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新世紀エヴァンゲリオンの二次創作物、小説「Ihr Identität」を掲載するサイトです。初めての方は「このサイトについて」をご参照下さい。小説をご覧になりたい方はカテゴリーからEpisode#を選んで下さい。この物語はフィクションであり登場する人名、地名、団体名等は特に断りが無い限り全て架空のものです。尚、本ホームページに使用した「新世紀エヴァンゲリオン」の画像は(株)ガイナックスのガイドラインに沿って掲載しています。配布や転載は禁止されています。
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第拾一部 夏の雪 (Part-2)

(あらすじ)
レイの死を目の当たりにしてショックを隠しきれないシンジ、自分の進むべき方向も、そして自らの尊厳と存在価値に結び付けていたEvaに対する嫌悪を抱えるアスカ…
出撃を前にシンジの元を訪れたアスカは胸中である悲壮な決意を固めるのだった。それを察したかの様にシンジは囁く。
「このまま逃げちゃおうか…」

青い瞳から止め処なく流れる涙の意味を少年も少女も理解することは出来なかった。


決死のアラエル・アルミサエル戦(略してアルアラ)は間近に迫る!!



その夜。

ジオフロントの職員宿舎のバスルームでシャワーを浴びていたアスカは浴室に備え付けられている内線電話で日向と話していた。

「出撃命令?じゃあ…やっぱりアイツが復活したってこと?」

「いや、まだ完全復活したわけじゃないんだけどね。なんて言えばいいんだろ…今日の計測でさあ、ホントにギリギリなんだけど“使徒”と認定されたらしいんだ。それでさっきエリア1238のユカリちゃんから本部に連絡が入ってきてさ、こっちでも再調査したんだけどやっぱMAGIも衛星の測定データから“使徒”と判断したんだ。それで明日の夜明けと共に出撃しろってミサトさんから指示がきたってわけ」

アスカは一瞬顔を顰(しか)める。

あのアタシの中に入ってくる感じ…なんかイヤだな…でも…早く倒さないと完全に回復されてしまったら手が出ない…それに…

顔に滴ってくる雫を空いた片方の手でさっと拭うとノブを捻ってシャワーを止める。そしてシャワーカーテンを勢いよく開け放つとアスカはバスタオルに手を伸ばた。

それに…今までと違って今回はアタシだけで出撃しないといけない…シンジはまだ入院中だし…

鈍い痛みが胸に走る。

レイ…アタシ……サイテーだわ…

バスタオルを頭から被ったままアスカは左手で自分のわき腹を押さえていた。

「おーい!アスカちゃん?聞こえてる?」

受話器から漏れる日向の声でアスカは我に戻る。受話器を握る濡れた手に力が篭る。

今更…後悔?なにそれ?バカみたいじゃない!今はもう…とにかく前に進むしかないじゃないの!アタシにはそれしかないわ…

「分かったわ、マコト…準備しておく…」

「ああ、聞こえてたんだ。よかった。悪いけど頼むよ、アスカちゃん。じゃあ明日の0500時にオペレーションルームで会おう。そこで現地のミサトさんと繋いで殲滅作戦の詳細を打ち合わせるからさ」

「はいはい。あーあ…それにしても全く暢気なものね」

「え?何が?」

「だって虫歯治療を嫌がる子供じゃあるまいし…なんでもっと早く対処しようとしなかったのかしら。司令も司令だけどミサトもミサトだわ…」

「そりゃしょうがないよ。幾ら使徒っぽいっていってもさ、使徒認定の要件を満たさない限り、条約の縛りもあるからEvaを出撃させるわけに行かないだろ。それにEvaはああ見えて世間的には圧倒的な兵器だからね。特に今は日本政府との関係もビミョーだしさ、下手に動けば色々面倒だし…まあ仕方が無かったと思うよ…もっともそれでミサトさんの機嫌がかなり悪いんだけどね…」

「なーにそれ?大人の意見ってヤツ?あれこれもっともらしい事を言うけどさあ、結局、使徒にやられちゃったらオシマイじゃん。どさくさに紛れてさっさと潰せばよかったのよ」

「ははは、アスカちゃんもミサトさんと同じことを言うんだな。流石は師弟だよな」

体を拭いていたアスカの手が日向の言葉を聞いて一瞬止まる。

師弟…そうね…アタシにとってはやっぱりどこまで行ってもミサトは“大尉”と言う存在…


おい…話が凄い方向に行ってない?それ…ウチ(葛城家)の子にならないかって言ってんだよ!そうすればあんたは国籍とかさ、戸籍とかの心配しなくて済むでしょ?何があってもさ!うそつきは嫌いだかんね…(Ep#08_32)


正直、想像出来ない…葛城…アスカ…偽りの親代わり…何よそれ…うそつきはどっちよ…いい加減にしてよ!

「バカ!そんなんじゃないわよ!」

「あ…ゴメン…別に悪気があったわけじゃなかったんだけど…」

受話器から困惑し切った日向の声が聞こえてくる。アスカはふと内省から醒めた。

し、しまった!つい…

「あ、ご、ごめん!今のは気にしないで!そ、それにしてもさあマコト。何でアンタが軍令発令やってんの?アンタ偉くなったんでしょ?」

アスカは慌てて誤魔化すようにわざとらしく言葉を継いだ。

「え?あ、ああ…だってしょうがないだろ…ただでさえ作戦部は主幹(Ep#08_36 他参照)の試験に合格してるやつが少ない上にミサトさんもユカリちゃんもあっちに行ったまま全然本部に帰ってこないしさ…まあ人手不足ってヤツだよ…」

「ふーん」

「な、なんだよ…その声…気持ち悪いな…」

「ホントはさあ、何だかんだ言ってミサトがいないからツマンナイんじゃないの?アンタ」

「ば、ば、ば、ば、バカ言うなよ!!だ、誰が鬼上司にわざわざ!まあ…でもちょっとくらいは…会いたいかな…なんて」

「ちょっと…なに30近いオッサンがツンデレかましてんの?普通にキモイんだけど…」

「つ、ツンデレ言うな!た、ただ、俺はだな!直接会わないと分かり合えない事だってあるっつうか…」

「なによそれ。やっぱ図星なんじゃん。素直に最初から、あ~ミサトさ~ん早く僕のところへ帰って来て下さ~い!とか言えばいいのに。かわいくないんだから」

「お、おい!あんま大人をからかうなよ!ったく…と、とにかく明日は宜しく頼んだぞ!じゃ、じゃあもう切るからな!」

「ねえ…マコト…」

「ま、まだ何かあんのかよ!しつこいともうマンガそっちに回してやんないぞ!」

「アンタさあ…ホントに好きなの?ミサトのこと…」

「ちょ―――!!いきなり何の話をしてんだよ!そーゆーだな!プライベートはまずいだろ!軍令回線的に考えて!MAGIに記録が残るんだぞ!一応消し方知ってるけど!」

「好きなら…ちゃんと伝えた方がいいよ…自分の気持ち…ミサトって…その辺…超鈍いから…」

「て、テラ公開処刑!!うわー!!いやー!!」


ガチャッ プー プー プー プー


アスカは受話器を元の位置に戻す。

「何やってんだろ…アタシ…」

虚しい…他人と接すれば人を傷つけ、あるいは傷つけられるけど…一人はもっと虚しい…

アスカはため息を付くとタオル生地のバスローブを羽織ってバスルームを出る。

シンジ…アタシ…もう自分のことが自分でも分からない…

「こんなの…アタシじゃない…」
 


部屋の外に”105”と呼ばれていた諜報二課員(
Ep#09_4)が壁にもたれ掛って立っていた。アスカが部屋を出た途端、二人の視線がカチリとぶつかり合う。

「こんな時間からお出かけ?セカンド」

女諜報課員は部屋から出てきたアスカを上から下まで舐め回す様に見ていた。アスカはデニムのホットパンツにTシャツとパーカーと言う軽装だった。

「別に…自分の男に逢いに行くのにいちいち理由が必要?」

「いや…どうぞご自由に…」

アスカはひと睨みすると無言のまま宿舎の廊下をエレベーターホールの方角に向かって歩いて行く。その後姿を”105”は忌々しそうに腕組みをしたままサングラス越しに睨み付けていた。

「ちっ!ませガキが…」



かつて文豪ゲーテは言った。

もっと光を…
(※1)


ヒトは潜在的に闇を恐れて生きてきた。太古の昔から人類は太陽や月の光を天恵と考え、これがやがては神という目に見えぬ絶対的で神秘的な存在となっていったのである。いわば神とは人の心に巣食う潜在的な恐怖に対するアンチテーゼとして生み出された観念ともいえる。

恐怖という心の隙間を埋めるためヒトは知恵を必要とし、火を獲得して以来、万物霊長の主を自任するに至った。こうして留まることを知らず育まれて行ったヒトの知恵(科学文明)は月の裏側を暴き、そして生命の起源に切り込み、果ては全宇宙をも従えようとするかのような衝動へと昇華されていったが、原始からの感情である恐怖は小さくなるどころか、むしろ多くを知れば知るほど更なる恐怖を生み出していった。

恐怖の克服、それはまさに人類が補完される道標であり、また、恐怖を克服するために人が自ら生み出した“神”と言う存在の支配から本質的に解放されることを同時に意味する。知恵を継承するヒトなる者が本質的自由を獲得(解脱)しようと研鑽するその衝撃をある一人の天才(※2)はこう表現した。

Gott ist tot. (神は死んだのだ…)

神による精神的支配からの解脱、つまりそれの意味するところはヒトが「自由意志」を持つことで真理を力によって獲得する段階に移行するための宣言とも言える。

ヒトなる者の追い求める“救い”、すなわち人類の補完は単純な暗闇すらも恐れる“恐怖の克服”に他ならないのである。


 
誰もいない広い病室でシンジは一人横たわっていた。今日は満月に近いらしい。病室の窓の外が普段よりも明るく感じられた。

眠れないや…

集光ビルで太陽の光を集めて地下に引き込んでいるジオフロントは地上の太陽が沈めば途端に漆黒の闇に包まれる。それに伴って気温は一気に下がるため夜間に本部の敷地を出歩く時は一枚羽織らなければかなり肌寒い。

集光ビルは単に光を鏡のように反射させてプリズムで屈折させているだけの単純な構造物ではない。第三東京市を中心にして設定されているネルフの絶対防衛圏及び哨戒圏における周囲の状況の観測と警戒衛星や各地に敷設されたデータサイトの信号を集めて地下の本部施設に届ける重要な役割を担っていた。また、一方で光の特定パルスの貯蔵技術の研究所も兼ねておりまさに現代の光学技術の結集ともいえた。

加工され尽くした人工的な光を浴びながらシンジはベッドの中でじっと身を硬くしていた。

暫くすると音もなく病室のドアが開き、誰かの人の気配がすることにシンジは気が付いた。

誰だ…こんな時間に…

シンジはゆっくりと上体を起こして病室の入り口に目を向けるとそこにはアスカが立っていた。

「あ、アス…カ…」

「なんだ…まだ起きてたんだ…」

「うん…なんか、寝付けなくてさ…そんな事より、どうしたの?こんな時間に…」

「別に…ちょっとアンタの間抜けな寝顔を見に来ただけよ…ねえ…」

「なに?」

「そっちに…行ってもいい?」
 
「え?うん、別に構わないけど…あ…電気のスイッチはそこの…」

「いらないわよ。今日は明るいしさ。それに明かりを付けたら忍び込んだのがバレるじゃん」

「あ、そ、そうだよね…面会時間とか…とっくに過ぎてるしね…」

アスカは暗がりから窓際に向かってゆっくりと歩き出す。月明かりが青白く染め上げていく。

すぐにパイロットに復帰したアスカとは対照的にシンジは心労が祟ったのか、まだ復帰の要件を満たすほどに回復していなかった。Evaのパイロットは神経接続を介して機体とシンクロするため、特に精神的な各指標の変化には注意が払われていた。

アスカはベッドの傍らに立つと俯いているシンジを見下ろす。

「で?体調はどうなのよ?」

「うん…今は悪くないよ…でも…時々…思い出すんだ…だから目を瞑るのが怖くって…」

シンジの弱弱しい声が辺りに響いていた。アスカのシンジを見る目に僅かに力が入る。

「そっか……」

地獄の底のような“あの場所”でシンジとアスカはレイを失った。いや、実際に死体を確認したわけでは無いし、なまじっか安全性が極めて高いエントリープラグだけに跡形もなく砕け散ったという話でも聞かなければ、やはり希望的観測を無理してでも持とうとしてしまう。

客観的な事実は死を宣告していたが、その現実を受け止めるために必要な時間も、またその過程もシンジとアスカでは大きく異なっていた。“死”に対する見解と姿勢の差があるいはそうさせるかもしれない。少なくともシンジよりもアスカの方が遥かに現実的だった。

「ベッドに座わる?もしよかったら…」

「え?そ、そうね…そうさせてもらうわ」

シンジに促されたアスカはゆっくりとベッドの縁に浅く遠慮がちに腰を下ろした。途切れがちな会話しか交わしていないが、僅かな沈黙でもそれに包まれれば人並みに気まずかった。

同じ空間にいて同じ空気を吸っているのに…どうして…こんなに遠く感じてしまうんだろう…何もかもが無茶苦茶で…自分がどっちに向いて歩いているのかすらも分からない…アタシは今…何に対して嫌悪を感じていて…何に恐怖を感じているんだろう…

アスカはゆっくりと口を開いた。

「アタシもね…実は…目を瞑ると怖い時がある…」

僅かにシンジの視線が動く気配がする。

「次に目覚めたらまた何かを失うかもしれない…そう思うと眠れなくなる…何も覚えてないって…実はとても怖い…何をしたのか、あるいは何をされたのか…全然分からないから…死んだも同じ…そう考えていた時期があった…」


ここにいてもお前に明日はない…一緒に来い、アスカ…そしてあたしと共に復讐するんだ…この世を地獄にした悪魔にな…そのためには力が要る…あたしはそれをお前に与える事が出来る唯一の存在だ…
よし…ついて来い…獅子の子の様にな…(Ep#08_22)


「だから、アタシは力を求めた…自分自身を取り戻すために…アタシを奪い、そしてアタシからママを奪った悪魔に復讐するために…Evaはそのために必要不可欠な存在だったの…空っぽなアタシにとって唯一のプライドであり尊厳、言ってみればアタシという存在価値そのものだったから…でも…」

アスカは急に言葉に詰まる。

「でも?なに?」

「い、いや…な、何でもないわよ…」

「え?」

アスカの異変に気がついたシンジはアスカの横顔を伺う素振りを見せる。

アンタのこと…よく分からないアタシだけど…それでもアタシには分かる…昔のアタシがアンタのことが好きだったこと…そしてアンタに出会ったことでアタシはEvaに拘る以外の価値に気がつけたこと…だから…アタシはこの前のことを後悔していない……で、でも…そんなこっぱずかしいこと言えるわけないじゃないの…はっ!!

シンジが自分に近付いてくる気配を察したアスカは腰掛けていたベッドから思わず飛び退いていた。

「ちょっと!こっち見ないでよ!だ、だから!なんでもないって言ってるでしょ!単なる言い間違いよ!バカ!」

「な、なんだよ…それ…よ、よく分からないけど…」

なに顔を真っ赤にしてるんだよ…

月明かりしかない部屋の中で顔を赤らめているアスカの顔を不思議そうに眺めていたシンジだったがまるでアスカの顔の色が伝播したかのようにシンジの顔も同じ色にじわじわと染まっていった。二人は無言になると暫くその場に身を硬くして佇む。

その時のアタシは確信した…アタシの恐怖と嫌悪の正体が一体何だったのかということを…アタシは自分が怖いんだ…“あの子”が犠牲になって死んだにも関わらず…この子をどんどん好きになっていく自分自身が…

なんて穢れて罪深いんだろう…感情の濁流を孕んで今にも崩れてしまいそうな心の壁…それが崩れ去ってしまうことがとてもとても怖くて…そうなってしまうことが堪らなく醜いものに思えた…アタシは自分がどうかなってしまったんだと、ついに狂ってしまったんだと…本当に震えるほど怖くて…

アスカは恐る恐る視線を上げてベッドの上で上体を起こしているシンジの方を見た。シンジは窓の外を見ていた。シンジはシンジで何かを内省する様な、酷く思い悩んでいるような雰囲気があった。

そんな汚れきった自分を…人間の仮面を被ったケダモノのような自分を…目の前にいる“この子”に見透かされてしまいそうで…それがとても恥かしかった…そう…羞恥心は人にとって最後の理性…

でも…恥じるあまりそれを否定するのは…今までの自分を否定するのに等しい…あれ?今までの自分って…自分って…それは…一体…


何……?


アタシは何を躊躇っているのだろう…いつも…いつも…言い訳ばかり…この自分に対する情けない思い…多分、これが初めてじゃない…

アタシは…運命に従うことを拒んで…力を求めて…過去を追い求めて…そして…また…自分を失ってしまった…でも…それはきっと…

アタシの犯した罪に対する…罰…なんだ…

また痛んできた…あの頭痛…核心に…アタシの心の奥…アインの言っていた“歓喜の聖廟”の扉を開こうとする時…悪魔のような暗闇が何の前触れもなく突然襲ってくる…
でも…きっと…この苦しみの向こうにあるんだ…

アタシの求める全てが…

分かった気がする…アタシが求めていたもの…それは…単なる記憶なんかじゃない…
アタシがアタシであるための証……アタシと言う存在が今あるということ…


Ich・・・・・・Meine Identität・・・・・・(アイデンティティなんだ…)


そう…今のアタシ自身…何もないことが恐怖を生んでいたんじゃない…無軌道に力を求めてEvaに拘った過去の自分に縛られて前に進むことを否定することが…人を遠ざけ…自分を死に至らしめる…

ママを愛していて…そして…今…この瞬間…この子を愛そうとしている自分を!自分自身を!!信じる勇気!!それがアタシに必要なものなんだ…


そう…未来という希望は…貴女次第なの…


レイ……ありがとう……

アスカはいつの間にか両方の拳を握り締めていた。強まっていく頭痛に耐えながら…強く…強く…握り締めていた。

これでいいわ…今日…アタシは価値を得たんだ…確かに…

窓の外を眺めていたシンジが不意に静寂を破った。

「僕…直接、アスカから昔のこと聞いたのは初めてだと思う…」

「え…?」

アスカの逡巡は一瞬でかき消される。

「どうしてあの時…アスカがひどく怒ったのか…今なら分かる気がするんだ…僕…」

「あの時?」

「うん…第7使徒が攻めて来る前後でさ…僕、Evaに乗るのは何でだろうって悩んでいた時があってさ…それで…シンクロテストの時にアスカを怒らせたことがあったんだ…」

 
アタシは自分の名誉と尊厳のためにここにいるのよ!なのに…どうでもよさそうに…面倒臭そうに…適当に、適当にって…失礼だとは思わないわけ?アンタ!…(Ep#08_15)

 
「あの使徒は何か、ちょっと今までにない習性を持ってて…分裂と合体を繰り返して本当に厄介でさ…結局、僕達、初めて返り討ちにあっちゃったんだよね…」

淡々と月明かりを浴びながら話すシンジの一言一言が揺れ動いているアスカの心に波紋を投げかけていた。

「でも…あいつ等にかなりダメージを与えたから延長戦みたいって言えばいいのかなあ…そういえば…ミサトさんの命令で始めたユニゾンの特訓の時もアスカはすごく怒っててさ…」
 

他人のために頑張ってるんだって考えること自体、楽な生き方してるって言うのよ…
Ep#06_4
 

アスカの表情は次第に曇っていく。

「あの時…あの時さ…僕、思ったんだ…何がアスカをそんなに追い詰めてるんだろうって…アスカって普段…学校で委員長や他のクラスの女子と話してる時はいつも明るいのに…上手く言えないけど人と接するのを実は嫌がってて何処か余裕なくてさ……でも、一人で家にいる時とか…すぐ不機嫌になるし、すぐ怒るし…どっちが本当のアスカなんだろうって…よく分からなかったんだ…」
 

ママ…アタシ…どっちのアタシが本当のアタシなの…(
Ep#05_14

 
「でも…今なら分かる気がするんだ…アスカも…怖かったんだね…だから、それを誤魔化すっていうか、紛らわせるために……」

「半分合ってて半分違うと思うわ…それ…」

「え?」

シンジはふと顔を上げると窓からアスカの方に視線を向けた。暗がりに佇んでいるアスカの表情はよく分からなかった。

「正直な話…ユニゾンとか言われても殆ど何も思い出せないけど…人間(リリン)が怖くって関わりを持つことに躊躇いがあったのは正しいと思う…」

アタシを悪魔から守ってくれたアイン自身も実は怖かったように…アタシは何処かで自分以外の人間…心の繋がりを持たない人間、赤の他人、に対して絶望しきっていたかもしれない…でも…心と心が通じ合う時…それが例えどんな些細なことであったとしても…そうなってしまうと…もうその人は他人とは呼べない存在になってしまう…

でも…

「不機嫌になったり…怒ったりっていう感情は自分の弱さの表れよ?決して強い人がすることじゃないわ…本当に強い存在(生命)は心に漣(さざなみ)を立てない…」
 

そうさ…その通りさ…平常心という名の無感情…それが心を持たぬ存在…真の生命の継承者たる者の生き方なのさ…ドリュー…いや……

Meine Elizabeth…Meine liebe Schwester…
僕のエリザベート…そして僕の愛しい妹(ひと)よ…

ようやく…君は受け入れたんだ…運命に抗わずにそれに従って生きる道をね…それでいい…さあ!歌い上げるんだ!君の“歓喜(生命の営み)”を!!


アイン……そう…感情をむき出しにするのはアタシの弱さ…そしてその弱さを曝け出すのは…

「Ich…liebe…Ich liebe mein Schatz…(アンタが好きだからよ…)」

アスカはゆっくりと一歩を踏み出した。そしてシンジの傍らに立つとベッドの上のシンジを再び見下ろす。

「え、えっと…な、なんか見当違いな事を言ったみたい、だね…ご、ゴメン…さ、さっきさ…あれ、何て言ったの?ドイツ語?」

「そうよ…アンタって本当にバカシンジねっていう意味よ…」

やや表情を硬くしていたシンジの顔が緩んでいく。

「それって…なんか…ちょっとひどくない?僕だってビックリしたんだ…だってさ、急にアスカが昔の話とかし出すしさ…今まで嫌がってるような雰囲気があったのに…」

「アンタこそ…ようやく(過去の)話してくれたじゃん…今まで全然自分から触れたがらなかったじゃない。記憶のない人間にそれって残酷じゃない?それに…そんなこと僕に聞くなよ!って感じのオーラをいつも出しててさ。なんか…ずっと今まで聞き辛かったのよね…」

「あ…わ、悪気はなかったっていうか!その!つい…今のままの方が…その…いい場合もあるかな、なんてちょっと思ったりしてて…ご、ゴメン!」

シンジはバツの悪そうな表情を浮かべると慌ててアスカから顔を背ける。まるで表情を読まれるのを恐れるかのように。

僕って…やっぱ最低だ…いい場合ってなんだよ…結局、自分に都合がいいってことじゃないか…今まで二人でいてロクなことがなかったから…心底自分が情けない…

「もう、いいわよ…そんなこと…どうだって…」

「で、でもさ!自分ではそういうつもり…全然無かったんだけど…その…ホントにゴメン…」

「だ-か-ら-!もういいって言ってるでしょ!過去の話は!しつこいわね!」

「ご、ゴメン!」

「ほら、また!なんでそうやってすぐ謝るのよ!反射的に!」

アスカがシンジの肩を掴む。

「ごめ…」

シンジは思わず目を瞑ったが温かいぬくもりに包まれて恐る恐る目を開けた。

「もう…いいから…謝らなくて…内罰的なのよね…アンタもアタシも…」

蒼い月明かりの下でぎこちない抱擁が続く。

ヒトには未来と言う希望がある…でも、ヒトの一生が過去の積み重ねである以上、後ろ向きにしか人生は理解できない…だから過去の記憶が無い自分の人生には意味が無いと思っていた…だからアタシは力を求めて復讐もしようと思った…復讐自身には正直なところあまり興味はなかったけど目指す方向が同じなら別にいいや、位に考えていた…ミサトを…”大尉”を騙す心算はなかったけど復讐の持つ言葉の意味に温度差は確かにあったと思う…

アタシ…アタシね…なんでここに来たかっていうと…もう自分の過去を取り戻すのは止めようって心に決めたからなの…アタシは…その事を確認するために…いや…自分に言い聞かせるためにここに来たんだと思うから…

アンタが生きてさえいれば…アタシには帰る場所と還る理由になる…それでいい…だからアタシが護ってみせる…この世界とこの子のことを…それが今日、アタシが得た価値の中身なんだから…

僅かにシンジの体が震えていた。

「僕…僕ね…前に加持さんと一緒に松代の実験場に行った時に…その…なんて言うか…色々聞いたんだ…昔のこととか…」

「そう…加持さん…ベルリンの話…アンタにしてたのね…」

自分のことを暴かれるのはある意味で…裸を見られる以上に恥かしく、時に屈辱的ですらあった…それは身も心もずたずたに切り裂かれる強姦と同じ…だから女は心を許した相手以外に決して自らを曝け出すことは絶対に無い…

「初めて聞いた時は物凄く混乱したし…なんか…とっても怖かったし…で、でも…一番強く思ったことは…何とかしてあげたい、僕がアスカの力になってあげなきゃって…そう思ったんだ…情けない僕に何がやれるってわけでもないけど…」

シンジの肩を抱きしめているアスカの腕に僅かに力が篭った。

「加持さんは…アスカが誰かに子供の頃の記憶を無理やり忘れさせられてて…その記憶を取り戻す手がかりを一緒に探すために自分が日本にアスカを連れてきたんだって…そう言っていた…でも…今のアスカは日本に来たときの記憶も、なんか、飛び飛びになっていて…」

「それはアタシが選んだ道だもの…その結果だもの…後悔してないわ…」

「ぼ、僕って…情けないよね…アスカに…綾波のこと…離すなって言われたのに…結局、手を繋いでいるだけでよかったのに…そんな単純で…簡単なことも果たせなくて…僕は…それすらも出来なくて…綾波のことも守れなかった…それを思い出すと…体が…震えるんだ…寒くもないのに…こ、こうして…嫌なんだ…僕を一人にしないで」

「シンジ…大丈夫…アタシ達は一人じゃないわ…」

この子の入院が長引いてたのは…そういうことだったのか…人の死に慣れていない新兵が死神に頬を撫でられた時…死を受け入れたくない反動から死を体験した“現実”が受け入れられなくなることがある…いわゆるPTSDPost-traumatic stress disorder / 心的外傷後ストレス障害)…

今更だけど…あの子の死はこの子にとってあらゆる意味で受け入れがたい現実に違いないわ…あの子を護れなかったのはアタシも同じ…

「そ、それに僕の父さんが関わってるなんて…考えただけで許せない…許せないけどまだ…信じられない僕がいて…でも、僕、決めたんだ…父さんの考えていることがみんなを不幸にするなら僕は…」

「シンジ…その気持ちは嬉しいけど…絶対に司令…お父様には逆らわないで…いい?約束して…」

「で、でも…」

「お願い…そのことは忘れて…」

シンジの頭が微かにアスカの胸の中で前後に揺れた。

「アタシが護ってみせるから…何もかも…必ずこの手で…アンタには指一本触れさせない…」

「ねえ…アスカ…」

「何?」

「このまま…このまま逃げちゃおうか…一緒に逃げようよ…もう、嫌なんだ…」

くぐもったシンジの声が弱々しく響いてきた。

一つ、また一つ…

温い…生暖かい涙が…頬伝って落ちていく…枯れたと思っていた涙…全てベルリンに沁み込んでしまったと思っていたアタシの…涙が…どうしようもなく次から次へと込み上げてきて溢れてゆく…

碧い瞳から涙が止め処なく流れてはシンジの黒い髪の上に落ちて行った。

「そうね…それもいいかもね…」

例え幼く…滑稽であってもいい…アタシをバカにして笑うなら笑えばいい…道端に捨てられた子犬がお互いに傷を舐めあっているだけと言われても構わない…アタシは信じる…人は人を癒せるんだって…

自らの過ちで楽園を堕ちてゆくエーファ(※ 英Eve/独Eva独語読み)のように…地獄に堕ちる罪人のように…アタシは堕ちてゆく…何もかも捨て去って……もう過去の自分なんてどうでもいい…アタシは今、この瞬間に生きる…そのためには全てを殺す…もう躊躇う理由は無い…
 
そして静かに夜は更けていった…
 



「おい!"105"おまえ!今どこにいんだよ!」

「ああ…まあそう大声だすなよ…ガキと坊ちゃんを部屋の外から監視中だ…ったく…最近のガキは何考えてんだか…」

「な、何?!そういうことを何でパートナーに連絡してこないんだよ!最近、てめえは単独行動がすぎんぞ!」

「まあ…いいじゃねえか…たまには…」

「たまにじゃねえだろがカス!! あたしも合流するからな!それまで勝手なことをするなよ!分かったか!」

「ああ…分かってるよ…騒々しいヤツだな…」

「そりゃ神経質にもなるだろ!葛城に付いていた3人がこの前あっという間だったからな。上の方がギャンギャンうるさい時に問題を起こすんじゃねえよ!ブツッ!!」

「ちっ!どうせ司令の一声であのガキは死ぬんだからどうでもいいだろに…”ローレライ”でな…まあ…せいぜい今のうちに愉しんどくこったな…」




東の山の稜線が薄っすらと白じみ始めていた。

Eva弐号機の緋色の機体がゆっくりと浮かび上がってゆく。芦ノ湖南岸の特務機関ネルフ専用の飛行場“ポート1”に離陸準備を終えた輸送機が管制官の指示を待っていた。

「ガガッ…こちらEva専用輸送機1号機だ…Eva-02聞こえるか?」

「朝一から聞きたくない声だけど残念ながらよく聞こえるわ。どうぞ?」

「ははは!そいつは生憎だな!当機は0605時よりA滑走路から離陸する。エリア1995を迂回して南南西からエリア1238にアプローチする」

「了解。着陸地点の座標データを同期させる。但し、プライマリー(作戦主体者)はアタシだ。状況次第によってはこちらの指示に従ってもらう」

「キスとかなら大歓迎だ、Eva-02」

「そうしてあげたいのは山々だけどその前にアンタはセクハラで豚箱行きかもね。ほら!定刻5分前!さっさと給料分は働きなさいよ不良中年共!」

「不良中年A了解した!」

「Bも同じく!Good Luck!Second!」

「Vielen Dank(それはどうも)」

ジェットエンジンの甲高い音がみるみる大きくなってゆく。弐号機を載せた輸送機が朝日を浴びながら滑走路に向かって動き出し始めていた。アスカは操縦レバーを握る手に力を込める。

「まず…使徒を全て倒す…アタシ達の話はそれから始まる…それまで待ってて…シンジ…」

首から下げた傷だらけのロケット(ネックレス)がオレンジ色の光を浴びて七色の光を帯びていた。

「アスカ…行くわよ・・・」

アスカは重力を振り払って空中に舞う。唯一つの心残りを大地に残して。




Ep#09_(11) 完 / つづく

※1 ゲーテの臨終間際の言葉とされる。様々な解釈が後世において付けられるが基本的には死に際して視力を失いつつあったために闇から逃れるべく光を求めようとした、というのが定説。

※2 フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ。ドイツの哲学者。補足しておくとニーチェはしばしば反キリスト教と看做されるがそれは間違いである。彼は宗教たるキリスト教を否定せず、宗教のための宗教に陥って人間自身の精神の研鑽が疎かになっている「信者」を否定したのである。
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