新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第28部 Cry, Cry and Cry / 雪…晴れて
(あらすじ)
アスカが目を覚ますと…そこは…
(あらすじ)
アスカが目を覚ますと…そこは…
Transcendental Etude No. 4 in D minor, "Mazeppa"
(本文)
フェルディナント・マッケンゼン中佐の部屋には重苦しい空気が立ち込めていた。
ドイツ人にしてはやや小柄だががっしりした体躯のマッケンゼン中佐は机に肘を突いて正面で両手を組んで自分の目の前に立っている訓練大隊所属の葛城中隊の長、葛城ミサトに鋭い視線を送っていた。
「今回の貴下の訓練中隊における事故は我が大隊始まって以来の大惨事となり実に残念だ…」
「誠に申し訳ございません、中佐…お詫びする言葉もございません」
マッケンゼンは大きなため息を一つつくと目の前にある分厚い事故報告書を手に取った。言葉とは裏腹に所作の一つ一つは落ち着き払っていた。
「貴校の報告書は読んだ…ローゼングレン大将以下の演習に参加した国連軍側の証言内容も貴校の報告内容とほとんど同じだった。特務機関ネルフ第三支部が用意した人型決戦兵器のプロトタイプ(デク)5体を今般の軍事演習に参加させる事になっていた。そして無人の遠隔操作で制御するため完全破壊する事がハイツィンガー支部長より貴校に事前に指示があったとの事だが…実際は4体の有人操作と1体の無人操作で、3人の候補生が死亡、1名の所属不明者の行方が知れず、という事が事故後の調査で明らかになったと…その理解で間違いはないな?大尉」
「はい、間違いございません。小官の中隊に所属していたシュタイン、クルツリンガー、並びにゲルハルト各候補生が機体損傷時の神経回路経由のショックでいずれもエントリープラグ内で死亡し、残り一名は先日捜索を打ち切りましたが以前行方不明…恐らく機体の爆発により遺体は消滅したものと推測されます」
「問題は無人の遠隔操作の筈がどうして有人操作に挿げ替わったか、ということだが…保安課(憲兵組織の一種)の報告書によるとクラウス・コール候補生が証言しているが、シュタイン候補生らが演習に密かに参加してラングレー候補生を襲い、自分達の弐号機正規パイロットの序列を有利にすることを画図し、実行に及んだそうだ」
「まさか…そんな…」
「更に…シュタイン候補生が計画への参加を呼びかけるに当たって支部長、つまりネルフの第三支部長を指しての事だろうが…その許しを得ているという趣旨の発言をしたそうだ。ネルフの支部長が一介の候補生と面会する事は少なくともあり得ない、と秘書を通してコメントがあったらしい。まあ…国連軍の職務権限規定から言ってもネルフ作戦部所属でもある貴校の許可も無く、ネルフ支部長への直談判に及ぶとも考え難いが…あくまでコール候補生の証言でしかないが保安課の報告書ではそうなっている。もっとも…これに関してネルフ側から何も公式回答も得られていないがな…」
マッケンゼンは手に持っていた報告書をゆっくり机の上に戻すと再びミサトに視線を戻す。国連軍の制服に身を包んだ女性士官の顔は度重なる心労のためか酷く落ち窪んでいる様に見えた。
あのぬらりひょんめ…常日頃からチルドレンをゴミの様に見下して歯牙にもかけない態度が気に食わなかったが…トレーニングセンター竣工式にも支部長のくせに姿を見せないばかりか、目と鼻の先にも拘らず一度たりともこちら側に足を踏み入れた事もない…アスカに対抗心を燃やす他の候補生達を巧妙に自分の陰謀に引き込んだに違いない…本部のチルドレン第二次選抜に元々難色を示していたあいつのことだ…アスカ共々この演習で同士討ちにでもなれば勿怪の幸いとでも思っていたんだろう…どこまで腐ってやがんだ…
ミサトは演習からベルリンに帰着して以来、満足に食事も喉を通らず不眠にも悩まされていた。そのため強い酒の力を借りてベッドに付くという生活を繰り返していた。
萎えていたミサトの闘志はメラメラと燃え上がり始める。
「とにかく…事故原因が特務機関ネルフ内における連絡不徹底とされている以上、私としても、またドイツ駐留軍軍団長であるマンシュタイン閣下も特務機関特権に基いてこれ以上の事故原因の追求をする訳には行かない。だが、国連軍の所属でもある貴校の監督責任自体を不問に付する事も出来ない。応分の対処をせねばならんというのが統帥本部を含めて一致するところだ」
「はい。それは小官の望むところでもあります。信賞必罰の原則を貫かねば特に次代の国連軍を支える人材育成を旨とする我が訓練大隊の存在意義に関わります。どうか厳正に対処願います。但し、ラングレー及びコール候補生に関してはどうか実の立つようなご配慮を何卒…」
「全く…実に君らしい答えだな。では処分を言い渡す」
「は!」
今に見ていろ…ぬらりひょん…若い命を奪った償いは必ずさせてやる…今は前に進むんだ…泣いている時ではない…そのためにまずけじめは付けなければ…
「国連軍統帥本部は今般事故に関して軍事法廷開廷の要無しとの決定を下した。但し、本日付で貴校の人型決戦兵器パイロット教育中隊隊長の解任と貴下中隊の解散を命令する。それから貴校、ラングレー候補生及びコール候補生の身柄は特殊機甲軍団(ゴールデンイーグル)の第一特殊機甲師団ミュンヒハウゼン中将指揮下の新設第17大隊に預けることにする。まあ…左遷だな…」
「ミ…ミュンヒハウゼン中将の…中佐!それでは全く処分になら…」
マッケンゼンは思わず身を乗り出そうとするミサトを手で制すると更に続けた。
「葛城中隊所属者は全員、6月末までにこのトレーニングセンターを退去し、速やかに我が訓練大隊に駐在場所等を引き渡す様に。貴校も志半ばで異動させられて至極残念だろうが、今回の事故にめげずに新天地での勇躍を期待する。貴校らの武運長久を祈る。話は以上だ。大尉」
マッケンゼンはニヤッと僅かに白い歯を見せた。ネルフに対する意趣返しなのは明らかだった。
「ありがとうございます…中佐」
同日、ミサトは少佐に進級した。ついに2人だけとなった候補生は満15歳のクラウス・コールが少尉に、そしてアスカが准尉(満15歳に満たないため士官候補生滞留扱い)に7月1日付けで正式に任官されることが内定し、予定通り2014年6月末日をもってチルドレン第2次選抜プログラムも終了する事が宣言された。
一方、事件の前後で特務機関ネルフにおける人事に変更が加えられる事は一切無かった。三つの若い尊い命を失ったミサトは訓練中隊最後の仕事として遺族に中隊長名で事故の通知書を送った。表向きは名誉ある事故死として殉職扱いになり、ベルリン郊外にある「戦士の丘」と呼ばれる国立墓地に埋葬されることになった。
そして2013型エントリープラグの5号機に乗り込んだ少年の行方は結局判然とせず、誰が何の目的で乗り込んだかも不明のまま国連軍内の事故調査委員会は解散した。
トレーニングセンターのミサトの部屋をティナ・ピーターセン少尉とルッツ・ウェルツェンバッハ少尉が訪ねて来た。ティナとルッツは二人とも深刻そうな表情を浮かべている。
あと1ヶ月で解散になる葛城訓練中隊に所属していた士官はそれぞれ特務機関ネルフ第三支部付の士官に転籍(国連軍軍人の資格を喪失)する事が内定していた。
オットー・シュナイダー技術少尉は技術教官として葛城訓練中隊に所属していたが、元々ネルフの技官であった彼は退院と共にネルフ技術士官に専任する予定になっていた。
「二人のその様子だと…どうやらいいニュースではなさそうだな?フロイラインのことか?」
「はい」
ティナが答える。アスカはN-30での軍事演習の後、ベルリン市内のネルフ付属病院に搬送された。そしてそのまま入院することになり早くも1ヶ月が経過しようとしていた。
「フロイラインの怪我はほぼ完治して主治医も問題ないと言っていますが…やはり今回のことが精神的に相当ショックだったらしく病室に閉じ篭ったまま誰にも会おうとしません…」
ティナは色白の端正な顔に深い眉間の皺を作っていた。ミサトは荷造りの手を休ませることなく次々とファイルキャビネットの中の書類を無造作にダンボールの中に放り込んでいた。ミサトがファイルの書類に目を通しながら口を開いた。
「そうか…ティナ、あんたでも駄目だったか…日頃のあんた達の友誼を考えればあるいはと期待していたんだが…」
「申し訳ありません…Major(陸軍少佐)…」
ティナは大手を振ってアスカを病院で見舞えないミサトの立場が分かるだけに申し訳なさそうに目を伏せた。
「バカだね、少尉。あんたが謝っても仕方がない…ところでクラウスの先日のシンクロテストの結果はどうだった?」
「はい。シンクロ率48.3%でした」
ルッツが淀みなく答える。
「そうか…事情はどうあれ1ヶ月も間を空けるとアスカのシンクロ率の公式記録がネルフに残らなくなる。6月までに最低でもクラウスを越えなければ条件未達でセカンドチルドレンに任用されない。ようやく軍籍を得たものの15歳未満だからな…国連軍もアスカの存在を公にすることが出来ない…一難去ってまた一難か…参ったな…」
ミサトは荒々しくファイルを閉じるとダンボールに向かって投げ入れた。ドイツ人には暑苦しく感じるほどミサトの部屋は暖房が効いていた。
「少佐…やはり今回の合同演習の事故に関しては納得が行きません…このままではフロイラインがあまりにも…」
「ティナ、言いたい事はあたしも分かるが残念ながらこのケースはもう終わったんだ…マンシュタイン軍団長(ドイツ駐留軍)も統帥本部も不介入を正式決定した。特務機関特権がある以上、国連軍の筋からはどうにもならない。まあネルフの監督組織である(人類補完)委員会に働きかけて特別監査部から監査官を派遣(内部監査)してもらうという内部手続きもあるにはあるが…」
特別監査部のトップ自ら陰謀に加担しているんだ…殺してやりたいくらい忌々しいがネルフの人間であるあたしが使徒も倒さない内から正面切ってあのぬらりひょんと戦う訳には行かない…ローゼングレン大将も表敬訪問の呈を装いつつもあの時は半分くらいはあたしに共闘を持ちかけようとしていた節が見受けられた…咄嗟にあたしが特務機関内部のIssueだと言ったせいでぬらりひょんの告発の件を引っ込めたに違いない…
あの時はアタシもそこまで深く考えていたわけじゃない…せめてアスカの軍籍が得られれば位に思っていただけだ…アスカだけじゃなくてあたしまで軍籍をゴールデンイーグルに異動させる必要はないと思うけど…誰が敵で誰が味方なのか…ネルフに関わっている人間は慎重にならざるを得ない…何処で足元をすくわれるか分かったもんじゃない…くそ!すっきりしないわね!
ミサトのアスカに接する態度は時間と共に親密さを増していた。
過酷な時間を重ねれば重ねるほど、そして天涯孤独な者同士の似たような境遇がミサトの心を事あるごとに揺さぶった。しかし、それは一方でが公人としての立場と個人のそれを厳格に考えることを旨としていたミサトにデジタルには割り切れない複雑な心境を植え付けるばかりだった。
この頃のミサトは以前にも増して酒量が増加の一途を辿っていた。
委員会の政治パフォーマンスにも飽き飽きだが…学者の無駄遣いが巡り巡ってこっちに皺寄せが来るのもムカつく…だが、割り切るしかない…地獄を終わらせるためとあたしも割り切ってネルフに飛び込んだ筈だ…
ミサトは空になったファイルキャビネットの引き出しを荒々しく閉めた。室内に乾いた音が響く。
「結局…どう騒いだところで何にもならない事が世の中にはある…その不文律を思い知らされるだけだ…それに…二人とももう国連軍の人間ではなくなるんだから…その辺のことをよく考えることね…ネルフは半端じゃないわよ…用件は以上か?」
「…はい…」
ティナとルッツは敬礼するとミサトの部屋を後にした。
一人残されたミサトは窓の外から雪の上がった空に目を向けた。分厚い雪雲がベルリンの上空に立ち込めていたが雲間から僅かに光が差し込んでいた。
所詮、あたし達は使徒殲滅の手駒に過ぎない…替わりは幾らでもいる…使われそして使う…それが全て…その堂々巡りの中で如何に己の志を貫徹するか…そんな強かさもまた「力」なんだ…あたしはあの子にそれも伝えた心算だ…あたしも復讐を誓ってここにいる…地獄の底から自分の力で這い上がるんだ…それが運命を切り拓くという事なんだ…這い上がって来い…アスカ…あたしと共に終わらせるんだ…この地獄を…ついて来るんだ…
「獅子の子の様に…ね…あんた以外にそれが出来るヤツはいないわ…」
ミサトは再び荷造りを始めた。
アスカは誰もいない病室のベッドの上で一人、膝を抱えて座っていた。
演習で受けた傷はすっかり癒えていたがまるで抜け殻の様に無気力な日々を過ごしていた。ネルフ付属病院には一般の外来患者が来ることはなく、ネルフ関係者以外の人間がここに来る事はなかった。
木製のドアを軽くノックする音が聞こえて来た。
アスカは全く反応しない。病室を訪れる人間はこれまでにも何人もいた。しつこくノックする者もいれば二、三回ノックして諦める者もいた。共通しているのは誰も扉を開けない事だった。唯一の例外は定期健診に訪れる50半ばの男性医師と中年の女性看護師くらいだった。
ゆっくりとノブを回す音が聞こえる。アスカが興味なさそうに入り口に眼を向けるとそこには加持リョウジが立っていた。
「か…加持さん…」
アスカは目を大きく見開いた。加持はアスカと目が合うと右手を左胸に当てて優しく微笑んだ。
「やあ…Mein Prinzessin(お姫様)…遅くなって悪かったな…君がトレーニングセンターにいると思って葛城のヤツに面会を申し込んだらここに入院しているって聞いてね。こうして飛んで来たってわけさ」
「加持さん…加持さん…」
アスカはまるで夢遊病者の様に加持に向かって手を伸ばす。加持はその手を握るとベッドの淵に腰掛けた。それと同時にアスカは加持に抱きついた。
「おっとっと!済まなかった…もう少し早来るくべきだった…久し振りに日本に帰っていてね…」
「加持さん…アタシ…加持さん…」
「もう大丈夫だ…悪夢は終わったんだ…何も怖がる事はないよ…」
激しく加持の膝の上で身体を震わせるアスカの両肩をそっと加持は抱き締めた。簡単に壊れてしまいそうなほど華奢な小さな身体だった。
「君は何も間違ったことはしていない…だから…もう忘れるんだ…嫌な事は全て忘れるんだ…」
「アタシは…人を殺してしまった…」
「分かっている…恐ろしい偶然が重なっただけなんだ…君のせいじゃない…あれは事故だったんだ…」
「違う!まだ残ってるのよ!か、感触が…生ぬるい…き、気持ち悪い…何回も…何回も…手を洗ったのに…まだ残ってる!」
アスカは加持の胸に顔を埋めると加持の身体をまるで鷲掴みにするかの様な勢いだった。白いコットンシャツを着ただけの加持の身体に少女の詰めが食い込んでいた。
「大丈夫だ…君は君だ…何も変わらない…」
加持は顔色一つ変えず静かに少女の身体を支えていた。
「アタシ…」
汚れた…汚れてしまった…自分で…自分の手で…アタシ自ら選んだ…
「ううう!うう!」
加持の胸で唸り声の様なくぐもった声が響く。
もうダメなんだ…何もかも…壊れてしまった…アタシは汚れた…もう誰にも…誰にも…アタシは一人…一人なんだ…
「か…加持さん…加持さん…一人にしないで…アタシを一人に…」
「大丈夫…君は一人じゃない…」
「加持さん…アタシ…もう死にたい…生きるのが辛い…」
加持は自分にむしゃぶりつくように抱きついてくる少女の頭をそっと撫でた。赤いヘッドセットが小刻みに震えている。
無理もない…葛城の話によると反目しあっていたとはいえ共に4年近くも一緒に学んできた仲だ…他人というには近すぎるし…知り合いというのもしっくりこない…子供同士で殺しあうなんて想像するだけでおぞましい…ゲオルグ・ハイツィンガー…なんて非道な男なんだ…やはりただの政治ショーというには裏がありすぎる…
「加持さん…加持さん…」
「俺はここにいるから…安心して…」
いずれにしてもPTSDと診断されれば強制精神治療の対象にされかねない…だが、幸か不幸か…この子はいつも全てを自分の中に封じ込めていく…この精神的な衝動がこの場合は幸いするかもしれない…恐らく…生命の自己防衛反応が過去のトラウマを記憶と共に封印しているんだろう…だとすれば…この子の記憶も戻るかもしれない…
アスカは幼く加持の名前を何度も呼んでいた。
だがそのぎこちなさに紛れて時折見せる仕草に少女とは異質なものが見え隠れすることに加持は敏感に気が付いていた。
参ったな…そういう自傷行為もパターンとして確かにあるからな…否定的な態度を取れば全否定されたととられかねない…難しいところだ…だが…未成年者とどうこうという話し以前に傷つくのは結局この子だ…
加持はアスカの両肩を強く掴むと顔に笑みを作りながら慎重に少女の身体を自分から離し始めた。
「加持さん…アタシのこと…汚いって思ってるんでしょ?」
おいでなすった…
「汚いなんて思うはずがないじゃないか…君は俺の大切なお姫様さ…」
「うそ…アタシのことが嫌いなんでしょ…」
自分にダメージを受けた人間はしばしばそれ以上のダメージを与えて過去の傷を癒そうとする…しかし…傷はいえないばかりか…時間の経過と共に自分に与える傷も大きくなっていくことになる…
「嫌いなわけないだろ…今…君は自分を見失っているのさ…」
「自分を?」
アスカは疑うような視線を加持に送る。加持は感情を億尾にも出すことなくただひたすら優しく微笑んだ。
「そうさ…確かに運命は時に残酷だ…だが…人は生きている限り…いつか必ず傷つく…どんなに自分を覆い隠したとしてもね…生きている限り傷つくんだ…それを恐れていては何も得られない…」
呪文の様に囁く加持の言葉にアスカは視線を徐々に落とす。
「運命に従うことも…また抗うことも…間違いではないし正解でもない…だが確実に言える事はそのどちらも選択しないというのは大きな過ちだということだよ…人生、人の運命とは選択の積み重ね…そうやって人は死の意味を知る…死を知るからこそ…人は…自分の価値を認識する事になるんだ…死から目を背けてはいけない…だから君は生きるべきなんだ…とことん生きて生きて…生き抜くんだ…何があってもね…」
そうやってうまい事言って加持さんはアタシから逃げていく…
「ねえ、加持さん…」
「なんだい?」
「生と死は…」
「え?生と死?」
「生と死は…同じなの…?」
「違うな…人には生から死しか見えないものだ…死から生を見出す事は出来ない…なぜなら人は完全なる者ではないからね…輪廻転生の概念が東洋にはあるがそれは生命の完全なる姿…神々しい存在に対する潜在的憧れに根ざす思想だよ…完璧な生命…自己完結可能な完全なる者にとって…死は生であり…生は死でもある…それはもはやヒトとは言えない存在だな…憂いも迷いもないが…未来もない…凡そ…神とは完璧な生命であり…未来を持つものの事を言うんだ…それは西洋で言うところの生命の樹と知恵の実の両方を手に入れたものの事さ…単に生と死が等価値ならそれはヒトではなく、まして神ではない…生命のもう一つの可能性、といったところかな…」
「だとしたら…アタシはそのもう一つの可能性に出会ったの…ズィーベンステルネで初めて会った時から不思議な子だった…」
「ズィーベンステルネ…そうか…」
一瞬、加持の表情が動いた。
やはりその名を知っていたか…
「ゲッティンゲンからここ(ベルリン)に来てからずっと考えていた…アタシ達は…多分…パンコー区にいたと思う…そこでアタシ達は知り合ったの…そして…アタシは彼を殺した…」
「もう…いいんだ…もう十分だよ…」
パンコー区…なるほど…それでようやく話は繋がった…ナチスの旧精神科学研究所があったと疑われていた場所だ…精神病患者の収容所だと連合軍側に主張して監査も受け入れて歴史の表舞台からまるで煙の様に全てが闇に消えていった謎の組織…人型決戦兵器に並々ならない興味を持っていたアメリカだが結局、東西冷戦のどさくさで沙汰止みになってしまった…その意味では日本の731部隊と双璧をなす戦後史最大のタブーの一つに違いない…
731部隊を単なる非人道行為として断罪するのは誤りだ…日本に進駐したアメリカがなぜ血眼になって捜索しなければならなかったのか…そしてなぜ強固に連合軍による日本の分割統治を回避しなければならなかったのか…アメリカの狙いは首尾一貫して「Eva(人型決戦兵器)」の獲得にある…それは現在でもそうだ…とびに油揚げをさらわれたような格好になっているが底意には特務機関ネルフ…いや…見事に世界の列強を煙に巻いた碇ゲンドウに対する屈辱がある…強かにネルフを潰す機会を伺ってもいる…そんな連中がSeeleと直ちに手を組むとも思えん…この微妙な力関係の間で今の君は生きるしかない…惣流・アスカ・ラングレーとしてな…だが…本当の君は…
「テンペルホーフ…今度…一緒に行ってみないか?」
「え?テンペルホーフに?どうしてそんなところに…」
「一寸したデートさ…何かの気晴らしになるならって思ってね…」
「うん…行く…加持さんが言うところなら何処でも行く…」
「いい子だ…」
「今からでも…アタシは構わない…加持さんが行くところなら何処だって…」
「ははは。そんなに急ぐことはない…お楽しみはゆっくりと取っておくものさ…今は…ゆっくり眠ることだ…」
「でも…」
アタシが目を閉じれば…その隙に貴方はいなくなってしまうもの…
「大丈夫…君が眠るまでここにいる…安心してお休み…」
「うん…」
やがてアスカは生ぬるい病室でまどろんでいった。加持は静かな寝息を立て始めた少女の横顔をじっと見詰めていた。
静かな世界がそこにあった…
真っ暗な空間に雪が静かに降っている…雪が僅かに光っているのかしら?明りなんて何もない筈なのに…しかも寒くない…
アタシは眠った…加持さんに言われるままに…眠いわけでもなかったけど加持さんが言うから…
でも分かっていた…目を覚ませばアタシはまた一人になるって…ウソでもいい…嫌いでもいいからアタシの事を見て欲しかった…ずっと…何とも思っていなくてもいいからアタシに触れて欲しかった…
目を覚ませば自分が一人になる…そして…また傷つく…そうやってみんなアタシを一人にしていく…どうせ傷つくならこのまま目が覚めない方がいい…
汚れたアタシなんて…このまま消えてしまえばいい…
エリザ…
誰?アタシを呼んでいるのは…もうアタシ…疲れた…何もかも嫌になった…このままここでじっとしているわ…どうせ誰も見てくれないもの…アタシのこの世界をもう壊さないで…
エリザ…
イヤ…アタシの中に入ってこないで…これ以上…アタシを傷つけないでよ…誰にも会いたくない…
君の過ちは…
過ち…?アタシが間違ってるの…?適当な事を言わないでよ!
シンジ君と君とでは同じ心の壁でも随分違うんだね…
シ…ンジ…
やはり君のそれは生命の継承者のそれだね…
生命の…アンタはいつもそう!そうやってアタシを煙に巻いてきた!アタシはアンタに口で勝てた事が無い!いつも言い負かされる…でも…納得は出来なかったわ…
シンジ君の心の壁は実に繊細で…限りある命を繋ぎ止めるために…不安定なバランスを保つために敢えてそれを必要にした…でも…君は常に…心の壁で内向きに自分を押し込め続ける…他人を求めるくせにそうやって自分は一人になろうとする…
うるさい!!アンタにアタシの何が分かるって言うのよ!!
シンジ君は運命を否定も肯定もしなかった…それを過ちと言うならば…君は…自分という存在を絶対的なものとするために他人を否定しようとしたがどこかで他人の存在を求めていた…自分の存在を認めてもらいたいからさ…結局君は他人を否定も肯定もしなかった…
余計なお世話よ!!アタシに文句を言う資格がアンタにある訳?いい加減にしてよ!!
君はここが何処なのか知ってるのかい?
こ、ここは…
ここは生と死の間の世界…時空を隔てて魂が行き交う世界…自分に干渉できる唯一の場さ…
生と…死の…間の世界…?
そう…エリザ…僕は君を迎えに来たのさ…君は今まで過去を旅していたんだ…夢を見る様にね…
ゆ、夢?!
そうさ…君は自分の過去をずっと旅していた…
う、うそだ!そんなの…ど、どうして…?
だんだん思い出して来る筈さ…君はG兵装の飛行試験をしていたんだ…どうやらネルフにはどこかの工作員が潜んでいるらしいね…G兵装の主翼がそのせいで破損して君は自分の判断で芦ノ湖に不時着することを試みたのさ…
G兵装…そうか…思い出してきた…アタシ…第三東京市に落ちるくらいならって思って…アタシの…何もないアタシにとって唯一の思い出…アタシの何もかもが失われる…ヒカリや…みんなも住んでいるし…それに…
それに…シンジ君のことを…もっと知りたいから…だろ…?君は何故自分がシンジ君の事を知らないのに彼が自分の事を知っているのか…そして…ロケットの中になぜ彼の写真があったのかを知りたかった…だから…君は咄嗟に…自分一人で生きるのではなく…他人を求めたんだ…生きるためにね…
アタシが…他人を必要とした…?まさか…
本当さ…だから僕は君を迎えに来たんだ…君はいつまでもこんな所にいるべきじゃない…さあ…エリザ…僕と一緒に帰ろう…
か、帰るって…ど、どこに?アタシは…アタシはどうなったの?
君は生きている…安心して戻ってくればいい…
で、でも…どうやって…
簡単さ…求めればいいんだ…他人の存在をね…何をそんなに恐れているんだい…?
アタシは…サイテーだもの…人を殺した…罪人…こんな汚れ女…誰が必要とするものか…アタシが・・・アタシだけが求めて誰にも求められないなんて…それこそバカみたいじゃない…
君は汚れてなんかいないさ…
うそ!下手な気休めはやめてよ!どうせどこかで笑ってる…バカにしてるに違いないわ…アンタ…今までのこと…見てたんでしょ?
見ていないといえば確かにウソになるね…
ははは!ならアンタも笑えば?アタシはどうしようもない女よ!ベルリンにいた時に唯一の支えだった加持さんからも結局相手にされなかった…アタシは幼く加持さんの後を付いて行くだけ…アタシの気持ちなんて誰も分かってくれなかった…
誰も君を拒んでいないさ…君が自分の殻に閉じ篭ろうとしているんだ…君は他人を分かろうとしたのかい?
余計なお世話よ!アタシはアンタを殺したのよ?アンタだってアタシが憎い筈よ!バカにしなさいよ!哀れな女だって!こんな汚れ女!わかる必要なんてないわよ!他人のことなんか!
君は僕を殺したんじゃない…僕はあの時…死ぬ事を望んだのさ…生命の継承者にとって運命に抗う事は許されざる罪…僕は殺されることを望んだんだ…だから…君は…
ごまかさないでよ!じゃあ!アンタは一体何だっていうのよ!
僕は…あの時…爆風に呑み込まれた…だが…死ねなかったんだ…何故かはわからない…君が自分を罪人というなら僕も罪人だ…
あ、アンタがどうして罪人なのよ!
生きたいと思ってしまったから…
い…生きる事が…生きようと思った事が罪だというの?
僕にとってはそうさ…だから無意識のうちに心の壁…ATフィールドが僕を包んだのかもしれない…生命の継承者たるものの心の壁は自分自身を完璧なものとして維持するために内から外向きに発せられるんだ…自分以外の他人を必要としないからさ…ヒトの心の壁は自分と他人の存在を隔てて自分を維持するという意味では同じだが外から内側に発せられるものなんだ…ヒトは他人の存在を必要とし、そして自己崩壊へ進む自分を繋ぎ止めないといけないからさ…だから…ヒト同士でATフィールドの中和は起こらないがEvaはATフィールドを中和する事が出来るんだ…ATフィールドの正と負の関係を利用してね…
それがATフィールドの意味…
そうさ…君も…シンジ君も…ある意味…僕も…リリスも…ね…運命を定められたそれぞれの子供たちは無意識のうちに…いつの間にか運命に抗っていた…運命と向かい合っていなかった…その結果…自分が傷ついていったし…そして…身近な人も傷つけていた…もう…同じことの繰り返しは止めにした方がいい…
アタシ…恥ずかしい…自分が…何もかもが嫌になる…
君は過去に拘りすぎていたのかもしれないね…ヒトは未来という希望を持つ存在だが自分の事は過去の積み重ねでしか理解できない…だから過去を求めた君を誰も責めたりはしないさ…それはヒトとしては当然の行為だからね…でも…君は過去を捨て去り…赴くままに今のまま生きていこうとも考えていた筈さ…それはシンジ君という存在に出会えたからさ…
シンジ…くん…
そう…君は自分の過去にこだわって今まで行き続けていたけど…シンジ君に出会ったことで初めて…今という瞬間が永遠であってほしいと願った…そして過去ではなく…未来に向かって運命を理解しようとしていたんだ…シンジ君を信じて…一緒に生きていきたいと思っていた…その気持ちに彼が気が付かなかったことに傷つき絶望した…そして…その記憶すら奪われてしまった…
アイン…どうして貴方はアタシに…そんな話を…
さあね…ただ君はいつまでもこんなところにいるべきじゃない…こんなところに閉じ篭っているべきじゃない…そう思うだけさ…だからエリザ…僕を信じて…そして一緒に帰ろう…みんなが君を待っている…
アイン…アタシ…帰ってもいいのかな…怖い…
大丈夫さ…君は一人じゃない…
「気が付いたかい?エリザ…」
「ア…イン…」
アインはにっこりと微笑んだ…開け放ったハッチから夏の日差しが照りつけていた…眩しい位に光に溢れて…遠くでセミが鳴いていた…
しゃっくりの様にアタシの喉は短く鳴っていた…もうこんなのにも慣れっこ…
アタシは泣かない女じゃなかった…本当はいつも泣いていた…ただ…アタシは涙が流せないだけだった…
アタシは強くない…弱い女の子だった…
アタシに価値はなかった…でも…必要としてくれる人が一人でもいるならアタシはそこにいてもいい…
そして…アタシはもう過去を捨てることにした…
今が永遠なら…それでいい…
「ヒック…ヒック…アイン…ごめんなさい…アタシ…やっぱり涙が出ない…」
アタシは自分の顔を両手で覆う…
これ以上…顔を見られたくなかった…いや…会わせる顔がない…という日本語そのままだった…勉強していたときは意味が分からなかったけど…こういうことを言うんだ…きっと…
アタシはどういう顔をすればいいのか…分からなかった…
「さあ…顔を上げて…立ち上がるんだ…長い夢だったね…」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ずっと…言えなかった…」
アインがアタシの手を握る…そしてアタシはゆっくりと引き起こされた…
アタシがエントリープラグのハッチから顔を出すと…アタシとアインが乗っているエントリープラグは初号機の両手の中だった…ネルフの高速艇がアタシ達を取り囲むようにして何隻も浮かんでいる…
エントリープラグの上にアタシ達は立つ…アインが微笑みながら言った…
「おかえり…アスカ…これから本当の君の運命が始まる…君は今…未来に向かって歩き始めたのさ…」
「アイン…」
アタシ達の目の前には初号機が立っていた…
アタシは今まで何を見ていたんだろう…こんなに初号機が大きくて頼もしかったのかしら…アタシは今まで弐号機しか見ていなかったんだ…
「初号機もまあまあね…カッコいいじゃん…」
アタシの隣でアインが笑い声を上げる…
アタシもそれに便乗して笑うことにした…そうだ…こんなときは笑えばいいんだ…だって…アタシは一人じゃないもの…アタシには仲間がいる…だから笑えばいい…
アタシは笑えたんだ…
シンジ…アンタも笑っているのかしら…プラグの中で…こんなアタシだけど…笑って迎えてくれるだろうか…
(改定履歴)
22nd Mar, 2010 / リンク切れの修正
2014年5月某日 ベルリン 曇り -9℃
フェルディナント・マッケンゼン中佐の部屋には重苦しい空気が立ち込めていた。
ドイツ人にしてはやや小柄だががっしりした体躯のマッケンゼン中佐は机に肘を突いて正面で両手を組んで自分の目の前に立っている訓練大隊所属の葛城中隊の長、葛城ミサトに鋭い視線を送っていた。
「今回の貴下の訓練中隊における事故は我が大隊始まって以来の大惨事となり実に残念だ…」
「誠に申し訳ございません、中佐…お詫びする言葉もございません」
マッケンゼンは大きなため息を一つつくと目の前にある分厚い事故報告書を手に取った。言葉とは裏腹に所作の一つ一つは落ち着き払っていた。
「貴校の報告書は読んだ…ローゼングレン大将以下の演習に参加した国連軍側の証言内容も貴校の報告内容とほとんど同じだった。特務機関ネルフ第三支部が用意した人型決戦兵器のプロトタイプ(デク)5体を今般の軍事演習に参加させる事になっていた。そして無人の遠隔操作で制御するため完全破壊する事がハイツィンガー支部長より貴校に事前に指示があったとの事だが…実際は4体の有人操作と1体の無人操作で、3人の候補生が死亡、1名の所属不明者の行方が知れず、という事が事故後の調査で明らかになったと…その理解で間違いはないな?大尉」
「はい、間違いございません。小官の中隊に所属していたシュタイン、クルツリンガー、並びにゲルハルト各候補生が機体損傷時の神経回路経由のショックでいずれもエントリープラグ内で死亡し、残り一名は先日捜索を打ち切りましたが以前行方不明…恐らく機体の爆発により遺体は消滅したものと推測されます」
「問題は無人の遠隔操作の筈がどうして有人操作に挿げ替わったか、ということだが…保安課(憲兵組織の一種)の報告書によるとクラウス・コール候補生が証言しているが、シュタイン候補生らが演習に密かに参加してラングレー候補生を襲い、自分達の弐号機正規パイロットの序列を有利にすることを画図し、実行に及んだそうだ」
「まさか…そんな…」
「更に…シュタイン候補生が計画への参加を呼びかけるに当たって支部長、つまりネルフの第三支部長を指しての事だろうが…その許しを得ているという趣旨の発言をしたそうだ。ネルフの支部長が一介の候補生と面会する事は少なくともあり得ない、と秘書を通してコメントがあったらしい。まあ…国連軍の職務権限規定から言ってもネルフ作戦部所属でもある貴校の許可も無く、ネルフ支部長への直談判に及ぶとも考え難いが…あくまでコール候補生の証言でしかないが保安課の報告書ではそうなっている。もっとも…これに関してネルフ側から何も公式回答も得られていないがな…」
マッケンゼンは手に持っていた報告書をゆっくり机の上に戻すと再びミサトに視線を戻す。国連軍の制服に身を包んだ女性士官の顔は度重なる心労のためか酷く落ち窪んでいる様に見えた。
あのぬらりひょんめ…常日頃からチルドレンをゴミの様に見下して歯牙にもかけない態度が気に食わなかったが…トレーニングセンター竣工式にも支部長のくせに姿を見せないばかりか、目と鼻の先にも拘らず一度たりともこちら側に足を踏み入れた事もない…アスカに対抗心を燃やす他の候補生達を巧妙に自分の陰謀に引き込んだに違いない…本部のチルドレン第二次選抜に元々難色を示していたあいつのことだ…アスカ共々この演習で同士討ちにでもなれば勿怪の幸いとでも思っていたんだろう…どこまで腐ってやがんだ…
ミサトは演習からベルリンに帰着して以来、満足に食事も喉を通らず不眠にも悩まされていた。そのため強い酒の力を借りてベッドに付くという生活を繰り返していた。
萎えていたミサトの闘志はメラメラと燃え上がり始める。
「とにかく…事故原因が特務機関ネルフ内における連絡不徹底とされている以上、私としても、またドイツ駐留軍軍団長であるマンシュタイン閣下も特務機関特権に基いてこれ以上の事故原因の追求をする訳には行かない。だが、国連軍の所属でもある貴校の監督責任自体を不問に付する事も出来ない。応分の対処をせねばならんというのが統帥本部を含めて一致するところだ」
「はい。それは小官の望むところでもあります。信賞必罰の原則を貫かねば特に次代の国連軍を支える人材育成を旨とする我が訓練大隊の存在意義に関わります。どうか厳正に対処願います。但し、ラングレー及びコール候補生に関してはどうか実の立つようなご配慮を何卒…」
「全く…実に君らしい答えだな。では処分を言い渡す」
「は!」
今に見ていろ…ぬらりひょん…若い命を奪った償いは必ずさせてやる…今は前に進むんだ…泣いている時ではない…そのためにまずけじめは付けなければ…
「国連軍統帥本部は今般事故に関して軍事法廷開廷の要無しとの決定を下した。但し、本日付で貴校の人型決戦兵器パイロット教育中隊隊長の解任と貴下中隊の解散を命令する。それから貴校、ラングレー候補生及びコール候補生の身柄は特殊機甲軍団(ゴールデンイーグル)の第一特殊機甲師団ミュンヒハウゼン中将指揮下の新設第17大隊に預けることにする。まあ…左遷だな…」
「ミ…ミュンヒハウゼン中将の…中佐!それでは全く処分になら…」
マッケンゼンは思わず身を乗り出そうとするミサトを手で制すると更に続けた。
「葛城中隊所属者は全員、6月末までにこのトレーニングセンターを退去し、速やかに我が訓練大隊に駐在場所等を引き渡す様に。貴校も志半ばで異動させられて至極残念だろうが、今回の事故にめげずに新天地での勇躍を期待する。貴校らの武運長久を祈る。話は以上だ。大尉」
マッケンゼンはニヤッと僅かに白い歯を見せた。ネルフに対する意趣返しなのは明らかだった。
「ありがとうございます…中佐」
同日、ミサトは少佐に進級した。ついに2人だけとなった候補生は満15歳のクラウス・コールが少尉に、そしてアスカが准尉(満15歳に満たないため士官候補生滞留扱い)に7月1日付けで正式に任官されることが内定し、予定通り2014年6月末日をもってチルドレン第2次選抜プログラムも終了する事が宣言された。
一方、事件の前後で特務機関ネルフにおける人事に変更が加えられる事は一切無かった。三つの若い尊い命を失ったミサトは訓練中隊最後の仕事として遺族に中隊長名で事故の通知書を送った。表向きは名誉ある事故死として殉職扱いになり、ベルリン郊外にある「戦士の丘」と呼ばれる国立墓地に埋葬されることになった。
そして2013型エントリープラグの5号機に乗り込んだ少年の行方は結局判然とせず、誰が何の目的で乗り込んだかも不明のまま国連軍内の事故調査委員会は解散した。
トレーニングセンターのミサトの部屋をティナ・ピーターセン少尉とルッツ・ウェルツェンバッハ少尉が訪ねて来た。ティナとルッツは二人とも深刻そうな表情を浮かべている。
あと1ヶ月で解散になる葛城訓練中隊に所属していた士官はそれぞれ特務機関ネルフ第三支部付の士官に転籍(国連軍軍人の資格を喪失)する事が内定していた。
オットー・シュナイダー技術少尉は技術教官として葛城訓練中隊に所属していたが、元々ネルフの技官であった彼は退院と共にネルフ技術士官に専任する予定になっていた。
「二人のその様子だと…どうやらいいニュースではなさそうだな?フロイラインのことか?」
「はい」
ティナが答える。アスカはN-30での軍事演習の後、ベルリン市内のネルフ付属病院に搬送された。そしてそのまま入院することになり早くも1ヶ月が経過しようとしていた。
「フロイラインの怪我はほぼ完治して主治医も問題ないと言っていますが…やはり今回のことが精神的に相当ショックだったらしく病室に閉じ篭ったまま誰にも会おうとしません…」
ティナは色白の端正な顔に深い眉間の皺を作っていた。ミサトは荷造りの手を休ませることなく次々とファイルキャビネットの中の書類を無造作にダンボールの中に放り込んでいた。ミサトがファイルの書類に目を通しながら口を開いた。
「そうか…ティナ、あんたでも駄目だったか…日頃のあんた達の友誼を考えればあるいはと期待していたんだが…」
「申し訳ありません…Major(陸軍少佐)…」
ティナは大手を振ってアスカを病院で見舞えないミサトの立場が分かるだけに申し訳なさそうに目を伏せた。
「バカだね、少尉。あんたが謝っても仕方がない…ところでクラウスの先日のシンクロテストの結果はどうだった?」
「はい。シンクロ率48.3%でした」
ルッツが淀みなく答える。
「そうか…事情はどうあれ1ヶ月も間を空けるとアスカのシンクロ率の公式記録がネルフに残らなくなる。6月までに最低でもクラウスを越えなければ条件未達でセカンドチルドレンに任用されない。ようやく軍籍を得たものの15歳未満だからな…国連軍もアスカの存在を公にすることが出来ない…一難去ってまた一難か…参ったな…」
ミサトは荒々しくファイルを閉じるとダンボールに向かって投げ入れた。ドイツ人には暑苦しく感じるほどミサトの部屋は暖房が効いていた。
「少佐…やはり今回の合同演習の事故に関しては納得が行きません…このままではフロイラインがあまりにも…」
「ティナ、言いたい事はあたしも分かるが残念ながらこのケースはもう終わったんだ…マンシュタイン軍団長(ドイツ駐留軍)も統帥本部も不介入を正式決定した。特務機関特権がある以上、国連軍の筋からはどうにもならない。まあネルフの監督組織である(人類補完)委員会に働きかけて特別監査部から監査官を派遣(内部監査)してもらうという内部手続きもあるにはあるが…」
特別監査部のトップ自ら陰謀に加担しているんだ…殺してやりたいくらい忌々しいがネルフの人間であるあたしが使徒も倒さない内から正面切ってあのぬらりひょんと戦う訳には行かない…ローゼングレン大将も表敬訪問の呈を装いつつもあの時は半分くらいはあたしに共闘を持ちかけようとしていた節が見受けられた…咄嗟にあたしが特務機関内部のIssueだと言ったせいでぬらりひょんの告発の件を引っ込めたに違いない…
あの時はアタシもそこまで深く考えていたわけじゃない…せめてアスカの軍籍が得られれば位に思っていただけだ…アスカだけじゃなくてあたしまで軍籍をゴールデンイーグルに異動させる必要はないと思うけど…誰が敵で誰が味方なのか…ネルフに関わっている人間は慎重にならざるを得ない…何処で足元をすくわれるか分かったもんじゃない…くそ!すっきりしないわね!
ミサトのアスカに接する態度は時間と共に親密さを増していた。
過酷な時間を重ねれば重ねるほど、そして天涯孤独な者同士の似たような境遇がミサトの心を事あるごとに揺さぶった。しかし、それは一方でが公人としての立場と個人のそれを厳格に考えることを旨としていたミサトにデジタルには割り切れない複雑な心境を植え付けるばかりだった。
この頃のミサトは以前にも増して酒量が増加の一途を辿っていた。
委員会の政治パフォーマンスにも飽き飽きだが…学者の無駄遣いが巡り巡ってこっちに皺寄せが来るのもムカつく…だが、割り切るしかない…地獄を終わらせるためとあたしも割り切ってネルフに飛び込んだ筈だ…
ミサトは空になったファイルキャビネットの引き出しを荒々しく閉めた。室内に乾いた音が響く。
「結局…どう騒いだところで何にもならない事が世の中にはある…その不文律を思い知らされるだけだ…それに…二人とももう国連軍の人間ではなくなるんだから…その辺のことをよく考えることね…ネルフは半端じゃないわよ…用件は以上か?」
「…はい…」
ティナとルッツは敬礼するとミサトの部屋を後にした。
一人残されたミサトは窓の外から雪の上がった空に目を向けた。分厚い雪雲がベルリンの上空に立ち込めていたが雲間から僅かに光が差し込んでいた。
所詮、あたし達は使徒殲滅の手駒に過ぎない…替わりは幾らでもいる…使われそして使う…それが全て…その堂々巡りの中で如何に己の志を貫徹するか…そんな強かさもまた「力」なんだ…あたしはあの子にそれも伝えた心算だ…あたしも復讐を誓ってここにいる…地獄の底から自分の力で這い上がるんだ…それが運命を切り拓くという事なんだ…這い上がって来い…アスカ…あたしと共に終わらせるんだ…この地獄を…ついて来るんだ…
「獅子の子の様に…ね…あんた以外にそれが出来るヤツはいないわ…」
ミサトは再び荷造りを始めた。
アスカは誰もいない病室のベッドの上で一人、膝を抱えて座っていた。
演習で受けた傷はすっかり癒えていたがまるで抜け殻の様に無気力な日々を過ごしていた。ネルフ付属病院には一般の外来患者が来ることはなく、ネルフ関係者以外の人間がここに来る事はなかった。
木製のドアを軽くノックする音が聞こえて来た。
アスカは全く反応しない。病室を訪れる人間はこれまでにも何人もいた。しつこくノックする者もいれば二、三回ノックして諦める者もいた。共通しているのは誰も扉を開けない事だった。唯一の例外は定期健診に訪れる50半ばの男性医師と中年の女性看護師くらいだった。
ゆっくりとノブを回す音が聞こえる。アスカが興味なさそうに入り口に眼を向けるとそこには加持リョウジが立っていた。
「か…加持さん…」
アスカは目を大きく見開いた。加持はアスカと目が合うと右手を左胸に当てて優しく微笑んだ。
「やあ…Mein Prinzessin(お姫様)…遅くなって悪かったな…君がトレーニングセンターにいると思って葛城のヤツに面会を申し込んだらここに入院しているって聞いてね。こうして飛んで来たってわけさ」
「加持さん…加持さん…」
アスカはまるで夢遊病者の様に加持に向かって手を伸ばす。加持はその手を握るとベッドの淵に腰掛けた。それと同時にアスカは加持に抱きついた。
「おっとっと!済まなかった…もう少し早来るくべきだった…久し振りに日本に帰っていてね…」
「加持さん…アタシ…加持さん…」
「もう大丈夫だ…悪夢は終わったんだ…何も怖がる事はないよ…」
激しく加持の膝の上で身体を震わせるアスカの両肩をそっと加持は抱き締めた。簡単に壊れてしまいそうなほど華奢な小さな身体だった。
「君は何も間違ったことはしていない…だから…もう忘れるんだ…嫌な事は全て忘れるんだ…」
「アタシは…人を殺してしまった…」
「分かっている…恐ろしい偶然が重なっただけなんだ…君のせいじゃない…あれは事故だったんだ…」
「違う!まだ残ってるのよ!か、感触が…生ぬるい…き、気持ち悪い…何回も…何回も…手を洗ったのに…まだ残ってる!」
アスカは加持の胸に顔を埋めると加持の身体をまるで鷲掴みにするかの様な勢いだった。白いコットンシャツを着ただけの加持の身体に少女の詰めが食い込んでいた。
「大丈夫だ…君は君だ…何も変わらない…」
加持は顔色一つ変えず静かに少女の身体を支えていた。
「アタシ…」
汚れた…汚れてしまった…自分で…自分の手で…アタシ自ら選んだ…
「ううう!うう!」
加持の胸で唸り声の様なくぐもった声が響く。
もうダメなんだ…何もかも…壊れてしまった…アタシは汚れた…もう誰にも…誰にも…アタシは一人…一人なんだ…
「か…加持さん…加持さん…一人にしないで…アタシを一人に…」
「大丈夫…君は一人じゃない…」
「加持さん…アタシ…もう死にたい…生きるのが辛い…」
加持は自分にむしゃぶりつくように抱きついてくる少女の頭をそっと撫でた。赤いヘッドセットが小刻みに震えている。
無理もない…葛城の話によると反目しあっていたとはいえ共に4年近くも一緒に学んできた仲だ…他人というには近すぎるし…知り合いというのもしっくりこない…子供同士で殺しあうなんて想像するだけでおぞましい…ゲオルグ・ハイツィンガー…なんて非道な男なんだ…やはりただの政治ショーというには裏がありすぎる…
「加持さん…加持さん…」
「俺はここにいるから…安心して…」
いずれにしてもPTSDと診断されれば強制精神治療の対象にされかねない…だが、幸か不幸か…この子はいつも全てを自分の中に封じ込めていく…この精神的な衝動がこの場合は幸いするかもしれない…恐らく…生命の自己防衛反応が過去のトラウマを記憶と共に封印しているんだろう…だとすれば…この子の記憶も戻るかもしれない…
アスカは幼く加持の名前を何度も呼んでいた。
だがそのぎこちなさに紛れて時折見せる仕草に少女とは異質なものが見え隠れすることに加持は敏感に気が付いていた。
参ったな…そういう自傷行為もパターンとして確かにあるからな…否定的な態度を取れば全否定されたととられかねない…難しいところだ…だが…未成年者とどうこうという話し以前に傷つくのは結局この子だ…
加持はアスカの両肩を強く掴むと顔に笑みを作りながら慎重に少女の身体を自分から離し始めた。
「加持さん…アタシのこと…汚いって思ってるんでしょ?」
おいでなすった…
「汚いなんて思うはずがないじゃないか…君は俺の大切なお姫様さ…」
「うそ…アタシのことが嫌いなんでしょ…」
自分にダメージを受けた人間はしばしばそれ以上のダメージを与えて過去の傷を癒そうとする…しかし…傷はいえないばかりか…時間の経過と共に自分に与える傷も大きくなっていくことになる…
「嫌いなわけないだろ…今…君は自分を見失っているのさ…」
「自分を?」
アスカは疑うような視線を加持に送る。加持は感情を億尾にも出すことなくただひたすら優しく微笑んだ。
「そうさ…確かに運命は時に残酷だ…だが…人は生きている限り…いつか必ず傷つく…どんなに自分を覆い隠したとしてもね…生きている限り傷つくんだ…それを恐れていては何も得られない…」
呪文の様に囁く加持の言葉にアスカは視線を徐々に落とす。
「運命に従うことも…また抗うことも…間違いではないし正解でもない…だが確実に言える事はそのどちらも選択しないというのは大きな過ちだということだよ…人生、人の運命とは選択の積み重ね…そうやって人は死の意味を知る…死を知るからこそ…人は…自分の価値を認識する事になるんだ…死から目を背けてはいけない…だから君は生きるべきなんだ…とことん生きて生きて…生き抜くんだ…何があってもね…」
そうやってうまい事言って加持さんはアタシから逃げていく…
「ねえ、加持さん…」
「なんだい?」
「生と死は…」
「え?生と死?」
「生と死は…同じなの…?」
「違うな…人には生から死しか見えないものだ…死から生を見出す事は出来ない…なぜなら人は完全なる者ではないからね…輪廻転生の概念が東洋にはあるがそれは生命の完全なる姿…神々しい存在に対する潜在的憧れに根ざす思想だよ…完璧な生命…自己完結可能な完全なる者にとって…死は生であり…生は死でもある…それはもはやヒトとは言えない存在だな…憂いも迷いもないが…未来もない…凡そ…神とは完璧な生命であり…未来を持つものの事を言うんだ…それは西洋で言うところの生命の樹と知恵の実の両方を手に入れたものの事さ…単に生と死が等価値ならそれはヒトではなく、まして神ではない…生命のもう一つの可能性、といったところかな…」
「だとしたら…アタシはそのもう一つの可能性に出会ったの…ズィーベンステルネで初めて会った時から不思議な子だった…」
「ズィーベンステルネ…そうか…」
一瞬、加持の表情が動いた。
やはりその名を知っていたか…
「ゲッティンゲンからここ(ベルリン)に来てからずっと考えていた…アタシ達は…多分…パンコー区にいたと思う…そこでアタシ達は知り合ったの…そして…アタシは彼を殺した…」
「もう…いいんだ…もう十分だよ…」
パンコー区…なるほど…それでようやく話は繋がった…ナチスの旧精神科学研究所があったと疑われていた場所だ…精神病患者の収容所だと連合軍側に主張して監査も受け入れて歴史の表舞台からまるで煙の様に全てが闇に消えていった謎の組織…人型決戦兵器に並々ならない興味を持っていたアメリカだが結局、東西冷戦のどさくさで沙汰止みになってしまった…その意味では日本の731部隊と双璧をなす戦後史最大のタブーの一つに違いない…
731部隊を単なる非人道行為として断罪するのは誤りだ…日本に進駐したアメリカがなぜ血眼になって捜索しなければならなかったのか…そしてなぜ強固に連合軍による日本の分割統治を回避しなければならなかったのか…アメリカの狙いは首尾一貫して「Eva(人型決戦兵器)」の獲得にある…それは現在でもそうだ…とびに油揚げをさらわれたような格好になっているが底意には特務機関ネルフ…いや…見事に世界の列強を煙に巻いた碇ゲンドウに対する屈辱がある…強かにネルフを潰す機会を伺ってもいる…そんな連中がSeeleと直ちに手を組むとも思えん…この微妙な力関係の間で今の君は生きるしかない…惣流・アスカ・ラングレーとしてな…だが…本当の君は…
「テンペルホーフ…今度…一緒に行ってみないか?」
「え?テンペルホーフに?どうしてそんなところに…」
「一寸したデートさ…何かの気晴らしになるならって思ってね…」
「うん…行く…加持さんが言うところなら何処でも行く…」
「いい子だ…」
「今からでも…アタシは構わない…加持さんが行くところなら何処だって…」
「ははは。そんなに急ぐことはない…お楽しみはゆっくりと取っておくものさ…今は…ゆっくり眠ることだ…」
「でも…」
アタシが目を閉じれば…その隙に貴方はいなくなってしまうもの…
「大丈夫…君が眠るまでここにいる…安心してお休み…」
「うん…」
やがてアスカは生ぬるい病室でまどろんでいった。加持は静かな寝息を立て始めた少女の横顔をじっと見詰めていた。
静かな世界がそこにあった…
真っ暗な空間に雪が静かに降っている…雪が僅かに光っているのかしら?明りなんて何もない筈なのに…しかも寒くない…
アタシは眠った…加持さんに言われるままに…眠いわけでもなかったけど加持さんが言うから…
でも分かっていた…目を覚ませばアタシはまた一人になるって…ウソでもいい…嫌いでもいいからアタシの事を見て欲しかった…ずっと…何とも思っていなくてもいいからアタシに触れて欲しかった…
目を覚ませば自分が一人になる…そして…また傷つく…そうやってみんなアタシを一人にしていく…どうせ傷つくならこのまま目が覚めない方がいい…
汚れたアタシなんて…このまま消えてしまえばいい…
エリザ…
誰?アタシを呼んでいるのは…もうアタシ…疲れた…何もかも嫌になった…このままここでじっとしているわ…どうせ誰も見てくれないもの…アタシのこの世界をもう壊さないで…
エリザ…
イヤ…アタシの中に入ってこないで…これ以上…アタシを傷つけないでよ…誰にも会いたくない…
君の過ちは…
過ち…?アタシが間違ってるの…?適当な事を言わないでよ!
シンジ君と君とでは同じ心の壁でも随分違うんだね…
シ…ンジ…
やはり君のそれは生命の継承者のそれだね…
生命の…アンタはいつもそう!そうやってアタシを煙に巻いてきた!アタシはアンタに口で勝てた事が無い!いつも言い負かされる…でも…納得は出来なかったわ…
シンジ君の心の壁は実に繊細で…限りある命を繋ぎ止めるために…不安定なバランスを保つために敢えてそれを必要にした…でも…君は常に…心の壁で内向きに自分を押し込め続ける…他人を求めるくせにそうやって自分は一人になろうとする…
うるさい!!アンタにアタシの何が分かるって言うのよ!!
シンジ君は運命を否定も肯定もしなかった…それを過ちと言うならば…君は…自分という存在を絶対的なものとするために他人を否定しようとしたがどこかで他人の存在を求めていた…自分の存在を認めてもらいたいからさ…結局君は他人を否定も肯定もしなかった…
余計なお世話よ!!アタシに文句を言う資格がアンタにある訳?いい加減にしてよ!!
君はここが何処なのか知ってるのかい?
こ、ここは…
ここは生と死の間の世界…時空を隔てて魂が行き交う世界…自分に干渉できる唯一の場さ…
生と…死の…間の世界…?
そう…エリザ…僕は君を迎えに来たのさ…君は今まで過去を旅していたんだ…夢を見る様にね…
ゆ、夢?!
そうさ…君は自分の過去をずっと旅していた…
う、うそだ!そんなの…ど、どうして…?
だんだん思い出して来る筈さ…君はG兵装の飛行試験をしていたんだ…どうやらネルフにはどこかの工作員が潜んでいるらしいね…G兵装の主翼がそのせいで破損して君は自分の判断で芦ノ湖に不時着することを試みたのさ…
G兵装…そうか…思い出してきた…アタシ…第三東京市に落ちるくらいならって思って…アタシの…何もないアタシにとって唯一の思い出…アタシの何もかもが失われる…ヒカリや…みんなも住んでいるし…それに…
それに…シンジ君のことを…もっと知りたいから…だろ…?君は何故自分がシンジ君の事を知らないのに彼が自分の事を知っているのか…そして…ロケットの中になぜ彼の写真があったのかを知りたかった…だから…君は咄嗟に…自分一人で生きるのではなく…他人を求めたんだ…生きるためにね…
アタシが…他人を必要とした…?まさか…
本当さ…だから僕は君を迎えに来たんだ…君はいつまでもこんな所にいるべきじゃない…さあ…エリザ…僕と一緒に帰ろう…
か、帰るって…ど、どこに?アタシは…アタシはどうなったの?
君は生きている…安心して戻ってくればいい…
で、でも…どうやって…
簡単さ…求めればいいんだ…他人の存在をね…何をそんなに恐れているんだい…?
アタシは…サイテーだもの…人を殺した…罪人…こんな汚れ女…誰が必要とするものか…アタシが・・・アタシだけが求めて誰にも求められないなんて…それこそバカみたいじゃない…
君は汚れてなんかいないさ…
うそ!下手な気休めはやめてよ!どうせどこかで笑ってる…バカにしてるに違いないわ…アンタ…今までのこと…見てたんでしょ?
見ていないといえば確かにウソになるね…
ははは!ならアンタも笑えば?アタシはどうしようもない女よ!ベルリンにいた時に唯一の支えだった加持さんからも結局相手にされなかった…アタシは幼く加持さんの後を付いて行くだけ…アタシの気持ちなんて誰も分かってくれなかった…
誰も君を拒んでいないさ…君が自分の殻に閉じ篭ろうとしているんだ…君は他人を分かろうとしたのかい?
余計なお世話よ!アタシはアンタを殺したのよ?アンタだってアタシが憎い筈よ!バカにしなさいよ!哀れな女だって!こんな汚れ女!わかる必要なんてないわよ!他人のことなんか!
君は僕を殺したんじゃない…僕はあの時…死ぬ事を望んだのさ…生命の継承者にとって運命に抗う事は許されざる罪…僕は殺されることを望んだんだ…だから…君は…
ごまかさないでよ!じゃあ!アンタは一体何だっていうのよ!
僕は…あの時…爆風に呑み込まれた…だが…死ねなかったんだ…何故かはわからない…君が自分を罪人というなら僕も罪人だ…
あ、アンタがどうして罪人なのよ!
生きたいと思ってしまったから…
い…生きる事が…生きようと思った事が罪だというの?
僕にとってはそうさ…だから無意識のうちに心の壁…ATフィールドが僕を包んだのかもしれない…生命の継承者たるものの心の壁は自分自身を完璧なものとして維持するために内から外向きに発せられるんだ…自分以外の他人を必要としないからさ…ヒトの心の壁は自分と他人の存在を隔てて自分を維持するという意味では同じだが外から内側に発せられるものなんだ…ヒトは他人の存在を必要とし、そして自己崩壊へ進む自分を繋ぎ止めないといけないからさ…だから…ヒト同士でATフィールドの中和は起こらないがEvaはATフィールドを中和する事が出来るんだ…ATフィールドの正と負の関係を利用してね…
それがATフィールドの意味…
そうさ…君も…シンジ君も…ある意味…僕も…リリスも…ね…運命を定められたそれぞれの子供たちは無意識のうちに…いつの間にか運命に抗っていた…運命と向かい合っていなかった…その結果…自分が傷ついていったし…そして…身近な人も傷つけていた…もう…同じことの繰り返しは止めにした方がいい…
アタシ…恥ずかしい…自分が…何もかもが嫌になる…
君は過去に拘りすぎていたのかもしれないね…ヒトは未来という希望を持つ存在だが自分の事は過去の積み重ねでしか理解できない…だから過去を求めた君を誰も責めたりはしないさ…それはヒトとしては当然の行為だからね…でも…君は過去を捨て去り…赴くままに今のまま生きていこうとも考えていた筈さ…それはシンジ君という存在に出会えたからさ…
シンジ…くん…
そう…君は自分の過去にこだわって今まで行き続けていたけど…シンジ君に出会ったことで初めて…今という瞬間が永遠であってほしいと願った…そして過去ではなく…未来に向かって運命を理解しようとしていたんだ…シンジ君を信じて…一緒に生きていきたいと思っていた…その気持ちに彼が気が付かなかったことに傷つき絶望した…そして…その記憶すら奪われてしまった…
アイン…どうして貴方はアタシに…そんな話を…
さあね…ただ君はいつまでもこんなところにいるべきじゃない…こんなところに閉じ篭っているべきじゃない…そう思うだけさ…だからエリザ…僕を信じて…そして一緒に帰ろう…みんなが君を待っている…
アイン…アタシ…帰ってもいいのかな…怖い…
大丈夫さ…君は一人じゃない…
アタシが目を覚ますと…目の前にアインがいた…
あの時と同じ…優しい顔がそこにあった…エントリープラグは弐号機からエジェクトされているらしい…箱舟の様にアタシたちは浮かんでいるらしい…湖の上を…
あの時と同じ…優しい顔がそこにあった…エントリープラグは弐号機からエジェクトされているらしい…箱舟の様にアタシたちは浮かんでいるらしい…湖の上を…
「気が付いたかい?エリザ…」
「ア…イン…」
アインはにっこりと微笑んだ…開け放ったハッチから夏の日差しが照りつけていた…眩しい位に光に溢れて…遠くでセミが鳴いていた…
しゃっくりの様にアタシの喉は短く鳴っていた…もうこんなのにも慣れっこ…
アタシは泣かない女じゃなかった…本当はいつも泣いていた…ただ…アタシは涙が流せないだけだった…
アタシは強くない…弱い女の子だった…
アタシに価値はなかった…でも…必要としてくれる人が一人でもいるならアタシはそこにいてもいい…
そして…アタシはもう過去を捨てることにした…
今が永遠なら…それでいい…
「ヒック…ヒック…アイン…ごめんなさい…アタシ…やっぱり涙が出ない…」
アタシは自分の顔を両手で覆う…
これ以上…顔を見られたくなかった…いや…会わせる顔がない…という日本語そのままだった…勉強していたときは意味が分からなかったけど…こういうことを言うんだ…きっと…
アタシはどういう顔をすればいいのか…分からなかった…
「さあ…顔を上げて…立ち上がるんだ…長い夢だったね…」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ずっと…言えなかった…」
アインがアタシの手を握る…そしてアタシはゆっくりと引き起こされた…
アタシがエントリープラグのハッチから顔を出すと…アタシとアインが乗っているエントリープラグは初号機の両手の中だった…ネルフの高速艇がアタシ達を取り囲むようにして何隻も浮かんでいる…
エントリープラグの上にアタシ達は立つ…アインが微笑みながら言った…
「おかえり…アスカ…これから本当の君の運命が始まる…君は今…未来に向かって歩き始めたのさ…」
「アイン…」
アタシ達の目の前には初号機が立っていた…
アタシは今まで何を見ていたんだろう…こんなに初号機が大きくて頼もしかったのかしら…アタシは今まで弐号機しか見ていなかったんだ…
「初号機もまあまあね…カッコいいじゃん…」
アタシの隣でアインが笑い声を上げる…
アタシもそれに便乗して笑うことにした…そうだ…こんなときは笑えばいいんだ…だって…アタシは一人じゃないもの…アタシには仲間がいる…だから笑えばいい…
アタシは笑えたんだ…
シンジ…アンタも笑っているのかしら…プラグの中で…こんなアタシだけど…笑って迎えてくれるだろうか…
Ep#08_(28) 完 / つづく
(改定履歴)
22nd Mar, 2010 / リンク切れの修正
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