忍者ブログ
新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

第八部 今日の日はさようなら

(あらすじ)

暴動一方、日本政府発令のA-01が解かれない第三東京市ではついに市民達の不満が頂点に達していた。
「疎開!?ふざけるな!!」
何気ない一言から始まった諍いはついに暴動にまで発展し、メディアは「第二のフランス革命」と群集を煽りたて、憎悪の全てはネルフへ集中していく。



学童疎開の風景(1945 / 昭和20年頃)非常事態宣言を発した第三東京市長は暴動から市民を護るために市内の小中学生を各地に疎開させることを決定した。ただ押し流されるだけしかない子供達…次々に街を離れていく子供達の中にヒカリ、ケンスケ、そしてトウジの姿があった…


黒煙があちこちから立ち上る思い出の街を見つめる幼い瞳には何が写るのだろうか…


第二東京市の新港区のエリア品川と呼ばれる新興ビジネス街に新東京日日新聞社の本社屋があった。地上45階の高層ビルは照りつける太陽の日差しを浴びて虹色に輝いていた。

「何この数字!ちょっとどうなってんのよ?お前らそれでもブン屋?やる気ないんじゃね?」

新東京日日新聞社の常務取締役営業本部長である球磨大輔は営業部長が配った報告書をいきなり会議テーブルの上に叩きつけると自分の親と殆ど変わらない世代の彼の部下に向かっていきなり面罵を始めた。

最上階フロアにある豪奢な役員会議室の中で人生の悲哀もこの世の酸いも甘きも見届けてきた男達は僅かに下を向いて茶髪に頭を染めて不似合いな派手なスーツを着ている球磨の言葉を黙って聞いていたが誰も心から拝聴している雰囲気は無い。自分が道化であることに気が付かない道化師が虚勢を張るような滑稽さが不毛な会議の空しさを一層引き立てていた。

「だいたいさあ!うちは全国4位の発行部数を誇ってる大新聞じゃん?それが6四半期連続で発行部数もネット購読契約数も前年割れってあり得なくね?このままだったら次の株主総会で親父も俺もフルボッコじゃん!なにやってんだよ!!おい!営業部長!!」

「は、はい!も、もちろん全国の販売店への指導を始めとした諸々の販促活動も…えっと…電子媒体事業の新規ユーザーの開拓も鋭意継続中ですが…その…何といいますか…全国的に新聞なんて購読する余裕が無いという雰囲気が…」

真っ黒に日焼けした営業部長は体をビクつかせると額に脂汗を滲ませながらシドロモドロに答えるが、球磨は荒々しく会議テーブルを革張りの椅子に腰掛けたまま蹴りつけた。

「ひ、ひい!」

「お前何寝ぼけてんの?バカなの?死ぬの?そんなことは聞いてねえんだよカス!バカどもから無理やりでも契約取ってくんのが営業だろがよ!ボケ老人でも大量に探し出して契約させろよクソが!」

「も、申し訳ございません!」

まったく…酷え言い草だぜ…マスコミが形振り構わねえ営利に走っちまうとは…世も末だ…長生きしても碌なことになりゃしねえ…

会議室の末席に政治部の山口の姿もあった
(※Ep#08_9参照)。編集部長兼政治部長の利根啓二(※ Ep#05_7で登場した利根俊吾先輩の実父)はバランスを取るために常に渋る山口を無理やりゲラに埋もれた席からこの会議に引っ張っり出していた。

山口の前に置かれている灰皿は既に吸殻で一杯だった。山口は遠近両用の分厚いレンズの安物の眼鏡を外すと目頭を抑えながら聞こえる様な大きなため息を一つ付く。営業部長を睨みつけていた球磨の目が今度は山口に向けられていた。粘りつくような陰湿な視線だったが山口はわざと気づかぬ振りをしてタバコを咥えて火を付ける。

「だいたいなあ!こんだけ営業経費使ってんのに一向に売れねえのは見た目のアピール力不足ってのもあるんじゃねえの?もっとど派手にぶち上げられねえのかよ!旭日(※「きょくじつ」です。「あさひ」ではありません。多分)新聞みたいによお!」

銀の煙をふうっと吹いた山口は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら球磨の不快な甲高い声を聞いていた。

何を御託を並べてやがんだ…このガキが…週刊誌と新聞を勘違いしてんじゃねえぞ…ブン屋がアピールしてどうすんだ…真実の追究とネタの掘り下げを読者は一番求めてんのが分からねえのかよ…それをやる新聞がねえってのが一番の問題なんだろが…売れなくなったら潰れちまえばいいんだ…そんな新聞…ジャーナリズムってのはな…テメエの信念と信条を貫き通して綺麗に死ぬことなんだよ…

まあ、このクソガキには死んでも分からねえだろがな…

球磨大輔は新東京日日新聞社の社主を勤めている球磨巌の次男で創業者一族の一員だった。球磨とは対照的に長男の球磨忠相は社内でも人気が高かったが今回の解散総選挙で政治部の記者から政界に転身して見事に無所属で衆議院議員の座を射止めていたため、専ら目の前にいる大輔が父の巌の跡を継ぐという見方が大勢を占めていた。

「ネツ(捏造)ってでも出ねえのかよ?マスコミが情報発信出来なくてどうすんのよ!」

なんだと…てめえ…

「お言葉ですがね、常務…」

ドスの効いた山口の低い声が会議室に響くと途端に室内は水を打ったように一斉に静まりかえった。ギロリと鋭い眼光を向けられた球磨の顔はみるみるうちに青ざめていく。社内でも最古参の部類に入る山口は現場の記者達の信望が厚く、歩く生き字引として誰もが一目を置く存在だった。

「な、何だよ!山口!テメエは大体お呼びじゃねえんだよ!何か文句あるってのかよ?ああ?文句は売り上げに貢献する記事書いてから言えっつうのよ!」

傍若無人の次男坊もさすがに百戦錬磨の山口だけには面と向かって頭が上がらない様子だった。野良犬がまるで遠吠えを繰り返す様な球磨の態度が会議に参加していた年長者にとって痛快な反面、目の前にいる鬼子の様なセカンドインパクト世代の若造が何をしでかすか分からないという恐れを一様に抱いていた。恐怖は人を狂気の渕に追い込んでいくからだ。
 
「や、山口デスク!じょ、常務も!どうか!お、落ち着いて…下さい…」
 
営業部長が慌てて立ち上がると火花を散らす球磨と山口の間に割って入った。
 
「山口君…ここは堪えて…」
 
山口の隣に座っていた利根が声を潜ませて立ち上がろうとする山口を制したが、それに構うことなく山口は毅然と立ち上がる。
 
「部長…俺はね…記者にはなった覚えがありますが単なる月給取りになった記憶はないんでね…これだけは勘弁ならねえ…今日という今日は言わせてもらいますよ」
 
「全く…部下には上手く立ち回れという君なのに…適わんな…」
 
利根は諦めたように僅かに首をすくめた。

政治部長ともなれば内閣官房との付き合いは非常に濃密になる。歴代政権は各大手新聞社の政治部長に官房機密費の一部を渡してマスコミ対策に余念が無いため、政治部長のポストは極めて社内で影響力が大きかった。

洗練された物腰とゴルフ焼けした肌の利根は処世術に長けており、保守や革新の別なく無節操に政権を渡り歩く身代りの早さには流石の山口も舌を巻くほど鮮やかだった。しかし、その利根であってもジャーナリズムの権化ともいえる山口を制止出来る強い言葉を持っていなかった。

俺はもうこれ以上失う訳にはいかねえんだよ…阿部よ…悠太郎よ…テメエらはバカだ…大バカ野郎どもだ…だから俺は…

会議室にいた全員の視線が山口に集まった。報道に己の半生を掛けてきた山口にとって球磨の一言は例えそれが軽口の類であったとしても忍耐の域を遥かに超える全否定に繋がる言葉だった。

「常務。マスコミ、特に新聞ってやつがね…自分から情報発信する様になっちゃおしまいなんですよ。言いたかないがあんたは新聞、いやジャーナリズムって奴がまるで分かっちゃいねえ」

「な、なんだと!?てめえ、一体誰に口聞いてると思っているんだ!!」

「ちっ!新聞語るのに何様も何もないもんだ!いいかい坊や!新聞の記事ってのはそこらのチラ裏じゃねえんだ!歴史を刻む覚悟と真実を伝えるという執念と下手打ちゃ言葉で人を殺すかも知れねえっていう責任を全部引っ括った集まりが記事であり、その集合体が新聞っていう媒体なんだ!それをテメエはさっきから黙って聞いてりゃなんだ?目立ちゃ勝ちみてえな甘っちょろいことを抜かしやがってよ!」

山口は手に持っていたタバコを荒々しく灰皿に押し付けてもみ消す。

「まあ…早い話が…ガキはすっこんでろってこった…テメエみたいな輩がマスコミを腐らせるんだよ…だいたい、この前の使徒襲来で何人の人間が死んだと思ってんだよ…」

「な、な、な…」

今まで周囲の人間からずっと傅(かしず)かれて育ってきた球磨はここまで辛辣に批判、いや真摯に諭されたことはなかった。球磨は顔面蒼白になっていた。

山口の隣に座っていた利根は頭を抱えていた。

山さん…最近どうも様子がおかしいと思ってたが…あんた…死に場所を探してたのか…自分の息子も同然に可愛がっていた阿部君の忘れ形見、悠太郎君が失踪してからのあんたは本当に人が違ったみたいだった…特攻(ぶっこみ)の山口がまるで腑抜けのようになってしまって…久しぶりにあんたの鬼気迫る勢いを見たと思ったら…こんな…こんな下らないところで…

球磨はいきなり立ち上がって血走った目で山口を睨みつけるとヒステリックに叫び始めた。

「クビだ!!テメーはクビだ!!山口!!とっとと失せやがれ!!」

「じょ、常務!落ち着いて下さい!さっきのは売り言葉に買い言葉ってやつですよ!決して山口さんも本心で…や、山さんもほら!謝って!」

苦労人であることを偲ばせる営業部長は米搗きバッタのように球磨と山口に何度も何度も頭を下げる。もはや滑稽を通り越して哀れすら誘う姿だった。

山口はため息を一つ付く。

「御免だね…俺は間違ったことは一つも言っちゃいませんよ…クビだってんならそれで結構…俺も自分の晩節を汚してまでここに居たいとは思いませんね…」

「や、山さん!!」

「おうおう!とっとと辞めろ!クソジジイ!テメエの変わりは幾らでもいるんだ!古臭いことばっか抜かしやがってよ!俺が売れる新聞にしてやんよ!後で吠え面かくんじゃねえぞ!!」

「ほう、そいつはすげえや。社主もきっとお喜びになりますぜ。まあ…せいぜい期待してますよ、常務。それでは皆さん、40年間どうもお世話になりました…」

山口は深々と頭を下げると会議室の出口に向かって歩いていく。ドアノブに手をかけた時、山口は背後から肩を掴まれた。振り返るとそこには恰幅のいい利根が立って静かに山口を見詰めていた。

「部長…」

「山さん…本当にこれでいいんですか?刺し違えたわけでもなく…ただあんただけがここから去って行く…これじゃ何も変わらないんじゃないですか?うちは…いやこの国のジャーナリズムはどうなるんですか?国会議員の先生達もあんたのペンには戦々恐々だ…新霞ヶ関だってそうだ…僕はいつも聞かれるんですよ…山口はどうなんだってね…」

二人の背後では怒鳴り散らす球磨の声とそれを宥めている幹部達の声が響いていた。山口と利根は暫くじっと互いの顔を見詰めあっていたが、山口は不意に目を逸らすと口元を僅かにほころばせた。

「へへへ…そいつは幾らなんでも買かぶり過ぎですよ…俺は別にそんな仰々しいもんじゃないですよ。俺の頭の中は常に真実が知りたい、ただそれだけ。それも自分の腹の虫が収まらねえからそうしていただけですよ。別に変な使命感があったわけじゃない。それこそがブン屋の真骨頂だと今でも思ってる…マスコミが世論を操る快感に毒されたらお仕舞いですよ。世論ってやつはね、真実を与えられた後で自然に俺達一般市民が醸成するものなんですよ…所詮は特定の誰かとマスコミが一緒くたになって世論を支配するんじゃ本当の民主主義なんか育たない。そんな過ちをこの国のマスコミは延々と繰り返してるんですよ」

「山さん…そこまで分かっているなら尚更だ。尚更なんだ。この国はまだ山さんの力が…」

山口は手で利根を制する。

「口では俺もカッコいいことを言ってますがね…正直言うと何ていうか…もう疲れちまってね…確かに常務の言うことにも一理あるんですよ…年長者に対する態度と言葉がなっちゃいねえんでね…どたまにカチンとは来ますけどね…」

「山さん…」

「確かにどんなにネタを磨いても薄っぺらいがちょっと目を引くような言葉遊びにあっさりひっくり返されちまう…だけどね…だからといって俺は大衆が求めてるヤツに無節操に迎合するつもりはありませんね…真実ってやつはね…常に大衆が信じている常識や願望と同じとは限らないんだ…まあ、絶望的な真実に触れた時に人間ってヤツは現実から目を背けたくなるのは人情として分からなくはありませんけどね…でも、俺はそんなのはクソだと思ってるし、それが今の時流ならミスキャストは俺の方ですよ…」

「・・・」

「なに、昔からずっと考えてたことでもあるんですよ。ひょっとしたら俺みたいな奴の時代はもうとっくの昔に終わってんじゃねえのかってね…まあ、難しいところですよ…何が正しいかってのは当事者が判断するモンじゃねえ…それをやっちまうと後の連中がキレちまいますよ。それは俺達の仕事だ、ってね。それじゃ失礼します…」

会議室を出た山口は再びシワシワのワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出すと火をつけて悠然と煙を吹かした。白い煙はガラス窓から差し込んでくる眩い光の中に溶けていく。

「うめえ…」

駆け出しの頃から吹かしてたこのショッポ(※ ショートホープの略称。年配の人がよく使う)…今まで惰性の塊だとずっと思ってたが…今日ほど旨いと思ったことはねえよ…インクの匂いに塗(まみ)れて40年…人間はよ…やっぱ誇りってやつを失ったらしめえよ…だろ?阿部…

ペンは時に武器よりも強い。それ故に武力と同様に慎重でなければならぬ。エレベーターホールの方に向かって長い廊下を歩いていく小柄な山口の背中は一層大きく見えた。

「老兵は去るのみ、てか…ひひひ…カカアの野郎、どんな面しやがるだろうな…娘の出産すらすっぽかした俺がよ…今更よ…」

この日を境に山口は完全に断筆をしたという。



 
2015年12月14日-

第三東京市では纏わり憑く様な
不快な湿気と異常な暑さが続いていた。使徒襲来からちょうど1週間が経過したこの日、特務機関ネルフによって作戦指定区域に指定されていた地域に出ていたコードが次々と解除されていったが、旧秩父市一帯はそのまま国連軍が管理する“放置地区(1)”になることが日本政府の官房長官から各マスコミを通じて宣言されていた。

セカンドインパクトで旧東京を失った悲劇からまだ15年程度しか経っていない日本国民にとってこの“放置地区”という言葉は極めて衝撃的且つ感傷的な言葉であった。特に第二東京市や第三東京市という大都市を抱える長野県、そして山梨県から静岡県東部の一帯にかけての地域には旧東京から絶望に打ちしがれて避難してきた人々が数多く移り住んでいたため尚更のことであった。

ようやく新しい生活の基盤を不慣れな土地で築きつつあった彼らの多くは追い討ちをかける様に襲来してくる使徒に対して恐怖と同時に真綿で首を絞められるような絶望感をひしひしと感じていたのである。

”事件”はそんな時期に何の前触れもなく起こった…

「いつになったら家に帰れるんだよ、ったく…マラリアにでも罹(かか)ったらどうするつもりだよ…」

「全くだ。第二東京市なんて使徒襲来の翌日には避難勧告(A-01発令)が解除されたってのにな。何で俺達はシェルター待機なんだよ…」

シェルター施設は第三東京市街を取り囲むようにAからKまでの11箇所が点在しており、定期的に医療品、衣類、食料、水などが市役所と国連軍から支給されていた。

セカンドインパクト以来、常夏の国となった現在の日本においてもっとも深刻な問題は蚊が媒介するマラリアだった(
Ep#08_18)。そのため市の防疫課を中心にして各シェルターに医療テントが常設されて市民達に医療サービスと合わせて予防を促していた。マラリアは現代の科学技術でも未だに有効なワクチンが開発されていない(関連wiki参照)。そのため坑マラリア剤の投与のほか、虫除けスプレーや蚊帳などで対処する以外に有効な手立てが無いのが実情だった。

先の見えない避難生活の長期化は市民に過大なストレスを与え、そして家路に対する強い欲求と行政やネルフに対する不満になって蓄積しつつあった。

着の身着のままの状態で突然の避難生活を余儀なくされている第三東京市の市民達はラジオや携帯TVを通して政府発表やマスコミの報道に聞き入っていた。旧秩父の惨状がマスコミの報道によって次第に明らかになってくると先日まで感じていた使徒に対する恐怖は自分達の現在の不遇と相まって一転して怨嗟(えんさ)の声へと変わっていった。

「ちくしょう!一体どうなってんだよ、国連は!幾ら使徒が襲ってきたからって人の土地を吹き飛ばしてもいいのかよ!何やっても許されるって思ってんじゃねえぞ!だいたいもっと早く発見して迎撃できなかったのかよ!」

「国連って言うかネルフだろ!!あいつら何やってたんだ!!マジでムカつくぜ!!」

容赦なく照り付ける太陽がジリジリと肌を焼き、給水車の前に出来た長い列が更に彼らをイライラさせていた。いきなり行列に並んでいた一人の若い会社員風の男が20Lの白いポリタンクを力任せに地面に叩きつける。

「やってられねえ!!俺はもう帰るぞ!!だいたい使徒はここ(第三東京市)には来なかったじゃねえか!!いつまでシェルターの中に閉じ込めておく心算だよ!!マジで俺は帰るぞ!!」

「そうだ!俺も帰るぞ!」

「俺もだ!」

男達は口々に叫び声を挙げると狭く暑苦しいシェルターの中に戻り、荷物を纏めると自分の家族を連れてぞろぞろとシェルター施設を後にし始めた。

その光景を見たボランティア団体から連絡を受けたシェルターの管理責任者である市職員は腰を抜かさんばかりに驚いた。メタボ気味の中年職員が慌てて現場に駆けつけた時には彼が管理するシェルターには僅か数世帯を残す程度で大半の市民がぞろぞろと鈴なりの行列を作って市内に続く市道を移動する姿が遠めに見える。

「た、大変だ…えらいこっちゃ…避難勧告が解除されていないのにシェルターから出して何か問題が発生したら…ちょ、懲戒免職どころじゃすまない……み、みなさーん!!まってくださーい!!」

パニックを起こした中年職員は急いで市役所職員の詰めるテントに戻ると若手数人を引き連れて行列の半ば半狂乱になりながら後を追う。

「ちょ、ちょっとみなさん!落ち着いてください!まだ市内はA-01発令が解除されていません!市内には入れませーん!」

若手の職員達も口々にシェルターに戻る様に説得するが人の流れは足を止める気配すらなかった。いや、それどころか付近の別のシェルターからも同様に市民が加わり、むしろその人数と規模は膨れ上がっていく一方だった。救援物資を配布していた他の職員たちも持ち場を離れて群集を制止しようと試みるが全くの徒労だった。

「だ、駄目だ…なんとか…何とかしなければ・・・」

中高年の如何にも事務方といった感じの男性職員は咄嗟に自分の隣をすり抜けようとした若いサラリーマン風の男の腕を掴んだ。

「ちょ、ちょっとお願いです!あ、あなた!話を聞いてください!どうか落ち着いてください!お願いです!市内にはまだ入れないんです!」

重たい体を揺らしながら職員は必死の形相で懇願する。サラリーマン風の男は自分の腕に取りすがる職員を勢いよく振り払った。

「うるせーんだよ!!じじい!!何で俺にだけ言うんだよ!!全員にいえよボケ!!」

男に突き飛ばされて職員は大きな音と共にアスファルトの上に尻餅をつく。

「主任!大丈夫ですか?」

「あ、ああ…君か…僕は大丈夫だけど…ああ…もう!どうすればいいだ!」

真夏の光を受けて陽炎が揺らめくアスファルトを何度も叩いていた彼は若い職員の手に握られていたハンドマイクを見るとそれを引っ手繰った。早く群集を抑えたいという一心で完全に舞い上がっていた彼は人の流れにいきなりそれを向ける。


「ガガガ…えー市民の皆様!第三東京市はA-01発令により如何なる事由でも立ち入りが制限されております!!どうかここに留まって次の“仮設住宅”への割り当て指示があるまでどうか待機をお願いします!!繰り返しお伝えします!!市民の皆様!!第三東京市はネルフによる旧秩父の調査結果が明らかになるまで、当面の間、A-01発令は解かれません!!市の条例に基づいて“疎開”の措置を採る予定です!!速やかに各シェルターに…ガガガ…」

若い男性職員が血相を変えて中年職員の腕を掴んでハンドマイクを取り上げる。

「しゅ、主任!!まだ仮設住宅への疎開は機密事項ですよ!!市長はまだ判断を保留してるんですから!!」

いつも受け付けカウンター越しにソツなく仕事をこなしていた彼だったが事務仕事ではない現場業務でしかも感情的になっている群集を制御するということに全く不慣れだったことが災いしていた。

「え?そ、そうだったっけ…し、しかしだね…君…このままではだね…あ、あれ?」

二人が気が付くと既に殺気立った複数の中高年男性に周囲を取り囲まれていた。

「おい…いま…お前…仮設住宅がどうとか言っていたな?」

「このまま疎開?ふざけんな!家財道具から金から全部街に置いて来てるのに見ず知らずの場所に着の身着のままでいけるわけ無いだろ!!」

「そうだよ!A-01発令で突然締め出されて帰ることも出来ないのに疎開だとお!?どう考えてもおかしいだろ!!」

「すぐ帰れると思ってペットを家に残してきたのに…この暑さで死んだりしたら市は責任を取ってくれるんでしょうね!」

「ははは…申し訳ありません…さっきのは…その…ちょ、ちょっとした言い間違いでして…」
 
職員達は顔を引きつらせながら無理やり笑顔を作って誤魔化そうとしたが、このあからさまに隠し事をする様な行為が普段から行政に対する不信感を持っている市民達の感情をいたずらに刺激していた。

「何が言い間違いだよ!ふざけてんのかよ!てめえ!」

「ハッキリしろよ!」

口々に問い詰められた二人の職員は身の危険を感じて市民全員が近いうちにシェルター施設から直接仮設住宅に強制的に移送される予定であることを口にしてしまった。

「し、しかし、みなさん…心配は要りません…疎開先には食料品や医薬品なども勿論ありますし…仮設住宅は結構快適と聞いています…」

こめかみに青筋を立てた若い会社員風の男がいきなり職員の襟首を掴む。

「何が快適な仮設住宅だよ!バカ言え!!俺は公団(※ 第三東京市住宅供給公団)のマンションを買ったばっかりなんだぞ!!何でそんなトコに住まなきゃいけねえんだよ!!俺達は家に帰りたいんだよ!!なんだよ!使徒は来なかったじゃねえかよ!大袈裟過ぎたんじゃねえの?」

「そうだ!そうだ!帰らせろ!」

今にも袋叩きに遭いそうな雰囲気に職員達の顔はすっかり青ざめていた。

「ちょ、ちょっと待って下さい!そんな事をここでおっしゃられても無理なものは無理です!A-01発令が解かれない限りそれは…」

「じゃあお前がここで電話して解いてもらえよ!!カス!!」

「そうだ!!税金泥棒が!!さっさ仕事しろ!!」

「ぶちのめすぞ!!このやろう!」

「ひええ!!お助け!!き、君!は、早く応援を呼んで!」

「は、はい!!」

こうして最初は丁寧に対応していた市の職員たちも身の危険を感じるに及びついにネルフの保安部と機動隊が出動する騒ぎに発展する。機動隊やネルフ保安部の姿が見えれば沈静化すると職員達は期待していたが見通しの甘さを痛感させられることになる。

折から続く異常な暑さに加えてこれまでに鬱積していた不満が一気に爆発した市民たちは大人しくなるどころか、逆に働き盛りの30~40代の男達を中心にして徒党を組んで機動隊や保安部に目掛けて投石を始めた。市民達はお互いに携帯電話やメールで連絡を取り合って巧みに自らを組織化し、道路をふさいでいた機動隊を逆に取り囲む勢いを見せていた。

「い、いかん!数が多すぎる!このままではここも突破されてしまう!至急、県警本部に来援を要請しろ!これはもう…小競り合いなんかじゃない…暴動だ!!」

騒ぎと混乱は拡大の一途を辿り、ついに市内中心部に向かう全ての幹線道路が機動隊を主力とする部隊によって直ちに封鎖されたが、暴徒と化した市民達は駐車中の車に火を付け、至近のガソリンスタンドを襲撃して即席の火炎瓶まで飛び交う事態に発展するに及んだ。

機動隊の負傷者と逮捕者が続出し始めた昼下がり、県警本部は催涙弾と放水車の使用という苦渋の決断を下したがその判断はあまりにも遅きに失した観があった。

一方、国連軍のドーソン大佐と霧島マナを乗せた黒塗りのメルセデスは新横須賀から南岸線と呼ばれる幹線道路を通って第三東京市を目指していた。

急に車の速度が落ちるのに気が付いたマナは後部座席から身を乗り出す。


「何かあったんですか?」

「どうやら検問のようです、少尉殿」

「検問?」

とても運転手には見えない屈強な大男であるリバーマン軍曹の低い声を聞いたマナが顔を上げると片側二車線の道路を塞ぐように国連軍の装甲車と警察のパトカーが停まっている光景が目に飛び込んできた。


「どうしたのかね?少尉。いま、検問という言葉が聞こえたようだが?」

「はい、大佐。どうやら新横田(国連軍日本駐留軍の陸上及び空軍部隊の総司令部。マクダウェル少将が指揮する)と日本の警察がこの先に検問を敷いているようです」

自動小銃を持った国連軍の兵士がマナ達を乗せた車に停車を手で合図していた。

「どうしますか?少尉殿」

「どうするも何も…検問を突破するわけにも行かないでしょう。彼らの誘導に従いなさい」

「はっ」

一体…何があったのかしら…

「少し意地悪した方がよさそうね…兵隊さんの10メートル手前でゆっくり停まってちょうだい」

「手前でですか?分かりました」

マナとドーソンを乗せた車は兵士の遥か手前で静かに停まった。それを見た兵士は一旦、周囲を見回した後でゆっくりと車に近づいてくる。マナの中で得体の知れない違和感が生まれ始めていた。イグニッションキーにリバーマンの手がかかったのを目敏く見つけたマナは小さく耳元で囁く。

「軍曹…エンジンは切らないで…」

「えっ?ですが…」

「お願い…言う通りにして…何か様子がおかしいわ…」

「分かりました」

近づいてくる兵士に鋭い視線を送るマナの雰囲気から何かを感じ取ったリバーマンはキーから手を放す。兵士は車の傍らに立つと防弾ガラスを小さくノックしてきた。日本人だった。

「ドーソン大佐の車ですね?」

「……ええ、そうですけどこれは何の検問ですか?」

「第三東京市近辺で暴動が発生しましてね。我々はその警戒に当っているものですよ」

「暴動ですって?」

「少尉殿…あれを…」

リバーマンが指差す先には芦ノ湖を挟んで対岸に見える第三東京市の街並みがあったが数本の黒煙が立ち上っているが見えた。

「まさか…信じられないわ…」

「この様子だと戒厳令でも敷かれて市内への道は全て封鎖されているんじゃないですか?(ネルフの)地上事務所に行っても無駄足になりそうですね…」

「そうね…」

確かに軍曹の言う通り…戒厳令の類は国連軍特権でどうにでもなるでしょうけど、暴動が発生したとなれば地上のネルフ保安部の事務所にそのまま職員が詰めているとは思えないわ…怒り狂った市民が真っ先に襲撃するとすれば行政機関かネルフだもの…

マナは小さい顎に手を当て考えを巡らせていたが再び兵士が車のガラスをノックする音ですぐに我に戻る。

「失礼ですが身分を確認したいのでみなさん、一旦、車から出て頂けませんか?」

ここで考えても仕方が無いわね…まずはこいつらをどうにかしなければ…

マナはにっこり笑って兵士に向かって微笑みかけた。

「なるほど…検問の目的は分かりました。お役目ご苦労様です。ところであなた方はどちらの所属ですか?」

「え?わ、我々は新横田から派遣されて来た第6保安大隊所属の…」

「第6保安大隊?へえ、それはおかしいわねえ。新横田の兵隊さんに旧陸自さん(ここでは日本人と同意)がいるなんて聞いたことないし…それに…」

マナは笑顔を絶やさなかったが既に目から笑いは完全に消えていた。

「いつからマクダウェル少将貴下の部隊はそんな制服になったのかしらね?まるで…戦自ね!」

「くっ!」

兵士は突然銃口をマナに向ける。前座席のヘッドレストを握る手にマナは力を込めるとリバーマンに向かって叫んだ。

「軍曹!!車を出して!!早く!!」

「Yes!!Sir!!」

パシン!パシン!パシン!パシン!パシン!

自動小銃が火を噴く。防弾ガラスに次々と鉛の飛礫が突き刺さる。

リバーマンがハンドルを一杯に切りながらサイドブレーキを引くと車は180度ターンをした。底が抜けるほどアクセルをべた踏みすると白煙をもうもうと上げながら脱兎のように走り出す。

「しょ、少尉!何事かね?!」

「説明は後です、大佐!!今は一刻も早くここから逃げることを優先します!!」

バシーン!!

鈍い衝撃音が後部座席の窓ガラスから響いてくるとたちまち直径5センチ程度の白い模様が浮かび上がる。

「奴ら狙撃手(スナイパー)まで!!軍曹!!タイヤに気をつけて!!」

「分かってますよ!!ハンドルさえ取られなけりゃこの車はホイルだけになっても十分走れますから!!そんなことより少尉殿!!一旦基地に戻りますか!?」

「いや、基地も駄目!!軍曹!!次の三叉路を左に!!」

「ひ、左!?箱根山中ですよ?」

「この辺りの地理は私に任せて!中学校まで箱根に住んでたんだから!」

「もうやけくそだ!!了解しました!!左ですね!!どうなっても知りませんぜ!!」

穴だらけになった車は南岸線を降りて片側一斜線の住宅地に飛び込んでいく。その後を二台のジープが追ってくると助手席の射手が躊躇なく引き金を引く。

パシン!パシン!パシン!パシン!パシン!パシン!パシン!パシン!

「Shit!!あいつらマジでキレてやがる!!一般人がウヨウヨいる住宅地でぶっ放してきやがった!!」

「集落に入れば手心を加えてくるかと思ったけど甘かったわね…でもこれでハッキリした。あいつらは私達を殺すつもりだわ!軍曹!次を右に!!」

「全く…美人なのに人使いの荒い少尉さんだぜ!!無事逃げ切ったらキス位して下さいよ!!」

「ホッペだったら考えてあげてもいいわよ、軍曹」

「少尉、分かるように説明してくれないか?基地にも戻れないとは…一体、どういう意味かね?」

「申し上げ難い事ですが…大佐…私達は司令長官閣下に売られたんです…」

「まさか…そんな…」

「残念ながら事実です…恐らく閣下はあの男と裏で繋がっています…ほぼ間違いなく…問題は…」

何故、第七艦隊と戦自が協同して事に当るのか…いや…第七艦隊っていうよりこれは日米同盟の機軸と考えるべきだわ…一体、彼らの狙いは何なのかしら…



同刻…
 
太陽がじわりと西に傾き始めた頃、第三東京市の市長は非常事態を宣言し、続いて保留していた「激甚災害時疎開条例」に基づく市民の強制疎開措置実施の決断を下していた。同じ一般市民でも家族がネルフに勤めている家庭は暴動には(当然だが)加わることはなく、市長命令と共に整然と市やネルフが用意した車に分乗して地区ごとに指定された疎開地に向かって行った。

一方、小学校低学年を除く高校までの児童や生徒たちは各学校の体育館や校庭に国連軍が設置した仮説の宿舎に家族と離れてクラス毎に纏まって生活をしていた。一見して児童疎開というシステムは家族と切り離すため理不尽な措置にも思えるが、仮に家族単位で行動していて両親に万が一の事があった場合は誰に知られることもなく残された子供達は路頭に迷いかねない。従って、有事の際は家族単位で纏まるよりも自活能力の低い子供達を学校単位で一つに纏めて行動させた方がむしろ安全といえる。

小高い丘に立地している第一中学校の校庭に洞木ヒカリや相田ケンスケを始めとする2年A組の生徒達の姿があった。なだらかな長い坂に生徒達を迎えに来たバスがずらりと並んでいる光景が見える。さすがにはしゃぎ回る子供達の姿はなく、全員が一様に疲れと不安を幼さの残る顔に浮かべていた。

「どうしたの?相田君」

ケンスケの後ろに立っていたヒカリが話しかける。ケンスケは大きなため息を付く。

「いや…別に…なんかさ…もうこの街には戻って来れない様な気がしてね…」

「そんなこと…だって最上先生(※ 2年A組の担任)も一時的な措置だって仰ってたじゃない」

「それってさ…ほとんど気休めだろ?実際はどうなるのか…今、何が起こっているのかなんて…学校の先生でも分かるわけ無いじゃないか…まして未来のことなんて…分かるもんか…」

ヒカリは珍しく頬を高潮させて話すケンスケの剣幕に驚いていた。風が運んでくる重油とゴムの焼ける臭いが鼻腔をくすぐる。何を言っても気休めにしかならないことは誰もが分かり切っていた。

教師に促されて他のクラスの生徒達が一斉にバスに乗り込み始めた。

担任の最上に促されてバスのタラップに足をかけたケンスケは不意に立ち止まると遠くに見える第三東京市の町並みをじっと見詰める。街のあちらこちらから黒い煙が幾筋も上がり、サイレンと銃声のような音、そして時折聞こえてくる悲鳴が子供達に極度の緊張を強いていた。

心配と驚きが入り混じるヒカリの視線に気がついたケンスケは急に静かになると独り言のように呟く。バスとバスの間を一匹のオニヤンマが颯爽と夏の風に乗って滑空していく。

「所詮…この世の中なんて不公平だらけなんだ…Evaが嫌いなヤツや興味を持っていないヤツがここに残って…俺は何の役にも立てなくて…くそっ…いつもそうなんだ…俺はいつも…」

「相田君・・・」

「ごめん…なんでもない…今のは忘れて…」

ケンスケはヒカリを残して荒々しい足音を立ててバスの中に消えていく。大人しいケンスケにしては珍しい反応だった。ヒカリは不安そうな瞳を町の向こうに見える芦ノ湖に向ける。

鈴原…アスカ…碇君…綾波さんも…あたし達…これからどうなっちゃうんだろう…みんなもしかしてこのまま…

「もう…会えないなんてこと…ないよね…」



Ep#09_(8) 完 / つづく

PR
ブログ内検索
カウンター
since 7th Nov. 2008
Copyright ©  -- der Erlkönig --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by White Board

powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]