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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第19部 Never come back here... さらば青春の日々


(あらすじ)

同じ時代を生きてきた仲間。共に苦難を乗り切ってきた仲間。性格も生い立ちも全く違う3人だったが唯一共有したあの日々だけは同じだった。目の前に広がる黒い海にそれぞれの進むべき道を求めて決然と別れを告げるミサトとリツコ、そして加持…
「Evaって何なのよ!」
「あなたに渡した資料が全てよ!」
「うそね!」
日はすっかり西に傾き夕日だけが静かに地底湖を照らしていた。

Sailing / Rod Stewart … 非常に古い歌ですが。
(本文)


ミサトはリツコを始めとして日向、青葉、マヤを対策会議のためシミュレーションルームに集めていた。

一方、第12使徒は第三東京市の中心に近いところで突然動きを止めた。初号機を取り込んでから一切、目立った動きは見せていない。

本部強襲の危機がとりあえず回避されたことは不幸中の幸いだった。その使徒の動きを見極めたうえで地上では国連軍の地上部隊による包囲網構築が完了していた。

そして例によって各国の哨戒機が高高度で飛来して情報収集に余念がなかった。それは同時に初号機の喪失は前回とは異なり「誤報」では済まされない事を意味していた。

使徒の強襲の懸念が薄れた事から専ら対策会議の議題は第二派攻撃の戦術検討から初号機の救出がメインになっていた。この対策会議での決定事項がある意味で試金石になるとミサトは認識していた。

国連軍に要請する内容があまりに突飛だったらうち(ネルフ)の戦術レベルの底が知れる…かといって…

ミサトはちらっと会議テーブルの対向の位置に座っているリツコの様子を伺う。

初号機喪失はGrade SのIssueだからねえ…対策本部長は自動的にリツコになる…マック(マクダウェル准将)のおっさんをどう誤魔化したものか…あのオヤジ…あたしと同じで嗅覚だけで生きてっからなあ…鋭いんだよね…

階級的に准将と雲泥の差があるミサトだが特務機関ネルフの制服組(軍事担当)トップの資格でカウンターパーソンになっていた。

しかし、どちらかと言うと准将はミサトがゴールデンイーグル(国連軍陸上部隊の最精鋭)に属して「女トール(女雷神)」の異名を取っていることに一目も二目も置いている節があり、ミサトにかなり気安かった。

どっちにしても…可及的速やかな救出作戦を展開する方向に持っていかないと…





会議が作戦部のオペレーションルームで始まった。

エントリープラグの生命維持能力はきわめて高いため使徒内部に取り込まれたとはいえシンジの生命が直ちに脅かされることは無かった。

しかし、エントリープラグの生命維持装置のエネルギーはEvaの内部電源から取っていたため当然無尽蔵というわけではない。Evaをサスペンドさせて節電したとしても最長で16時間しかもたなかった。

「幸いシンジ君の生命には別状はありませんし、使徒内部で何らかのことが起こっているようにも見えません。また錯乱して闇雲に使徒内部でEvaを動かしている様子もありません」

青葉が静かに初号機の現状分析の結果を告げる。それに頷きながら日向が続ける。

「しかし、仮にこのままだとしてもエントリープラグの限界はMAGIの試算で4時間38分程度ですから…」

ミサトが口を挟む。

「じゃあそれまでに救出しないといけないということか…」

一同が明確なタイムリミットを与えられて暫く無言になる。

唯一、リツコだけが眉間に皺を寄せてイライラしていた。その様子をちらっとミサトは横目で見ていたがすぐに議論を前に進めた。

「あの影みたいなやつのことはもっと具体的に割り出せないの?」

リツコが無言のままマヤに向かってあごでしゃくった。リツコに促されてマヤは慌てて口を開く。

「は、はい…えっと…影に見える使徒本体ですが厚みは3nmで直径は当初100mでしたが現在は680mまで拡大しています。あの使徒の特徴ですがATフィールドでまるで空間を支えているような状態です」

「空間を支える?」

ミサトがマヤの言葉の意味を図りかねた様に聞き返した。リツコが憮然として答える。

「そうよ…あの使徒はまるで異次元への入り口みたいなものね。シンジ君たちが集めたデータをもとにMAGIで解析させると信じがたい結果がでたわ。ディラックの海に通じている可能性が示唆された」

「ディラックの海?」

ミサトが眉間に皺を寄せる。日向も青葉も思わず顔を見合わせていた。

「虚数空間という人もいるけど現代物理学的には四次元の世界とでも言った方がいいかもしれないわね。物理学と数論の間で起こった「統一理論」の先駆け的な存在だけれどシュレーディンガーの波動方程式にはアインシュタインの相対性理論がその当時は考慮されていなかった。これを組み合わせたのがポール・ディラックで彼の理論により電子と陽電子、それから電子のスピンが説明できるようになったの。当時としては画期的な発想ね」

全員の視線がリツコに集まる。

「でもその時に問題になったのは電子をまるで反転させたような陽電子という存在と今日では珍しくないけど場の理論との関係だったの。ディラックの理論を説明するためには例えば真空状態でも電子で延々と満たされているという仮定をする必要があった。この仮定をディラックの海と昔は呼んでいたけど当然にパウリの排他原理との矛盾が生じるためにかなりの論争になった」

青葉が静かに頷いていた。

「確かにそうですね。真空が電子で満たされるという仮定は電子が質量を持つ訳ですから既に矛盾が生じてます。だから量子論における真空は、決して「何もない」状態ではない。常に電子と陽電子の対生成や対消滅が起きていると考える必要があるわけですね」

青葉の言葉にリツコが頷く。

「その通りよ。後の物理学者により、この概念(空孔理論)は拡張、解釈の見直しが行われて現在の場の量子論において真空とは物理系における最低エネルギー状態として定義されている。粒子が存在し且つ運動しているとその分のエネルギーが余計にあるわけだから、それは最低エネルギー状態でなくなる。だから粒子が一つもない状態が真空だけど、場の期待値はゼロでない値を持ちうるってわけ。まあ平たく言えばディラックの海というのは現在では場の量子論を導入することでわざわざ考える必要がなくなったのよ。あの使徒はある任意のエネルギーを閉じ込めた四次元空間への入り口ってくらいに考えた方がいいかもね」

「四次元空間か…何かSFチックね…」

ミサトは両腕を組むと沈痛な面持ちになる。

そんな得体の知れない世界に入り込んじまったものを…どうやって救出できるって言うのよ…

「重要なのはディラックの海という文言の是非にはない。驚くべきはATフィールドがエネルギーを有する空間をも形成することが可能という点ね。そして素粒子論的には青葉君の言った通りで十分なエネルギーが存在している状態であれば不滅と思われがちな物質が、新たに発生したり消滅したり出来るという物理的事実の方よ」

リツコは椅子から立ち上がると両手をテーブルに突く。

「つまり、あの使徒の展開するATフィールドの中では一種のパラレルワールドを構築することも理論上は可能になるということ。その中に初号機とシンジ君という存在を取り込んだ時、この両者の間で何らかの干渉作用が発生する可能性が考えられる。その干渉作用が一体何処まで及ぶのかは誰にも分からない…」

「じゃあ…救出はおろか生存すら難しいって事?」

ミサトがリツコに鋭い視線を向ける。隣にいた日向が思わず体を仰け反らせた。

それに怯むことなくリツコがミサトに同種の視線をぶつける。

「そうね…方法が全く無いわけではないけれど沈没船を引き上げるようなわけには行かないわね…」




 
リツコはミサトを別の場所に呼び出した。

「初号機の強制サルベージを計画したからこれに基づいて作戦の実行をお願いするわ」

「これがあんたがさっき言っていた唯一の方法ってやつ?」

「そうね…要領を書いたファイルはこれよ」

リツコはミサトにファイルフォルダーを手渡す。受け取ってぱらぱらと捲りながらミサトが作戦要領を書いたページの部分で目を留める。

そしてじろっと上目使いにリツコを睨む。

「なるほど…エネルギーをATフィールドで閉じ込めた空間が使徒だから、その中から初号機をサルベージしようとすればATフィールドを零号機と弐号機で中和してそのエリアに過剰なエネルギーを加えて内部に干渉作用を与える。この内部干渉を利用して使徒内部に入り込み初号機を確保するってわけね」

「その通りよ。飲み込みが早いのはさすがね」

「一つ質問があるわ…」

「なにかしら?」

「ATフィールド中和後に加えるエネルギー量がN2爆雷992個分とあるけれど途轍もない数字だわ」

「そうね…」

「使徒内部で発生する干渉作用のエネルギーは使徒内の抵抗要素のよるエネルギー損失がいくらかあったとしても保存則的にほぼ同等のものを初号機が受けると仮定すれば…」

ミサトはあえて一呼吸置くとリツコの様子をじっと窺う。リツコはミサトと目が合いそうになると眼を逸らした。

このエネルギー量の意味…E計画責任者のあんたが分からない筈ないわ…

「いかにEvaが特殊装甲15000ピース持っていたとしてもまるで持たないことになるわね…」

一介の軍人でも…いや…だからこそ装甲の強度は常に計算に入れて敵の火線(射程範囲内)に立つ…それが戦術に生きるものの習性…

「…」

さすがはミサト…誤魔化せる相手ではないことは分かっていたつもりだけど…

「つまり…この計画によれば初号機の破片だけでも回収するということを優先しているようにしか見えないけど?」

リツコは観念したかのように小さくため息をつくとジロッと鋭い視線でミサトを見た。その眼を見た時、ミサトは自分の懸念が確信に変わるのを感じていた。

リツコ…あんた…どうあっても初号機を取るつもりね…ネルフに…いや…あんたが司令と進めるものに大義が無いってことが分かったわ…それに…

明らかにあたしが懸念していた通りの見事な回答だわ…こんな「救出作戦」…聞いて呆れるわ…凡人ってのはね…リツコ…見た目が全てなのよ…後から分厚い資料を提出して弁明しても無意味なのは歴史が雄弁に語ってるわ…

理屈と理論で世間を黙られると考えるのは学者だけよ…この世の大半はあたしの様な愚民で成り立ってるのよ…国家でも…理論でも…イデオロギーでもない…愚民がこの世界を動かしているのよ!あんたたちはその事を忘れてるわ…

ミサトもリツコを鋭く睨みつける。

ミサト…あなたが馬鹿だったらよかったけど…あなたは賢過ぎるわね…軍人にして置くのはもったいなさ過ぎるほどに…ね…でも…あの人の進む道はわたしには天意に等しい…いわば戦略と戦術のレベルで語るならば例えあなたと決別したとしても…わたしも引くに引けないところに来ているのよ…この計画は…飲んでもらうわよ!!

「その通りよ。初号機の機体回収を最優先するわ。その際にパイロットの生死は問わないってことになるわね…」

「ふざけないでよ!」

バシッ!

ミサトはリツコを平手打ちした。

「うっ」

リツコのメガネが飛ばされて床に音を立てて落ちていく。リツコは殴られたほほに手を当てながらミサトを睨み付ける。

「忘れないで!作戦を失敗したのはあなたなのよ!」

ミサトもリツコの顔を睨みつけた。

「そんなことは言われなくても分かってるわよ!」

ミサトはリツコに近づいていくと両腕を掴んで抱え起こす。

「リツコ!あんたや司令がそこまで拘る初号機には何があるのよ!いいえ!そもそもEvaって一体何なのよ!あんたは何を隠してるの!」

「何も隠してなんていないわ!あなたに渡した資料が全てよ!」

「うそね!」

「とにかく!この初号機強制サルベージ作戦の実行責任者はこのわたしよ!あなたは言われた通りに準備をする義務があるわ!」

「リツコ、あんた…」

ミサトはリツコの顔を見ながら先日、加持と共に見たターミナルドグマに磔にされていた七つ目の巨人姿が頭を過ぎっていた。そして加持と一緒にそこを後にした時に交わした会話を思い出していた。

決して対岸の火事みたいなことをいうつもりは無いけど…少なくとも救いの手っていうのはお仕着せじゃねえっつーことだけはあたしでも分かるわ…使徒はあたしが必ずこの手で全て倒してやるわ!それは保証してあげるから安心していいわよ…

でもね…リツコ…あんたや司令は知っておくべきよ…あたしを他の目的のために…それも下らないことに利用しようものなら…使徒の後を追う事になるわよ…司令も!そして…あんたもよ!リツコ!!

「ふんっ」

リツコがミサトの手を振りほどくと髪を整えながら足早にその場を去っていく。ミサトはリツコの後姿を睨みつけていた。

とにかく…今はシンジ君を救出する事に集中しなければ…あたしはアスカとシンジ君を守らなければいけない…加持との約束…今度はあたしが果たす番よ…

地底湖の水面はただ静かに地上の夕日を鏡の様に反射するだけだった。ミサトの左薬指のリングが夕日を受けて赤く燃えていた。






Ep#06_(19) 完 / つづく
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