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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第拾三部 夏の雪 (Part-4)

(あらすじ)

エリア1238に到着したアスカを待っていたものは過酷とも思える「捕獲作戦」という名の「強制サルベージ作業」だった。言い争うミサトとゲンドウの間に割って入った形になったアスカだが、ミサトの意思とは裏腹にゲンドウの指示する作戦に従うと主張するアスカに対してミサトは強い不快感を覚えるのだった。
同じ頃、旧東京湾の開口部付近には周辺海域の海図を作成していた英国の特殊潜航艇イラストリアスと伍号機の姿があった…
プラグスーツを着たままアスカは本部テントの入り口を潜った。テントの中は薄暗く、天幕に付いている採光のための透明ビニールから僅かに光が差し込む以外に明かりになるようなものは無かった。

「ほら!そんなところに突っ立ってないでこっちに来なさいよ」

いきなり奥からミサトの声がした。

「は、はい!!い、いや…うん…」

アスカは慌てふためくと両手をバタバタと自分の前で何度もバタつかせる。

「ははは!何やってんのよ?あんた」

ミサトは白いネルフのロゴが入ったマグカップを両手に持った状態でアスカの目の前に立つ。

「はい、コーヒー。言っとくけどかなりマズイよ」

「…あり…がと…」

かなりテンポのずれた返事を返すと自分に突き出されているマグカップをアスカはおずおずと受け取る。ミサトはその様子を何も言わずにじっと見ていた。

「あんた…ちょっと見ない間にまた背が伸びたわね…もう…あたしより高いんじゃないの?」

「そ、そうかな……そんなこと…」

「成長期だねえ…この時期は一日でもどっかが成長するしねえ…それに…」

ミサトは何の前触れもなくアスカの左頬に自分の右手を添えると思わずアスカを見る目を細めていた。

「それに…どこか大人びた感じがするわ…雰囲気も少し違う…何ていうか…いい女になったわね…何かいい事でもあったの?」

「な、何も!何もないわ!何にもしてない!怒られる様な事…べ、別に!何も…そ、その…し、シンジだって!そうよ!何も!何も…ない…から…」

アスカはまるでミサトの手と視線から逃れるように後ずさった。一瞬、ミサトは呆気に取られていたがすぐに腹を抱えて笑い出した。

「ひひひ!あーはっはっはっは!何焦ってんのよ!あんた!」

送風機が生ぬるいテントの空気をかき回していた。スポットライトの様に差し込む一条の光を挟んで二人は暗がりに立つ。眩い光の柱でお互いの表情はホワイトアウトしていた。光の向こうでミサトが動く気配がした。

「まあ…元気そうで何よりだわ…ちょっと安心した…何か急にあんたの顔が見たくなってね…変な話…レイがさ…あんなになってしまってから…何ていうか……一番寂しいのはあたしの方かもしれないね…」

「…」

「安心しなさい…キスくらいで怒ったり何かしないから…」

「あ、あの!?あ、アタシ達!そ、そんなんじゃ…」

アスカは顔を真っ赤にするとミサトの影を追って一歩踏み出したその時だった。アスカの背後にあるテントの入り口で人の気配がした。

アスカが振り返るとそこにはリツコと青葉が立っていた。

「あら…アスカもここにいたのね。丁度よかったわ」

「リツコ…それにシゲルも…」

「やあ、アスカちゃん。悪かったな…検査入院していたのは知っていたんだがずっとここにいたから顔を出せずじまいでさ。もう大丈夫なんだろ?」

「別に…そんなことはいいのよ…大したことなかったし…もう何ともないわ…」

「そうか…それを聞いて一寸は気が楽になったよ。それはそうと…シンジ君…まだ入院してるんだろ?大丈夫かい?結構…精神的に参ってるって三研(技術部第三研究室)から聞いたけど…」

「ええ…よく眠れないらしくって…」

青葉は返事の替わりにアスカの肩を通り過ぎ様にポンと軽く叩いた。リツコと青葉はテントの中にまだ設置されたままになっている通信用大型モニターの前に向ってゆっくりと歩いて行く。

ミサトは終始無言だった。その雰囲気からアスカはリツコとミサトの間に流れる微妙な空気の波動を感じ取っていた。

「あんた…まだここにいたのね?てっきりマヤ達と本部に帰ってるものだと思っていたわ」

叩きつけるようなミサトの口調にジロッと視線だけリツコは送ると大げさにため息を付いた。

「私も…帰れるものなら帰りたかったけど…そうも言ってはいられない事情が出来たのよ…」

リツコとミサトは青葉を挟んで視線を交錯させる。青葉の背中が塩をふられた青菜の様にジワジワと小さくなっていくのが気の毒に見えたが、アスカは青葉が通信機の操作をしていることに目敏く気が付いていた。

「事情ねえ…あんた達の事情はいつもあたしの都合の悪いものばかりだからねえ…」

ミサトは吐き捨てる様に呟く。リツコはミサトをひと睨みすると隣に立っている青葉に向き直った。

「時間よ?青葉君。繋いで頂戴」

「はい」

「繋ぐ?まだそれ使うつもり?ここはもうじき撤去される予定なんだけど」

「本部から緊急指令よ」

「緊急?」

「まあ…聞けば分かるわ…始まるわよ」

テント内が急に明るくなるとモニターの向こうにゲンドウの姿が映し出される。冬月の姿はどこにも見当たらなかった。途端にミサトの顔が引きつる。

「し、司令……」

額に包帯を巻いている以外、ゲンドウの様子は普段と全く変わらなかった。リツコはゲンドウから包帯を巻いている事を聞いていなかったらしくミサトとは全く別種の感慨から似たような表情を浮かべていた。

「全員揃っているようだな…では早速指示を伝える。現時刻を持って私はエリア1238全域に発令されているNv-90発令の破棄を宣言、替わりにNv-89発令と総員に第一種警戒態勢を指示する」

使徒殲滅のために共同オペレーションを企図していたミサトはゲンドウの排他的な強権発令に驚きを隠せなかった。ミサトは思わずモニターの中のゲンドウに掴みかからんばかりの勢いで言う。

「Nv-89…ちょ、一寸待って下さい!司令!既にエリア1238を目指して国連軍の地上部隊と攻撃ヘリが出撃しています!今更コード変更など無理です!」

対照的にモニターの中のゲンドウは微動だにしない。まるで氷のように冷たい空気を漂わせていた。

「国連軍との共同オペレーションの必要性を認めない。直ちに引き揚げさせろ。そして作戦地域への侵入は強制排他の対象となると警告を発し給え」

「そ、そんな…無茶苦茶な!!幾ら目標が完全体ではないとはいえ…零号機は先の戦闘で喪失し、初号機は現在凍結中!我が方の戦力は実質的に弐号機しかありません!こんな状態で単独オペレーションなどととても正気の沙汰とは思えません!」

僅かに残った理性を総動員してミサトは精一杯の窮屈な皮肉をぶつけていた。僅かにテントの中の空気が揺れた。

「言葉を慎み給え葛城上級一佐。我が特務機関ネルフはこれより休眠中の目標に対して第一次捕獲作戦を実施する。作戦の詳細はMAGIにより全部署に作戦ファイルOPN-1901が送付される。各員はそれぞれの持ち場において厳格に職務を執行せよ。以上だ」

「お待ち下さい!司令!それはあまりにも無茶です!浅間山の時とは状況が異なります!第一、使徒をこの期に及んで捕獲する意図が小官には…」

「使徒などどうでもいい…使徒内部にあるものに強制サルベージをかける…」

ゲンドウの言葉にミサトは一瞬言葉に詰まった。

そうか…やはりそれがテメーの本音ってわけか…ふざけやがって…サルベージで取り返すものと引き換えに弐号機…いやアスカまで始末する心算か!!クソが!!

「自殺行為です!サルベージなど…使徒を殲滅した後で幾らでも…幾らでもできるでしょ!!ふざけるな!!」

「み、ミサト!?」

声を荒げるミサトの剣幕に驚いてリツコも青葉も思わずミサトの方に視線を向ける。

「これは命令なのだ!葛城!私の邪魔をするものは誰であれ容赦はしないと言った筈だ!」


その場に居合わせた全員が更に驚いたのはゲンドウの激昂だった。冷酷非情のこの男は逆を言えば冷徹な計算の上に立って粛々と計画を遂行する世界でも稀有な手腕の持ち主と言えた。その男が…今、なぜサルベージに拘り、そして今、それを諫める部下に感情を叩きつけるのか、恐らくこの中では最もゲンドウに近しい存在であるリツコですら当惑を通り越して恐怖すら感じていたのである。

「こ、この…悪魔が……」

ミサトはモニターに映っているゲンドウをまるで敵でも見るかの様に睨み付けていた。これ以上、二人を争わせるわけには行かない…誰もがそう思ったとき、突然後ろから小さな声が聞こえてきた。

「やります…いえ、やらせて下さい」

「アスカ!あんた…正気?」

「勿論です…司令のご命令に従うのは当然では?そうは思われませんか?”Captain”・・・」

交錯する視線…その時…アタシとミサトの中で何かが壊れていた…確実に…何かが…



強い日差しが照りつける中でベースキャンプの移設と“捕獲作戦”の準備がテキパキと進められ、太陽が南中する頃には殆ど資材の運び込み作業が終了していた。単純に相手を打倒する殲滅とは異なり捕獲という行為には高度な戦術と連携、そしてより多くの労力と時間が要求される。突然降って涌いたような捕獲作戦に当然周到なすり合わせなど期待出来よう筈もなく、作戦の開始時間は当初の予定を大幅にずれ込んでいた。ネルフの職員達の顔に焦りの色がじわりじわりと浮かび始めていた。

仮設テントの下で玉の汗をかきながらミサトは陣頭指揮を執っていた。そこから遥か離れた場所に新たに詰め所となった技術部の一回り大きいテントが設置されて機材がその前に渦高く詰まれている。その資材の上に腰を下ろしていたアスカはじっとミサトの後姿を見詰めていた。

ゲンドウと一発触発の状態に陥ったミサトは結果的にアスカの放った一言でネルフに君臨する絶対権力者と抜き差しならない関係には至らずに済んだものの、それでも強烈な不快感をアスカに対して持たざるをえなかったことは想像に難くない。

いみじくも少女時代のミサトを見たユイ(Ep#08_34)がミサトのことを「名刀」という表現を使ってゲンドウに語った様にミサトの殺気は日増しに研ぎ澄まされていく一方だった。そして触れるものを一瞬の内に両断するかのような空気は本人にその自覚がなくともいやが上にも周囲にいる人間を威圧した。ミサトの人となりをよく知る人間であればなおさらそれに敏感に感応するというものだ。

ミサトの背中を目で追うアスカの姿はまるで親から怒られた少女が母に対する思慕と幼い自我の狭間で葛藤する姿を想像させた。

ミサト……

僅かに背後の空気が揺れる。

「どういう風の吹き回しなのかは分からないけれど…一体何があったのか、聞いてもいいかしら?」

後ろから声をかけられたアスカは面倒臭そうに振り返る。青いタンクトップにジーパンを合わせてその上からもはやトレードマークになっている白衣を着たリツコが立っていた。リツコを見たアスカは僅かに顔を顰めるとそのままプイっと顔を背ける。リツコは小さく肩を竦めると手に持ったハンドタオルで額の汗を拭きながらアスカの横に立った。

「私も随分と嫌われたものね…まあ…仕方が無い、か…あなたには恨まれる様なことしかしてないものね…」

リツコは自嘲気味に笑うと白衣のポケットからタバコを取り出して一本を口に咥える。

「もう今年も終わるのね…二人で水槽を作ったり…コーヒーを飲んだりしていた頃がとても懐かしく感じるわ…(Ep#01_5)」

独り言のように呟くリツコは遠い目をしたまま白い煙を空に向って吐き出す。

「アタシに何の用?こんなところでおしゃべりする時間なんて無いんじゃないの?」

「あらあら…かなりご機嫌斜めなのね…機器設営や本部から追加で空輸されて来たサルベージ用のプローバーもみんな青葉君がテキパキと指示を出してくれてるわ。無口な方だから目立たないけど堅実でクレバーだわ…」

「へー、随分と高く買ってるのね…シゲルのこと…」

「ええ。ネルフの中では一番信用できるわね」

「ふーん…それは意外ね…一番はマヤって言うかと思ってた…」

リツコは深くタバコを吸うと溜息にも聞こえるような煙を吐く。

「そう、ね…マヤは優秀よ…ネルフの中でも最優秀のエンジニアだわ…でもね…人にはそれぞれ持って生まれた持ち味があるの…マヤにはマヤの…勿論…あなたにはあなたのね……あの子のよさは本来…ネルフじゃなくてもっと別の…もっと自由で穏やかなところで発揮されるべきなのよ…」

アスカは視線だけをやや表情を曇らせているリツコの横顔に送っていた。

「本当に…バカな子だわ…」

なによ…このリツコの意味深な言い方…まさか…マヤ…新しいネルフを作るとか何とか言ってたけど…もう具体的に行動しているのかしら…?それをリツコはもう掴んでいるってこと…?

リツコが指先で軽くタバコの灰を焼けた大地の上に落とした。アスカはリツコから視線を逸らして正面に向き直る。

い、いや…さすがにそれはあり得ないわ…幾らマヤが強烈な潔癖性の持ち主だからといって立て続けにこれだけのことが起こっている現状で…拙速に副司令やミサトと結託してクーデター紛いのことを起こそうとしてるとはとても思えない…あくまであの言葉はマヤのこうあるべきという理想に過ぎない…そう、マヤ自身が感じている司令やネルフという組織体に対する嫌悪の表明でしかないわ…助燃剤にはなっても人を死に至らしめる銃弾になんかマヤがなれやしない…リツコの言う通り…人にはそれぞれ生まれ付いて持ったものがある…それがやれるとすればネルフでは…このアタシか…

アスカは遠くに見える女指揮官の背中をじっと見詰める。

そう…ミサトしかいない…

夏の日差しの中でほとんど風らしい風は吹かなかった。傍目には暑苦しく見えるプラグスーツを着たアスカが蒸し風呂のような雰囲気の中で平然としていられるのはプラグスーツの高い温度調整機能のお蔭だった。むしろ普段着を着ているリツコの方が体感温度は高かった。だが、アスカはリツコとはまったく異なる意味で額に汗を滲ませていた。

一生の不覚だわ…あの時は外にいた諜報員に気を取られ過ぎていた(Ep#08_17)…マヤに与えたBRTの情報がミサトにもたらされたら……さっきの様子からして間違いなくミサトは暴発してしまう……ミサトの暴発は考えうる可能性の中でもっとも性質が悪い…一見、ミサトは過激で激情的に見えるけどそれはあくまで相手が憎しみ切っている復讐の対象か、自分が絶体絶命の状態に追い込まれた場合に限られる…

でもミサトの本質はそんなところに実は無い…物凄い現実主義者…使徒と違って同じ条件下で戦う人間が相手なら絶対に勝てる状況になるまで緻密にそれもねちっこいくらい相手をとことんまで追い詰めるようとする…だから…ミサトが暴発すればどちらかが絶対に死ぬ…All or NothingかDead or Alive以外に無い…

止めなきゃ…ミサトも…そして…司令も…

「アスカ?どうしたの?」

リツコに声をかけられたアスカは思考をかき消されて思わずハッと顔を上げる。リツコが覗き込むようにアスカの表情をジッと凝視しているのが見えた。

「い、いや…なんでもないわ…あっ…そ、そろそろ時間ね。アタシ行かなきゃ」

リツコの視線から逃れるようにアスカは機材を梱包した木箱から飛び降りる。

「そうだ…リツコ…投薬するんでしょ?」

作戦部の特殊工作車の方へ歩き出そうとしたアスカは思い出したようにリツコの方を振り返った。

「どうして?その必要は無いわ」

リツコはアスカの問いかけに怪訝そうな表情を浮かべている。意外なリツコの反応にアスカは驚きの声を上げていた。

「え?ど、どうしてって…だってアタシはあれがないとEvaと…」

リツコはほとんどフィルターだけになったタバコを地面に落とすとスニーカの底で火をもみ消した。そしてアスカに近付くと右手をそっとアスカの肩の上に置く。

「だから私があなたに最初に質問したでしょ?何があったのかって…」

「どういう意味?」

「結論から先に言うと今のあなたにもう投薬の必要性なんて無いわ。本部からここに来るまでのシンクロチャートをマヤからもらったわ。その数値で投薬を判断しようと思ったから…あなたがさっき出したシンクロ率、幾らだったか分かる?」

アスカはリツコの問いに対して返事に窮する。Evaのパイロットは直接的に自分達が発現しているシンクロ率を知る術を持っていないため皆目見当も付かなかった。アスカはおずおずと首を左右に振った。

「98.6%よ…それもほとんどブレもなくて極めて安定した理想的な波形だったわ…今までの自己ベストを遥かに上回る数字よ。天性の才能を持つシンジ君は瞬間値という観点で特異な性質を持っているけど…逆を言うと不安定であまりに特殊過ぎる…潜在性よりも現実を求める戦闘には向かないわ…天才少女の面目躍如ってところかしら?」

「う、うそ…アタシが…?ど、どうして…」

「わたしの方がその理由を聞きたいわよ。あんな滅茶苦茶な状態からここまでリカバーするなんてとても普通では考えられないわ。それに…」

リツコは鋭い視線をアスカに送っていた。

「どうして…あなたにあれほど酷く当っていた司令の命令に…素直に従おうとしたのかという理由も、ね…あなたの親代わりである筈の葛城ミサトという存在を差し置いて…どうやら…その答えはあなたのそのペンダントの中にありそうね…」

アスカは反射的にロケットを右手で握り締めるとジロッとリツコの顔を睨みつけた。

「あの子にもしものことがあったら…その時は許さないわよ…」

リツコは口元に不敵な笑みを浮かべる。

「あらあら怖いのね…勿論、何もしないわよ…でも…それはある意味であなた次第よ?あなたがあの人の邪魔をしなければいいだけのこと…」

忌々しそうにリツコの顔を見るとアスカは踵を返した。そして再び弐号機に向って歩き出す。

アタシは護る…あの子も…そして…あの子といるこの世界も…だってそれはそのまま…アタシの心だもの…

ここにももう一つの女の戦いがあった。



太陽が南から西にやや傾き始めていた。捕獲作戦の目標である“卵”は直径50km、最深度2000メートルの巨大湖のほぼ中央部に水没している。しかも目標そのものの大きさはEvaの全長の約五倍(200メートル)、質量は10倍強と見積もられていた。

弐号機はまるでダイビングを想像させるようなアクアラングと特殊な防水スーツを装着していた。浅間山での捕獲作戦で使用されたD兵装はその後、作戦四課と技術部によって見直しが行われて軽量化と簡素化が進められており、以前に比べればかなりEvaの機体にピッタリと装着されているような外見ではあったがそれでも重い甲冑を身に纏っている様な姿だった。使徒との戦闘などといった不測の事態が生じた時にとてもそれに即応出来る様には思えなかった。

実質的に孤立無援の状態に置かれている弐号機を心配する作戦部の面々を更に暗澹たる思いにさせたのが想像していたよりも遥かにサルベージ用の機材が大きかったことである。まるで地雷探知機のような金属製の棒状プローバーの先端にはパラボラアンテナを想像させる先端部が取り付けられており、このプローバーから長いケーブルが延びてベースキャンプに敷設されているちょっとした発電所のようにも思える貯蔵装置と接続されていた。

「まるで…でっかい掃除機だな…」

作戦部員の一人が汗だくの状態でポツリと呟いた。捕獲作戦と対外的に銘打ってはいるものの“卵”そのものを物理的に引き揚げることは意図されていないため、作戦に参加しているネルフ職員の間ですら何をサルベージするのか、作戦自体の目的をいぶかしむ声もあった。

「それにしても…上の方がこれで何をするつもりなんだろうな…」

「分からんな…まあ、やれといわれたことを俺達はするだけだがな」

そのやり取りを隣で聞いていたミサトの表情は更に険しくなる。作戦開始の大幅な遅延は本部から新たにここまで空輸されてきたこの忌々しい巨大な“掃除機”の設置とそのセットアップによって引き起こされていた。唐突にゲンドウから捕獲作戦を言い渡されたことを思えばほとんど奇跡に近い早さでサルベージ用の機材は立ち上げられていた。ミサト自身も青葉の優秀さは十分に認めていたが刻一刻と不気味に復活しつつある使徒の事を考えると夜明けと共に行動した作戦部の立場からすれば無為に8時間を過ごしている様に感じるのは仕方がなかった。しかし、それを割り引いてもこの不自然なタイミングで奇妙なサルベージ作戦を行うことに対して疑念を拭い去ることは到底不可能だった。

イライラした様子でミサトの視線は何度も双眼鏡と腕時計の間を交互に往復する。そして湖畔近くに陣取る弐号機の後方支援部隊と行動を共にしていたミサトは特殊工作車の隣に停車している作戦指揮車にいきなり駆け寄ると車内の計器類を操作している作戦部の若い男性オペレーターに荒々しく問いかけた。

「おい!“卵”の孵化(ふか)までの推定時間は?」
 
「はっ!目標の自己修復速度から逆算したMAGIの計算結果によりますとあと約23時間弱といったところです。技術部の作業が予定よりかなり遅れているようですがまだ時間的な余裕がありますので大丈夫ではないでしょうか?」

23時間、か…果たしてこの計算結果を鵜呑みにしていいものか…第7使徒のデータを基にするのはあながち間違いとも言えないが…分体のようなやつらと複数の単体が完全融合したあいつらを同じに取り扱っていいのかしら…ちっ!!

オペレーターの声を聞いたミサトは無言のまま踵を返すと再び指揮車の正面に立って赤い湖面に双眼鏡を走らせる。憤懣やるかたないといったこの様子にさすがに今まで苦楽を共にしてきた作戦部の面々も言葉がなかった。彼らはミサトの焦燥が手に取るようにわかっていた。

安全率3倍をかけて更に融合体の自己修復効果に相乗作用が仮にあるとすれば…23時間が7時間、7時間が3時間弱になる…無抵抗で敵に接触できるチャンスは今、このタイミングを置いて他に無いんだが…

ミサトは言い知れぬ不安感とそれを論理的に証明する術を持たない苛立たしさで無意識の内に唇を噛んでいた。周囲を見渡しても屈強な作戦一課の面々と二課所属の工兵隊員がいるだけでとても作戦司令部とは言いがたい状況だった。

この感じ…まただ…また嫌な胸騒ぎがする……ちくしょう…あたしの勘は当たるんだ…

「こんな時に限って日向君も…おバカもいないとはな…」

ミサトは周囲にも聞こえる様な大きな舌打ちをした。

くそ…こんなことならあたしも発令所に戻って…いや、それはダメだ…絶対にダメだ…

「バカヤロウを…一人に出来るわけないじゃないか……」

赤い湖面の近くで出動の機会をうかがっている弐号機の背中をミサトはじろっと睨みつける。

あたしもバカだ…だがお前は輪をかけてもっと大バカだ…だからあたしが見張っとかなきゃいけなくなるんだ…


一方、その頃…
旧東京湾海底地形図
第七艦隊と戦自の合同艦隊と沖縄沖で交戦した特殊潜航艇イラストリアスは旧東京湾の開口部からエリア1995に向ってゆっくりと航行していた。


かつて、東京湾と呼ばれたこの地域は入り口に当る神奈川県側の観音埼と千葉側の富津岬の部分が狭く、奥行きが広いという特徴があり、しかも水深は平均20メートルでとても潜水艦が湾内を潜航出来る様な地形ではなかった。

しかし、セカンドインパクトに端を発する一連の動乱で旧東京はミサイル攻撃により一瞬の内に消失、市街地があった場所は海水が流れ込んで巨大な海になっていた。これがエリア
1995と呼ばれる地域であり、かつての東京湾は行政管区上の区別をつけるために“旧東京湾”と呼称されるようになって現在に至っている。

ミサイル攻撃で出来たエリア
1995の水深は平均45メートルで最深部は64メートル、更に爆発の影響で旧東京湾の北半分水深は35メートルまで抉(えぐ)られていた。吹き飛ばされた土壌は海水流入の際の潮流が旧横浜側の海岸線に沿って渦巻くように湾内に流入した影響で最終的に千葉側に堆積することになった。

この未曾有の大洪水は横須賀を抱える三浦半島の東側の海岸線を大きく侵食したため地形が変わり、それが前述の通り横須賀基地の旧小田原市への移転という形に至らしめた大きな要因の一つでもあった。

今の旧東京湾の海底地形は神奈川県側に沿った航路を取れば「イラストリアス」のような大型艦でも十分に潜航が可能になっていたのである。


「しかし…このMercury(Eva伍号機のコードネーム)の能力がここまでとはな…世界最高という誉の高いポセイドン(第七艦隊が実戦配備している日米共同開発の対潜哨戒システムのこと)の目を完璧に潜り抜けるとはな…やはりあの時にパッシブ(ソナーの一種)を打たれたのはmade in Chinaのせいか……」

イラストリアス副長のポンソンビー海軍大尉は薄暗いCIC室で独り言のように呟いていた。まるで悪魔か死霊にでも取り憑かれたように不気味な笑みを浮かべる。

コイツがある限り俺達は間違いなく無敵だ……もう、マスゴミの奴らに“打ち上げられた鯨”とは言わせないぞ…“老人”たちの時代は終わったんだ……そうだ、俺達こそ…新時代に君臨する真のRoyal Navyなんだ!!

上空の照りつける太陽の光が差し込んでオーロラのように群青の中で揺らめいていた。マリの搭乗する伍号機が艦首の上に堂々と立っている姿が正面の大型スクリーンを通して見える。

「副長!Eva索敵システムによる周辺海域の海図作成完了しました!」

イラストリアスの任務の一つに欧州諸国にとって全く不案内な日本近海の海図作成を極秘裏に行うことがあった。本来は潜水艦が乗り入れる前に該当海域を調査船や哨戒機などで調査するのが常套手段であるがそれを遠く離れた欧州の政府機関が実行するのも、また情報提供を依頼するのもあまりにも不自然であり異常という他ない。高度な索敵システムとATフィールドによる人智を超えた隠密性能を持つ伍号機を保有する世界最大の潜水艦運用国家である英国(※架空設定であることに留意願いたい)だからこそ、この直接測量は可能になっていた。

「よし…艦首を北に向けろ」

「え?で、ですが…測量は既に…」

全く想定外の指示を聞いてオペレータ達は驚いて一斉にポンソンビーの方を振り返る。ポンソンビーはCIC室の中央で腕組みをしたまま自信満々に答えた。

「このまま本艦はエリア1995に入って堂々と旋回して太平洋に出る。何を恐れることがある。俺達は世界最強なんだ」

やや高揚した声を上げるポンソンビーの様子に面食らった士官達達はお互いに顔を見合わせていた。ポンソンビーの後ろに侍っていたウォーレンサー情報少尉が一歩進み出てポンソンビーに遠慮がちに具申する。

「副長。お言葉ですが我々の任務はあくまで将来的な有事に備えて日本近海の海図を作成することにあります。それに…Admirality(英国海軍委員会)より指示された特殊オペレーションも控えておりますし…ここは…」

「そんな事は百も承知だ。何が言いたいんだ貴様は?」

ポンソンビーはジロッとウォーレンサーを睨みつける。あまりの眼光の鋭さにウォーレンサーは思わず竦(すく)みあがっていた。

「い、いえ…た、ただ小官は目的を達成した以上、艇長の指示通りに可及的速やかに当該海域からの離脱を具申しているだけで…そ、その…もし万が一に第七艦隊に発見されてしまったら…」

「発見?貴様はバカ(Stupid)か?」

「え?えっと…それはどういう意味で…」

ポンソンビーは豪快に笑い飛ばすとウォーレンサーをあからさまに無視する態度を取った。

「見つかったならその時が“敵”の命日になるだけだ!諸君は沖縄沖での完勝を忘れたわけではあるまい!まっすぐ艦首を北に向けろ!然る後に堂々と太平洋に抜ければいい!お前達は俺の言うとおりにすればいいんだ!」

CIC室はまるで通夜のように静まり返っていた。

艦内の様子を双方向通信システムを通して聞いていたマリはエントリープラグの中で一人ほくそ笑む。

「さあて…面白くなってまいりましたよ~wktk!」



Ep#09_(13) 完 / つづく

【参考URL】
海上保安庁HPより「
東京湾の海底をのぞいてみよう



【改定履歴】
29th Sept, 2010 / 表現及び脱字の修正
30th Sept, 2012 / リンク切れ修正

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