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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第拾伍部 夏の雪(Part-6) / 邂逅(かいこう)中篇

(あらすじ)
改良型D兵装の弐号機はついに目標のポイントにたどり着き、無謀とも言える狂気のサルベージ作戦が始まった。逸(はや)るアスカは自分に忍び寄る恐るべき危険に気が付かない。
一方、ミサト率いる作戦部とリツコ、そして疑念を深める発令所とゲンドウの三つ巴の駆け引きが繰り広げられる。アスカの運命は・・・


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第拾四部 夏の雪(Part-5) / 邂逅(かいこう)前篇


(あらすじ)

サルベージ作戦がゲンドウの直接指揮の下でいよいよ開始された。深度2000メートルの極地環境下で進められる困難な作戦に誰もが緊張を隠せずにいた。主モニターの中で孤軍奮闘を続けるアスカの駆る弐号機をゲンドウは普段にも増して厳しく、そして冷たい目で睨み続ける。
「腹を括ったとでも言うつもりか…母親に似て強情だな…」
ふと目蓋を閉じるゲンドウの脳裏に蘇る夏の京都の情景…
人類という存在に絶望した一人の男は心に一人誓っていた。
「約束どおり…俺は…神になる…」

第拾三部 夏の雪 (Part-4)

(あらすじ)

エリア1238に到着したアスカを待っていたものは過酷とも思える「捕獲作戦」という名の「強制サルベージ作業」だった。言い争うミサトとゲンドウの間に割って入った形になったアスカだが、ミサトの意思とは裏腹にゲンドウの指示する作戦に従うと主張するアスカに対してミサトは強い不快感を覚えるのだった。
同じ頃、旧東京湾の開口部付近には周辺海域の海図を作成していた英国の特殊潜航艇イラストリアスと伍号機の姿があった…

1870年9月1日…

フランス北東部にあるアルデンヌ県において欧州における永遠のライバルであるフランスとプロイセン・ドイツ諸邦連合軍(後のドイツ第二帝国)が激突する。歴史に名高い「セダンの戦い」である。

空位となったスペイン王継承問題に端を発した鉄血宰相ビスマルク率いるプロイセン王国とルイ・ナポレオン三世の第二帝政下で強大化していくフランス帝国の緊張はついに普仏戦争(1870-1871)にまで発展した。フランス帝国軍は皇帝ナポレオン三世自らが軍を率いてフランス国境を越えたプロイセン・バイエルン連合軍をセダンで迎え撃った。

寡黙で小柄なプロイセン軍参謀総長ヘルムート・ベルンハルト・カール・フォン・モルトケ(大モルトケ)率いる連合軍はかつてのナポレオン1世を髣髴とさせる電撃的な包囲作戦でフランス帝国軍を圧倒し、ナポレオン三世を捕虜にするという一方的な戦勝を収めたのである。この戦いの後に大モルトケはパリを攻囲し、仇敵フランスはついに降伏する。かつてナポレオン戦争時代に屈辱的敗北を喫したプロイセン(ドイツ)はここにその雪辱を晴らしたのである。

「喧嘩屋」の異名をとる宰相ビスマルクに対してこの地味な英雄はその後も増長することなく最期まで一軍人としての本分を守り通した。この政治手段としての戦争と国家の力たる軍隊の制御という理想的な形は後の「シビリアンコントロール」の模範として今も戦史に語り継がれる。

英雄大モルトケは雄弁ではなかったと伝わる。彼の残した言葉は決して多くは無い。そんな彼が与えられた使命、あるいは自らの志を遂げる要諦として残した言葉がある。曰く…
大元帥閣下

「初めに計画せよ。然る後に実行せよ」
大モルトケ(プロイセン王国参謀総長元帥)



 

後にこの英雄と鉄血宰相の退場と共にドイツ第二帝国の命運は暗転しはじめることになる。軍部と政治の高度な連携は天才だからこそ運用が可能であったが常人が普遍の価値として用いるにはまだ不十分な点が多かったのである。その後、ドイツ帝国は第一次世界大戦の敗退を招いてドイツ革命後に崩壊、そして疲弊しきった国民を巧みに扇動した、アドルフの台頭、へと至るのである…
 
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第拾二部 夏の雪 (Part-3)

(あらすじ)
夏の雪は…荒々しくて…神々しい…そして静かに消えてゆく…戦自に襲われたマナ一行はジオフロントに難を逃れていたがネルフの諜報課の監視が付けれれていた。千客万来という訳ではないネルフの性質を考えればいつまでも安泰とは言いがたかった。更にマナの脳裏には通用門で期せずして見かけた東雲の姿がチラついていた。才気溢れるマナは一計を案じて日向への接触を試みる。

一方、アスカは弐号機を駆ってミサト達のいるエリア1238に再び出撃するが…



1945年8月15日…日本は連合国のポツダム宣言を受託して「降伏文書」に調印した。この戦いの果てに残されたものは310万人を越える戦死者の墓標と荒廃した国土であった。

焼け野原になった東京を見た一人の男がいた。彼は日米開戦に一貫して反対姿勢を貫いていたことから当時の陸軍刑務所に収監されていたのである。男は目の前に広がる光景を信じられないという目で見つめる。そしてポツリとこう呟いたという。

日本万歳 アスカ万歳
「今に立ち直る。必ず日本は立ち直る」



後の内閣総理大臣吉田茂の言葉である。





皮肉にも日米開戦に反対し続けていた吉田は戦後日本を率いて占領国アメリカと激しい外交戦を戦うことになる。そして祖国の分断という悲劇を見事に回避し、「サンフランスシスコ講和条約(1951)」を経て日本が再び国際社会への復帰を果たす立役者となるのである。

 



※ 国歌「君が代」がなぜこれほど国内で政治的な道具として俎上に上るのか理解に苦しむ部分がありますが欧州では荘厳且つ気品に溢れる名曲として現在も高い評価を得ています。少なくとも欧州人の間で「君が代」を否定的に批判する話を管理人は聞いたことがありません。
※トリビア的ですが1903年にドイツで開かれた「世界国歌コンクール」で「君が代」は優勝しています(今もあるのかwwwこのコンクール)。
※ このように既に国歌として国際社会に認知されて100年以上が経過しているものを今更変更するというのはあまりにも粗暴に過ぎるのでは無いでしょうか。一部には「軍国主義を想起させる」という話も耳にしますが「君が代」にはその様な意味は全くないばかりか、戦いを想起させる歌詞の国歌ということであればフランスや中国などがあまりにも有名ですね。


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