新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第8部 Jeux interdits 禁じられた遊び (Part-2) / 巡り合いの価値
(あらすじ)
第4、第5の適格者を迎えた作戦部は定例の会議を開催する。だが、カヲルの顔を見たアスカが突然取り乱した。二人の間を訝しがるシンジ、そしてカヲルに刺す様な視線を向けるレイ。
※ 編集の都合で「加持とミサトの再会」は次回に回しました。
(本文)
シンジは時間を見つけては室内プール(小児用)に通っていた。水に慣れるための秘密の特訓がその目的で、このことを知っているのは誘いあってスポーツセンターに行く友人兼コーチのトウジと専ら友人業のみに専念するケンスケだけだった。
三人で行動する時は絶対に一緒に行くとは言わないアスカの習性を利用して密かにこの特訓をシンジは続けていた。
使徒戦の進行に伴って作戦環境も多様化していた。泳げないことを理由に水域での作戦で不参加を表明するわけには行かないという雰囲気もあるとはいえ、全く泳げないシンジが自らの意思で水に近づくというのは決して小さくない変化だった。
パイロットとしての義務感、と言えばミサトは手を叩いて喜ぶだろうが実際は違った。単純にレイやアスカの足を引っ張りたくない、ただそれだけのために始めたことだった。
シンジがそう考えるようになったのは第7使徒戦の前後だった。運命の悪戯で共同生活をする事になり適応障害かと疑いたくなる様なアスカとの生活に加えて、初めは友好的だったアスカとの関係を壊してしまうきっかけを作ってしまった後、自分のみならずレイにまで敵愾心を燃やす様になってしまったことへの慙愧の念がこれまで絶対に水辺に近づこうとしなかったシンジに心境の変化をもたらしていた。
シンジの地道な努力はすぐに第8使徒戦における弐号機引き上げという形で結実する。以前のシンジであれば火口付近に位置取りしたかどうかさえ疑わしい。
それが危険も恐怖も顧みないあの行動となって現れていた。本人にも自覚がないがシンジもゆっくりとだが確実に成長していた。
ピリリ ピリリ ピリリ
シンジが南口のロータリーに立って霧雨の中を歩くか、止むのを待つか悩んでいるとジーパンのポケットに入れていたネルフの携帯から電子音が鳴っているのに気が付いた。
ミサトさんからだ…何だろ…
「もしもし…碇ですけど…」
「ヤッホー!シンちゃん?あ、た、しぃ!」
シンジは背筋に冷たいものを感じて思わず身体を仰け反らせた。ミサトが意外にも上機嫌という事もあったが率直に言って甘えた様な声が不気味だった。
シンジの経験上、こういう声を出す時のミサトは必ず何かを企んでいた。自分の意思とは関係なく夏祭りに強制的に参加させられた時のことが頭を掠める。
怒られるわけじゃないからまだいいけど…今度は一体何を思い付いたんだ…
「あのさ、まだマスコミの連中はマンションの周りをうろついてんの?」
「え?ま、マスコミですか?」
ミサトはまだ右腕を吊ったままだったためどちらにしても普通の生活を一人で送れる状態ではなかった。結局、退院後も職員専用宿舎で寝泊りしていた。
さすがにシンジがミサトの身辺の世話を社会常識に照らしてするわけにもいかない為、専ら作戦部所属の女性職員がそれを代行しているような状況だったが、一方で週刊誌などのマスコミがミサトの姿を捉えようとマンションの周りに張り込んでいることもミサトが自宅に戻れない理由の一つになっていた。
「残念ですけど毎日いますよ。マンションから人が出て来る度に一斉にカメラが向くから…その…管理組合の方でかなり問題になってるみたいですけど…」
「ちっ!あいつら…まあ…有名人は辛いわね…美しさは時として罪になるからさ」
「え?美しさ…?」
週刊誌による報道以来、新聞受けやレターボックスに花束や手紙などがミサト信者から節操なく届く有様で、騒ぎの張本人が葛城家の家長であることはとうの昔に周辺住民に知れ渡っていた。
シンジは自分の肩身の狭さを説明した上でちょうどこの上司兼保護者に引越しを提案しようとしていたところだった。
ただ、自分自身が訓告処分を受けたりミサトの機嫌が悪かったりということが重なっていたために時期を伺っていたのだ。
「あの…ミサトさん…実はですね…」
「シンちゃん、ちょっと相談があるんだけどさ」
二人の声が錯綜する。出会い頭の事故は力の強いものが弱いものを跳ね飛ばすのが世の常だ。
「はい…何ですか…?」
「さっきフィフスと面会したんだけどね、彼、なかなかいい子でさあ。名前は渚カヲル君っていうんだけど身長はアスカよりちょっと高いくらいでシンちゃんより1歳年上…」
「はあ…」
シンジは眉間に皺を寄せて記憶を辿ったが思い出せなかった。
渚…カヲル…何故だ…どこかで聞いたような名前だけど…気のせいだろうか…
「彼ね、来日したての頃のアスカと同じでエンペラーホテルに泊まっているんだけど本部まで通勤が不便じゃん?だから市内に新居を探してるんだけどさあ…ちょっちね…このご時勢でネルフ関係者を新規に受け入れてくれる大家さんが全然いないんだわ…これが…」
ミサトの言うご時勢とは相次ぐ使徒被害と相まって先日の非常事態宣言によって特務機関ネルフに対する風当たりが強烈なアゲインストになっていることを意味していた。
凡そミサトの電話の用件がシンジにも見えてきていた。
「そこで仕方がないからさ、あたしの部屋を一時的にフィフスに提供しようと思ってるんだ」
「ええ!?み、ミサトさんの部屋に…ですか…」
この前の第13使徒戦の前にシンジが掃除をしたお陰でどうにか人間が入れる状態にまで回復していたがまだ生活が出来る状態には程遠かった。
あ、あんな状態の部屋を人に貸すなんて…どうやったらそんな発想が出来るんだ…しかも…フィフスは男だって言ってたじゃないか…何考えてるんだ…ミサトさんは…
しかし、ミサトの口ぶりからして既に腹は固めている様子だった。こうなるとミサトの決定を覆すのは容易ではないことを知っているシンジは保護者の電話が相談というよりは通告である事を悟った。
「もう…決めてるんでしょ…?」
「あったりぃ!グッドアイデアでしょ?」
やっぱり…自分はどこに住むつもりだよ…ていうか…食費とかどうするんだよ…ロクに蓄えもないし…
短期間で色々なことが起こった葛城家はミサトの収入が激減した余波をまともに受けて台所事情は火の車だった。辛うじてアスカとミサトの不在とシンジの類まれな会計能力のお陰で破産せずに済んでいたがとても慈善活動をする様な余裕はなかった。
「じゃあさ、早速で悪いんだけどあたしの人格が疑われない様に部屋の掃除よろしくねん!アタシの荷物はとりあえずアスカの部屋にでも入れておいてよ」
交渉の余地はないらしい。シンジはため息をつく。
「分かりましたよ…やればいいんでしょ…やれば…」
「サンキュー!まあフィフスの新居が決まるまでの間だからさ!ほとぼりが冷めれば受け入れてくれる大家さんもちらほら出てくると思うしね」
本当かよ…そんなに都合よく行かないと思うけど…自分が家に帰りたくなったら受け入れたフィフスをどうするつもりなんだろ…この人…まさか僕の部屋に二人住まわせる気か…
「じゃあね!来週の月曜日のチルドレンミーティングで会いましょ?バイバーイ!」
ミサトが一方的に電話を切るとシンジは諦めて携帯のスイッチを押した。
あり得る…すっごいあり得る…
シンジがため息交じりに霧雨の中を歩き出そうとしたその時だった。
後ろから口笛が聞こえて来る。ベートヴェンの「歓喜の歌」のフレーズが自分に近づいてくる。
「音楽はいいよね?リリンが生み出した文化の極みだよ。そう君も思わないかい?碇…シンジ君…」
え…?
いきなり名前を呼ばれたシンジは驚いて振り返った。人影のまばらな週末の昼下がりのリニア駅に透き通り様な白い肌をした長身の少年がシンジの方を見てにっこり微笑んでいた。
「き、君は…?どうして…僕の名前を…」
「僕はカヲル。渚カヲル。今日の朝、日本に到着したんだ。宜しく」
「渚…カヲル…じゃ、じゃあ君が…フィフス…チルドレンの…」
シンジはカヲルと名乗る長身の少年を見て驚く。
カヲル…カヲル君…何故だ…前に会った様な気が…する…でも…何処で会った…
シンジの逡巡はカヲルの声ですぐにかき消される。
「君がリリンの長(おさ)たる者か…でも君でよかった…ガラス細工の様に繊細で朝露の様に美しく…そして…あまりにも儚い…まさに限りある命の象徴というわけだ…もしかしたら僕は君に会うために生まれてきたのかもしれないね…」
「か、カヲル君…君は一体…何を言って…」
「君とは仲良くなれそうだよ…シンジ君…」
シンジの戸惑いを全く気にせずに渚カヲルを名乗る少年は長めの銀髪を湿り気を帯びたやや重たい風に靡(なび)かせていた。
「ところでシンジ君。君は何処かに行っていたのかい?ん?これは…塩素の匂い…」
「えっと…駅の向こうにある温水プールに行ってたから…多分、そのせいじゃないかな…」
「プールに?ふーん」
カヲルは不思議そうな顔をする。
どうしてなんだ…水に恐怖を感じて…近づきたくないとすら思っている筈なのに…自らを苦しめるような事を敢えてしてまでそれを克服しようとする…これが…リリン…だから…忌むべき存在のものを利用してまでも生きようとするのか…
「ど、どうしたの?」
まだ分からない事が多すぎる…でも…それだけに僕は興味が尽きない…限りある命という存在が…特に…君だよ…シンジ君…なぜ…君の中にリリスがいて…
「いや…ただ…君はもう少し自分を評価というか…褒めて上げた方がいいんじゃないかな…そう思っただけさ」
「え?じ、自分を…」
「好意に値するよ。君は…」
どうしてエリザまでいるのか…君はあらゆる生命の可能性を許容する存在になろうとしているというのか…
そう言い残すとカヲルはシンジの元を離れて歩き始めた。
「か、カヲル君。何処に行くの?」
「これからホテルに帰るのさ。飛行機で着いたばかりだからシャワーも浴びたいしね。それじゃ月曜に!Tschüs!」
再び強烈な日差しが戻ってきた月曜日。
この日、松代の拠点を死守したことを進級事由としてミサトの上級一佐作戦部長への就任が本部内で発表された。これによりネルフでは三佐、国連軍では大佐という捩れ現象は解消された。
国連軍の正規階級を一級上位に扱うことが慣例になっているネルフでは将補本部長への補任という話も持ち上がっていたがセキュリティーグレードSをミサトに与える訳にもいかず結局、ゲンドウの決定で見送られることになった。
しかし、名実共にミサトはゲンドウ、冬月、リツコに次ぐナンバー4となり三佐作戦部長時代に上位者だった北上総務部長などを一気に抜き去っていた。
若きネルフの幹部となった保護者にオペレーションルーム近くの通路で会ったシンジは頭を軽く下げて会釈をしようとするのを止めておずおずと恥かしそうに敬礼した。
スカートからズボン型の制服に改めたミサトはその姿を見て驚いた。
「ちょっと…どうしちゃったのよ、シンジ君…あなたが敬礼するなんて…」
「理由はあんまりないですけど…その…何か…ちゃんとした方がいいかなって思って…」
「シンジ君…」
まだ腕を吊った状態が痛々しかったがミサトはにやっと笑うとシンジに敬礼を返した。
「ちょっと見ない間にいい男になったじゃない」
「え?」
シンジは驚いたような顔をしてミサトを見上げた。男らしくないと言われたことしかなかったシンジは同反応していいのか戸惑ったような表情を浮かべていた。
「あなたがあたしの家に初めて来た時に言った事…覚えてる?」
「僕…何か言いましたっけ…?」
二人はどちらからともなく手を下ろす。
「僕はお父さんに呼ばれて来ただけだから軍人になった訳じゃない。世話になることになって生意気かもしれないけどあたしに何か強制されるなら僕はすぐここを出て行きます。そう言ったのよ、あなたは。玄関に足を踏み入れる前にね」
「そ、そうでしたっけ…結構…いやなヤツなんですね…僕って…」
「ひひひ!それはどうだろな。まあ…あたしも最初は何て子かしらって正直あの時は思ったけどさ。でもあたしはシンジ君と約束したでしょ?強制なんかしないから安心して入ってきなさいってね」
ミサトはシンジに優しく微笑みかけていた。
「あの約束は今も有効だからさ。シンジ君は無理してまで変わる必要はないわよ。あなたはどこまでいってもあなたなんだからね。」
「ミサトさん…」
「レイとアスカも待ってるわ。じゃあ!また後でね!」
ミサトはそういい残すと再び長い廊下を歩き始めた。
あれほどあたし…いや…どっちかっていうと軍隊的なものだったのかな…そういったものを毛嫌いしていたのにねえ…シンジ君も変わったわね…変わったといえば…あたしも変わったのかな…もうすぐ30だしねえ…
ミサトはポケットにいつも忍ばせているクロスのペンダントを片方の手で弄ぶ。指先がチェーンを通しているプラチナリングに触れた。
バカな男…生き残り難くなることばかり…太く短く生きるだけが人生じゃないだろうに…
アスカはわずかに右足を庇うようなぎこちない歩き方をまだしていたが戦傷は快癒に向かっていた。
今日はEvaチームになって初めてのミーティングか…多分…G(Gliderの略)兵装のテストスケジュールと組織のことがメインになるだろうな…それにしても…一寸…気が早いわね…まだ11月なのに…
アスカは自分のプラグスーツに新しく付けられたネルフの一尉を示す階級章を見る。
パイロットの人数はこれで5人になり、Evaも大破状態とはいえ参号機の配備によって4体となる。ネルフが世に出るきっかけとなった今年(2015年)の6月と今の状況は比べるべくもない。
松代騒乱事件後に作戦部は多くの人材を失ったという事情もあるが、新たに上級一佐となったミサトの下で大きく再編されることになっていた。
12月付けで「大尉(ネルフ内では特務一尉)」に進級する予定である事をアスカはネルフ本部の総務から病室に届いた文書で知った。これまで曖昧だったEvaの実戦体制はEvaチーム(仮称)というミサトを長とする正式部隊に改められることになり、そのEvaチームのリーダーに国連軍の正規階級を持つアスカが就く予定になっていた。
この他にミサトの副官を務めていた日向は一尉に進級して東雲(三佐に進級して部長補佐に就任)に変わって戦術兵装研究課長としてEvaチームから転出する事になっており、MAGIのオペレーターである青葉とマヤもそれぞれ技術特務一尉に進み、技術部には課長職に相当する研究室長のポストがある以外に役職がないため専門職上の権限が拡大される予定だった。
事務能力が著しく欠落しているミサトを作戦部内の女性士官が交代で補佐することになり事実上、副官ポストは消滅していた。
この時期外れの大量の人事発令は有事においては若年者の高官も珍しくはないがやはり全体的なバランスを取ろうとする配慮が働いていると考えるのが妥当だった。
アスカの視界の中にレイが入って来た。
レイ…
白いプラグスーツを着たレイは普段と変わらず無表情に見えたがどこか元気がないようにも見えた。その向こうには黒いプラグスーツを着たトウジが居心地悪そうにしているのが見える。
あのヘンタイ(トウジ)が第四の適格者になるなんて…世の中どうかしてるわ…どういう基準で選んでいるのかしら…それに…新顔の渚カヲル…2000年生まれっていうことは…アタシと同じ歳か…副司令がドイツ出身って言ってたけど和風な名前だし…意味わかんない…
アスカの後ろには日向が会議用の椅子に座っているのが見える。引継ぎ資料を作っているのが遠目に見えた。
日向はミサトの副官としてEvaチームの運営に関わっていたが日向の異動後はミサトの指示をチームの行動に反映して最前線に展開するEvaを統率していくのはアスカの責任という事になる。
アスカはため息を付いた。
どうでもいいけど…この凄い濃い面子で上手くやっていけるのかしら…まあ…ヘンタイ(トウジ)や新人(カヲル)と絡むわけじゃないから大丈夫か…
エアシリンダーの音と共にオペレーションルームの扉が開く。シンジが立っていた。
サードチルドレン…碇…シンジ…君…初号機パイロット…
アスカは部屋に入って来たシンジの方に視線を送る。シンジもアスカの視線に気が付いたのか、いきなり視線を合わせてきた。アスカは慌てて目を逸らす。
ば、バカ…いきなり…こっち見ないでよ…
特に決められているわけではないが慣習として左からレイ、アスカ、シンジとチルドレン呼集の場合は選出順に並んでいた。
シンジはレイとトウジにそれぞれ短く挨拶を返すとアスカとトウジの間に立つ。子供達はそれぞれ銘々の事情で緊張していた。
アスカは俯いたままだった。シンジとの間に微妙な空気が流れる。
こんな時…何ていえばいいのか…下手に話しかければボロが出てしまう…アンタのことがよく分からないなんて口が避けても絶対に言えない…
「あ、あのさ…この前はごめん…」
おずおずと遠慮がちに小さい声でシンジが話しかけてきた。
「え?な、何の事…」
「えっと…だから…いつもと呼び方が違うとか…その…ヘンな事しちゃって…」
「べ、別に…気にしてないわよ…それに…普通なんじゃないの…あれくらい…」
「な、何が?」
ちょっとアンタバカぁ!みんながいる前でそんなの言える訳ないじゃん!ていうか自分がした事くらい分かるでしょ!
「だ、だから…アンタが…アタシに…したことよ…」
アスカは顔を真っ赤にしていた。シンジも急に恥かしくなったのか視線を自分の足元に戻した。
「そ、そっか…良かった…アスカが気にしてないって言うんなら…で、でもさ…その…色々あり過ぎちゃってどれのことを言ってるのか…よく分からないっていうか…」
はあ?色々ですって…?ちょっと待ってよ…色々って何よ…キスだけじゃないってこと…?アタシ…何したんだろ…
アスカは横目でシンジの方を見た。顔に何かが書いてある訳ではなく、シンジの表情から推し量る事など到底出来なかった。
こんなのって…残酷だ…聞くに聞けないし…
「思い出ばかりが全てではない。新しく築いていくことからも希望は生まれる。そしてそれは芳醇な感動の音色となり…やがて歓喜へと至る…」
え?これってド、ドイツ語…
アスカが驚いて顔を上げるとすぐ目の前に濃紺のプラグスーツを着た渚カヲルが立っていた。カヲルの顔を見たアスカの目が大きく見開かれる。カヲルは優しく柔らかい眼差しでアスカを見ていた。
「久し振りだね…エリザ…」
「ア…アイン…嘘…嘘だ…アインの筈ない…だってあなたは…」
「驚かしてしまったようだね…でも…僕達は約束したはずさ…再び巡り合うとね…」
「ふぐっ…」
カヲルの言葉を聞いたアスカは思わず右手を口に押し当ててくぐもったような声を出した。込み上げて来る衝動を必死になって抑えていた。
アスカの様子に驚いたシンジはカヲルとアスカの顔を交互に見る。レイも静かにしかし鋭い視線をカヲルに向けていた。
「カヲル君…」
「おはようシンジ君。そしてみんなおはよう!」
カヲルはレイ、アスカ、シンジ、トウジとそれぞれの顔をゆっくりと順番に見て微笑むとチルドレンの列に並ぼうと踵を返した。
トウジがカヲルに話しかけようとした瞬間、いきなりアスカの甲高い叫び声がオペレーションルームに響き渡った。
「嘘だ…アンタがアインなはずはない…アンタは何処の誰よ!!」
カヲルは足を止めると再びアスカの顔を見る。
「僕はカヲル…渚カヲル…フィフスチルドレンとしてここにやって来た…今はね…でも…エリザ…僕は君の知っているアインという存在でもある…」
カヲルはそう言うとプラグスーツのポケットから古びた赤いリボンを取り出した。
「覚えているかい?あの裏庭に流れていた小さな小川のほとりで君は僕に素敵な音を聞かせてくれたんだ」
「いや…」
「そして優しい君は僕にこれをくれたんだ。女の子みたいだって言ってね。僕達は一緒にあの川のほとりで作ったんだ」
「やめて…」
「エリザ…」
「そんな訳ない!あなたは…あなたは死んだのよ!ここにいるなんて…あり得ない!」
「どうすれば悲しみに満ちた君の心が蘇るのだろう。雪の降らないこの日本ではスノーマン(雪だるま)を作って祈りを捧げる事も出来ない」
「カヲル君。何をアスカと話してるのか知らないけど…アスカが嫌がってるからもう止めてよ」
シンジがそう言った瞬間、アスカは走ってオペレーションルームを飛び出していった。
資料作りに熱中する余り子供達の異変にさして注意を払っていなかった日向はアスカの駆け出した音に反応して顔を上げる。
「あ!ちょっとアスカちゃん!参ったな…ミーティングがもうすぐ始まるのに…」
シンジはカヲルの肩を掴むと自分の方に強引に振り向かせていた。拳を固めて今にも殴り出しそうな気配を察したトウジがシンジの右手首を掴んで二人の間に割って入る。
「センセ…ちょい待ち…それは不味いやろ…」
「カヲル君…君は…君は一体…何なんだ…」
「シンジ君…怒った君も…僕は好きだな…」
「ふざけるなよ…前歯全部折ってやろうか…?」
「シンジ…落ち着けや…事情も分からん状態でお前らしくないで」
シンジはカヲルを睨みつけていた。
(改定履歴)
28th June, 2009 / 表現修正
地上の第三東京市では霧雨になっていた。
スポーツバッグを肩に掛けたシンジはリニア駅の南口ロータリーを歩いていた。第三東京市内にある市民スポーツセンターからの帰り道だった。
転出が相次いでいる影響なのか、以前なら週末の土曜日ともなれば市民スポーツセンターは超満員で時間制限が設けられるほどだったが今日は人影もまばらで快適だった。
スポーツバッグを肩に掛けたシンジはリニア駅の南口ロータリーを歩いていた。第三東京市内にある市民スポーツセンターからの帰り道だった。
転出が相次いでいる影響なのか、以前なら週末の土曜日ともなれば市民スポーツセンターは超満員で時間制限が設けられるほどだったが今日は人影もまばらで快適だった。
シンジは時間を見つけては室内プール(小児用)に通っていた。水に慣れるための秘密の特訓がその目的で、このことを知っているのは誘いあってスポーツセンターに行く友人兼コーチのトウジと専ら友人業のみに専念するケンスケだけだった。
三人で行動する時は絶対に一緒に行くとは言わないアスカの習性を利用して密かにこの特訓をシンジは続けていた。
使徒戦の進行に伴って作戦環境も多様化していた。泳げないことを理由に水域での作戦で不参加を表明するわけには行かないという雰囲気もあるとはいえ、全く泳げないシンジが自らの意思で水に近づくというのは決して小さくない変化だった。
パイロットとしての義務感、と言えばミサトは手を叩いて喜ぶだろうが実際は違った。単純にレイやアスカの足を引っ張りたくない、ただそれだけのために始めたことだった。
シンジがそう考えるようになったのは第7使徒戦の前後だった。運命の悪戯で共同生活をする事になり適応障害かと疑いたくなる様なアスカとの生活に加えて、初めは友好的だったアスカとの関係を壊してしまうきっかけを作ってしまった後、自分のみならずレイにまで敵愾心を燃やす様になってしまったことへの慙愧の念がこれまで絶対に水辺に近づこうとしなかったシンジに心境の変化をもたらしていた。
シンジの地道な努力はすぐに第8使徒戦における弐号機引き上げという形で結実する。以前のシンジであれば火口付近に位置取りしたかどうかさえ疑わしい。
それが危険も恐怖も顧みないあの行動となって現れていた。本人にも自覚がないがシンジもゆっくりとだが確実に成長していた。
ピリリ ピリリ ピリリ
シンジが南口のロータリーに立って霧雨の中を歩くか、止むのを待つか悩んでいるとジーパンのポケットに入れていたネルフの携帯から電子音が鳴っているのに気が付いた。
ミサトさんからだ…何だろ…
「もしもし…碇ですけど…」
「ヤッホー!シンちゃん?あ、た、しぃ!」
シンジは背筋に冷たいものを感じて思わず身体を仰け反らせた。ミサトが意外にも上機嫌という事もあったが率直に言って甘えた様な声が不気味だった。
シンジの経験上、こういう声を出す時のミサトは必ず何かを企んでいた。自分の意思とは関係なく夏祭りに強制的に参加させられた時のことが頭を掠める。
怒られるわけじゃないからまだいいけど…今度は一体何を思い付いたんだ…
「あのさ、まだマスコミの連中はマンションの周りをうろついてんの?」
「え?ま、マスコミですか?」
ミサトはまだ右腕を吊ったままだったためどちらにしても普通の生活を一人で送れる状態ではなかった。結局、退院後も職員専用宿舎で寝泊りしていた。
さすがにシンジがミサトの身辺の世話を社会常識に照らしてするわけにもいかない為、専ら作戦部所属の女性職員がそれを代行しているような状況だったが、一方で週刊誌などのマスコミがミサトの姿を捉えようとマンションの周りに張り込んでいることもミサトが自宅に戻れない理由の一つになっていた。
「残念ですけど毎日いますよ。マンションから人が出て来る度に一斉にカメラが向くから…その…管理組合の方でかなり問題になってるみたいですけど…」
「ちっ!あいつら…まあ…有名人は辛いわね…美しさは時として罪になるからさ」
「え?美しさ…?」
週刊誌による報道以来、新聞受けやレターボックスに花束や手紙などがミサト信者から節操なく届く有様で、騒ぎの張本人が葛城家の家長であることはとうの昔に周辺住民に知れ渡っていた。
シンジは自分の肩身の狭さを説明した上でちょうどこの上司兼保護者に引越しを提案しようとしていたところだった。
ただ、自分自身が訓告処分を受けたりミサトの機嫌が悪かったりということが重なっていたために時期を伺っていたのだ。
「あの…ミサトさん…実はですね…」
「シンちゃん、ちょっと相談があるんだけどさ」
二人の声が錯綜する。出会い頭の事故は力の強いものが弱いものを跳ね飛ばすのが世の常だ。
「はい…何ですか…?」
「さっきフィフスと面会したんだけどね、彼、なかなかいい子でさあ。名前は渚カヲル君っていうんだけど身長はアスカよりちょっと高いくらいでシンちゃんより1歳年上…」
「はあ…」
シンジは眉間に皺を寄せて記憶を辿ったが思い出せなかった。
渚…カヲル…何故だ…どこかで聞いたような名前だけど…気のせいだろうか…
「彼ね、来日したての頃のアスカと同じでエンペラーホテルに泊まっているんだけど本部まで通勤が不便じゃん?だから市内に新居を探してるんだけどさあ…ちょっちね…このご時勢でネルフ関係者を新規に受け入れてくれる大家さんが全然いないんだわ…これが…」
ミサトの言うご時勢とは相次ぐ使徒被害と相まって先日の非常事態宣言によって特務機関ネルフに対する風当たりが強烈なアゲインストになっていることを意味していた。
凡そミサトの電話の用件がシンジにも見えてきていた。
「そこで仕方がないからさ、あたしの部屋を一時的にフィフスに提供しようと思ってるんだ」
「ええ!?み、ミサトさんの部屋に…ですか…」
この前の第13使徒戦の前にシンジが掃除をしたお陰でどうにか人間が入れる状態にまで回復していたがまだ生活が出来る状態には程遠かった。
あ、あんな状態の部屋を人に貸すなんて…どうやったらそんな発想が出来るんだ…しかも…フィフスは男だって言ってたじゃないか…何考えてるんだ…ミサトさんは…
しかし、ミサトの口ぶりからして既に腹は固めている様子だった。こうなるとミサトの決定を覆すのは容易ではないことを知っているシンジは保護者の電話が相談というよりは通告である事を悟った。
「もう…決めてるんでしょ…?」
「あったりぃ!グッドアイデアでしょ?」
やっぱり…自分はどこに住むつもりだよ…ていうか…食費とかどうするんだよ…ロクに蓄えもないし…
短期間で色々なことが起こった葛城家はミサトの収入が激減した余波をまともに受けて台所事情は火の車だった。辛うじてアスカとミサトの不在とシンジの類まれな会計能力のお陰で破産せずに済んでいたがとても慈善活動をする様な余裕はなかった。
「じゃあさ、早速で悪いんだけどあたしの人格が疑われない様に部屋の掃除よろしくねん!アタシの荷物はとりあえずアスカの部屋にでも入れておいてよ」
交渉の余地はないらしい。シンジはため息をつく。
「分かりましたよ…やればいいんでしょ…やれば…」
「サンキュー!まあフィフスの新居が決まるまでの間だからさ!ほとぼりが冷めれば受け入れてくれる大家さんもちらほら出てくると思うしね」
本当かよ…そんなに都合よく行かないと思うけど…自分が家に帰りたくなったら受け入れたフィフスをどうするつもりなんだろ…この人…まさか僕の部屋に二人住まわせる気か…
「じゃあね!来週の月曜日のチルドレンミーティングで会いましょ?バイバーイ!」
ミサトが一方的に電話を切るとシンジは諦めて携帯のスイッチを押した。
あり得る…すっごいあり得る…
シンジがため息交じりに霧雨の中を歩き出そうとしたその時だった。
後ろから口笛が聞こえて来る。ベートヴェンの「歓喜の歌」のフレーズが自分に近づいてくる。
「音楽はいいよね?リリンが生み出した文化の極みだよ。そう君も思わないかい?碇…シンジ君…」
え…?
いきなり名前を呼ばれたシンジは驚いて振り返った。人影のまばらな週末の昼下がりのリニア駅に透き通り様な白い肌をした長身の少年がシンジの方を見てにっこり微笑んでいた。
「き、君は…?どうして…僕の名前を…」
「僕はカヲル。渚カヲル。今日の朝、日本に到着したんだ。宜しく」
「渚…カヲル…じゃ、じゃあ君が…フィフス…チルドレンの…」
シンジはカヲルと名乗る長身の少年を見て驚く。
カヲル…カヲル君…何故だ…前に会った様な気が…する…でも…何処で会った…
シンジの逡巡はカヲルの声ですぐにかき消される。
「君がリリンの長(おさ)たる者か…でも君でよかった…ガラス細工の様に繊細で朝露の様に美しく…そして…あまりにも儚い…まさに限りある命の象徴というわけだ…もしかしたら僕は君に会うために生まれてきたのかもしれないね…」
「か、カヲル君…君は一体…何を言って…」
「君とは仲良くなれそうだよ…シンジ君…」
シンジの戸惑いを全く気にせずに渚カヲルを名乗る少年は長めの銀髪を湿り気を帯びたやや重たい風に靡(なび)かせていた。
「ところでシンジ君。君は何処かに行っていたのかい?ん?これは…塩素の匂い…」
「えっと…駅の向こうにある温水プールに行ってたから…多分、そのせいじゃないかな…」
「プールに?ふーん」
カヲルは不思議そうな顔をする。
どうしてなんだ…水に恐怖を感じて…近づきたくないとすら思っている筈なのに…自らを苦しめるような事を敢えてしてまでそれを克服しようとする…これが…リリン…だから…忌むべき存在のものを利用してまでも生きようとするのか…
「ど、どうしたの?」
まだ分からない事が多すぎる…でも…それだけに僕は興味が尽きない…限りある命という存在が…特に…君だよ…シンジ君…なぜ…君の中にリリスがいて…
「いや…ただ…君はもう少し自分を評価というか…褒めて上げた方がいいんじゃないかな…そう思っただけさ」
「え?じ、自分を…」
「好意に値するよ。君は…」
どうしてエリザまでいるのか…君はあらゆる生命の可能性を許容する存在になろうとしているというのか…
そう言い残すとカヲルはシンジの元を離れて歩き始めた。
「か、カヲル君。何処に行くの?」
「これからホテルに帰るのさ。飛行機で着いたばかりだからシャワーも浴びたいしね。それじゃ月曜に!Tschüs!」
再び強烈な日差しが戻ってきた月曜日。
この日、松代の拠点を死守したことを進級事由としてミサトの上級一佐作戦部長への就任が本部内で発表された。これによりネルフでは三佐、国連軍では大佐という捩れ現象は解消された。
国連軍の正規階級を一級上位に扱うことが慣例になっているネルフでは将補本部長への補任という話も持ち上がっていたがセキュリティーグレードSをミサトに与える訳にもいかず結局、ゲンドウの決定で見送られることになった。
しかし、名実共にミサトはゲンドウ、冬月、リツコに次ぐナンバー4となり三佐作戦部長時代に上位者だった北上総務部長などを一気に抜き去っていた。
若きネルフの幹部となった保護者にオペレーションルーム近くの通路で会ったシンジは頭を軽く下げて会釈をしようとするのを止めておずおずと恥かしそうに敬礼した。
スカートからズボン型の制服に改めたミサトはその姿を見て驚いた。
「ちょっと…どうしちゃったのよ、シンジ君…あなたが敬礼するなんて…」
「理由はあんまりないですけど…その…何か…ちゃんとした方がいいかなって思って…」
「シンジ君…」
まだ腕を吊った状態が痛々しかったがミサトはにやっと笑うとシンジに敬礼を返した。
「ちょっと見ない間にいい男になったじゃない」
「え?」
シンジは驚いたような顔をしてミサトを見上げた。男らしくないと言われたことしかなかったシンジは同反応していいのか戸惑ったような表情を浮かべていた。
「あなたがあたしの家に初めて来た時に言った事…覚えてる?」
「僕…何か言いましたっけ…?」
二人はどちらからともなく手を下ろす。
「僕はお父さんに呼ばれて来ただけだから軍人になった訳じゃない。世話になることになって生意気かもしれないけどあたしに何か強制されるなら僕はすぐここを出て行きます。そう言ったのよ、あなたは。玄関に足を踏み入れる前にね」
「そ、そうでしたっけ…結構…いやなヤツなんですね…僕って…」
「ひひひ!それはどうだろな。まあ…あたしも最初は何て子かしらって正直あの時は思ったけどさ。でもあたしはシンジ君と約束したでしょ?強制なんかしないから安心して入ってきなさいってね」
ミサトはシンジに優しく微笑みかけていた。
「あの約束は今も有効だからさ。シンジ君は無理してまで変わる必要はないわよ。あなたはどこまでいってもあなたなんだからね。」
「ミサトさん…」
「レイとアスカも待ってるわ。じゃあ!また後でね!」
ミサトはそういい残すと再び長い廊下を歩き始めた。
あれほどあたし…いや…どっちかっていうと軍隊的なものだったのかな…そういったものを毛嫌いしていたのにねえ…シンジ君も変わったわね…変わったといえば…あたしも変わったのかな…もうすぐ30だしねえ…
ミサトはポケットにいつも忍ばせているクロスのペンダントを片方の手で弄ぶ。指先がチェーンを通しているプラチナリングに触れた。
バカな男…生き残り難くなることばかり…太く短く生きるだけが人生じゃないだろうに…
アスカはわずかに右足を庇うようなぎこちない歩き方をまだしていたが戦傷は快癒に向かっていた。
今日はEvaチームになって初めてのミーティングか…多分…G(Gliderの略)兵装のテストスケジュールと組織のことがメインになるだろうな…それにしても…一寸…気が早いわね…まだ11月なのに…
アスカは自分のプラグスーツに新しく付けられたネルフの一尉を示す階級章を見る。
パイロットの人数はこれで5人になり、Evaも大破状態とはいえ参号機の配備によって4体となる。ネルフが世に出るきっかけとなった今年(2015年)の6月と今の状況は比べるべくもない。
松代騒乱事件後に作戦部は多くの人材を失ったという事情もあるが、新たに上級一佐となったミサトの下で大きく再編されることになっていた。
12月付けで「大尉(ネルフ内では特務一尉)」に進級する予定である事をアスカはネルフ本部の総務から病室に届いた文書で知った。これまで曖昧だったEvaの実戦体制はEvaチーム(仮称)というミサトを長とする正式部隊に改められることになり、そのEvaチームのリーダーに国連軍の正規階級を持つアスカが就く予定になっていた。
この他にミサトの副官を務めていた日向は一尉に進級して東雲(三佐に進級して部長補佐に就任)に変わって戦術兵装研究課長としてEvaチームから転出する事になっており、MAGIのオペレーターである青葉とマヤもそれぞれ技術特務一尉に進み、技術部には課長職に相当する研究室長のポストがある以外に役職がないため専門職上の権限が拡大される予定だった。
事務能力が著しく欠落しているミサトを作戦部内の女性士官が交代で補佐することになり事実上、副官ポストは消滅していた。
この時期外れの大量の人事発令は有事においては若年者の高官も珍しくはないがやはり全体的なバランスを取ろうとする配慮が働いていると考えるのが妥当だった。
アスカの視界の中にレイが入って来た。
レイ…
白いプラグスーツを着たレイは普段と変わらず無表情に見えたがどこか元気がないようにも見えた。その向こうには黒いプラグスーツを着たトウジが居心地悪そうにしているのが見える。
あのヘンタイ(トウジ)が第四の適格者になるなんて…世の中どうかしてるわ…どういう基準で選んでいるのかしら…それに…新顔の渚カヲル…2000年生まれっていうことは…アタシと同じ歳か…副司令がドイツ出身って言ってたけど和風な名前だし…意味わかんない…
アスカの後ろには日向が会議用の椅子に座っているのが見える。引継ぎ資料を作っているのが遠目に見えた。
日向はミサトの副官としてEvaチームの運営に関わっていたが日向の異動後はミサトの指示をチームの行動に反映して最前線に展開するEvaを統率していくのはアスカの責任という事になる。
アスカはため息を付いた。
どうでもいいけど…この凄い濃い面子で上手くやっていけるのかしら…まあ…ヘンタイ(トウジ)や新人(カヲル)と絡むわけじゃないから大丈夫か…
エアシリンダーの音と共にオペレーションルームの扉が開く。シンジが立っていた。
サードチルドレン…碇…シンジ…君…初号機パイロット…
アスカは部屋に入って来たシンジの方に視線を送る。シンジもアスカの視線に気が付いたのか、いきなり視線を合わせてきた。アスカは慌てて目を逸らす。
ば、バカ…いきなり…こっち見ないでよ…
特に決められているわけではないが慣習として左からレイ、アスカ、シンジとチルドレン呼集の場合は選出順に並んでいた。
シンジはレイとトウジにそれぞれ短く挨拶を返すとアスカとトウジの間に立つ。子供達はそれぞれ銘々の事情で緊張していた。
アスカは俯いたままだった。シンジとの間に微妙な空気が流れる。
こんな時…何ていえばいいのか…下手に話しかければボロが出てしまう…アンタのことがよく分からないなんて口が避けても絶対に言えない…
「あ、あのさ…この前はごめん…」
おずおずと遠慮がちに小さい声でシンジが話しかけてきた。
「え?な、何の事…」
「えっと…だから…いつもと呼び方が違うとか…その…ヘンな事しちゃって…」
「べ、別に…気にしてないわよ…それに…普通なんじゃないの…あれくらい…」
「な、何が?」
ちょっとアンタバカぁ!みんながいる前でそんなの言える訳ないじゃん!ていうか自分がした事くらい分かるでしょ!
「だ、だから…アンタが…アタシに…したことよ…」
アスカは顔を真っ赤にしていた。シンジも急に恥かしくなったのか視線を自分の足元に戻した。
「そ、そっか…良かった…アスカが気にしてないって言うんなら…で、でもさ…その…色々あり過ぎちゃってどれのことを言ってるのか…よく分からないっていうか…」
はあ?色々ですって…?ちょっと待ってよ…色々って何よ…キスだけじゃないってこと…?アタシ…何したんだろ…
アスカは横目でシンジの方を見た。顔に何かが書いてある訳ではなく、シンジの表情から推し量る事など到底出来なかった。
こんなのって…残酷だ…聞くに聞けないし…
「思い出ばかりが全てではない。新しく築いていくことからも希望は生まれる。そしてそれは芳醇な感動の音色となり…やがて歓喜へと至る…」
え?これってド、ドイツ語…
アスカが驚いて顔を上げるとすぐ目の前に濃紺のプラグスーツを着た渚カヲルが立っていた。カヲルの顔を見たアスカの目が大きく見開かれる。カヲルは優しく柔らかい眼差しでアスカを見ていた。
「久し振りだね…エリザ…」
「ア…アイン…嘘…嘘だ…アインの筈ない…だってあなたは…」
「驚かしてしまったようだね…でも…僕達は約束したはずさ…再び巡り合うとね…」
「ふぐっ…」
カヲルの言葉を聞いたアスカは思わず右手を口に押し当ててくぐもったような声を出した。込み上げて来る衝動を必死になって抑えていた。
アスカの様子に驚いたシンジはカヲルとアスカの顔を交互に見る。レイも静かにしかし鋭い視線をカヲルに向けていた。
「カヲル君…」
「おはようシンジ君。そしてみんなおはよう!」
カヲルはレイ、アスカ、シンジ、トウジとそれぞれの顔をゆっくりと順番に見て微笑むとチルドレンの列に並ぼうと踵を返した。
トウジがカヲルに話しかけようとした瞬間、いきなりアスカの甲高い叫び声がオペレーションルームに響き渡った。
「嘘だ…アンタがアインなはずはない…アンタは何処の誰よ!!」
カヲルは足を止めると再びアスカの顔を見る。
「僕はカヲル…渚カヲル…フィフスチルドレンとしてここにやって来た…今はね…でも…エリザ…僕は君の知っているアインという存在でもある…」
カヲルはそう言うとプラグスーツのポケットから古びた赤いリボンを取り出した。
「覚えているかい?あの裏庭に流れていた小さな小川のほとりで君は僕に素敵な音を聞かせてくれたんだ」
「いや…」
「そして優しい君は僕にこれをくれたんだ。女の子みたいだって言ってね。僕達は一緒にあの川のほとりで作ったんだ」
「やめて…」
「エリザ…」
「そんな訳ない!あなたは…あなたは死んだのよ!ここにいるなんて…あり得ない!」
「どうすれば悲しみに満ちた君の心が蘇るのだろう。雪の降らないこの日本ではスノーマン(雪だるま)を作って祈りを捧げる事も出来ない」
「カヲル君。何をアスカと話してるのか知らないけど…アスカが嫌がってるからもう止めてよ」
シンジがそう言った瞬間、アスカは走ってオペレーションルームを飛び出していった。
資料作りに熱中する余り子供達の異変にさして注意を払っていなかった日向はアスカの駆け出した音に反応して顔を上げる。
「あ!ちょっとアスカちゃん!参ったな…ミーティングがもうすぐ始まるのに…」
シンジはカヲルの肩を掴むと自分の方に強引に振り向かせていた。拳を固めて今にも殴り出しそうな気配を察したトウジがシンジの右手首を掴んで二人の間に割って入る。
「センセ…ちょい待ち…それは不味いやろ…」
「カヲル君…君は…君は一体…何なんだ…」
「シンジ君…怒った君も…僕は好きだな…」
「ふざけるなよ…前歯全部折ってやろうか…?」
「シンジ…落ち着けや…事情も分からん状態でお前らしくないで」
シンジはカヲルを睨みつけていた。
Ep#08_(8) 完 / つづく
(改定履歴)
28th June, 2009 / 表現修正
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