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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第4部 Encounter with… そして我ら出会いたり…


(あらすじ)

非常事態宣言が解除された日本では普段どおりの生活が始まっていた。トウジは予備役となり、シンジと共に第一中学校に姿を表す。ヒカリの発案でシンジ、トウジ、ケンスケの4人はジオフロントに入院しているレイとアスカを見舞おうとするがシンジとトウジ以外の入場許可が下りず、結局、シンジだけが行く事なる。病室で久し振りに再会した正規パイロット達。だが…誰も口を開こうとしない…
時計の針の音だけが響く病室で…




※ 歌劇「リナルド」よりアリア"Lascia Ch'io Pianga"。意味は「涙の流れるままに」です。

Lascia ch'io pianga la cruda sorte, E che sospiri la liberta
E che sospiri, E che sospiri la liberta
Lascia ch'io pianga la cruda sorte, E che sospiri la liberta

Il duol infranga queste ritorte
de' miei martiri sol per pieta
de' miei martiri sol per pieta

苛酷な運命に涙し、自由に憧れることをお許しください。

私の苦しみに対する憐れみだけで苦悩がこの鎖を打ち毀します様に…
雲一つ無い青空が広がっている。

台風が第三東京市を襲って以来、纏まった雨はほとんど降っていなかった。第三東京市の水瓶になっている芦ノ湖の水位も日を追う毎に下がってきており、もっぱら大人達は取水制限の話で持ちきりだった。

そんな大人たちの心配とは対照的に第一中学校の校庭では生徒達の黄色い声が響いている。太陽はすっかり高くなっていた。四時限目の授業が始まる頃合だ。体育の授業に備えて校舎から飛び出して行く生徒たちの流れを遡るようにゆっくりと階段を上がる二人の少年の姿があった。

シンジとトウジだった。

「おい…センセ…何処行くんや?教室はこっちやで?」

二階の廊下に向かっていたトウジはシンジがそのまま上の階に上がろうとしているのに気が付いて振り返る。

「先に行ってていいよ、トウジ…僕…屋上にいるから…」

「屋上?なんや、自分…授業バックレるんかいな…」

シンジの言葉にトウジは怪訝そうな表情をした。

「うん…まあ…何か…気分じゃないし…」

ネルフ本部から一緒にやって来た二人だったがここまで会話らしい会話を殆ど交わしていなかった。シンジの目は何処か空ろに見えた。

「ほうか…ほな俺は教室に行くわ…せやけど…一応、授業には顔出しといた方がええんちゃうか?色々あってしんどいとは思うけど…」

「うん…ありがと…」

シンジは重い足取りで再び階段を上がり始めた。淋しそうな背中を見ながらトウジは小さくため息をついた。

「なんや…やけにブルーやないか…あの背中…転校して来たばかりの頃のシンジみたいや…」

トウジはジャージのズボンに両手を突っ込むとシンジとは反対に教室に向かって歩き始める。

「おはよーさーん…」

トウジが開け放たれた2A組の教室の入り口をくぐる。休み時間の雑談をしていたクラスメート達は一斉に声の方を振り返る。

「トウジ!」

「よお…ケンスケ…お前…なんかめっちゃ久し振りやな…」

最初にケンスケがトウジの元に駆け寄ってくる。それにつられる様にして一人、また一人と立ち上がる。たちまちトウジの周りに人だかりが出来る。

「心配してたんだぜ?お前が松代に行った後であの騒ぎだろ?まあ最上先生(Ep#07_2参照)がお前やシンジたちは無事だって連絡網で知らせてくれたからまあそんなに騒ぎにはならなかったけどさ」

「へえ、そんなことまで連絡網で流れるんかいな…まあお蔭さんでどうにか生きとるけどな…それで俺の机の上には花がないっちゅうことか。ははは」

トウジはぎこちなく笑いながらカバンを机の上に置く。クラスメート達もトウジの言葉に笑い声を上げる。

「それで…シンジは?」

「センセは屋上におるで…何か授業を受ける気分じゃない言うてな…」

ケンスケの質問に答えながらトウジは椅子を引き出すとどかっと腰掛ける。輪の中から女子生徒たちの声が聞こえて来た。

「ねえアスカは?」

「それに…綾波さんの姿も見えないみたいだけど?元気なの?」

「ああ…惣流と綾波のやつは本部の病院に入院しとる…」

「に、入院?怪我してるの?」

「おう、なんかそうらしいわ…特に今回、惣流はえらい酷い目に遭っとったからなあ…」

「ええ!だ、大丈夫なの?アスカは何処を怪我したのよ?」

「それって入院するほどの重傷ってこと?」

「え?えっと…そ、そうなんかな…?よう分からへんけど…」

トウジは女子生徒の剣幕に驚いてしどろもどろになる。トウジの様子を見かねたのか、二人の女子生徒が詰め寄って来た。

「ちょっと!鈴原!それってどういうこと?あんた一緒に松代にいたんじゃないの?なんであんたが知らないのよ!」

「そうよ!」

トウジは突然怪しくなってきた雲行きに不必要に焦る。

「ちょ、ちょっと待ったれや。な、何や?お前らピーチクパーチクと。一緒言うても…その…別行動やったし…葛城さんから大した怪我や無いって聞いただけやし…」

「あっきれた!お見舞いにも行ってないの?」

「はっくじょう!しんじらんないわ」

畳み掛ける様な女子生徒にトウジはたじたじだった。トウジの周りにいた男子達は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりにトウジから離れていく。

こ、こいつら…俺かて死にそうな目に遭ったっちゅうのに…人を極悪人みたいに言いやがって…

困り果てていたトウジを見かねた様にヒカリがトウジと女子生徒との間に割って入って来た。

「違うのよ。わたしがアスカのお見舞いに一緒に連れて行ってって鈴原に頼んだから…それなら一緒にその時に行こうかって話になっただけなのよ」

「い…委員長…」

トウジは驚いてヒカリの方を見た。

「ね?鈴原…そうでしょ?」

委員長…まさか俺を助けてくれるんか…

「お、おう!そ、そうや!委員長がどーしても行きたい言うもんやからな…まあ怪我も大したこと無いらしいしな…まあ気にはなっとったんやけどな!」

トウジも慌ててヒカリに口裏を合わせる。

「なーんだ。そういうことか」

「日頃が日頃だしねえ…鈴原は」

「な、なんや!お前ら!その言い草は!」


きーん!こーん!かーん!こーん!


トウジが反撃に転じようと立ち上がった瞬間、チャイムが学校中に鳴り響く。それと同時に2年生の数学を担当する根府川先生が入って来た。生徒達は一斉に自分の席に向かって走っていく。根府川の姿を見たトウジは驚愕する。

「うそや…じ…じいさん…じいさんやないか…」

「ああそっか。トウジは知らないんだよな?先週から根府川先生は教職に復帰したらしいぜ」

「何やて?!ふ、復帰??お、俺はてっきりもう死んだもんやとおもっとったのに…」

トウジがおずおずと自分の席に座る。

「…いやいや流石にそれはないって…先生は胃炎で休職してただけだぜ?何だよ…そんな事も知らなかったのか?」

「知らん…全く知らんで…初耳や…」

「やれやれ…やっぱりトウジだからな…」

教壇に立った根府川はいきなり黒板にマグネットで数学の教材ではなく世界地図を張り始めた。

「また性懲りも無く…セカンドインパクトの話をする気やな、あの人…もうええっちゅうねん…そんなに昔の話がしたいんならいっそ社会科に転向した方がええんちゃうか…ホンマ…」

「まあ…根府川先生だからな…」

トウジはカバンから数学の教科書とノートを取り出す。

「お、珍しいな。トウジが勉強道具を出すなんて」

隣に座っているケンスケがニヤニヤしながらトウジを見る。

「まあ…ちょっとは勉強せなあかんやろ…」

俺は今まで勘違いしとった…この世で信じられるんは兄妹くらいやと思うとったけど…そうやない…色んな人の助けがあって今の俺がおるんや…おっさん…俺…勉強するわ…勉強しておっさんの言うとった事をもう一度噛み締めてみるわ…見とってくれ…青い空の中でゆっくり昼寝でもしとってくれ…

トウジは教室の窓に目を向けた。その時、自分の方をじっと見ているヒカリの視線に気が付く。ヒカリはトウジと目が合いそうになると慌てて目を逸らしてわざとらしく教科書を開き始めた。

委員長…さっきの礼を言いそびれてしもうた…サンキュー…助かったわ…でも…お前に渡そう思うて買っといた土産…燃えてしもうたからな…どないしょう…何あげたら一番喜んでくれるやろか…何でも言うてくれ…言われた通りの事やったるわ…俺…頭悪いからようわからへんのや…お前のこと…

今度はトウジがヒカリの横顔を見つめていた。
 






きーん!こーん!かーん!こーん!
 
チャイムの音と同時に途端に周りが騒がしくなる。シンジは屋上にあるポンプ室の上に登ってコンクリートの上に寝転がっていた。MP3プレーヤーからSonny Rollinsのスローなナンバーが流れてくる。

少し湿り気のある風がシンジの頬を撫でた。シンジは自分の左手首をそっと見る。あの古傷の様な痕は跡形も無く完全に消えて無くなっていた。

不思議だった…僕が見たもう一人の僕って…何だったんだろうか…僕はずっと夢を見ていたのか…考えれば考えるほど分からなくなる…

シンジは風に流されていく小さな白い雲を目で追っていた。

僕があの時体験した事…どんどん思い出せなくなっていく…入院していた時は物凄く鮮明でまるで今、自分の目の前で起こってるみたいな感じだったのに…僕が今まで重ねてきた時間と…あの時見た事は一体…どういう関係があるって言うんだ…何が真実なんだ…過去も…現在も…未来も…全てが混乱してる…

部分的には覚えてる…人が起こしたサードインパクト…それってひょっとして起こしたのは父さんなのか…?実際、僕は何も知らない…父さんの事…父さんの仕事や父さんの考えている事…

「ダメだ…やっぱり分からない…分かる訳ないよ…こんなの…どう考えたって…」

夢や幻だったらどんなに…どんなにいいだろう…無理だよ…やっぱり…僕には出来っこないよ…誰も僕は助けることなんて出来ない…

雲が視界から消える。

シンジは寝返りを打った。目の前に第三東京市の街並みが広がる。集光ビルがゆっくりと角度を変えているのが見えた。

もし…僕が見たものが事実だとしたら使徒は…あと4回…攻めて来る…本当なのか…自分でもまだ信じられない…何なんだ…この感じ…吐きそうなくらい気持ちが悪い…ムカムカしてくる…使徒を倒して何になる…そこに待っているものは結局…僕らにとって不幸なだけじゃないか…

シンジはゆっくりと上体を起こすとMP3プレーヤーのスイッチを切った。

「ダメだ…Rollinsを聞いても全然落ち着かない…」

シンジはため息を付く。

トウジと昼前に学校に来てからずっとここで空を見ながら音楽を聞いていた。食事もせず結局授業にも出なかった。今は放課後の掃除時間だった。

何をする訳でもなくただ時間だけが過ぎていく怠惰な一日。

三鷹市にいた頃のシンジは小学校、中学校とロクに学校に通わなかった。放任主義の「先生」からそれについて怒られたことも嫌な顔をされたことも無かったが別にそれをいい事にサボっていた訳ではない。

心にポッカリと開いた穴と砂利を敷き詰めた様なざらついた感情。それらを埋めるために当てもなく彷徨っていた。少なくとも学校でそれが満たされることは無かった。

ただそれだけのことだった。




三鷹市から第三東京市に引っ越して来たシンジは父ゲンドウと同居することも叶わず行く当てを失い、見るに見かねたミサトがほとんどお情けで同居を提案してくれたことから今の生活が始まった。

ズボラとはいえ流石に軍人出身のミサトは最低限度のルールや規律には厳しく「先生」の様には行かなかった。ミサトはどんな言い訳をシンジがしたところで絶対に学校を休ませなかった。

「ミサトさん…風邪引いたみたいで…今日は…」

「んじゃさ、リビングのどっかに風邪薬があるからあれ飲んで学校行けばいいじゃん」

「え…でも…今日は体育で水泳だし…風邪がこじれると…」

「だーいじょぶ!だいじょーぶ!ぜーんぜんOK!ほら!これ飲んで!おっしゃ!それじゃ元気に行ってらっさーい!」

薬の分量も考えずに適当に5錠の風邪薬を水ではなく栄養ドリンクで強制的に飲まされて間髪を入れず家の外に追い出されたシンジは途中で気分が悪くなってマンションの近くの公園で薬を吐いた。

「ゲホゲホゲホ…さ、最悪だ…あいつ…こ、こんなのメチャクチャだよ…うええ…」

以来、ミサトにヘタないい訳をシンジはしなくなった。いや、それ以前に学校を全く休まなくなった。

共同生活の当初、シンジはミサトが心底嫌いだった。反発する気持ちがいつもあった。その反発心が当初の使徒殲滅作戦をどこかギスギスしたものにしていた。

父さんが来いと言うから僕は来たのに…父さんは僕のことなんて構ってもくれなかった…なんで僕はこんなところで…知らない人と一緒に住んで…Evaに乗るのか…あの頃は本当に何もかもが嫌だった…

みんなが敵という得体の知れない使徒…使徒を倒せというから僕はその通りにして来た…父さんがEvaに乗れって言ったから乗ったんだ…そして…やっとあの父さんが…あの父さんが僕を褒めてくれた…みんなも褒めてくれた…シンクロ率で初めてアスカにも勝った…でも…僕は…結局…僕は浮かれていただけで何も答えを得ていなかったってことか…

「乗りますよ…どうせ僕しか乗れないんでしょ…」

「何ですって?もう一度言って見なさい!シンジ君!甘えてんじゃないわよ!あんただけじゃないのよ?みんな命賭けでやってるんだ!!」

シンジの言葉にミサトは本気で怒っていた。その時シンジはミサトの剣幕に肝を潰して思わず俯いてしまったがしかし一方でそれはこの社会で感じたシンジの無力さ、非力さ、そして鬱屈した感情の素直な吐露でもあった。

やっぱり誰も僕のことを理解しようとしてくれないんじゃないか…僕を利用しようとするだけなんだ…そしていつか捨てられる…

しかし、やがて転機が訪れる。パイロットの仲間が増え、互いにいがみ合いながらそして何処か翳をお互いに引き摺りながらも助け合ってここまで来た。

綾波…

あなたは死なないわ…わたしが…守るもの…

アスカ…

シンジ!しっかり!(Ep#06_17)

僕たちは…生きているんだ…辛くてもムカついてもずっと助け合ってきた…それだけは本物なんだ…




シンジは傍らに放り投げていたカバンを引き寄せると丁寧にイヤフォンのコードをMP3プレーヤーの本体に巻き付けてその中に仕舞い込んだ。カバンの中にはトウジと一緒にリニア駅のキヨスクで買った菓子パンと緑茶の入ったペットボトルが入っているのが見えた。

「食欲ないし…買うんじゃ無かった…勿体無い…お金もないのに…」

シンジはカバンの口を閉じると立ち上がって肩に掛けた。

「帰るか…」

シンジはポンプ室から屋上に降りると階段の方に向かって歩いていった。シンジが階段のドアを開けようとするといきなりドアが開いた。ドアの向こうにはトウジとケンスケとヒカリが立っていた。

「と、トウジ…ケンスケ…委員長も…みんな…どうしたの?」

「おお!おった、おった。なんや自分、ずっと今までここにおったんかいな?」

「う、うん…そうだけど…」

「よう!シンジ!とりあえず怪我が無くてよかったな?」

「ありがとう…ケンスケ」

「碇君…ちゃんと授業に出ないとダメじゃない」

「ご、ゴメン…委員長…何か…ちょっと…最近…色々ありすぎちゃって…」

トウジがシンジとヒカリの肩に手を乗せる。

「まあまあ…そんなことより…シンジ、俺らこれから綾波と惣流の見舞いに行く事にしたんや。お前も来るやろ?」

「え?お、お見舞い…アスカと綾波の…?」

「せや。俺とお前で葛城さんに頼めば一人一名に限って認められる随行員として委員長とケンスケをジオフロントに連れて行けるやろ?」

「そ、そうだったけ…」

「なんや?自分知らへんのか?ネルフ職員規程の随行員規約っちゅうもんを」

勝ち誇ったような顔をトウジがする。

「そういうトウジもさっきまでかかってマニュアルを必死になって捲ってたよな?」

隣にいたケンスケがトウジの背中を叩く。

「へへへ。種を明かせばその通りや。どや?お前も行くやろ?」

シンジは突然のことで返事に窮して俯いた。ヒカリが心配そうな顔をしてシンジの方を見る。

「ねえ、碇君。色々大変なのは分かるけど…大変なのは多分…みんな同じだと思うから…こんな時こそ助け合ったり励ましあったりすることが大切なんじゃないかな?だから…わたし達とお見舞いに行かない?」

「…」

ヒカリ、トウジ、ケンスケの三人の視線がシンジに集まる。少しの間、沈黙していたがシンジは意を決したように小さく頷いた。

「そうだね…僕も行くよ…」

途端に三人の顔に笑みが零れた。

「おっしゃ!きまりや!ほな早速行くで!」

シンジを交えた四人は一緒になって階段を降り始めた。
 







第一中学校の正門をくぐりなだらかな坂道を下って行く。少年達の眼前にはもうリニア駅の北口広場が遠目に見えていた。

いつも通っていた通学路だった。

時々は雨が降ったがいつも晴れているという印象しかなかった。一人遠く
D地区に住んでいるレイはローカル線で通っていたから北口で一緒になることがたまにあったが、雨の日も晴れの日も当番の無い日はこの道を学校に向かってシンジとアスカは二人並んでよく歩いた。

アンタってさあ…ホントよく寝るわね…そんなに寝て脳みそがよく腐らないわね?

別にいいじゃないか…睡眠は身体にいいんだから…ミサトさんだってどんなに忙しくても絶対8時間寝てるし…

へーんなの…寝るより楽しい事だって世の中には一杯あるのにもったいないわよ…

寝るより楽しい事?そんなの滅多にあるわけないよ…

あるわよ!

ないよ…

ある!

ないって…

ちょ…しっつこいわね…アンタ…あるったらあるのよ!

例えば?何?

決まってるじゃん!例えば…

え?ゴメン、今なんて言ったの?

っるさい!何でもないわよ!

な、何怒ってるのさ…やっぱり無いんじゃないか…

そんなことよりアンタ…自分のその制服…今日学校から帰ったら全部洗濯してよね!

ええ!な、何だよそれ!ヤブから棒に…先週洗ってアイロンかけたばっかじゃないか…

アンタばかぁ?こんだけ毎日蒸し暑い日が続くのに!汗かいてるでしょ?すぐ汚れるに決まってるじゃん。

で、でも…1週間おきに制服を洗う人って聞いたこと無いし…学校で僕だけじゃないのかな…

はあ…アタシはね!これでも妥協してるのよ!だいたいアンタが毎日の手入れを怠るからいけないんでしょ?ちゃんと汗抜きしてスプレーすればいいのよ!


道の中腹でシンジはふと足を止めた。それに気が付いたヒカリがシンジのところにやって来た。

「どうしたの?碇君」

「い、いや…何でも…ちょっと思い出したんだ…それより委員長…」

「なに?」

「あれっていつも委員長とアスカがいた公園だよね?」

ヒカリはシンジが指さす方向を見る。リニアの北口広場に繋がる大通りのすぐ隣に小さな緑地帯があった。

「そうよ。あの大きな木が立っているところでしょ?なんで?」

「い、いや…別に…何となく…そうかなって思って…」

「ヘンな碇君」

「おーい!お前ら何やっとんや!置いて行くで!」

ふと見るとトウジとケンスケとの距離が既に50メートル程度離れていた。

「もうあんなところに…碇君、急ぎましょ?」

「え?う、うん…」

ヒカリに促されてシンジは再び歩き始めた。

菩提樹…か…
 






「えー!じゃ、じゃあ…特別警戒態勢やと随行員は認められへんのですか?」

リニア駅にあるジオフロント線の改札前で小銃で武装しているネルフ保安部員にシンジたちは止められていた。自動改札機の隣にある受付所で女性係員と若い男性の保安部員が申し訳なさそうにシンジたちを見ている。

「友人のお見舞いをしたいっていう気持ちは分かるんだけどねえ…この前の松代の一件があってネルフ職員であっても随行員の入場は制限されているんだよ…」

「そ、そんな殺生な。折角こうしてみんなで来たっちゅうのにゲートをくぐれへんとは…せや!センセ!携帯で葛城さんに電話して何とかしてもらったらどうや?」

ミサトの名前が出た途端に保安部員の顔に一瞬緊張が走ったように見えた。

「え?み、ミサトさんに…?」

「そうや!きっと何とかしてくれる筈や」

シンジが少し迷惑そうにトウジを見る。シンジは保安部員が規則で無理だと言っているものを裏技を使ってまで無理強いする事に気が進まなかった。

それにミサトは公私混同には結構厳しかった。夏祭りも何処まで本気かはともかくとして「ネルフ協賛」という大義名分があったからネルフ職員の資格で祭りに参加したのだ。そうじゃなかったら帰りのタクシーチケットはおろかまず何もしてくれなかっただろう。

まして松代騒乱事件でかなり本部の空気がピリピリしている時にこんな用件でミサトに電話するのは怒ってくれと言うのも同然だった。

「む、無理だよ…幾らミサトさんでもネルフの規則を破る様な事は出来ないと思うよ…」

「うーん…まあそうなんやけどなあ…めっちゃ悔しいなあ…こうして花まで買うたというのに…」

シンジの言うことが正論だけにトウジもそれ以上のことは言えなかった。悔しそうにかすみ草のやたら多い小さな花束をそれぞれ手に持っているヒカリとケンスケの方を向く。

「決まりなら仕方が無いよ…鈴原…」

「そうやな…でも…この花どうしようかな…仕方が無い…センセ…悪いんやけどこの花を惣流と綾波に届けてくれへんか?」

「え?ぼ、僕だけで?」

「仕方が無いやろ…ネルフのIDを持っとんのは俺とお前だけやし…俺はパイロットになった言うても日も浅いしな…ここはセンセが適任やと思うけどな…」

「そうだな…ジオフロントに入れるチャンスだと思ってたけどこういうことなら仕方が無いしな…」

そういうとケンスケは持っていた花束をシンジに突き出す。それを見てヒカリもおずおずと同じ様にシンジに花を向ける。

「碇君…ごめんね…わたしもアスカに会いたかったけど…お願いできる?」

自分の方に向けられた花束は無言の圧力をシンジに加えていた。シンジは花束を受け取った。

「分かった…これから届けてくるよ…」

「ほうか!ほな頼んだで。惣流たちに宜しくな」

「碇君、ありがとう」

友人達は次々と礼を言う。

「じゃあな。シンジ。明日また学校で!明日はサボるなよ」

「分かってるよ…じゃあ…」

シンジはトウジたちと別れてIDで改札をくぐって行った。
 






シンジが本部前の駅に着いた時にはジオフロントはすっかりオレンジ色の光に染まっていた。ここは地上に比べて早く夜が訪れる。

「今朝来たばっかりなのに…また来ちゃったよ…」

松代の第二実験場から本部に帰還したシンジとトウジは職員宿舎に宿泊させられてパイロット向けの健康診断と検査を受けていた。そして今朝、ミサトから作戦部への出頭命令が出されそこでシンジは緊急呼集無視に対して作戦部長名の訓告、トウジにはEvaパイロットの予備役がそれぞれ申し渡された。

シンジは処分を申し渡している時のミサトの顔を見て思わず俯いた。ミサトのあの顔を見たのは同居を始めた直後の使徒戦以来だった。

ミサトの機嫌は決してよくなかった。それもシンジがミサトに電話するのを躊躇った理由の一つだった。そしてそのまま帰宅してよいという許可が下りて二人は如才げに学校に顔を出したのだ。

リニア駅と本部をつなぐ長いバイパス通路を通って本部棟に入ると医療棟に向かって行く。暫く歩いてシンジはようやく医療棟の中に入った。受付でアスカとレイの病室を確認する。

同じ部屋なんだ…大丈夫なのかな…あの二人を一緒にして…

シンジが医療棟の中央にあるエスカレーターを登っていると遠くの通路で眼鏡をかけたすらっとした若い女医の姿を見かけた。

あれ…?今の…どっかで見たような人だ…

シンジは女医の方を注意深く見るがすぐに壁に阻まれて見失ってしまった。

「誰だったっけ…」

シンジが記憶の襞を探っているとある人物に思い当たる。

そうだ…あの人は僕らの学校の保健室の先生だ…確か…如月先生っていう名前だった様な気がする…でもなんで学校の保健室の先生がこんなところに…今はここに職員以外は入れない筈だ…如月先生はネルフの関係者ってことなのか…


バーン


「イテッ」

シンジはエスカレータのすぐ近くに止めてあった病院食のアルミ製の配膳車にぶつかる。辺りには誰の姿もない。

そうか…病院って食事の時間が早いんだ…

配膳車の中身は空っぽだった。今回の松代の一件で多くの入院者がいる筈なのに辺りはひっそりとしていて人の気配がない。医療棟の建物が無駄に大きいということもあるだろうが。

いつも思うけど…ここって気味が悪いよな…ほんと…

やがてシンジはレイとアスカの病室の前に着いた。病室の中からTVの音と少女の話し声が聞こえてくる。シンジは軽くノックをする。

「は~いどうぞぉ」

アスカの声だ…なんか元気そうでよかった…

「綾波…アスカ…僕だけど…入るよ」


ゴロゴロゴロ


シンジがドアを開けて中に入るとアスカとレイがアスカのベッドの上に二人で並んで腰掛けて一緒に食事を取っている姿が見えた。アスカはトレーを移動式のテーブル台の上に乗せて右手だけで薄そうな味噌汁を飲んでいた。レイはその隣でトレーを自分の膝の上に乗せていた。

俄かには信じられない光景にシンジは思わず手に持っていた花を取り落としそうになる。

「あ、あの…具合どうかと思って来てみたんだけど…」

レイはじっとシンジの顔を見ている。アスカは慌てて味噌汁のお椀をトレーに戻すとまるでオバケにでもあったかの様に目を見開いていた。

シンジが入って来た途端、部屋の空気が張り詰めていく。

居心地が悪いな…何か…

「碇君…あなた…何をしに来たの…?」

そんな空気を破ったのは意外にもレイだった。

「え、えっと…お見舞いに来たんだ…本当はトウジとかケンスケとか委員長たちと来る予定だったんだけど…特別警戒態勢でケンスケと委員長が本部に来れなかったんだ…それで…僕だけ…これをアスカと綾波に届ける事になって…」

シンジは手に持っていた花束を二人の少女に見せた。

「そう…」

何か…気まずい…何があったというわけでもないのに…どうして…こんなに緊張してしまうんだろう…食事中でタイミングも悪そうだし…今日は花束だけ置いて帰るか…

「じゃあ…これ…花束…そうだ…綾波…花瓶あるかな…?この部屋…」

「無いわ…器ならそこに…」

レイがベッドに腰掛けたまま部屋の片隅を指差した。その方向には病院関係の備品を乱雑に入れた段ボール箱が置いてあったが一番上に特徴的な形をしたプラスチック製の容器が見える。

「あれって…綾波…尿瓶だよね…?」

「使えないの?」

「使えないって言うか…」

シンジは咄嗟に適当な言葉が浮かばなかった。突然、レイの隣にいたアスカが大声で笑い始めた。

「ひーひっひひ!アンタバカじゃないの?あんなの…つ、使えるわけないじゃん!はははは!」

レイが一人不思議そうに隣でお腹を抱えて笑い続けるアスカを真顔で見ていた。シンジもアスカの笑い声で肩の力が抜けて行くのを感じていた。

「ふふふ…そうだよ…綾波…あれはやっぱり使わない方がいいよ」

そして静かにシンジも口に手を当てて笑い始めた。

「どうして使えないの?」

「だって…あんなのに入れたら折角、碇君が持って来てくれた花が…変色しちゃうかもよ!あーお腹いたーい…」

シンジは驚いて思わずベッドの上で楽しそうに笑うアスカの方を見た。

い…碇…くん…

病室にTVの音と無機質な壁掛け時計の秒針の音、そして無邪気な少女の笑い声が響いていた。それらの音がシンジにはだんだん遠ざかっていく様に感じられた。

アスカ…いま…僕のこと…
 


 


Ep#08_(4) 完 / つづく

(改定履歴)
16th June, 2009 / 表現修正
8th June, 2010 / ハイパーリンク先の修正
28th Nov, 2012 / 表現修正
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