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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第30部 Cry, Cry and Cry / 15歳

(あらすじ)

2015年12月4日。アスカは15歳の誕生日を迎えていた。同居人だけの小さなパーティーで束の間の家族団欒を楽しもうとする葛城家に一人の訪問者が現れる。マヤだった。マンションの外でマヤはミサトに加持の悲報を告げる。
「お気の毒です…」
「まあ…こうなる事は覚悟していたしね…つくづくバカで自分勝手な奴…」
言葉とは裏腹にミサトの頬に一筋の涙が流れる。

「怒りの日」は刻一刻と近づいていた…

Bed of Roses / Bon Jovi
(本文)

2015年12月4日 第三東京市 晴れ 気温32.5℃

シンジが目覚めると天窓から強い日差しが差し込んでいることに気が付いた。

今、何時だ…

半分寝ぼけた状態で枕もとの目覚まし時計に手を伸ばす。時計のデジタル表示は既に午前10時半だった。

「う、うそだろ…」

シンジはクラクラとベッドの上で眩暈を起こしていた。

今日は金曜日だ。

しかも、学期末試験は来週の月曜日から始まるため同じ週末でも今日という日はシンジにとって意味が大きく異なった。まだ試験範囲に達していない今日の英語の授業は特にすっぽかす訳には行かない。

悠長なことを言っている場合ではなかった。シンジは猛然と起き上がると慌てて制服を引っ手繰った。

「あのミラクルバカ…よりによって何で今日に限って…」

己の不覚もさる事ながらシンジ専属のもう一つの目覚まし時計であるカヲルが機能しなかった事に怒りがこみ上げてくる。

一年を通して夏の日差しが続く日本で一年の暦を意識の中に定着させる事は非常に難しかった。曜日の感覚は身についたとしても今が何月何日なのかは労働者でも無い限りさして重要ではないため、小中学生で「今日は何日か?」と問われて即答できるのはおそらく半数もいないだろう。

シンジもそんな一人ではあったが…

ともかく、シンジの一日が慌しく始まろうとしていた。



昨夜、何の前触れも無く突然アスカが帰ってきた。黄色いタンクトップにデニムのホットパンツという軽装の少女は全くの身一つで玄関に立っていた。

玄関先でシンジとカヲルはアスカを出迎えた。

「ただいま…」

やや照れ臭そうに微笑むアスカにシンジは咄嗟にどう声をかければいいのか分からなかった。

二人の間には余りにも色々な事がありすぎた。外では何度と無く顔を合わせていた二人だったがこのマンションで会ったのは喧嘩別れして以来のことだった。

アスカの後ろにはミサトが用意したホワイトボードがかかっているのが見える。レリエルとの戦い以来、誰も使っていない。

や、やっぱり…お帰りかな…

「お、おかえ…」

シンジがおずおずと口を開いた瞬間、カヲルが一歩前に出るといきなりアスカを抱きしめていた。

「よく帰ってきたね…本当によかった…遠慮することは無い…ココは君の家なんだから」

「ありがとう…アイン…」

アスカの白い腕がカヲルの背中に回される。ごく自然に二人はお互いを抱擁し合っていた。

な、何なんだ…これは…一体…

シンジはその光景が余りにも衝撃的だった。頭を何か硬いもので殴られた様な感じに近かった。

誰にも心を開かなかった君…明るく振舞っていたけどどこか危なげで壊れてしまいそうだった君…誰にも自分の物を触らせなかった君…肌が触れ合いそうになるだけで真っ赤になっていた君…そんな君はいつか…僕のこんなに近くにいて…笑って…怒って…寂しそうにしていた…君は僕が自分の何だったのか…分からなくなったと言っていた…そしてキャンプの時に…

「ねえ…もし…何もかもが駄目になってしまって…アタシが何か間違った事をしそうになったら…アタシを…アンタが殺してくれない?…」

君はそう言って夕日に染まった顔を僕に近づけてきたんだ…でも…そんなの…そんなの…出来るわけない…僕は夢を見た…レリエルの中で…レリエルの外に出てきてからも…何度となく…君の夢を見た…僕は君を傷つけて…そして殺そうとした…君は自分を傷つけて…そして死んだ…

「そんな事…出来るわけないじゃないか…」

僕はそんなのが嫌なんだ…もう誰にも新で欲しくないんだ…みんなで…みんなで生きていきたいんだ…どうしてみんなで楽しく生きられないんだ…それが甘いのは分かってる…僕は父さんに別れを告げた…運命と向き合って未来を変えると心に決めた…でも…やっぱり…僕には無理なのかもしれない…一人じゃ何も出来ないんだ…僕だってスーパーマンじゃないんだ…

「アンタって優しいのね…でも…その優しさが場合によっては他人(ひと)を傷つけるかも知れないわよ?…よく考えて…どうすることが一番自分にとっていい事なのか…もし…アタシがアンタにとって不幸になるんなら躊躇わないで…別にそれで恨んだりしないから…」

そう言って…君は立ち上がって夕日の中に消えて行った…僕には分からない…君が何故そんなことを言うのか…どうして僕にキスをしながらそんな事を言うのか…

「シンジ…ただいま…」

アスカはシンジの視線に気が付くとカヲルの肩越しから僅かに微笑みかけていた。

そんな格好で…僕の名前を…

「ねえ…どうしたの?」

気安く…呼ぶな…

「お帰り…」

シンジはアスカとカヲルをその場に残してキッチンに歩いて行った。

その後、アスカとカヲルがどうなったのかシンジは知らなかった。そのまま自分の部屋に閉じ篭ってしまったからだ。

僕は…昨日…本当に嫌な奴だった…かもしれない…せっかく…アスカが帰ってきたのに…

最大の懸案事項だったカヲルによるアスカの部屋の不法占拠は結局どうなってしまったのか。二人が争う気配が全くなかった事を考えると上手く話し合いが付いたという事なのだろうか。

半殺しにされると思ってずっとビクビクしていた自分が腹立たしかった。



シンジは学生服のズボンを穿いたものの上半身はTシャツ姿のままで右手に白い開襟シャツを持ったまま立ち尽くしていた。

まさか…二人で同じ部屋に…

シンジは自分でもどうしてこんなに気分が悪いのか分からなかった。少なくとも寝起きの悪さというだけではない事は確かだった。

「くそ…ムカつく」

シンジは何かに突き上げられるようにして荒々しく自分の部屋のドアを開け放った。

「カヲル君!」

マンションは静まりかえっていた。

全く人の気配がしない。

「カヲル君!」

二人とも何処行ったんだ…

シンジはマンション中を隈なくチェックしたがカヲルはおろかアスカの姿も見えなかった。

作戦部再編後に組織されたEvaチームの中で第一中学校に通っているのはレイとシンジとトウジの3人だけだった。アスカは退学(拘留中に大学既卒を理由に編入許可が取り消された)となり、カヲルは来日以来ずっとマンションとジオフロントの間を往復する生活を送っていた。

カヲルとトウジは予備役だったため当番(ネルフ本部の当直勤務の事。チルドレンの間では当番と呼び合っていた)のシフトに組み込まれているわけでもなく、シンジが学校に行っている間、カヲルがどこで何をして日がな一日を過ごしているのか皆目見当も付かなかった。

もっとも真相を探りたいという熱意も興味もシンジには全く無かったが…

しかし、今日はどこか感情的にしっくり来なかった。

本来の同居人であるアスカが帰ってきた翌日という事もあったが、カヲルはともかくアスカも家を空けてしかも自分を起こしてくれなかった事がやけに気になった。

そういえば…ケンカ別れした朝も今日みたいに…

シンジは一人大きなため息をつくと自分の部屋に戻って学生かばんを荒々しく引っ手繰る。

記憶が無いみたいなことを言ってたけど…家に帰ってきて急に何かを思い出したのか…記憶が無いことをいいことにアスカに適当な事を言ったのは僕だ…結局…

「記憶が戻って困るのは僕じゃないか…」

シンジは自分でもキャンプの時にアスカの背中を追いかけた衝動がよく分からなくなっていた。

とにかく嫌だった…あのままアスカを一人行かせたら駄目だと思った…

シャツをズボンの中に入れながらシンジはキッチンに向かう。

アスカと入れ替わるようにカヲルとの同居が始まった。ネルフ関係者に賃貸物件を貸したがらない大家が急増して思うようにカヲルの新居が見つからないという事もあったがシンジの中ではカヲルという存在も微妙に距離感がつかめずに戸惑いを増していたのである。

しかも…

やっぱりカヲル君とアスカは知り合いなんだ…ミサトさん…そんな事何にも言ってなかったけど…聞くもの変に思われるだろうし…ミラクルバカはまともに答えないし…いっその事…アスカに…

キッチンを横切って玄関に向かっていたシンジの目に小さなメモ用紙がテーブルの上に置いてあるのが入ってきた。

ま、まさか…アスカ…

シンジは慌ててメモ用紙を手に取った。しかし、そこにはあり得ないほどへたくそな字が薄いピンクのメモ用紙の上で踊っていた。



アスカわ かいものに いくですが カヲルは おなじです カヲル

↓(シンジによる脳内変換後の訳)

アスカと仲良く二人で買い物に行ってきます カヲル



シンジの期待は見事に裏切られていた。

「勝手にしろよ…」

シンジは片手でメモ用紙を握り潰すとゴミ箱の中に放り込み、どかどかと玄関に足音を鳴らして入るとスニーカーを穿く。自動扉が勢いよく開くとシンジは瞬く間に噎せ返りそうな暑さに包まれる。

何で僕はイラついているんだ…何なんだ…この感情…

今日も憂鬱な一日が始まろうとしていた。
 





日はすっかり西に傾いていた。

シンジは真っ赤に染まった芦ノ湖の水面を見詰めていた。シンジの立っている場所から数メートルのところを国道が走っている。

第三東京市と新横須賀(旧小田原市)を結ぶ主要道路だったが使徒襲来で被害を受けることも少なくないため、県外ドライバーの多くは第三東京市の北側に入る道を利用していた。そのため南側のこのルートは比較的交通量が少なく専ら地元民の生活道になっており、第三東京市近辺の住民からは南岸線と呼ばれていた。

シンジは学校が終わるとリニア駅を通り何故かマンションの前もそのまま素通りしていた。そして黙々と炎天下の中を歩き続けて気が付けば第三東京市の最南端に位置するD地区も抜けて新首都高湾岸線、そして南岸線を抜けて芦ノ湖の湖畔まで歩いてきた。目の前に広がる湖を前にしてようやく歩みを止めたのだった。歩いて帰るには相当の距離がある。

シンジは湖面に映る夕日を見てため息をつく。

何か…帰りたくない…


「シンちゃーん!!」

よく通る大きな声とけたたましいクラクションの音が立て続けに辺りに響く。シンジが驚いて道路の方を振り返ると路肩に見慣れたプジョーがハザードを付けて止まっているのが見えた。車の中からサングラスをかけた髪の長い女性が出てきた。ネルフの高級士官の制服を着たミサトだった。

「ミ、ミサトさん…」

ミサトはガードレールをさっと飛び越えるとシンジの方に向かってゆっくりと歩いて来る。褐色に染まった砂を踏む音がだんだん近づいてくる。シンジはミサトの姿を見て自分でもよく分からなかったが何故か緊張した。

「おい!そこの男子!何こんなところでたそがれてんのよ?この世の終わりみたいな顔しちゃってさ」

「そんなんじゃ…ないです…そ、そんな事よりミサトさんこそ何で南岸線を…」

「え?今日は新横須賀の国連軍にちょっち用事があってね。その帰り道ってわけよ。夕日が綺麗だったからさあ、外を見てたら何か…たそがれている少年がいるじゃない?入水自殺すんじゃないかと心配になって見てたらそれがウチ(葛城家)の子だったって訳よ。どうしちゃったの?昨日、アスカ帰ってきたんでしょ?」

「ええ…まあ…」

「さっきアスカからメールもらったんだけどさ…今日、カヲル君と二人で第二東京市に買い物に行ってるらしいじゃん?」

第二東京市に?何でそんなところに二人で行く必要が…

途端にシンジが顔を顰めるのをミサトは目ざとく見つけていた。

「そんなの…僕には関係ないですから…別に誘われてもいないし…」

ミサトはニヤニヤしながらシンジに顔を近づけて覗き込んできた。シンジは驚いて思わず上体を仰け反らせる。

「ふーん…なるほどね…」

嗅ぎ慣れたミサトのメイク特有の香りとかすかな香水の匂いがした。世の中の仕事を持つ母親の家庭ではこれが母の香りとして子供の記憶に刻まれることもあるだろう。

何処か懐かしいその香りがシンジの今まで押さえ付けていた自分の感情を開放させていた。

「な、何なんですか!からかうのは止めて下さい!」

シンジがミサトの視線から逃れようとして身体を捩(よじ)る。いきなりミサトはシンジの両の手を握ってきた。強い力だった。ハッとしたシンジはミサトの手に包まれた自分の手と朱に染まった保護者の顔を交互に見た。

「昨日とか今朝とか…アスカ達と何があったかしんないけどさあ…シンちゃん…もしかしてヤキモチ妬いてない?」

ミサトが悪戯っぽく笑ってシンジの顔を見る。夕日に照らされたシンジの顔の色は判然としなかったがミサトには真っ赤になっている様に見えた。

「や、ヤキモチって…ど、どういう事ですか?」

「ん?ヤキモチって…じゅえらすぃーってことよ。きまってんじゃん」

「そ、それは分かってますよ!僕が聞いてるのは何で僕がって事ですよ!もういい加減に放して下さいよ!僕、怒りますよ!」

シンジはムキになってミサトの手を荒々しく振りほどく。

ミサトは微笑んだまま上体を戻すとそのまま腕を組んで居心地悪そうにうな垂れている色白の少年を見下ろしていた。自分の感情を持て余して空回りしているシンジの姿にいつの間にかミサトは父と確執していた頃の自分の姿を重ねていた。

研究に没頭するあまり家にもロクに帰ってこなかったお父さん…結局…お母さんは愛想を尽かして三笠の実家に帰ってしまった…子供のあたしにとってそれは残酷な選択だった…お父さんと残るか…お母さんについて行くか…親の都合で結婚して…別居して…子供はその間で立ち尽くすしかない…大人の間で翻弄される子供たち…あたしが14、5歳の時…何をしていた?誰かにヤキモチを妬いていた?あたしにとってシンジ君たちは唯一の戦力…将来…あたしは非情な判断を下さなければならないかもしれない…でも…この子達は…

「シンちゃん?ヤキモチって別に恥ずかしい事じゃないわよ?まあ…それが過剰だとちょっち問題あるけどさ。オネーサンは逆に嬉しいかもね。そんなシンジ君が見れてさ…」

嬉しい?…どうして?…僕…最低じゃないか…ミサトさんに対する態度じゃ…ない…

シンジは拳を握り締めていた。頭の中は滅茶苦茶だった。ただ、無性に腹が立ちイライラが積もる。

「シンジ君を預かってちょうど半年経ったけどさ…その時のシンジ君はお父さんみたいな大人の男の人も苦手だったけど同世代の子ともうまく溶け込めそうに見えなかったっつうか…まあ要はこの子は人間関係がうまく出来るんだろうかと正直心配だったのよ。その心配はある意味で今もまだあるけどさ」

「…」

「ウチに来た時…シンジ君は一人で生きてもいいって思ってたと思う。確かに口には出しては言わなかったけど何となく側にいたら雰囲気で分かっちゃうしね。だから…シンジ君がウチを飛び出した時は今だから言えるけどもう駄目かなあって半分は思ってたんだ…」

シンジはおずおずと顔を上げてミサトの顔を見た。

万事に投げやりで父親の代理人の様なミサトに激しい反発心を持っていたシンジは第4使徒戦における作戦無視をミサトに咎められた時、まるで暴発した弾丸のようにマンションを飛び出した事を思い出していた。

あの時も自分が何に対して腹を立てているのか分からなかった。

「シンジ君は他人(ひと)を避けていた。まあ…あたしもどっかでシンジ君と向き合うのを避けていたと思う。どっちもどっちだけどさ…でも…みんなさ、他人に避けられるのは嫌なんだよね…自分は避ける癖にさ…でも一人になろうとする人にあえて寄って行く人って少ないじゃん?それが更に自分を傷つける…悪循環ってやつ?でもさ、そうやってあたし達はここまでやってきたんだよね…一応…家族としてさ…」

「家族…」

「そう!家族よ!」

ミサトは腕を組んだまま芦ノ湖の西岸に沈んでいく夕日の方を向いた。シンジもそれに倣う。二人は夕日を見詰める。

「お互いさ…家族や人間関係で絶望してたと思うけど…今…あたし達は家族なんだよ…多分…だからさ…シンジ君が他人に興味を持つ様になるなんてって…それがあたしの嬉しさの正体よ…色々なことがあったけど共同生活もあながち無駄じゃ無かったんだっておもうとさ…なんか…ね…」

ミサトさん…

「アスカがどうしてシンちゃんに今日声をかけなかったか…知ってる?」

「いえ…」

「当番表でシンちゃんが今日は学校だって知ってたからよ。それから今日はあの子の15歳の誕生日でしょ?」

「え?き、今日が?12月4日…」

「そうよ。忘れてたの?ドイツ人ってね、自分の誕生日にね、ここまで自分を大きくしてくれてありがとうっていう気持ちを込めて日本とは違ってさ、誕生日を迎えた人がケーキや料理を身近な人に振舞って感謝の気持ちを伝えるのよ?」

「誕生日を迎えた人が…」

「そうよ。だからアスカはカヲル君を連れて買い物に行ったのよ…分かった?」

「…」

「おい!少年!分かったら一緒に帰るぞ!うるさいマスコミもアイドルの薬物事件の方に飛びついてようやくいなくなったみたいだしさ…」

ミサトはシンジの右手を握ると引っ張る様にして歩き始めた。

僕…こんな時に…どういう顔をすればいいんだ…

シンジは所在無くミサトの車の助手席に座る。足元には缶コーヒーの空き缶やクーポン券の付いたフリーペーパーなどが乱雑に転がっていた。

僕を迎えに来た時も車の中が汚かったけど…相変わらずだな…ふふふ…

シンジは思わず思い出し笑いをしていた。

「そうよ。男の子も女の子もさ。やっぱ笑顔が一番!ちょっち飛ばすわよ!」

ミサトは車線に出るといきなりアクセルを踏み込んだ。低速でパワーバンドぎりぎりまで引っ張ると荒々しくシフトチェンジする。あちこち凹んで傷が入っているプジョーは夕日を浴びながら湖畔を疾駆した。新首都高の湾岸線の陸橋を潜り抜けると工事が進むD地区の団地群の横に出た。

そういえばこの辺は綾波の家の近くだ…

レイがいつも利用するモノレール駅が遠くに見える。車内のデジタル時計は夕方の6時を指していた。

「今日はレイもうちに来るわよ」

「え?綾波も?」

「そう。リツコに捕まって残業させられてるみたいだけど来るらしいわ。アスカのメールに書いてあった」

「そうなんですか」

アスカとミサトは英語でメールをお互いにやり取りしていた。アスカの日本語メールにはまだ問題が多く、また本人もプライドがあるらしくヒカリくらいにしか日本語のメールは送らない。よっぽど親しくないと平仮名だらけのメールを送りたくないらしい。

「多分…今日のタスク内容だと来るのは遅くなるだろうけどね…あの子(レイ)は来るって言ったら夜中でも来るからね…3LDKに5人収容するのはきついかな…布団は足りると思うけどさ…」

ミサトは独り言のようにブツブツと呟いていた。

ま、まさか…うちに綾波も泊めるつもりなのか…ミラクルバカ(カヲル)もいるのに…

シンジは何気なくズボンのポケットからネルフの携帯を取り出すと思わずハッとする。メールが一通届いていた。

差出人はアスカからだった。


きょうはわたしのたんじょうびだからがっこうがおわったら
よりみちせずにかえってくること!
あんたのきょひはみとめられないからそのつもりで!


アスカ…この感じ…懐かしい気がする…まるであの時のような…初めて出会った国連軍の空母の時のような…そうだ…

キャンプの時も…そして今もそうだ…僕は…記憶が無いというアスカの話を聞いて…咄嗟に喜んでしまったんだ…もう一度…初めからやり直せるって…自分に都合よく考えたんだ…だから…

可哀想とか思わなかったんだ…最低だ…自分でもそれは分かってる…でも…どうしてもよかったと思う自分もいる…

急にミサトの車が止まる。シンジが驚いて顔を上げるとマンションの地下駐車場の前に止まっていた。

「よーし着いたわよ…って…あれ?あれは…」

「どうしたんですか?ミサトさん…」

「マヤだわ」

「え?マヤさんが?本当だ…」

地下駐車場の出入り口のほど近くにマヤのメタルピンクの軽自動車が止まっているのが見えた。マヤもミサトの車を確認すると運転席のドアを開けて姿を見せる。ジーンズにブラウスという全くの私服だった。

シンジはマヤの私服姿を見たのは今日が初めてだった。ミサトは車をマヤに近づけると窓を開けて顔を出す。

「どったの?マヤ。あんたがウチに来るなんて珍しいじゃん。今日は年休取ってなかったっけ?」

「こんにちは葛城一佐。ちょっとお話したい事が…」

言い掛けてマヤは助手席に座っているシンジの姿を認めると急に声のトーンを上げる。

「あらシンジ君も一緒だったのね?こんにちは」
 
「こんにちは…」
 
わざとらしいマヤの対応にシンジは居心地の悪さを咄嗟に感じていた。
 
「ミサトさん…僕、先に帰ってますから…」
 
「え?ああ…そうね。あたしもすぐ上がるからさ。悪いけど後ろのカバンもって上がっといてくれる?」

ミサトの言葉にシンジは小さく頷くと見た目よりも意外とずっしりと重量のある銀色のアタッシュケースを手に取るとマンションの地下駐車場に降りて行った。玄関に回るよりも地階のエレベーター乗り場を利用した方が帰宅には便利だった。

何があったんだろうか…いつもとちょっと様子が違ったみたいだけど…

シンジは地階の駐輪スペースの前を横切ってエレベーターの前につくと昇降ボタンを押す。エレベーターの前から駐車場の出入り口は全く見えない。胸騒ぎの様なものを感じていた。

ミサトは車から降りるとマヤの隣に立った。

マンションの裏にある別のコーポと道を挟んでその向こうには公園が見える。ユニゾン訓練の時にシンジが落ち込んでいたアスカを迎えに行った場所でもあった。公園からセミの鳴き声が響いてくる。

「で?話っていうのは?」

ミサトの目にはマヤが話をするきっかけを探っている様に映っていた。意を決したようにマヤはミサトの顔を見る。

「実は…さっき青葉君からメールで加持一尉の事を個人的に教えてもらったんですけど…」

「青葉君が?加持の事を?」

ミサトは怪訝な表情を浮かべる。

年齢も近く入省年が同じ青葉、日向、そしてマヤの三人がネルフ職員という枠を超えて私生活でも親交がある事は三人の上司であるリツコとミサトもよく知っていた。情報規制の厳しいネルフ関係者が休暇中の職員にメール、しかもネルフを通して国際手配されている加持リョウジの事を知らせるというのは尋常ではなかった。危険を顧みない必死の行動。そう言ってもいい程過激な行動だった。

「加持一尉は…昨日…ベ、ベルリン郊外で…す、すみません…ちょっと私…気が動転しちゃって…」

マヤは必死になって自分を落ち着かせようとしていたがそれはまるで無駄な努力のように見えた。口を両手で押さえると急にしゃくりあげ始めた。ミサトはマヤを見る目を細めてじっとその様子を眺めていたが、やがて長いため息を一つ付くと愛車のボンネットに寄りかかる。

「あんたの姿を見た時に嫌な予感がしたのよね…何となくそんな感じの事じゃないかなあって…」

「あ…あの…」

ミサトは腕組みを解くと右手をマヤの手に置いた。

「あいつ…死んだんでしょ?ベルリンで…」

「はい…お気の毒ですが…」

「そっか…まあ…こうなる事は覚悟していたしね…つくづく自分勝手でバカなヤツ…」

セミの鳴き声に混じってコオロギや鈴虫の声も聞こえ始める。太陽は既に遠くの高層ビル群の間に隠れて僅かに残照灯の様な光を放っていた。

お互いに言葉が無かった。しかし、マヤはまだ何か言い足りない様に何処か落ち着きが無かった。正面のミサトと同じ様に俯いて無為に時間を過ごしていたマヤだったが再び重々しく口を開いた。

「あの…葛城一佐…実は…」

マヤはミサトの顔を見てハッとした。言葉とは裏腹にミサトの頬を一筋の涙が伝っているのが見えた。

か、葛城一佐…だ、駄目だ…こんな時に…やっぱり言える訳が無い…

特務機関ネルフの女偉丈夫、国連軍の最精鋭部隊の軍籍を持つ雷神、ネルフの女性職員の中の最上階級者、あらゆる表現を尽くしてみたところでミサトもまた喜怒哀楽のある一人の人間である事に変わりはなかった。

「何でもありません…私はこれで失礼します…」

マヤは慌てて踵を返す。

「マヤ」

「は、はい!」

自分の車に乗り込もうとしていたマヤは不意にミサトに呼び止められて体をビクッとさせて立ち止まる。

「ありがとね。シンジ君に気を使ってもらっちゃってさ…今日…あの子、ちょっちナイーブだったからさ…助かったわ…」

「い、いえ…」

咄嗟に…言い難いと思っただけで…そこまで考えていたわけじゃないんだけど…

マヤはもう泣いていなかった。むしろ人の死を純粋に悲しむ人間の涙に居た堪れなくなった、そんな雰囲気が滲み出ていた。

「し…失礼します…」

逃げる様に車に乗り込むとマヤはイグニッションキーを回した。マヤのハブリッド軽四がミサトを残して動き出す。

「私…不潔だ…加持一尉の死を利用しようとするなんて…」

バックミラーには愛車にもたれ掛かったまま空を見上げるミサトの姿が映っていた。何かを振り切るかの様にマヤは狭い路地でアクセルを踏み込んでいた。

ミサトは助手席の窓から手を突っ込んで物で溢れているダッシュボードを開けた。その中からクシャクシャになった赤マルボロを荒々しく引っ張り出すと一本取り出して口に咥える。そしておもむろに車のシガーライターでタバコの先端に火を付けた。

赤マルボロはスコッチウィスキーのボウモア12年と共に加持が愛した煙草だった。

「あんたがあたしに遺していった物ってホントに厄介なモンばっか…その癖…思い出なんて少ないんだよねえ…」

銀色の煙が紺色の夜空に上がっていく。
 


あんたさ…女って誰にでも股を開くわけじゃないってちゃんと分かってんの?

ああ…分かってるさ…

ほお…分かってるならあんたが誰かから刺される前に忠告しといたげるわ…

忠告?

あんたのその不道徳な博愛主義で寄って来る女を片っ端に抱いてるといつかしっぺ返しが来るってことよ…女って本気じゃなきゃヤラないんだかんね…

なら…俺も葛城のその道徳主義に一言忠告だ…男ってのは誰とでも基本的にヤレるが例外がある…

例外?

本気で愛してるからこそ…好きな女ほど…本心を打ち明けられないものなのさ…体と心は別々なんだ…

ふん…どうだかね…自己弁護してるようにしか聞こえないけどね…

女は心も体も一つだから男の真意が理解できないのさ…心身が一つの存在だからこそ…女には魂が宿り…そして命を育めるのさ…所詮、男は女という太陽の周りを回る惑う星々に過ぎない…人類の英知や歴史…ヒトが辿る一縷の記憶を後世に伝える事は女にしか出来ない…つまり女とは命、ヒトそのものなのさ…だから男は命を託す女には奥手になるものなのさ…

なんだかねえ…それって喜ぶべきなのかしらねえ…

俺としては…感動に打ち震えてもらいたいんだがな…

それ頂戴…表向きは非喫煙者って事になってんのよね…だから…こんな姿見せんの…あんただけよ…

そいつは光栄…だな…

あんたがあたしに何も言わないのは…いや…やっぱいい…

葛城…

何も聞かない方がお互いの為…かもね…自分でも分からない…あたしって何なんだろうか…女でも男でもない…いつも迷いの中…

そうだな…少なくとも…真実は…
 


「…君と共にある…か…」
 
足元に落ちた赤い小さな火は生暖かいアスファルトの上で徐々に小さくなっていった。


Ep#08_(30) 完 / つづく
 

(改定履歴)
13th Oct, 2009 / 本文追加
22nd Oct, 2009 / 改行修正、誤字修正
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