
「な!何て勝手なやつだ…」
 
二人は体をぶつけ合いながら踊り始めた。踊りというよりもキョウコが一方的にゲンドウを振り回しているようにも見えた。
 
「初めてにしては…お上手ですわよ…?ミスター碇」
 
キョウコが踊りながらゲンドウの顔を覗き込むと軽くウィンクを送る。
 
「な、何を…言うか…」
 
いつの間にかエリーザがCDに合わせてピアノを弾いていた。
 
「二人とも素敵よ!何かちょっとジュードーの組み手みたいだけど」
 
「ありがと!」
 
キョウコがエリーザに手を振る。ゲンドウはその間の必死に足元を見ながらたどたどしくステップを踏む。
 
「確かに…格闘技の様だな…」
 
「そうです。人の歴史は戦いそのものですわ。戦いという精神の摩擦によって人類は多くを得たのです。国家も…人生も…恋も…全て…人は持って生まれた物だけの存在ではなく、獲得したものでもある…」
 
「ゲーテか…」
 
キョウコが不意にゲンドウに体を預けて来た。そしてゲンドウの耳元で小さく囁いた。
 
「さぞ驚きになったでしょ?北ドイツの冬に…凍てつく寒さと舞い散る雪…長い夜は…こうして過ごすのが一番ですわ…」
 
「…そうかもな…」
 
ゲンドウはキョウコの肩越しから窓の外を見る。漆黒の闇に雪だけが浮かび上がっていた。ベルリンの夜は更けていく。
 
曲は "Schön ist die Nacht", 1939 から情熱のOle Guapaに変わっていた。
 
 


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