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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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(第7節)


リリンを宿した女リリスは「知恵の実」手にして後、リリスはアダムに森を拓き、土を耕して額に汗する事を説いた。

アダムは言った。愛しい人リリスよ。私はあなたの言う事の意味を理解しない。しかし、あなたがそれを望むのなら私はあなたの求めに従ってそうしよう、と。

アダムは森を切り開き、木々で堰を作りて水を治め、そして土を耕してそこに麦を植えた。

アダムは言った。リリスよ。我がリリスよ。この生まれ変わった土地をあなたに贈ろう。あなたは私に心を贈ったが、命以外に何も持たぬ私はこうして額に汗して糧をあなたに贈る事でしかあなたに報えない。

リリスは言った。私たちは何のために生まれたのか、何のために子を宿すのか。新しき息吹を育むには私たちは新しきを得る努力をせねばならない。永遠を享受するなら新しきを捨てねばならない。

アダムは言う。リリスよ。私は貴方の言う意味を理解しない。しかし、唯一理解する事はわたしがあなたの求めに従った方がよいという事である。

リリスは言う。アダムよ。あなたは私に従うというのか、と。

アダムは言う。それをあなたが望むのなら、と。

リリスは言う。あなたは主の僕なるものである、と。

アダムは言う。それを主が望むのなら、と。

リリスは言う。あなたもまた主の僕であり、我が夫である、と。

アダムは言う。それを皆が望むのなら、と。

最後にリリスは言った。主なる神は私をお許しにはならぬであろう。あなたは主なるものと妻なるものとの間で苦しみを覚えるであろう、と。

後にアダムは楽園で人間最初の「苦悩」を得た。


(第8節)

主なる神が楽園を訪れになった時、木々を切り倒すアダムを見てこれを召された。

汝アダムよ。そなたは何ゆえに無為に木々の命を奪うか、と。

アダムは言う。新しきを切り拓くためです、と。

主は言われた。楽園には全てがあり、永久がある、汝が新しきを生み出す必要は無い、新しきは創造主たるものの仕置きである、汝がみだりに犯すべかざるものなり、汝は土を操り土に呪われるものとなろう。

主は言われた。新しきを求めるは全ての災厄を得る道である。その大逆をなした者の名を言え。

アダムは下を向き押し黙った。

主は言われた。汝アダムよ。そなたは私に抗うのか、と。

アダムはその場に跪きて言う。主なる神よ。私はあなたの忠実なる僕です。私はあなたに逆らえません。しかし、何ゆえに私は主が私に出会わせて下さったものと主を選ばねばならぬのですか、と。

主は言われた。汝アダムよ。それが新しきを求めたるものの受ける罪である、汝らはみだりに楽園を騒がした、それが額に汗する喜びと同時に苦悩を与えたのだ、新しきは古きを屠り、光は闇を生むであろう、それは善悪を産み、幸福と不幸を生むであろう、と。

こうして知恵は楽園を呪い、そして永久に失われたのである。



(第9節)

主は言われた。汝アダムよ、そなたが悔い改めるのなら再びそなたの子孫は楽園を得るであろう、と。

アダムは問うた。如何にすれば戻れるのですか、と。

主は言われた。知恵を捨てよ、すなわち知恵を持ちたるリリスと忌まわしきその子を汝が屠り、再び私の忠実なる僕である事を示すがよい、と。

こうして人は主なる神との間に最初の契約を結んだ。

今より7日の内にリリスとその子を屠れと…

しかし、アダムは6日の夜にリリスを楽園より落とした。

リリスは言った。アダムよ、夫なる人よ、私と共にあなたも落ちなさい、二人で新たな地を求めるのです。

アダムは言った。リリスよ、我が愛しい人よ、私は私が耕した地に呪われたるもの、私は既にここを離れるわけにはいかない、私はこの地に留まり一身に主の怒りを受けよう、と。

この時、人は初めて惜別の涙を流した。そしてこれは最初の離婚となったのである。

これより後、男は労働に全てを縛られるものとなり、労働と妻子の間の労苦に呪われるものとなる。女は子を苦しみながら産み、その育児に自らの半生を奪われるものとなる。



(第10節)

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主なる神はアダムを7日に召して言われた。汝アダムよ、リリスは何処か、と。

アダムは言った。あのものは死にました、と。

主なる神は言われた。ならば女とその子の心臓を証としてここに示すがよい、と。

アダムは主に楽園に住まう獣を殺して得た二つの心臓を示した。

主は言われた。汝アダムよ、そなたは私との契約を破り、更に欺き、また無益な血を流した、これによりそなたは今より血に呪われたものとなり、そなたが逃がした女共々に罪を償わぬ限り永久に楽園は失われるであろう、と。

主がお怒りになったこの日は「怒りの日」となり、この日より後、人は地上で試練を受け続ける日々を送る事が定められた。

男は血に呪われ、自ら切り拓き耕した地を楽園に戻るまで永久にその血を持って護らねばならぬ者となった。

また女は主の元より逃げ出した事により安住の地を失うものとなり、産所を得るのに苦悩し、子を産んだ後はその母屋に縛られるものとなった。

こうしてアダムもリリスに1日遅れて楽園を落ちていった。

アダムとリリスを失った主なる神はこの両者のうち、リリスを反逆なるものとし、アダムはリリスに唆されたものと看做してアダムとその子孫のみを正統なる生命の継承者と定めた。

そしてリリスとその子は邪悪なるものとしてアダムの血統がこれを倒滅するか、あるいはアダムの血統が完全に途絶えて生命の木を奪われるまで相克しあうものとした。

人は「怒りの日」を始まりとして主なる神に自らが進むべき道を示す宿命を帯びて地上に降り立った。そして知恵によって自ら滅ぼした楽園をもう一度取り戻すために命の継承者たるアダムはリリスを屠らねばならないという契約を主なる神との間に結ぶ事となったのである。



(第11節)

主は言われた。産所に縛られたリリスがその地に足を着ける時、私は再び女の元に三人の使者を遣わすであろう、と。

この三人の使者はアダムの子孫がリリスの子孫を屠る姿を見届けるために遣わされる。

アダムの子孫が主のお言いつけを履行して「怒りの日」より続く契約を果たす時、楽園への道はアダムの子孫に開かれる。

アダムの子孫が契約を再び反故にしたる時、三人の使者はその司る力を持ってリリスの子孫を滅ぼし、再びアダムの子孫に主なる神から試練を啓示されるであろう。

それは楽園への道を記す第一歩となり、再び人なるものがその罪を購う一歩となる。



※ 「怒りの日」は本来はヨハネの黙示録にある「最後の審判」を示す言葉である。この作品では「怒りの日」を全く別なものとして取り扱っているので実際の聖書との差異には留意願いたい。

※ 原罪は本来は堕天使(サタン)に唆されたエヴァ(Eve)が禁断の果実(知恵の実)を手に取り、その後にアダムに与えたことである(主との約束を破った)。このためアダムは土に呪われるものとなって労働して日々の糧を得る事とされ、女は苦しみをもって子を産むものとされた。堕天使は地を這う蛇とされて忌まわしきものとされて共に楽園を追われることになる。

※ 男尊女卑的な思想は日本に固有のものとするのは全くの誤りである。キリスト教圏では聖書の記述に基づき原罪の原因を作ったエヴァ(Eve)に唆された被害者としてアダムを看做しており、アダムは聖人の列に加わっている一方でエヴァ(Eve)は未だに聖列に加わっていない。

※ またエヴァがアダムの肋骨から生まれた従の立場であるという事を含めて、これらの概念から19世紀まで永きに渡って西洋では「男性上位」の根拠とされていた。文明科学の発展が皮肉にも男女平等へ人類を回帰させたとも言える。

※ リリス、すなわちエヴァ(Eve)以前にアダムに妻の存在があったとされる根拠は旧約聖書の「創世記」の記述に基づいている。しかし、明確にリリスの名は見えない。リリスがアダムと対等に生み出されたとすれば人類の歴史は相当変わっていたと思われる。ともかく、人類の母はエヴァ(Eve)となっておりリリスの存在は完全に黙殺されているのが実際である。リリスとリリンは完全な「魔物」扱いで人類とは区別されているがこれらの語は聖書にはなく、あくまで周辺の文献などで若干見られる程度である。あくまで人とはアダムとエヴァ(Eve)から生まれた者たちのこと、というのが聖書の立場である。

※ 福音「Evangel」はギリシア語で「よき知らせ」という意味で、キリスト教で言うところの「よき知らせ」とは「キリストの復活」に他ならない。キリスト教では子なるイエスが処刑(受難)された後で復活した事を最重要視しているためであり、この教え(福音)を聖ペドロ以下のイエスの弟子たちが広めるというのがキリスト教の考え方だからである。因みに聖ペドロ(イエスの第一番目の弟子)の子孫がローマ法王の血統であるとされている(うそ臭いが…)。

※ 福音が英語も含めてギリシア語源になっているのは聖書の影響によるとされている。トリビアかもしれないが聖書には4つの福音書(ヨハネ、マタイ、ルカ、マルコ)があり、この4つは整合性が取られておらず多少の混乱も見られるが福音を各国に分担して伝える(ユダヤ語圏、ギリシア語圏等)という役割があった。福音がエヴァンゲリオンとなったのはこの福音書のうちのギリシア語版が欧州に広まったからというのが目下の定説である(各福音書は1~2世紀の間で成立)。

※ キリストは「復活」後、再び「昇天」して今日に至っているとされる。何回生き死にしとんねん!とツッコミたくなるが…ヨハネの黙示録で7つの封印が解かれるとき、キリストは再びこの地に「再降臨」するとされている。これがいわゆる「最後の審判」であり、これを著名な作曲家がレクイエムで「怒りの日」として示している。「怒りの日」はヴェルディのみならず、フォーレ、モーツァルトらも作曲しており一概に「レクイエムの怒りの日」の曲は特定されない。この物語では前述のように原罪も怒りの日も設定を変えていることにご注意願いたい。
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