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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第23部 N-30 / 雷神と緋色の戦乙女(前篇)


(あらすじ)

「N-30作戦」はセカンドインパクト後に勃発した世界的内乱以来となる国連軍の大動員作戦を特務機関ネルフ作戦部隊が迎え撃つという空前絶後の「専守防衛訓練」だった。
レオパルドXXを駆るシュワルツェンベック、最新鋭の対空対地支援部隊と神出鬼没の空挺部隊を率いるファーレンハイト、そしてEF(ユーロファイター)の最新鋭機EF3000ハリケーンを中心とする空軍部隊を指揮するフェルゼン。そしてデクと呼ばれる5体の生身のEvaの様な人造人間。これらに単騎で戦いを挑む弐号機と指揮を執るミサト。師弟の運命は…

いざ死地へ / Neon Genesis Evangelion OST 3
(本文)


ベルリン市内を襲った強風は三日三晩吹き荒れ、完全なホワイトアウトで5cm先も見えない状態が続いた。

市街では交通規制が敷かれアウトバーンや主要幹線道路は市当局によって閉鎖されていた。こうなるとベルリンの市民は自家用車の使用を控えてSバーンやUバーン(地下鉄)という公共の交通システムを利用しなければならない。

チルドレン養成所、通称トレーニングセンターはヴァーン湖を挟んで第三支部の対岸に立地している。
 
ヴァーン湖の西の湖岸はセカンドインパクト後に勃発したドイツ内戦時の激戦地の一つだったため市街はそのときに壊滅的な被害に見舞われた。

ドイツの内戦の終結後、この地区の再開発事業の一環としてゲヒルン研究所が付属施設用地を収用し、特務機関ネルフ発足と同時に第二量産工場(仮称)とチルドレン(パイロット)を養成するトレーニングセンターが竣工した。その経緯からヴァーン湖西岸地区にはネルフ職員の多くが居住していた。
 
トレーニングセンターはまるで刑務所の様な高いコンクリートの壁に囲まれ、要所要所に見張り台が設置され、24時間2交代性で警備兵が詰めて大型サーチライトと機関銃を装備していた。

その物々しい外観はまるで強制収容所のような佇まいを見せていた。

分厚い鉄の扉で作られた飾り気のない正門には鉄製のレリーフが無造作に掲げられていた。


Zu
ewige Wiederkunft des Gleichen(汝、永劫回帰へ至れ)


殺風景なトレーニングセンターのロビーに特徴的な特別監査部の査察官の制服を着た加持リョウジが立っていた。特別監査部員には階級章は付いていないが主席監察官は大尉(一尉)に相当した。

加持はズボンのポケットの両手を入れたまま天井から差し込む僅かな光をじっと見つめていた。外は猛烈な吹雪だ。

防弾ガラスにほとんど雹(ひょう)に近い氷結した雪がサンドブラストの様にぶつかる音が聞こえてくる。

「いつも寒いが…今年はやけに冷え込むな…」

「加持さーん!」

後ろから弾むような少女の声が聞こえてきた。

加持は声の方向に目を向ける。赤いプラグスーツを着たアスカが廊下の向こうから全力疾走してくるのが見える。

「よお!久し振りだな!元気にしていたかい?」

加持は流暢なドイツ語で少女に話しかけた。

「はあはあ…さっき…大尉から加地さんが来てるって聞いて…慌ててここに…」

「おいおい!息をするか喋るかどっちかにした方がいいぞ。酸欠で倒れたら大変だ。ははは」

「だって…少しでも長く…会っていたいから…」

少女は少し上気した様な顔を上げるとはにかみながら微笑んだ。

「そいつは光栄の至り…Mein Prinzessin…」

加持は右手を左胸に当ててアスカに恭しくおじぎをする。それは紳士が淑女に対してみせる儀礼だった。
 





「え?国連軍日本駐留軍の軍籍を?何でそんな必要があるんだ?」

「分からない…昨日…大尉から勧められたの…お前には還るべき場所が必要だって…」

「還るべき場所?」

加持が怪訝そうな表情を浮かべて赤いプラグスーツを着たアスカを見る。背中には黒字でLangleyと書かれていた。

「うん…お前にはまがいなりにも25%日本人の血が流れているからって…それから…ううん…何でもない…」

アスカは喉元まで出掛かった言葉を飲み込んでいた。

3日前、第三支部に向かうミサト同行したアスカだったが往路とは異なり帰り道のミサトの様子が少しおかしいことが気になっていた。「YASUKUNI」と言われたアスカはネットで自分なりに情報を調べていたが「日本の右思想のメッカ」「歴史認識の歪曲のシンボル」などミサトの真意とは考え難いサイトしか見つけることが出来なかった。

大尉は何をおっしゃりたかったのか…でも…あの時の大尉は…ゲッティンゲンに来た時と同じ様な雰囲気があった…幾ら加持さんでも…これは話さない方が…アタシと大尉だけの話って感じがしたし…それに…

アスカはちらっと加地の様子を窺う。加持は手持無沙汰な素振りを見せていた。煙草を吸いたいのだろう。

加地さんと…大尉は…アタシなんて…下手に話も出来ない…こうして会うのだって…

アスカはそっと右手をプラグスーツの上から自分の胸に当てた。

胸が激しく波打ってる…緊張する…加地さん…アタシ…加地さんがいてくれるから…ここで頑張れる…加地さんといると復讐なんてどうでもよくなってしまう…アタシ頭悪い…

アスカが小さくため息を付く。加持はそれに気付いていない様子だった。

「そうか…日本の軍籍か…葛城のヤツ…何か思い詰めているらしいな…」

「え?う、うん…何かちょっと様子がいつもと違ってたから…」

アスカの軍籍は宙に浮いたままになっていた。その理由はこの長い亜麻色の髪をした少女の複雑な出自にある。

惣流・アスカ・ラングレーはアメリカ国籍を持っていたが、アメリカに戸籍はなく表向きは特務機関ネルフ第三支部発給の研修生VISAでドイツに滞在するという体裁を取っていた。

しかし、渡独後にドイツ人の家庭と養子縁組をしてその家族の一員として戸籍を得、住民登録もしていた。この養子縁組はアメリカ政府とドイツ政府の調整によって実現したもので、実質的に戸籍がないことを問題視した第三支部が主導的役割を果たしていた。

その理由は給与支払(
士官学校では給料が支払われる)や年金、税金の処理に困ったためほとんど事務的な処理のために養子縁組をしたに過ぎず、不憫なこの少女の境遇を慮った措置ではなかった。

ミサトはセカンドチルドレン(戦略パイロット)の養成も第一次兵装開発プログラムと同様に主要任務としていた。戦略パイロットは軍属であるべきというミサトの方針に従ってチルドレン候補生は全員、志願者扱いで国連軍士官学校ベルリン校への入学と国連軍軍籍の取得を一元的に行っていた。

しかし、その時に問題になったのがアスカだった。

国連軍ドイツ駐留軍の軍籍取得要件にドイツ国籍保持の要件があったため、アスカだけが軍籍を取得する事が出来ず士官学校入学後も軍籍に関しては保留状態が続いていた。

入学自体は粘り強く説得してミサトが認めさせたものの、正規の軍籍まではさすがに国連軍から妥協を引き出すことは出来ずにいた。

軍籍が無いという事は士官学校卒業後に任官先が無いという事であり、万が一に事故死しても殉職扱いにならないばかりかどの国の国立戦没者墓地にも埋葬されない。

引き取り手のないアイスドールの様な扱いしか受けない事になる。

加持は顎に手を当てて思案顔を作った。

士官学校の卒業試験はこの前行われたばかりだが、まだ今年の6月まではセカンドチルドレンの選出は続く筈だ…2年以上も中途半端な状態が続いていた軍籍の事をこのタイミングでことさら急ぐ理由はないと思うが…部長(特別監査部長であるハイツィンガーは現在の加地の上司)が何やらよからぬ事をPAC(暫定北極圏)で企んでいる様だが…それと関係があるのか…この前、珍しく部長が電話で用件を済まさず葛城をわざわざ支部に呼び出していたからな…

「しかし、まあ…いつまでも軍籍がないというのも中途半端だしなあ…下手に調査が入って折角君が手に入れた国籍や戸籍を再び奪われるのは得策じゃない…ドイツ駐留軍の籍が難しいならアメリカよりは日本の方が…いや…むしろその方が将来的に君にとっていいかもしれないな…」

「加持さんがそう言うなら…分かった…大尉にそう言うわ…」

「いい子だ…」

加持はそう言うと少女をそっと抱き寄せた。

「か、加持さん!」

加持は自分の隣で寄り添う様に座っている少女の方を見た。アスカは不意に加地と目が合うと慌てて眼を反らした。

その様子を見た加地は口元に優しい微笑みを作ると少女を見る目を僅かに細めた。

それにしても…また少し背が伸びたのかな…少し見ない間にすっかり女の子らしくなったもんだ…俺がゲッティンゲンで会った時はまだこの子は10歳の子供だった…見た目は子供でも知的水準は俺なんか足元にも及ばないほど高い…

だが…先々まで見通して目端が利く分、逆に子供らしくない…見た目とのギャップが激しいからそれだけに他人から疎んじられ易い…精神はやはり等身大の少女のそれなんだ…それだけに生き急ぎ過ぎて道を誤りかねないあぶなかしさがある…

アスカ…とにかく生きろ…そして自分を大切にするんだ…生き急ぐ必要は全くない…

「ど、どうして今日は…そんなにアタシの事を見るの?加地さん…」

「え?それは…俺のお姫様もすっかり女の子らしくなったなと思ってね…」

「ほ、ホントに?」

加地さん…

「ああ…本当さ。何やら嬉しい様な…寂しい様な…言葉には出来ない…複雑な気持ち…ってやつかな…」

娘を持つ父親とは…こういう気持ちなんだろうか…少なくともこの狂おしさは女のそれではない…だが…どのような形であれ今の俺はこの子と感情的な一線を越える訳にはいかない…この子の支えにはなるべきだが、やはりこの子の全てを受け入れる訳にはいかない…いたずらに傷つけてはいけない…気丈に振舞い強そうに見えるが…その実…すぐに枯れてしまう蘭の様にデリケートなんだ…

この子は本当は心を閉ざしている…心の防護壁の様なもので本当の自分を押し殺している…その中に…2008年12月24日の悲劇の記憶も秘められているんだろう…この子がセカンドチルドレンに選出されれば…その時にゆっくり聞きだせるだろう…そのチャンスをひたすら今は待つしかない…那智さんの死から5年も待ったんだ…あと半年…造作もないことだ…

加持はアスカの頭にそっと手をやる。

アスカはプラグスーツ姿にも関わらずインターフェースの替わりに赤いリボンを付けていた。

「これは…」

「ふふふ。気がついた?アタシが初めて加地さんに出会った時に加地さんがアタシにくれたリボン…アタシの宝物なの…それ以来、アタシはこのリボンを絶対に外さないって決めたから…」

「しかし…シンクロテストの時は…」

「実を言うと今までのシンクロテストでもアタシはインターフェースをつけた事なんてないのよ?ずっとこのまま…」

「インターフェースなしで今までシンクロテストを…まさか…それであれだけの数字を出していたのか…」

加持は驚いて無邪気に自分の隣で甘える少女の顔をまじまじと見た。

信じられん…プラグスーツがシンクロに寄与する割合は多寡が知れているが…インターフェースなしでシンクロしたという話は今まで聞いた事が無い…よっぽど機体と高いハーモニクスがあるのか…それとも何か特別なものがこの子に備わっているのか…いずれにしてもこの子のシンクロ率はもうすぐ前人未到の70%を超えることは確実視されている…

加持は自分の胴にそろそろと少女の両腕が回されて行く事に気がついた。そこで加地の思考はかき消されていた。

「おっと、もうこんな時間だ。そろそろ行かなくちゃな」

加持は腕時計を見るそぶりを見せるとアスカの両手首を掴んで少女の膝に戻した。

「ええ!もう行っちゃうの?つまんないの…」

頬を膨らませる少女を尻目にすくっと立ち上がる。

「ははは。また面会に来るさ。それまでしっかりな」

「分かった…」

「じゃあ、また!元気でな!」

加持はアスカにウィンクすると颯爽と玄関に向かって歩き出した。

「きっと会いに来てよ!加地さん!約束よ!」

「ああ…約束だ…」

「きっとよ…」

少女は寂しそうに小さくなっていく加持の背中をいつまでも見送っていた。
 





3年前、チルドレン候補生は全員で12人いたが現在ではアスカを含めて5人にまで減っていた。最後の12人目としてミサトが連れて来たのがアスカだった。

アスカ以外の全員はマルドゥック機関により選定された生粋のドイツ人の子弟で混血はアスカだけだった。それに加えてアメリカ系の名字で唯一の少女ということも手伝って多感な少年達の憎悪の対象になり、入所以来露骨な人種差別を受けていた。

それだけ「死の行進」以来、ヨーロッパ各国に燻り続けている民族問題の影響は根深かった。



余談だか…

「Yellow Cab」に黄色人種、とりわけ日本人女性を指して「売春婦」などネガティブな意味のスラングがあると実しやかに語られる場合があるがそれには大きな誤解がある。これはあくまで日本人作家の作品の中で使われた文言(タクシーは客なら誰でも乗せるという事から派生させた設定)であって少なくとも英語圏のYellow Cabにその様なニュアンスは全くと言ってよいほどないし、外国人にはまず意味が通じない。

また後で出てくるが「カボチャ」は英語で「Pumpkin」である。厳密には皮がだいだい色になる西洋カボチャの事を指す言葉である。皮が緑色の日本のカボチャは正しくは「Squash」を当てる。基本的にカボチャはカボチャなのでよっぽど正確に伝える必要がある場合を除いてややトリビア的であるが…因みに「かぼちゃ」に人種差別的ニュアンスは現実の世界ではない。あくまでこれは作者の作り出した話である。為念。

閑話休題。



「おい知ってるか?今日、いよいよ大尉殿から正規パイロットの発表があるらしいぜ」

「ホントか?そうか…いよいよこの日が来たのか…くっそ…興奮するぜ…」

国連軍士官学校ベルリン校のピカピカの制服を着た三人の少年がトレーニングセンター内のメイン廊下を一列になって肩で風を切りながら歩いていた。

片親とはいえ少年達には父親が顕在だったため、軍から支給される給与以外に実家からの仕送りもあって裕福だった。

士官候補生の給与は決して多くはなく、寄宿代や食堂の給食費を支払うと自由に使える手元のお金は心細いものだった。

僅かに手元に残ったお金を切り詰めて貯金に回していたアスカは軍から定期的に支給される日用雑貨と軍服を大切に使っていた。毎日の様に制服を着ていたため擦り切れるのもそれだけ早かった。

着古した制服に身を纏ったアスカが少年達の遥か後ろをまるで存在を消すかの様に音を忍ばせて歩いていた。

突然、人気のない廊下で罵声が響いた。

「おい!かぼちゃ!てめえ、大尉殿と同じイエロー同士だからっていい気になるなよ!」

アスカの前を歩いていた少年たちの中で最も長身のライナー・シュタインがアスカに敵意むき出しの視線をぶつけてきていた。

このトレーニングセンターでアスカは「混血女」「かぼちゃ(遠回しに白人ではなくモンゴロイドで中身のない下等人種というニュアンス)」「TB(Town Bike / 英俗語で誰とでも寝るふしだらな女という意味がある)」などと呼ばれ、罵詈雑言の限りを尽くされるのみならず選抜プログラムが進むにつれて暴力を受けるようになっていた。

シュタインの両隣にはディートリッヒ・ゲルハルトとロルフ・クルツリンガーがいた。二人ともシュタインの腰ぎんちゃくの様な存在で常におべっかを使うのに余念がない。

アスカはシュタインと目を合わさず伏せ目がちに少年達を避けて廊下の脇をすり抜けようとした。

「こいつ…オレをコケにしやがって…おい!!かぼちゃ!!」

ライナー・シュタインは俯いたまま通り過ぎ様とするアスカの肩を掴むと少女の一回り小さい身体を思いっきり壁に押し付けた。

背中を強打して一瞬呼吸が止まる。

「うぐ…」

アスカはたちまち少年達に囲まれた。シュタインはアスカの細い首を右手で抑えつけ喉輪攻めにする。

アスカは思わず苦しさに顔を顰めた。

「この汚らしい混血女め…イエローの癖に生意気なんだよ…いつもすかしやがって…ちょっと学科の成績がいいからって舐めんじゃねえぞ…何とか言えよ!おい!」

アスカのか細い身体はほとんど宙に浮いていた。辛うじて爪先立ちしているが容赦なくシュタインは締め上げてくる。

アスカはキッとシュタインを睨み返す。

「く…くやしければ…勉強して首席を取れば?別にアタシは特別な事…何もしてない…あんたがバカなだけでしょ…弱い者いじめして…何が楽しいわけ…」

「こ、この売女!付け上がりやがって!おい!」

シュタインの合図でディートリッヒ・ゲルハルトがアスカの口を押さえる。シュタインがいきなりアスカの腹に拳を付きたてると続けざまに鋭く膝蹴りをめり込ませた。

「ん…ぐぐ…」

悶絶する顔を楽しむかのように少年達はあざ笑う。

シュタインが赤いリボンでツインテールにしていたアスカの髪を引っ張る。口を押さえられたアスカの顔が苦痛に歪む。まるで髪の毛でアスカの身体を引っ張り上げようとするような勢いだった。

シュタインの手がリボンに触れた瞬間、突然アスカが暴れ始めた。

「触るな!アタシに触るな!髪を切られても…階段から突き落とされてもいい…でも…アタシの…アタシの唯一の証…アタシのプライドに汚い手で触るな!」

「お!珍しくカボチャが暴れ始めたぞ!ははは!」

アスカの抵抗はかえって少年達の残酷を刺激した。ロルフ・クルツリンガーが鳩尾(みぞおち)に拳をめり込ませる。


運命に抗えば…自分が傷つくだけさ…エリザ…僕はやはり君に運命に従えというだろう…

アイン…アタシ…間違っていたの…?一時の感情で…復讐にこの身を焼いた報いなの…


「ぐぐぐ…」

アスカは堪らず動きを止める。

ぐったりと頭を下げたアスカの前髪をシュタインが掴むと再び引き上げる。

「おい…かぼちゃ!戦場ではな…力がすべてなんだよ…お前みたいなひ弱が戦場に出てみろ…一瞬のうちに慰み物になってオシマイだ…目障りだからここからとっとと出て行けよ…分かったか…」

少年達は代わる代わるアスカの腹や背中をまるでサンドバッグの様に殴り付け始めた。アスカはその場に崩れ落ちるようにして倒れこむと今度は容赦なく蹴りが飛んできた。

「おい!目に見えるところは蹴るな。下手にコイツに傷を作るとまた大尉にどやされるからな」

嫌…子供の男なんて…嫌いだ…子供なんて嫌いだ…

頭を抱えてアスカは亀の子の様に身を屈める。小刻みに肩を震わせていた。

「ゲフ…ゲフ…はあ…はあ…はあ…」

「いいか!とっとと荷物を纏めて田舎に帰れ。生意気なんだよ!この野郎…」

「ちっ!全く可愛げのない女だ…これだけ痛めつけても涙一つ流さないんだからな…気持ちわりい…」

穿き捨てる様にシュタインが言うと引き千切った赤いリボンを床に放り投げた。

少年達が去った後、廊下は少女一人だけになっていた。痛む体を引き摺って無残な姿になったリボンを手に掴む。

「加持さん…ごめんなさい…折角の…エグッ…汚されちゃった…」

冷たい廊下に横たわったまま胸に押し抱く。何がそうさせるのか自分でも分からなかった。

ヒッ…ヒッ…ヒッ…

小さなか細い声がかすかに聞こえていた。
 





「敬礼!」

シュタインの号令で五人の少年少女は一斉に背筋を伸ばしてブリーフィングルームに入って来たミサトとベッティーナ・ピーターセン少尉、ルードヴィッヒ・ウェルツェンバッハ少尉の3人に敬礼する。

ベッティーナとルードヴィッヒが返礼するのに続いてゆっくりと全員を見渡しながらミサトが敬礼を返した。

ミサトの目が列の一番端っこにいたアスカのところで止まる。

アスカはトレードマークになっていた赤いリボンを付けておらず髪は全て無造作に下ろされたままになっていた。心なしかアスカの目は空ろに見えた。

ミサトは思わずアスカを見る目を細める。

お前はよくここまで耐えてきた…泣き言一つ言わずに…どんなに偏見や差別を受けてもあたしに泣きつく様な事はしなかった…ここに来た当初、お前はよく他の候補生達と乱闘騒ぎを起こしてその度に独房にぶち込まれた…理性なき力は暴力…この教えの意味は非常に重い…これは重要な軍人としての資質だ…

「休め!」

候補生達は一斉に右手を下ろすと背筋を伸ばして正面を見据えていた。ミサトは小さく頷くと睥睨するように候補生達を見る。

たちまちの内に部屋の空気が張り詰めていく。候補生全員の顔に緊張が走るのが手に取る様にわかった。

いよいよ正規パイロットの発表か…選ばれたとしても4月にはN-30に出撃しなければならない…あたしはこのまま進む事が果たして正しいのか…いや…答えは自明だ…正義の戦いというものはない…だが…戻るも同じ地獄が待っている…同じ地獄なら…突き進み…己の道を切り開くしかないが…最後にそれを選ぶのはお前自身だ…あたしが与える事が出来るものはやはり力でしかない…

「候補生諸君!まずはこれまでの貴殿らの努力に敬意を表すとともにその労苦を労いたいと思う!かつて12名だった候補生だが選抜中の名誉ある事故死等で貴殿ら5名を残すのみとなった。よくここまで生き延びてきた」

稲妻とあだ名されるミサトは日本人女性としては身長が高い方だがドイツでは平均身長を下回るため小柄にしか見えなかった。

しかし、鋭い眼光と研ぎ澄まされた名刀の様な殺気は周囲にいるものを緊張させずにはいられなかった。

「チルドレン選抜プログラムは今年の6月まで継続されるが、残りの6ヶ月はより実戦に即した訓練を行う事になる。すなわち正規パイロットを選出する事により我がネルフはいよいよ本格的なEvaの運用試験に入る。これはセカンドインパクト後の世界において極めて大きな一歩を踏み出す事になるだろう。今日はそれに先立ちまず国連軍士官学校の課程を修了した諸君らの中から栄えある正規パイロットを選びたいと思う」

ミサトのよく通る声が肌寒い100人は軽く収容出来そうな大会議室に響いていた。その場にいた全員の緊張がまさに最高潮に達する。

「それでは世界初となる人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオンのE型プロダクションタイプの正規パイロットの名前を発表するが一つ断っておく。これはあくまで最終決定ではなく優先順位と考えてもらいたい。これから呼ぶ名前はその序列になっている。すなわち今年の6月の選抜プログラム終了までに事故等で上席者が落伍した場合は次点の者がその資格を継承するという意味だ。勿論、今後の定期シンクロテストやその他の訓練における結果は常にモニターされ、リストの筆頭者であってもその後の結果が芳しくなければ容赦なく入れ替えるからその心算で。ルッツ!」

ミサトが傍らに立っていたルードヴィッヒ・ウェルツェンバッハ少尉に合図を送った。

「は!」

ルッツと呼ばれた長身の男性士官は年の頃は20前半だろうか、グレーの瞳にダークブラウンのウェーブがかった髪を少し掻き揚げると手に持っていたリストを開く。

「それでは正規パイロットの序列リストを発表する。正規パイロットはラングレー候補生」

「は、はい…」

アスカは列の端っこからやや控えめに返事をするとおずおずと列から一歩前に歩み出る。シュタインの刺すような視線を感じていたが一顧だにしなかった。

「惣流・アスカ・ラングレー第13期候補生。全世界の国連軍士官学校共通の一般教養課程及び国連軍士官甲種専門課程において首席。及び特務機関ネルフにおける戦略パイロット養成課程の学科並びに実技首席。特に一般教養課程と甲種専門課程の成績は国連軍創立以来の最高得点を記録した」

「ば、バカな…かぼちゃの分際で…」

シュタインがまるで放心したように呟いた。

「私語を慎め!シュタイン候補生!」

「は!も、申し訳ございません!少尉殿!」

ルッツに一喝されたシュタインは塩を振られた青菜の様にしおれるしかなかった。再びルッツが口を開く。

「ラングレー候補生には国連軍訓練大隊から成績優秀者に贈られる金獅子優良賞と名誉ある銀時計が授与され、国連軍ドイツ駐留軍団長より金熊優良賞と副賞の1000ユーロが学費として贈られる。更に今回は特別に国連軍統帥本部より直々に特別優良賞と栄誉を讃える銀のサーベルが授与される」

「ぎ、銀のサーベル…」

ルッツの読み上げた国連軍士官学校第13期の成績発表に全員が驚きの声を上げる。

国連軍の最高意思決定機関である統帥本部から勤務精励、功労等の優良賞を与えられる事は現役軍人でも稀であり、栄賞の中でも遥かに希少価値が高かった。

それがまだ正式任官もしていない士官候補生に与えられるのは異例中の異例で、しかも銀のサーベルとは銀杓(元帥杖)に次いで価値のある下賜品だった。近年では銀のサーベルを贈られたのは欧州内戦で抜群の勲功があったサー・シュワルツェンベック中将、ファーレンハイト少将、そしてフェルゼン少将くらいのものだった。

「以下、シュタイン候補生、コール候補生、クルツリンガー候補生、ゲルハルト候補生…」

シュタインは今にも倒れこみそうなほどの衝撃を受けていた。

足ががくがくと震えている。それが何故なのか自分でもハッキリしなかったが、ただ確かな事は碧眼の長い亜麻色の髪をした少女に対する憎悪だった。

こ、こんな屈辱…生まれて初めてだ…

ライナー・シュタインは幼少期からドイツ政府の天才児認定を受けて周囲から神童と言われていた。彼の転機はセカンドインパクト後に発生した民族衝突だった。ドレスデンに住んでいた彼はそこで最愛の母親を失っていた。

彼の母親は移民の人権を保護するために奔走する弁護士だったがお互いが疑心暗鬼になっていた移民と地元住民の間を仲裁しようとした時に突発的に起こった暴動に巻き込まれて不慮の死を遂げていた。

彼は大学教授の父親の諌めも聞かずに国粋主義に身を投じ、たまたまマルドゥック機関からスカウトを受けてチルドレン選抜プログラムに参加したという経緯があった。

トレーニングセンターのみならず国連軍士官学校の各種課程においてもきわめて優秀な成績を収めていた彼ではあったが常にアスカに及ばず次席に甘んじていた。

恩を仇で返す汚らわしい下等人種に負けるわけには…この俺が…アイツさえ…アイツさえいなければ!!見ていろ!ラングレー!必ずほえ面をかかせてやる!!

シュタインの目は烈火のごとく燃え上がっていた。

やがて散会が告げられる。

端正な細面のクラウス・コール候補生がアスカの前を通り過ぎる時に静かに声を発した。

「おめでとう…フロイライン惣流…同期生として君を誇りに思う…」

アスカは驚いて普段全く無口でこれまでほとんど口をきいた事のない同期生の顔を見た。日本の姓を呼ばれたのは初めてだった。ミサトですらラングレーという英名の方を呼んでいた。

民族の誇りはその言語、姓名に現れるといわれている。明らかな人種差別に対するアンチテーゼの態度をクラウスは示したとも取れなくはなかった。

「クラウス…」

ブラウンの瞳をしたクラウスは僅かに微笑むと足早にその場を去って行った。

彼もまたアスカと同様に入所以来、一貫して一匹狼を貫いてシュタインに決して組することをしなかった。

国家という概念より民族の結束が優先される歴史を辿ってきたヨーロッパでは民族意識は合理的な判断を超越する。この感覚は統一国家をいち早く日本列島という独特の地理的条件の中で形作った日本民族と一括りにはできないものだろう。

「アスカ、おめでとう!よく頑張ったわね!それにしても凄いわ、あなた!統帥本部から優良賞を贈られるだけでも驚きなのに銀のサーベルまで下賜されるなんて」

アスカの目の前に何かと世話を焼いてくれるドイツ駐留軍所属のベッティーナ・ピーターセン少尉が立っていた。

ミサトはこの女性士官をティナと呼んでいた。ティナは我が事の様に喜んでいる。

「ありがとうございます…少尉…」

「髪…どうしたの…?」

ティナの言葉にアスカの顔が思わず引きつる。

「何でもありません…」

「そう…」

ティナは何となく事情を察したらしくそれ以上の事は何も言わなかった。その替わりにアスカの手を取ると掌にそっと髪留めに改造された赤いインターフェースを握らせた。

「少尉…こ、これは…」

「実は今まで黙っていたけど…私の姉のマルティナはね、かつてドイツ連邦陸軍の技術将校だったの。マルティナが2008年の夏に初めて弐号機との接触試験をした時に事故が発生して姉は第三支部で…当時はまだゲヒルン研究所って呼ばれていたけど…そこで殉職したの…」

「ええ?少尉のご姉妹が弐号機で!ま、まさか…」

ティナは少し悲しそうな目をする。

「本当の事よ。だから弐号機は私にとってもとっても想い入れが深い。その正規パイロットにあなたが選ばれて私は本当に嬉しいの。シュタインみたいな嫌な子になったらどうしようかって思っていたのよ」

「少尉…」

いつの間にか部屋の中はティナとアスカの二人だけになっていた。

ティナはにっこり微笑むとアスカの髪を優しく掻き揚げるとまるで妹に接する姉の様にそっと片方のヘッドセットを付ける。

「あなた…誰にも気付かれていないと思っていたんでしょうけど大尉も私もみんな知っていたのよ…あなたがインターフェースを付けないでずっとシンクロテストしていた事…」

アスカは驚いて優しく微笑むティナの顔を見る。

「あ、あの…アタシ…」

「大尉が候補生の中でシンクロ率がトップのうちはそのままにしておきなさいって仰っておられた…あなたにとってあの赤いリボンはプライドだったのね…」

ティナはもう片方のヘッドセットも同じ様に付ける。

「何があったのかは知らないけど…あなたが赤いリボンを外してこの部屋に入ってきた時は大尉も私も正直びっくりしちゃったけど、これも何かの思し召しだったのかもしれないわね…あなたのためにこの髪留め型のインターフェースを作ったのよ…このヘッドセットはね…大尉や私、そしてシュミット少尉、ルッツ、そしてオットーからのささやかなお祝いよ…」

ティナはアスカの頭を二度三度と撫でる。

「しょ…少尉…」

少女は顔をクシャクシャにしていた。次から次へと溢れてくる自分の感情を表現出来ないもどかしさを感じているように見えた。

「おめでとう…弐号機パイロット…今日からそれがあなたのプライドになるわ…」

ティナは表情を引き締めて少女に敬礼すると部屋を去って行く。赤いヘッドセットをつけた少女は俯いたまま遠ざかって行く足音を聞いていた。

「(気持ちを込めた)ありがとう…その一言を言う事がこんなに難しいなんて…思わなかった…」
 





翌日、アスカはただ一人、ミサトに呼ばれて「極秘作戦N-30」への出撃命令を受けた。そして3月までにパレットガンの兵装開発を完了させる計画である事を告げられる。

パレットガンの開発責任者であるオットー・シュナイダー少尉から試験要領書を受け取ったアスカは勇ましく敬礼を返していた。

神ならぬこの少女は自分を待ち受ける過酷な運命を知る由もなかった。


一方…


第三支部の支部長室で書類に目を通していたゲオルグ・ハイツィンガーは突然の来客を受けていた。

「何…ミサトのところの候補生が?この私に会いたいだと?」

ハイツィンガーは怪訝な表情を浮かべていたがすぐに内線電話の向こうにいる秘書に面会の許可を与えた。暫くしてハイツィンガーの前に国連軍士官学校の制服を着た長身の少年が一人現れた。

ライナー・シュタインだった。

緊張した面持ちをしていたが何か思い詰めたような雰囲気がある。

「シュタイン候補生。見ての通り私は暇ではない。手短に用件を言え」

「は!実は本日はお願いがあって参上しました」

見ていろ…ラングレー…お前をパイロットから蹴落としてやる…

ハイツィンガーは黙ってシュタインの言葉に耳を傾けていたが悪魔的な閃きが彼の頭に浮かんでいた。

「なるほど…弐号機パイロットの選定基準に不正があったという訳か…君が成績優秀であることは私の耳にも入っている。その君が選ばれずに凡そ戦場には似つかわしくない女が選ばれるというのはな…」

ふん…青二才め…男だろうが女だろうがそんな事はどうでもいい…マルドゥックが拾ってくる馬の骨なんぞにいちいち構っていられるか…Evaは将来的にチャイルドで運用されるべきなのだからな…

しかし…幾らパフォーマンスでも木偶(デク)を未完成のダミープラグで起動させるというのもどうかと思っていたが…コイツを使えば…少しはまともな見世物になるかもしれんな…

フフフ…せいぜい小僧の機嫌をとってやるか…

「しかしミサトにも困ったものだな…私は君の才能を実に高く買っていたんだがね…女は所詮同性に甘いということか…」

「ほ、本当ですか?閣下!」

シュタインは高く買っているというハイツィンガーの言葉に大きく自尊心をくすぐられていた。

「本当だとも。まさに国家の恥という君の主張もよく分かる。どうだろうね…それならば君の汚名を返上する絶好の機会があるんだが…興味はあるかね?」

「勿論です!支部長閣下!」

目の前に立っているシュタインを見ながらハイツィンガーはほくそ笑んでいた。

それはまるで悪魔が魂を譲り渡す契約書にサインをした人間を見るかの様な眼差しだった。

フフフ…楽しいショーになりそうだよ…ミサト…
 
 


Ep#08 (23) 完 / つづく
 

(改定履歴)
26th Aug, 2009 / 誤字修正 改行修正
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