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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第33部 Dies irae 怒りの日(Part-3) / 三人の使者(前編)

(あらすじ)

その日…ネルフ本部は騒然としていた…それは今までとはあまりにも異なる使徒の襲来だったからである。あたかも襲来の日を知っていたような素振りを見せるゲンドウ、そして第三東京市を包囲するかのように現れた三体の使徒…そして…それに果敢に立ち向かうミサト以下のEvaパイロットたち…

運命の時…怒りの日の火蓋は切って落とされようとしていた…



「主は男アダムの願いを容れ女の元に三人の御使いをお遣わしになった…女は既にデモンと共に堕落し、主のお言い付けに背いた…主はお嘆きになり男に言った…汝、男アダムよ…そなたの願いは叶わぬものとなった…そなたには妻たる従順なるものが必要である…さあ…眠るがよい…汝が再び目を覚ますとき…そなたは妻を所有するであろう…」
「ヴァチカン 秘文書 / 聖アダムの妻(※)」
※ 上記文献名はフィクションなのでご注意下さい。

Eveの創造

「エヴァ(Eve)の創造」
(本文)

ミサトのマンションのリビングに置いてあるソファはベッドになる。シングルよりも幅の大きなソファベッドにレイは横になっていた。

月は高く、リビングにかけてあるクォーツの掛け時計の秒針の音だけが響いていた。

「リリス…」

レイは声のする方に寝返りを打った。床に薄いマットレスを敷いて横になっているカヲルの姿はレイからは見えなかった。

「あなた…まだ起きていたの?

カヲルの小さい声だけが下から響いてくる。

「まあ…別に無理に眠る必要は無いからね…君もそうだろ?だから夢を見ることも無い…君は今までに眠った事があるのかい?」

「あるわ…」

「へえ!それは実に興味深い告白だね。それはいつ?」

「今年の7月…浅間山の旅館で…今日みたいにみんなと一緒だった時…私は…眠ったと思う…初めて…」

「どうしてそう思うんだい?」

「その日だけ…夜の記憶が無いから…」

「はは、なるほどね…その時…夢は見なかったのかい?」

「夢?」

「そう。夢さ」

「夢…夢って何…」

「夢、それは希望への道しるべ…知恵を継承した者のみが見る…母なる人への思慕…そして遠い記憶…」

不意に静寂が訪れた。ガラス戸から差し込む月明かりを浴びていたカヲルは僅かに上体を起こした。

「シンジ君はいつも夢を見ていた…僕たちはずっとこの家に一緒にいたんだ…最初は彼が睡眠の間に見ているものが何なのか…僕にはよく分からなかった…でも…そのうち…それがリリンの見る夢というやつだと分かったんだ…シンジ君はエリザ…いやアスカと君の事をよく夢の中で見ていた…」

「碇君が…」

「そうさ…何故かは分からない…シンジ君を見ていると…自分も夢を見ている様な気がした…だから…僕は彼が起きるまでずっと近くで見ていたんだ…朝起きるまで彼の夢を隣で見ていたこともある…ふふふ、そういうえばシンジ君に一度それで怒られたことがあったな…我ながら全くバカな事をしたと時々思い出しては笑ってしまう…羨ましかったのかな…僕は…自分でもよく分からない」

レイは喉元まで出掛かった言葉を飲み込んでいた。返事の変わりにゆっくりと上体をソファベッドの上で起こした。それでも足元に横たわっているカヲルの姿はよく見えなかった。

「リリス…夢はね…リリンが母なる人を想い偲んで見る思慕がその本質さ…主の怒りに貫かれて自由を奪われた母は祝福される事の無かった子なるリリンを残して再び黒き月に沈んだ…後に残された子なるリリンは母の残した知恵を継承して口に糊する術を得た後に群れを成して暮らす事にした…だがその心は決して癒される事は無く…喪失感を抱えたままで時を重ね…限られた命を繋いで生きて来た…」

レイは黙ったままカヲルの言葉を聴いていた。

「その過程で母なる人への思慕たる夢は変遷して行き…いつしかそれが神秘性を増し…挙句に悪夢…特に男子を夜に襲う魔物の伝承となった…その魔物の名前を古代の伝承ではリリスと言うらしい…そして…最初の人間アダムの妻はエヴァとされ人間はアダムとエヴァの子孫である…とね…君は知っていたかい?」

「いいえ…」

「そうかい…言われ無き責めを負い…身を挺して守り通したものが何故…相反するアダムの血統を名乗るのか…僕がおとなしく彼らに従うのは君にリリンが…」

「キャンプの時…フォースが言っていたわ…」

突然、レイはカヲルの言葉を遮った。

「フォース…トウジ君かい?」

カヲルは閉じていた目を開ける。

「人間(ヒト)はいつか親(母)から離れて一人になるものだって…自分が自分である事を確かめる事は重要なんだって…(
Ep#08_19)

「そうか…実にリリンらしい考え方だ…そうやってリリンは孤高を目指す…そして崩壊していくんだ…己の力量も把握することなく限りなく求め、そして全てを知ろうとする…主なる方から見れば許されざる僭越と言う外ないだろう」

「常に原点を顧みる事が正しいとは限らないわ…過去は過去…未来を保障する事は出来ないもの…私に出来る事は…未来を目指すヒトを見守ることだけ…」

「なるほど、ね…それがシンジ君のお父さんが考えている事か…やはり君は知っていたんだね…彼はやはり主と同じ力を得ようとしているという事か…その夢に…手を貸す事を運命とすべきなのだろうか…」

カヲルのやや強い口調を聞いてレイは目を伏せた。

「ヒトは…夢に惑い…そして夢に生きているわ…それが希望を紡いでもいる…」

「そうさ…心と夢の水源(みなもと)を知らず知らずのうちに求めている…その水源たる君が今だかつて夢を見ないというのはどういう事なんだろうね…」

「あれが…夢というものなのか…私には分からない…でも…青い空と…白い雲…とっても大きな白い雲が浮かんでいるのが見えた…真っ暗で星以外の光は何もないところなのに…空なんて見えないはずなのに…そこには碇君もいたわ…笑っていた…でも…ちょっと寂しそうだった…」

「浅間山の話かい?リリス…多分…それが夢なんだよ…美しい夢だ…」

「カヲル君…」

名前を呼ばれた途端にカヲルは静かになった。奇妙な間合いが出来る。

「…君にそう呼ばれるのはまだ慣れないな…自分でも分かってる筈なんだけどね…僕はもうアダムとは呼べない存在なんだってね…それを受け入れるべきなのに…僕は…」

「こっちに来ないの?」

レイの足元に横たわってT字になっていた二人だった。カヲルはゆっくりと上体を起こすとレイの方を見る。レイは月明かりを浴びて青白い光を帯びていた。レイの目は伏せられたままだった。

「リリス…」

「そういう存在じゃないから…私も…ここにいるのは…カヲル君という人と…レイという人だけ…」

レイはそう言うとソファベッドの端に寄ってスペースを作った。それに促される様に空いた場所にカヲルはゆっくりと横たわる。レイはタオルケットを羽織ったままカヲルに背を向けていた。

「レイ…綾波レイ…僕は今日…初めて…眠れそうな気がする…」

「…」

「こんな時は…何て言えばいいんだい?」

「おやすみなさい…」

「そうか…じゃあ僕も…おやすみなさい…」

二人はどちらからともなくベッドの上に横たわった。やがてリビングに小さな寝息が二つ立ち始めた。
 


土曜日が当番(本部待機の当直勤務)だったシンジは結局プレゼントを買う余裕が無かった。

午後5時に定時で上がる事が出来ればリニア駅内の商業エリアで適当な小物でも買えると考えていたシンジだったが珍しく「残業」に駆り出された。

残業をシンジに言い渡したEva隊(作戦部再編後は作戦部長直属部隊となっている)の司令官であるミサトはシンジのあからさまな不機嫌の原因を察している様だったが気が付かない振りをした。こういうところは相変わらずミサトは非常にシビアだった。

何をどう取り繕ったところでEva隊は少年兵…命のやり取りに加えて大人並の規律を強要するのはもうサディスティックだろう…

ミサトは初号機が肩に担いで運ぶ鈍色の砲座を見つめていた。

もう変なところにあたしも拘らない…結果を出してくれればそれでいい…シンジ君…アスカ…レイ…あんたたちを出来るだけ生かす方法をあたしも考えるから…

一方のシンジはイライラしながら作戦5課(筑摩サトル一尉指揮)が指示してくる建築資材や150mm榴弾砲をジオフロントの各所に運んでいた。

12月に入って何で急に忙しくなるんだよ…

さすがにN2爆雷を運搬するときは緊張したものの常に時計が気になっていた。シンジはジオフロント内で自分が運んだ砲台や敷地に設置したN2爆雷が後に大きな役割を果たす事になろうとはこの時全く想像出来なかった。

無理はないかもしれない。Evaを降りれば普通の14歳の少年なのだから。

シンジが地上のリニア駅に着いた時は夜の9時を回っていた。広い中央改札前の通路を歩く人の数は少なくなかったが居酒屋以外の店の照明は落ちていた。

「折角来たのに…こんなのってないよ!」

時々A組の女の子たちの間で話題に上るファンシーグッズや靴下などの小物を売る店の前でシャッターを蹴る。

ガシャガシャガシャ

金属の擦れ合う甲高い音を残してシンジは憤然とその場を後にする。歩きながらブツブツと呟いていたシンジだったが仕事帰りのサラリーマンやOLとすれ違いながら歩いているうちにだんだんと血圧は下がっていった。

大人になったらこんな毎日になるのかな…自分のやりたい事がやりたい時に出来なくなる…

シンジはけだるい身体を引きずって自宅に足を向けた。

ミサトさんに文句を言うのは間違ってる…誕生日の事を忘れていたのも…空いた時間を無駄にしたのも…僕だ…時間を大切にしないといけないっていうのはこういう事を言うんだ…多分…

南口広場にはバスを待つ人の列が出来ていた。家路につく人々の列を見ながらシンジはポツリと言った。

「アスカ・・・ごめんよ…」

第三東京市の人口流出はまだ続いていた。心なしか列の長さも短く見えた。

「まあ…明日があるか…」



しかし、12月6日(※ 原作は8日)は保護者であるミサトの記念すべき30歳の誕生日だった。

作戦部主催の駅前の小料理屋を貸し切った懇親会と称する集まりにEvaのパイロット達も駆出される事になり結局シンジはその機会を失ってしまった。羽目を外しすぎたのか、宴席の途中で珍しくミサトが完全に酔い潰れてしまった。

今年に入ってミサトが酔い潰れるのはこれで2度目だった。

「それにしても…珍しい事もあるものね…」

レイの隣に座っていたアスカがファンタの入ったグラスを傾けながら言った。

「何が?」

レイは海鮮サラダを自分の取り皿に山盛りに乗せると黙々と食べ始めた。

「ミサトの事に決まってんでしょ!酔い潰れるなんてさ!明日仕事なのにどうするつもりかしら!ったく…」

レイはサラダを上下に混ぜることなく上の方から順番に食べているらしい。サラダボウルの中はワカメだらけだった。

「ちょっとアンタ…言っとくけどアタシその黒いヤツ(ワカメ)食べないからね…アンタで処理してよね」

アスカはため息を付くと自分とレイの後ろに横たわっているミサトの方をチラッと見た。ミサトは座布団を枕にして眠っている。修羅場と化した宴会場の中で比較的静かなチルドレン達の座っている座敷に運ばれてきていた。

「まだ…生きてんのかしら…」

作戦部所属のEvaのパイロットとはいえ14、5歳の青少年たちがいる目の前で大人たちのどんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。

作戦部以外では技術部のリツコ、マヤ、青葉、保安部長の由良らが子供達の席の隣の座敷で一箇所に固まっているのが遠目に見えた。テーブルの上からリツコと由良のタバコの煙がもうもうと上がっている。

ミサトの旧友とはいえリツコからしてみれば作戦部の懇親会は超アウェー状態と言っても過言ではなかったが周囲の心配を他所に威風堂々だった。

だが、アスカはそんなリツコがチラチラと自分の方に視線を向けてくる事に敏感に気が付いていた。それが酔い潰れた”無様”な旧友を慮っての事なのか、それとも別の何かがそうさせているのか。

なによ、リツコ…さっきからジロジロと…もうアタシから奪うものなんてない筈でしょ…

そうしたことも余計にアスカを苛立たせていた。

「おーい!若い人!最近の歌を歌ってくれよ!」

「おお!いいねえ!」

「アスカちゃーん!アンコール!」

さっきまで鳴り響いていた演歌のカラオケが終わるとあちこちから声が上がる。

「ちょっと!もう嫌よ!何曲歌わせれば気が済むのよ!さっき歌ってあげたじゃん!」

そんな気分じゃないのに…

付き合いは決して悪くないアスカだったが不機嫌な声を上げて酔っ払った大人達に抗議し始めた。

アスカ…

アスカ、レイとテーブルを挟んでシンジ、トウジ、カヲルが座っていた。シンジは正面に座っているアスカを心配そうに見ていたが特に立ち上がる素振りを見せなかった。隣に座っていたトウジが持っていたコーラを一気に飲み干すとすっと立ち上がった。

「しゃあないなあ!ほなそろそろ真打が出なアカンやろ!ここは!」

トウジがアスカに向けられていたマイクと選曲端末を引っ手繰った。

「前座は終わりやで、惣流。ワシに貸してみい」

「ちょ…な、何が前座よ、アンタ!しっつれいね!バカの癖に!アタシの方が上手いに決まってるじゃん!」

酔っ払いは手を叩いて喜び始めた。酔っ払いにとって飲み会の余興は何でもよかった。

「おっしゃ!次はトウジ君だ!」

店内に今人気の男性グループ「Knights」のバラードのナンバーがかかる。今月出たばかり新譜だっただけに歌いたくても歌えなかった大人達は一気に盛り上がる。

「おう!ワシが大人のバラッドちゅうもんをみせたるわ!」

長い前奏だった。トウジはぼーっとしているシンジの背中を思い切り叩いた。

「い、いた!な、何だよ…」

大音量と大きな手拍子の中、トウジはシンジの耳元で囁いた。

「惣流のヤツを今のうちにちょっと外に出したれ…機嫌が悪うなっとる…」

驚いたシンジはトウジの顔を見た。

「早よせえ!」

「と、トウジ…」

「またキャンプの時みたいにキレて暴れ出したらかなわんよってな!“お前の涙を…」

言い終わると同時に歌が始まった。

「すげ…」

誰かが言った。驚くほど上手かった…
 


日曜日の夜のリニア駅は人影もまばらでひっそりとしていた。オフィス街の一角にある小料理屋を出た二人は店の前のガードレールに腰掛けていた。

「あーあ…何か髪とか服とかタバコ臭くなっちゃった…昨日、シャンプーしたばっかなのにな…」

店のガラス戸越しにカヲルとレイが並んで座っているのが見えた。カヲルは物凄く嫌がっていたが無理やりレイにワカメだらけでバランスの悪い海鮮サラダを食べさせられていた。よく見えなかったが多分涙目になっているだろう。

二人の後ろを時折流しのタクシーが静かに駆け抜けていく。

トウジに促されてアスカを店の外(前)に連れ出したシンジだったがさっきからずっと黙ったままだった。シンジの隣に座っているアスカは一方的に酔い潰れたミサトや鬼の居ぬ間に烏合の衆と化した若い作戦部の面々に対する愚痴を延々と話していた。アスカが話している間、シンジはまったく別のことを考えていた。

やっぱり…このまま自分の都合を押し付けるのは…でも…ずっとこのままでいたいと願う僕がいる…その僕の気持ちはどうなるんだ…それって許されない事なのか…とりあえず…謝った方が…

「だいたいさあ!未成年者がいるのに分煙もしないのってどうなの?これえ!リツコとかSLみたいに吸ってるしさ!」

「あ、あのさ!」

意を決したシンジは髪がタバコ臭くなった事に不満を表明していたアスカの言葉をいきなり遮った。

「何?」

しかし、当のアスカは言葉の割りに特に気にしていたわけでもなかったらしく、いきなり話を中断してシンジの方に顔を近づけてきた。

反応はやっ!しかも近っ!

シンジは面食らっていた。

「え、えと…その…ご、ごめん!」

アスカはシンジの言葉を聴いて眉間に皺を寄せた。どうして謝るの?という顔をしている事が手に取るように分かった。

まずい…このままモタモタしていたらまた「自己防衛」とか…「内罰的」とか…言われる…

「アンタってさあ、すぐにごめんって謝るけどさあ…」

来た…ダメだ!考えがまとまらない!でも謝るしか出来ない!と、とりあえず説明しやすい事から…

「あ、あの!」

シンジの言葉にアスカはまた口を紡ぐ。青い瞳はじっと足元に視線を落とす少年の横顔に向けられていた。

「ぼ、僕…誕生日プレゼント…用意…出来なかったから…そ、その…だから…ごめん…」

「…」

一瞬沈黙が訪れた。

怒ったかな…

シンジが恐る恐る横目でアスカの様子を伺う。シンジと目が合うとアスカはいきなり噴出した。そして腹を抱えて笑い始めた。

「どんな事かと思ったら…ひーひっひっひっひ…あーはっはっはっは!そ、そんな事を…アンタずっと気にしてたの?バッカみたい!はっはっは」

「そ、そんなにおかしいかな…」

シンジの頭はそれとはまったく別のことを考えていたが、無邪気に笑うアスカの様子を見て曖昧に微笑んでいた。

「おっかしいわよ!プ、プレゼントだなんて…そ、そんなのどうだっていいじゃん!ひーひっひっひ…あのね…プレゼントなんてちょっとした気持ちなんだからさあ。お誕生日を一緒に祝えるっていう事の方が何十倍も大切なのに。時間を共有する事ってとっても大切な事だってアンタ知ってた?」

「時間を…共有…」

アスカの予想外の言葉にシンジは笑うのを止めた。アスカはガードレールの上に腰掛けるとミュールを履いた白い両足をブラブラさせている。

「そうよ。嫌なヤツとか…憎いヤツとは…出来れば一緒に居たくないないって思うでしょ?いくら博愛主義者のアンタだってそうでしょ?」

「ま、まあ…そうだけど…」

「アンタは自分の意思表示よりもまずその場で最適と思われる行動を取る人だと思うわ。博愛主義っていうのはちょっと皮肉だけどね。それはもしかしたら無自覚に人を傷つけるかもしれない。でも…アンタは優しいから…それさえ信じられれば…理解してもらえれば…それでいいんじゃないかな…それで終わってしまう人間関係ならそれで仕方がないんじゃない?」

アスカのミュールが脱げて店の方に飛んで行った。

ペタン…

軽い音が辺りに響いた。日曜日の夜にオフィス街の中にある居酒屋通りを歩く人はまずいない。この日が選ばれたのはネルフの職員達が地域住民と極力顔合わせないで済むからでもあった。羽目を外す大人たちが多いのもそういう見えない事情もあった。

アスカは脱げたミュールを手に取ると足元に投げて再びそれを履いた。

「物で人間の気持ちを100%代弁する事なんて不可能だよ、そんなの…逆に物で賄えられるっていう関係ってどんだけ薄っぺらいんだろうって思うわ。だったら喜怒哀楽の感情をお金に換算して事あるごとに振り込めばいいじゃん。済みませんでした!はい!1万円!ごめんなさい!はい!5千円!何でいちいち顔を合わせてストレス感じて、更に苦労してまで物を渡さないといけないの?どうでもいい人のためにさ。それっておかしくない?この瞬間、この時ってさ…現在(いま)しかないんだよ?」

「現在(いま)…」

「そう…アタシの15歳の冬は今、この瞬間しかない…ドイツと違ってここの冬は雪が降らないけど…来年も再来年も多分その先だって…同じ様に冬は来る…でもアタシの今という冬はこの瞬間しかないの…アンタの14歳の2015年12月6日もやっぱ今日しかない…アタシたちが生きていれば時は再び巡ってくる…嫌でもね…」

「アスカ…」

「けど…次に迎えるのは別の冬…その時は何かが変わってるかもしれないし…もしかしたら…誰かがいないかもしれない…一緒にいられるっていう事が…どんな高価なプレゼントよりも…どれだけ大切で…どれだけ貴重な事なのか…」

アスカはビルに囲まれた空を見上げた。シンジはアスカの横顔から顔を背けた。

「アタシは…それにようやく気が付いたの…今まで無理をしてきた…だから…アタシは全てをやり直したいって思ってる…」

アスカの言葉を聞きながらシンジは膝の上で拳を握っていた。

「それは…それは僕も一緒だよ…やり直せるなら…やり直したいよ!いつもそう思ってるよ!思ってるけど…どうにもならないじゃないか!現実は!僕は弱くて!臆病者で!おまけに自分勝手で卑怯者なんだ!」

アスカはシンジの突然の大声に思わず身体を仰け反らせた。そしてシンジの発する言葉の意味も理解できなかった。

「ちょ、ちょっと!いきなり何なのよ?アンタは別に卑怯じゃないじゃん。それに何が自分勝手なわけ?確かにちょっとハッキリしない時があるけど…でも…」

結局、アンタのことを覚えていないアタシが自分の知る限りのアンタの事を話したところで…結局…それは空しいだけかもしれない…説得力はない…でも…

「少なくともアンタは自分勝手じゃないわ…」

「自分勝手だよ!僕は自分勝手なんだ!」

誕生日の事が引っかかっていたのも確かだったがシンジの中では日増しに自己嫌悪が増大していた。その鬱積した思いが溜まったマグマのように一気に噴出し始めていた。

記憶が無くなった…

記憶とは自分という人間の拠り所でありその人の人生そのものだ。それを失うというのは想像を絶する不幸だろう。それだけにシンジはそれを喜ぶ自分がいる事に愕然としていた。それがシンジの自己嫌悪の源泉だったがそれを更に突き詰めればアスカに対してずっと抱いていた想い…それは国連軍の空母で最初に出会ったときの最初の感情…単純にそれを自覚する事が出来たのである。つまり…

好きだったんだ…僕は…

一方でまだ時折揺れ動くとはいえ父親と逃げずに真正面からぶつかった事もシンジの気持ちに整理を付けるのに役立っていたし、一種の自信を芽生えさせてもいた。

好きだという単純な事が…人間として当然の精神的衝動が…どうしてここまで拗れなければならないのか…

少年には解けるはずのない方程式だった。それを前に呆然とするしかなかったが、おぼろげながら自分の気持ちに不快感があった。不快感があるという事はすなわち解ではない。それが少年の下した結論だったのだ。正解ではない答えを出すという虚数的な行動を取るには少年はあまりにも子供だったのである。

「僕は卑怯者だ…自分の事しか考えていない…そんな事で…そんな事でいいのか…いいわけない…間違ってる…でも…間違ってる事を正しくしたい自分が居る…最低だ…最低なんだ…僕は最低で自分勝手なんだ!!」

「いいじゃない!自分勝手で!!バッカじゃないの?アンタ!」

アスカはイライラした様子でガードレールから飛び降りるとどんちゃん騒ぎが続く店を背にしてシンジに強い視線を送ってきていた。しかし、青い瞳に批難の色は無い。

「アンタって今まで自分を好きになった事ないでしょ?だから自分勝手を否定するのよ!人を好きになる時だってそうじゃん!いちいちアンタはその人にこれから僕、君の事を好きになろうと思うんですけどいいですか?て聞くわけ?聞かないでしょ!自分の気持ちは結局どこまで行っても自分勝手なのよ!その勝手を否定したらどうなるの?人を傷つける事を恐れて!自分が傷つくのも恐れる!どうにもならなくなるでしょ!何にも出来なくなるでしょ?だからやる気も起きなくなるし面倒臭くなるのよ!この世の全てのものに!!自分勝手の何処が悪いのよ!!このバカ!!」

頭を抱えていたシンジはタジタジになっていた。アスカは両手を腰に当てていたが今度は自分の前で腕を組むと大きなため息を一つ付いた。

「あのねえ…どんなバカにだって一つくらいはいい所があるわ!アンタは優しいじゃない!それに…アンタは知ってるんでしょ?アタシたちのこと!アンタは何も言わない!いつも曖昧に笑うだけ!アタシは…確かに知りたかった…昔の自分のこととか…アンタと何をしたのか…アンタと何を一緒に見て、何を感じていたのか!でも…今はそんな事に拘っても仕方がないって無理やり思う事にしたのよ!アタシは!アタシはアンタの優しさが好きだったんだと思う!そんなアタシの気持ちまでアンタは否定するの?」

アスカは火が出る勢いでシンジに向かってまくし立てていたがやがて口を閉ざして視線を足元に落とした。

「言いたく無い事は言わなくていいわ…人間には誰にだって人に言いたく無い事がある…アタシにだってそれはあるから…だから…アタシはアンタに何も聞かないことにする…だって…大切なのはこれから、でしょ?多分…」

「アスカ…」

シンジがアスカとミサトのマンションで喧嘩別れする原因になった手紙の一件がただの痴話喧嘩では済まない側面があることは時間を経るほどシンジも理解し、気持ちも整理していた。二人の関係はそれ以来、加速度的に悪化した。シンジも父ゲンドウとの問題と相まって自分の居場所を乱すアスカを一時期疎ましく感じていたのも事実だった。

しかし、理屈や行為としてどちらが正しいかではなく、今、アスカが言ったように結局のところ人に好意であれ敵意であれ自分の気持ちを向けるという行為は自分勝手な一方通行の想いから始まる。一方通行に想われ、それをどう受け止めるのか…その対処を誤れば極論相克しあうこともあるだろう。巧みに的確に判断出来るに越した事はないが人生は選択の連続で積み上げられていくものだった。

やり直す事が出来ればどんなにそれは幸せな事だろうか…そのチャンスが目の前にあるとすれば…人はその度し難い誘惑に果たして打ち勝つ事が出来るだろうか…

シンジも押し黙ってしまった。アスカはまた大きくため息をつくと再びシンジの隣に腰を下ろした。奇妙な沈黙が続いた後、探るような視線をアスカはシンジに向けてきた。二人にはさっきの様な勢いは無かった。

「ねえ…嫌なこと…一つ聞いていい…?」

「な、何?」

シンジはこれ以上、アスカと言い争いたくはなかった。ややはにかむ様な笑顔でアスカの声に応じる。

「アンタってさぁ…どうしてそんなにやる気っていうか…何か…どっかで諦めてる様な所があるのよね…何で?」

「何でって…そんな事…急に聞かれても…よく分からないよ…」

「やれやれね…ちゃんとアンタ、アタシの言ってる事をそのバカな頭で考えてるわけ?」

アスカはシンジにジトッと横目を向けながら口を尖らしていた。もう邪険な雰囲気はない。

「か、考えてるけどさぁ!その…バカな頭って…ちょっと酷いよ…何だよ…自分は大学出てるからってさ…それって僕に対する自慢?」

シンジの言葉にアスカは一瞬顔を曇らせた。

「だ、大学って…そ、そんなくだらない事を自慢したって仕方がないでしょ!そんな覚えてもないこと言われたって分からないよ…アタシ…」

「そ、そうか…ご、ごめん…そんなつもりはなかったんだ…」

シンジは自分の不用意な言葉を後悔した。

僕の事だけかと思っていたけど…そうじゃないのか…未完成のパズルの様になっているのか…知らなかった…

アスカはやや不機嫌な様子だったが怒気は全く感じられなかった。いや、むしろ諦めている様な雰囲気があった。少なくとも気の強い印象があるアスカのイメージとのギャップをシンジは簡単に受け入れられそうになかった。

「大学とかそんなものはパーソナリティーとは一切無関係じゃないの…アタシが言ってるのは人間…その人自身の問題よ…」

「人間…?」

「そうよ…人間ってさぁ、不完全な生き物だから…その不完全さを補い合うために男女は惹かれ合うって教会で教えられたわ…これって裏を返せば完全な人間は存在しないって事でしょ?」

「そうかもしれない…

「不完全であるという事は理想的ではない…例えば人間関係で絶対自分が傷つかない、あるいは人を傷つけないっていう保証はないわけじゃない?」

「そうかもしれない…

「だから絶対って事は人間である以上、言えないってことよ…例え自分の身を置く環境を変えたところで解決するものじゃないでしょ?どうせ新しい場所では新しい問題が発生するだけ…結局…自分の不完全さはずっと付いて回る…」

「そうかも…しれない…」

まるで壊れたレコードプレーヤーの様だった。

「完全は…すなわち人間である以上、望めない…別の形態をとらない限りにおいてはね…」

「そうかもしれない…

「でもね…一つだけ…一つだけ例外があるわ…」

「何だろ…?それは…何…?」

「人間はいつか必ず死ぬって事よ…

「死ぬ…

その言葉を聞いた時、シンジはハッとした表情をした。ポツポツと話すアスカの横顔を見ながらある人物の顔を頭に思い浮かべていた。

加持…さん…

「そう…アタシも…アンタも…いつかは死ぬわ…例えマリア様が祝福して下さった二人であったとしても…いつか…天が二人を分かつ時が来るの…」

「二人を…分かつ…時…」

「死は宿命とも言うわ…だから…宿命は変えられないの…だけど…運命は…変えられるって思わない?」

「運命は変えられる…

「そうよ…逆を言えば絶対は死しかない…それ以外の事は自分次第で変えられるって思う…それが運命と言うものだと思わない…?」

「自分次第で…変えられる…もの…それが…運命…」

「アンタってどこまで分かってるのかしら…だからぁ!アンタが今!この瞬間!絶対ムリって思っていることは全部ムリじゃないってことよ!お父さまの事だって…アインの事だって…アタシの事…考えてくれてるなら…その事も含めて…」

「父さんや…カヲル君や…君…の事…」

「そうよ…だから…今を生きなさいよ…しっかりと…壁を…自分の中に限界を作り出しているのは…シンジ…アンタ自身ってことよ…」

「僕自身…僕自身が自分の中に…壁を…作り出している…」

「運命は変えられるわ…多分…アンタには出来る…アタシはそんな気がするの…」

アスカは自分の横顔をじっと見つめるシンジの視線に気が付いて視線を合わせて来た。僅かに微笑むと勢いよくガードレールから降りるとアスカは店に向かって歩いていく。

「今を大切にしなさいよね!わかった?バカシンジ」

アスカは店の中に消えて行く。シンジはガードレールに腰掛けたままずっとガラス戸越しに見えるアスカの姿を追っていた。

「バカシンジ、か…今まで嫌だったけど…なんか懐かしい感じだ…」


そして運命の日…2015年12月7日は訪れた…

EP#08_(33) 完 / つづく

 
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