忍者ブログ
新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

第17部 The Angel with broken wing 翼を下さい・・・(Part-2)


(あらすじ)

釈放間近のアスカは自室に意外な来客の訪問を受ける。マヤだった。そこで語られる悪魔の薬BRの正体に戦慄するマヤ…
「人間って…何のために生きてるんでしょうね…」
「さあ…」

もし…人に翼があれば…自由になれるのだろうか…
その時…魂は救われるのだろうか…



(本文)


特務機関ネルフ本部の敷地内にある本部棟(別名: 厚生ビル)の裏手に職員専用の宿泊施設「Eden」があった。

この「Eden」は地上10階建ての少し洒落たシティホテルの様な佇まいをしており、温水プールを含む職員専用のスポーツセンターはこの「Eden」の付属施設という位置づけで、ネルフの福利厚生設備の中核を成す存在でもあった。

本部棟を起点にして三方向に連絡通路が伸びており、一つが司令棟に、二つ目が医療棟と呼ばれる付属病院、そして三つ目がこの「Eden」とスポーツセンターを結んでいた。

本部棟が「厚生ビル」と呼ばれる所以でもあった。

「Eden」の1階部分にはレストラン、コンビニエンスストア、本屋、銀行のATMなどがあり、2階部分がフロントになっていた。この「Eden」にある宿泊施設を利用するためにはまずこのフロントを通らなければならない。

3階は結婚式場と見紛うような大きなセレモニー設備が整っており、4階は上級士官専用のラウンジや瀟洒な談話室などの「士官クラブ」になっていた。そして5階から8階までが一般職員でも利用できる宿泊エリアになっており、全てシングルルームで一部屋当たりの居住スペースは長期滞在にも耐えられる様に一番小さい部屋でも24平米が取られていた。

そして9階から10階はネルフ上級幹部のみが利用できる特別宿泊施設となっており、実質的にこの階を利用できるのはゲンドウ、冬月、リツコ、それに加えて新たに上級一佐となったミサトくらいのものだった。

地上(第三東京市)に上がればマスコミに追いかけられるミサトは第13使徒戦以来、この宿泊施設の一般室に逗留していた。

同じ建物の8階には軟禁状態に置かれているアスカもいた。

アスカのいる階は諜報課員による厳重な監視下に置かれており、同じ建物で寝泊りをしているにも関わらずミサトは8階のエレベーターホールから向こうに足を踏み入れることすら出来ない状態が続いていた。

しかし…






シンジとカヲルが二人連れ立って本部を離れた昼下がり。

8階のエレベーターホールに大き目のスーパーのビニール袋を手に提げた女性士官が姿を現していた。

伊吹マヤ特務一尉(技術部所属)だった。

フロントから予め連絡を受けていた諜報課員達がまるでマヤの進路を遮るようにエレベーターの周りを取り囲んでいた。

マヤはまるで汚いものを見るかの様に顔を露骨に顰(しか)める。

「何かこちらに御用ですか?伊吹一尉」

諜報課員の一人がマヤの前に歩み出る。

「アスカに…いやセカンドチルドレンに届け物です。小官の用向きは赤木部長にも話して許可を得ている筈ですが?」

マヤの詰(なじ)る様な語勢に諜報課員達は互いに顔を見合わせていたが肩を竦めて口元に薄ら笑いを浮かべ始めた。

「一応伺っていますが…そんな他愛のないことにわざわざ伊吹一尉のお手を煩わせる事もないという…言ってみれば我々の厚意です。それは確かにこちらでお預かりしてセカンドには必ず…」

「いえ。これは直接渡します」

「しかしですな…」

マヤはビニール袋に手を伸ばそうとしていた諜報課員を威嚇するように睨み付けると咄嗟に自分の後ろに隠した。マヤを取り囲んでいる5人の男達はじわりじわりと包囲の輪を狭め始めていた。

「では中身をまず確認させていただいてそれから判断を…」

「ダメです!」

マヤはビニール袋を両手で抱き締める。

「伊吹一尉…我々も役目ですので…」

諜報課員の一人がビニール袋に手をかける。マヤが血相を変えて叫ぶ。

「止めて!不潔!」

「ふ、不潔…?」

マヤの金きり声と今にも泣き出しそうな顔が諜報課員達を怯ませた。

「触らないで下さい!下着と生理用品が入っているんですから!女性が身につけるものを男性が調べるなんて非常識です!」

「非常識と言われても…」

これまで一切の妥協を見せなかった諜報課員だが珍しくそれ以上、追求する素振りを見せなかった。アスカの釈放が近いことを既に知っているからなのだろう。

明らかに監視要員たちの間にこれまでとは打って変わって厭戦気分が広がっているのが見て取れた。

「わ、分かりました…そういう事なら…仕方がない…」

マヤは肩を怒らせながらアスカの監禁されている部屋に向かっていく。諜報課員達は遠ざかっていくマヤの背中を目だけで追っていた。

「おい…よかったのか?持ち物とか身体検査とかしなくて…」

「別にもういいだろ…セカンドの釈放も近いし…このタイミングで暴れるとも思えんしな…」

「だが…」

「もう洗濯物とかゴミ箱のチェックとかうんざりだ…俺はこんな事をするために諜報課のエージェントになったわけじゃない…気になるんならお前やって来いよ」

「お、俺が…?い、いや…遠慮しておくよ…」

監視対象が部屋でいつも半裸に近い格好でいる少女というのは男所帯の諜報課にとって全くの想定外だった。

当初は投薬の度に医療部の看護師と入室していたが「セクハラ軍団」という実に不名誉な名前が女性職員の間で囁かれるに及び結局、自分たちの身の潔白を証明するために室外に待機するというエージェントとは到底思えない甘さを見せる様になっていた。

一方でこの公然の秘密状態は諜報課に対して縄張り意識が強い保安部、そしてアスカに対して同情的で主流派に対して不満を常々持っている作戦部を中心にして水面下で批判が広がりつつあった。

あらゆる意味でこの「監禁」には限界が生じていたのである。

皮肉な事にこれらの経験が後にネルフの女性幹部の逮捕監禁を円滑に履行出来る体制確立と冷酷無比な内部粛清に役立つ事になる。

今は話を元に戻そう。

「うち(諜報課)にも女性職員が必要だな。セカンドの一件は我々にとってもいい教訓になった。男だけではどうしても限界がある」
 





部屋のロックが外される音をアスカはベッドの上で聞いていた。

今度は誰だろ…こんな時間に…投薬も終わった筈だし…

アスカはゆっくりとベッドから上体を起こすと床に投げっぱなしだったTシャツを拾い上げてそれを着た。

「アスカ…わたしよ…」

姿を現したのはスーパーのビニール袋を抱えたマヤだった。

「ま、マヤ…なんでこんなところにアンタが?まだ仕事中じゃ…」

部屋に入って来たマヤは突然しゃくりあげ始めた。

「ごめんね…ごめんね…私…あなたのために…今まで…何にも出来なくて…」

アスカは急いでマヤの下に駆け寄ると肩を抱きながら部屋の片隅にある二客のソファテーブルに促した。

マヤはポケットからハンカチを取り出すと涙を拭きながらスーパーのビニール袋の中身をテーブルの上に広げた。着替えや生理用品に紛れてチョコレートなどのお菓子やティーン向けのファッション雑誌が出てくる。

「これは…」

「本当はもうちょっと色々買いたかったんだけど…余り多いと怪しまれると思って…アスカは”Cute(雑誌名)”だったでしょ?」

「うん…ありがとう…」

まだ…人間扱いしてもらえるだけでも…ありがたい…

「釈放が近いのは知ってる?」

「うん…この前のシンクロテストの時にリツコから聞いた…遅くても12月3日って言ってたかな…」

「そうなんだ…なんか中途半端ね…その日に何の意味が…」

「アタシの誕生日の前日なの。
15歳になると同時にアタシは国連軍の正式な士官になるから国連軍関係者を拘留した事実はないという事にしたいんだと思う。15歳未満の強制徴発(志願は除く)は国際法や条約で禁止されているからアタシの存在自体は国連軍内でもタブー扱いだった…だから今までネルフも遠慮がなかったんだろうけど…」

「どこまでも不潔な考え方…私…なんかネルフに勤めるのがイヤになってきた…」

「仕方がないよ…多分…それが大人って事なんでしょ…でも、どうしてアンタがこんなリスクを冒してまでアタシなんかに…」

「実はね…アスカ…こんな時に聞くことじゃないんだろうけど…」

マヤはいきなり生理用品の袋を開けるとその中から小さいディスポタイプのサンプル瓶を取り出してアスカの目の前に置く。ボジョレーの様な透明だがやや赤みを帯びた特徴的な色の薬剤が入っていた。

それを見たアスカの表情が強張る。

「これって…まさかBerlin Red(BRと略される。因みにBR処置はBRT)…なんでこんなものをアンタが…」

「これはね、前にここにあなたに会いに来た時に医療部の目を盗んで私が密かに採取したものなの」

アスカは驚いて目の前に座っている如何にもか弱そうな女性士官の顔を見た。

「私なりにこれを色々調べたわ。当然、MAGIを使うと私が外に持ち出したことがバレてしまうから仕事の合間を縫って地道に手動で機器分析にかけて薬物同定をしていたんだけど…よっぽど複雑な化合物らしくて上手くいかなかったの…でも一つ分かった事がある…」

マヤはもう泣いていなかった。だんだん技術者らしい面持ちになっていく。

「少なくともこの薬の成分は麻酔薬に近い…つまり大脳皮質を麻痺(まひ)させて人間の意識を朦朧(もうろう)とさせる作用があるわ…更にこの化合物の出所はウチ(ネルフ)の第三支部…だがらドイツにいたこともあるあなたなら何か知ってるかもって安直だけど思ったの…だからこうして直接聞くことにしたの…」

マ、マヤ…アンタ正気…?この薬に手を出すと殺されるわよ…ただの薬じゃないんだから…

来年で25歳になる筈のマヤはアスカよりも身長が低く年長であるにも拘らずどこか幼く見えていた。本業のスパイも顔負けの大胆な行動する様には見えなかっただけにアスカの驚きは一層大きかった。

「私みたいな頼りない子がこんなことをしてって思ってるかもしれないけど…」

「そ、そんなこと…」

アスカは慌ててマヤから視線を逸らした。

加持から決して(ネルフ関係者の)誰にも心を許すなと言われていたアスカにとってネルフ本部は敵地も同然だった。無意識のうちに目の前に座っている意外な訪問者を訝しがる表情が浮かんでいたところを目敏くマヤに見抜かれたのだろう。

「この薬が普通じゃない事は私でも分かるわ。この薬を投与されていた時のあなた…言い方が悪いけどまるで意識のハッキリしない人みたいだった…私はね…こんな部屋に閉じ込められて…使徒と戦う事だけを強要されて…しかもまるでゴミか何かみたいな粗末な扱いしか受けない仲間がいるなんて…そう考えるだけで許せない…誰にも人の命を一方的に虐げる権利は無い筈よ」

ゴミ…懐かしい言葉…そんな扱いしか受けていなかったから疑問にすら思わなくなっていたのかな…

マヤは目じりに残っていた僅かな涙をハンカチで拭き終わると更に真剣な表情をした。

「だから私はこの薬の正体を突き止めてそれを葛城一佐に教えようと思ったの」

「ミ、ミサトに!?」

「そう…葛城一佐ならきっと私たちの力になってくれる筈…それから副司令も…」

「副司令!?」

「副司令は司令と常に行動を共にしているけど…司令とは一線を引いている部分がある…司令のこんな酷い仕打ちをあなたにしていることを影では決して快くは思っていないわ…それに…副司令はかつて司令を世間に告発しようとしていた事だってある…」

「ま、まさか…」

「本当よ…この話は私が直接本人から聞いたんだから間違いないわ…ネルフは変わるべきなのよ…何かの犠牲の上に成り立つ幸福なんてありえないもの…だから…私は副司令を中心にした新しいネルフを作るべきだと思ってるの…」

「あ…新しい…ネルフ…」

アスカは目の前の女性士官が自分に打ち明ける計略の一端に完全に度肝を抜かれていた。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。

ネルフ首脳部の一人に数えられて職員達から恐れられているリツコ、そしてそんなリツコをネルフ内で敬称ではなく「先輩」と呼び、真っ向から率直な意見をぶつけるマヤ、二人の関係はこの上なく親密で強固なものに見えていた。

アスカの監禁と投薬はゲンドウの意向が働いている。

すなわち、それはリツコにとっては至上命令であり、この薬の正体を暴いてミサトに伝えるという行為がリツコの不利益に繋がることは明白だった。

マヤの融通の利かない潔癖症は個人的な情をも超越した高潔とも言うべき域にまで達しつつあることをアスカは悟っていた。

これが…同じ人というものなのかしら…アタシは…酷く自分のことが醜く思えてきた…でも…

時にこの類の正義感は自分自身を破滅へと誘う危うさを孕んでいることは雄弁にこれまでの歴史が語っていた。

一体…こんな大それたことを何処まで考えているのかしら…まさか…アタシの事でここまで思い詰めているとしたらかなり危険だわ…

やっぱり無理よ…

「知らない方がいいわ…それに…アタシにあまり関わらない方がいい…」

マヤは突然椅子から立ち上がると両手をテーブルの上についてアスカの顔を覗き込んできた。一転して厳しい目をしている。

アスカはその勢いに驚いて思わず身体を仰け反らせた。

「どうして?あなたには誰かの助けが必要な筈よ?ちゃんと命令に従ってきた筈のあなたが監禁されて人権を侵害されて!しかも虐待!ふざけてるわよ!こんなのあり得ないんだから!こんな汚くて不潔な行為は誰であっても許せない!どうしてあなたはこんな目に遭っても黙っていられるの?」

激しいマヤの説教口調にアスカはたじたじだった。この会話が漏れ伝わらないとも限らない。ドアの向こうをアスカはチラチラと伺う。

「マ、マヤ…ちょっと落ち着いて…分かったから…」

ち、違った…完全にアタシの目測ミスだった…こ、この人を突き動かしているのはもはやヘンな哀れみでも薄っぺらな同情心でもない…強烈な…いや強烈過ぎる正義感だわ…下手に刺激するとかえって暴発してしまう…ミサトとか副司令にコンタクトすると言ってるし…とんでもないダークホースだわ…ど、どうしよう…融通が利かない人だけにここまで知ってしまったら否定も肯定も難しいわ…

アスカの戸惑いに気が付いたのか、マヤはハッとした表情を浮かべるとバツが悪そうに椅子に腰を再び下ろす。

「ごめんなさい…ちょっと興奮しちゃったけど…でも…世の中にはやっていいことと悪い事があるわ。目的のために手段を選ばないという言葉は確かにあるけど私たちは仲間でしょ?これが使徒ならいざ知らず仲間に苦痛を与えるというのはやっぱりおかしいわ。道は正されるべきなのよ。あなただってこんな事をされる為にここにいるわけじゃないでしょ?あなたはEvaのパイロットである事にプライドを持っていた筈よ。どうしてこんな非道を受け入れるの?正しい事はあくまで正しいと主張してそれを貫くべきよ。私はアスカはそういう子だと思ってた」

「…」

マヤの言葉を聞いていたアスカは僅かに俯いた。言葉こそ違ってもかつて同じ様な疑問が自分の中にもあったことを思い出していた。

マヤ…昔…アタシも同じ様なことをある人に向かって言ったことがある…トレセン時代のアタシは…人を認めて…人を受け入れれば…全てそこで負けだと思っていた…踏み込まれないようにわざと明るく振舞い…そして入り込んでくるものは容赦なく撥ね付けた…弱い人間には目もくれなかった…それが自分ですら歪めるアタシの中身のないプライドの正体…

でも…気が付けば…いつの間にか自分の運命を受け入れて生きていた…なんて皮肉だろう…マヤが言う通り…アタシはここに自分を探しに来た筈…言い換えれば…自分の運命を切り拓きに来た筈だった…自分を取り戻す…それはまるで大空を飛ぶ翼の様にアタシを自由にしてくれる…そう思っていた筈…

アタシからアタシを奪った悪魔の薬…でも…低濃度のこの薬は麻薬の様にA-10神経のノイズの原因になる人間の情愛を麻痺させる…何らかの理由で情愛の感情に精神的な欠陥を抱えたからアタシはEvaと自力でシンクロが出来なくなったんだろう…そのアタシがパイロットでいられるのはこの悪魔の力に頼っているからだ…それ位の自覚はアタシにもある…

アタシは最低なジャンキー女…

こんな情けない状況の中で…アタシは完全に自分の道を見失ってる…どうしていいのか…正直…自分でも分からない…

アタシは自分の守護天使を殺し…そして多くの人の命も奪った…自分を護ってくれると思っていた人が離れていき…最後に…アタシは…碇シンジという人に出会った…罪深く…無軌道なアタシ…あの人はそんなアタシを抱き締めてくれた…でも…

その人との記憶も奪われていた…
そんなアタシが今…唯一頼れるのは…頼るべきは…アタシをパイロット足らしめるこの薬じゃない…あの人しか…

「マヤ…」

「やっぱり何か知ってるのね?」

アスカは小さく頷く。

そうだ…一人で生きていくのは実際難しい…アタシも一人で生きて行くといいながら結局無理だった…否定も肯定もない…そんな甘い考えが許される筈はない…

アスカはまるで独り言の様に呟き始めた。

「この薬は…ナチスドイツが開発した「真実の血清」という自白剤の技術をベースにして開発されたベラドンナを原料に含む記憶操作剤、あるいは心神変換固定剤とも呼ばれる…通称、Berlin Red(ベルリンの赤)」

「記憶操作…」

マヤの表情がみるみる険しくなっていく。

「真実の血清の存在はナチス政権内でも最高機密で、これに関する情報は門外不出のナチスの精神化学兵器研究所内で厳格に管理されていた…第二次大戦の敗戦後…この研究所はまるで霧の様に消えてしまったと言われているわ…」

「ナチスの…精神化学兵器…」

「自白剤というのは誤解を与える言葉で実際はそれ自身に自白させるような効能はないの…大脳皮質を麻痺させる麻酔薬の延長で意識を朦朧とさせることで黙秘の意思を暗示的に弱めて情報を誘導尋問により引き出しているに過ぎない…真実の血清の恐ろしいところは単なる自白剤ではないということ…人間の精神を支配する目的で開発していたの…精神を支配する事で結果的に極めて確度の高い自白剤として利用出来ていただけ…表に出ているのはそういう一面だけなの…」

人は知りたがる…自白剤もその一端…逆にそこまでして知ったとして…何になるというのか…罪を重ねるだけではないのか…無意識に言葉を交わしているアタシ達…知得した人に責任があるなら…与えた側の責任はどうなる…

人を支配し…とことんまで知り尽くして…その背中の翼を暴くというのは…二重、三重に罪深い…BRの存在が悪魔そのものなら…それをマヤに囁くアタシの罪は…どうなるのか…

想像を超える内容にマヤの顔は真っ青になっていた。

「ど、どうしてそんな事をあなたが…」

今のアタシに…選ぶ余地はない…か…

「アタシは無実の罪でここに監禁されていたわけじゃない…第三支部時代にアタシがベルリンのMAGIに不正アクセスを繰り返していた…Berlin Redの情報はその時に入手したの…」

「そういうことだったの…」

だから…アタシを取り戻すなら手っ取り早く…封止された記憶層を解放させればいい…その時に取り戻した記憶こそが…アタシの真実になるのだから…その術を探ることがここに来た最大の目的だった…でも…アインの言う通りかもしれない…アタシはアタシの運命を素直に受け入れるべきなのかもしれない…

「真実の血清は大戦終結後も密かに改良に改良が進められた。その過程の中で人間の精神が海馬の中に蓄積される記憶に極めて有意な影響を受けることが分かってきたの…つまり…記憶を操ることが出来れば人間の精神を容易に制御しえる事になるし、人格をも新たに構築する事が可能になる…この発想からBerlin Redは生まれた…記憶の消去は脳内に物理的なダメージを与える懸念があるために消去ではなくて封止という方式が取られ、封止した部分に新たな記憶をアドオンすることで都合のいい記憶を植えつける…こうすればその人間はその記憶というデータを元に生きる事になるから結果的に精神を支配、つまり別人格を形成する事も理論上は可能になる…」

「でも…そんな薬を何の目的で…」
 
「自己に都合のいい精神を持つ人間を生み出すことは大戦後期の厳しい戦局の中にあったナチスにとって従順で決して裏切る事のない新戦力の増強に繋がるし、反対勢力の押さえ込みを画策する上で非常に都合が良かったの。ナチス政権は世間で思われているほど磐石ではなかったわ。党首の暗殺計画はドイツ軍内でも計画されていた位だし…結局、大戦には間に合わなかったけど開発方針としては脈々と受け継がれてきたってわけ…」
 
「そんな話…わたし…勉強不足だから初めて聞くわ」
 
「日本の大学を卒業したマヤが?違うわよ。単に真実の歴史は何も語らないだけよ。耳に聞こえてくるものは特定の人間にとって都合のいい歪められた真実。だからヨーロッパでは歴史をこれ見よがしに引き合いに出す人間は軽蔑されるの。長い闘争の歴史を歩んで来た人類同士で一方的な被害者も加害者も求め得ない。そんな事を主張するのは救いようのない愚か者だけよ」
 
アスカはマヤとさっきから目を合わせようとしない。何らかの葛藤を抱えているようにマヤの目には映っていた。

アスカ…あなたは何を悩んでいるの…
「ナチスの非道はホロコーストだけじゃない。自国民にも施した真実の血清を利用した人間兵器製造という語られる事のない罪。ナチスの親衛隊組織が極めて強固な忠誠を示した背景には彼らの精神を特定の人間が操っていたという側面もあるの。その時に重要になるのが精神の支配ともう一つ…人間が人間足りえるものを支配する事…そうすることで文字通り完全な人間の支配が可能になる…それはひいては来るべき決戦に備えた人型の決戦兵器を作り出す事になる…」
 
「人型決戦兵器…それって…」
 
「そうよ…Evaの原型ともいうべき人型決戦兵器の概念はナチスドイツの時代に既に生まれていたの…要は生身の人間を使うという違いだけ…」
 
「何なの…それ…じゃ、じゃあ…人を支配するもう一つの要素って…」
 
「命よ…精神と命の両方を押さえれば限りなく魂を手に入れた事になる…魂の入った肉体が人という存在…魂のない肉体はヨーロッパでは珍しくないアイスドールというわけ…」
 
「命…」
 
「そう…ある意味Evaもそうだけど…人型決戦兵器の運用で最大の問題点は「暴走」と「覚醒」なの…」
 
「暴走と覚醒…」
 
「この両者は制御が効かないポンコツ兵器という意味では同じだけどメカニズムとしては似て非なるもの…暴走は精神の崩壊…封止した記憶層と新たに加えた記憶層がコンフリクトを起こして発狂するか、あるいはその両者が瓦解するか、つまり決戦兵器の「理性」が働かない野性状態のことを言う…覚醒とは封止した記憶層の解放により本来の自分を「理性」の存在下で取り戻す事…いずれのプロセスであっても支配者から見れば制御不能状態であることに変わりはないから…役に立たないポンコツは命を奪えばそれで済む…」
 
「酷いわ…」
 
アスカは椅子の上で両膝を抱えていた。不意に静寂が訪れる。
 
この先をマヤに話すべきなのかしら…ミサトにも話したことがない…でも…ミサトの耳にこの事が入ればどうなるのか… 

マヤの顔色は優れなかった。しかし、必死になって理性と感情を整理しているように見えていた。
 
今は託すしかない…マヤにアタシの話をミサトに伝えてもらうしかない…真実を知った上で生まれる新たな秩序もある…その抑止力に…アタシがなるしかない…
 
「その目的で作られたのが特殊なマイクロチップで制御される頭部埋め込み式の超小型爆破型殺傷システム…通称ローレライ…この二つを施術しておけばその人間を文字通り完全に支配できる…大戦中には完成しなかったけど冷戦には間に合った…」
 
「そんなのありえないわ…人間の尊厳を一体…なんだと思ってるの…」
 
「その両方を施術された人間は流石にアタシも今まで見たことがなかったけど…でも確実に存在している…」
 
「ど、どこに…」
 
「今…マヤの目の前にいる…」
 
「う…うそ…」
 
「これで分かったでしょ…?アタシから手を引いた方がいいって言うわけが…アタシはもう誰でもないの…人型決戦兵器なのよ…人造人間に乗る決戦兵器たる生身の人間…皮肉のようだけど事実なの…」
 
アスカは寂しそうに僅かに微笑むとすぐに膝に自分の顔を埋めた。
 
「昔…お前は生きていても後悔するだけの人生しかないから死んだ方が良かったって言われたことがある…その時はバカにするなって頭に来たけど…今思えば…その人は正しかったのね…」
 
「アスカ…」
 
「色々ありがとう…マヤ…でも…もういいの…アタシは今まで自分の運命に抗い…逆らうことばかり考えて生きてきたけど…この頃では受け入れた方がいいのかなって思うようになってきてるアタシがいる…記憶を取り戻す事が幸福な事かどうか分からないって…今まで色々な人に言われてきた…収まるところに収まったのかもしれない…」
 
マヤは言葉が出なかった。
 
「マヤの気持ちは忘れない…でも…アタシに関わるのはもう止めて…アタシはこれまで通り…言われた事をそのまま忠実にこなしていくつもりだから…だから…釈放されるんだと思うし…」
 
マヤは激しい虚脱感に襲われていた。
 
言葉をそれ以上かけることも出来ずヨロヨロと失意のうちに部屋を出た。アスカは顔を上げることなく扉が閉まる音だけを聞いていた。
 
マヤ…アタシも初めに加持さんとここに来た時は二人で潰せるって思ってた…でも…やっぱりネルフは甘くないよ…アタシみたいなヤツに関わらない方がいい…あの人が側にいてくれるだけで十分…折角…アンタは普通に生きられるのに…わざわざ悪魔に近づくことはない…そうミサトにも伝えて欲しい…多分…それは加持さんの意思でもあるはず…

EVA…Erase via All delete(やり直して欲しい)…





マヤがエレベーターホールに戻ってくるとそこで集まって雑談していた諜報課員たちの視線が一斉にマヤに集まる。

「用件は済みましたか?」

「ええ…」

諜報課員の一人がエレベーターのボタンを押す。2階に止まっていたエレベーターがゆっくりと上がってくるのが見た。

「あの…」

マヤは隣に立っている諜報課員に目を向けることなく話しかける。

「なんでしょうか?」

「人間って…」

「え?」

「人間…いや、私たちって…何で生きてるんでしょうね…」

「さあ…まるで哲学の様な難しいご質問ですな…」

やがてエレベーターの扉が静かにマヤの前で開いた。

やっぱり…どう考えても許せない…こんな…こんな非道が許されていい訳がない…ネルフは変わるべきなのよ…本質的に正義の組織であるべきよ…
 
 



 Ep#08_(17) 完 / つづく

(改定履歴)
31st July, 2009 / 誤字修正
PR
ブログ内検索
カウンター
since 7th Nov. 2008
Copyright ©  -- der Erlkönig --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by White Board

powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]