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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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神聖ブリタニア帝国第99代皇帝ルルーシュヴィブリタニアは在野から身を興してついに世界統一を成し遂げた。

しかし、それはギアスという人智を超えた絶対遵守の力を利用した歪みを内包する危うさの上に築かれた覇業であった
。人の意思を施政者が自らの都合で捻じ曲げ、そして支配することは人類史上においてこの上ない邪智暴虐という他ない。だが、皇帝となったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは幸運にもその危うさを自覚する稀有な聡明さと自制心を兼ね備えていた。世界統一を成し遂げたルルーシュは凡庸な人間(政治家)であれば混同しやすい「国家」と「人間の集団」の価値観を的確に理解していたからだろう。

All Hail Britania!!曰く、

「間違っているぞ!敵はブリタニア人(人間)ではない!ブリタニア(国家イデオロギー)だ!」

名言の多い彼だがその中でもこれは彼の国家観を顕著に表した特筆すべき言葉ではないだろうか。

後に”彼の革命”を果たしたルルーシュは「ギアス」を枢木スザクに託した後、スザクに討たれて在位僅かにしてこの世を去った。



実践を伴わない正論や理想論は衆愚による政争の具と化すがそれが実体を伴う”理”となる時、とかく無責任の代名詞となる”理想”は多くの人間が自然に受け入れる誠の力(ギアス)に昇華する。人は元来、”理”に支配されることを本質的に好むからである。このプロセスは多くの時間と犠牲を必要とするため、人間という存在が自らを救済することはできないと誤解されやすいがそれは事実ではない。人は必ず自らを「補完」することが可能なのである。それを実感できないのは一人の人間が持つ力量には限りがあるからである。

故に後世の歴史に名を残す覇業の蔭には必ずその志に共鳴、同調、あるいは追従する、支配されることを好む人間の集団(群体)の存在があるのである。こうした人間を糾合する英雄、あるいは指導者に等しく共通している資質は間違いなくそのカリスマ性にある。

カリスマとは形を変えた「ギアス」なのかもしれない。
(管理人とコードギアスの接点)

至極個人的なエピソードで申し訳ないのですが、件の「コードギアス」を知ったのは近所に住むドイツ人の中学生から教えてもらったことがきっかけです。始めは「どうせ萌え系の大したことないアニメだろう…」と思いながら一緒に
DVDを見ていたのですがあまりのプロットの秀逸さに驚きました。学園もの(生徒会)、いわゆる「萌え回」というものがシリーズの中に時流の影響で盛り込まれるのは仕方が無いとしても、それを割り引いて考えてもかなりお勧めの作品です。もっとも英語吹き替えだったので全てを聞き取ることは早すぎて難しく、字幕と時々見直してやっと理解することが出来ました。しかし、完全を期すために悪い子が某サイトにUPしている日本語版を1期、2期と通して視聴したのですが再巡回にも係らずやはり感慨深いものがありました。恐らくですけど管理人が慣れ親しんだ「昔の古きよきロボットアニメ」の懐かしい雰囲気があったから一入(ひとしお)だったのかなあ、と思います。

因みにこの「コードギアス」は製作側(日本人)が自分の国が他国(ブリタニア帝国)によって支配されてしまうという設定にしていますが、これは視聴した一部の外国人に衝撃を与えています。自虐的というのとも少し違うのですがなかなかアニメの設定としては踏み込めないアイデアのようです。「コードギアス」は管理人の周囲(の子供達の間)ではかなり受けている日本のアニメの一つですが「自分の国から遠い国」だからかもしれませんね。民族意識の強い欧州では不当な支配に対して立ち向かうという設定に共感を覚えるようです。ただし、多民族国家も大変多いのでヘタをすれば発禁になる国もあるかもしれませんね。それほど民族革命というプロットはデリケートなんだと思います。違う意味で中国人は「作っただけでどんな目に(国から)遭わされるか分からない」などというコメントがあったりしてなかなかこちらも中国だけにシャレになっていないようですww
 

 
(いい意味で厨二病のルルーシュ / 悪い意味で正義厨のスザク)

あまりコードギアスについて語るのもサイト的にどうかとは思いますが気になったのがやはり主役のルルーシュとメインキャラのスザク、この二人ですね。二人は親友(かどうかは別にして少なくとも友達とは言っていい)という設定ですが一言では言い表せない複雑な関係を持っています。
 
幼少期に母親を失ったルルーシュと妹のナナリーは日本に人質として送られてそこで兄妹はスザクと出会います。その後、日本はブリタニアに占領されてスザクと兄弟の立場は逆転することになるのですが、どういうわけかルルーシュ兄妹は日本を支配した祖国に復帰することなく行方を眩(くら)ませる道を辿ります。人質にされた挙げ句に切り捨てられたことを恨むにしても在野から打倒するよりも寝首を掻(か)く方が効率がいいようにも思うのですが…ともかくルルーシュは外から内へという反逆のプロセスを選びます。弱者を容赦なく切り捨てていく強大な存在を打倒して「優しい世界」を作っていくという理想に燃えて果敢に挑んでいくルルーシュですがその過程は血塗られていきます。優しい世界の創造の為に人を殺めるという手段は埋めがたい矛盾を抱えているわけですが苦悩しながらも妹ナナリーの為に一つずつ階段を上っていく姿は見ていて痛快でした。理想だけで終わればただの中二病患者ですが、歪みを内包しながらも実行を伴っているところに共感を覚えました。また、昔のロボットアニメの濃い主人公達に比べるとルルーシュの線の薄さはある意味でシンジきゅんに通じるところがありますがヘタレというわけでもなくシンジキュンには無かった「芯の強さ」が新鮮だったかもしれません。
 
それとは好対照なのがスザクです。スザクはスザクで父ゲンブを手にかけてしまったというダークな部分があるのは分かるのですがそれを割り引いてもブレブレなところがどうも優柔不断に思えて仕方が無かったですね。しかもなまじっか腕っぷしが強くてルルーシュの邪魔ばかりするのでぶっちゃけ管理人的には「ウザキャラ」でした…(^^;
スザクは完全にルルーシュとすべてにおいて正反対の、いわゆる「カウンターキャラ」で、特徴的なのは彼の立ち位置が内から外へのマイルドな働きかけで彼なりの革命を成し遂げようとしていたことでしょう。このアプローチはルルーシュが取らなかった選択肢を彼が取ったことで後の二人の凄惨なやり取りに繋がっていくわけですが評価されていい部分です。しかし、問題なのはもうね…ストイックを通り越して“どM”に近い自虐的な正義漢ぶりはある意味で今までになかったタイプのキャラかもしれません。ルルーシュやカレンと比べるといまいちスザクの主張は分かりにくく、ヘタをすると「単に強大な存在に媚びてるだけじゃん」と言われかねない態度と言動が節々に見られます。自分の改革の意思を前に進める力強さがないため囚われの身となったカレンと相対した時の態度が更にその印象を際立たせるというか、むしろ「偽善」にすら見えてくる不思議…単なる理想論者で他人の足を引っ張るだけの役回りになっているところがなんとも言えない…この管理人のスザクに対する印象は外国のアニオタの間で語られるスザク観と概ね一致しています。日本ではまた違った感慨があるのかもしれませんが。
 

 
(健全な成長を促す“中二病”時代…でも大人の中二病はウザい…)

いわゆる“中二病”というやつは男なら誰もが自我の目覚めと共に思春期に程度の差はあれ一度は発症するものなのかもしれません。管理人の時代は小学校の高学年辺りがそれに当っていたかもです。自覚が無いのでなんとも曖昧ですがww “中二病”というのは“反抗期”の別名みたいなものだと思っていますが大きな特徴としては「自分を押さえつけようとする全てのものに対して理屈なく反抗する」ということでしょうね。この「理屈なく」という部分には多少の議論の余地があるかもしれません。なぜなら患者本人は「自分の行動には完全無欠な理屈
(大義)」があると信じきっているからです。今にして思えば「壮なり」なのですが小学生、中学生の知識量は大人に比べるとやはり限界があります。生きていく上で本当に必要となる知識、「生きる力」、と言っていいと思いますがそれは学校では習わないからです。分かっていない、ていうよりも知らないことの方が圧倒的なんですね。星の王子様の作者、サン・テグジュペリがいみじくも語っているように「本当に大切なものは目に見えない」んですね。自らが体験を通して獲得していくものだから仕方が無いことなのですが…

自分よりも強大な力に抗う時に受ける強烈な「世間からの洗礼」を浴びれば浴びるほど後の人生の大きな糧になるのは人間には基本的に「学習能力」が備わっているからです。この時期に体験した絶望感や敗北感が大きいほど子供は成長していきます。だから生意気な子供は完膚なきにまでコテンパンに叩きのめせばいいんです。大人気ないほどになwwwそうすることでコテンパンにされた子供は大人を“打倒”しようとする。その衝動が健全な方向に向えばその子供はその大人を「踏み越えていく」のです。このプロセスを繰り返すことで人類が成長発展を遂げていくんですから。ルルーシュみたく成長の一つ過程としては必要不可欠なもののように思います。

ところが大人になっても“理想論者”というのは存在していてとにかく現実との乖離が著しい人(ワイドショーのコメンテーター的態度で行動力が無い割りに大言だけは吐く)がたまにいます。狭義にそういう人を中二病というのはちょっと違うのですが広義には当てはまらなくもないので“高齢中二病患者”と呼ばれたりしているようです。大人の中二病は単にうざいだけで始末に終えませんが…
 


Q:個性ってなんだ? / A:実家に保管していても無害なもの)

最近はどういうわけか、“個性重視“の名の下に中二病を発症している子供に周囲の大人が遠慮してそれをそのまま「個性尊重という名の放任主義」を発揮する風潮が見られます。これって…ちょっとどうなのかなあ…と。

どうでもいい話ですけど先日、実家に帰省した管理人は中二病時代に自分が残した黒歴史の類を全て焼却処分にしました。あんなものが発見されたら死んでも死に切れんからな。もうね…俺が悪かったと…正直すまんかったと…なんか「檄文」っぽいものが出て来た時はもう…本当に死にたいと心の底から思ったもんだ…

「もうやめてあげて!!管理人の
HPはゼロよ!!」

前置きが長くなりましたがハッキリ言って中二病時代の言動を「○○ちゃんの大事な個性だもんね」と言われると激しくお断りしたいのは管理人だけでしょうか?いやいや…そこはツッコむところだろうと思うんですよ。もう黒歴史にしかならなくて死にたくのは間違いなく“○○ちゃん本人“なんだからwww

“物分りのいい大人”っていうヤツは実のところ子供の一番の敵なんじゃないのかなあと。だから「子供を叱らない(叱らせない)親」が行う「個性重視教育」という代物を想像すると僕なんかは「こええええ!!」と思ってしまう。だって、言葉で理解できないから“やらかしてしまう”わけでしょ?イミフな体罰はそれはそれで問題なんだけどさあ…少なくとも「それって違うくね?」ってことだけは指摘してやれよと。“ツッコミ”くらいはありじゃないかと思うんですけどね。だってさあ…どうせ中二病なんて黒歴史にしかならないんだからwwwいい“おもいひで”になるってことあるの?
 


(個性の取り違いは将来の“勘違い”の原因になる)

「個性(持ち味)」というのは論理、主張という左脳的要素の中にはそもそもなくってもっと感性的(右脳的)ものだと思うんですけどねえ…だって子供時代の思想って自分の「記録」にはなると思うけど「個性」では…ちょっとないだろう…常識的に考えて…

芸術の類はある意味で幼少期からの萌芽が重要になるけど、思想というのは「立場」や「時代」の変化と共に変遷していくよね。それって「個性」なん?やっぱ管理人は自分に子供が生まれたとしたら大人気ないほど子供を徹底的に叩きのめすだろうな。好かれたところで何の得もないし嫌われたって別にどうでもいい。自分の子供だって一生一緒に暮らすわけじゃないしねえ。むしろ可能な限り早く一人でちゃんと自活できるようにたくましく育って欲しいと思うけどなあ。自分の老後の世話をさせるために子供を産むわけじゃないんだから。次代の子供達の成長を見届けた後、僕たち大人は役目を追えて土に還っていくのが“土塊から生まれたアダムを始祖とする人間”の定めなんじゃないのかなあ…

だからちょっとイタイことをいう子がいたら全力でつっこんであげた方がいいと思うんだ。じゃないと中二病の高齢化が進んじゃうと思うwww
 


(主人公の成長、これはやっぱロボットアニメのテンプレだろ
JK)

コードギアスはともても面白い作品だと思います。主人公が挫折をベースに成長していく姿はエヴァに通じるものがありますし、線が細くてどこか危うい部分があるところが如何にも人間臭くていい。さて、我らがシンジさんの魅力は…

管理人的にはどうやっても“やっぱヘタレはヘタレ”という
TV/旧劇ベースの“シンジさん”を愛して止まなかったりします。新劇場版の“シンジくん”はあれはあれでいいと思いますが新劇→旧劇ではなくて時系列(旧→新)でエヴァをトレースしている管理人としてはやっぱり昔のシンジさんの方に愛着を感じますね。

Her Identity」では基本的にシンジさんをベースにしていて物語の進行と共にジワジワと成長(変遷)していく、そんなシンジさんを描いていきたいと思っています。ただ…断言しておくと「スパシン」展開は100%ありません(つか、そのプロットは過去に没ってしまったので)。問題はシンジさんが最後にどういう選択を見せてくれるのか、要はそこにかかっているでしょうし、なによりもそれこそが“LASの醍醐味(原点)”なんじゃないのかなあ、と生意気なことを言いつつ終わりにしたいと思います。
 

え?早く仕事しろって?どうもすみません…今夜半にUP予定っス…… orz
ということで今後とも「エルルケーニッヒ」を宜しくお願いします。


(文責:東郷太一)
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