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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第14部 父と子と


(あらすじ)

ミサトのマンションにカヲルが引越してきた翌日、シンジは迎えに来たネルフの公用車にカヲルと一緒に乗り込み本部に向かう。
「父なる人に会うのがそんなに怖いのかい?」
「余計なお世話だよ…」
「シンジ君…逃げるという事と運命を受け入れるという事は同意じゃない…君の過ちは運命に抗わず…さりとて受け入れなかったところにある…僕が君に言える事はそれだけさ…」
父ゲンドウと向き合うシンジ…二人の戦いが始まろうとしていた…



(本文)


シンジは自分の顔の近くに人の気配を感じで目を覚ます。

「ううん…」

シンジの寝顔を珍しそうに覗き込んでいるカヲルの顔が目に飛び込んできた。

「Morgen!シンジ君」

「うぐあー!!!」

シンジはまるでバッタの様にベッドの上で飛び上がる。寝起きが最悪という遺伝上の特徴を持つシンジにしては珍しく眠気は一気に吹き飛んでいた。

「か、カヲル君!ここで何をやってるんだよ!」

「君は変わってるね。ベッドに入る時にはパンツを穿(は)いているのにベッドの中に入ったらパンツを脱ぐのかい?」

カヲルがベッドの床に落ちていたシンジのトランクスを拾い上げる。シンジは顔を真っ赤にするとカヲルの手から慌てて自分のトランクスを引っ手繰る。

夏用の薄い掛け布団の中で素早く穿いた。

「よ、余計なお世話だよ!!だ、だいたい君が何でここにいるんだ!勝手に入ってくるなよ!」

カヲルはシンジに構うことなく部屋を眺め回している。その飄々とした雰囲気にシンジはプライベートを暴(あば)かれたという恥かしさも相まって頭に血が上(のぼ)る。

こ、この野郎…ぼ、僕の寝姿をじっと観察していたのか…ま、まさかヘンタイか…アスカですら絶対ノックしてから入って来てたのに!

「カヲル君!」

カヲルは薄い水色をしたシルクのパジャマを第三ボタンまで外してルーズに着ていた。布の間から白い肌と乳首が見え隠れしていた。

このオカマ野郎!

シンジは花柄の布団を跳ね飛ばすとカヲルに詰め寄る。カヲルはシンジより10cm以上背が高く自称170cmのミサト(実測値166cm)と同じ位かそれ以上の様に見えた。

シンジの気配を感じたカヲルはいきなりシンジの方に向き直る。

「うお!」

カヲルにぶつかりそうになってシンジは慌てて足を止める。

「僕は君の部屋のアラームを止めに来ただけさ」

「あ、アラ…」

カヲルが右手でシンジのベッドサイドに置いてあるデジタル式のアラームを指差した。緩慢な動作だったがシンジは思わず飛び退いていた。

ぼ、僕…コイツにビビッてるのか…

「君は面白いね。あんなに大きな音がしていたのに全然起きないんだね?実に興味深いよ」

「う、うるさいな!だからってノックもしないで勝手に人の部屋に入っていいわけないだろ!」

「ノックしたよ、一応。無駄だとは思ったけどね」

「なんでだよ?」

「あんな大きな音が耳の近くで鳴っているのに起きない君がノックの音に気が付くとは思えないしね」

カヲルの正論にシンジは振り上げた拳を下ろせないもどかしさを感じる。

こ、こいつ…ムカつくぞ…

「て、いうかさ!アスカの時はノックの音に気が付かない事なんて一度もなかっ…た…」

シンジはハッとした表情を浮かべた。

そ、そう言えば…いつもじゃないけど…アラームのSnoozeボタンが入っていたことがあった…てっきり自分が無意識のうちに押したとばかり思っていたけど…ま、まさか…アスカ…僕が寝てる間に部屋に黙って目覚ましを…まさか…

シンジの回想はカヲルの声でかき消される。

「ところでシンジ君。今日は僕たち、一緒に本部に行くんだろ?」

「えっ?ああ…そうだけど?朝の九時にマンションの前に車が…」

そういえば…今…何時なんだろう…

シンジが目覚まし時計を手に取る。9時15分を表示していた。

「ま、マジかよ!?か、カヲル君!これは一体どういうこと?君はアラームの音を聞いてここにきたんだろ?」

「そうだよ」

カヲルは平然と答える。

「僕は昨日、この時計を8時にセットしていたんだ!」

「確かに8時にちゃんと鳴ったよ」

い、意味がわかんねえ…

「じゃ、じゃあ!何でもう9時を過ぎてるんだよ!」

「アラームを止めて君が起きるかなあって思って待っていたのさ。でも君は起きないし、それに君の寝顔を見ているうちについリリンはどういうプロセスで覚醒するのか興味が出てきてしまって観察してしまった。君がさっきまで見ていたリリスやエリザの夢はレム睡眠の時のPGO波が記憶層(海馬)を刺激して大脳皮質で知覚するものだろ?どうして二人とも服を着ていなかったんだい?そういう記憶が君の中に…」

「う、うるさい!うるさい!うるさーい!!それ以上言うとただじゃおかないぞ!!」

シンジがカヲルを荒々しく押しのけると勉強机の上に置いてあったネルフ支給の携帯を取り出す。着信が5件入っていた。番号から類推して迎えに来た保安部の職員のものと思われた。

「冗談だろ…勘弁してくれよ!まったく!」

シンジは再びカヲルを押しのけて慌ててビニール製のファンシーケースを開けて制服を取り出す。部屋の中央に突っ立っているカヲルははっきり言って何をするにもイライラするほど邪魔だった。

「そうだ…一つ君に重要なお知らせがあったんだ…」

カヲルがまるで他人事の様に手をポンと打つ。シンジが悠長なカヲルを睨むようにして見た。

「何だよ?ていうか、カヲル君!君も早く着替えろよ!!」

「保安部の人がオートロックのチャイムを鳴らした時に君がまだ寝てると教えてあげたら玄関で待っていると言ってたよ」

「な、何だって?!どうしてそこで起こさないんだよ!!」

ミラクルバカじゃないのか…コイツ…何考えてるんだ…

「つまり僕達は既に遅刻してるってことだね」

「お前マジでぶん殴るぞ!!」

だ、ダメだ…コイツ…マジで何とかしなければ…

シャツを制服のズボンに入れながらシンジは部屋を飛び出して行った。
 






9
時半。

シンジは保安部員に平謝りして送迎の車の後部座席にカヲルと一緒に乗り込んだ。

若い保安部員は車の中で寝坊したシンジ達を始めからかっていたがゲンドウとの面談が11時からの予定であることを教えてくれた。

リツコがシンジの寝起きの悪さを予め計算に入れて早めのピックアップをセットアップしていたらしい。

保安部員は朝食を食べていない二人のために近くのコンビニの前に車を止めてくれた。珍しそうにコンビニの店内を眺めるカヲルを尻目にシンジがパンとコーヒー牛乳を買って外に出ようとするとレジの方から押し問答が聞こえて来た。

振り返るとカヲルが10ユーロ札を出していた。

シンジはため息を付くとカヲルの買い物を自分の電子マネーで払う。そして手を引いてそそくさと店を出た。

「カヲル君…細かいようで悪いけどさっきの立替えた分…ちゃんと返してよ」

「勿論さ、シンジ君」

カヲルがさっきコンビニで払おうとした10ユーロ札を再び自分の財布からとりだそうとしていた。それを見たシンジは無言でカヲルの手を掴むと強制的に紙幣を財布に仕舞わせた。

「ここ…日本だから…カヲル君…」

車は第三東京市内を抜けて郊外にあるジオフロント車両入り口に向かっていた。車窓から青々と茂った森と太陽の光を反射する芦ノ湖が見えていた。

シンジの隣ではコンビニで買ったおにぎりをカヲルがビニールから取り出しているところだった。右手におにぎり、左手に海苔を持っている。

シンジが機先を制しておにぎりを海苔で包んだ。

「別々に食べるものじゃないから…それ…」

「ありがとう、シンジ君」

カヲルはにっこり微笑むとパリパリと甲高い音を立てながら食べ始めた。シンジはクリームパンを齧りながらカヲルの横顔を見る。

そういえば…綾波も初めは海苔とおにぎりを別々に食べていたっけ…






シンジが第一中学校に転校してからもずっとレイは昼休憩に他の生徒とは離れて一人で過ごしていた。レイはいつも昼食を食べていなかった。

クラスメートの殆どがレイを大人しい、あるいはネクラな性格だと言っていたがケンスケだけが違う感想を持っていた。

「綾波はただのネクラとは違うね。あいつはどっちかっていうと他人に興味を持っていないっていうか…他人が視界に入っていない気がする。大人しいんじゃなくて人と接するきっかけや繋がり自体を知らないだけじゃないかな?逆を言うときっかけをこっちが与えて教えてあげれば話くらいは出来る様になると思うよ」

「どうして…そんな事を僕に…」

「あれ?違った?話がしたいのかと思ってたんだけどさ、綾波と…」

シンジにその自覚は明確にはなかったがある意味図星だった。

シンジも引っ込み思案なところはあったがレイはシンジが話しかけてもどこか取り付く島がない雰囲気で会話もすれ違い気味なのを常々気にかけていたからだ。

人から誤解される事が多いこの貴重な友人は同じ歳とはとても思えないほどの老成な観察眼を持っていた。ケンスケのこの一言が無ければシンジはレイとのきっかけを自分から作ろうとはしなかったかもしれない。

父さんと一緒にいる綾波…父さんと親しそうに話す綾波…綾波は僕よりも父さんの事を知っている…綾波と話せば…ひょっとしたら何か分かるかもしれない…父さんの事が…

他人に父親の事を聞くというのも奇妙な話だったが綾波レイは自分よりも父ゲンドウと近い位置にいる様な印象があった。一度ならず二度までも軽くあしらわれていたシンジの唯一の肉親である父親に対する感情は複雑化の一途を辿っていた。

僕は…父さんが怖い…また傷つくのが…怖い…自分を否定されるくらいなら…一人でいた方が…いや…もう一度、会うべきなのか…そのために僕は父さんに認められる様に頑張るべきなのかも…

時として当事者同士では話が余計ややこしくなる場合もある。特に父と子の関係は複雑だ。

その間を取り持つ母親の様な存在が必要だった。

一方でシンジはこの不思議な少女レイに奇妙な親近感も覚えていた。父ゲンドウと自分の間に丁度立っているようなレイを日に日に意識するようになり、シンジは何かにつけてレイに話かける様になっていた。

シンジの弁当作りの事始めは元を糺(ただ)せばレイとの話題作りのためだった。

三鷹市の叔父夫婦の家で自堕落な生活を送っていたシンジはこれまで弁当作りはおろか家事など全くした事がなかった。

しかし、有り得ないほどズボラなミサトとの生活とレイに対する興味が少しずつだがシンジに変化をもたらしていた。

シンジは不慣れな手つきで冷凍食品と白米を詰めただけの簡単な弁当を作った。

「弁当って…こんなに面倒臭いのか…毎日作るなんて…凄い事だったんだな…」

叔母は給食のないシンジのために毎日弁当を持たせてくれた事を今更ながらに思い出していた。それは一人の世界に浸っていたシンジが初めて他人のためにしたことでもあった。

その日、シンジはクラスメイトの姿がなくなるのを見計らって白い弁当箱をレイに渡した。

レイは明らかに目の前のものに戸惑っていた。

や、やっぱりおかしいよな…他人がいきなりこんな事をするなんて…

「ご、ごめん…こんなこと…別に…深い意味があってしたわけじゃ…」

「…わたし…肉が…嫌いだから…」

「あ…え…?そ、そうだったんだ…」

「さようなら…」

レイは席を立つとシンジの側を通り過ぎ様とした。その時の仄かな残り香にシンジはハッとさせられた。

この感じ…どこかで…懐かしい気がする…

咄嗟にシンジはレイの手首を掴む。

レイの身体が凝固した。そして少し強張った表情を浮かべて再びシンジを見る。

「あ、あのさ…何も食べないのはよくないから…(学校の)正門の側にあるコンビニにおにぎりでも買いに行こうよ…」

レイは冷めた目をしていた。

「おにぎり…」

「うん…お肉が嫌いなら…」

自分でも信じられなかったがシンジはレイの返事を待たずにコンビニに手を引いて連れて行った。

そのときの心境を言い表す事は難しい。初めは父ゲンドウとのきっかけを作りたいという思いが強かったが、レイその人に対する関心が生まれた瞬間でもあった。

シンジはレイに昆布入りのおにぎりを二つ手渡す。

レイは自分の手の上に乗せられたおにぎりをじっと見詰めていた。

その時の綾波も海苔とおにぎりを別々に食べようとしたんだ…さっきのカヲル君みたいに…

「美味しい?」

「美味しいって…何…」

「え…えっと…食べ物とか…あと飲み物とかさ…口に入れた時に…何ていうのかな…嬉しいって思うときに言う…言葉…かな…上手く言えないけど…」

レイはシンジの隣で黙っていたがやがて独り言の様にポツリと呟いた。

「…美味しい…」

翌朝、教室に現れたレイを見てシンジは驚いた。

レイがコンビニの小さな袋を白い手首から提げていたからだ。

「あ、綾波…」

「…美味しいから…」

その瞬間、シンジの耳元ではケンスケの言葉が蘇っていた。


繋がり自体を知らないだけじゃないか…きっかけを与えて教えてあげれば…話くらいは出来る…


以来、レイは昆布入りのおにぎりを学校に欠かさず持ってくるようになり、シンジは自分で弁当を作って持って来る様になっていた。





ガコン!!

シンジは前後の激しい揺れを感じてふと我に返る。

ネルフの公用車がジオフロントに下りるための車両専用エレベーターに入ったところだった。

ミサトさんと初めて会った時もこのエレベーターに乗ったんだったっけ…


「そっか…お父さんが苦手なんだ…あたしと同じね…」


ミサトさん…

僕は…ミサトさんに八つ当たりしていただけだった…

作戦の時も…普段の生活でも…僕は反抗して…反発して…家出までした…

でも…ミサトさんはいつも僕を迎え入れてくれた…

それでも僕はミサトさんに心を開かなかった…ミサトさんの保護者的な態度や振る舞いに…

僕は勝手に父さんの姿を重ねてただけだったんだ…全て…父さんに対する僕の感情がそうさせていた…

今更だけど…

わざわざ呼び出したにも拘らずあまりにも素っ気無い父ゲンドウに3年前と同じ、いやそれ以上に絶望しかけていたシンジだが息を付く間も無く襲来する使徒との戦いとミサトとの共同生活を通して次第に父親に対する想いは変化して行った。

それは単純な思慕が父親からの拒絶で自立して生きて行こうとするアンチテーゼへの変容だった。

当初はシンジ自身にもその自覚がなかったため自分でも逃避だと思っていた。

シンジの自立の意思は決して磐石なものではなかったがミサト、レイやアスカというパイロットの仲間、初めて出来た友達と呼べる様なトウジやケンスケという存在、そしてネルフや学校という小さくて特殊ではあるが今まで避けていた社会生活と向き合うことで「自分の居場所」という淡い領分を認識した。

それがシンジの変容、成長の源泉、になっていたのだ。

頑張れば認めてもらえる…褒めてもらえるんだ…

そう考えていたシンジはそれを否定するかの様なアスカの言動に本気で怒って突き飛ばしてしまったことがあった。拙いながらもシンジなりに掴みかけていたものを否定されて心の平衡を失った結果だった。さらに…


父さんは僕を捨てたんだ…

本当かしら…アンタは理解しようと努力したの…?


そうアスカに指摘されこともあった。正論だった。

シンジの中に醸成されつつあった自立という新たな領分は父親に拒絶された事実の裏返しだったため、アスカのこの指摘はその根底に疑義を呈するものでシンジには事実の是非はともかく、受け入れ難いものだった。

その後に起きた二人の争いはあらゆる意味で「逃げていない」とするシンジと「逃げている」というアスカの主張の食い違いが顕在化した結果でもあった。

結局…シンジの領分は脆くも崩れ去っていた。

シンジはレリエル戦からバルディエル戦にかけての時期、アスカに対して恨みに近かい感情を持っていた。


僕がいてもいいと思った場所を壊して勝手なことばかりするのはアスカの方じゃないか…勝手に僕を構ってきて利用して…そして絶望してみんなが僕を捨てていくんだ…


しかし、加持から聞いたアスカの境遇や今では殆ど記憶からなくなってしまったもう一人の自分との対話、それらを通してシンジは自覚のないまま自分を見詰め直していた。

そして…一度崩れた自分の領分はより強固なものになって戻りつつあった。シンジのその変化に一番早く気が付いたのが自称保護者のミサトだったのだろう。


「ちょっと見ない間に随分といい男になったじゃない?」


僕も…少しは変わったんだろうか…

目の前が急に明るくなる。ネルフの公用車が車両エレベーターからジオフロント内に敷設されている幹線道路に出ていた。

集光ビルが集めた光で溢れていた。

「もうすぐだからね。冷えてきたからエアコンの温度を上げるよ?」

車を運転している保安部員がシンジ達を振り返ることなく話しかけてきた。

「あ…はい。ありがとうございます」

ふと隣を見るとカヲルの視線と不意にぶつかった。

な、何だよ…

「君は素晴らしいね。心の壁はリリンにとって他人と自分を隔てるだけのものじゃない。自分という存在が生を全うするために敢えて必要になるものでもある。不安定なバランスの上に生を築くリリンならではの美しさが君にはある…僕はすっかり魅了されたよ…」

「み、魅了?それってどういう意味?」

「君が好きって事さ」

カヲルが不意にシンジの手を握ってきた。

「ぐわあああ!や、やめろよ!」

まさかとは思ってたけど…コイツ…ガチホモか!ダメだ…ダメだ…ミサトさん…ミサトさん!コイツは危険だ…
 





森に囲まれた本部が近づいてくる。

地底湖に架かる橋を渡って少し行くと検問所があり、そこを通り抜ければ特務機関ネルフ本部の敷地内だ。

敷地内には大小様々な建物があるが一際大きいのが本部棟のビル(別名厚生ビル)とセントラルドグマの直上に立っているピラミッドの様な司令棟だった。この司令棟の中に技術本部と作戦部がある。

シンジは本部に車が近づくにつれて自分の鼓動が段々早くなっていくのに気が付いた。

僕…緊張しているのか…いや…

手が小刻みに震えている。

やっぱり…怖いのか…

小さな身体に似つかわしくない大きなバッグを一つ持って三鷹市にやって来たシンジは殆ど里子同然に父ゲンドウと別れて「先生」と暮らす事になった。

「先生」は弁護士で三鷹市内に自分の事務所を開いていた。ゲンドウの実弟でもあり父ゲンドウの旧姓である六分儀を継いでいた。

三鷹市をはじめとして旧東京都の近辺には首都機能が第二東京市に移って以降もいまだに多くの企業が立地していたため「先生」はそう言った企業を中心にクライアントを抱えていた。

会う人のほとんどから「先生」と呼ばれていた。

その為か、シンジも何故かこの温厚で多趣味な叔父を「おじさん」とは呼ばず「先生」と呼ぶ様になっていた。流石に「先生」も甥から「先生」と呼ばれるのには抵抗があったらしく何度か矯正を試みていたがシンジの呼び方が変わることはついになかった。

根負けした「先生」はシンジが小学校の入学式を迎えるころには何も言わなくなっていた。

シンジが11歳になったある日のことだった。

「先生」がシンジの母親であるユイの墓参りに行こうと誘ってきたことがあった。

「シンジ君も来年は小学校卒業だし、うちに来てもう6年が経つだろ?大きくなった姿をお母さんにも見せてあげなきゃ」

「先生」はそう言うと忙しい訴訟の合間を縫う様にして母ユイの命日に合わせて渋るシンジを半ば強引に第三東京市に連れて行った。

ユイの墓は第三東京市の郊外、芦ノ湖を見下ろす造成地にある市が管理する共同墓地にあった。

「先生」とシンジが花を添えて手を合わせていると二人のすぐ後ろに最新鋭の軍用ヘリ(AH-80 )がホバリングで着陸するのが見えた。

NERVと赤いロゴの入ったヘリの中から現れたのは碇ゲンドウその人だった。

「と、父さん…」

「ようやくお出ましか…」

「先生」の何気ない一言にシンジは思わず隣に立っていた叔父を見上げた。

「せ、先生は…もしかして知ってたんですか?父さんが来ることを」

「知らなかったと言えば偽証になるのかな?ははは。でも、シンジ君のお父さんがユイ義姉さんの命日に必ずここに現れるのは知っているからね。予め何時に来るか聞いてそれに合わせて来たんだよ」

「何で…何でそんな…」

シンジは口を紡ぐと俯いた。「余計な事をしないでよ!」本当はそう叫びたかった。

しかし、シンジは自分の感情をうまく表現できないでいた。再び父と会えた喜び、驚き、そして戸惑い…あらゆる想いが複雑に絡み合っていたからだ。

ゲンドウは二人の姿を認めると一瞬足を止めたがやがて再びゆっくりと歩き出した。

「やあ久し振り」

最初に声をかけたのは「先生」だった。

「ああ…来ていたのか…」

「まあね、義姉さんにもすっかりご無沙汰だったからさ。それにシンジ君もいよいよ来年は小学校卒業するからちょうどいいと思ってね」

「そうか…」

ゲンドウは二人の方を見ることなく手に持っていたユリの花束を静かにシンジ達が添えた花束の横に置いた。

爽やかな風が三人の間を吹き抜ける。

「シンジ君がチェロを始めたのは知ってるだろ?なかなか筋がいいってバンドの仲間が言ってたよ。始めに(コントラ)バスのところから離れないからどうしようかと思ったけどさ。ははは。流石に子供ではちょっとバスはね」

「先生」はそういうと隣で俯いたまま立ち尽くしているシンジの頭に手を置いた。ゲンドウは黙ったままユイの墓標を凝視していた。

「いろいろ手間をかけるがよろしく頼む…」

不意にゲンドウが踵を返すとヘリの方に向かって歩き始めた。素っ気ないゲンドウの態度に「先生」も流石に取り付く島もない様子だった。

大きなため息をつくとゲンドウの背中に言葉を投げかける。

「卒業式くらいは顔出してよ。一応…一つの節目だからさ」

「考えておく…」

シンジの目の前をゲンドウが通り過ぎていく。

父さん…僕…僕は…父さん…

「父さん…」

シンジは溜まらず呻く様な声を出した。ゲンドウが足を止めるとシンジを見下ろす。

「何だ?」

まるで睨みつける様な鋭い視線だった。

シンジは恐ろしさの余り思わず目をそらした。シンジの様子をじっと見ていたゲンドウは視線を正面に向けると再びそのまま歩き始めた。

シンジは俯いたまま何も言い出せなかった。

ゲンドウを乗せたヘリが再び上昇を始めた。シンジと「先生」は遠ざかって行くヘリを暫くの間、見送っていた。

「先生」はすっかり意気消沈してしまったシンジを励まそうと工事が進む第三東京市と箱根近辺を少し観光してくれたが、当時、そこで何を見て何を食べたのか、全く記憶に残らなかった。

そして、卒業式には叔母夫婦が出席したものの父ゲンドウの姿は…やはりなかった。

期待していなかったと言えばウソになる。

父に対する恐怖と思慕…

それがそのまま今までのシンジの全てと言ってよかった。

しかし、今…

父への想いは日に日に変わりつつあった。

それはこれまでのパイロットとしての生活を通しての成長がもたらしていた。そのきっかけを与えたのも父ゲンドウであり、そして…

今のシンジの中に最後に残った最後の父親への想いは「恐怖」だけだった。






やっぱり…僕は…父さんが怖いんだ…父さんに会うのが怖いんだ…拒絶されるのが怖い…いや…拒絶されてもいい…僕を拒絶するなら僕は一人で生きていけばいいんじゃないか…これは今まで悩んできて僕なりに掴んだ答えの筈だ…

じゃあ…この恐怖は一体…何なんだ…

何処から来るのか…

「父なる人に会うのがそんなに怖いのかい?」

カヲルが地底湖の水面を見ながら呟いていた。

シンジは途端に心を見透かされた様な不快な気分になる。

「余計なお世話だよ…」

「シンジ君…逃げるという事と運命を受け入れるという事は同じ意味じゃない…君の心の中に残っている恐怖は心の隙間なのさ…」

「心の…隙間…」

「そう…リリンなら誰もが持つ苦悩の一つ…君は他人…特に父なる人に必要とされようとしてきた…でも…父なる人に必要とされるまま…風の流れに身を任せる様に行動すれば…待っている未来が不幸になる…つまり…君は父なる人との和解が自分や愛すべき人たちを不幸にすると思っている…一方で…」

外を眺めていたカヲルがシンジの顔を見ると口元に僅かに笑みを浮かべる。

「一方で君は父なる人と決別することも考えている…むしろ…相手が先に自分を拒絶するならそれでもいいとね…その事実を元に自分の結論にしようとしている…」

「よせよ…そんな訳…そんな訳ないだろ…」

シンジは思わず鈍い痛みを胸に感じてカヲルから視線をそらした。

アスカ…


アンタはアタシとキスしたじゃない…一昨日も昨日も…どこにアンタの気持ちがあるっていうのよ…アタシの気持ちをアンタの事実にしないでよ(EP#5_15)…


同じってことなのか…今…カヲル君が言っていることは…アスカが言っていた事と…こういう事なのか…これを「逃げている」っていうのか…

シンジは視線を自分の足元に落とす。再びシンジの隣で頬杖をついていたカヲルが口を開いた。

「シンジ君…君の過ちは一見運命に抗わずに生きている様でいて…さりとて受け入れなかったところにある…結局…君は運命を肯定も否定もしなかった…それが君の未来の不幸の正体だったんじゃないのかい?」

「カヲル君…」

「僕が言える事はそれだけさ…これでようやく…君を幸せに出来るのかな…ふふふ…」

カヲルは微笑むと再び窓の外を見る。公用車が本部棟の玄関にちょうど止まったところだった。

「さあ行こうか…父なる人の元へ…」
 



Ep#08_(14) 完 / つづく
 

 (改定履歴)
16th July, 2009 / 表現修正
14th Aug, 2009 / 表現修正
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