新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第2部 Sorrow Moon Light 閉ざされた月
(あらすじ)
別々の部屋で同じ月の明かりに照らされるアスカとシンジ、そしてもう一人…レイ。迫り来る運命の時にひたすら怯えるしかなかった…
Ludwig van Beethoven / Klaviersonate Nr. 14 op. 27 Nr. 2 cis-moll "Quasi una Fantasia"
(あらすじ)
別々の部屋で同じ月の明かりに照らされるアスカとシンジ、そしてもう一人…レイ。迫り来る運命の時にひたすら怯えるしかなかった…
Ludwig van Beethoven / Klaviersonate Nr. 14 op. 27 Nr. 2 cis-moll "Quasi una Fantasia"
(本文)
アスカ…どうしちゃったんだろう…全然連絡くれないし…
ヒカリは小さなほっそりとしたため息をついた。
学校では専らアスカ重病説が実しやかに語られていた。まだ1週間程度ではあったが何処となくクラスの雰囲気も日が落ちたように沈みがちだった。
「おう。委員長やないか?どないしたんや?最近、えらい早いやないか」
後ろから不意に声をかけられてヒカリははっとする。振り向くとそこにはトウジが立っていた。ケンスケの姿はなかった。
「す、鈴原こそ…いつもぎりぎりの癖に…どうしちゃったの?今日はやけに早いじゃない」
トウジはいつになく深刻そうな顔をしていたがヒカリを気遣うようにぎこちなく笑顔を作った。
「なんや随分なご挨拶やな。ははは。今日はちょっと朝一で学校に来いって最上先生(2年A組の担任。Ep#04_7参照)から言われたんや。何か…俺やったかなぁってずーっと考えながら学校に来たんやけど…」
おどけるトウジの言葉にヒカリも思わず笑みを漏らす。
そうや…委員長…お前は笑わなあかんで…惣流のヤツが学校に来おへんから寂しいんやろうけどな…笑ろうてくれ…笑顔が一番やで…
「で?何か思い出したの?」
トウジはお手上げと言わんばかりに両手を挙げる。
「それがさっぱりや…」
自分の机に向かって鞄を放り投げた。
「どうせ心当たりがあり過ぎて分からないんでしょ?ふふふ」
ヒカリがにっこりと微笑んだ。それを見たトウジもつられる様にして白い歯を見せる。
「ははは。言ってくれるやないか。まあ…そうやな」
二人は同時に笑い声を上げる。
その時、教室の後ろの扉が開く。二人の視線が一斉に音の方に向けられた。担任の最上が立っていた。最上は第一中学校で理科を教えている20代後半の男性教諭だった。
「おはよう。二人とも早いな」
「おはようございます、先生」
ヒカリが席から立ち上がってペコッとお辞儀をする。いかにも理科教師といった神経質そうな細面の最上は片手をヒカリに挙げて応えるとすぐに黒縁の丸メガネに手を当ててトウジの方に向き直った。
「鈴原、ちょっと校長室まで来てくれ。お前に(ネルフ)本部からお客さんだ」
「本部って…シンジのとこのかいな?」
「そうだ。お前に技術部の偉い方が会いたいそうだ」
「何や…体育館のガラス割ったことで呼ばれたんかと思ったわ…緊張して損したのう…」
「お、お前か!!あのガラスを割ったのは!!」
最上はいきなりトウジに近づくと耳たぶを思いっきり引っ張った。
「あ、あかん!しもうた!イタタタ!せ、先生!体罰反対やで!」
「うるさい!!生意気言うな!何が体罰だ!校長の話が終わったら後でたっぷり絞ってやるからな!とにかくついて来い!」
「イテテテ!先生!堪忍や!み、耳が千切れるやん!」
トウジは耳を引っ張られながら教室を後にする。人もまばらな朝の校庭にはリツコの姿があった。
ヒカリは一人学校から第三東京市のリニア駅に向かっていつもの道を帰宅していた。第一中学校とリニア駅のほぼ中間地点に小さな公園があった。
遊具はブランコと砂場程度しかなく、どちらかというとこじんまりした緑地帯と言った方が適当かもしれない。公園の中央には大きな菩提樹が一本立っていた。幹を取り囲むように円形の木製ベンチが備え付けられている。
ヒカリはベンチに腰を下ろすと菩提樹にもたれかかって人気の無い公園の様子を眺めていた。
菩提樹には黒や赤のマジックで落書きがそこかしこにしてある。その殆どがドイツ語であることをヒカリは知っていた。
夕日に照らされた落書きをヒカリがそっと手でなぞる。
「アスカ…あたしもアスカみたいにもっと積極的になれたらいいのにな…」
アスカとヒカリは学校の帰り道にあるこの公園でよく語り合っていた。自分たちの想いやお互いの身の回りで起こった様々なことを。
ヒカリの目線に比較的新しい落書きがあった。
「Liebe…バカシンジ…か…」
遠くの方で5時を知らせるチャイムが聞こえて来る。
第三東京市の南端に近いD地区は遷都計画に基づいて急ピッチで団地の建設工事が進んでいた。山に囲まれた盆地の様な第三東京市は南方に向かって平野部が広がっている。
将来的には新首都高が芦ノ湖畔の湾岸ラインからここまで延伸する計画になっており、使徒戦が終われば賑やかな街になりそうだった。
日中は工事の騒音が絶える事なく響き、工事関係者の出入りも多かったが、一度日が暮れるとあれだけの人たちが何処に行ったのかと不思議に思うほどひっそりと静まりかえっていた。
この区域に居住する人間は殆どいなかった。使徒の侵攻ルートにもなっているからだろうか。
その一角にある建設途中の団地に綾波レイは住んでいた。
剥き出しのコンクリートの壁とささくれ立ったフローリングの床に囲まれた1LDKの無機質な空間はほとんど建設途中のままと言ってもよかった。部屋には照明器具はなく、ただ月の明りだけが差し込んでいた。
バスルームから出て来たレイは下着のみを身に着けてベッドに腰を下ろす。ガラス戸から月をそっと見上げた。
「哀しい光…今日のあなたは寂しいのね…」
レイはベッドの傍らに置いてあるナイトテーブルの引き出しから白い錠剤の入った薬箱と金属製のケースを取り出した。
テーブルの上のガラスコップの水と一緒に錠剤を飲み干すと金属製のケースを開ける。
中から小さな注射器を取り出すと小瓶に入った薬剤を手馴れた手つきで吸い上げる。ピストンを押し上げて空気を抜くとじっと針先を見詰めた。
月の光を浴びてレイの肌は青白く暗い部屋で幻影の様に浮かび上がる。注射器を左手に持ち先端を自分の右腕に向ける。
針を刺そうとしたその時、レイの耳にシンジの声が蘇る。
笑えばいいと思うよ…綾波…
レイの左手が小刻みに震え始めた。
碇君…わたしは…笑っても…いいの?…
レイは注射器を自分の腕から離すと目を瞑り思わず手に力を込める。
パリーン!
注射器がレイの手の中で割れて破片が薬剤の飛まつと共に飛び散っていく。レイの左手から透明な薬剤と赤い血が滴り落ちる。
レイは立ち上がるとガラス戸の前に立つ。
「わたしは…人形…じゃない…」
レイの赤い瞳に青白い月が写っていた。
「…また…この天井だ…」
部屋には誰もいなかった。窓はカーテンで閉められており蛍光灯が付いている。ベッドの横にある引き出しの上にデジタル時計が無造作に置いてある。
夜の10時を過ぎていた。
シンジは上体を起こす。体全体がけだるく頭も少しボーっとする感じがしていた。
そうだ…思い出した…僕…使徒の中にいたんだ…
シンジは病院のパジャマを着ていた。左腕を鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。
「血の匂い…取れてないや…」
そして何気なく左手首を見るとそこには薄っすらと真一文字に切った様な傷跡があった。それはまるで古傷のようだった。
「う…うそだ…こんなの…こんなのあり得ないよ!」
シンジは叫ぶとベッドから起き上がる。そして引き出しをいきなり蹴り飛ばした。
ガシーン!
大きな物音を立てて引き出しが床に倒れる。
「うそだ!うそだ!止めてよ!こんなの!」
シンジはベッドを狂ったように蹴る。ベッドは窓際の壁まで押しやられて動かなくなるがそれでも蹴るのを止めない。
「いい加減にしてよ!」
今度はベッドの片方を両手で持つと渾身の力を込めてベッドをひっくり返した。
ガシャーン!
この騒ぎを聞きつけた夜勤の看護婦が部屋に飛び込んできたがシンジの常軌を逸した行動に恐れをなしてすぐにネルフ保安部に通報した。
シンジは駆けつけてきたSG(セキュリティーガード)にすぐに取り押さえられる。それでもシンジは激しく抵抗する。
「放せ!放せよ!もうやめてよ!嫌なんだよ!」
「サード!落ち着くんだ!こんな事をするなんて君らしくないぞ!」
「やめてよ!みんな死んじゃうんだ!みんな死んじゃうんだよ!」
「仕方が無い!薬を使え!」
その声に促されるようにSGの後ろで立ち尽くしていた医師と看護婦は鎮静剤を打つ用意を慌しくし始める。
シンジは必死になって暴れるが3人のSGに四肢を抑えられて身動きが取れなくなっていた。シンジは涙を流していた。
「もうこんなの嫌だよ!許してよ!アスカー!助けてよ!僕を一人にしないでよ!」
シンジが大声で叫ぶ。医師は針を折らないように慎重に鎮静剤を打つ。やがてシンジから力が抜けていき意識を失った。
「ふー。一時はどうなるかと思いましたよ。よっぽど恐ろしい目にあったんでしょうな…」
中年の男性医師は注射し終わるとシンジから離れて額の汗を拭った。看護婦が恐る恐る注射の跡を消毒していた。順番がまるで逆だが何かせずにはいられない心境だった。
病室は散々たる有様だった。
「サードは…サードチルドレンは普段はとてもおとなしい優しい子なんです…こんな事をするなんて信じられないですね…」
シンジを押さえつけていたSGの一人が立ち上がって医師に話しかけた。他のSGたちは看護婦を手伝って部屋の方付けをしていた。
そしてベッドが元に戻るとシンジはSGに抱かかえられて再びベッドに寝かされた。
「とにかく…精神状態が落ち着くまでは面会謝絶の措置を取らせてもらいます」
医師はSGの後姿に声をかけた。
「わかりました」
黒いTシャツとズボンをはいた3人のSGたちは宿直の医師と看護婦に深々と頭を下げた。
「本部には私から報告しておきます」
医師と看護婦は病室を後にした。
「じゃあ、われわれも車に戻るか」
「そうだな」
一番後ろにいたSGの一人が寝息を立てているシンジに話しかける。
「サード…まだ君は14歳だっていうのに人類のために命を懸けて戦っている…情けないが僕たち大人は君たちに頼る事しか出来ない…本当にすまない…せめて僕たちが出来ることは君たちの安全を守ることくらいだ…許してくれ…」
やがて病室の電気が消されドアが静かに閉められた。月明かりだけがそっとシンジを照らしていた。
「冷たい色…こんなに日本の月が冷たいなんて…ベルリンと同じ色に見える…」
ガチャ
突然の物音にアスカははっとしてドアの方を見る。
そこにはリツコが立っていた。リツコの後ろには2人の諜報課員の姿も見えた。
「リツコ…」
「電気もつけないでなにやってるのよ?この部屋のTVもLANも使えるわよ?若い子がボーっとしてるなんてね…」
リツコは後ろに諜報課員を残して部屋に入って来た。再び部屋がロックされたのが音で分かった。
リツコは手に金属製のケースを持っていた。
「そんな格好して…エアコンが効いてるとは言っても風邪引くわよ…着替えもあなたのラップトップも運ばせている筈よ…」
リツコは下着だけを身に付けて上半身は首から下げたバスタオルで身を覆った状態のアスカの横に立つとそっと肩に手を置いた。
「こんなに冷えてるじゃなの…」
「…」
アスカは無言のままリツコから視線を再び窓の外に向けた。リツコは小さくため息をつくとベッドの隣にある小さな丸いテーブルを引き寄せる。
その上に金属ケースを置くと注射器を取り出して小瓶に入った薬剤を吸い上げた。
「すぐ済むわ…腕を出して…」
「今度は何をするつもり…?アタシの利用価値は人体実験のモルモットくらいってわけ?」
アスカはリツコを横目で見ていたがやがて出窓から降りるとベッドに腰を下ろした。リツコはアスカを見下ろしていた。
「いいえ…これは定期的に投薬しないと効果が無いのよ…アスカ…」
アスカは力なく俯いた。
「そっか…本格的に情けなくなってきたわ…自分が…こうでもしないとEvaに乗れない自分が…」
「自分を責めないでアスカ…これはあなたのためでもあるのよ…」
リツコの言葉にジロッとアスカは上目遣いにリツコを睨む。
「そうかしら?その薬…ただの薬じゃないわ…それを投与されるとアタシ…意識が遠のいていって…何か自分が自分でなくなる様な感覚になる…どんどん感情と言うか…魂が失われる様な…とても怖い感じが…する…」
一瞬、リツコの顔が曇る。青白い月明かりを背にしてまるで魂の契約に訪れた悪魔の様にも見えた。
「ただの薬ではない事は認めるわ…多少の副作用もある…薬ですもの…」
「副作用って?何よ?」
アスカがリツコの言葉を遮るように鋭く切り込む。
「大したものではないわ…ちょっと眠くなるくらいのことよ…それよりもA-10神経系のノイズになる原因を取り除けるというメリットの方が大きいわ…これであなたもそれなりのシンクロ率を維持できるわけだし…さあ…腕を出して…アスカ…」
「…薬に頼ってまで…Evaにしがみ付くしかないなんて…情けない…Evaに乗れなくなったらその場でアタシの存在価値は…ここでは無いものね…アタシも他に…行く当ても無いし…」
アスカは観念したように右腕をリツコに差し出した。小刻みに震える手をリツコはそっと掴んだ。
確かにEvaに乗って使徒を倒す事だけをあなたは求められていたわ…今まではね…でも…あなたを取り巻くウチ(ネルフ本部)の事情は変わりつつある…あなたはフィフス着任まで弐号機パイロットとして維持する必要があるし、その後は…
リツコはゆっくりと透明な薬剤を注射していく。アスカは堅く目を閉じていたが眉間に皺を寄せ始めた。
リツコは注射器をアスカから静かに抜くと消毒し始めた。
あなたはSeeleとの交渉カードとして重要になってくる…ドリューとしてね…
「うーん…頭が…クラクラ…する…」
アスカはそのまま目を開けることなくベッドに崩れ落ちるように横たわった。リツコは毛布をそっとアスカにかけると部屋を後にした。
月明かりがアスカを照らしていた。
第12使徒戦の翌日。
第一中学校の2年A組の教室に物憂げな表情をしたヒカリの姿があった。朝のホームルームが始まるまでにはまだ30分以上余裕がある。
ヒカリの登校時間は日増しに早くなる一方だった。今までアスカとシンジの登校時間に合わせていたヒカリだったがアスカの姿が学校から消えてからというものまるで目的を失った難破船の様になっていた。
第一中学校の2年A組の教室に物憂げな表情をしたヒカリの姿があった。朝のホームルームが始まるまでにはまだ30分以上余裕がある。
ヒカリの登校時間は日増しに早くなる一方だった。今までアスカとシンジの登校時間に合わせていたヒカリだったがアスカの姿が学校から消えてからというものまるで目的を失った難破船の様になっていた。
アスカ…どうしちゃったんだろう…全然連絡くれないし…
ヒカリは小さなほっそりとしたため息をついた。
学校では専らアスカ重病説が実しやかに語られていた。まだ1週間程度ではあったが何処となくクラスの雰囲気も日が落ちたように沈みがちだった。
「おう。委員長やないか?どないしたんや?最近、えらい早いやないか」
後ろから不意に声をかけられてヒカリははっとする。振り向くとそこにはトウジが立っていた。ケンスケの姿はなかった。
「す、鈴原こそ…いつもぎりぎりの癖に…どうしちゃったの?今日はやけに早いじゃない」
トウジはいつになく深刻そうな顔をしていたがヒカリを気遣うようにぎこちなく笑顔を作った。
「なんや随分なご挨拶やな。ははは。今日はちょっと朝一で学校に来いって最上先生(2年A組の担任。Ep#04_7参照)から言われたんや。何か…俺やったかなぁってずーっと考えながら学校に来たんやけど…」
おどけるトウジの言葉にヒカリも思わず笑みを漏らす。
そうや…委員長…お前は笑わなあかんで…惣流のヤツが学校に来おへんから寂しいんやろうけどな…笑ろうてくれ…笑顔が一番やで…
「で?何か思い出したの?」
トウジはお手上げと言わんばかりに両手を挙げる。
「それがさっぱりや…」
自分の机に向かって鞄を放り投げた。
「どうせ心当たりがあり過ぎて分からないんでしょ?ふふふ」
ヒカリがにっこりと微笑んだ。それを見たトウジもつられる様にして白い歯を見せる。
「ははは。言ってくれるやないか。まあ…そうやな」
二人は同時に笑い声を上げる。
その時、教室の後ろの扉が開く。二人の視線が一斉に音の方に向けられた。担任の最上が立っていた。最上は第一中学校で理科を教えている20代後半の男性教諭だった。
「おはよう。二人とも早いな」
「おはようございます、先生」
ヒカリが席から立ち上がってペコッとお辞儀をする。いかにも理科教師といった神経質そうな細面の最上は片手をヒカリに挙げて応えるとすぐに黒縁の丸メガネに手を当ててトウジの方に向き直った。
「鈴原、ちょっと校長室まで来てくれ。お前に(ネルフ)本部からお客さんだ」
「本部って…シンジのとこのかいな?」
「そうだ。お前に技術部の偉い方が会いたいそうだ」
「何や…体育館のガラス割ったことで呼ばれたんかと思ったわ…緊張して損したのう…」
「お、お前か!!あのガラスを割ったのは!!」
最上はいきなりトウジに近づくと耳たぶを思いっきり引っ張った。
「あ、あかん!しもうた!イタタタ!せ、先生!体罰反対やで!」
「うるさい!!生意気言うな!何が体罰だ!校長の話が終わったら後でたっぷり絞ってやるからな!とにかくついて来い!」
「イテテテ!先生!堪忍や!み、耳が千切れるやん!」
トウジは耳を引っ張られながら教室を後にする。人もまばらな朝の校庭にはリツコの姿があった。
放課後。
ヒカリは一人学校から第三東京市のリニア駅に向かっていつもの道を帰宅していた。第一中学校とリニア駅のほぼ中間地点に小さな公園があった。
遊具はブランコと砂場程度しかなく、どちらかというとこじんまりした緑地帯と言った方が適当かもしれない。公園の中央には大きな菩提樹が一本立っていた。幹を取り囲むように円形の木製ベンチが備え付けられている。
ヒカリはベンチに腰を下ろすと菩提樹にもたれかかって人気の無い公園の様子を眺めていた。
菩提樹には黒や赤のマジックで落書きがそこかしこにしてある。その殆どがドイツ語であることをヒカリは知っていた。
夕日に照らされた落書きをヒカリがそっと手でなぞる。
「アスカ…あたしもアスカみたいにもっと積極的になれたらいいのにな…」
アスカとヒカリは学校の帰り道にあるこの公園でよく語り合っていた。自分たちの想いやお互いの身の回りで起こった様々なことを。
ヒカリの目線に比較的新しい落書きがあった。
「Liebe…バカシンジ…か…」
遠くの方で5時を知らせるチャイムが聞こえて来る。
太陽と入れ替わるように月が上がる。
西の方角にはまだ日の明りが残っていたが天空には幾つもの星が瞬き始めていた。満月に近い月が優しく第三東京市を照らす。
西の方角にはまだ日の明りが残っていたが天空には幾つもの星が瞬き始めていた。満月に近い月が優しく第三東京市を照らす。
第三東京市の南端に近いD地区は遷都計画に基づいて急ピッチで団地の建設工事が進んでいた。山に囲まれた盆地の様な第三東京市は南方に向かって平野部が広がっている。
将来的には新首都高が芦ノ湖畔の湾岸ラインからここまで延伸する計画になっており、使徒戦が終われば賑やかな街になりそうだった。
日中は工事の騒音が絶える事なく響き、工事関係者の出入りも多かったが、一度日が暮れるとあれだけの人たちが何処に行ったのかと不思議に思うほどひっそりと静まりかえっていた。
この区域に居住する人間は殆どいなかった。使徒の侵攻ルートにもなっているからだろうか。
その一角にある建設途中の団地に綾波レイは住んでいた。
剥き出しのコンクリートの壁とささくれ立ったフローリングの床に囲まれた1LDKの無機質な空間はほとんど建設途中のままと言ってもよかった。部屋には照明器具はなく、ただ月の明りだけが差し込んでいた。
バスルームから出て来たレイは下着のみを身に着けてベッドに腰を下ろす。ガラス戸から月をそっと見上げた。
「哀しい光…今日のあなたは寂しいのね…」
レイはベッドの傍らに置いてあるナイトテーブルの引き出しから白い錠剤の入った薬箱と金属製のケースを取り出した。
テーブルの上のガラスコップの水と一緒に錠剤を飲み干すと金属製のケースを開ける。
中から小さな注射器を取り出すと小瓶に入った薬剤を手馴れた手つきで吸い上げる。ピストンを押し上げて空気を抜くとじっと針先を見詰めた。
月の光を浴びてレイの肌は青白く暗い部屋で幻影の様に浮かび上がる。注射器を左手に持ち先端を自分の右腕に向ける。
針を刺そうとしたその時、レイの耳にシンジの声が蘇る。
笑えばいいと思うよ…綾波…
レイの左手が小刻みに震え始めた。
碇君…わたしは…笑っても…いいの?…
レイは注射器を自分の腕から離すと目を瞑り思わず手に力を込める。
パリーン!
注射器がレイの手の中で割れて破片が薬剤の飛まつと共に飛び散っていく。レイの左手から透明な薬剤と赤い血が滴り落ちる。
レイは立ち上がるとガラス戸の前に立つ。
「わたしは…人形…じゃない…」
レイの赤い瞳に青白い月が写っていた。
シンジが目を覚ますと白い天井が見えた。
「…また…この天井だ…」
部屋には誰もいなかった。窓はカーテンで閉められており蛍光灯が付いている。ベッドの横にある引き出しの上にデジタル時計が無造作に置いてある。
夜の10時を過ぎていた。
シンジは上体を起こす。体全体がけだるく頭も少しボーっとする感じがしていた。
そうだ…思い出した…僕…使徒の中にいたんだ…
シンジは病院のパジャマを着ていた。左腕を鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。
「血の匂い…取れてないや…」
そして何気なく左手首を見るとそこには薄っすらと真一文字に切った様な傷跡があった。それはまるで古傷のようだった。
「う…うそだ…こんなの…こんなのあり得ないよ!」
シンジは叫ぶとベッドから起き上がる。そして引き出しをいきなり蹴り飛ばした。
ガシーン!
大きな物音を立てて引き出しが床に倒れる。
「うそだ!うそだ!止めてよ!こんなの!」
シンジはベッドを狂ったように蹴る。ベッドは窓際の壁まで押しやられて動かなくなるがそれでも蹴るのを止めない。
「いい加減にしてよ!」
今度はベッドの片方を両手で持つと渾身の力を込めてベッドをひっくり返した。
ガシャーン!
この騒ぎを聞きつけた夜勤の看護婦が部屋に飛び込んできたがシンジの常軌を逸した行動に恐れをなしてすぐにネルフ保安部に通報した。
シンジは駆けつけてきたSG(セキュリティーガード)にすぐに取り押さえられる。それでもシンジは激しく抵抗する。
「放せ!放せよ!もうやめてよ!嫌なんだよ!」
「サード!落ち着くんだ!こんな事をするなんて君らしくないぞ!」
「やめてよ!みんな死んじゃうんだ!みんな死んじゃうんだよ!」
「仕方が無い!薬を使え!」
その声に促されるようにSGの後ろで立ち尽くしていた医師と看護婦は鎮静剤を打つ用意を慌しくし始める。
シンジは必死になって暴れるが3人のSGに四肢を抑えられて身動きが取れなくなっていた。シンジは涙を流していた。
「もうこんなの嫌だよ!許してよ!アスカー!助けてよ!僕を一人にしないでよ!」
シンジが大声で叫ぶ。医師は針を折らないように慎重に鎮静剤を打つ。やがてシンジから力が抜けていき意識を失った。
「ふー。一時はどうなるかと思いましたよ。よっぽど恐ろしい目にあったんでしょうな…」
中年の男性医師は注射し終わるとシンジから離れて額の汗を拭った。看護婦が恐る恐る注射の跡を消毒していた。順番がまるで逆だが何かせずにはいられない心境だった。
病室は散々たる有様だった。
「サードは…サードチルドレンは普段はとてもおとなしい優しい子なんです…こんな事をするなんて信じられないですね…」
シンジを押さえつけていたSGの一人が立ち上がって医師に話しかけた。他のSGたちは看護婦を手伝って部屋の方付けをしていた。
そしてベッドが元に戻るとシンジはSGに抱かかえられて再びベッドに寝かされた。
「とにかく…精神状態が落ち着くまでは面会謝絶の措置を取らせてもらいます」
医師はSGの後姿に声をかけた。
「わかりました」
黒いTシャツとズボンをはいた3人のSGたちは宿直の医師と看護婦に深々と頭を下げた。
「本部には私から報告しておきます」
医師と看護婦は病室を後にした。
「じゃあ、われわれも車に戻るか」
「そうだな」
一番後ろにいたSGの一人が寝息を立てているシンジに話しかける。
「サード…まだ君は14歳だっていうのに人類のために命を懸けて戦っている…情けないが僕たち大人は君たちに頼る事しか出来ない…本当にすまない…せめて僕たちが出来ることは君たちの安全を守ることくらいだ…許してくれ…」
やがて病室の電気が消されドアが静かに閉められた。月明かりだけがそっとシンジを照らしていた。
アスカは大きな出窓に膝を抱えて座っていた。
地底湖の水面に写る月をじっと眺めている。職員宿舎はこの出窓に限らず全てのガラスが防弾防音の特殊強化ガラスで覆われていた。
ドアのカードキーの情報を制御すれば簡単に監禁室にもなり得た。
昨日の初号機救出作戦が終了すると同時に諜報課に拘束されてこの部屋に連れて来られたアスカは、以来ずっとこの部屋に閉じ込められたままだった。
地底湖の水面に写る月をじっと眺めている。職員宿舎はこの出窓に限らず全てのガラスが防弾防音の特殊強化ガラスで覆われていた。
ドアのカードキーの情報を制御すれば簡単に監禁室にもなり得た。
昨日の初号機救出作戦が終了すると同時に諜報課に拘束されてこの部屋に連れて来られたアスカは、以来ずっとこの部屋に閉じ込められたままだった。
「冷たい色…こんなに日本の月が冷たいなんて…ベルリンと同じ色に見える…」
ガチャ
突然の物音にアスカははっとしてドアの方を見る。
そこにはリツコが立っていた。リツコの後ろには2人の諜報課員の姿も見えた。
「リツコ…」
「電気もつけないでなにやってるのよ?この部屋のTVもLANも使えるわよ?若い子がボーっとしてるなんてね…」
リツコは後ろに諜報課員を残して部屋に入って来た。再び部屋がロックされたのが音で分かった。
リツコは手に金属製のケースを持っていた。
「そんな格好して…エアコンが効いてるとは言っても風邪引くわよ…着替えもあなたのラップトップも運ばせている筈よ…」
リツコは下着だけを身に付けて上半身は首から下げたバスタオルで身を覆った状態のアスカの横に立つとそっと肩に手を置いた。
「こんなに冷えてるじゃなの…」
「…」
アスカは無言のままリツコから視線を再び窓の外に向けた。リツコは小さくため息をつくとベッドの隣にある小さな丸いテーブルを引き寄せる。
その上に金属ケースを置くと注射器を取り出して小瓶に入った薬剤を吸い上げた。
「すぐ済むわ…腕を出して…」
「今度は何をするつもり…?アタシの利用価値は人体実験のモルモットくらいってわけ?」
アスカはリツコを横目で見ていたがやがて出窓から降りるとベッドに腰を下ろした。リツコはアスカを見下ろしていた。
「いいえ…これは定期的に投薬しないと効果が無いのよ…アスカ…」
アスカは力なく俯いた。
「そっか…本格的に情けなくなってきたわ…自分が…こうでもしないとEvaに乗れない自分が…」
「自分を責めないでアスカ…これはあなたのためでもあるのよ…」
リツコの言葉にジロッとアスカは上目遣いにリツコを睨む。
「そうかしら?その薬…ただの薬じゃないわ…それを投与されるとアタシ…意識が遠のいていって…何か自分が自分でなくなる様な感覚になる…どんどん感情と言うか…魂が失われる様な…とても怖い感じが…する…」
一瞬、リツコの顔が曇る。青白い月明かりを背にしてまるで魂の契約に訪れた悪魔の様にも見えた。
「ただの薬ではない事は認めるわ…多少の副作用もある…薬ですもの…」
「副作用って?何よ?」
アスカがリツコの言葉を遮るように鋭く切り込む。
「大したものではないわ…ちょっと眠くなるくらいのことよ…それよりもA-10神経系のノイズになる原因を取り除けるというメリットの方が大きいわ…これであなたもそれなりのシンクロ率を維持できるわけだし…さあ…腕を出して…アスカ…」
「…薬に頼ってまで…Evaにしがみ付くしかないなんて…情けない…Evaに乗れなくなったらその場でアタシの存在価値は…ここでは無いものね…アタシも他に…行く当ても無いし…」
アスカは観念したように右腕をリツコに差し出した。小刻みに震える手をリツコはそっと掴んだ。
確かにEvaに乗って使徒を倒す事だけをあなたは求められていたわ…今まではね…でも…あなたを取り巻くウチ(ネルフ本部)の事情は変わりつつある…あなたはフィフス着任まで弐号機パイロットとして維持する必要があるし、その後は…
リツコはゆっくりと透明な薬剤を注射していく。アスカは堅く目を閉じていたが眉間に皺を寄せ始めた。
リツコは注射器をアスカから静かに抜くと消毒し始めた。
あなたはSeeleとの交渉カードとして重要になってくる…ドリューとしてね…
「うーん…頭が…クラクラ…する…」
アスカはそのまま目を開けることなくベッドに崩れ落ちるように横たわった。リツコは毛布をそっとアスカにかけると部屋を後にした。
月明かりがアスカを照らしていた。
Ep#07_(2) 完 / つづく
(改定履歴)
18th Mar, 2009 / 誤字修正
11th Aug, 2009 / 表現修正
8th June, 2010 / 表現修正
18th Mar, 2009 / 誤字修正
11th Aug, 2009 / 表現修正
8th June, 2010 / 表現修正
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