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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第一部 生と…死と…


(あらすじ)

アスカが気がつくとそこはN2爆雷の爆発で出来た巨大クレーターの底だった。レイの挺身の衝撃も覚めやらぬ内に次から次にクレーターに地下水が流れ込んでくる。活動限界まで僅かな時間を残した状態で一時退避を主張するアスカに対して頑なにレイの捜索と救助を主張するシンジ…
一方で空前絶後の被害を受けて混乱が続く日本は大人たちの政争の舞台と化していく…
死に逝く者の蔭で生きる者…保身と私利私欲、そして私情渦巻く心情に翻弄される純真な心…
受難の後にそこに現れたものは…「地獄」でしかなかった。
Detail of Hell in a painting depicting the Second Coming
Georgios Klontzas, late 16th cent.

 

「う…こ、ここは…」

アスカがふと目を覚ますとエントリープラグ内が暗室の鈍い赤色灯のような明かりで照らされているのに気が付いた。Evaの内部電源の消費が既に始まっていることを意味していた。焦点の定まらない目をこすりながら辺りを見回すとメインモニターの片隅で内部電源のカウントダウンが始まっているのが目に留まる。

「野戦電源ゼロ…活動限界まで3分半…か……まずいな…この状況……」

正面のモニターは視界不良で何も見えない。土煙と硝煙がまるで霧のように立ち込めており1メーター先を見通すのも難しそうだった。

思考は遥か彼方に消し飛んでいたが殆ど動物的直感でアスカは身の危険を察知していた。だんだんと身体の感覚も戻ってくるがそれと同時に後味の悪い複雑な感情も染み出していた。

レイ……アンタ…本当に死んじゃったの…?アンタやシンジが…アタシと違って特別扱いされてるって思った時は心底腹が立って…あんなにムカついてて…正直…もう顔も見たくないって思った時期もあったのに……

まるで身体が動かない。フルマラソンを走った後の様に体中がけだるく指を動かすのも億劫だった。

アンタのおすまし顔…もう見れない……

「バカ…ホント…アンタってバカ……」

頭に油膜が張った様にすっきりしなかったがアスカは緩慢な動作で操作レバーに手をかけるとゆっくりと起き上がる。限られた時間の間にやるべき事は山積みだった。アスカは複雑に絡み合うあらゆる感情を置き去りにしてあちこち痛む身体に鞭打って黙々と操作を始める。

生きなきゃ…とにかく…今は…

「Eva索敵モードをレベル5(極地暗所対応)へ…よかった…センサーもカメラも生きてる…通信は……やっぱαバンドはロストか…でもMAGIとのコネクションは生きてるわね…よし…」

とにかく…シンジと周辺状況の様子を確認しなくちゃ…あれだけの規模の爆発があったんだから…爆心地に近いアタシ達の置かれてる状況が普通なわけないわ…

暗視モードに切り替わった正面モニターだったがやはり完全に見通すことは難しかった。それでも通常モードに比べて格段に改善していた。

真っ赤に焼け爛れた赤い岩や土とあちこちから染み出している地下水が触れ合うことで土ぼこりに加えて激しく蒸気が噴出していた。噎せ返るような熱気と高温が支配する熱と暗闇の世界がそこに横たわっていた。

「酷い…何なのここは……まるで地獄の底だわ…とにかく…シンジと……」

レイを…

初号機は弐号機から200メートル後方にうつ伏せ状態で倒れていたが、シンジの無事をパイロット関連の各データの数値が教えていた。作戦地域におけるATフィールドとエネルギー反応を測定し終わったアスカは小さくため息をつく。初号機以外に明確な反応は無く、替わりに爆心地に微弱な生体活性反応を確認していた。

それ以外に旧秩父市近辺の作戦地域の生命反応は皆無だったがこれはある意味で想定の範囲内だった。

この生体反応…あの子のものと考えたいところだけど…こんな劣悪な環境では精査出来ない…まして…ここは哨戒圏外…アタシが取ったデータがネルフの中で一番確度が高い筈…電源も確信もない状態でどうするの…

「それに…極めつけがこれ…」

Evaの索敵システムが周辺の地形を捉えていたがそれは人知を遥かに超えて変わり果てていた。N2爆雷と防衛ミサイルの雨が降り注いだ影響で直径50kmの範囲の山という山はほとんど吹き飛んでおり、替わりに北は旧前橋の手前、東は旧さいたま、南は旧八王子にまで及ぶ地域が巨大なクレーターになっていた。

特に爆心地の最深ポイントは地上(海抜)から約2000mも下になっており周辺の地下水脈から大量の水が流れ込んできていた。しかも旧東京解放区とすれすれの部分も多くありクレーターの作り出した天然の堤防が決壊寸前という有様だった。

「やっぱり…こんなことだと思ったわ…こんな状態で水没したら大変なことになる…シンジ!聞こえる?」

アスカは地形データと索敵結果を本部に転送しながらシンジに呼びかける。背後の初号機からは何の反応も返ってこない。

アスカはシンジが意識を失っていないことを各種データで既に把握していたが、あえて答えないシンジのこの反応を頭のどこかで予期していた。レイのことを考えるととてもシンジを責める気にはなれなかった。

「シンジ…いつまでもここにいるとやばいわ…一刻も早くクレーターの外にでなきゃ…」

「・・・」

混乱を極めているネルフ本部が輸送ヘリなどの救援を自分達に差し向けているという期待は出来ない。自力で巨大クレーターから這い出なければならなかった。

関東ローム層の脆弱な土壌がいつまでも開放地区の水圧に耐えられるとは到底考えられなかった。決壊した瞬間、二人は未曾有の洪水に襲われた挙句に空前絶後の最深度を有する巨大湖に没してしまうことになる。

更に使徒がまだ生きているかもしれない状況下でEvaの機体をここに放置して自分だけが助かる訳にも行かなかった(
仮に水没してもエントリープラグには脱出用バーニアが付いており、サルベージを待つことなく水上に浮上することは可能)。

常識的に考えれば考えるほどアタシ達は一刻も早くここを退避すべきだわ…いつまでも感傷に浸っていられない…

余剰電源を殆ど持っていないアスカは立ち上がるとシンジのもとに駆け寄った。活動限界まで2分を既に切っていた。

「バカ!!何やってんのよ!!ほら!立って!立ちなさいよ!」

初号機の手を引いた瞬間、アスカの耳にシンジの弱弱しい嗚咽が聞こえてきた。弐号機の動きが一瞬止まる。

「綾波……ごめんよ…綾波…ごめんよ…」

「シンジ……」

アスカは胸に鈍い痛みを感じて僅かに顔を顰(しか)める。

あれだけの爆発の中で…使徒だけ死んで零号機の中のレイが助かると考えるのは楽観的過ぎる…それに…もうかなりの水が溜まっている最深部に内部電源も殆ど無い状態で助けに行っても共倒れになるだけだわ…

その時、二人の間を熱風が吹き抜ける。アスカはハッとして風上の方に目を向けた。自身のような地響きと共に不気味な感覚が押し寄せてくる。

「ま、まさか…クレーターの外環が決壊しつつあるんじゃ…シンジ!!早く立って!!もう時間が無い!!ちょっと!!もう!!」

アスカの弐号機はうつ伏せになったままの初号機の背中に回り込むと両脇を抱えて上体を引き起こした。初号機は信じられないほど今のアスカには重く感じられた。

突然、グラッとバランスを崩した弐号機が初号機の隣に並ぶようにうつ伏せに倒れ込む。貧血の様な立ち眩みと激しい動悸を覚えて思わずアスカは右手を胸に当てた。

シンクロ率が……爆発の衝撃波に酔っただけだと思っていたけど…違う…低濃度BRが切れ掛かってるんだ…こんな時に発作(禁断症状の様なもの)なんて…

アスカはうつ伏せのまま目の前にある焼けた土を両手で思わず握り締めた。

最悪だ……アタシ…サイテーだ…シンジどころか自分すらどうにもならないなんて!!

「Scheisse(独語 / くそ)…」

アタシは今までずっと自分のためにEvaに乗ってきたし拘ってきた…天国のママに認められたいってずっと思ってきた…運命といわれるものに逆らって…Evaに拘り続けてきた結果がこれだっていうの…?本当に何も無い…後悔だけじゃないの!!


フロイライン…Evaに乗ってる時はどんな気分だ…?いや…悪い意味で聞いているんじゃない…何と言うか…訓練中に時々お前が羨ましい時があるんだ…あたしも…自分がEvaに乗れたらどんなに自分の気持ちというか…心が軽くなるだろうってな…ちっ、下らんことを話したな…もう行け、フロイライン…今日のベルリンの冷たさはやけに骨身に沁みる…風邪を引くぞ…あたしには…もう…お前しかいないんだ…お前しか、な…
 
ミサト……いや…やっぱり…アタシにはキャプテン(陸軍大尉)はキャプテンでしか……
 
「ひっく……やっぱ…一人で何も出来ないじゃん……ひっく…」

そりゃそうですよね…お互い…無理して…家族ごっこなんて…やっぱり無理だったんですよ…でも感謝してます…心理療法に付き合って頂いて…こんなことまでして下さる上官なんて他にいませんよ…例えそれが利用であっても…だって…兵士や兵器は使うためにあるんですから…当然の権限行使…ですよ…

「ひっく…加持さん…」


アスカ…生きろ…とことんまで生きるんだ…例え…それが…地獄の始まりだったとしてもな…

加持さん…アタシを助けて…今…何処にいるの(※ アスカは本部に監禁されていた事もあって加持の死をこの時点でまだ知らされていない)…加持さん…


人の命は確かに尊い…だが…人間って奴はどこまで傲慢に出来てるんだろうな…俺は変な動物保護団体じゃないが…少なくとも…人類だけがこの地球上で特別な生命体だとは思っていない…その辺で生きているほかの動物や植物と何がどう違う…同じ命の一つさ…知恵があるばっかりに小賢しくなるが所詮は自然に寄食する生命の一種…それだけのことだ…だから俺はあえて言う…死もまた摂理だと…なら人は命尽き果てるまで生きるべきだとは思わないかい?俺は勿論生を選ぶさ…卑怯者と言われても構わない…俺は…


「ひっく…生きる…例え罵られてもいい…生きるのよ…」

弐号機は小刻みに身体を震わせながらゆっくりと上体を起こした。活動限界まで残り1分を切っていた。

そうよ…どんなに言葉を尽くしたところで…アタシの判断は…仮に生きているとしたらあの子を見殺しにする判断に変わりは無い…それに…一度捨てた筈の命なのに…あの子に助けられてこうしておめおめと生きてしまうと途端に死にたくないって考えるアタシがいるのも事実……死ぬのが今はとても怖いわ…そんなアタシは卑怯で…恥知らずで…臆病…でも…

「ひっく…レイ……ごめん…アタシは生きることを選ぶわ…アンタに助けられた命だし…もう…アタシだけのものじゃない!」

アスカはカッと目を見開くと再びシンジの後ろに回った。そして両脇を抱えて初号機を抱え起こすとずるずるとクレーターの底から外側に向けて引きずり始めた。

「立ちなさいよ!シンジ!ちゃんとしてよ!折角…折角、レイが助けてくれたんじゃないのよ!!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…


地を這う不気味な音が響いてくる。辛うじて抑えられていた開放地区の水が無数の亀裂が入ったクレーターの土壁を突き上げていた。亀裂同士が繋がって大きな穴を作り、そこから次々と水鉄砲の様に噴出して行く。

じわじわとぬかるみ始める足場にアスカは何度も足を取られそうになった。その度に初号機と共に沸騰する泥水の中に倒れ込む。アスカが三度(みたび)抱え起こそうとした時、いきなりシンジがアスカの手を振りほどいて立ち上がった。

「そうだ…僕何やってんだ・・・綾波を…綾波を助けなきゃ…」

「ちょ…な、何言ってんのよ!?バカ!!こんな時に寝言言ってんじゃないわよ!!早くしないと開放地区の水がここにも流れ込んでくる!!そうなるとアタシ達も…みんなも助からないわ!!」

「助けるんだ…もう…もう誰も傷つけたくないんだ!!」

外側とは真反対の方向に駆け出そうとする初号機を弐号機が慌てて羽交い絞め(はがいじめ)にした。

「シンジ!バカなこと言わないで!一緒に逃げるのよ!」

「あ、アスカ…どうして止めるんだよ!放してよ!僕の事は放って置いてよ!」

「アンタばかぁ!!!放って置けるわけないじゃないの!!いい加減に目を覚ましなさいよ!!」

アスカはキッとシンジの初号機を睨みつけると力いっぱい平手打ちを食らわせた。

「何するんだよ!」

「アンタ、バッカじゃないの!?あの子はアタシ達の身代わりになって死んだのよ!!もうこの世にいないわ!!」

「死んだって…嘘だ…嘘だよ!そんなの!!そんなのまだ調べてもないのに分かるわけじゃないか!あ!反応が…反応がある!弱いけど確かに生体反応があるよ!綾波!!」

MAGIに送ったここのデータがこんなところで仇になるなんて…

アスカは思わず小さく舌打ちしていた。シンジがレイの名前を叫んだかと思うといきなり走り出そうとした。初号機の気配を感じた弐号機が機先を制して荒々しく両手首を掴む。

「バカシンジ!!!
アンタって人は…本当に怒るわよ!!そのエネルギー反応が零号機とは限らないじゃないの!!まだ使徒が生きてるかもしれないし、そう考える方が合理的(ドイツ人は良くも悪くも恐ろしいほど合理的であり、これが時として冷酷な判断を平然と産み出しているように他民族には見える事がしばしばある)だわ!!ATフィールドが完全にない無緩衝状態(※ ATフィールド中和と同義)であれだけの爆発があったのよ?いくらEvaでも装甲が持つ訳無いじゃないのよ!!零号機というよりも使徒の自己修復反応による活性エネルギーに由来するものと考えるのが妥当だわ!!」

一気にまくし立てるアスカの言葉をシンジは殆ど聞いていなかった。

「うるさい!僕は綾波を助けるんだ!離せよ!アスカ!」

「離せるわけないでしょ!このバカ!バカ!バカ!!」

「アスカは…アスカは…綾波が…綾波のことが嫌いだからそうやって割り切れるんだ!ミサトさんみたいに!二人で綾波を見捨てようとしてるだ!」

「そ…そんなわけ…アタシだって…アタシだって…」

喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだアスカはシンジを睨み付けた。

「そうやって自分だけ被害者ぶって!傷つくのも!怖わいのも!辛いのも!アンタだけじゃないんだから!一人じゃ生きられない癖に一人になろうとするんじゃないわよ!」

「うるさい!うるさい!余計なお世話だよ!逃げたいならアスカだけで逃げろよ!僕は綾波を助けに行くんだ!」

「ちょ…そんな自分勝手が許されるわけないじゃない!!軍令違反よ!!それに論理が破綻してるわ!!この状況を冷静に考えなさいよ!!Evaをこんなところに放置する訳に行かないじゃない!!機体の保全が最優先される!!」

「僕は軍人じゃない!自分と一緒にするな!論理?そんなものどうでもいいよ!それで仲間が助けられるのかよ!いつもそうだ!そうやって正しい事だ、いい事だって言われることをやって納得出来た例が無いんだ!僕は僕が信じたことをするんだ!」

「くっ…この分からず屋!!こうなったら力づくでm…」

突然、弐号機のエントリープラグ内でけたたましい警告音が鳴り響いたかと思うと次々にモニターの光が落ちていく。弐号機の活動限界だった。

「こんな時に……ホント…救い様の無いバカよね…」

シンジに向けた言葉なのか自分に対する自嘲なのか、判然としないままアスカは俯く。初号機はいとも簡単に弐号機の手を振り払うと背を向けて中心地に駆け出していた。
 
 
 
遠ざかっていく初号機の背中を映していたメインモニターもやがて暗くなるとエントリープラグに具備されている非常電源を使った非常灯にアスカは一人照らされていた。

外の世界の騒がしさとは隔絶された完全な静寂に包まれるとアスカは操作レバーから手を放す。そして暗闇の中で顔を両手で覆うと小さくため息を一つついた。

「最悪の結果だわ…あの子もEvaも全部…結局…水の中…アタシは何も出来なかった……なんだったんだろう…アタシって…」

突然、地鳴りの様な轟音が遠くの方で聞こえてきたかと思うと激しい突風が発生して霧雨のような細かい水滴が横嬲り(よこなぶり)に襲ってきた。不気味な金属の軋む音がアスカの耳にも届く。

「まさか…もう(クレーターの)外環が崩れたんじゃ…シ、シンジ!きゃあああ!!」

鉄砲水が弐号機の足場を奪う。とても尋常ではない水の勢いに弐号機は無抵抗のまま横倒しになった。エントリープラグのシートの上に膝を抱えて座っていたアスカは突然の出来事に対応出来ず、正面のタッチスクリーンに顔面を思いっきり打ち付けていた。

「うぐ…バカ……」

薄れ行く意識の中で鈍く低い断続的な音を聞きながらアスカは悪夢に誘われる様に瞳を閉じた。



一方、アスカを振り切ったシンジは遮二無二(しゃにむに)に爆心地に向かって駆け出していた。

生体反応がある地点にシンジの初号機が近づけば近づくほど足元は泥濘(ぬかるみ)から激しく蒸気を噴出する泥水に変わり、いつのまにかその中で殆ど首から上を露出するのみとなっていた。

「綾波!!どこだ!!何処にいるんだよ!!くそ!!(索敵システム)Level5なのに何も見えないじゃないか!!」

シンジの声はたちまちかき消されていく。シンジはイライラしながら辺りを見回すが分厚い霧の様な蒸気に阻まれてほとんど何も見えなかった。心なしか水かさがじわりと増しているような気がした。

シンジに焦りが生じ始めたその時、初号機のオペレーションシステムが弐号機の活動限界をキャッチする。活動限界を迎えたEvaは自動的に緊急遭難信号を発する仕組みになっていた。通常、双方向通信でお互いの状態をほぼ自動的にチェック可能だったがαバンド通信をロストしていたため、遠隔地のMAGI経由の通信が仇となってタイムラグが生じていたのである。

「弐号機が活動限界…そんな…そんなバカな!だってまだ電源は…電源はこんなに…」

既に内部電源を使っていたアスカに対してシンジはまだ最後の野戦電源を使い切っていなかった。これまでの常識からはとても想像出来ない程の低い電源消費速度だった。今のシンジが100%に近かい高シンクロ率を恒常的に発現している事が主因だったが、それをEvaのパイロットが客観的に自覚する術はない。

Evaの機体制御で抵抗が無い、あるいは身体が軽いなどといった感覚的なものでしか判断が出来ないため、それを補完する機能を受け持つのが本部のオペレーションだったが哨戒圏外という事に加えて通信をロストした今の環境が二重三重に災いしていた。

シンジは弐号機の電源残量を自分と同程度だろうと考えていたため二人の間の危機意識に齟齬(そご)生じていたのである。

そういえば…前の戦闘でもアスカの方が電源消費が早かった…まさか…だから…

「いつもそうだ…いつもそうなんだよ…君は…なんで早く言わないんだよ!何でいつも肝心なことを僕に話してくれないんだよ!!アスカ!!!」

シンジは霧以外に何も見えない背後を振り返り、そして返す刀で正面をにらみつけた。

「綾波!!!」

シンジは激しく気泡が吹き出ては水面で破裂する泥水に何度も拳を突きたてる。

「くそ!くそ!くそ!!僕はどうすればいいんだ!!」

Evaの戦術運用はネルフ作戦部
(※主体的役割を果たしたのはミサトと日向。Ep#06を参照)によって段階的に整備されており、バディシステム( Buddy System: 2名以上がパーティーを組み、互いに安全確認を行うシステムのこと。スキューバーダイビングのそれがとりわけ有名だがキャンプや登山など幅広く浸透している)もその一つだったがお互いの配慮によって始めて成立する。

アスカ……くそ…最低だ…僕…

「ごめん…待ってて…綾波を見つけたらすぐ戻るから…それまで…ん?あ、あれは何だ…?」

分厚い蒸気の向こうに青白く輝く強い光が見え隠れしていた。

「あ、綾波…?」

シンジはふらふらと一歩、二歩と光の方向に歩き出す。しかし、すぐにハッと我に返ると途端にシンジの身体に緊張が走った。

もしも…あれが使徒だったらどうする…自走できないアスカも助けなきゃいけないのにここでやられるわけに行かない…

シンジは慎重にEvaのオペレーションシステムを操作し始めた。次々と測定結果が正面のモニターにポップアップしてゆく。

「そうだ…アスカが言う通り使徒の可能性はゼロじゃないんだ…ATフィールドは…よし…FI値(Field Intensity / 強度)ゼロ…超弱い生体活性反応があるだけだ…やっぱあの光の方から反応がきてる…よし……行ける…」

初号機は左肩のウェポンラックからプログナイフを取り出すと摺り足でゆっくりと光の方向へ近づいていく。

少し進んだところでにじる様に歩を進めていた初号機の爪先に何か固いものが当たった。鼓動がどんどん早くなり、緊張のあまり身体がそれに呼応するように硬直していく。

「うっ!な…何だ…これ…」

シンジは固唾(かたず)を呑む。全神経を足先に集中させながら物音を立てない様に静かに操作パネルに触れる。

「これ…金属反応だ…え、Evaの装甲と同じ成分!ま、まさ…綾波!!」

シンジは泥の中に空いている方の手を突っ込むと荒々しくまさぐると固い金属片に指が触れた。何度も転倒しそうになりながら無我夢中でそれを引き上げるとSA特殊兵装(十字架に見えたもの)と思しき破片だった。完全に溶けて殆ど原形を留めていなかったが零号機を十字架に縛り付けていた手枷の様に見えた。

Evaと同じ装甲で出来ていた兵装がこんな状態になるなんて…

「綾波!!綾波!!」

シンジは金属片を放り投げると光の方に急いで歩いていく。

突然、シンジの行く手を阻むように重たく立ち込めていた霧が急に晴れていく。激しい突風と地鳴りのような不気味な音が聞こえてきた。開放地区から流れ込んでくる水はみるみるうちに勢いを増して巨大なクレーターを飲み込みつつあった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…


「な、なんだ…これ…か、開放地区の方角から大量の水が…そうか!決壊したんだ!急がなきゃ!うわ!!」

風に流されていく霧の幕間から見上げるばかりの黒褐色の絶壁が行く手を阻むようにそそり立っているのが見えた。

「こ、これは…まさか使徒…?じゃあこの反応は…そんな……そんな筈はない!綾波!綾…な…み…」

霧が晴れて自分の周りの視界が広がった瞬間、シンジは喉から心臓が飛び出そうなほどの衝撃を受けて言葉を失う。

初号機の周囲には焼け焦げた肉片の様なものが無数に泥水の上を漂っていた。

「うわあああああああああ!!うわあああああああ!!あああああああ!!」
 
泥坊主地獄之図
零号機の素体と思しきものからシンジは半狂乱になって逃れようとした。泥濘(ぬかるみ)に足を取られて泥水の中に頭から倒れ込むが無秩序にもがいて起き上がる。足掻けば足掻くほど逆に自分に近づいて来ている様な錯覚すら覚えていた。

「うわああああ!うわあああ!ひいいいい…ひいいい…うっ…うっぐ…」

一縷の望みに全てを託してここまでやって来たシンジではあったが目の前の現実はあまりに過酷でそして残酷だった。

Evaパイロットの中でシンジは使徒殲滅の戦績(スコア) が記録的に最も高かく、負傷入院も一度や二度ではなかったが今の様な嘔吐を伴う激しい嫌悪感や恐怖に苛まれたことはなかった。それは使徒の姿かたちが人間とは視覚的にも全く異なっていたことと決して無縁ではない。

しかし、今まさに自分の目の前で無残に引き千切られて浮かんでいる汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオンの残骸、それは人間そのものと言ってよかった。今までとは違う決定的な何かがそこに存在していた。

しかも零号機にはつい先ほどまで綾波レイが…生きた人間が搭乗していた。

嘘だ…こんなの…あり得ないよ…だって…だって…さっきまで話してたじゃないか…あ…綾波……

「ふがっ…うう…うぐ…がはっ…」

零号機ではなくレイの姿を脳裏に浮かべた瞬間、突然胃液が逆流してシンジの喉を焼く。シンジは慌てて両手を口に当てて必死になってこみ上げてくる物を抑えた(
エントリープラグ内のL.C.L.は浄化装置によって常に清浄度、電解質濃度、溶存酸素濃度等の条件が一定に保たれる。例外的に酸素は外気をフィルターシステムを介して中空糸カートリッジに送気するため、D兵装等の特殊装備がなければ完全に水没した場合は内部循環に自動的に切り替わる)。

呼吸が途切れがちになり鼓動もどんどん早くなるのが分かった。

「誰か…ひい…ひい…だ、誰か…助けて…さ、寒い…寒い……ふー…ふー…綾波…綾波…」

シンジは全身の毛が針の様に逆立っている様に感じるほどの激しい嫌悪感に襲われて両手で上腕をさする。命懸けの突撃を強いられたレイに対する慙愧、それを強要した実父に対する強烈な不快感、更には自己嫌悪が次々に去来し、あらゆる感情が交錯しもはや何を見ているのか自分でも分からなくなっていた。

「綾波…うー!うー!だ、誰か……誰か…助けて……助けて…助けてよ…はあ…はあ…ハア・・・助けて…アスカ……ミサトさん…アスカ…アスカ…」

水の勢いがどんどんと増していき、初号機はほとんど泥水の中に沈みつつあった。シンジは使徒らしき表面の焼け爛れた巨大な球体によじ登り始めた。

酸素が…酸素が欲しい…苦しい…だ、誰か…

シンジの目は真っ赤に充血していた。恐らくL.C.L.がなければ涙などで顔はグシャグシャになっているところだろう。

「助けて…誰か…」

初号機が手をかけると炭化した脆い表面が崩れていく。何度もよじ登ろうとするがその度に足場を失って泥水の中に滑落した。水位は既に初号機の全長を上回っており、水の流れは恐ろしいほどの濁流と化していた。

何を追いかけたのか…そして今…何から逃れようとしているのか…シンジはただ嫌悪と死の恐怖が逆巻く激流に呑み込まれそうになるのを必死になって耐えていた。

激しく足掻き、もがき続けるシンジの耳元で誰かの囁きが聞こえてきた。


あなた…自分のお父さんが…信じられないの…?


「こ、この声は…」


わたしは…信じるわ……だから…ここにいるの……あの人は…わたしの…神様だから…


「あ・・・ああ・・・あああ・・・綾波いいいい!!!!!!!!!!」

その瞬間…シンジの中で決定的な何かが切れていた。
 
 
Ep#09_(1) 完 / つづく

(改定履歴)
11th July, 2010 / 表現修正

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