新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第1部 The Sacrifices アダムの兄妹
(あらすじ)
ネルフが第12使徒としのぎを削る最中、第二東京市新赤坂に国民党党首の生駒の姿があった。戦略自衛隊幹部の長門との密談に興じる生駒にもたらされた情報は驚くべき内容だった。
かつて加持が歴史的な事情で利害が一致するのか微妙と考えていた両者はついに手を組んだ。S計画は実行に移され、地獄の舞台は着々と整いつつあった…
(あらすじ)
ネルフが第12使徒としのぎを削る最中、第二東京市新赤坂に国民党党首の生駒の姿があった。戦略自衛隊幹部の長門との密談に興じる生駒にもたらされた情報は驚くべき内容だった。
かつて加持が歴史的な事情で利害が一致するのか微妙と考えていた両者はついに手を組んだ。S計画は実行に移され、地獄の舞台は着々と整いつつあった…
(本文)
玄関に入ると女将が両手を突いて客を迎える。
「生駒先生。ようこそおいでくださいました。ここの所すっかりご無沙汰で…」
「いやいや申し訳ない。女将。臨時国会もようやく落ち着いてきたが、なかなか時間が取れなくてね」
野党第一党である国民党党首、生駒は屈託の無い笑顔を女将に向ける。
「それはそれは…てっきり何処かに心移りでもされたのかと」
「こいつは手厳しい!ははは!」
生駒は豪快に笑い声を上げる。
「お連れ様はすでにご到着されておりますので御案内致します」
「うむ。ところで今日は金目入ってる?」
女将はわが意を得たりと言わんばかりにほくそ笑む。
「はい、それはもう。先生がお見えになるんで沼津から特別に」
「そりゃ結構!」
生駒は上機嫌になる。やがて一番奥まった座敷に通されるとそこには既に二人の男が正座で下座について生駒を待っていた。
一人は国防省の制服を着た神経質そうな男でもう一人はかなり恰幅のいい体格をした50代半ばに見えた。長門忠興と生駒と同じ国民党所属の衆議院議員である足柄建彦だった。
足柄は生駒の嵐世会旗揚げ以前からの股肱の側近だった。かなり仕立てのいいスーツを着ていた。
生駒は二人の姿を認めるとすっかり笑顔になる。
「いよっ!お二人さん。待たせてすまなかったね」
長門は生駒を見ると座布団を外して恭しく両手を突いて頭を垂れる。その様子を見ていた生駒は満足そうにうなずきながら座を再び長門に勧める。
「長門君、一瞥以来だね」
「はい。先生もご機嫌麗しく何よりです」
足柄が早速お銚子を持って生駒に進める。生駒は杯でそれを受ける。手酌で始めた三人を遠めで見ていた仲居は一礼して静かに座敷を後にした。
「臨時国会も終始われわれのペースで進んでいる。さすがの能登君(政府与党自由党官房長官)も参っているようだよ。わしのところにバーターを持ち込んできおった」
足柄が愉快そうに笑う。
「それは結構なことですな。それではわが党の使徒被害救済法も?」
「うむ。間違いないだろう。自由党も会期日程が気になっているんだろうな。来年の解散総選挙を睨んで救済法を制定すれば支持率もさらにアップだ」
生駒は一気に杯を飲み干す。足柄が再び酒を注ぐ。
「まあこれで政権交代に一層弾みがつくというものだな」
「おめでとうございます」
足柄と長門がそれぞれ杯を生駒に向ける。
「ところで長門君」
「はっ」
「例の計画は順調かね?」
「はい、全ては予定通りに」
「そうか。それは結構。だが先日の領海侵犯の件で国防省から自殺者が出るのはあまり感心せんな」
「は、お騒がせして申し訳ございません」
「まあいい。それよりもあの死に損ないがまた性懲りも無く動き始めた様だな」
「川内…ですか?」
足柄の言葉に生駒は無言でうなずく。
「どうして今の時期になってですかね?使徒戦が勃発して以来、世論はすっかりネルフ受け入れは失策だったという声一色ですよ。こんな時にあの陸奥さんが静かなる者の政策の補完路線を継承するとは到底思えませんな。あの当時の話を持ち出せば間違いなく自由党は更に支持を失うでしょう。結党以来の危機になることは間違いありませんよ?」
「そこだよ…あのジジイの強かなところは…」
生駒が忌々しそうに顔をしかめる。足柄が膝で少しにじり寄るような素振りを見せた。
「と、おっしゃいますと?」
「今の陸奥さんではどのみち総選挙は乗り切れん。ほとんど死に体内閣だからな。だからこそ火中の栗を陸奥さんに拾わせようとしているんだ。政権が交代する前に静かなる者の政策を補完させることを狙っているんだろう。川内が閣議決定をベースに官僚機構全体に号令をかけてさっさとA645(発令)をぶち上げる。まずはそんな腹だろうな」
A645の言葉にピクッと長門が反応する。
まさか…可能なのか…いや…冷静に考えてありえない…赤い薔薇は既にこの世にいない筈だ…
「しかし、そんなにすぐに出来ますかね?」
「あのジジイのことだ。政策の補完のために法改正を必要としないペーパー(各省庁における検討作業)は既に動かしているだろう」
「それはちょっと厄介ですな…」
「こうなると内閣不信任で一気に潰したいところだが如何せん衆院の数が足らん。参院で問責を打っても官僚に対する効果は薄いしな。やはり一気に解散総選挙、あるいは総辞職に追い込むかだろうな。自由党の切り崩し工作を進めるにしてももう少し時間と金が必要だ」
生駒が杯を煽る。
「いっそのこと川内を消した方が早いでしょう。A645の芽は早めに潰すに限るのでは?」
長門が笑みを浮かべながら生駒と足柄の話に割り込んできた。しかし、目は全く笑っていなかった。暗殺を仄めかす長門の横顔を思わず足柄はまじまじと凝視する。
「はっはっは!相変わらず長門君は元気がいいな。だがこれ以上、わしはSeeleと関わるつもりは無いぞ。君も知っているようにわしは日米同盟の旗手たらんとするものだよ?」
「よく存じております。実はそのことで本日はお耳に入れたいことがあります」
「なにかね?」
「Seeleとアメリカは既に手を組みました」
「な…」
生駒が思わず持っていた杯を取り落とした。酒がテーブルの上にこぼれる。足柄が慌てて腰を浮かすとお絞りで生駒の目の前を吹き始める。しかし、生駒は足柄に目をくれることなくじっと長門の顔を見ている。
「それだけではありません。Seeleの号令の元、ネルフの各支部はEvaの量産化に着手しました」
「S計画は既に始まったと…?」
「はい。極秘裏に。ネルフや碇ゲンドウがそれに勘付くのはもう少し先になるでしょうが…既にEva参号機は日本に向けてアメリカを出発しましたが、これを黙ってアメリカが認めたのは何故だと思います?」
生駒はじろっと長門の顔を見た。
「E計画よりもS計画の方が見返りが大きいと判断した、ということもあるだろうが…」
「まだ他に理由が?」
足柄が不安そうに生駒と長門の顔を交互に見ている。忌々しそうに生駒は顔をしかめるとタバコを咥えて自分で火をつけた。
「来年はアメリカ大統領選挙の年だ…今の主民党政権は支持を失っているからな。それに持ってきて今回の事故と接収だよ。何やってるんだと非難轟々だ。碇ゲンドウがどこまで考えているのか知らんがアメリカ政府の面目丸つぶれ。次は共明党の保守政権が誕生する公算がこれで一気に高くなった。選挙の時に鍵になるのが宗教票だよ。Seeleの支持はキリスト教原理主義団体を動かす上で必要不可欠というわけだ…」
「ご明察です」
日本では特定の政党を支持しない「浮動票」が極めて大きな意味を持つが、二大政党政治に長年慣れ親しんでいるアメリカでは「浮動票」よりもまず「組織票」が重視される。この組織票の代表的な存在が「宗教票」と呼ばれるキリスト教関連団体の票だった。意外に知られていないがアメリカの政治システムは日本に比べて圧倒的に保守的で閉塞的ですらある。
「しかし、あのアメリカがよくもまあ…歴史を辿ればナチを担ぎ出したのもSeeleじゃないか。もっともその党首が途中で心変わりを働いたものだから世界中を戦争に巻き込んでまで潰したのもSeele。今度はSeeleに背いて広島と長崎に原爆を投下して力を誇示したアメリカの対抗馬として冷戦体制をも作り出した。大体、碇ゲンドウを担ぎ出したのもSeeleだろ?節操が無いことこの上ないな。私の父は第二次大戦の南方戦線で九死に一生を得た口でね…まさに、ふざけるな、というところだね」
生駒が皮肉な笑みを口に浮かべて煙を吐く。長門はじっと生駒を見ていた。
「先生。情勢は大きく変化しました。ここは一つ勝ち馬に…」
「勝ち馬…ねえ…」
足柄が隣に座っている長門を睨みつける。
「長門君、君がゴーストと深い関係を持っているのはよく分かっているが…アメリカの件は本当のことかね?」
「はい」
「何か証拠のようなものはあるのかね?僕たち政治家と言うのは言葉で生きているが同時に言葉を信用しない生き物でね」
すると長門が傍らに置いていたアタッシュケースを膝の上に置くとロックを外して書類をテーブルの上に置いた。生駒がそれを手に取り書類に目を走らせていたが、ややあってじろっと長門を見た。
「なるほど…Seeleは本気で碇ゲンドウを潰す気なんだな…」
生駒が足柄にも書類を渡す。慌てて足柄が書類に目を通しているとみるみる驚愕の表情を浮かべる。
「ば、バカな…いくらなんでもそんなことが…本当にあのS2機関を完成させたのか…じゃ、じゃあ長年の懸案だった動力機関とコアのインターフェースモジュール(ブラックボックス)の問題は解決したってことか…」
長門は足柄の方を見るとにっこり笑って無言のままうなずくと視線を生駒の顔に向けた。
「はい…イスカリオテIF-Mの解除に必要だった動力理論の問題はクリアしました」
「それが事実なら…碇ゲンドウの交渉カードは確実に一つ削られた…ということになるな…」
生駒が口元に不敵な笑みを浮かべる。長門は大きくうなずく。
「ご明察の通りです。残念ながらNC(中性コア)の方は不首尾に終わりましたがダミーシステムはズィーベンステルネが用意したチャイルドを使って完成しました。後はコアに用いる精神をサルベージすれば問題ありません」
アダム…今は渚カヲルという名前だがね…アダムの妹がこの日本の何処かにいる筈なんだ…何者かがSeeleからさらって行ったのだからな…早く取り戻さねばならん…取り戻してサルベージせねば最良のEvaシリーズにならない…
長門は表情に出すことなく心の中で呟いていた。生駒がタバコを灰皿に押し付けた。
「ズィーベンステルネか…世界中の天才少年と少女を集めたSeele直属のチャイルド養成機関だが、その実はバレンタイン条約で接収された悪魔も恐れ慄くと言われたナチスの精神化学兵器研究所の本部というのがその実態。ナチスの亡霊どもが彷徨う地上で最も罪深き場所だな。政権を受け継いだものが負の遺産に慄くパンドラの箱ってやつか。どこの国にもそんなものは転がっているがね…長門君…単刀直入に聞くが君の望みは何かね?」
長門の目が一瞬光る。
「勿論、生駒先生にこの日本の政権を取っていただくことです。この日本を出雲重光の呪縛から解放するために…」
「殊勝なことを口では言いおるが、それではこの生駒にSeeleの軍門に下れと言っているのと同じだな…」
生駒は腕組みをして目を閉じた。長門は不敵な笑みを口元に浮かべていた。
「いいだろう…」
「せ、先生!よろしいのですか!こんな無礼な話が…」
生駒が手で足柄を制する。そしてじろっと長門を鋭く睨みつけた。
「俺は日本がこの混沌とした地獄の時代で世界に覇を唱える姿を常に夢見てきた。だから出雲さんとも決別したんだ。国連という無能な集まりに取りすがるバカ共には俺の志は分かるまい。楽園を追われた人間がやがて寄り集まって社会を作り、それはいつしか国家をなした。更にその国家を集めて国連を作っても所詮は一つの完全体を作ることには繋がらない。お互いがお互いの利益を主張しあうだけだからな。完全なる政治とは一人によってより多くを支配することなのだ。民主主義とは下らない群体が夢見る所詮は愚かな虚像でしかない。それを真理だとのたまう救い様の無いバカまで出る始末だ。人間に残された唯一の力である知恵はいつからそんな下らないものに成り下がったと言うのか」
生駒は再び杯を煽った。足柄が空になった杯になみなみと注ぐ。生駒の視線はその水面に落されていた。
「諸君、真理とは何かね?真理とは神のみぞ知る領域のことだ。真理は人間には到底掴むことが出来ないものだよ。それを有史以来人間は哲学、宗教、自然科学と称して追求してきた。しかし、誰一人としてそれを掴んだものはおらん…」
長門がゆっくりと頷いた。
「なぜならば…真理とはすなわち生命の樹に他ならないからです。人は神と等しき力を手に入れようとただ足掻いている。本能的に神の姿を求めているに過ぎません…」
「その通りだ。俺は神になるつもりは無い。俺は愚かな人間共をこの手で一つに糾合することを目指しているのだ。Evaという名の悪魔 (ルシファー) を使ってな。そのためなら俺は悪魔とも契約する覚悟がある。いいだろう…Seeleのシナリオに乗ろうじゃないか…」
長門は深々と頭を生駒に向かって下げていた。
碇ゲンドウ亡き後のネルフはあなたにこそ相応しい様ですな…生駒さん…あなたが約束の時、すなわち2016年3月27日までに政権を取り、Seeleの号令の下にA801を発令すれば戦自は碇ゲンドウとネルフを始末するでしょう…かつてSeeleに叛いたアドルフ・ヒトラーやナポレオン・ボナパルトの様にね…どちらにしても人類は贖罪の儀式を行って再び楽園に戻るのです…
突然くぐもった電子音が座敷内で鳴り響く。
「おっと…ちょっと失礼するよ…」
そう言って生駒は脱いで傍らに置いていたスーツの内ポケットから携帯電話を取り出すと電話に出る。
「もしもし生駒だが…そうか…やったか…分かった…ご苦労さん」
長門と足柄の視線に気が付いて生駒が不敵な笑みを浮かべた。
「ネルフが使徒をたった今仕留めたそうだ。今回はかなり手こずった様だな」
「そうですか…まずは一安心ですな…」
「まあな。TIPが起こるかもしれないという時でもこうして政治は動いているわけだがな」
3人はそれぞれ乾いた笑い声を上げる。笑いながら長門は目の前の杯を勢いよく煽った。
これであと5つか…実質的にSeeleのコントロールが及ばない個体は4つ…アダム…いや、渚カヲル…お前もダミーシステムが完成したからには利用価値としては第17使徒として滅びる事のみ…安心しろ…すぐにお前の妹もお前の後を追う事になる…
長門の冷え切った表情に生駒は刺す様な視線を送っていた。
長門…政権奪取のためには貴様のSeeleとのパイプを切る訳にはいかん…しかし…Seeleに近すぎるお前は危険だ…いつかはその首を貰い受けるぞ…アメリカがSeeleの軍門に下ったのなら尚更俺は…
「先生、お一つどうぞ…」
「ああ…」
足柄が生駒の盃に酒を注ぐ。生駒はそれを一気に煽る。
俺は俺の道を必ず行ってやる…その為にはどんな恥辱にも嘲りにも耐えてやる…後世の歴史はこれを雌伏というか…はたまた…世紀の愚挙というか…同じ側から見てやろうじゃないか…Seeleのシナリオ…とやらをな…
遠くの方で獅子脅しの音が聞こえてきた。
夜の帳が下りた第二東京市の新赤坂。
料亭が居並ぶ一角に静かに黒塗りの車が滑り込んできた。やがて車は「岐山」と書かれた門の前に止まる。
都市には似つかわしくない漆喰の壁に囲まれた数寄屋造りの家屋から着物を着た女たちが現れて恭しく客を迎える。飛び石には程よく打ち水がしてあり、庭から聞こえる虫の音も心地よく感じられた。
中肉中背の60半ばと思しき男は仲居に促されて中に入っていく。その後を2名の若い男がついて行く。
料亭が居並ぶ一角に静かに黒塗りの車が滑り込んできた。やがて車は「岐山」と書かれた門の前に止まる。
都市には似つかわしくない漆喰の壁に囲まれた数寄屋造りの家屋から着物を着た女たちが現れて恭しく客を迎える。飛び石には程よく打ち水がしてあり、庭から聞こえる虫の音も心地よく感じられた。
中肉中背の60半ばと思しき男は仲居に促されて中に入っていく。その後を2名の若い男がついて行く。
玄関に入ると女将が両手を突いて客を迎える。
「生駒先生。ようこそおいでくださいました。ここの所すっかりご無沙汰で…」
「いやいや申し訳ない。女将。臨時国会もようやく落ち着いてきたが、なかなか時間が取れなくてね」
野党第一党である国民党党首、生駒は屈託の無い笑顔を女将に向ける。
「それはそれは…てっきり何処かに心移りでもされたのかと」
「こいつは手厳しい!ははは!」
生駒は豪快に笑い声を上げる。
「お連れ様はすでにご到着されておりますので御案内致します」
「うむ。ところで今日は金目入ってる?」
女将はわが意を得たりと言わんばかりにほくそ笑む。
「はい、それはもう。先生がお見えになるんで沼津から特別に」
「そりゃ結構!」
生駒は上機嫌になる。やがて一番奥まった座敷に通されるとそこには既に二人の男が正座で下座について生駒を待っていた。
一人は国防省の制服を着た神経質そうな男でもう一人はかなり恰幅のいい体格をした50代半ばに見えた。長門忠興と生駒と同じ国民党所属の衆議院議員である足柄建彦だった。
足柄は生駒の嵐世会旗揚げ以前からの股肱の側近だった。かなり仕立てのいいスーツを着ていた。
生駒は二人の姿を認めるとすっかり笑顔になる。
「いよっ!お二人さん。待たせてすまなかったね」
長門は生駒を見ると座布団を外して恭しく両手を突いて頭を垂れる。その様子を見ていた生駒は満足そうにうなずきながら座を再び長門に勧める。
「長門君、一瞥以来だね」
「はい。先生もご機嫌麗しく何よりです」
足柄が早速お銚子を持って生駒に進める。生駒は杯でそれを受ける。手酌で始めた三人を遠めで見ていた仲居は一礼して静かに座敷を後にした。
「臨時国会も終始われわれのペースで進んでいる。さすがの能登君(政府与党自由党官房長官)も参っているようだよ。わしのところにバーターを持ち込んできおった」
足柄が愉快そうに笑う。
「それは結構なことですな。それではわが党の使徒被害救済法も?」
「うむ。間違いないだろう。自由党も会期日程が気になっているんだろうな。来年の解散総選挙を睨んで救済法を制定すれば支持率もさらにアップだ」
生駒は一気に杯を飲み干す。足柄が再び酒を注ぐ。
「まあこれで政権交代に一層弾みがつくというものだな」
「おめでとうございます」
足柄と長門がそれぞれ杯を生駒に向ける。
「ところで長門君」
「はっ」
「例の計画は順調かね?」
「はい、全ては予定通りに」
「そうか。それは結構。だが先日の領海侵犯の件で国防省から自殺者が出るのはあまり感心せんな」
「は、お騒がせして申し訳ございません」
「まあいい。それよりもあの死に損ないがまた性懲りも無く動き始めた様だな」
「川内…ですか?」
足柄の言葉に生駒は無言でうなずく。
「どうして今の時期になってですかね?使徒戦が勃発して以来、世論はすっかりネルフ受け入れは失策だったという声一色ですよ。こんな時にあの陸奥さんが静かなる者の政策の補完路線を継承するとは到底思えませんな。あの当時の話を持ち出せば間違いなく自由党は更に支持を失うでしょう。結党以来の危機になることは間違いありませんよ?」
「そこだよ…あのジジイの強かなところは…」
生駒が忌々しそうに顔をしかめる。足柄が膝で少しにじり寄るような素振りを見せた。
「と、おっしゃいますと?」
「今の陸奥さんではどのみち総選挙は乗り切れん。ほとんど死に体内閣だからな。だからこそ火中の栗を陸奥さんに拾わせようとしているんだ。政権が交代する前に静かなる者の政策を補完させることを狙っているんだろう。川内が閣議決定をベースに官僚機構全体に号令をかけてさっさとA645(発令)をぶち上げる。まずはそんな腹だろうな」
A645の言葉にピクッと長門が反応する。
まさか…可能なのか…いや…冷静に考えてありえない…赤い薔薇は既にこの世にいない筈だ…
「しかし、そんなにすぐに出来ますかね?」
「あのジジイのことだ。政策の補完のために法改正を必要としないペーパー(各省庁における検討作業)は既に動かしているだろう」
「それはちょっと厄介ですな…」
「こうなると内閣不信任で一気に潰したいところだが如何せん衆院の数が足らん。参院で問責を打っても官僚に対する効果は薄いしな。やはり一気に解散総選挙、あるいは総辞職に追い込むかだろうな。自由党の切り崩し工作を進めるにしてももう少し時間と金が必要だ」
生駒が杯を煽る。
「いっそのこと川内を消した方が早いでしょう。A645の芽は早めに潰すに限るのでは?」
長門が笑みを浮かべながら生駒と足柄の話に割り込んできた。しかし、目は全く笑っていなかった。暗殺を仄めかす長門の横顔を思わず足柄はまじまじと凝視する。
「はっはっは!相変わらず長門君は元気がいいな。だがこれ以上、わしはSeeleと関わるつもりは無いぞ。君も知っているようにわしは日米同盟の旗手たらんとするものだよ?」
「よく存じております。実はそのことで本日はお耳に入れたいことがあります」
「なにかね?」
「Seeleとアメリカは既に手を組みました」
「な…」
生駒が思わず持っていた杯を取り落とした。酒がテーブルの上にこぼれる。足柄が慌てて腰を浮かすとお絞りで生駒の目の前を吹き始める。しかし、生駒は足柄に目をくれることなくじっと長門の顔を見ている。
「それだけではありません。Seeleの号令の元、ネルフの各支部はEvaの量産化に着手しました」
「S計画は既に始まったと…?」
「はい。極秘裏に。ネルフや碇ゲンドウがそれに勘付くのはもう少し先になるでしょうが…既にEva参号機は日本に向けてアメリカを出発しましたが、これを黙ってアメリカが認めたのは何故だと思います?」
生駒はじろっと長門の顔を見た。
「E計画よりもS計画の方が見返りが大きいと判断した、ということもあるだろうが…」
「まだ他に理由が?」
足柄が不安そうに生駒と長門の顔を交互に見ている。忌々しそうに生駒は顔をしかめるとタバコを咥えて自分で火をつけた。
「来年はアメリカ大統領選挙の年だ…今の主民党政権は支持を失っているからな。それに持ってきて今回の事故と接収だよ。何やってるんだと非難轟々だ。碇ゲンドウがどこまで考えているのか知らんがアメリカ政府の面目丸つぶれ。次は共明党の保守政権が誕生する公算がこれで一気に高くなった。選挙の時に鍵になるのが宗教票だよ。Seeleの支持はキリスト教原理主義団体を動かす上で必要不可欠というわけだ…」
「ご明察です」
日本では特定の政党を支持しない「浮動票」が極めて大きな意味を持つが、二大政党政治に長年慣れ親しんでいるアメリカでは「浮動票」よりもまず「組織票」が重視される。この組織票の代表的な存在が「宗教票」と呼ばれるキリスト教関連団体の票だった。意外に知られていないがアメリカの政治システムは日本に比べて圧倒的に保守的で閉塞的ですらある。
「しかし、あのアメリカがよくもまあ…歴史を辿ればナチを担ぎ出したのもSeeleじゃないか。もっともその党首が途中で心変わりを働いたものだから世界中を戦争に巻き込んでまで潰したのもSeele。今度はSeeleに背いて広島と長崎に原爆を投下して力を誇示したアメリカの対抗馬として冷戦体制をも作り出した。大体、碇ゲンドウを担ぎ出したのもSeeleだろ?節操が無いことこの上ないな。私の父は第二次大戦の南方戦線で九死に一生を得た口でね…まさに、ふざけるな、というところだね」
生駒が皮肉な笑みを口に浮かべて煙を吐く。長門はじっと生駒を見ていた。
「先生。情勢は大きく変化しました。ここは一つ勝ち馬に…」
「勝ち馬…ねえ…」
足柄が隣に座っている長門を睨みつける。
「長門君、君がゴーストと深い関係を持っているのはよく分かっているが…アメリカの件は本当のことかね?」
「はい」
「何か証拠のようなものはあるのかね?僕たち政治家と言うのは言葉で生きているが同時に言葉を信用しない生き物でね」
すると長門が傍らに置いていたアタッシュケースを膝の上に置くとロックを外して書類をテーブルの上に置いた。生駒がそれを手に取り書類に目を走らせていたが、ややあってじろっと長門を見た。
「なるほど…Seeleは本気で碇ゲンドウを潰す気なんだな…」
生駒が足柄にも書類を渡す。慌てて足柄が書類に目を通しているとみるみる驚愕の表情を浮かべる。
「ば、バカな…いくらなんでもそんなことが…本当にあのS2機関を完成させたのか…じゃ、じゃあ長年の懸案だった動力機関とコアのインターフェースモジュール(ブラックボックス)の問題は解決したってことか…」
長門は足柄の方を見るとにっこり笑って無言のままうなずくと視線を生駒の顔に向けた。
「はい…イスカリオテIF-Mの解除に必要だった動力理論の問題はクリアしました」
「それが事実なら…碇ゲンドウの交渉カードは確実に一つ削られた…ということになるな…」
生駒が口元に不敵な笑みを浮かべる。長門は大きくうなずく。
「ご明察の通りです。残念ながらNC(中性コア)の方は不首尾に終わりましたがダミーシステムはズィーベンステルネが用意したチャイルドを使って完成しました。後はコアに用いる精神をサルベージすれば問題ありません」
アダム…今は渚カヲルという名前だがね…アダムの妹がこの日本の何処かにいる筈なんだ…何者かがSeeleからさらって行ったのだからな…早く取り戻さねばならん…取り戻してサルベージせねば最良のEvaシリーズにならない…
長門は表情に出すことなく心の中で呟いていた。生駒がタバコを灰皿に押し付けた。
「ズィーベンステルネか…世界中の天才少年と少女を集めたSeele直属のチャイルド養成機関だが、その実はバレンタイン条約で接収された悪魔も恐れ慄くと言われたナチスの精神化学兵器研究所の本部というのがその実態。ナチスの亡霊どもが彷徨う地上で最も罪深き場所だな。政権を受け継いだものが負の遺産に慄くパンドラの箱ってやつか。どこの国にもそんなものは転がっているがね…長門君…単刀直入に聞くが君の望みは何かね?」
長門の目が一瞬光る。
「勿論、生駒先生にこの日本の政権を取っていただくことです。この日本を出雲重光の呪縛から解放するために…」
「殊勝なことを口では言いおるが、それではこの生駒にSeeleの軍門に下れと言っているのと同じだな…」
生駒は腕組みをして目を閉じた。長門は不敵な笑みを口元に浮かべていた。
「いいだろう…」
「せ、先生!よろしいのですか!こんな無礼な話が…」
生駒が手で足柄を制する。そしてじろっと長門を鋭く睨みつけた。
「俺は日本がこの混沌とした地獄の時代で世界に覇を唱える姿を常に夢見てきた。だから出雲さんとも決別したんだ。国連という無能な集まりに取りすがるバカ共には俺の志は分かるまい。楽園を追われた人間がやがて寄り集まって社会を作り、それはいつしか国家をなした。更にその国家を集めて国連を作っても所詮は一つの完全体を作ることには繋がらない。お互いがお互いの利益を主張しあうだけだからな。完全なる政治とは一人によってより多くを支配することなのだ。民主主義とは下らない群体が夢見る所詮は愚かな虚像でしかない。それを真理だとのたまう救い様の無いバカまで出る始末だ。人間に残された唯一の力である知恵はいつからそんな下らないものに成り下がったと言うのか」
生駒は再び杯を煽った。足柄が空になった杯になみなみと注ぐ。生駒の視線はその水面に落されていた。
「諸君、真理とは何かね?真理とは神のみぞ知る領域のことだ。真理は人間には到底掴むことが出来ないものだよ。それを有史以来人間は哲学、宗教、自然科学と称して追求してきた。しかし、誰一人としてそれを掴んだものはおらん…」
長門がゆっくりと頷いた。
「なぜならば…真理とはすなわち生命の樹に他ならないからです。人は神と等しき力を手に入れようとただ足掻いている。本能的に神の姿を求めているに過ぎません…」
「その通りだ。俺は神になるつもりは無い。俺は愚かな人間共をこの手で一つに糾合することを目指しているのだ。Evaという名の悪魔 (ルシファー) を使ってな。そのためなら俺は悪魔とも契約する覚悟がある。いいだろう…Seeleのシナリオに乗ろうじゃないか…」
長門は深々と頭を生駒に向かって下げていた。
碇ゲンドウ亡き後のネルフはあなたにこそ相応しい様ですな…生駒さん…あなたが約束の時、すなわち2016年3月27日までに政権を取り、Seeleの号令の下にA801を発令すれば戦自は碇ゲンドウとネルフを始末するでしょう…かつてSeeleに叛いたアドルフ・ヒトラーやナポレオン・ボナパルトの様にね…どちらにしても人類は贖罪の儀式を行って再び楽園に戻るのです…
プルルルル
突然くぐもった電子音が座敷内で鳴り響く。
「おっと…ちょっと失礼するよ…」
そう言って生駒は脱いで傍らに置いていたスーツの内ポケットから携帯電話を取り出すと電話に出る。
「もしもし生駒だが…そうか…やったか…分かった…ご苦労さん」
長門と足柄の視線に気が付いて生駒が不敵な笑みを浮かべた。
「ネルフが使徒をたった今仕留めたそうだ。今回はかなり手こずった様だな」
「そうですか…まずは一安心ですな…」
「まあな。TIPが起こるかもしれないという時でもこうして政治は動いているわけだがな」
3人はそれぞれ乾いた笑い声を上げる。笑いながら長門は目の前の杯を勢いよく煽った。
これであと5つか…実質的にSeeleのコントロールが及ばない個体は4つ…アダム…いや、渚カヲル…お前もダミーシステムが完成したからには利用価値としては第17使徒として滅びる事のみ…安心しろ…すぐにお前の妹もお前の後を追う事になる…
長門の冷え切った表情に生駒は刺す様な視線を送っていた。
長門…政権奪取のためには貴様のSeeleとのパイプを切る訳にはいかん…しかし…Seeleに近すぎるお前は危険だ…いつかはその首を貰い受けるぞ…アメリカがSeeleの軍門に下ったのなら尚更俺は…
「先生、お一つどうぞ…」
「ああ…」
足柄が生駒の盃に酒を注ぐ。生駒はそれを一気に煽る。
俺は俺の道を必ず行ってやる…その為にはどんな恥辱にも嘲りにも耐えてやる…後世の歴史はこれを雌伏というか…はたまた…世紀の愚挙というか…同じ側から見てやろうじゃないか…Seeleのシナリオ…とやらをな…
遠くの方で獅子脅しの音が聞こえてきた。
Ep#07_(1) 完 / つづく
(改定履歴)
11th Mar, 2009 / 誤字修正
29th June, 2009 / 表現修正
09th Apr, 2010 / 表現修正
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