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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第29部 Cry, Cry and Cry / Thanks and So Long...

(あらすじ)

再びベルリンに舞い戻った加持は新東京日日新聞記者の阿部と共にかつて親しんだ凍り付いた石畳を踏みしめていた。テンペルホーフの小さな教会を訪れた二人を待っていたものは…
そしてその日、ネルフ本部では一人の少女が入れ替わるように釈放された。
過去を捨てた少女…過去を追い求めた男…

歴史は何も語らない…氷の都は今日も沈黙したままだった…

Chopin Etude Op.25 no.11 "Winter Wind"
(本文)

2015年12月2日 第三東京市 晴れ 予想最高気温35.7℃

週の中日(なかび)ともなれば怠惰な雰囲気が支配的になるらしい。中学生のシンジにはその理由がよく分からなかったが、リニア駅の南北連絡路で行き交う通勤途中のOLやサラリーマンの顔を見るとひどく疲れている様に見えた。

僕も…大人になったら…あんな風になっちゃうのかな…何のために生きてるのか…よく分からない…

シンジはMP3プレーヤーのスイッチを切りながら北口ロータリーに続くエスカレーターに乗る。

ミサトもアスカもいないマンションで一人の生活をしていた時は三日と開かずに遅刻していたシンジだったがカヲルと同居する様になって再び時間通りに起きる様になっていた。今はアスカの替わりにカヲルがシンジを起こしてくれる。

起こし方には相当問題があったが…

始めは迷惑だったけど…案外…ミサトさんも色々考えてくれてたのかな…僕だけだったら安易に流れるのは目に見えてるだろうし…

実際、一度ならず学校に行かずにマンションでゴロゴロしていた事もあった。

北口ロータリーのバス停の前にあるキオスクが目に入る。店の前に整然と並べられている今日の朝刊はどれを見ても昨日の飛行試験の失敗を糾弾する声に溢れていた。酷いものになると不時着するくらいなら自爆しろという過激な見出しもあった。

シンジは顔を顰める。

ネルフに対する批判記事は今に始まった事ではなかったが松代騒乱事件後の総選挙を境にいよいよ露骨になっていた。それはTVも同様だった。

迷惑をかけたのは確かに悪いけど…僕達は…みんなのために使徒と戦ってるんじゃないか…それに…アスカはみんなを守るために仕方なく芦ノ湖に落ちたんだ…それを寄って集って…死ねばいいなんて…本当に大人が言う事なのか…

シンジは足早にその場を去ると緩やかな斜面を歩き始めた。既に額から汗が滲んでいる。

だから面倒臭いんだ…人間なんて…嫌いだ…

日差しが強くなるのに合わせてセミの声も大きくなる様な気がした。
 
 


話を少し戻さねばならない。

2015年11月26日

ミサトと分かれた加持は新東京日日新聞社の記者阿部悠太郎と共にベルリンに向かっていた。

加持たちを乗せた東京発ベルリン行きLH996便は既にウラル山脈を越えていた。もうじきバルト海上空に差し掛かる。何度となく第二東京市とベルリンを往復している加持はそろそろ機内食の朝食時間が近い事を察知していた。

加持の隣で阿部が熟睡している。ボーイング社のB787に対抗して作られたエアバス社のA350XWBは2012年の初飛行のあと2013年に運用を開始して2015年現在はB787と納入台数を二分する主力旅客機となっていた。

再びベルリンの地を踏みしめる事になるとはな…特報局ドイツ部の最後の生き残り…俺を合わせれば全員が顔を揃える事になるのか…名も無き墓標で…これも何かの因縁か…まあいい…悪魔との決着の舞台としてはこの上ない…貴様だけは許さんぞ、ゲオルグ・ハイツィンガー…必ず碇ゲンドウとの関係を暴いてやる…それがこの地獄の全てを知る事にも繋がる…

お互いに体格に恵まれた男二人が隣り合うにはエコノミーの座席は如何にも手狭だった。ビジネスクラス以上の座席ともなれば乗客名簿がCA達に与えられ余念のないサービスが供される。快適には違いなかったが14時間弱の時間を共有する事でもあり、出来るだけ秘密裏に行動したい加持は余計な印象を残したくなかった。

「加持さん。宜しければ取材費で落しましょうか?僕達は普段は勿論エコノミーなんですけど取材者と一緒ならビジネスも許されるんで、もしよかったら…」

「いや…結構…お気持ちだけで十分ですよ…エコノミーの方が性に合ってるんでね…」

偽名の旅券とチケットを使っている事も理由の一つだった。

機上の人となってからも加持はCAにあれこれと口うるさくクレームをつける日本人ツアー客とは一線を隔して静かに読書をして時間を過ごした。神経質で細かい事を言う乗客は要注意人物としてCAの間で情報交換が陰でされるからだ。

加持の隣で同じ様に座っていた阿部も加持を気遣ってか、手荷物で持ち込んだ年季の入ったなめした皮のショルダーバッグからアイマスクを取り出すとやがて寝息を立て始めた。

阿部が寝静まると加持は本の世界から視線を現実へと転じていた。

2008年12月にベルリンでキョウコ・ツェッペリンが自殺し、そしてその数日後には京都で那智さんが事故死した…その時に偶然居合わせたのか、あるいは何かを知ってしまったのか…この男(阿部)の父親もそのタイミングで変死した…父親の遺志を継いで自分も新聞記者になったらしいが…一体…何が取材ノートに書いてあったのか…いずれにしてもこの男が赤い薔薇の何かを掴んでいるなら…それを得る必要がある…そして川内さんに伝えなければ…

川内は国民党政権樹立後に官邸を追われていた。内閣官房副長官の職を辞した後、加持の手引きによって今は加持農園の主となっている。隣家の田中老夫妻には加持の父親として紹介していた。かつて内務省で現役の諜報員を務めていた川内は流石の加持も舌を巻くほど見事に加持の父親を演じていた。

しかし、川内が国民党政権と特務機関ネルフの双方から目を付けられているだけにいつまでも加持農園が安泰とは言い切れなかった。

陰の組織…特報局…殆ど崩壊したも同然だ…まだ生き残っている部員たちも追ってから自分の姿をくらませるのに手一杯で川内さんの身辺警備にまで手が回らないだろう…それに…他の省庁でも官僚狩りが始まっている…静かなる者の政策に関わっていた連中は次々と閑職に追いやられている…殺されないだけ俺達よりかは恵まれているとは言えるがな…

まさに時間との戦いだった。総選挙後の首班指名の臨時国会後、日本政府は矢継ぎ早に新政策を打ち出していた。気になる動きとしては前政権で難航していた戦自基本法を大幅に改正する動きだった。

長門忠興は戦自派としては初になる統幕本部長に就任し、戦自のみならず旧自勢力にも影響を及ぼしうるポストを射止めていた。松代騒乱事件以降、加持はこのミサトの元上司に対する警戒心を一層強めていた。この半年の間に長門ほど垂直に上り詰めた人間はいない。

異例と言うよりもはや異常だった。

日米同盟を軸足に考えて国連を軽んじている生駒泰造とその生駒の肝煎り政策で誕生した戦自…そしてその首領がついに(国防省)制服組のトップに…五十鈴(いすず)国防大臣も生駒の股肱だ…やはりA801の発令と共にネルフは最大の危機を迎える事になる…あの奸智に長けた男が相手だからこそネルフを守れるのは葛城しかいない…(人類補完)委員会…いや…Seeleとの関係もすこぶる悪いネルフが安泰でいられるのはほとんど使徒のお陰と言ってもいいくらいだ…使徒戦が終われば…

加持はアイマスクで表情の見えない阿部から視線を窓の外に向ける。外は薄暗くグレーに色付いた雲の海以外に何も見えない。

しかし…俺も帰る場所がない…旗風(元内務省公安調査局長/Ep#04_8)さんも内務次官になったらしいしな…俺が特報局の一員と分かれば静かなる者の政策に関わる者としてあらゆる手段を駆使して身柄を拘束しようとするだろう…しかも…俺はネルフからも追われている…そして…Seeleからも…まったく…

窓に映る自分の顔を見て加地は自嘲気味に笑う。

「俺もモテモテだな…」

先日、特別監査部の加持の同僚がパリで盗難車にはねられて即死したという事実を出国前に知った。

特別監査部…組織図的にはネルフの監督組織でもある(人類補完)委員会直属の監査機関だが…実態はSeeleの手足として動いている組織だ…俺が第三支部に保管されていたアダムの幼体を碇ゲンドウに横流しした事がついに発覚したと…危険を顧みずに知らせて来た…その直後に殺されるとは…

加持はこれまでネルフ内では内務省のスパイということに留まっており、この事を問題視していたのは実質的に日本に活動拠点を置くネルフ本部のみでゲオルグ・ハイツィンガーは表向きは捜索に協力する素振りを見せてはいたもののどちらかというと静観していた。

事情が急転したのはEvaの大量建造が始まる前後だった。アダムの幼体の所在が第三支部で問題として浮上し、セカンドチルドレンがチャイルドの一人である「ドリュー」だった事と合わせて激しい応酬が本部と第三支部の間で起こった。双方の妥協点として全て加持の陰謀によるものという線で落ち着いたため加持は世界規模で指名手配されていた。

委員会の怒りの矛先をかわす為に俺のせいにするのは勝手だが…日本政府はもはやネルフの敵も同然だ…委員会と生駒で共闘路線が合意されればA801は容易く切れるカードになる…さて、碇ゲンドウ…幾らあなたでも…いや…かつて世界を煙に巻いたあんただからこそ…今の危険な状況は痛いほど分かる筈だ…ここはどう凌ぐつもりなのか…俺があんただったら…

突然、機内が明るくなる。

着陸まであと1時間だった。機内食を乗せたワゴンをCAがゆっくりと後ろから押してくるのが見える。加持は手に持っていた本を閉じると足元に置いていた手荷物の中に無造作に放り込んだ。

俺があんたでも…こうなった以上は何が何でもあんたが考える「救い」ってやつの実行に拘るだろう…結局、TIP(サードインパクト)で何が起こるのか分からないが…それで全てをチャラに出来るなら…最後の使徒を倒した時があんたらのクライマックスって訳だ…

「お客様?ご朝食はヨーロピアンスタイルですか?それとも和食になさいますか?」

背の高い如何にもドイツ人らしい男性CAが英語で話しかけて来ていた。

「和食をお願いします」

「畏まりました。そちらのお客様はお休み中ですかね…」

「僕も和食をお願いします」

阿部はアイマスクをしたままでさらっと英語で答える。阿部の様子を窺っていた男性CAは驚いて思わず仰け反っていた。さすがのも加持も意表を突かれた格好になり苦笑いを浮かべるしかなかった。

いつの間に…やれやれつくづく油断ならない男だな…

「さて…頂くとしましょうか…何処にいても睡眠と食事だけはきちんと取るようにしてるもんで…」

アイマスクを取った阿部は加持に笑顔を送ってくる。加持は黙って手元の割りばしに手を伸ばした。

これが最後にならなきゃいいがな…最後に食った和食が機内食と言うのも味気ない話だが…

やがて人の作り出した翼はゆっくりと雪煙に包まれながらベルリン国際空港に着陸した。

定刻通りの到着だった。ルフトハンザLH996便は逆噴射で勢いを殺すとすぐに左に折れて滑走路から誘導路に入って行く。

加持はエコノミークラスのこじんまりしたシートから上体を起こすとサンバイザーを押し上げた。時刻は現地時間の午後5時半。完全に日没したベルリンには既に街の明かりが燈(とも)っていた。

相変わらずだな…氷の都…ベルリン…静かだ…

吐く息は既に白かった。

加持はサングラスをかけるとパスコントロール(イミグレーション)の手前のトイレに入る。阿部もその後を追って中に入ってくる。

「どうしたんですか?加持さん」

「何分追われる身なんでね。ちょっとヒゲでもはやそうかと思いましてね」

手荷物の中から加持は付け髭を取り出すと鏡の前で手早く付ける。

「へえ…慣れたもんですね…ハンズとかで売ってるようなパーティーの余興グッズとは随分と出来が違いますね…」

阿部は感心しながら加持の顔をしげしげと見ていた。加持は何も言わずに着ていたジャケットを裏返す。黒い革のジャケットがあっという間にベージュに変わる。リバーシブルになっていた。

「凄いですね…」

「じゃあ行きますか…」

加持と阿部はパスコントロールを抜けて人もまばらな関税事務所の前を通り過ぎてバッゲージクレームの前に立つ。

団体客と離れて遠回りをする様な経路をたどって来た二人の荷物は既に吐きだされて何周かしていたようだった。加持は阿部が引いてきたワゴンの上に二人の荷物を乗せると足早に出口に向かっていく。

「加持さん、何で空港の辺鄙(へんぴ)なところにあるマイナーなイミグレーションを?」
まるで密着取材の様に阿部は興味津津という感じでワゴンを押しながら小声で話しかけてくる。

「ベルリンの空港の監視カメラの位置は大体把握していますからね。入ったトイレもパスコントロールも全て監視カメラに写り難い場所なんですよ」

「へえ。適当に入った訳じゃないんですね」

「まあ…しかし完全な死角ばかりを狙って歩ける訳じゃないんでね…急ぎましょう…到着口の前のカメラからはどうやっても避けられませんからね」

加持は到着口を出るとレンタカーのカウンターの前を素通りする。レンタカーを借りるものだと多寡を括っていた阿部は慌てて加持の後を追ってタクシー乗り場に向かう。

「加持さん、レンタは?」

「ここ(空港)で借りると足がつくでしょ。それにレンタカーは使いませんよ」

「どうしてですか?足がいるじゃないですか?」

「リストを入手されたら一発でアウトですよ。アウトバーンに限らずそこかしこに(車の)ナンバー照会システムが付いている(注:これは事実でもある)ですから足取りを簡単にトレースされてしまいますよ」

加持はどんどんと足を速めていく。

「それにレンタカーには何が付いているか分からないじゃないですか。人前で入念に調べる訳にもいかない。だからタクシーで市内まで行ってそこで然るべき筋の人間から車を買うんですよ。事が済めばそこらに乗り捨てる。彼らはそれを回収してまた車番などを偽造して次の人間に流す。まあ言ってみれば闇社会のレンタカーですね」

「そいつは凄い!まるでスパイ映画みたいですね」

「まあ…映画の方が数倍楽ですけどね」

二人はメルセデスのステーションワゴンのタクシーに乗り込むと粉雪が舞う空港を後にした。運転手は30前後の若い話好きなドイツ人だった。

「二人ともどちらから来たんだい?」

「英語…ダメなんで…」

加持がわざと片言の英語をしゃべるとドイツ人は小さく肩をすくめるとラジオのスイッチを入れた。軽快なロックバンドがドイツ語で歌い始める。阿部はもういちいち加持に質問しなくなっていた。

またやって来た…ベルリンに…

タクシーはアウトバーンを南に下って中央区に向かっていた。漆黒の闇の中でメルセデスの放つハロゲンランプに照らされた白い雪が流星の様に流れて行く。

「加持さん…」

阿部は窓の外を黙って見ている加持に遠慮がちに日本語で話しかけて来た。加持は目だけを阿部に向けた。

「これからどこに行くつもりなんですか?」

「パリ広場ですよ。阿部さんもせっかくベルリンに来たんですからブランデンブルク門くらいは見たいでしょ?」

「いや…出来れば観光よりも先に…服屋に寄っていただけませんかね?その…ものすごく寒いんで…」

加持は思わずハッとして阿部の服装を見た。加持自身が珍しく神経過敏になっていた事もあって阿部が真夏の日本からいきなり飛び込みで加持について来た事をすっかり考えの外に置いていた。阿部はシャツと薄い綿パンの組み合わせに夏用のジャケットという軽装で既に歯の根があっていなかった。

「そりゃごもっとも…」

加持はタクシーの運転手に小さなメモ帳を取り出すと何事かを書いて手渡した。運転手は軽く頷くとベルリン中央駅の大通りを抜けてデパートが立ち並ぶ一角に入って行く。

「この辺でとりあえず革のコートでも買ったらどうですか?ヨーロッパは伝統的に日本に比べて革製品の価格が安いんで値段の割にいい物が手に入りますよ」

「そう願いたいですね…着の身着のままで来たんでとりあえず着替えも買いますよ」

加持はタクシーの運転手に100ユーロ札2枚を渡すと釣りも受け取らずに阿部と二人で閉店間際のデパートの中に入って行った。

「加持さん、タクシーは?」

「ベルリン中央駅からブランデンブルク門は歩いても遠くないんでもういいと言いましたよ。とりあえず男物は3階ですね」

「やけにベルリンの事情にお詳しいようですね」

「まあ…ね…話は後にしましょう」

阿部は加持の後についてエスカレーターの上に立っていた。

阿部は黒い革のロングコートを羽織り、適当に着替えを抱えてレジに持って行った。かなり無理を押して試着室で着替えた阿部は加持と共にデパートを後にした。まるで嫌みの様に二人が建物を出た瞬間に次々と照明が落ちていく。

「いやあ!ようやく人心地つきましたよ。もう飛行機を降りた瞬間から寒くて寒くてしゃべる気力も起きなかったんですよね」

加持はまるで生気を取り戻したかのようにしゃべり始める阿部を見て思わず苦笑いを浮かべていた。

道理で…ブン屋さんにしては大人しいと思った…

「でもどうしてブランデンブルク門に?本当に僕のために観光ですか?」

「まあ当たらずとも遠からずってやつですね。僕がいつも使うレンタカーをピックアップするというついでがあるんでね」

「へえ…なんでまた目立つ観光スポットで?」

「パリ広場は非常に広大な緑地面積を持っていることが一つ。そして時間帯によっては完全な無人状態になることが一つ。更に全てのエリアを監視カメラがカバーすることは物理的に不可能。トレーラーで運んできたものを受け取って出れば分からないでしょ?観光地でまさかと言う人間の間隙をあえて突くというのもありますがね」

阿部は感心したような顔をする。

「そこまでするんですか…」

「まあ…国民の皆さんが思うほど日本政府の情報機関も温くないということですよ…どうやら来たようですね」

加持の視線の先には音もなく静かにエアサスペンションを搭載した10tトラックが静かに入ってきた。トラックのコンテナには“Wolter Logitics GmbH“とロゴが入っていた。トラックから作業服に身を包んだ大男が2人現れた。

加持はコートのポケットから赤マルボロのタバコを取り出すと男の一人に渡す。タバコの箱に被せてユーロではなく米札の束を握らせていた。全て100ドルだった。男の一人はそれを受け取るとタバコを一本くわえると札束だけ手早くポケットに仕舞ってタバコの箱を今度は別の男に回す。

加持は何も言わずに男のタバコに火を付けた。一瞬、オイルライターの火で深めに帽子を被っていた男の顔が暗闇に浮かび上がる。深い栗色の目と髪が印象的だった。顔の堀が深い。

こいつら…ドイツ人じゃねえな…

阿部は目敏く男達を観察する。もう一人の男が加持にタバコを帰す時に鍵を加持に握らせているのが阿部の位置から僅かに見えた。

「Bless you(神のご加護があらん事を)」

「Thanks(そいつはどうも)」

男達が加持を促す。

「さて…行きますか…」

加持がベルリンに着いて初めて阿部に笑顔を見せた。阿部は僅かに加持を見る目を細めていた。

加持さん…あんたはどうやらオレの想像をはるかに超えたものを背負っているんだな…超人に見えてあんたもやっぱり人間なんだ…喜びや悲しみも知る一人の男なんだ…なのに…特報局…特に墓場とも言われたドイツ部唯一の生き残り…折角、このベルリンで拾った命を…何があんたを駆り立てるんだ…俺は事件の真相もだが…今はそれ以上にあんたという存在に人間臭さを感じてる…そして魅せられてもいる…

阿部は加持に数歩送れて歩く。二人の背後には小さくライトアップされたブランデンブルク門が荘厳な姿を見せていた。門の頂には勝利の女神ヴィクトリアの勇ましい姿が見えていた。
 



一週間後…

2015年12月2日 晴れ時々雪 ベルリン 気温-11℃

ベルリン中央区から南に下るとテンペルホール=シェーネベルク区(別名:第7区)がある。2001年にテンペルホーフ区とシェーネベルク区が合併して以来、現在の行政区となっていた。特に旧テンペルホーフ区にはベルリン・テンペルホーフ国際空港があったがかつてはナチスドイツによって建設された空軍基地と言うのがその起源である。

第二次大戦後の航空旅客機による大量輸送時代の到来で滑走路が手狭になったが拡張工事が立地条件の兼ね合いで難しく、その機能はベルリン・テーゲル空港、そして東西統一後にベルリン・ブランデンブルク空港に順次移っていった。

1948年に発生したベルリン封鎖(ベルリンの壁による東西分割)では西側諸国の大空輸作戦の舞台にもなった燦然と輝く歴史があったが2008年に連邦政府により正式に閉鎖された。

加持と阿部はポツダムから一路、アウトバーンでテンペルホーフを目指していた。加持はメルセデスのハンドルを握ったまま真っ直ぐと正面を見据えていた。

「加持さん…一つ質問していいですか?」

加持は黙ったまま視線だけを一瞬阿部に向けてきた。

「どうして初対面の…それもマスコミの人間を…あんたは…」

阿部はそれ以上言葉が続かなかった。車内の時計は午後3時を指し、すでに太陽は西に大きく傾いていた。再び漆黒の闇が訪れるだろう。

「いや…なんでも…」

タイヤを切り裂くアスファルトの音だけが響いていた。

「阿部さん…テンペルホーフの歴史を知っていますか?」

「え?テンペルホーフ?」

阿部が加持に視線を戻す。加持は僅かに口元に笑みを湛えていたが真っ赤に焼けた夕日が目に映っていた。

寂しそうな目だった。

「テンペルホーフの名の由来はテンプル騎士団から取られているんですよ」

「テンプル騎士団?ああ…聖杯伝説とか色々オカルトみたいなエピソードが多いくらいのイメージしかないんですけど…実在していたんですか?世界史は選択したんですけどあんまり得意じゃなかったんでね・・・ははは・・・」

車内に乾いた阿部の笑い声が響く。

「テンペルとはテンプルのドイツ語読み。テンペルホーフにはテンプル騎士団領というニュアンスがある。その名の通りその起こりは西暦1247年、聖地エルサレムの陥落によりパレスチナの地を追われた十字軍や巡礼者を守護していた騎士修道院も順次引き上げざるを得なかったが、この地に彼らは拠点を築いた」

「へえ…」

「やがてライン川から土地を相続できなかった農民の次男家族など15家が移ってきたためテンプル騎士団は彼らに肥沃な土地を与えて保護した。これが実質的にテンペルホーフの起こりになったといわれているんですよ。そして要塞の中央には巨大な丸石を埋め込んだ教会が建設されて以来、町の中心であり続けた」

「しかし、拙い記憶だと確か…テンプル騎士団は迫害されたんじゃなかったでしたっけ?誰だったか忘れましたけど…」

「フランス王フィリップ4世ですね。美男王とも呼ばれたが彼はテンプル騎士団の支持を受けて王位に就いたものの中央集権体制の確立ともう一つの野望…敬虔なカトリック教徒だった王は自らの手で聖地を奪還しようと目論んでいた。1290年にアッコンを奪われた十字軍はほぼ完全に聖地周辺の足がかりを失っていたという時代背景も影響しているかもしれない。彼はその野望を果たすべくテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併して自らその頂点に立とうと画策した」

「ほう…随分と虫の良さそうな話だ…いつの時代にも政治家ってやつは自分の都合で政策を考えるもんですね…」

「しかし、実際はというと…彼は聖地奪回による名声の獲得ともう一つ…フランス王室は当時、慢性的な財政難にあえいでいてその解消も考えていた。そこで目を付けたのがテンプル騎士団の財産なんですよ」

「テンプル騎士団の財産?」

「騎士団修道院の特長ともいえるが会員になるに当たって私財の多くをキリスト教の「清貧」という美徳に従って寄付することが習慣になっていた。そのため騎士団修道院には多額の資金が集まる仕組みになっていた。この資金を元手に多くの騎士団が当時は銀行の役割を果たしていたんですよ」

「へえ。そいつは凄いビジネスアイデアですね」

「13世紀といえばフランスはイギリスと激しくフランドル地方の領有を争っていわゆる百年戦争で多額の債務があった。その債権の大半が実はテンプル騎士団だった訳です」

「なるほど。こいつはまさに自己都合のモラトリアムってわけだ。昔の日本にもそういう政権がありましたな」

「王はまず手始めにユダヤ人の財産を没収し、そして騎士団総長ジャンク・ド・モレーに聖ヨハネ騎士団との合併話を持ちかけた。まあ当然拒否に遭った」

「そりゃそうでしょう。彼らにとっては債権の回収も不透明でいきなり合併しろなんて何のメリットもない一方的な話ですよ。でも何でその王様は聖ヨハネ騎士団を合併相手に選んだんです?」

「それは聖ヨハネ騎士団の中でフランス人とスペイン人の勢力が突出していたためフランス王には従順だったからですよ。事実、テンプル騎士団の滅亡後はその財産が彼らに与えられた事からも分かります」

「そいつはひでえ話だ」

加持は時折ギアチェンジをしながら次々と車を追い越していく。

「フランス王は周到に準備を進めた。無実の人間を裁くには匿名の証言が認められる異端審問が実に都合が良かったためにその形が採られた。異端審問を開くにあたってはローマ教皇の許可が要るが当時の教皇が…」

「まさかそれもフランス人って言わないですよね?」

「そのまさかですよ。クレメンス5世はフランス王の言いなりだった。だから何の支障もなくフィリップ4世はテンプル騎士団を捕らえ、異端として彼らを処罰した。異端とされたらキリスト教徒にとってもっとも過酷な火刑という屈辱が与えられる。キリスト教の最後の審判で復活するにはその肉体が必要と当時は考えられていたため土葬が基本だったんですよ。その肉体を永遠に灰と化す火刑はキリスト教徒には耐え難い刑だった訳です。こうしてフランス全土のテンプル騎士団は1307年に全て逮捕され、1314年に教皇令によりヨーロッパ全土にテンプル騎士団の廃止が通告された。まあ後者の方はほとんど履行される事はなかったためテンプル騎士団は名前を変えて結局生き残った。だから世間で言われるようなオカルト的なものは幻想なんですよ」

「なるほどね…フランス王の権力範囲はフランスにしか及ばなかったってわけだ。で?ドイツのテンプル騎士団領はその後どうなったんです?」

「当時のドイツは明確にドイツと言う国があったわけではなく大小様々な領主勢力の集合体だったんですよ。ドイツ王とはいわば地方自治体の首長によって代表が選ばれるという状態だったためとてもフランス王と拮抗する力はなかった。そのためベルリン郊外のテンペルホーフの支配は聖ヨハネ騎士団に取って替わられることになった…だが…」

阿部は加持の横顔を見る。

「聖ヨハネ騎士団はテンペルホーフの教会の下に安置されていた丸石の存在に最後まで気が付かなかった。やがてドイツにはドイツ騎士団勢力が台頭してそれに反発する土着のゲルマン人勢力やポーランド王の勢力との間で激しい抗争が繰り広げられるようになり、14世紀半ばにはドイツ騎士団もポーランド王の傘下についに入ることになった。15世紀にはホーエンツォレルン家が台頭してその傍流がバルト海沿岸にプロイセン公国を成立させてプロイセン王国の礎を築いて行く(初代プロイセン公アルブレヒトは1525年にドイツ騎士団を廃して公国を建国する)。このプロイセン王が都を現在のベルリンに遷してテンプルホーフもその時にプロイセン王に属する事になったんですよ」

「何やら遠大な話ですね。テンプルホーフ一つでこんなに話が広がるなんて」

「このホーエンツォレルン家はドイツ中南部の有力な貴族勢力だったんですが、この南部地方の小領主としてツェッペリン伯爵領があった。ツェッペリン家は神聖ローマ帝国皇帝にドイツ王が就いた当時から続く旧家で巧みに権謀術数を尽くして家名を存続させてきたんです」

「ツェッペリン…ようやく加持さんが追っているものが出てきましたね。そのために俺たちは遥々日本からここにやって来た様なもんですからね。そしてこの一週間…危ない目に遭いながらもようやくここまで来たんだ…そうか…ツェッペリン家がテンプルホーフと絡むって事か…」

阿部の言葉に加持は曖昧に微笑んだ。

だから…ハンブルク…ゲッチンゲン…ポツダムから…再びテンプルホーフ(ベルリン)に向かうってわけか…

阿部はしきりに独り言の様にブツブツと呟き始めていた。旧型のメルセデスはアウトバーンを下りてテンプルホーフの郊外に走って行く。西の彼方に太陽は沈みかけていた。

「ツェッペリン家はドイツ皇帝の十字軍にも積極的に援助をしていた縁もあって騎士団勢力とも親交があるだけではなくホーエンツォレルン家とも深い中にあった。それが転機になりプロイセン王国の成立と共にベルリンに入城してテンペルホーフの代官を代々務める事になったんですよ」

「そういう訳か…加持さんがテンプルホーフを目指す理由は…しかし、一つ気になることがあるんですがね」

加持は阿部の沈んだ声を聞いて視線を向けた。阿部は顎に手を当て深い皺を額に寄せていた。

「テンプルホールだけに注目してみると…なんか…最初に入植してきたテンプル騎士団の一部は別にしてフランスとドイツの勢力が代わる代わる現れる様な…」

「ふふふ慧眼ですね。その通りですよ。やがて18世紀の市民革命の時代に入るとベルリンはダランダルメ(大陸軍)を率いるナポレオン1世貴下のニコラ・ダヴー(元帥。アウエルシュタット公)に奪われ、当時のツェッペリン家当主のワルター・フォン・ツェッペリンはテンペルホーフを追われて戦争論で有名なクラウゼウィッツと共にロシアに亡命するんです」

「ナポレオン!?一体何処まで話は続くんですか?こんなことだったらもっと勉強しときゃ良かったな…」

「年代記によるとワルター・フォン・ツェッペリンには色々逸話があって実は女性だったという疑惑もあって…まあ謎に包まれた人物なんですが…ともかく彼は解放戦争(ワーテルローの戦い)で敵弾に倒れるまでフォン・ブリュヒャー元帥と共にナポレオンと徹底的に戦い続けるんです。そしてテンプルホーフを再びドイツに取り戻して宿願を果たした…さて…着いたみたいですね…」

「え?着いた?」

阿部が驚いて窓の外を見るとほとんど薄暗くなった人影もない寒々とした荒野が眼前に広がっていた。小さい教会とその周囲がどうやら墓地になっている寂しい場所だった。教会の屋根の頂にある十字架は特長的な形をしていた。

「あの十字架は…」

「プロイセン王国の国章でもある鉄十字ですよ」

凍て付いた石畳を踏むとシャーベットの様な音が聞こえて来る。

「加持さん…テンペルホールには一体…一体何があるんです?」

加持は勝手が分かっている様に人気のない郊外の小さな教会の門をくぐる。鉄門はすっかり赤錆びてそのまま凍り付いていた。粗末なレンガ作りの教会は痛みが激しい。教会の片隅には大きな菩提樹が葉をつけることなく立っている。そこから無数の墓標が整然と並んでいるのが見えた。

「ナポレオン戦争以後もベルリンを巡る戦いは続いた…ナポレオン三世とビスマルクとの普仏戦争…二つの世界大戦…そして冷戦で分断され…現在に至る…時の為政者が一貫して争い続け…そして結局誰の手にも落ちなかったドイツの至宝…クムランの洞穴を出て今日まで優に1000年の月日が流れても…」

加持と阿部は墓標の列を通る。やがて加持の足が一つの小さな十字架の前で止まった。雪をゆっくりと加持が払う。阿部は加持の隣から覗き込んだ。

「エリザベート=アスカ…フォン…ツェッペ…ツェッペリン!!まさかこれ…」

加持は黙って十字架を見下ろしていた。

「2000年12月4日生まれで…没年が2008年12月24日…まだ8歳の子供じゃないですか…加持さん、この墓の主が一体どう今までの話と…」

その時だった。


ダーン! ダーン! ダーン!


立て続けに銃声が響いた。その音に驚いて教会の軒下に止まっていたカラスが一斉に飛び去って行く。

「うわ!あ、あぶない!」

阿部の隣に立っていた加持ががっくりと膝を落とす。

「か、加持さん!ちょ、ちょっと!うそだろ!おい!しっかりしてくれよ!こんなところで…」

阿部は加持の体を慌てて抱き起こす。

「おい!加持さん!しっかり!しっかりしてくれ!まだ駄目だ!あんた!まだ駄目だよ!おい!」
阿部は必死になって加持の頬を激しく叩く。

「ア…アス…かつら…ぎ…」

「加持さーん!!おい!!しっかりしろよ!!」

レンガ作りの壁の向こう側から車の走り去る音が聞こえて来た。誰もいない凍て付く墓地の真ん中で阿部の悲痛な叫び声だけが響いていた。
 




2015年12月3日 PM06:00 晴れ ジオフロント 気温16.5℃

医療部の精密検査から帰ってきたアスカはいつもの様に部屋の出窓から地底湖を眺めていた。ドアの外で物音がする。ロックが外される音が聞こえて来た。

誰だろう…

アスカが部屋のドアに目を向けるとそこにはリツコが立っていた。その後ろには諜報課員が見えた。

「アスカ…今まで辛かったわね…今日…釈放の許可が正式に下りたわ…」

「え?今日…」

「ええ…もう帰っていいわよ…荷物はまた明日にでもあなたの家に届けさせるわ…」

アスカは始め驚いたような顔をしていたが早く部屋から出ろと言わんばかりの空気を察知しておずおずとで窓から下りるとそのままベッドの近くに転がしていたミュールを履く。

そして黙ったまま部屋の出口に向かって歩いて行った。

「アスカ…」

「な、何?リツコ」

リツコはアスカと目を合わせようとしなかった。

何かある…

アスカは咄嗟に思った。しかし、それが何を意味しているのか皆目見当がつかなかった。リツコの目元はひどく落ち窪んで見えた。

「明日は貴方の誕生日ね…」

「そ、そうか…アタシ…忘れてた…」

「おめでとう…」

「あ、ありがとう…あの・・・リツコ…」

「何?」

アスカはリツコの顔をまともに正視できなかった。

アタシ…何を聞けばいいんだろう…

「ううん…なんでもない…」

諜報課員に促されてアスカはそのままエレベーターホールに向かって歩いていった。

「So…Long…アスカ…貴女の愛したゾルゲ(スパイ)はもういないのよ…」

リツコは口を押さえるとその場にしゃがみ込んで一人暗い部屋で嗚咽を漏らし始めた。

「ごめんなさい…ごめ…」


Ep#08_(29) 完 / つづく
 

(改定履歴)
28th Sept, 2009 / 誤字・表現修正
29th Sept, 2009 / 誤字・改行修正
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