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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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勝手に認定テーマソング  / a tale of melodies

第三部 The Beast 背徳の激情…(後篇)


2015年のあの日…(あらすじ)

「悲しいのに…涙が出ないんだ…」
「アンタは変わってない…何も変わっていないわ…今も…昔も…」
※ magnetの楽曲の詳細については こちら を参照して下さい。

教えて下さい…人は人を癒すことが出来るのか…
灼熱の炎に炙られた天が降らした黒い雨は作戦指定地域NT-1238(旧秩父市)一帯に降り注いでいたが夜明けと共に雨足は弱まっていき、太陽が完全に姿を見せる頃にはすっかり止んでいた。昨夜の出来事がまるで嘘のように抜ける様な青空が広がり、その中を特務機関ネルフ所属の輸送ヘリが編隊を組んで飛行していた。

「ガガ…こちらピクシー4。現在、“旧東京開放地区”上空を高度3200で飛行中。これより高度を下げて“暫定放置地区エリア1238”に向かう」

「ザー…こちらポート1。国連軍よりエリア1238の管制権を入手している。そのまま規定のルートでアプローチせよ」

「了解!」

ヘリが一斉に高度を落とし始めると薄い綿のような雲を通して海と見紛うほどの巨大湖の輪郭がはっきりとしていく。歪な数字の「8」の形をしていた。手前はかつてセカンドインパクトとその後の戦乱が勃発した折、政変が起こった北朝鮮から飛来したミサイル群が落下して出来たクレーターに東京湾の海水が流れ込んで出来た“旧東京開放地区(通称:エリア1995)”と呼ばれる一帯だった。

更にその奥に赤黒く濁った異様な水を湛える“暫定放置地区(通称:エリア1238)”を望むことが出来た。眼下に広がる異様な光景にネルフのみならず随行している国連軍の面々も一様に言葉を失っていた。

「こいつはひでえ…生存者は絶望的だな…」

誰かが独り言の様に呟く。まるでむせび泣くようなメインローターの音だけがヘリの内部で響いていた。

まったくだね…何て言えばいいのか、全然分かんねえ…それにしても…また…ここに来る羽目になるとはな…

調査機材と仮設の現地調査本部設営のための機材を運ぶミサトをトップとする第一次先遣隊のヘリは“旧東京開放地区”の上空に差し掛かっていた。

暫くすると開放地区の中ほどに大規模な埋め立ての工事現場が点在しているのが見えてきた。日本政府主導で実施されているいわゆる”干拓事業”だった。突然の災厄に見舞われたこのエリアの周辺には未だに多くの遺骨が未回収の状態で眠っていたため干拓事業には賛否両論があった。幾つかの訴訟がセカンドインパクトから15年が経った今も続いていたが大勢としては事業差し止めを求める原告側が不利だった。

母方の葛城家は8代続く生粋の江戸っ子の家系で旧東京都の神田周辺にはミサトの縁者のほとんどが住んでいた。セカンドインパクト後に葛城の姓を名乗っているのは皮肉にも父と南極に同行して難を逃れたミサトただ一人になっていた。

「あ!葛城一佐!見えてきましたよ!エリア1238です!」

15cm角の小さな窓に顔を突っ込んでいる小柄なユカリの後ろ姿をちらっと見たミサトは小さくため息を付いた。傍目からはまるで幼稚園児が電車の窓に張り付いて離れないような無邪気な姿だった。

今までここに来て花の一つも親戚に手向けた事は無い…あたし達セカンドインパクト世代はあらゆる物を失い続けてきたロストジェネレーション……軽薄で軽い人付き合いしかしないとか…どっか人としての感覚が麻痺してるとかよく言われる…確かにね…心が渇き切ってて逆立っている様な感じだ…あたし達は権力者も扇動者も信じない…こんな地獄に誰がした…奪い続ける大人なんか信じられるわけ無いだろ…自分だけを信じるしかない…消去法的にね…

一方で未曾有の大不況の影響でこの世代は公務員志望が非常に高率というやや矛盾した傾向もあり、上意下達の階層社会である官僚機構も少なからず地殻変動が起こっていた。既成の枠に囚われないがさりとて自ら積極的に反動的な行動をとる訳でもないという奇妙な雰囲気があった。大人しいが年長者に従順でもない…セカンドインパクト後に現れた鋼鉄宰相出雲重光が推進した「静かなる者の政策」に準えてマスコミが勝手に「静かなる若者」と名づけていた。

ま…その”若者”も今じゃあ三十路ってか…

「おい、おバカ…下はどんな様子だ?」

ミサトはクッションの悪い座席から腰を上げると小さな窓から巨大湖を覗き込んでいるユカリの隣に並ぶ。

「…何か…海みたいです…赤い海…それ以外…何も無いです…」

ワンテンポ遅れて帰ってきたユカリの声が沈んでいるのに気がついたミサトはユカリの横顔を見た。大きな円らな瞳から涙の雫がこぼれ落ちていた。

ミサトはユカリの肩にそっと手を置く。

「泣くな…おバカ…本番はまだこれからだぞ…」

「は、はい…すみません!チーン!」

ユカリは慌ててポケットからハンカチを取り出すと鼻をかむ。昨日からネルフ本部の職員は誰も自宅に戻っていない。ハンカチはほとんど団子のように丸まっていた。

「TL……」

ミサトは席に戻ると独り言の様に呟いた。

「え?い、いま何て仰ったんですか?」

「TLよ…That’s Life(※ これが人生だ)の略…国連軍ではKIA(※ 軍事用語で戦死者のこと。the killed in action)の次によく使う言葉だよ…戦闘が始まると人が死なない日は無いからね…Frontに立てば喋るのも億劫になるんだよ…だからみんなアルファベットの略語でしか会話しなくなる…」

ユカリの他に作戦部の屈強な面々もいたがミサトの放った一言でヘリの中の雰囲気はいっそう打ち沈んでいた。ミサトはヘリの冷たい鉄の壁にもたれかかって頬杖をつくと一層静かに囁く。

「TL…」

そうだ…人の一生ってヤツはそうなんだ…生きるも死ぬも運次第…高尚な理屈なんて要らない…



 
リツコ率いる技術部の面々が第二陣としてエリア1238に向かったのはミサトを中心とする第一先遣隊が現地調査本部の設営を完了した夕刻だった。

風も無く異常な熱さに包まれながらミサトは黙って湖を見ていた。

太陽が傾き遥か彼方に見える箱根の山々の陰に隠れていく。見渡す限りの不毛な大地と西日に照らされてオレンジ色の光を乱反射させる赤い海だけがそこにあった。虫の鳴き声もセミの声も聞こえない。死んだ様に静かな夜が訪れようとしている。

A-01発令(
第一級避難勧告)が出された第二東京市と第三東京市にはほとんど一般市民の人影は無く、治安維持の為に派遣された国連軍部隊と全国各地から集められた日本警察の機動隊が厳戒態勢を敷いていた。使徒の襲来が日常的になっている第三東京市は段階的にシェルター施設を増設しており、A-01発令後は大半の市民がシェルターでの生活を余儀なくされていた。

ミサトは大きくため息をつく。

タイミングが悪いわね…この前成立したばかりの「使徒被害救済法(Ep#07_1他参照)」は来年(2016年)の1月1日付けの施行…救済法はこの大義無き戦いの犠牲になった人間とその遺族も対象だ…少なく見積もってもざっと10万人と言われていた…その数字を前提として財務省は財源を確保していた筈だ…

ミサトの後ろには調査本部となる野営テント群が設置されていた。真っ赤に燃える湖面を見る目に思わず力が篭る。

ところが今の状態はどうだ…僅か一夜にしてその前提は完全に狂ってしまった…第二大阪市とその周辺地域が灰塵と化し…国連軍日本派遣軍(
救済法は旧自衛隊員のみならず使徒戦で殉職した外国籍の兵士も補償することになっていた)の実に30%を失った…死傷者だけでも30万人は下らない…軽微なものも含めて被災者と定義すれば500万人近い規模の財政出動になる…成立して間もない現政権は目に見える形の成果を形振り構わず打ってくるが今回はそれが大きな誤算になったわね…まず間違いなく世論の批判をかわす為のスケープゴートが必要になる…

「あたしも焼きが回ったね…生きるのが…こんなに面倒に感じる様になるとはね…」

酒でも飲んでなきゃやってられないよ…ったく…

ミサトがふらふらと赤色の水が寄せては引く波打ち際に立つと突然後ろからよく通る声が聞こえてきた。

「き、きゃあああ!!!駄目です!!葛城一佐!!早まらないで下さい!!」

「はあ?」

早まる?何だそりゃ…

ミサトが驚いて声のする方向を振り返ると猛烈な勢いで走ってくるユカリの姿が眼に飛び込んできた。血相を変えたユカリはそのままミサトに飛び掛ってくる。

「いやですう!!あたしを置いていかないで下さい!!」

「ちょっちょっと!うわああ!!」

間一髪のところでユカリの体を抱きとめたミサトは流石だったが勢いあまって浴びせ倒しの様にそのままユカリごと湖の中に倒れ込んだ。


ドボーン!!


ユカリはミサトにむしゃぶりつく勢いで抱きついてきた。

「死んじゃ駄目です!!絶対駄目です!!葛城一佐に死なれたら明日から何を楽しみに生きていけば…うっうっ…」

「お、おまっ!!落ち着け!!馬鹿!誰が死ぬか!つか抱きつくな!気持ち悪い!」

騒ぎを聞きつけた他の職員達が野営テントの中からぞろぞろと出てくる。派遣された技術部員の統括リーダーをリツコから任されていた青葉は赤い湖の波打ち際で完全にびしょぬれになって揉み合っているミサトとユカリの姿を見て腰を抜かさんばかりに驚いていた。

「二人ともマジで何やってるんですか!!幾ら暑いからって国連指定管理汚染物質(
使徒由来の残留物及び汚染物は全て回収して無害化処理されることが義務つけられている)で汚染された水で水遊びとかあり得ませんよ!!」

「ち、ちが…青葉君!!これは…その…お、おい!!おバカ!!てめーのせいで!!」

「うえっ…うえっ…葛城一佐…しんじゃ嫌です…一佐が死ぬなら…あだじもじにます!!うわーん!!」

ユカリはミサトの首筋に両腕を回すと身体を密着させて激しく頬を摺り寄せてきた。

「うぎゃあ!どさくさに紛れて何やってんのよ!あんた!は、放せ!バカ!あたしにそっちの趣味は…」

「嫌です!離れません!」

ミサトは顔を引きつらせながら両手でユカリの顔を必死になって引き剥がそうとする。ユカリの顔はミサトの手のひらに押されて面白いくらいに歪んでいた。


青葉はそれらを全てあっさりスルーすると波打ち際で戯れているようにしか見えないミサトとユカリを遠巻きに眺めている職員の輪に向き直って冷静に指示を下す。

「直ちに二人を隔離!簡易洗浄処理室(シャワー室のこと)の中に入れて浄化した後、精密検査を実施!問題が無いことが確認できるまで厳重に二人を監視するように!」

「了解しました」

青葉に促されて銀色の化学防護服に身を包んだ一団がミサトの前に現れた。それを見たミサトはぎょっとする。

「ちょ!ちょっと待ってよ!あたしは何ともないってば!お、おい!マジ?え?マジ?いやああ!!何でよ!!」

「問答無用です…葛城一佐…保護服も着用せずに使徒の残留物の中に飛び込むなんて…自殺行為としか思えません…」

化学防護服の職員に両脇を抱えられたミサトとユカリは引きずられる様にしてテントの方に連れて行かれる。

「待ってくれー!話を聞いてくれ!あたしは無実だ!いやよー!一時間も超純水シャワーなんか浴びたくない!髪が!!肌が荒れまくるじゃん!!皺が増えたらどう責任取ってくれんだよ!!」

「うっ…うっ…落ち着いて下さい…葛城一佐…超純水くらい…死ぬのに比べたら…」

ユカリがしゃくりあげながらミサトを見ていた。

「てかっ!お前が言うな!誰のせいだと思ってんだよ!」

ミサトの叫び声だけが辺りに空しくこだまする。

一際大きなテントの中で一人黙々とラップトップPCを叩いていたリツコは手を止めると別のテントの中に強引に押し込められているミサトとユカリの方に視線だけを送ると小さくため息をついた。

「まったく…ネルフのナンバー4が何をやってんだか…無様ったらありゃしないわ…」

日は完全に沈んで空には星が瞬き始めていた。
 


アスカがふと目を覚ますと見覚えのある天井が見えた。ネルフ本部の医療棟にある病室だとすぐに分かった。

「アタシ……生きてたんだ…」

アスカは自分の頭に包帯が巻かれているのに気がつくと恐る恐る額に手を当てる。コブの様なものが出来ていたが裂傷はなさそうだった。

薄暗い静かな病室だった。まるで人の気配がしない。自分の血流と鼓動の音だけが耳鳴りのように鼓膜に響いていた。起き上がれば立ち眩みを起こしそうだった。アスカは鉛のように重い自分の身体をベッドに横たえたまま寝返りを打つ。病室の片側は大きな窓になっており、窓から青白い月の光が差し込んでいた。

今…何時…?何月何日なんだろ…?アタシ…活動限界になってから…どうなったんだっけ……

エアコンの生ぬるい空気と8人は収容できそうな広い病室にポツンと一つだけ置かれたベッドが余計に冷たさを感じさせた。アスカは頭痛に見舞われていたがぼうっと月の光を眺めながら記憶の襞を探る。

巨大クレーターの底で頭部を強打して軽い脳震盪を起こしたアスカだったが、意識がハッキリしない状態にも関わらず誰かに抱えられて濁流の中から岸辺に上がる光景を夢現(ゆめうつつ)で見ていた記憶が脳裏に蘇ってきた。

そうだ…思い出してきた…そしてアタシはこの耳で聞いたんだ…気味が悪い…ぞっとする様な…獣の様な鳴き声を…

アスカはベッドの中で膝を抱える。浴衣の様な病院服は着崩れを起こしておりほとんどその役割を果たしていなかった。

あれは初号機だ…多分…今回の使徒との戦いでハッキリしたわ…Evaはただの操り人形なんかじゃない…何か…得体の知れない何かが備わってる…ヒト…そう…人そのものだわ…あれは…ただ…アタシ達と唯一違うのは…

ゾクッとした悪寒の様なものがアスカの背筋に走ったかと思うと全身に鳥肌が一斉に立ち始めた。アスカは更に身体を丸める。

唯一違うのは…あれはケダモノだってこと……

アスカは固く瞳を閉じると薄い夏布団を頭から被った。

「もう…駄目だ…お仕舞いだわ…アタシ……Evaに乗るしかないのに…・・・」

もう…乗りたくない…でも…帰る場所もない…何のために戦ってきたのかも分からない…どうしてアタシが生きてるんだろ……

胸から突き上げてくる衝動が大きくてもアスカの瞳は乾き切っていた。辛うじて声を抑えていたが溜まらず被っていた布団を跳ね飛ばして上体を起こす。

嫌だ…何もかもが…もう嫌だ…いっそのこと…殺して欲しい…頭がどうかなりそう…

肩で息をしながらアスカは何となく再び窓の方を見た。窓辺にやや古びたパイプ椅子が一脚無造作に置かれているのが見える。

アスカ……

月明かりに照らされた椅子の傍らに白いプラグスーツを着た綾波レイが青白く照らされながら立っていた。

「レ…レイ……」

アスカはベッドから起き出すと夢遊病者の様にふらふらと立ち上がる。

「レイ……アンタ…どうしてアタシを…アタシを…助けたのよ…おかげでとんだ死に損ないだわ…」

アスカ…心を開いて…そして…自分を信じて…何があっても…碇君が待ってるわ…

「シ…シンジ……?」

ヒトは他人に対する恐怖がある限り一人になろうとする…心に絶対的な自分を保とうとするわ…でも…最終的に自分で自分を壊してしまう…ヒトは他人の存在なくして自分を見詰める事は出来ないから…

「どうして…シンジが…アタシを待ってるの…」

貴女も待ってる筈よ…碇君は…今の貴女の心、心の支え…それは季節に咲くまるで儚い花の様に…移ろうもの…ヒトに埋めがたい恐怖と嫌悪がある限り…それは移ろう…生命(いのち)は全て移ろう…

「全て…移(うつ)ろう…」

確かなものなどこの宇宙の何処にもないわ……でも…ヒトは一人では生きられない……ヒトは恐怖と嫌悪という他人に対する恐怖…心の隙間を…同時に他人の存在で補う…ヒトはヒトを癒すの…

アスカが近づく度に光の中のレイはだんだんと淡くなって行く様に見えた。

「ま、待って…レイ…お願いだから…教えて…人(ヒト)は…他人(ヒト)を癒すの?癒せるの…?」

僅かにレイが微笑んだ様に見えた。

それは…貴女…次第……

アスカがレイの手を握ろうと手を伸ばした瞬間、レイの姿はすうっと光の中に消えて行った。

「ちょっと!バカ…いつもいつもそうやって…おすまし顔しちゃってさ…それでアンタ…勝ったつもりなわけ…?」

ふと見ると椅子の上には鎖のない傷だらけのロケット(ペンダント)が携帯電話やセキュリティーカードと共に置いてあるのが目に留まった。

「アンタってホントにバカ…残される方のことも考えなさいよ…アンタみたいな勝手な子…誰がお祈りしてやるもんか…」

病院服をきたままアスカはその場に膝を着くとパイプ椅子にそのまま暫く突っ伏していた。



 
アタシはいつの間にかそのまま眠っていたらしい…

あんなことがあったのに…こんなところにあの子がいる訳ない…あんたはいつもそう…一人で悟ったようなことを言う…

「何が…貴女次第…よ…バカにしないで…」

冷え切った身体を抱えてまた考えた…どうして…?あの子はもうここにいないのに…どうしてアタシは夢か幻かハッキリしないあの子の言葉を噛み締めるのか…

それは…アタシが一人だから…今のアタシは完全な根無し草…何のためにここにいて…そして何のために生きているのか…

人は一人では生きられない…その通り…でも…その一方で自分以外の他人の存在に恐怖をどこかで感じているのも確か…そんな危ういバランスを保ちながらアタシ達は生きている…確かに限られた命を散らす儚い季節の花みたいに…

まるで自分の周りだけ重力が何倍にもなっているかの様に身体が重たい…何をするにも余計な力が要る感じ…部屋に響いている自分の呼吸すらアタシから気力を奪っていく…

生きている事がこんなに空しいなんて……

浴衣みたいなヘンな服がはだけている…だらしがないのは…キライ…でも…もうどうでもよかった…

そう……もう…どうでもいい…

けだるさが頭の中でぐるぐると回っている…心にポッカリと穴が開いたような気持ち悪さは…多分…これが初めてじゃない…

月はこの中(ジオフロント)にはないのに…蒼白い不気味な光がアタシを染める…
これから…アタシはどうなるんだろう…

運命に身を任せるということは…こういう事なのかもしれない…ただ雲のように…風のように…自分以外の何かに流されていくだけ…

病室を出て廊下に立って耳を澄ませても自分の足音しか聞こえない…

ペタ…ペタ…ペタ…

間抜けな音を響かせて…当てもなく…静まり返った病棟をただ彷徨う…ひんやりとした廊下の感触を裸足で感じながら…針の折れた時計みたいに今が何時なのかも分からない…こんな時間に出会うとすればそれは…悪魔かゴーストか…それとも…

アスカはふと足を止めた。薄暗い廊下の向こう側に小さな人影らしきものが目に入る。脳神経科の診察室の入り口の前に置いてある長椅子に誰かが座っていた。

「シンジ……」

それは紛れもなく自分と同様に病院服に身を包んだシンジだった。シンジは放心した様に冷たい診察室の壁にもたれ掛ってガラス窓から差し込んでくる月明かりを浴びていた。アスカはシンジを見る目を細める。

シンジに向かって足を踏み出そうとした時、ふと自分の病院服が着崩れを起こしていたことに思い至る。アスカは簡単に前だけを掻き合わせるとゆっくりと近づいていった。僅かに動いた空気の気配を感じてシンジは顔を上げる。やや焦点の定まらない視線を暗がりから現れたアスカに向けてきた。

「ア…スカ…」

アスカを見たシンジは表情を強張(こわば)らせるとすぐに視線を逸らした。アスカは無言のままじっとシンジの様子を見つめる。音一つ無い不気味な静寂が支配する病棟の中で気まずい雰囲気が辺りに漂い始めていた。

どうでもいい…死んでしまえばいいなんて言ってたアタシなのに…

高鳴る鼓動…身体を駆け巡る血流の音…自分以外に聞こえる筈が無いのに…分かっているのに…万が一に聞かれていたらって考えると…死ぬほど恥かしい…どうして苦しくなるくらい心臓が…まるで自分のものじゃないみたい…

シンジは俯いたまま身動(みじろ)ぎ一つしなかった。僅かにアスカに対して顔を背けているように見えた。月明かりが二人を蒼く染める。アスカはゆっくりと長椅子の方に歩いて行った。

アタシは自分の目の前でうな垂れてるこの子に対して…怒っているのか…それとも別の何かがあるのか…よく分からなかった…ただそこには…恥かしい…という感情だけだった…
 
アタシは…アタシは一体…何をこんなに恥じているんだろう…そんな単純なことも分からない…たった一つだけ確かな事があるとすれば…それは…
 
一人は…もう飽きたということ…そして…もう一つ…
 
アスカは伏目がちに相変わらず顔を背けて身を固くしているシンジの様子をチラチラと伺っていた。
 
それは…多分…人としてあり得ない感情…その背徳が地獄の業火のようにアタシを焼いている…だから…熱いんだ…
 
あの子が死んだのに…アタシ達の身代わりになって死んだのに…悲しんで…哀れんで…おめおめと生き残った自分を責めないといけないのに…そんな知性と言うべきか…理性は…全て焼き尽くされていく…
 
この上なく汚らわしく…おぞましい…アタシは…Evaや使徒みたいなケダモノと同じなのか…この身も…そして…この心も…
 
ケダモノに成り果てるっていうの……?
 
アスカはシンジから顔を逸らすと僅かに眉間に皺を寄せた。
 
あり得ない…そんなこと…認められるわけが無いじゃないの!!あの子が死んで安心してるわけない!!この子をやっと独り占めできる…どうしてそんな気持ちが涌いてくるのよ!!
 
アスカは右手に持っていた拉げた傷だらけのロケットを握りつぶさんばかりの勢いで握り締める。
 
このペンダントは何なのよ!あのキスは何だっていうのよ(Ep#08_05 / Ep#08_19 参照)!この子からしてきたんじゃない!この子は何も言わない…そしてアタシもそれを追求しなかった…それは…お互いを信じ合ってたってことなんじゃないの?!
 
でも…どうして…?どうして…こんなに次々に不安が広がっていくの…心に開いた穴がどんどん広がっていくような…この不安は一体…何なのよ…
 
それは…あなたの…心だから…
 
違う!違うわ!!アタシはケダモノ何かじゃない!!こんなの…アタシじゃない!!
 
右手の中でペンダントは悲鳴を上げる様に鈍い軋んだ音を立てていた。
 
それは…貴女次第…

 

身体が根を張ったように動かない…固まったまま目を伏せた…1メートル…いや…80センチかもしれない…お互いの息遣いが微かに聞き取れるかどうかのこの距離が今の限界だった…お互いに対して恐怖や嫌悪を与えない静かで…そして…絶対的な領域…自分が自分でいられる距離…

何も聞こえず…何も語れない…アタシは静かにシンジの隣に座った…
アタシが座るとシンジの女の子みたいに細くて小さい肩がちょっと動いた気がした…

アスカは小さな胸ポケットの中に傷ついたペンダントを入れると小さくため息をつく。

「この4週間…いや…2週間は…色々なことがありすぎたわ…もう1年くらい経った様にも感じる…よく考えればアンタと会ってまだ半年しか経ってないのね…」

「悲しいのに…涙が出ないんだ…」

「え…?」

唐突にシンジは話始めた。

「なんでかな…出ないんだ…涙…悲しいと思っているのに…出ないんだよ…涙が…」

「…」

シンジのその声を聞いた時…アタシはこの子にかけるべき言葉が見つからなかった…

もしかして避けられてる…?アタシから顔を背けて座っているシンジを見て最初はそう思ってたから…でも…それは違った…アタシと同じ様にこの子も傷ついていて…自分を嫌悪しているんだ…そして…一人に疲れ…そして…助けを求めていた…お互いに…

アタシたちは何て身勝手な生き物なんだろう…他人の存在を必要とするくせに他人に対して恐怖或いは時として嫌悪すら感じて疎ましく思う…そして…他人のちょっとした行動や言葉に過剰に反応してしまう…単なる思い過ごしかもしれないというのに…

恐怖や嫌悪から逃れるために…一人で存在する不安を覆い隠すために…人は全てを知ろうとする…無理に翼を暴こうとする…知恵という名の知的生産の全ては結局その衝動の裏返しでしかない…だから人は…感情というか心を超えることが出来ない…知恵に頼って生きているから心から染み出す恐怖をいつまでも克服出来ない…これが…リヒターとかいうオヤジが言ってた“人類閉塞の源泉(みなもと)”ってやつなのかもしれない…

「酷いよね…あの時…僕が…僕さえしっかりしておけば…綾波を止める事が出来た筈なのに…綾波を死なせたのは…殺したのは…ぼk」

「違うわ!!」

アスカの声が真夜中の病棟に反響する。シンジは驚いて思わず隣に座っているアスカの方を見た。

「それは絶対に違う!」

「アスカ・・・」

「だって…あの子はアタシに約束(
Ep#06_20)したんだから…命を大切にするって…死ねと言われたから死ぬようなことはしないって…だから!」

正面を向いていたアスカはシンジの方に向き直るとシンジの顔を直視した。二人の視線が不意にぶつかる。

「あれは…あの子の決意だったって…そう信じるしかないじゃない…じゃないと…生き残ったのが辛すぎる…」

「ごめん…アスカ…」

アスカは片方の眉を吊り上げて目を細める。シンジの左肩を勢いよく掴むと自分の方に身体を向けさせた。

「何で謝るのよ?その場を取り繕うみたいに謝られるのって正直ムカつくんだけど」

「ち、違うよ!アスカは綾波のことが嫌いだから…みたいなこと言っちゃって…その…」

シンジは少し気後れしている様な雰囲気があったが蒼白い月明かりの中で黒い大きな瞳を真っ直ぐにアスカに向けていた。黒い瞳の中に吸い込まれそうな錯覚を覚えてアスカの方がシンジから先に目を逸らした。

「べ…別に謝らなくていいわよ…半分くらいは合ってるし…」

あの子に対して感じてるこの感情…好きとか嫌いの一言で片付くほど単純じゃない…悲しいのに…どこかで感じる安心…程度の差はあれ…この子と同様にそんな自分に恐怖があって嫌悪もしている…それに…

こんなにドキドキしてるなんて…おかしい…おかしいのよ…何かがおかしい…限りなく間違いなんだと思う…あの子が死んだのに…でも…間違いを間違いじゃないんだと思わないと…壊れてしまいそうだった…

アスカは顔を顰めるとシンジに背を向けた。身を捩った反動で膝頭がシンジの膝に触れた。アスカの肌は冷たくシンジは温かかった。驚いた二人が同時に顔を上げると再び視線が交錯した。

何と言うおぞましい背徳…この身勝手な欺瞞(ぎまん)が…アタシの心身を焼いていたんだ…ようやく認めることが出来る…アタシの恥かしさの正体…それは…孤独の海の中に投げ出されて救われたいと足掻く生への執着…背徳の激情だったんだ…生きようとすればこうやって汚れていく…そうやって…儚い命を紡いで行くしかない…か弱い存在…

「どうしちゃったのかな…僕…おかしいよね…こんな時に…」

アタシ達は見詰め合ったままお互いに固まっていた…沈黙が怖かった…黙っていると罪に堕ちそうだった…

「何が…何が…おかしいのよ…」

「だって…涙…涙も出ないし…」

何か話さなくちゃ…焦れば焦るほど…口を継いで出てくる言葉は無意味なものばかりだった…

「アタシも出ないわ…とっくの昔に…枯れてしまったみたいだし…」

そんな心算はなかった…ただ…反射的に…会話を繋ごうとしただけだった…でも…アタシが話せば話すほどアタシたちの退路はどんどん断たれていくみたいだった…

「そ、それに…何か…緊張してるし…」

他人との間に形作る…自分を保つための距離…この孤独でとっても冷たい壁に囲まれた自分だけの領域を破らない限り…人は…恐怖に打ち勝つ事が出来ない…そして…お互いの傷を癒すことも出来ない…

「アタシだって…息をするのが苦しい…」

だから…

「悲しいんだ…本当に…なのに…分からないんだ…どうしていいのか…」

アタシたちは…肩を寄せ合い…

「アタシは…もう…何が自分なのかって…考えるのは止めたわ…現在(いま)がアタシの全て…」

唇を重ねた…

「…お…おかしいよね…でも…もう…一人は…堪らなく嫌だ…」

もう…後戻りは出来なかった…

「一人は…アタシも…飽きたみたい…」

傷を舐め合うみたいに…

「僕は…変わった…変わろうとしたんだよ…それなのに…僕は…」

抱きしめ合った…

「でも…アンタは変わってない…何も変わってないわ…今も…昔も…」

苦しいほど…壊れるほど…

「ぼ…僕は…」

ただ二人…激情の海の中を…流されていった…

「何も言わなくていいから…なんか言えばぜんぶ嘘になる…」

こうして…人は…罪を重ねて生きていくしかないんだ…そう自分に言い聞かせながら…

「お…怒られ…ない…かな…」

「誰が怒るの…?」

「…」

もう…そんなことはどうでもいいから…

アスカははだけて顕(あら)わになったシンジの胸から顔を離すとシンジの手を引いて歩き始めた。促されるままシンジも長椅子から起き上がる。二人の姿はリネン室の中に消えていった。

月明かりだけがそこに残っていた。

 ※ くそ…字数制限だと…!? 続きは(4)だ… ノッて来たとこなのに…

Ep#09_(3) 完 / つづく

(改定履歴)
23rd Apr, 2010 / 誤字修正
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