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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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気が付けばもう6月…時が経つのは早いものですねぇ…

このサイトの開設が2008年11月の頭ですから8ヶ月が経過しました。前半のEpisodeはそれほど文量も各話でなかったこともあってEpisode完結までのスパンが短かったように思います。現在は各話における文量も増加の一途を辿っており当初のA4サイズで5~6ページ(注:あくまで目安)から10ページ前後にまで拡大しています。その影響か、つとに校正や編集の精度が甘くなっており、UP後も加筆修正を繰り返すという、一種の「マイクロソフト方式」に陥っている始末です。お見苦しい点をお詫びします…

とは言うものの私のCPUもメモリもどうやら限界に差し掛かっている様なので、この傾向は改善されそうにありませんが…

さて、この「Ihr Identität」におけるEp#08について少し補足的なものを…

 

このEpisode#08から全体のストーリにおける核心が見え隠れし始めます。二次創作なので何となく私の今後のプロットに関しては察しが付いておられるかと思います。興味はやはりメインキャラたちがどうなっていくのか、という部分に尽きると思います。それをお話しするとつまらないのでEpisode#07~#08で利用したものを中心に少し紹介したいと思います(ニーベルングの指輪についてはものすごく内容が多いので別の機会に…)。


(カヲルとアスカについて)
Ep#07_(1)で伏線が出てきて番外編が補足するような形で遺伝的に「兄妹」という設定があぶり出されています。これがどうなっていくのかはこれからの物語ということになりますが少なくとも「LAK」にはなりませんのでその点だけはご安心下さい。


(禁じられた遊びについて)
50年以上前のフランスの白黒映画の方をモチーフにしており、「ローゼンメイデン」の方ではないと最初にお断りしておきます(ローゼンメイデンについてはwikiで読んだ程度の知識ですが)。
母を亡くした5歳の少女が11歳の少年と出会い、神への祈りと死者の埋葬を通した「死」というものに幼い理解を示します。しかし、「死」に対する理解が不十分なために「お墓」を増やせば天に召された「魂」が淋しくないと考えて、あちらこちらから「十字架」を盗んでは「墓作り」に勤しみます。「禁じられた遊び」とは文字通り「不敬な遊び」だったと言うわけです。そして最後には二人は大人たちの手によって引き離されていく、というのが映画の粗筋になります。近々、Up予定のEp#08_(7)では少しこの映画を素材に使っています。ギターで奏でられるテーマ曲はあまりにも有名ですね。元々はスペイン民謡が元ネタだそうですが日英仏など各国の歌詞が付けられて親しまれています。この歌詞からも少し暗示的に実はこの作品に組み込んでいたりします。


(智天使ケルビムと大天使長ミカエル)
智天使ケルビムは旧約聖書では「アダムとイブ」が楽園を追われた後で「生命の樹」を守るために「炎の剣」と共に「エデンの東」に主が配した天使の事です。「生命の樹」を守るケルビム(Angel)は「歓喜に寄せて」の歌詞の中でも出てきます。ケルビム = 使徒 など「生命の樹の守護者」というのは色々な暗示が楽しめる件です。
大天使長ミカエルは人の前に降臨(姿を現す)する神の御(み)使いとされていて、ユダヤの伝承ではしばしば天使の軍を率いて侵略者を打ち破っていますし、サタンと同一視される堕天使サマエルとも戦っています。キリスト教ではヨハネの黙示録で天使の軍勢を率いてくる事になっていますが、こうした勇壮なイメージからしばしば「守護者」として崇められています。因みにドイツではミカエルは守護聖人として信仰を集めています。本作品では「神のみ使い = シンジ」として参号機と戦っているアスカが見る幻のくだりで利用しています。


(ツァラトゥストラはかく語りき)
これはフリードリッヒ・ニーチェの有名な著作で「Gott ist tot(神は死んだ)」のくだりは特に有名です。注意しないと誤解を生じるのですがニーチェは「反キリスト教主義者」というよりも、「反キリスト教徒」であったという点が興味深いところです。「神」の是非はどうでもいいのですがニーチェは「神は死んだ」の後でこう続けています。

神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ。世界がこれまで持った、最も神聖な、最も強力な存在、それが我々のナイフによって血を流したのだ。この所業は、我々には偉大過ぎはしないか?こんなことが出来るためには、我々自身が神々にならなければならないのではないか?」

ここまで読んでみると何となくですが「ニーチェの思想」が見えてきます。つまり盲目的に祈って救いを求める事は愚かであり、自身の内面を磨く事こそが肝要ではないのか、と言う解釈も成り立つわけですね。この文章は非常に味わい深いと思います。この作品でも「人類の新たな進化」とそれにともない訪れる「新世紀」は「神」に近づく「超人」的発想であり、それに対して「我々が\神を殺した」に引っ掛けています。
因みにニーチェの「超人」思想は「自由意志」という哲学思想に繋がっていきます。「自由意志」の部分はあえて言う必要ありませんね。
余談ですがリヒャルト・シュトラウスもニーチェの著書に影響を受けた一人で「交響詩ツァラトゥストラはかく語りき」は非常に有名ですよね。



それではまたお会いしましょう。

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