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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第8部 A  caged bird せめて人間として…


(あらすじ)

加持、ミサト、リツコの3人は加持の運転する車で第二東京市を目指していた。ふとリツコが見つけたアスカのトートバッグからネルフの経歴ファイルにすら乗っていなかった知られざるアスカの経歴の片鱗が現れることに。加持がゆっくりと語り始めた。その内容に驚愕するミサトとリツコだったが…

結婚式の二次会当日は天気のいい吉日の土曜日だった。

ミサトはタイトな紫のワンピースを着て肩に薄手のショールを羽織っていた。このショールはアスカのクローゼットから勝手に借りたものだ。ミサトは時々アスカのクローゼットを勝手に開けては適当に気に入ったものを持って行っていた。

同居当初は激怒していたアスカもこの頃では諦めたのか何も言わなくなっていた。そして定期的にミサトの部屋に入ってはそのまま返却されずに放置されている自分の私物を回収していた。

シンジは一度だけアスカのもの探しに無理やり付き合わされたことがあるがミサトの部屋のあまりの散かり様に神経質なシンジは卒倒しかけた記憶があった。
 
ミサトは玄関に設置してあるホワイトボードに結婚式飲み会と書き込んでいる。

午前中で学校から帰って来たアスカとシンジは出掛けるミサトを見送るために玄関先まで一緒に来ていた。二人ともミサトがホワイトボードに書き込む様子を眺めていた。

葛城家では一週間の予定を同居人がお互いに把握するためにそれぞれこのホワイトボードに書き込む決まりになっていた。家事の分担表と共にミサトが用意したものだ。

ホワイトボードは幅が50cm程度でそれを適当に3等分して左からミサト、シンジ、アスカと葛城家にやって来た順に並んでいる。

ここでも同居人の性格がよく現れていた。

ミサトはかなり大雑把で「仕事」と書いて一気に週末まで矢印で引いて終わることが多いのに対して、シンジは「学校」や「ネルフ」などの目的地をきちんと書いてしかも想定される帰宅予定時間やスケジュールに至るまで事細かに記入していた。

アスカは英語か平仮名でこちらもシンジと同様にきちっと目的地を書いていた。そして必要に応じて目的に言及して意味の無い事は一切書かず極めて合理的だった。

ミサトはホワイトボードに書き終わるとアスカの方をチラッと見て意地悪そうな笑みを浮かべる。

「あんたたちさあ。オネーサンの留守をいいことに二人でイヤンな事すんじゃないわよ~あたしにも一応、保護者としての面子ってモンがあんだからね」

シンジはミサトの言葉に思わず体を硬直させる。アスカはパッとシンジの方を一瞬見ると顔を引きつらせてミサトに反論する。まだ眼帯が痛々しかった。

「ちょっと!ミサト!アンタバカじゃないの?余計なこと言わないでよ!シンジはヘンタイなんだからさ、その気になったら困るじゃん!何で今日に限ってそんなことを言い出すのよ!」

シンジはアスカの言葉に反応する。このまま流すと自分の沽券に関わると思ったらしい。

「何だよ、アスカ。そんな風に言うことないじゃないか。何で僕をヘンタイって…」

「アンタは黙ってて!!」

「はい…」

ミサトはアスカの様子をにたにたしながら眺めている。

「なにムキになってるのよ?あんた。保護者として当然の心配をしてるんじゃない。仮にも年頃の男の子と女の子を二人っきりにするんだからさあ。何か間違いがあったら困るから言ってるだけじゃん。ふふふ」

ミサトはアスカをからかうつもりらしいが、アスカは先日の嫌な夢のことが引っかかっているため全然シャレになっていなかった。

「何が保護者よ!今まで保護者らしいことなんてしたことないくせにさあ!」

「だって、ああ見えても一応シンちゃんも男なんだしさあ…ていうか、よく考えたら女の子っていってもあんただしねぇ…心配するだけ損か・・・」

ミサトは顎に手を当てて少し思案顔になる。

「な、何よそれ?アタシがシンジに襲われてもいいってわけ?!何て女かしら!最悪!」

「いやそうじゃなくてさ…逆にシンちゃんの方を心配しなくちゃね~ってことよ。あんたどっちにしてもさ、ちゃんと手加減すんのよ。このマンションでコロシだけはなしだかんね」

「こ…殺すってそんなわけ…ない…じゃない…」

ミサトはジョークのつもりだったがアスカは思わず下を向く。

そんなわけない…あれはただの夢…そうに決まってる…そうよ!第一、意気地のないシンジがアタシに迫ってくるわけないじゃん!何気にしてるのかしら…アタシ…今朝の夢だってそうよ…

その様子に隣にいたシンジが驚いた。

急にどうしちゃったんだろう…ミサトさんの言った事に傷ついたのかなあ…何とかバランス取らないと…

シンジもミサトに遠慮気味に反論する。

「ミサトさん…二人っきりって言っても何も今日が特別な訳じゃないじゃないですか…普段だってミサトさんが帰って来ない日の方が圧倒的に多いし…」

言いながらシンジは横目でアスカの様子を伺っていた。

シンジは自分の味方をしないのかとアスカに前回言われたこともあって義理立ての為にささやかに参戦していた。しかし、本気でアスカの味方をするつもりもないらしくミサトに対してもかなり遠慮している様に見えた。

アスカはシンジの言葉を聞いてふと我に返ったようにミサトの方を見る。

「そうよ!何言ってんのよ!まったく、なんて女なのかしら!アタシよりシンジの方を心配するなんて信じられないわ!それからどうでもいいけどそのショール、アタシのお気に入りなんだから絶対忘れないでよね!」

「分かってるわよ。ちゃんと返すわよ。あ!思い出した!ていうかさ!あんたさあ。あたしの取って置きの化粧水勝手に使わないでよね!あれ、すっごく高いんだからさあ!すっごい減ってて腰抜かしそうになったじゃんか!」

「えっ!な、何でアンタ知ってるの?」

何事につけてもずぼらなミサトだが唯一拘りがあるとすれば化粧品関係だった。ミサトの化粧品は総じて高級品でアスカもこれに関しては一目置いていた。

始めは値段が高いだけでミサトが騙されてぼったくられていると信じて疑わなかったアスカだったが一度ミサトに勧められて使ってからというもの病み付きになっていた。

以来、ミサトが留守がちなのをいいことにこっそり拝借していたのだ。どうせ気が付かないと思っていたところにミサトの思わぬ反撃を受けてアスカはたじろぐ。

何でこうなるのかしら…Damn!ホント、最近調子が出ない!イラつく!

沈黙しているアスカを見てミサトが更に追い討ちを掛けようとする。

「あたしはね!あれは特別な日にしか使わないの!今日取り出した時にやけに減ってるからビックリしたのよ!第二東京市のデパートにしか売っていないんだからね!一本いくらすると思って…」

ピンポーン

ちょうどその時、マンションのチャイムが鳴った。

ミサトがいそいそとインターフォンのボタンを押すと液晶画面にジャケットを羽織った加持の姿が映し出される。マイクから加持の声が聞こえてきた。

「葛城。今、りっちゃんと一緒に下に着いたぞ」

「ほいほーい。すぐ降りるからちょっち待っててねん」

「・・・ホントに“ちょっち”なんだろうな?起きたばっかりってのだけは無しだぞ。まだ服着てないじゃないだろうな?この辺は駐禁の取り締まりが厳しいのは知ってるだろ?」

「し、失礼ね!ちゃんと準備してるわよ!余計な世話焼くんじゃないわよ!保護者の威厳丸潰れじゃん!」

「ははは!分かった分かった。それじゃ葛城の成長を信じるとするかな。じゃあな・・・」

ミサトは荒々しくボタンを押してカメラの映像を切る。

加持さん…

アスカは加持の声をドアフォンのマイク越しに聞いて一瞬表情を曇らせたが、すぐにミサトの顔を見る。

「どうせ…アンタのことだからバカみたいにガバガバ飲むんでしょうけどね。せいぜい気を付けなさいよね!ドブとかに落ちんじゃないわよ」

「わかってるわよ!」

ミサトはアスカとシンジに背中を向けてハイヒールを慌しく履いている。

「ミサトさん、いってらっしゃい。くっくっく」

シンジは口に手を当てて笑いを噛み殺していた。

「おっしゃ~!じゃあ後はよろしくねん!」

ミサトはシンジとアスカにウィンクをすると嬉々としてマンションを後にした。
 



 
 
加持がアウディの赤いクワトロの助手席にミサト、後部座席にリツコを乗せて第三東京市から第二東京市に向けて新首都高を走らせていた。

「なんか久しぶりね?三人でドライブだなんて!ワクワクして来たわ」

「そうだな…学生の時にレンタカーを借りて3人で河口湖のペンションに遊びに行った以来かな」

「そうそう!バーベキューしたりしてね。リツコ、あんたも覚えているでしょ?」

ミサトが助手席から後部座席で足を組んで座っているリツコを窺う。リツコは小さなため息をついてミサトを見る。

「勿論覚えているわよ…あなたが一人で殆ど持って来たビールを飲んでしまった事とかね」

「ええ!そうだったかしら?ぜんぜん覚えてないわ」

「そう?食事の後に手漕ぎのボートに3人で乗った時のことも?あなた、船酔いして河口湖の真ん中辺りで吐いたわよね?ふふふ」

リツコは皮肉な笑みを浮かべる。加持が思わずハンドルを右手で叩く。

「おお、そうだったな!思い出したぞ、葛城!近くを通っていた観覧船の観光客の前で思いっきりぶちまけていたな。ははは!」

「あ、あれは…な、何であんたたちそんなことまで…いつまで覚えてるのよ!」

「ふっ、いつ思い出しても無様ね…」

リツコがふと自分の隣の座席の下にとても加持のものとは思えない花柄のトートバッグと白い大きなつばのついた女物の帽子を見つける。

何かしら…これ…

リツコがトートバッグに手をかけた瞬間、その気配を察した加持がバックミラー越しにリツコに話しかけてきた。

「それはお姫様の忘れ物だよ、りっちゃん」

「えっ?これはアスカのなの?」

アスカの所持品と聞いてミサトがリツコの方に身を乗り出す。

「何!何!アスカが何を忘れたの?」

「これよ…」

リツコはミサトの目の前に白い帽子と花柄のトートバッグを持ち上げて見せた。

「あー!ホントだ!確かにアスカのだわ。っていうかさ…加持ぃ…アンタが何でアスカの帽子とこのバッグを持っているわけ?」

じろっとミサトが加持の方を横目で睨む。アスカがこの花柄のトートバッグに大体着替えを入れて外泊する時に使うのを自称保護者のミサトは知っていた。

「おいおい…別に何かコソコソしていた訳じゃないぞ。たまたまこの前の日曜日に新日比谷辺りをお姫様が一人で歩いていたのにばったり出くわしたから保護したんじゃないか」

「ふ~ん。あんたの保護って何をどこまで保護って言うんだかねえ?アスカは始まってるしさ。それにクォーターだから中学生にしてはすごく発育がいいけどさあ。基本的に未成年なんだからね。あんた。言っておくけど」

「ちょっと待てよ、葛城…なんか変な方向に話が言ってないか?いくら俺でも手当たり次第って訳じゃないぞ。やけに信用がないな…エンペラーホテルの近くにあるカフェがあるだろ?”Montmartre”だよ。葛城も知ってるだろ?」

「勿論、知ってるわよ。この前、待ち合わせに使ったじゃない。なによ。あんた、またそこに行ったわけ?あんたもワンパターンよね」

相変わらずね…二人とも…

いきなり女物のバッグで揉め始めた二人を見ていたリツコは自嘲気味な笑みを口元に浮かべると窓の外を見た。

「まあ…そこでアップルパイをご馳走したんだが、その時のお姫様はえらく気落ちしていてね。ちょっと励ますつもりだったんだが逆にお怒りに触れてしまってな。それを店の中に忘れて行ったという訳さ。今日、葛城に渡そうと思って家から持って来たのさ」

「へ~。アスカがねえ…またシンちゃんと喧嘩でもしたのかしらね…」

「大方そんなところじゃないかな?そんな事よりも葛城もちょっとは保護者らしく行き先くらい把握しておいた方がいいんじゃないのか?」

「え~。何であたしがいちいちそんな事までしないといけないのよ。ちゃんとSGも付いてる事だしさ。それにあの子くらいの歳になるとさあ、人に干渉されるのを嫌うのよ」

「そんなことより…どうしてあの子が新日比谷に一人で?」

痴話喧嘩がひと段落したところでリツコが鋭い視線を加持に向けてきた。

「その答えはバッグの中に入ってる」

「バッグの中?」

リツコがトートバッグの中を見る。ミサトも前から亀のように首をぬっと伸ばして覗き込もうとする。

「これって…楽譜?ショパンのスケルツォって書いてあるわね…こっちはシューベルトの…歌曲集とでも訳せばいいのかしら?…」

「その通り。新日比谷に東京音楽アカデミーがあるだろ?その関係で防音設備の整った音楽スタジオが結構あちこちにあるんだよ。そこでピアノを一人で弾いていたらしい。その帰りに俺とばったり出くわしたってわけだ」

「へえ。あの子ピアノなんか弾くんだ。全然知らなかったわ」

「それは私も初耳よ、加持君。ネルフの経歴ファイルにも載っていないわよね?」

やっぱり…おいでなすったな…

加持がそう思っていると楽譜をぱらぱらと捲っていたリツコの顔が最後のページをみて引きつって行く。

「加持君!これって…どういうことかしら!」

「えっなになに?」

ミサトはリツコが突き出した楽譜集の最後のページを覗き込む。

「何よ、アスカの名前が書いてあるだけじゃん。それがどったの?リツコ?」

「あなたの目は節穴?ここをよく見て!」

リツコが指差す先をミサトが眉間に皺を寄せて見る。

「へたくそな字ね…アスカって案外字が汚いのね。えっと…アスカ…ゼッペ…リン?」

「アスカ・ツェッペリンだ。ドイツ語ではZは無音で発音するんだ。それにへたくそなのは仕方が無い。何たって6歳の時だからな」

「え?アスカ・ツェッペリンってどういうことよ?あの子の名前は惣流・アスカ・ラングレーじゃないの?一体どういうこと?」

ミサトが驚いて思わず加持の方に向き直る。

「運転しながら話しにくいな…ちょっと時間もあるし、次のサービスエリアに入って話しますか?お姉さま方?」

加持がミラー越しに二人にウィンクを送っていた。顔色の優れないリツコを加持はじっと見ていた。




 
3人は新首都高のサービスエリアの駐車場で加持が買ってきたコーヒーを車の中で飲んでいた。

「アスカの経歴ファイルには空白がある。生まれた時を除いて7歳までの幼少期に関する情報が全然書かれていない。もっともいきなり8歳から母キョウコ自殺に遭遇で始まっていた筈だ」

「そうね。ハンブルグ市内の病院で生まれたということから一気に飛んでいたわね。まさか小学校に行っていなかった訳じゃないんでしょ?自宅に篭ってシュタイナー教育でもしてたって言うつもりかしら?」

アスカの経歴ファイルを斜め読みしかしていないミサトは二人の会話についていけなかった。ミサトはポイントになるデータだけは詳細に確認するが後は深く追求しないのが常だった。

「いや…幼少期の経歴はあえて抹消されていると考えた方がいいだろうな」

「誰が一体何の為に?」

リツコが質問しながら後部座席の窓を透かすとハンドバッグからタバコ取り出して火を付けた。

「それは俺にも詳しくは分からない。むしろ第三支部の方が詳しいんじゃないのか?」

加持が逆にリツコの顔を窺う。リツコはパッと目を逸らすと荒々しく灰を落とす。

「第三支部に限らず本部以外の連中はやることが荒削りで嫌になるわ。あたしも少し気になることがあるから少し調べてみたけど第二次選抜の候補者リストに後から追加されていたのは確かね」

ほう…意外に早く始めているな…この分だと俺とアスカの事にもそのうち勘付くだろう…想定よりも早まるかもしれないが…仕方がない…

「まあそれは置いておくとして…それよりもアスカは正真正銘のドイツ人の両親の間に生まれているのになぜアメリカ国籍なのか?ということからまず考える方が話の取り掛かりがいいと思わないか?」

ミサトは大きく頷いた。

「そういえば…あの子のパスポートはアメリカよね。不思議に思っていたのよ。何で?」

3人とも目はぜんぜん笑っていない。マンションを後にした直後の様な和やかな雰囲気は完全に消し飛んでいた。

「つまりアスカの本名はアスカ・ツェッペリンで正真正銘のドイツ国籍を持っていたんだが8歳を境に失われてしまったんだ。それも永遠にね…」

「ちょっと…それはどういうこと?」

ミサトが思わず加持の腕を掴んだ。リツコの表情も曇っている。

「ドイツではアスカ・ツェッペリンは8歳で死んだ事になっているからだよ。母親と一緒にね…因みにこれがアスカの墓の写真だ。ベルリン郊外のテンプルホフにある墓地にキョウコ・ツェッペリンと共に眠っている…」

「な、なんですって!」

リツコは加持がダッシュボードから取り出したファイルフォルダーの中の写真を引っ手繰る様にして見た。

これは一体どういうこと…アスカの実名がマルドゥックのリストと違うというだけでも驚きなのに…ま、まさか…あの人はそれも承知で…それをわたしにも黙っているってこと?…一体、アスカには何があるって言うの…

「でも実は九死に一生を得て生きていた。この事実を掴んだズィーベンステルネという特別施設がアスカを保護した。そして、ドイツの警察当局には死亡したと偽の診断書を送り、別の遺体まで用意する周到さで警察の目を欺いた。アスカの死はドイツ国内の新聞に大々的に報じられたんだ。何たってアスカ・ツェッペリンの名はドイツで知らないものがいないほどの天才少女だったんだ。5歳にしてベートヴェン国際ピアノコンクールで大人に混じって優勝したほどの腕前だったからな…」

「ほ、ホントに?じゃあ…今のアスカは…」

ミサトは不安そうな目を加持に向けていた。

加持…アスカをあたしに…いや、ネルフに紹介したのは他でもない…あんた自身よ!それも惣流・アスカ・ラングレーとしてね…それを今頃、実はアスカ・ツェッペリンでしたなんて…正確無比なあんたがこんなポカミスを犯す筈ないわ…あんたが意味のないことを絶対にしないのはあたしが一番よく知ってる…どうして…

リツコが見ていた写真を今度はミサトが受け取ってまじまじと見る。リツコが加持に鋭い視線を送っていた。

「いや…本人にもその頃の記憶は無いはずだ。何者かがその当時の記憶を奪ったんだから別に俺たちに隠していた訳じゃないさ」

「記憶を奪われたですって?」

リツコの眉毛がみるみるつり上がっていく。

おやおや…りっちゃん…その様子だとアスカのことは本当に司令から何も聞いていないらしいな…

「そうだ。アスカは幼少期の記憶を奪われている。思い出そうとすると激しい頭痛に襲われるんだ。記憶操作をされていると考えてほぼ間違いがないだろう」

「何のためによ?」

ミサトが加持の腕を荒々しく掴む。

「アスカが唯一の目撃者にしてその生き残りだからさ。アスカが生きていると都合が悪い人間が何処かにいるんだろうな。さすがにその辺りまでは俺も分からないがね。まあとにかくアスカ・ツェッペリンは生きていたってことさ。でも何故か死んだ事にされた。そこで新たな戸籍や国籍が必要になって新たな名前も与えられた。曰くつきの天才少女の受け入れにアメリカ政府が同意して超法規的な扱いでアメリカ国籍が与えられた。名前はキョウコ・ツェッペリンの母親の旧姓である惣流とアメリカ政府がラングレーという姓を作って組み合わせて惣流・アスカ・ラングレーとなり、ここにドイツ人の両親を持ったアメリカ国籍の数奇な運命の少女が誕生したというわけさ。大体ラングレーなんて如何にもアメリカっぽい名前をドイツ人が持つこと自体がおかしいだろ?しかし、始めはアスカに国籍を与えることに消極的だったドイツ政府が第三支部との関係を慮って市民権を確保するために戸籍だけは提供すると言い出した。これはほとんどドイツで生活する時に支障が出ない様にするためだけの暫定的な措置で本気でアスカを受け入れたわけじゃない。つまり、殆ど無国籍状態に近いってわけだ…」

加持はジャケットのポケットからタバコを取り出して火をつけた。

「キョウコ・ツェッペリンはコンラット・フォン・ツェッペリンと日本人の惣流百合絵との間に生まれたハーフだ。ツェッペリン家は元はプロイセン時代から続いていた元貴族でテンプル騎士団を支援していたこともある由緒ある家柄でね。ナポレオン1世の時代に連合軍側としてナポレオン・ボナパルトの野望に果敢に挑んだプロイセン陸軍のフォン・ブリュッヒャー将軍の遠い親戚にも当たるんだ。ドイツ革命で帝政プロイセンが崩壊した後、ハンブルグに移って工業機械の事業を営んでいた。コンラットはその会社の4代目の社長だったのさ。惣流百合絵の父親は昔の横浜で小さな汽船会社を営んでいてね、アスカのお祖母さんは当時としては珍しくベルリンでピアノと声楽を学んでいた音楽生だった。特に留学時にJ.S.バッハのバロック音楽に傾倒してそれが元でカトリック教会で親の反対を押し切って洗礼まで受けたんだ。足繁く通っていた教会でベルリンにたまたま商談に来ていたコンラットに見初められて二人は出会ったその日の内に教会でそのまま結婚、コンラットと共に取るものも取り合えずハンブルグに移り住んでキョウコを儲けたという、なんとも情熱的な人ってわけだ。アスカはお祖母さんの血を多分に受けているのかもしれないな」

加持は一息つくとコーヒーをゆっくりと煽った。

「キョウコはハンブルグの生まれでベルリンのフンボルト大学(ベルリン大学)で物理学を学び博士号を取得して間も無くゲヒルンに入った。キョウコは理工学系のこと以外に一切興味がなかったというから機械工学の学位を持つ父親の影響が大きかったのかもしれない。学生時代に医学を学んでいたフランツ・ルンケルと知り合ってベルリンで結婚したんだ。二人は共にカトリック教徒で早い段階できちんと教会で結婚した。結婚後も二人は科学者と医者で論文を互いに執筆する立場だったから夫婦別姓で通した。そして暫くしてアスカを身篭った訳だが不幸な事にセカンドインパクトが発生して北ドイツ一帯を未曾有の大洪水が襲った。平地続きで海抜0メートル以下の地域が多いからね。キョウコは実家のことが気がかりでベルリンから身重の体でハンブルグにルンケルと共に引っ越した。図らずもドイツでは珍しい故郷での分娩になったというわけだ。アスカには母親の希望で母方の姓が与えられた。これはさすがに珍しいパターンだが申請すればOKだからな。だが、セカンドインパクト後の混乱でヨーロッパ各地で民族紛争が勃発。その間隙を突くようにネオナチが武装蜂起した。この背景には慢性的な若年層の高失業率に対する不満があったからね。ハンブルグでは血の日曜日事件が発生。外国人やユダヤ人を匿ったところは教会ですらことごとく油をまかれて焼き討ちにされた。多くの人間が生きながらに焼き殺されるまさに地獄絵図が展開された。コンラットは従業員に多くの外国人を雇っていてそんな脅しにも屈することなく自分の工場の中に逃げ場を失った多くの外国人やそれを支援して命を狙われていた市民を匿ってしまった。それが元でツェッペリン一族はことごとく皆殺しにされたんだ。惣流百合絵もその時に凶弾に倒れた。キョウコとルンケル、そして生まれたばかりのアスカはゲヒルンがいち早く手を回してハンブルグ支部に保護されて事なきを得た。家族はその後ベルリンにドイツ連邦正規軍の手で送り届けられたんだ。ゲヒルン研究所の方針もあってね。日本が東京に爆弾が落ちて大変な被害に見舞われたのもこの頃のことだがな」

ミサトが加持に写真を返すと手早く加持はファイルフォルダーをダッシュボードの中に仕舞った。

「ご存知のように今の第三支部はセカンドインパクト後に荒廃したハンブルグからゲヒルンが施設を引き上げてベルリンに機能を集約して出来たわけだが、その動きはゲヒルン時代から段階的に始まっていてね。家族はセカンドインパクト後の戦火を潜り抜けて血生臭いベルリンに留まったというわけさ。武装蜂起したネオナチは正規軍の組織的反撃の前に間も無く鎮圧されてドイツはヨーロッパの中でもいち早く治安を回復したんだ。その頃になるとバレンタイン条約批准の動きが世界で広がって次第に世界各地の内乱も小康状態になってきていた。その頃にアスカはたまたまピアノとヴァイオリンの才能を近くにあったベルリン芸大の講師に見出されて僅か4歳にしてベルリン音楽院で巨匠に師事した。そして5歳でいきなり世界の表舞台に立ったと言うわけだ。俺もここまで調べるのには随分苦労したよ」

リツコが後部座席の灰皿にタバコを荒々しく押し付けて消した。かなりイライラしている様だった。加持はじっとリツコの様子を伺っていた。

「アスカはベルリンの私立の名門女学校に通いながら音楽の指導を受けていた。ところがアスカが7歳の時に事故が発生して母キョウコが廃人同然になってしまった。キョウコはアスカが持っていた人形をアスカと思い込み、それが元でアスカの心は大きく傷ついた。そして幼いながらにアスカは懸命に自分に振り向かせようとあらゆる努力をしたんだ。この時期にアスカは世界各地のコンクールで賞を総なめにする勢いだった。しかし治療の為にキョウコは第三支部から離れて一人ベルリン市内のアパルトメントで療養生活を送ることになって父親もついに家を去っていった。アスカの努力とは裏腹に家族はついに四散してしまった。そして8歳の時の話に至るわけだ。アスカは学校の寄宿舎で生活していたんだが、そこをこっそり抜け出して母親に会いに行ったところで自殺に巻き込まれてこの世を去った、という事になっている」

加持はコーヒーを一口飲む。それにつられる様にしてミサトもリツコもコーヒーを飲む。

「この一連の工作に深くかかわっているのがズィーベンステルネ。ドイツ語で七つの星という意味の特別医療施設だ。この組織は未だに謎に包まれている。アスカはここで別の人間としての人生をスタートさせた。離婚調停を起こしたとされる実父の存在はいまいち判然としない。一体、何処で何をしているのやら…」

加持は持っていたタバコを運転席の灰皿で消した。リツコは新しいタバコに火を着けていたが全く落ち着きがない様に見えた。その様子に鋭い視線を加持は送っていた。

「まあ…それはとにかく、アスカには音楽の他にもう一つ恵まれた才能があった。母親譲りの物理学さ。既に7歳の時点で偏微分方程式をすらすら解くほどの天才ぶりで良家のご令嬢が通う名門女学校だったんだが学校側も相当持て余していたらしい。つまり普通の子として教育する事が不可能だったんだ。キョウコの自殺後、ズィーベンステルネは保護したアスカを知り合いが多いベルリンを避けてゲッティンゲン大学に入学させて新たな人生をスタートさせた。これが8歳の時で母親の死後わずかに半年後だ。それから驚きだが2年で「電磁誘導応用による自給型動力理論に関する研究」という論文を提出して見事に卒業。本人は博士号を取る気でいたがそのタイミングで…」

「あたしにアスカをあんたが紹介したってっことね」

「その通り。まあ以降は経歴ファイルの通りってわけだが」

ミサトは大きくため息をつくと加持を鋭く睨み付けた。

「あんた、ちょっとどういうつもりよ!こんな酷い目にあっているアスカをどうしてわざわざあたしに紹介するのよ!」

「どうしてって、その方がアスカにとってもいいからだよ」

「何ですって!」

加持は平然と答えるとコーヒーを飲み干した。

「あのままズィーベンステルネに操られるよりもネルフに入って母親の遺志を継いだ方がアスカにとっては幸せだろう?どちらにしてもあれ程の天才振りでチルドレンの適格要件を満たしているわけだしな。俺が手を下さなくてもマルドゥック機関だって放って置かなかったんじゃないのか?」

加持が口元に皮肉な笑みを浮かべながらタバコを咥えた。

「その理屈には納得が出来ないわね…」

リツコが加持を鋭く睨み付けた。

「おやどうしてだい?」

「どうしてって…アスカには普通の子として生きる道も全く無い訳じゃなかったでしょうに…少なくともあなたにアスカをネルフにわざわざ巻き込む権利は無い筈よ。それにそもそもどうやってあなたがアスカを知ったのかが気になるわね」

「確かに権利があるのかと言われると困るが…少なくとも普通の女の子として生きる道ってやつは難しかっただろうな…何と言ってもアスカはキョウコ・ツェッペリンの自殺の真相を知る唯一の人間で記憶を操作された挙句に別の人間としての人生をスタートさせられているんだ」

「ただの自殺でしょ?どうしてそんなに拘る必要があるの?精神的なショックで記憶を失った可能性だってあるわ」

吐き捨てる様にリツコが言う。

その言葉にミサトが思わず驚いてリツコのほうを見る。加持は目を細めた。

リッちゃん…いつからそんな物言いをするようになったんだ…自殺に常識的なものなど何も見出せない筈だぜ…だが、どうやらこの話を聞いて一番ショックを受けているのはリッちゃんの方らしいな…その辺は同情するよ…碇ゲンドウについて行くしかないって考えているのに知らされていない事があるっていうのはな…辛いよな…しかし、この陰謀はやはり碇ゲンドウとゲオルグ・ハイツィンガーの二人の間のことだけだと考えてほぼ間違いあるまい…

「確かに。ただの自殺だった可能性もあるかもしれないな。しかし、仮にもカトリック教徒が自殺し、そして離婚までするだろうかってね。素朴な疑問もあるわけだ。それにただの自殺ならアスカはアスカ・ツェッペリンとしてそのまま生きていてもよかった筈だ。なぜ、惣流・アスカ・ラングレーとして生きねばならなかったんだろうな?」

「そこまではあなたの管轄ではないわね」

「まあな。勘ぐればいくらでも疑問というのは湧いて出てくるってことかな?」

「言った筈よ。フランクフルター・ツァイトゥンクもほどほどにって…」

加持は勢いよくタバコの煙を吐いた。まるでため息の様に。

「ふふふ。俺もさすがに伊達や酔狂でこの件を追っている訳じゃないんでね。まあ少なくともアスカは下手にあの時に生き残らずに死んでいた方がマシだと思う位の事をされていても健気に生きている。今のアスカがアスカでいられるのは自分のアイデンティティを失っているからとも言えなくもない。そんなアスカは自分が生きる価値を見出すための場所が必要だったという側面もあったんじゃないかと思ってね。そして事実として弐号機を駆ってネルフを使徒から守っているのは確かだ。そこに誇りや自分の価値を見出している。それが例え地獄の中だったとしてもさ。それに…」

加持はタバコの煙を窓の外に向かって吹く。

「…」

リツコとミサトは無言で加持の方を見ていた。

「それに…俺がアスカの存在を知ったのはネルフの情報部員として弐号機のリリースの情報防衛を各国機関に対して行っていた過程での話だ。ネルフ発足一年前に起こった第三支部、当時のゲヒルン研究所内での事故に関する情報を洗っている時にたまたま浮かび上がったに過ぎない。調べてみたらあれほどの素質を持っていることが分かった。それでたまたま欠員が出て困っていた葛城に紹介したってわけさ。もっとも一連の陰謀に関わったズィーベンステルネがアスカを野放しにする訳が無い。適当に泳がせておいて都合が悪くなったら始末する、そんな鳥かごの中の鳥だったんだ」

「じゃあそれをあんたがRitter気取りでお姫様を助けたって言いたいわけ?」

「言い方にやけに棘があるな、葛城…まあ、Ritterはともかくそんな状況に置かれるよりはネルフにいた方が遥かにマシだったろうし、第一、アスカの幸せもそこにあるんじゃないか?」

加持はリツコの顔をバックミラー越しに窺う。

「どういう意味かしら?」

「今のアスカには少なくとも弐号機が必要でそしてアスカはエヴァのパイロットである事を誇りにして生きてる。これは皮肉の様だがある意味で最高の組合せなんじゃないかなと思ってね」

「加持君、あなた…」

「まあ、それはともかく…俺が今、一番懸念しているのはそこに楽譜があるってことなんだ…」

ミサトとリツコは加持の言葉に思わず後部座席に置かれているアスカのトートバッグに目を向けた。

「この楽譜はアスカがアスカ・ツェッペリンであるということの何よりの証拠だ。どうしてこれがアスカの手元に残っているのか?痕跡を消すのは情報機関の初歩中の初歩だぜ?そういう俺もアスカがこいつを忘れなかったらこのことに気が付かなかったがな。今のアスカの様子からすると本人もこの楽譜が自分の記憶を蘇らせるキーになっていることに気が付いているかもしれない。少なくとも俺が会ったときは平然とそれを受け止めていて戸惑っている様子が全くなかった。その辺の反応も不自然で解せない」

ミサトが思わず口を開いた。

「でもさ…」

「おっと、すまないがそろそろ出ないとパーティーに遅れるぞ。ちょっと飛ばしますよ」

加持はクワトロをゆっくりと滑らせて行く。加持はちらっとバックミラーでリツコの様子を伺う。リツコの顔色は優れなかった。青ざめているようにも見えた。

普通の女の子…か…アスカに限らずネルフに関わった人間はみな、普通の人生を歩むことは難しいだろうな…この俺も含めて…さあ、リッちゃんどうする?これだけの情報があるんだ…今度こそファラオも動かない訳にはいかないだろう…

加持は運転席の窓に映った自分の顔を見ながらタバコに火を着けた。
 



Ep#03_(8) 完 / つづく 

(改定履歴)
29th June, 2009 / 表現修正
26th Apr, 2010 / 誤表記修正
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